インドネシアの「歴しニア」である盟友Dhani Irwantoが、Sundalandについて研究し、このほど書籍になりました。

19世紀末に、欧州人科学者によって東南アジアの海図作りが進められました。

1921年、蘭人地質学者の Gustaaf Molengraffは、広範囲の海底に何本もの河筋が有るのを発見してかっては大陸地であった事を明らかにし、1949年、 Reinout Willem van Bemmelen が「スンダランド」と命名しました。

7万年前~7千年前頃までのこの過半が沈んだ大半島陸地は、正に出アフリカ後の最初のアジア人の故地と考えられる地域であり、「インマレイド人種」の存在と暮らしを想定するものです。

人類は南から北に移動移住し、降雪寒冷の地の暮らしに適応して、目・顔・体形などが変化して「モンゴロイド」が生まれましたが、最初の人たちを古モンゴロイドと呼ぶのは適切では有りません。

既にアジアでは、人の歯型が、南のこの「スンダドント」型と北の「シナドント」型に分かれるのは知られています。

そして、アジア人始まり時代の南方の海・川辺の暮らし振りと降雪寒冷の内陸狩猟族の暮らしぶりは異なる事にも着目すべきです。

スンダランドの人たちは、先ずは、豪州に舟で外洋を渡った世界史上の初めての特色を有する人たちなのですから。

そして、我が国始まりの「日本祖人」は、ともかく4万年前頃に家族で舟に乗り九州に渡って来て、北海道にまで拡がった人たちで、3.75万年前頃には伊豆・神津恩馳島に舟で黒耀石を採りに行っていたことが確認されている人たちなのです。

そして、こちらでも上図の沈んだ「北東ア平野」が、「曙海」が我が国の始まりを認識する重要な当時の状況なのです。

即ち、スンダランドや北東ア平野は、父祖の現生人類史の始まりを正しく理解する「補助線」なのです。

(了)

 

いよいよクリスマス、そして年末ですね。

さて、クリスマスと言えばイエス・キリスト様ですが、下図のように英人医療アーティストがその復元を図り、世界に衝撃が走りました。

しかし、前回お伝えしましたように、白人(実際は薄い褐色、髪は黄色)のコーカサス人種が、聖書の「ノアの方舟」話に依拠しなくすれば、衝撃でもなんでも無く納得しうるものです。

世界の学界をリードする欧米が、このキリスト像をベースに、ノアの方舟話を外して考究すればと思います。

こんな事は、アジア史も全く同様です。

新・旧モンゴロイドしか用語が有りませんが、少し考えれば分るようにモンゴロイドが北に降って湧く訳は有りません。

出アフリカ後に、歩いて行ったルートが有るのです。

それは出アフリカ・ネグロイドから直接的にか、上図の「インマレイド」から北上し、降雪寒冷適応を果たしたものです。

日本人の祖先は、4万年前頃に列島に舟で渡って来て拡がった「日本祖人」ですが、その人と暮らしぶりを考究するには、この「インマレイド」を認識することが大変重要で、世界人類史の考察においても意義深いと考えます。

この「インマレイド」は、下図の東南アジアの大昔の大半島陸地であるスンダランド(パンカル半島)の過半が沈んでしまっている事が有ります。

また、その後の歴史においてモンゴロイドの南下の影響が大きい事などから十分にその意義が認識されていないようです。

まさか、その地域は、学界をリードする欧米諸国の植民地だったからという事は有りませんよね。

ともかくアジアはモンゴロイドというのは余りに荒っぽ過ぎで、歯だって南北2つの大区分ですよ、と、先生方に噛みつきます!

Merry Christmas & Happy New Year!

(了)

氷河期の寒冷乾燥でアフリカの森が縮小してサバンナに出たサルは、危険な地で直立2足歩行と肉食化したのが大変化で、脳が進化したヒトに成りました。

10万年前頃から①南アの海岸の全く異質な海辺で暮らし始めたネグロイドは、貝ビーズや色彩装飾などの知的進化が見られ、遂に数万年前に②浅い「海」を越えて出アフリカを果たしました。

この時期は、先着の旧人との遭遇が脳に影響を与えたと考えています。

氷河期でしたし北上や西進に比し気候変化が少なかった東進は早く、③東方の楽園暮らしと言っても良かったでしょう。

但し大型獣だけでなく火山の噴火と地震津波との遭遇という地域の特性が、知力・精神性にも大きな影響をもたらしたでしょう。

豪州へ舟(筏)で渡り、そして北上し、戻りの西進も有りました。河川を遡行し沿岸を北上したグループは4万年前頃、海を越えて日本列島に進入しました。

そして、西の方からか東の方からか更に進んで行きついたのが、④雪と寒さという大変化でしたので、目・顔・体つきが降雪寒冷適応の変化と知の進化ももたらしました。

他方、出アフリカから大西洋に行きついたラテン系の人々と黒海東方から来た人たちは、深く暗い寒い「森」に遭遇して白人化しサングラスをかける、今の世界の基本が出来ました。

その後、新大陸に渡って南米まで拡がるとともに、広大な太平洋に漕ぎ出し、やがて他の領域に侵入する状況となって今も争いは続いています。

サル時代から考えると海を渡る、洞窟に絵を残す(インマレイド発?)などは画期的でした。

しかし、弓矢とは決定的に違うAIを使うヒトに襲われないためにも、基本が形作られた万年前までの始まり時代に遭遇した大変化が、脳に暮らしにどう影響を与えたのかを見つめて考えることは重要です。

その後、人そのものはそんなに進化していませんので。

(了)11D29i日

大学の教室では、今も古・新モンゴロイドという語が使われていますが、それは欧米学者によるコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドといった人種分類によります。

その元は、200年前のドイツの動物・人類学者ブルーメンバッハの5分類、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)です。

その後、欧米学者が、東南アジアのマレーでなくモンゴルをアジアの代表にしたのは、人口数のためか、はたまた彼らの心胆を寒からしめた印象深いチンギスハンのためなのかは分かりません。

現代から見てもエチオピカは鋭い分析ですが、下図のとおり、出アフリカ黒人が、そんな短距離のコーカサス地方でコーカシア白人になる訳はなく、聖書のノアの箱舟が見つかった(これ自体、ウソ)という理由です。

更に、この白人が基本であって他は退化したものという酷い認識でした。

ハッキリしているのは、インド、マレー地域の「インマレイド」で、出アフリカの痕跡が今もネグリトやアボリジニに残っています。

問題はモンゴロイドで、出アフリカ後にホントに徐々に変化して黄色人種になったのか疑問であり、その移動経路上に痕跡は全くありません。

インマレイドが、モンゴロイドになった(A”)とも考えられるのです。

我が国は、あくまでもインマレイド系(A’)の基盤の上に、時代が下ってB-1、B-2が加わったものですが、あたかも3者同時・同等混合のように誤解を招く図も見られます。

話題の長江稲作文化、日本語との共通性が言われるタミル語、あるいは人が近しいというチベット、雲南なども皆、インマレイド系であり、驚くに値しません。

その後のB-1渡来の影響は大きく、北部に限られたB-2の影響もありますが、現代に至る人々の文化はインマレイド系が根強いです。

それはやはり、4万年という長い日本史の90%を超える期間に受け継がれたものはそんなに変わらないからでしょう。

独特の言葉、入って来た文字も仏教も欧米文化も変容させ、キリシタンを限定した根強い「日本教」基盤の厚みがありました。

国の組織などは兎も角、人々と心理は先ず「インマレイド」を基礎に考えましょう。

近年、ハーバード医科大が、アマゾン流域の古い部族に「インマレイド」を発見して、世界を驚かせていますが、日本列島を経て渡って行った可能性が十分あるのです。

アジア人として、もう、何でも古・新モンゴロイドと言うのはやめようと世界の学界に言いましょう。

(了)

 

世界の学界が、〇万年前という大昔の祖先の暮らしを探って時に騒ぐ一つの訳は、猿たちと何が、いつ、どれだけ違っていたのかという事があります。

人骨・石器と言わず、洞窟で絵が見つかれば、釣り針が、いや糞が見つかっても驚きの騒ぎです。

今、トルコで見つかった「ギョベクリ・テペ」遺跡が、石器時代人に対する世界の認識を一変させるほどのものとなっています。

さて、大きな無人島に初めて外洋を越えて多くの家族が舟でやって来た我らの祖先については、世界が注目する事象ですが、それがどうしたの?という方もいるでしょう。

しかし今、AI(人工知能)が登場してきて将棋などの名人を負かし、ニュースを読み、姿かたちを替えて工場でオフィスで様々な所で活躍し始めています。

そして、近いうちに家庭に入り込んできます。

こんな時代ですから、実は猿と人の違いを見つめる事は、重要な意味を持ってきています。

何故なら、歴史的に見てAIとは何者か、AI開発はどうあるべきか、そもそも全ての人・子孫が幸せに生きていくにはAIとの関係において、私たちはどうあるべきかを明らかにすることが課題ですから。

大変だあ~と巷では言ってますが、祖先も大変な変化の時代を何度も乗り越えてました。

(了)

最初のアメリカ人は何処から、誰だったのかが議論されており、そのルートについての従来の定説は覆って、ベーリング地峡をマンモスを追ってではなく、南岸の「昆布ハイウェイ」から舟で来たようだとなって来ています。

我が方は、4万年前頃という時代の議論の精度として下図で大筋良く、何よりも十分意味が有ります。

分かり易く印象的に最新の石垣人復元図(2.7万年前頃)で表現しています。

野尻湖遺跡が古く現生人類だと分かった、来着は八重山の方がいや五島が早かったといった種々の議論は有り得ますが、はっきりすれば修正になります。

問題はそういう事ではなく、次のような事です。

網野善彦対談集3海と日本人(260ページ)岩波書店(2015年3月20)から。

網野 「日本」という国号は七世紀末に決まるんです。それ以前は「日本」ではありません。倭人はいても「日本人」は存在しなかった。聖徳太子自身、自分は倭王と言っているわけですから。これを日本人などと言うのは・・・・・・。

姫田(忠義 ドキュメンタリー映画監督)失礼な話ですよね。本人はそう思っていないのだから(笑)

世界の歴史学者さんに縄文人は何人かと訊いたら、日本人と答えるでしょう。では、その父、祖父、・・・は、と訊くのは愚問です。

因みにインドネシアの古老は、「お前は曾祖父で終わりか、オレたちは8つ前まで名があるぞ。お腹の子だって、毎月の名が有るぞ」と言われました。

さて、標題で答えたら、入試に落ちるんですか?

それよりも聖徳太子に叱られると思います。近頃は、日出る国の民と言ってないじゃないかと。

(了)

私たちの祖先が、氷河期に裸一貫でアフリカの地を出た現生人類(新人)であることは世界の共通認識(時期は10~6万年前で諸説)です。

その後、日本列島に至るルートは、下図のA、B、Cが挙げられていますが、Aの可能性が高いでしょう。B、C地域の遺跡はAからの河川の遡行の可能性も考えるべきです。

そして4万年前頃の「曙海」のほとりですが、今は沈んでいる「北東ア平野」を考慮すれば、西岸の沿岸地域から、海を越えて緑豊かな九州に達し(八重山へ渡洋し北上するのは、長距離の慶良間海峡越えが難しい)ました。

海水面最低下の2万年前頃でさえ西岸と陸で繋がったことは有りません(!)でしたので、多くの家族が舟(筏)により渡洋して来ましたが、当然に「先住民」(現生人類)は居ませんでした。

祖先は日本列島中に拡がり(「日本祖人」)、その後は特に2万年前頃、北は陸伝いに、南は海を越えて大陸内部の渡来者が来て含め、やがて縄文人と呼ばれることになりました。

世界の認識では縄文人は日本人であり、その父・祖父・曾祖父・・・の「日本祖人」もまた当然にして日本人です。

全ての日本人は、単に渡洋の時期が違う先祖の子孫または最新の本人です。

なお、発見されている最古の祖先の痕跡(通説)は、列島中央部の黒耀石の石器(3.75万年前頃)ですが、降臨したのではなく九州から北上した人たちの物です。

さて、下図の祖先の①を日本人と言えば、世界から笑われます。②を日本人と言えば、隣国から怒られます。外洋の海を越えて来た③の八重山・対馬~北海道の「日本祖人」を日本人と言わなければ、ご先祖様から叱られます。

私たちの「祖先」は、時の始まりと地域の線引きが分っている世界史上とてもユニークな、4万年前頃からの長~い日本史の創業者なのです。

どんな会社の社史でも、先ず創業者を見つめます!

(了)

欧州で続く大問題は、ネアンデルタール人(45~3万年前)と現代の人々との関係は何であったのか?です。

そして、最新の研究結果では、ネアンデルタール人と現代に繋がる現生人類には、はっきり交雑があった(6~3万年前の間の共存)というものです。

即ち、欧(米)人の血には何%かのネアンデルタール人のモノが入っているということです。

ネアンデルタール人は、体つきや脳の大きさはむしろしっかりしていて、言葉も舌・喉構造からある程度発声できたし、埋葬も見られました。

が、流石に洞窟絵などは無く(舟を漕ぐことも無く?)知力の点で劣ってましたから、寒さ環境への適応力が不十分な自滅だったという事のようで、3万年前頃に絶滅しました。

つまり、現生人類との闘いに敗れ去ったというそれまでの史観が覆って来たようです。

ところで、アジアでは、ネアンデルタール人に相当するデニソワ人が、豪州先住民に4%くらい混じっていて、こちらでもこの問題は注目されています。

他方、3万年前頃と言えば、下図のように日本では鹿児島・姶良の大噴火が特に西日本に大きな影響を与え、火山灰の痕跡は東北でも発見されています。寒さも厳しかったでしょう。

逆にシベリアのマンモスなどは温暖化によって20時間は食べ続けないといけない寒冷乾燥地の草が減り、冬は湿り雪の吹雪で折角の毛が濡れて凍るなどにより絶滅に至ったようです、無論、人間の狩りも影響したでしょうし。

絶滅と言えば、6500万年前に海岸付近(運が悪かった)への彗星の衝突により舞い上がった塵が太陽光を遮り、恐竜を絶滅させたという話も理解しやすいものです。

さて、再びネアンデルタール人話です。

7万年前頃のインドネシア・スマトラ・トバの大噴火は、世界史No1級の大変なもので火山灰はインドでもしっかり発見されています。

当然にして年単位の寒さがもたらされたでしょう。7万年前頃はそれでなくても、東南アジアSundalandが海水面低下で地上に現れた寒さでした。

トバ大噴火せいだったのか、それとも更に加わったのかはよく分かりませんが。

この7万年前頃(現生人類は、欧州に未到着でした!)を生き延びたネアンデルタール人が、最寒冷期LGM2万年前頃でもない3万年前の寒さを生き延びれなかったという説明はちょっとなあ、なんです。

我が「日本祖人」は、狭くなっていたとはいえ、降雪寒冷の北海道に入って行った頃だったですから。

やっぱり自滅じゃなく、現生人類との食料獲得の闘いに敗れ去ったんじゃないですか?

欧州先生、インドネシア・スマトラ7万年前頃や北海道3万年前頃にもちゃんと目配りされてますか?

(了)

豪Griffith大チームが、過半が沈んだ東南アジアのSundalandのボルネオ島東部で、4万年前頃の洞窟・野牛絵と5.2万年前となりうる洞窟・人の手型絵を確認(下図左上)しました。

前々回、スラウェシ島の手型絵を報告したばかりでしたが、マカッサル海峡を挟んだ近傍反対側であり、世界最古の具象の動物絵です。

Sundaland地域は、豪州への現生人類の渡海移住、今回と同じボルネオ島の西部にあるニア洞窟の現生人類遺跡などと共に日本に関わるアジア現生人類史の古郷です。

私たちの祖先がこの地域から北上したと考える「南方起源説」を今回更に補強したという訳です。

さて、サルなどと決定的に異なる現生人類の知能進化は、いつ、どんな、が話題になります。

アフリカ南部海岸の赤色オーカー塗料の使用や貝ビーズの装身具などが発見され、一歩一歩10万年前位からということのようですが、特に4万年前頃からの欧州の洞窟絵が目立って採り上げられて来ました。

新しくなりますがスペイン・仏のものは、もう現代人顔負けの素晴らしいもの(下図左下)で、長く欧州人のプライドでした。

今回発表の事は、東南アジアが正に双極をなすものであったことを示しています。

欧州の方は、中東から洞窟にやって来た時に既に画くことが出来た人(クロマニヨン人)たちであった、即ち描くルーツは移住ルートの途中、あるいは中東などとみられています。

ホントに本当にひょっとしたらアジア・Sundalandからかも知れませんね。

ところで、4万年前頃と言えば、初めて日本列島(九州)に現生人類がやって来た頃(縄文時代前の「日本祖代」の前期)のことです。

歴史学をリードする欧米は、そんな例が無いためか余り注目しませんが、舟と櫂を造り、多くの家族が40kmもの外洋を渡航した人たち(下図右)のと洞窟の中で動物の絵を描いた人たちと、どっちの知能進化が凄い、サルから遠い事でしょうか。

少なくとも甲乙つけ難しではないでしょうか、日本の教科書がこの渡航という「日本祖人」の偉業を特筆しないのが不思議です。

3.7万年前頃にははっきり、伊豆・神津恩馳島に20km以上の黒潮分岐流を越えて黒耀石の採取に行き来し、しかも既に交換の文化もあった事が、黒耀石原産地分析でその傍証としてはっきりしているのにです。

ピューリタンが、1620年にメイフラワー号でアメリカ新大陸に渡ったのなどと比較にならない始まりの偉業ですよね。(日本学会は、欧米か?!—漫才タカアンドトシ)

(了)

最初の日本人、誰もが関心をいだくテーマで、学界では4万年前頃に九州へというのが定説です。

3.8万年前に伊豆の海を行き来していたことが、原産地黒耀石の遺物分析から分かりますので。

しかし、不思議な資料(下図左)が出回っています。

なんと標題は同じくし、意義不明な3万年前を採りあげ、かつ3ルートからとしています。

3万年前は、「日本祖代」(縄文時代の前・先代・列島史初代)の前期の終りで、此の後、鹿児島姶良大噴火が起きました。

さて、おそらくこの「3ルート」を言いたいために全てが誤解を生みやすいモノとなっています。

最初の日本人は、九州から1ルートの「日本祖人」たちなのに、誤解を生む説明となっています。

矢印が変な対馬ルートとある(左図白字)は、その人たちは元々何処からどういうルートで来たの?

沖縄ルートは、最初は九州から南下して来たのでしょう!

北海道ルートは、最初は狭くなった津軽海峡を越えて本州から来たんですよ!

と、列島に残された遺物からは誤解を生むような、普通に考えてツッコミ所が満載なのです。

何故、こんな変な資料が出て来るのか、ホントに不思議です。

(了)

人類の本格的な知的進化の始まりとして欧州の洞窟絵が挙げられますが、アジアでも発見されて(第1図)欧州のプライドは修正されました。

私も洞窟に住む人が、動物はもとより舟を描いているのを見て感銘を受けました。

そして、豪にともかく渡海している(第2図)ことが、世界史の特筆事項です。

世界人類の4万年前と言えば、洞窟に絵を描いていることが挙げられますが、第3図の舟(筏)を造り、家族で外洋を渡海する事は、勝るとも劣らぬ偉業で、五島・(対馬)壱岐・出雲が陸続きで拡がって行きました。

そして、黒耀石を求めて伊豆の海を行き来していた(第4図)ことも正に世界史に特筆されます。

さて第3図の始まりについては、A-1ルートが横断ながら最短距離(約40km)でしたが、流れに乗れたA-2ルート(百数十km)も有り得ます。

黒潮横断のBルート(約80km)は、慶良間海峡の横断が厳しかったですので九州まではどうでしたか。地域の発見遺跡も九州よりも比較的新しいです。

いずれにしても「日本祖人」の列島史始まり時代は、世界史上、特筆されるものでした。子供たちに教えて欲しいものです。

(了)

発売されていない「日本国記」が出版不況の中、25万部初版でamazon第1位を走ってます。

日本では、既に1万件を超える旧石器遺跡が発掘されていますが、教科書に「始まり」イメージが描かれていませんので、焦点を当てて遺物から語ります。

1.始まりは、4万年前頃である。西、北、東に痕跡が発見されていないので、人類展開史の流れから南方発であり、北東ア平野の沿岸を北上したのでしょう。

2.曙海を多数の家族が舟(筏)で九州に渡って来て、その起点から始まり時代前期の約1万年間で北上しおそらく南下して行ったのであろう。また、日本海側に大雪が降らなかったので、均一性をもって北上して行きました。

3.渡海の始まりと、伊豆神津・恩馳島への黒耀石採取の行き来から、暮らしぶりと信仰は「海の民」性を有しており、その後も根深く受け継がれています。

4.酸性土壌で人骨例が少ないが、始まりは2.7万年前の復元石垣人イメージとそれ程違ってはいなかったでしょう。

5.①沿岸地域(水平拡がり)のみならず、②高地(垂直拡がり)、③降雪寒冷地(環境拡がり)の暮らしがあり、外洋操舟などの知力と多様性が初期からみられ、花開く2代目縄文時代の基礎と言えます。

6.外洋操舟力と降雪寒冷地への適応力があったことから、話題の沿岸・昆布ハイウェイを通って、最初にアメリカ大陸に入って行った可能性が有ります。

(了)

今、百田尚樹さんの「日本国記」が、未だ発売もされていないのにamazon1位を走っているそうです。

その副題は、私たちは何者かとなっています。

最近の研究で、「弥生人」はいなかったという研究者が出てきています。

即ち、お米にしろ鉄器にしろ渡来して大きく社会が変わって行きましたが、別に大量の人々が入ってきた訳ではなく北九州の当時のお墓など見ても縄文人が沢山いるという訳です。

考えれば納得で、よく「明治人」と言いますが、英人、仏人、米人などが大量に入って来た訳でなく、チョンマゲこそすっかり減りましたが、「江戸人」とどれだけ違うのかを考えれば分ります。

それならば、教科書も大書し話題の縄文人ですが、4万年前~縄文時代までの2万数千年の「日本祖代」の人々とどこが違うのかと言えば、縄文人と言う程の事は有りません。

日本史を見ると、2万年前頃の氷河期が終わって温暖化して行く大変化の時代に、シベリアなど内陸の文化が北から西から入って来たインパクトこそ明らかに特筆すべきで、旧石器遺跡にもよく表れています。

人も入って来たでしょう、その流入の変化を吸収した「日本祖人」の流れが縄文時代人であり、「江戸人」と呼ぶのが奇妙なように「縄文人」と呼ぶのは実は奇妙なことです。

縄文時代に大量の人々が渡来して来た痕跡は見当たりません。

むしろ、海水面が80m近くも上昇して始まった、切り離された江戸時代的な熟成の時代であったようです。

百田本の副題が問う、私たちは何者か。

それは、南方Sundalandから北上し、曙海を渡って来て北海道にまで拡がった初代「日本祖人」の子孫であり「伊豆海峡」を行き来したことで世界的に実証されています。

長い歴史であり、「先住民」などと言える人も居ません。

(学界の現状では、書けないのでしょうが)

(了)

アフリカを出た現生人類が世界に拡がったという通説に異論も一部でてきているようですが、南方Sundaland地域から4万年前の九州、3万年前の北海道、そして「昆布ハイウェイ」をアメリカ沿岸にという環太平洋移住MPOR説(下写真左)が注目されてきています。

この環太平洋は火山の連なりで、地震津波の苦難が背中合わせであり、最近もインドネシア・スラウェシ島、熊本、北海道、ペルー、エクアドル・・・が被災しています。

その苦しみを石像にすがるように優しいスラウェシ像が有名ですが、お地蔵様や今回ローマ法王に文大統領が贈ったマリア様の造形が類似です。

どういう造形に佳さを感じ尊ぶかは、宗教名の区分に拘らず、歴史を共有する心の深い所での共通性が感じられるものです。

(了)

「日本国記」は凄いらしい!

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未だ出版もされていない、私たちに中味も分からない日本史の本が、amazonの驚きのトップを走っているらしいです。

アフリカを出た現生人類が、南方から北上して来て、4万年前頃に多くの家族が舟で曙海を渡って九州に来て、その「日本祖人」が3万年前頃には北海道にまで拡がっていました。

今や優れた文化が有った事で何かと話題になる縄文人の先代、私たちの祖先です。

日本祖人は、海水面が低下して陸地が増していた伊豆諸島へ黒耀石を採りに舟で37,000年前頃から行き来していて、世界の考古学会を驚かせています。

今、高校生が、いや大学生が、黒潮分岐流の流れる20~50kmの「伊豆海峡」を手作り舟で、帰りには黒耀石をたっぷり積んで行き来できるでしょうか?鹿の通り道に陥とし穴を何個もちゃんと上手く作って、家族に食べさせられるでしょうか?

始まり祖先の知的・体力的な能力にも目を向けましよう。

当時の赤ん坊を今、東京に連れて来て育てて、林修先生に教えてもらったら、大学に合格しちゃうでしょう。

あ、それとその後のいろいろな混じり合いで、僕は私は「先住民」だぞなんて言える人はまずいませんね、長い歴史ですから。

(了)

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