(日本史の始まり)東亜地中海・東岸の豊かな発見痕跡

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin),遺跡

―見つからぬ西岸、暮しが無かった訳ではない筈


図右:東亜地中海(曙海・パンカルPangkal海)の始まり祖代(前期)の東岸痕跡は、筏舟渡海の対馬から南のニア洞窟までの発見遺跡の豊かさです。近年、人類史で光が当たる台湾東部沿岸の先住民Ami族は、南方スンダランド及びサフルランド地域並びに南米アマゾン等の第1波先住民(Population-Y)DNAと驚きの類縁性があり、(初代の祖人・)2代目の縄文人がベトナムやスンダランド地域の先住民と類縁であるという重要な関係性も注目です。そもそもの北部九州への曙海北岸からの渡海と祖人Sojinの沖縄への南下、北海道以北への北上という列島拡がりの(ビッグ・バンならぬ) “スロー・バン”(1.2万年間)と列島定着の暮らし(1.4万年間)という始まり祖代Sodai(日本史の60%期間、縄文時代の前)の文化の厚い「基層」を認識せずに日本史は語れず、「縄文文明は、一日にしてならず」です。
海水面の上昇で埋もれた西岸ルート状況の推定が、真実の歴史認識の鍵でしょう。

図左:遺跡とDNA等の分析から、「日本人何処から?」の「原郷」である南方(東南アジア域)・サフルランドと南米の先住民DNAが類縁であり、人類拡散史の沿岸ルート(伊豆の生業航海、3.8万年前を含む)が注目される中、舟と人々の海の暮らしは探究すべき焦点となる内容であり、時宜に適した特別展示が「民博」で始まりました(祖代研会員の通報)。

教室に沿岸ルート、「舟と海の暮らし」を―祖代研(RSoJS) #祖人

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