インドネシアでは、海の民として活躍したブギス・マカッサル人の根拠地としてスラウェシ島南部は良く知られています。

そこのマロスMarosは、4万年前からの洞窟遺跡で有名です。

現生人類の描いたものとしてスラウェシ島のこの地の手型や動物絵(写真下右)が世界最古級としてよく知られ、私も現地を訪れた際に洞窟壁に舟と動物が描かれている(万年・数千年前)のを見て強い感銘を受けました。

世界的には、人類最古の紋様として南アフリカ南岸のブロンボス洞窟の顔料石に描かれた格子目の線刻画(写真下左)が有名です。

ところが人類史百貨店の当地では、遥かに古い50万年前の旧人による東ジャワの貝殻に描かれた線刻(写真上)が知られています。

そして驚くべきは、貝に描かれたその連続したジグザグ線刻が、時代も場所も全く遠く離れた南アフリカのものと似ていることです!どういう事なんでしょう?!

貝線刻の発見場所は、ジャワ原人などが見つかっている東ジャワ州です。

また、鉄などの無い時代ですので、堅い鮫の歯などで描かれたのかも知れないということですが、やはり主体であった海の民は、その知的認識・芸術力において旧人でさえも私たちの想像を超えていたのかも知れません。

こうしてみますと、4万年前、日本列島に海を越えてやってきた人たちは、十分に知的能力があったようです。

それにしても、世界にはぎざぎざがいろいろあります。

同好の士が教えてくれましたが、福島の中田横穴は完ぺきなものです。正に黒潮の海岸傍なのもいいですね。

ところで私は、日本列島にやって来て4-3万年前頃に九州から北海道東部にまで拡がったその海の民・日本祖人が、当然にして北方領土で留まることなく、食料豊かな処女地として前方に見える千島列島を北上し、ベリンジア沿岸からアメリカ新大陸に拡がって行ったと考えています。

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

現生人類による4万年前頃の我が国始まりの時代は、今より気温も海水面も低く、私たちとは異なる旧人(デニソワ人系)がまだ存在(鬼の記憶?)していたようです。

日本祖人を考える場合、現生人類の出アフリカ後の歩みとこの時代の日本列島に残る遺跡の状況を考えれば、基本的に南から北に北上して拡がったものであり、何よりまず揺籃の地である「北東ア地中海」が注目されます。

南方から台湾山地地域に北上して来た海の民が、九州北部(八重山にも?)に至りました。九州に達した時代には、同種の人々がこの地中海ほとりの海辺や島々に住んでいたことでしょう。

台湾山地以降(海水面低下を考慮)は、八重山へは家族で容易ではない75km幅くらいの黒潮の強い流れの深い海を渡って行く必要があり、一方の九州北部へは、北東ア平野沿岸の長距離を気温の低さ(現在-4度C)に適応しつつ北上し、対馬へは、よく見えていたものの数十km幅の浅い海を越える必要がありました。

北東ア地中海の西岸地域から海を越えて日本祖人になるのに、現時点の判断では約2万年(!)をも要したことになります。

この事は、①台湾からの長距離北上の気候適応と②家族集団での渡海に至ることが容易ではなかったということです。

また、宮古島―沖縄本島間の離隔(約170km)の大きさを考えますと、私は沖縄本島への当時の定着は、北の南九州・奄美大島から南下したのかもと考えています。

つまり、日本の始まりは、先ず当時の「北東ア地中海」の畔での暮らしぶりに想いを馳せることが極めて重要です。

そして日本祖人は、新たな人々の渡来を得つつ列島を北上して降雪寒冷の厳しい北海道にまで拡がって原風景を作り、島国独特の文化を長い間に熟成させる基盤となりました。

その後の画期としては、特に西日本が大きな被害を受けた鹿児島・姶良大噴火(AT、2.9万年前頃)があり、その時期以降は祖代後期となります。

次いで最後の氷河期が終わっていく状況の中、土器出現(1.65万年前)をもって縄文時代・縄文人と呼ばれることになりますが連続したものです。

また、この日本祖代には、ベーリング地峡沿岸から昆布ハイウェイを、人類として初めてアメリカ新大陸に進入して行ったイベントが含まれているものと考えています。

3万年前に北海道東部に達した日本祖人が、食料豊かな地への北上をプーチンもいないのに続けなかったとは思えませんので。1.6万年前頃には、アメリカ北西部オレゴン州の太平洋沿岸や他の内陸でさえ海沿いから既に人間は達していましたし。https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

この間に、西・南と北から、種々の人たちが入って坩堝の中で日本人が出来上がっていますが、基本的には2種類と考えています。

アフリカを出た頃の面影を留めながら沿岸を移動した海の民A系か、内陸での厳しい気候に適応し大型動物を狩猟したDNA変化のB系かです。

現在は、長い万年の歴史からは最近ですが、闘いに強い内陸狩猟民族B系の影響が強いようです。

地球の温暖化、汚染、自然破壊などを見ますと、現代の私たちは色々な意味において、基底にある海の民系の自然と調和した質実の暮らしぶりに注目する必要があると考えています。

(了)

成人T細胞白血病(ALT)をご存知でしょうか?

ALTは、腫瘍ウイルスであるHTLV-1感染を原因とする白血病、もしくは悪性リンパ腫であり、HTLV-1キャリアは日本全国で100万以上いるとされています。

このALTは、日本、特に沖縄県と南九州、太平洋沿岸に多く、九州五島列島や北海道アイヌの人たちにもよく見られます。

海外では、カリブ海沿岸諸国、中央アフリカ、南米、ニューギニアやアメリカNativeインディアンなどに感染者がみられます。

日本で発見、命名されたこの病について調べた日沼頼夫医学博士は、特にこのウイルスの日本におけるキャリア好発地域は、縄文系の人々が高密度で残存している所であることを示していると結論付けました。

日沼博士の結論は、現生人類の移動史を併せて考察するときに、その持つ意味は大きいです。

即ちこのALT調査は、正に、アフリカ—東南アジア—日本列島—アメリカ新大陸へのわれわれ現生人類の最古の移動史と符合することをも示すものとなっているのです。

前回、縄文時代の前、我が国の始まりである日本祖代に関して東亜地中海—九州—北上して津軽海峡を越えて北海道(3万年前頃)という約1万年の拡がりの我が国の原風景を報告しました。

そして、この拡がりは、更に1万年強の人々の渡来を含み文化を積み重ねて、縄文時代(1.65万年前~)と呼ばれるものに成って行きます。

このALT調査結果は、世界史の流れの中で、我が国初期の日本祖人—縄文人に関する渡米などの推定を裏付けるとも言える興味深いものです。

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

 (了)

 

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