近代祖史学の扉を開いた明治期の先達と埼玉・富士見市の素晴らしいコロボックル碑(前回説明)

図左:日本考古学・人類学の両祖が、日本史の始まりについて現地の調査・発掘から文明開化の科学の扉を開き、学術用語の制定、学術調査報告によるコロボックル・プレアイヌ説(縄文人のこと)を導いた卓見です。1世紀半後の今では、最新の広島・廿日市における発見から、4.2万年前からの始り祖代・祖人にまで日本史理解が進展しています。

明治期の論議は、北千島民とその遺跡・遺物を巡るものでしたが、痛恨の誤解の拡がりが鳥居龍蔵の学会公式報告にも拘わらず、コロボックルはその後に妖精や悪戯な神様、今やネット妖怪にまで変形してしまいました。
図右:他方、世界人類史の「最初のアメリカ人」は、シベリアからマンモスを追って内陸の無氷回廊を通過し拡がったとする定説が、古遺跡や足跡の発見、南米と豪州等の先住民DNAの驚きの類縁で崩れ、「Kelp(昆布)Highway」西海岸の沿岸ルート南下説(舟と海産物)の高まりから、豊かな海民祖史を有する日本史に、6千年前の縄文遺跡発見の北千島に、沿岸ルートの有力候補として再び今、注目が集まっています。
コロボックルを周回遅れの教室に―祖代研究会(RSoJS)
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