先日、台湾から与那国島への3万年前の航海が成功したとの知らせがありました。これは当時の曙海ほとりの「日本祖人」の親族が敢行したことになります。他方、此の頃の北の海では、昆布ハイウェイの何でもある襟裳岬を北上して来た道東「日本祖人」が、うるさいプーチンが居ませんでしたので、引き続き島々が次々に見える千島列島への北上を続けていました。

カムチャッカからアッツ島へ漕いで渡ったかはよく分かりませんが、距離が数百キロありますので、昆布ハイウェイ陸地沿岸を北上して行った事でしょう。そして。①「日本祖人」族が単独で、又は、②シベリア狩猟族と結婚し混じり合って、「米臨海」の沿岸を入って行って、1.6万年以前と言われる「最初のアメリカ人」になったものと考えられ、ある意味で世界人類移住史の最後の謎として、今、歴史界で注目されています。2代目の縄文人(1.5万年前から)は間に合わず、まして政治先住のアイヌは鎌倉時代から(北海道大学DNA分析結果)ですので問題外です。

段々事情が分かってきた世界は、「先に住んで居た」人が日本には2種類居る語義矛盾の1国2制度に、豪アボリジニや米インディアンと共に首を傾げています。来年の祝オリンピック先住民親族会をどうするのかと。五輪や歴史には、政治を絡めないのが原則ですので。

Popular Archaeologyが、現生人類の移住史について新たな図を出しました。日本側からの発信が誤っているため、何処からそこへ来たのかが不明な、 時代が新しい後の 移住である、?マークを付した×印の北から、西から図になっていますので標題のように訂正です。

当時の地形であった「北東ア平野」や「曙海」がよく認識されておらず、何よりも我が国の1万件を超える旧石器考古遺跡で、九州に約4万年前、北海道に3万年前という現生人類史の基準杭である「日本祖人」史が認識されていません。Sundalandに7万、豪に北ルートの数10kmの海を越えて6.5万年前という事から、寒いヒマラヤ地域を裸体の出アフリカ人が行動しなくても、普通に太平洋沿岸からの日本への北上が認識され、インド洋及び太平洋岸の河川からの上流への遡上も認識できます。そしてその流れで、現生人類移住史の最後の謎であるKelp Highway( 昆布ハイウェイ)から沿岸をアメリカ新大陸に入って行った「最初のアメリカ人」は、何処から誰だったのかが本来は表示されねばなりません。

既報告のとおり、3万年前に道東・十勝帯広から北上を続けて行った「日本祖人」の可能性が十分あるのですから、日本が世界にしっかり発信せねばならないのに残念な事です。まさか、鎌倉時代からの「政治先住」のアイヌ話と全く合わないので黙っているということは無いですよね。世界人類史への冒涜になります。

海の日記念(番外)

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これまでに標題関連の多くの本が出版されていますが、最新の(まとめ)をご参考とします。現生人類は、出アフリカ後に東南アジア・Sundaland地域に至って北上及び東進し、図の曙海畔から約4万年前に対馬~五島に渡海、3万年前にはほぼ列島中に拡がりました。

多くの本の説明が、日本列島には南から、西から、北から人々がという時代の違いを踏まえない3方向から渡来という記述となってますが、大きな誤解を招くものです。始まりから一貫して北上であり、列島内も北上を続け、おそらくアメリカ新大陸へも北上して行ったこの一方向性がその特色であり、極めて重要な点です。

この点を理解している筈なのに、何故、3方向からと言うのかむしろ不思議で、余りに「単一民族説」の否定に 過ぎ、 傾く歪曲です。何しろこの一方向性の南方海人(太平洋沿岸)系の拡がりと定着した文化は、2万年以上の積み重ねとなっているからです。

さて、「日本祖代」末期の最高寒期最寒冷期(LGM)前後に、西から北から大陸系の人々の渡来がありましたが、更に縄文時代1万年以上にわたり基本的には文化が継続されたものと考えられ、近年、「日本文明」と言われるようになった重要な要因でしょう。そしてこの国柄の古い基層の延長上で、南九州勢力の東遷(近年実証)によって大和王権が樹立されて「芯」が出来ました。

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他国と違って昨日今日のものでない、誰かが頭で考えた理屈の人工のものではない、長い間に島国で熟成された南方海人系の島国独特の民俗を背景に生まれた、多数の支持を得た「芯」を有する政体となっていきました。その後、大陸・半島系の人と文化の渡来を混ぜ乍ら曲折を経つつ 継承されて来 て、現代の「令和」の時代に至っています。まとめとしては、①出アフリカ後、南方から北上して 来て渡海し、引き続き北上(一部南下)した 一方向性 の拡がり とこの文化の列島中での定着、②万年を超えて積み重ねられた南方海人系の島国における文化基層の形成及び熟成、③その基層上の多数に支えられた王権社会の樹立とその後の継承、が標題の主な答えとなります、ご参考まで。

東南アから北上し曙海のほとりで始まった約4万年前からの列島史、その後の約1万年間で沖縄~北海道まで、列島中に拡がった「日本祖人」の北海道の者は、おそらく昆布ハイウェイを舟でアメリカに向かい北上して行き、 2万年前頃には大陸の狩猟民族の西、北からの渡来を吸収し、 そして1.5万年前頃から、列島中で2代目の縄文人と呼ばれることになります。その末期にやはり南方の呉越系からの稲作・金属の伝播があり、それまでの長い間に熟成された独特孤立した南方海人系の我が国の基層文化を形成し、大和王権を樹立して「令和」の今日に至っています。

その間、シナの律令制等、仏教・伴天連宗教、幕末の黒船等の衝撃、焼け野原のマッカーサーの施策などを受け止め変形させて国柄を失わなかったのは、この基層の「原日本教」のお蔭でしょう。最新の研究で、神武東征の史実が紀元直前という事で実証され(長浜浩明)ましたが、南部九州の南方海人系であった意義は大きいです。最新の言語研究でも示されている、内陸狩猟系と南方海人(太平洋沿岸)系が対立した構図の東アジアのの始まりの国際情勢の大枠の中で、曙海畔の呉・越とそれまでの長い間のように、時には曙海畔が北上した所の公孫氏・燕を介し、人と文化の実質的な関係がありました。見たとおり、曙海は世界でも珍しいほどに大きく形を変えました。しかし、一人一人にとっては、生きている間は、曙海の姿に変わりは無く、大昔からの畔の人々の繋がりの話を言い伝えた事でしょう。

そしてそういう状況で、南西諸島、古本州島から北海道に至るまで、その基層が万年の昔からの共通の南方海人系の文化であった事は着目すべき点です。今、世界が「日本文明」と認識すべきと言う原点でしょう。これまでの古代史学は、北部内陸系の魏志倭人伝、邪馬台国などの偏重でした。徐福が日本に上陸した伝承があり、呉の孫権が九州とみられる地に万と言う兵を送ったと記述されており、痕跡はいろいろあります。子供たちのためにも、宇宙のダークマターのような南方系の「呉・越志倭人伝」を、何とかそれなりに諸学共同の科学の力で描いて欲しいものです。

7月9日午前11時48分、スギメがついに台湾から与那国島のナーマ浜に着きましたー!感動しました。という実験成功の第1報が伝えられています。実は、1万件を超える我が国の考古学遺跡が示しています事から、北海道「先住」・道東の「日本祖人」が、その頃に、昆布ハイウェイを北上して千島列島から「最初のアメリカ人」になるべくアメリカ新大陸に向かって進み始めていた可能性があり、今、世界の歴史学界の注目です。

尤も、こちらの方は、クジラの骨や流木による骨組みにオットセイの皮を張ったような舟だったかも知れませんが。いずれにしても、太平洋沿岸の「海の民」が原点です。学校で最近は歌われていないらしいですが、「我は海の子」を必修としましょう。我は海の子白浪の、騒ぐ磯辺の松原に、煙たなびく苫屋こそ、我がなつかしき住家なれ~。(漢字が難しいとか、ブツブツ言わせないで下さい)

日本史は約4万年前、南方から北上した現生人類が、北部九州に「曙海」を舟で渡って来て「日本祖代」が始まり、2代目縄文Jomonに続きます。

中国史は約4千年前、下図の長江から進んだ「夏」王朝を始祖とし、北西草原の民に滅ぼされて2代目「殷」王朝となります。いずれも始まりは南方発で、渡海しあるいは河川を遡行したものです。

さて、結論的にこれまでの地域史は北部偏重で、大陸の中原 洛陽 が、そこで陳寿が書いた魏志倭人伝・邪馬台国が論じられてきました。尤も、陳寿も「倭は会稽東冶の東の海中」という当時のみんなの常識に抗えずに里程を記述したために、その後の日本の邪馬台国論争を招くことまでは分かりませんでした。しかし、魏志でなく呉志・孫権が、「夏」王朝と呉・越・亶(タン)洲の関係が、九州中南部の天孫降臨や神武東征、亶(タン)洲 の話が、我が国の歴史を考える上で極めて重要であり、注目されてきています。何と言っても「曙海」周辺の関係の深さを示し、驚きなのは中国「夏周」王朝と呉・越の元になった3兄弟の父親が、亶洲人(九州中南部・種子島か?)だという話です。倭人は、太伯(呉国)の子孫という話もあります。

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学閥に捉われず古代の真実を追求したと言われた作家の松本清張氏が、「曙海」・北東ア平野沿岸を認識できなかったことはやむを得ないとしても、重要な呉志孫権・呉越・亶洲など と古代の我が国との関係に ついて殆ど触れていませんが、不思議なことです。まさか、北部九州・小倉出身だからではないですよね(失礼しました)。いや~歴史研究は、誠に難しいものです。

今日は米国の独立記念日ですが、先住民はNativeインディアンで、最新の研究では図右下のとおり、16,000年以前に沿岸の「昆布ハイウェイ」から舟で来たと考えられています。

それまでは、シベリアからというのが定説でしたが、ベーリング地峡付近に痕跡が無く、3万年前・道東の「日本祖人」が注目です。ルートは、AかBか、aかbかが考えられますが、比較的温暖のA、沿岸移住の容易性からaの可能性が高いでしょう。シベリアには、ヤナ遺跡、バイカル湖遺跡がありますが、どうも「最初」ではなさそうです。何しろ「日本祖人」は、舟で伊豆諸島を行き来した当時の先史の金メダリスト( 漕舟) でした。

北極海の冷水が流れ込まなかった米臨海沿岸の状況と道東は、そんなに大きな違いの無い昆布ハイウェイ地域で、襟裳岬の春は昆布のみならず海獣・魚介・海鳥と卵など何でもありました。そして、何よりも千島列島は、次の島が見えていましたので、日本祖人の北上が続いていたと考えるのが普通です。

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因みに、2代目の縄文人は間に合わず、鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学のDNA分析結果)は本検討の全く対象外です。世界に誤解を与えますので、「先住」を外して「人権尊重」に訂正記述すべきです。なお、豪先住民は、定説を覆して下図のとおり、インドネシア・スラウェシからの北ルート移住の可能性が高いという研究発表がありました。

現生人類史の残された大テーマは、日本リードによる米・加・露との充実した多分野での国際共同研究が待たれています。

「最初のアメリカ人」問題について、米オレゴン大のJon M. Erlandson教授は科学誌National Geographicで、「昆布ハイウェイを舟で沿岸からやってきたのではないか」と新説を提唱し、「舟を操る海洋民が日本に居た」と述べていますが、これに対する日本の反応が今一つなのは驚きです。

教授の発言の背景には、3.8万年前頃から黒耀石を採取するために、伊豆半島から20km以上離れた神津恩馳島に黒潮分岐流を越えて行き来していたこと (黒耀石 原産地分析と 交換の痕跡から) が知られているのです。


シベリアや北東アジア 地域で、1.6万年以前に舟を操っていた種族は、「日本祖人」以外見つかっていません。シベリアの狩猟族が舟を造って操り、厳しい北の海に適応するのは、とてもとても大変なことです。正にハワイに繋がる当時の「米臨海」地域と北海道の道東は、 環境が そんなに大きく違ってませんでしたから、行けた筈が無いと言う人の理由が分かりません。

日本祖代の人骨としては、沖縄石垣島で2.7万年前の人骨がはっきりしてますので、「日本祖人」と大きな違いは無かっただろう考えられます。

先生、子供たちに「世界先史の金メダル」のこと、舟で入って行った「最初のアメリカ人」の事を教えましょうよ。 G20で来ている人たちにも。

世界人類史の大テーマと言ってよい「最初のアメリカ人」問題について、シベリアから狩猟族が動物を追ってベーリング地峡を越えてやって来たという、長い間の定説が崩れています。北米大陸内の通路とされた無氷回廊が融けて開くよりも古い遺跡が、南米チリ沿岸で見つかったのも大きな理由です。北太平洋沿岸から「昆布ハイウェイ」を舟でやって来たという新説は、「日本」が登場しています。

世界が知っている2代目の縄文人(Jomon-jin)よりも1万年以上古い時代の話であり、日本学界の対応が無いために、残念ながら「舟を操る海洋民」としてしか表現されていません。さて、北海道大学がDNA調査を行って、アイヌが鎌倉時代からと明らかにしたにも拘らず、国会は、先に住んでないのにアイヌの政治「先住」という決議と新法で、豪アボリジニや米Nativeインディアンが驚く1国2種類の先住民という、笑えない誤解を世界と子供たちに振り撒き、何よりも学校で「日本祖代」、「日本祖人」(Nihon Sojin)も「最初のアメリカ人」沿岸進入説も教えていないという異常さなのです。

現生人類が下図の第1図の曙海を越えて約4万年前に九州に来て、日本祖人は3万年前には第2図北海道に拡がってましたが、北陸と石器が類似の第3図①道東日本祖人は、②次々に島が見えた千島を北上し、北極冷水が流れ込んでいなかった③ハワイに繋がる「米臨海」の沿岸の④昆布ハイウェイKelp Highwayは、昆布のみならず魚介・海獣・海鳥卵など豊かな食糧に恵まれ、かつ、北海道に鏡面対称性で似てましたので、沿岸のこの方面から、最初にアメリカ本土に入ったのではと考えられています。

それは、氷床で米本土が閉鎖されていた時期の15,800年前頃の遺物が米本土オレゴン州などで発見され、沿岸を舟でというのが新定説です。実は上第3図、ユーコン川上流のカナダのムツ遺跡は、24,800年前という数字が出ていますが、こんな時期にシベリアから来れそうも無く、米本土にも氷床閉鎖で入れないので学界では無視・軽視されています。しかし、3万年前に北上した道東日本祖人なら十分可能性がありますが、世界にその事がしっかり認識されていないからなのです。北海道の先住民が①歴史上の「日本祖人」と②鎌倉時代からの「政治先住」アイヌという世界に例のない、豪アボリジニや米インディアンもびっくりの1つの国に2種類の先住民が居るため、誤解・曖昧が世界に拡がっているからでもあります、罪深い。

日本人は何処から、ルーツは、日本史の起源は、などについて沢山の本が出ていますが、標題の用語なしに語れる筈が有りません。約4万年前に沿岸から舟(筏)で北部九州に渡って来て 日本列島中に拡がり 始まっています。

その海岸線は時代によって動いてましたが、一人ひとりにとっては生まれて亡くなるまで変わらない、曙海のほとりの人たちは万年の長きにわたる 親族のような ものでした。遥かに下った歴史時代の呉、越、百済などと言ってもその末裔の地域なのです。

五島と薩摩に共通の古い言葉が残ってる、南西諸島の貴重貝が出雲どころじゃない北海道で見つかっている、古代中国正史では倭(日本)だけでなく、遠くベトナム(南越)に繋がる呉・越地域の人たちも「変なヤツ」と書かれており、筏の実験で朝鮮半島に直接行っていた事が実証され、大陸内部の種族とは違う南方の人たちが地域の始まりなのです。 半島南部には縄文遺跡や前方後円墳すら多く見つかっており、また、 元寇で侵入して来た呉越の人は殺しませんでした 。そして「日本祖人」は、出アフリカから今は、北太平洋の昆布ハイウェイKelp Highwayを舟で入って行った「最初のアメリカ人」ではという事で世界の注目です。

鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学DNA分析結果)を政治「先住」と言ってるのも歪曲の困りものですが、世界の人が、いや子供たちが、「日本祖代」「日本祖人」を知らず、2代目の縄文(Jomon)人からしか語っていないのが、「最初のアメリカ人」テーマに参加できていない大誤解の問題で、罪深いことです。

豪先住民アボリジニの祖先は、図右下のように5万年(6.5万年説も)前に、たまたまではなく計画的に海を越えて北から1,300人以上が舟でやって来たと研究報告が報じ(Newsweek)られています。つまり、科学的に諸学共同の検討がなされ分析研究が行われているのです。

図左の一般的な「日本人は何処から?」に基づき、九州に約4万年前(3.8万年前説はもっともらしい誤り)、沖縄~北海道にまで3万年前には拡がっていたことが1万件以上の遺跡分析から分かっています。さてその九州へも、約4万年前当時は水深が数十m以上100m近くも低く、「北東ア平野」が現れて「曙海」となり、対馬がやや独立的ながら五島から壱岐~博多~出雲は陸地繋がりでした。最初の1000人以上の「日本祖人」家族は、舟(筏)で30km以上を越えておそらく対馬(もしくは五島)に来ています。問題はこの重要な民族の始まりを、豪のように科学的に研究されていないのです。出アフリカ後にアボリジニと同じようにSundaland地域から祖先は北上して来たでしょう。豪アボリジニの経験から舟で渡洋する能力もあったでしょうし、3.8万年前には、伊豆神津恩馳島に黒耀石の採取に行き来してました。その後は3万年前以降の北海道から、最初にアメリカに渡って行った可能性がある、アボリジニ・「日本祖人」・インディアンの先住民繋がりが、今、世界の注目なのです。鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学のDNA分析)を政治的に「先住」にするなど、アボリジニやインディアンと「日本祖人」を伝えて連帯できていない子供たちに対する罪です。科研費を是非とも充当して、各国と協力し研究してほしいものです。

6月下旬~7月上旬の間で、台湾東部から沖縄・与那国島に太古の航海再現プロジェクトが行われ、下図のA地点からB地点に向かって実験航海の検証が行われます。

本来の検証目的からは、 A地点を舟出した偵察チームの人たちが与那国島で「良い情報」を得て、さあ、強い黒潮流に「抗して」漕舟し台湾に再び「帰れたか」となり、帰りが重要です。図のYのように台湾に戻れなければ、次の本試みは続きません。従って、台湾陸地に帰り着くためのXルートのX1ポイントに、黒潮流の強さに「抗して」先ず漕舟南下しなければなりません。今回、この事は直接的には試みられないようですが、①黒潮流の強さと、②漕力及び航法から、「台湾への帰りの状況を考察しうる」成果を期待したいものです。

「明治人」のルーツは? はい、維新もあり外国人も沢山来ましたが「江戸人」です。縄文人のルーツは?はい、始まりの「日本祖人」を全員どかして縄文人が何処かから来たなんてアリエナイので、先代・初代の「日本祖人」です。こんなようなやりとりが、今も世界で行われているのは歴史学会の問題なのです。島国であるために民族の始まりが、1万件を超える数の遺跡に支えられて「約4万年前」ということで学者さんに異論のない、世界でも稀に恵まれている状況を、何故か認識したがらないのです。

その始まり時代を「日本祖代」、私たちの祖先を「日本祖人」と学界が認識したがらないために、世界のハーバード大学で前述の如きマンザイのようなやり取りになっています。明治人の親が江戸人であるように、2代目の縄文人の親は、初代・先代の「日本祖人」なのです。そして、問うならば、「日本祖人」のルーツは?ですが、人のみならず遺跡や言語系統を含めて 本欄で 累次説明してますように、出アフリカ~東南アジアSundaland地域~太平洋沿岸を北上して、「曙海」ほとりから海を越えて北部九州にです。3万年前には沖縄~北海道にまで拡がって、今は「最初のアメリカ人」の可能性が最新学説で注目なのです。

「日本祖代・祖人」を認識せず、その出発地である北海道の「先住」を鎌倉時代からのアイヌ(北海道大学のDNA分析) と やらなくて良い政治的なゴールポスト動かしを行っているのです。


更に、日本には下図E樺太、C朝鮮半島、B南西諸島の3方向からという誤りの図で世界に誤解を振り撒いているのは、子供たちに対しても罪な事です。 下図右のように、3方向からではなく、始まりは南から北上の1方向です。

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