Initial Peopling of America

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(Front line of Research)Initial Peopling of America

Who were the Maritime Beringians?

DNA analysis of new and ancient Native Americans indicates that origin had been formed before 25,000 BP in Beringia or in East Asia. Important environmental situation in ancient north America has to be noted that great ice sheet had covered large portion of continent from the west coast to the east and had not been opened up as the Ice Free Corridor until 14,500 0r 12,600 BP.

It means human migration had to be conducted in coastal route to those archaeological sites in Canada and CONUS made before IFC clearance period. “Maritime Beringians” group had got down southward along “kelp Highway” and the best duration of it was during 25,000 to 16,000 BP by recent analysis of ancient environment and way of life in the related region.

Siberian mammal hunters and inland Asians of same kind had to adapt to maritime life using boat in freezing northern sea. Big change of image of them!

Anyway, scholars now face a new question.
Who had come into Canadian island and west coast region of CONUS during closed Ice Free Corridor period? And, candidates are “Marinerized” Siberian and East Asian Subgroup, hopped AHC, and SHK on stepping-stone by using boat along Kuril/Chishima islands way. Some US scholar supports the theory of SHK, but it doesn’t seem possible as SHK had reached Hokkaido in 25,000 years ago of the same finishing time in Beringia.

A巷間誤解の北のマンモス・ハンター痕跡は北海道にありませんし、細石刃文化の流入が強調されますが、青森祖人の進出後の数千年後の事です。3.8万年前からの本州中央部の遺跡は図左下の充実を示し、太平洋側と日本海側(当時は大雪無し)からの北上と青森・陸奥平野での合一を基盤に青森祖人の北上が北海道史の始まりであることを石器が示し(堤 隆)ています。

むしろ図中上の露学者シュービンが語ったように北樺太、B占守島への北上継続を認識すべきで、沿海州の白滝黒耀石の存在もその方向ですし、6千年前の縄文遺跡が発見されている占守島の留頓(ルートン)は、カムチャッカに進出し、そちらが主体であったことも分かっています。
13世紀のモンゴル元の樺太乗り出し、西文化が波及した宗谷北(日本刀を副葬した父・西、母・縄文系の有力者の墓)の意義などが語られることなく、カタカナでオホーツク文化といわれて来た内容は、北海道から進出した祖・縄文人以来の樺太南南部人に、西・北の大陸人が進出して混成で生み出された異国と接する北部九州的な「宗谷北」文化の道内波及であり、これまで歪められてきた北海道の図のような人の歴史を認識する必要があります。オホーツク海北側及び東のカムチャッカはロシアの進出まで語るほどの影響はなく、オホーツク文化と称するのは針小棒大であり、賑わった伊豆祖人の文化の拡がりを太平洋文化と称するようなもので誤解の元です。
また、大森貝塚の発見で日本考古学を開いた文明開化期のお雇い外国学者のE・モースが、考古遺物のプレ(前)・アイヌ説を述べ、B明治の先達が苦心の学術用語コロボックル(アイヌ伝承の先人、留頓ルートン)を使用して不敬の問題を起こすことなく全日本遺跡図を明治38年には発表しており、現地研究フィールドワーカーの鳥居龍蔵が発表した「相当古い第1北千島アイヌ、第2樺太、第3道内」という人の歴史の基本をもって偏向を是正するため教室で採り挙げねばなりません。
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これらの事が論じられずに誤解のまま放置され拡がっていることが、日本史・コロボックルに理解なく、アイヌの実情も無理解なC「縄文以来のアイヌ(語)」という余りに酷い歪曲が国際的に発表され、今種々のその他の誤解が振り撒かれています。これ等の北海道史の誤解の是正を政府に強く求めます。

①北米2.3万年前 足跡の衝撃

全米のメディアが報じたニューメキシコにおける子供や動物の「足跡」によって、それまでに発見されていた2万年前から1.4万年前の複数の遺跡報告によって揺らいでいた「1.3万年前からのクローヴィス石器文化人が最初」という定説は、決定的と言っていい打撃を受けています。

本土米国への進入が注目される人類のベリンジア陸峡への到達3~2.5万年前の時代には、内陸の無氷回廊(IFC)は大氷床が融けて開かれた状況には未だなっていません(3~1.4万年間)ので太平洋沿岸ルートという事になり、定説だったマンモスを追ってベリンジア陸峡に入って来たとされるシベリア狩猟族C、北東亜族Bは、大槍を捨ててフネに乗り換えベリンジア海民(Maritime Beringian)化したという衝撃のイメージ転換になります。北米太平洋岸の海洋・流氷、地形、気候、生物等の古環境の最新の研究分析と極北の民イヌイットの月光・オーロラの地での氷上での暮らし振りなど(Ice and ocean constraints on early human migrations into North America along the Pacific coast February 6, 2023)から、人類の大氷床時代のアラスカ~カリフォルニア沿岸の南下は可能とみられ、条件的には2.5~1.6万年前の間が最適とする学術報告がなされており、これまでの発見遺跡やDNA分析と齟齬がありませんので、「When」と「Where/How北米沿岸/フネ・徒歩」が見え、「Who」に関しては古シベリア狩猟族C、古北東亜族B、カムチャッカ東岸北上グループAの3区分となりますが、アメリカ先住民(古人骨含む)の米国でのDNA調査からCと考えられており、東シベリアを東進するルートと樺太回りSHKが考えられています。

①―2 北米沿岸ルートで注目されるカムチャッカ沿岸Aの「Kポイント」(カムチャッカ半島南端ロパトカ岬、占守島)までのルートと研究現況の表

千島aルートとオホーツク海北沿岸からカムチャッカ西岸を南下するa’がありますが、a’はA、B、Cのいずれも一応通り得るルートで痕跡が全く無い事と学界で説が全く出ていませんので「Who」の比較絞り込みの点で略します。千島ルートは北海道東端の「道東ゲートウェイ」へ米最新説のサハリンからのSHKと祖代研が列挙を提唱している青森からのAHCの2通りとなります。これをDNAの面からと考古学上の観点から両者を比較しましたのが図下表となります。

アメリカ先住民のDNAについては、アジアにズバリこれというタイプのない複雑なものといわれ、ベリンジアであるいはそれ以前に混血・変異が生じたと見られています。米国の最新説ではC古シベリア人APSを挙げ、この点でB、Aを斥け、ルート北米太平洋岸説の高まりからこれまでの東シベリア東進のみならず、サハリン南下SHKを挙げているわけです。しかしDNAについては、かつてNational GeographicとIBMが大プロジェクトで広範なサンプル調査による拡散図を発表しており、図に見られる通り日本列島ルートがあり、考古学的な観点からは第1波、後続、無氷回廊を通過する時代差のある第2波が考えられます。従って、青森ルートを排除せず更に研究していく必要があると考えます。

②列島北上の青森~道東ルートは充実の本州に支えられ少なくとも関わりの可能性

既に、動画など一部に登場しています。3.8万年前の東京・静岡の遺跡と何と言っても伊豆祖人の世界最古の生業航海が沿岸ルート時代に注目で、長野の高地に至るまで確実な時代の古さに支えられています。更に青森は、当時は広大な陸奥平野の時代でしかも太平洋側と大雪は無かった日本海側の両方から北上して東西が合一した賑わいの時代であり、狭かった津軽海峡を大間(竜飛)―襟裳―3万年以前の帯広へというわけです。下北、津軽に祖代遺跡があり、大平山元では最古の土器が発見されている次代の縄文は三内丸山などの世界遺産という充実で、サハリンとは比較になりません。既に知られた沖縄サキタリ洞窟の人骨や釣り針に加え、黒耀石を求めた伊豆の海の生業航海が知られてHonshuが登場するに至っていますが、まだまだです。DNAに関しては、N.G.拡散図に加えて少数だったために後続に押されて目立たなくなっているのではとも考えられます。

③サハリン・樺太ルートは痕跡の古さの点で時代的にベリンジア到達が難しく、人骨・遺物の両面で実証性が空白

オホーツク南ルートであるサハリンS・北海道H・クリル(千島)Kのルートは、DNAが古シベリア人APS系でオホーツク・沿岸ルートという名称から米学界では登場の書籍も出ていますが、北海道の始まりは本州石器(堤 隆)の祖人であり、樺太からの北海道への最古流入である祖代の細石刃文化はせいぜい2.5万年前以降(佐藤宏之)で新しく(シュービン氏の挙げた年代も)、「最初のアメリカ人」の参加資格であるベリンジア2.5万年以前(DNA分析、足跡への移住)の到着に間に合いません。支える沿海州の例えば有名なオシポフカ文化も1.6万年前程度の事で論外です。他方、シュービン氏は講演で北樺太や占守島における原始的な礫石器、占守島の祖代遺跡などに言及し、また遠軽白滝産の黒耀石が沿海州にまで及んでおり、学界は北海道祖人が道外に北上を継続した可能性という現在全く見られない事を採り挙げるべきです。

そして日本史研究にとって重要なこの人類史課題に関し、周回遅れの教室の抜本改善と世界への発進の施策を強く求めます。―日本祖代研究会(RGaPJ)

列島中央部の①充実した祖代遺跡の発掘は、太平洋沿岸・広大な関東平野・中央高地・雪の日本海側と広域に及んでいます。

その古さと遺物の質・量は、世界最古の生業航海という活動や暮らしの賑わいと事象の時間的な繋がりを実証する内容の点で世界が驚くレベルのものです。これは考古学関係者の多大な努力と経済開発の故でも有りますが、実は氷河期当時の相対的に恵まれていた環境に理由があります。始まりにおいては相対的な気候の温和はもとより、曙海沿岸の複雑な海岸線と小島が多かった事は生物多様など種々の点で小部族の海民にとって恵まれていました。大河川の河口と単純な海岸線に比べれば自明です。列島では、同様な状況に加えて太平洋側では特に沿岸突端部の照葉樹林、関東平野の遊動キャパシティ、東京諸島・静岡・箱根の黒耀石原産地、陥し穴猟を可能にする地形などが、中央の千メートルを超える高地も賑わいの黒耀石原産地の存在があった事や当時は植生が少なく行動し易かった事が、日本海側は対馬暖流の流れ込みが当時は無く大雪が降らなかったことが、列島北部では北極の冷水がベリンジア大陸地で流れ込まなかったので親潮寒流が無く、弱い寒冷化したカリフォルニア暖流の穏やかなものだったと考えられます。3万年前の鹿児島・姶良大噴火の西日本大被害は有りましたが。つまり発掘されるべき質・量の充実があったのです。そして、曙海の畔から来て列島中に祖人Sojinが拡がったように、同じく稲rice plantが伝わって拡がった事は日本先史に大きな意味を持っていますが、朝鮮半島では見られない大陸の固有種が伝わっているのにB直接横断とし、A海民による拡大曙海の畔ルートを認識していないのは驚きで、曙海沿岸勢力はその後も長く歴史に重要な影響を及ぼしています。

この始まりの曙海と温和に「平和」も含まれる好環境、2.3万年前の北米足跡で定説が揺らぐ人類のアメリカ新大陸進出問題における列島中央部の充実の意義を教室はしっかり教え世界に発信すべきです。

世界人類史で、図左北米ニューメキシコの足跡(2.3万年前)発見が、アメリカ新大陸の移住祖史を数千年遡らせて「誰が、いつ、どのように」は白紙化です。

そもそも東部シベリアとアラスカには、ず~と南下した移住に長期間を要する南米南部の痕跡(モンテ・ヴェルデ14,500年前)程度より古い遺跡は発見されていないブラックボックスなのです。それなのに長い間、「シベリアのマンモスハンターがベリンジア(陸峡)からマンモスを追って入って来た」説を実証第1とする学界が言い巷間に広まり、近年やっと「内陸の無氷回廊は開いておらず、沿岸からフネで来た」説が登場し有力化してきています。

さて、そのブラックボックスに至る以前の状況をみると、図右北海道はもとより列島中央部の充実の痕跡は地域でダントツなのです。最古賑わいの東京・鈴木遺跡や静岡・愛鷹、黒耀石採取の神津島への世界最古の生業航海などに加え、静岡浜松と愛知・三河の実証人骨が祖代と縄文への繋がりを示し、長野の高地での活動や栃木・佐野、千葉・佐倉のキャンプなど暮らしぶり、神子柴の至宝も明らかにしているのです。

問題は、この始まりを論ずる適切な用語がないために、内外共に歴史的に未登場の「Jomon」「Ainu(13世紀)」を述べる誤解が始まり祖代の議論に飛び交っており、祖代・祖人(Sojin, Proto-Japanese)の語で日本祖代研究会(RGaPJ)が発信しているところです。図左、米国学者には北米遺跡(アイダホ州)の石器が北海道(遠軽・奥白滝)物に似ていると学術分析している説も出ていますが、日本ではこの日本史に係る重要な人類史課題を積極的に論じておらず、教室は紹介すらしていない周回遅れの状況なのです。

近現代の先住民NativesのDNAは、新しい時代のシベリア・ハンターの影響を受けていますが、重要なのは逐次入って行った人々の積み重ねた伝統・信仰・言語などの暮らしぶりです。北海道、列島中央部の痕跡を教室に、世界に発信を。祖代研は、歴史文化行政の抜本改善を強く求めます。

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