日本人どこから、どこへ

1波の南方人は、“揺り籠”性(祖代研)と言えます。Deep-DNAは南米第1波先住民と驚きの類縁、縄文人と南方人は“親戚”なのです。

②南方「インマレオイド」(祖代研)の第1波が北上、これをジンギスカンに肝を冷やした欧州先生が古モンゴロイド」と名づけたのは、大雑把な誤解の元です。シベリア南の寒冷で身体が変化した「モンゴロイド」は、ずっと新しい(約2-1万年前~)影響大なる第2波としての拡散でした。

③曙海北岸・小島を時計回りに北部九州へ筏渡海、沖縄へ南下・本州を2正面から北上でした。

➃祖人の渡海のための造・操筏の認知・「祖語」力は、もはや「原始人」ではない(祖代研)です。また、最新研究での4.2万年前は、北京・田園洞人より2千年早いのも注目です。

⑤世界最古の生業航海(実質最長20km)は新聞が報じた謎ではなく、米大陸沿岸南下説の高まり時代の今、注目なのです。なかなか欧米にこの重要な認識が広がりませんが。

⑥青森・陸奥平野での東西が合一した賑いが、北への拡散を支えた基盤です。仙台で既に寒冷地での暮らしの予行練習をしていたと考えられます。。

⑦道東「発射台」から次々に見えた千島に北上継続、北千島の国宝・白滝石器祖人は渡米参加資格があり注目です。というのは、欧米がイメージしている「最初のアメリカ人」シベリア狩猟族は、西沿岸の海民暮らしへの適応である造・操舟、海産物食は、厳しい北の海でお手本なしにはムリだった(祖代研)だろうと考えます。

―日本祖代研究会(RSaJS) 
#祖人

最新の広島(廿日市市)石器群(4.2万年前)の報告で改定です。

図左:出 中東から東進し、南方から北上の現生人類「インマレオイド」(現行の古モンゴロイドは誤解の元)は亜寒帯入りして変化後、曙海北岸から時計回りで筏渡海し祖人の始まりです。分岐点での東西への分進が推定され注目です。

図中:AI-Grokが作成の始まり図は、この着衣レベルまででした。祖人は北京近郊の田園洞人より2千年早く、また、日本史の始まりについての教室の、巷間の「大陸・半島(当時は無し)から日本列島に渡来して始まった」は、誤解であり沿岸民です。

図右:当時の環境を分析せず黒潮(分岐流)を横断する遠くの島への航海イメージが、内外に大きな誤解を生み誠に残念です。当時は恩馳島は陸続きで歩いて行けましたが、漕渡図が出回っていました。黒潮分岐流はなく、対馬海峡越えより短い距離を屈強な男達が漕ぐ航海なので謎ではアリマセン。今も世界の認識に遅れがあり、「最初のアメリカ人」候補の問題に影響しています。

教室はまずこの1枚を議論すべし―日本祖代研究会(RSaJS)  

#祖人

The Paradigm Has Shifted.

  • Two-wave migration—northward then southward—is a characteristic feature of Eastern Asia. The term “ancient Mongoloid” is outdated and misleading, as it oversimplifies the complex population dynamics of early human migrations in the region.
  • The direct or indirect relationships among groups A, B, C, D, and the first South American natives are a critical theme. Understanding these connections is essential for unraveling the peopling of the Americas.

―RSaPJ

図左下:世界遺伝子拡散図の北東亜地域は、北部九州が北京よりも早い図に修正です。内陸狩猟族とみられた北京郊外の「田園洞人」骨の分析で、水産物食と出ていたことに納得します。

左上:東部アジアの遺伝子拡散図の沿岸ルートを修正し、はっきりと曙海沿岸時計回りルートの新「分岐点」図に加筆です。

図右:誤解招く3方向渡来の展示図は、祖代研が(✖)にコメントを付し異議申し立てました。特に西方向は酷く、また重要な「祖人Sojin」の渡米参加標準突破の明記を求めていましたが、今回の広島古石器群の発表が後押しです。

教室は日本史の始まりをしっかりとー日本祖代研究会(RGaPJ) 

#祖人

➀広島の廿日市市で発見の古石器群は、「約」4万年前とする日本史の始まり祖代Sodai(縄文時代の前の初・先代で「後期旧石器時代名称は不適切)の「約」4万を4万「以前」としてしっかり実証かというものです。但し、これらの石器群が、ネアンデルタール・デニソワという旧人の物であれば、重要な現生人類の拡散史とは別の話の対象外であって大騒ぎは誤解を生みます。
②図左下の日本史の始まりは、曙海北岸の時計回りの筏渡海から北部九州に。沖縄南下・本州東西を北上であり、黒耀石を求めた伊豆の生業航海歴もあって、、原始人ではない祖人の渡米参加標準突破に、今注目です。書店、図書館の「原始時代」区分は、「祖代」にすべきです。

図右の「古代DNA展」の3方向(北・西・南)から渡来の閉じ籠り図は、種々の誤り(✖)を祖代研がそれぞれコメントを付して指摘しており、世界に誤解を招く内容のもので特に西は酷く早急に修正すべきものです。
教室に日本史の始まりをしっかりと―日本祖代研究会(RGaPJ) 
#祖代

図右:展示PR動画の北・西・南からの3方向渡来図は、時代は新しくしかもバラバラで、最重要の西方は「山登り・大渡海」という全く有り得ないルートです。

日本列島へ吹き溜まりのように入り出て行かない図が、重要な「最初の」アメリカ人問題での参加標準を突破しDNA的にもクリアした沿岸ルートの有力候補にも拘わらず、そう認識させない世界の誤解を招く大きな問題です。

図左:祖代研は、人類拡散史の南方からの北上、日本列島北上ルートをかねてから提唱―南は何処から、北は何処へ

左下 曙海北岸時計回りルートで長距離の筏渡海、祖人は沖縄へ南下し、本州を東西両側から北上(日本海側は大雪無し)。北米先住民とDNAが合わずに無視されていましたが、南米第1波先住民と間接的な親和性があり近年の米西海岸ルート説の高まりで注目の有力候補なのです。

左上 次々に島が見えた千島列島を渡海(夏はフネ筏、冬は流氷歩き)し、占守島に始まり祖代Sodai(後期旧石器時代の名称は英語で誤解の不適切)の白滝・国宝黒耀石を持ち込んでいます。当時の海面低下で、占守からベリンジアまでKelp昆布Highway の陸続きという北上継続の否定要因はアリマセン。

世界人類拡散史の日本列島ルートを教室にー日本祖代研究会(RGaPJ) 

#祖人

図右下➀2.3-2.1万年前の足跡(ニュー・メキシコ)発見で、Who?が問題になり、更に沿岸ルート説の高まっていますが、北の氷海での舟、食を考えれば②ベリンジアに出て来て初めての内陸狩猟族(欧米説)には適応はムリ(AI―Grok)でしょう。

(祖代研が提唱の日本列島ルート)ー知られざる始り日本史を発信

A : 約 35kmを約4万年前、曙海沿岸民の時計回り筏渡海で始まり、近年のDNA分析により南方と類縁で南米第1波先住民と間接的に親和性があることから、祖人は注目です。

B:伊豆における黒耀石を求めた神津島への世界最古の生業航海は、当時の海水面上昇による陸地の増大で、かなりの浜辺はフネを曳いて歩けたことを考えれば、実質の最大渡海距離は約20mで北部九州への渡海より短く、かつ屈強な男達だけで問題ないことが知られず誤解され、新聞報道が「謎」扱いで欧米に否定された事をはっきり正すべきです。最初のアメリカ人問題で沿岸説の高まりの中、この海民情報は重要なのです。

C:次々に島が見えた千島列島の最北、占守島の発掘で祖代(後期旧石器時代)の白滝黒耀石が発見されており渡海を実証しています。当時の占守島は12.5km先のカムチャッカ・ロパトカ岬と陸続きだったし、ベリンジア行きの否定要因も無く参加標準を突破している重要性を発信すべきなのです。祖・縄文人は北米先住民とDNAが合わず長く無視されてきましたが、北米先住民が全く合わない南米第1波先住民と南方先住民を挟み間接親和性があることもシベリア定説の揺らぎ時代に重要です。

周回遅れの教室に日本史の始まり時代をー日本祖代研究会(RGaPJ)  

#祖代

日本人類学の祖、東京帝大の坪井教授の没後110年超え、教授の北海道遺跡の現地調査・アイヌ聴き取りを踏まえたプレ・アイヌのコロボックル渡米説は当時相手にされなかったが、最新の「最初の」アメリカ人論議を先導したもの。

➀世界人類拡散史は、近年そのマンモス・ハンター定説が崩れ沿岸ルート説の高まりにより、九州渡海・伊豆生業航海の子孫、北海道祖人の「発射台」(AI造語)からの渡米に注目。

②最新DNA研究で、日本人は南方から北上。更にDNA親戚のアンダマン諸島Onge族が、南米第1波先住民(Population-Y)と驚きの遠隔類縁であり、これと間接的に親和性ある祖人Sojinに注目。

③大森貝塚・E.モースが日本列島にプレ・アイヌの先住民の存在を唱え、坪井教授は北海道の遺跡調査・アイヌ聴き取りを踏まえ、先見の先住コロボックル渡米説だったが当時は相手にされなかった。

長い時を経て鳥居龍蔵は、はっきり北千島民のコロボックル肯定を学会で発表し坪井説支持に転換を表明していた。今、人類拡散史の北海道「発射台」時代に坪井資料はセピアのホコリを払って光。

坪井教授を教室に―日本祖代研究会(RGaPJ)
#祖人

日本人何処から、そして何処へ? 
下図左:列島に北・西・南から進入(時代新しくバラバラ)して出なかった「閉じ籠り」3方向渡来の科学博展示図に異議あり(これ迄も巷間の同様展示に対し、南方から北上の1方向性の人類拡散として祖代研は改善提言)です。また、これ迄問う事の無かった「どこへ?」が今、注目されるのです。

他方、最新のDNA分析研究により、特に環太平洋地域の古代のDNAについては南米に関する研究の深化(第1波祖先で仮称想定のPopulation-Y)を契機として、世界的に重要な相関関係(A、B、C、D、北米の相互)が明らかになってきています。科学博の展示は、この研究進展の最前線を伝えておらず周回遅れの問題です。

左図:Deep-DNA(5~4万年前発生)が、南方のB・Cと南米への第1波Dの先住民同士を超遠隔の「類縁」(Harvard医科大)で繋いで関係づけ、一方、万年前の太平洋横断はムリなので途中で通過した筈の北米とは驚きの痕跡無しなのです。日本・(祖)縄文人Aは、これまで北米先住民のDNAと合わず無視されてきましたが、アンダマン諸島・Ongeやマレー半島・マニ族と「類縁」(東京大 太田教授)の関係から南米とは間接的な親和性ーAI判断とみられています。

右図:「最初の」アメリカ人問題では、北米新大陸の無氷回廊が閉鎖(仮に閉鎖前の通過があっても間もない最寒期LGMの閉鎖で立ち枯れーAI)で西沿岸ルートの南下・内陸への拡散に光が当たっています。他方、シベリア・古東アジアの内陸狩猟民はベリンジア陸峡に出て来て、北の氷海で初めての舟・海産物という海民暮らしへの適応はお手本なしにはムリです。この点で北海道祖人Sojinは、始まりの北部九州への渡海から伊豆における生業航海(3.8万年前実証、九州渡海より実質短く黒潮分岐流は無い波静か)の海民、列島北上の東西が合一した賑わいの青森・陸奥平野祖人の子孫であり、狭かった海峡を越えて道東“発射台(AI)”からの渡米の参加標準を突破しており注目されます。

―日本祖代研究会(RGaPJ) 

#祖人

➀北米2.3万年前の足跡発見で更に定説が崩れ、西沿岸ルートの第1波南米人“Population-Y”の“Deep-DNA”が注目されており、「Launchpad・発射台」(AI命名)からの渡米参加標準突破で北海道祖人(これまでは北米先住民DNAと合わず無視されていた)に光が当たってきています。

②在地の考古学者David Palomino発表では、標題の女性はアメリカ新大陸最古文明のカラル遺跡で、東北縄文と同じ石柱環状列石があります。北千島の縄文土器、エクアドルとの土器の類似など注目の沿岸ルートの発見諸遺跡には祖人・縄文人が関わったとしての否定要因は無く、日本史の解明とも認識し、日・米・露・南米の共同総合研究を日本が主導すべきです。

教室は最前線の紹介を―日本祖代研究会(RGaPJ)  #祖人

5W1Hの「W」hy?―島が見えた「好奇心で」

図左:現生人類の脳に不安を感じにくい変異が生じたのは、丁度「出アフリカ」が確認されている10万年前頃と千葉大・佐藤大気チームが日経サイエンスで発表しました。つまり不安を感じて新たな冒険をしない傾向よりも、不安に打ち勝ち知力・好奇心を発揮する方が行動の誘因になったとも考えられるという脳史研究です。日本史始まり推定の5W1Hで、これまで残っていたW-whyに「好奇心で」との推定ができます。いずれにしても島国のために約4万年前の状況が推定できる事に、世界はびっくりの驚き(こんな国はそうは無い)でしょう。対馬への筏は、氷河期で丸太舟にする太い木材が得られず、当時の対馬海峡はまだ暖流無く波が静かだったとの推定からです。

図右:➀「最初のアメリカ人」問題は、約2.3万年前の足跡がニュー・メキシコで発見されて定説崩れがさらに進んで沿岸から進入説が高まり、また、南北アメリカ新大陸の最も古い痕跡として第1波の南米DNAが重要との認識が強まっています。②北海道祖人は、今や新しい北米先住民のDNAと合わないとの理由で無視されてきましたが、新動向を踏まえた否定要因も無く渡米参加標準を突破しており浮上、③始まりの日本史で、不安より好奇心優先(時にあった先行悲劇を乗り越え) で、対馬へ、南西諸島へ、神津島へ、千島へ、見えたから乗り出して行った、という説明は納得です。

AI時代、教室は最前線を伝えよう―日本祖代研究会(RGaPJ)  

右図 AI-Grokの人類拡散史は、古DNA人が東南進し豪へ、北上しベリンジアを経て南下したとする「太平洋沿岸時計回り」の南米南端への拡散であり、➀豪等と南米の先住民の東西超遠隔のDNA類縁の謎に答えをあたえました。また、②厳しい北の冷海での海民行動と南米Deep-DNAとの親和性から、定説のシベリア・東部アジア民ではなく、北海道祖人・候補の最初の沿岸南下の進入を支持しています。

左図 東京帝大・坪井教授は北海道での竪穴住居等の遺跡現地調査(アイヌ聴き取り含む)を踏まえ、最古の列島石器人(縄文人)をコロボックルと学術命名し、アメリカ視野の4視点で北千島民に注目の慧眼です。これらを実地に調査・探求に努めた鳥居龍蔵の重要な諸成果は今、埃を払い現代の最新研究の光を当てて取捨し生かすべき貴重なものです。
巷間の誤解正し―日本祖代研究会(RGaPJ)
#祖人

図右:曙海北岸を時計回りで移住した日本史始まりの沿岸民である祖人Sojinに、今渡米問題で、AI-Grokが支持する北海道ルートの「Launchpad/発射台」からの北上継続という光が当たり注目です。

図左:筏舟で行動し、最古の種子島・陥し穴猟を行った人も石器でない道具も列島中の南方起源を示して「古代DNA展」の誤解を正し、世界が驚く「島で持続性ある暮らし」を最古の釣り針と共に実証強化する今回の発見です。
旧人と異なる新人の始まり時代の沿岸適応は史的に重要であり、「海」に目を向け、巷間の「石器偏重史観」も是正が必要なのです。

始りに注目すべき教室の抜本改革を―日本祖代研究会(RGaPJ) 
#祖人

北部九州から・・・・アメリカへ


➀最初のアメリカ人は、北米2.3万年前の足跡発見(無氷回廊は閉鎖中)で、近年は沿岸ルート説の高まりです。

②日本史は、約4万年前、曙海沿岸から時計回りで北部九州・沖縄、北上し伊豆での世界最古の生業航海、仙台で北への予行、青森・陸奥平野における合一、北上継続の北海道祖人(3.5-3万年前)は北海道・発射台(AI命名)からの渡米候補 (否定要因無し)です。
③他方、欧米では今もイメージされている定説のシベリア・アジア東部内陸(狩猟)民は、AI-Grokの判断では厳しい北の海で初めての海民化はムリであり、また、豪州等と南米・第1波の先住民が類縁の「Deep-DNA」(AI命名、北米では後続新波で上書き)と合わないと支持していません。
教室は抜本改革を―日本祖代研究会(RGaPJ)
#祖人

AI’s Deep-DNA and Coastal migration in human dispersal

➀ A well-known mystery of DNA affinity
② Sojin, proto-Japanese, don’t fit with DNA of NA natives, but fit with First wave humans in SA.
③ Inlanders hadn’t fitted with both maritime lifestyle and Deep-DNA.

-RGaPJ

現在賑わいの古代DNA展の人類拡散史のルート、特に日本史始まりの到来ルートは誤解を招く大きな問題があります。

右図:人類始まりの拡散時代にモンゴロイドは未だ発生しておらず、南方インマレー系のDeep-DNA(AI命名)が、➀東部アジア―>ベリンジア、②南米南部への時計回り沿岸移住説は、火山帯と一致の不思議です。火山の黒耀石が、生活を向上し促進しました。

左図:日本史の始まリは巷間誤解の大陸・半島からではなく、曙海北沿岸(今は海中)から時計回り移住です。約4万年前、対馬海峡35kmを家族筏渡海で北部九州に至り、沖縄へ南下しました。太平洋側と日本海側を北上した人々は青森・陸奥平野で合一し、その基盤の上に渡道した北海道祖人は、(「Launchpad」AI命名の発射台)から渡米参加標準を突破(1万件超えの発掘が実証)しています。島国だからこそこのように、4万年前からの始りが分かるのは世界の驚きです。
ー日本祖代研究会(RGaPJ)  #祖人

First Americans – Pacific Ring of Fire “Coastal corridor” migration.

AI sheds the light on “Deep-DNA” affinity between ➀Aborigine and ②Amazon natives, when Mongoloid had not yet appeared and on direct Launchpad Hokkaido. Obsidian and kelp had played important roles.

-RGaPJ

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