図➀北の西遼河が原郷説は、南方系を基本とする始まり日本史の祖代・縄文時代の既に原始人ではなかった状況を認識しない誤解の元です。

図➁人類拡散史の一つのルートは、南方北上(第1波)からの4.2万年前頃の北部九州への筏舟での渡海であり、黒耀石を求めた伊豆の世界最古3.8万年前の生業航海は日本史の特色です(アメリカ新大陸の「最初のアメリカ人」は、近年定説が崩れて西沿岸Kelp 昆布Highwayルートで進入説の高まり)。
図③万件超えの祖代Sodai遺跡が示す祖人Sojinたちの言語を有する活動は、日本史の基層であり61%の時間深度なのです。定住で生活が高度化した縄文時代は、「日本祖語」が出来上がって行った時代であり、寒冷モンゴロイド(身体変化)の南下進入は、日本史の始まりからずっと遅れた第2波なのす。まして北の西遼河系の渡来難民の影響が及んだ3千年前は、南方系の稲作伝搬が言われる時期でしかも新しいことです。大量の渡来は無かったとみられている日本史の大陸から離れた島国における古さが言葉を選び抜き、渡来の多様さと島内の栄枯盛衰が長い時の中で多層に混合して熟成され、孤立・独自性をもたらした(仮説)ものでしょう。
誤解を正す、島国日本語の古さに着目すべき―祖代研究会(RSoJS)
#祖人