①②沿岸ルートは、Kポイントが重要

北海道東Gゲートウェイ発の北上ルートは、ベリンジアへの一里塚とも言えるKポイントが痕跡もあり重要です。米国における関連のDNA分析からベリンジア到着は2.5万年以前とみられており、従ってKポイント通過は、細石刃の渡道来(樺太経由で伝播とした場合、2万年前頃)の遥か以前の話となる重要な時期・細部ルートに関わる問題です。

次々に島が見えた千島は、フネであるいは冬季には流氷を歩いていくことができたので道東から北上しなかった理由なく、北部九州や伊豆での実証渡海力を有する子孫としての道東祖人の「Stepping Stone飛び石」ルート説として教室で紹介し、周回遅れの現状を改善すべきです。

③Kポイントに注目事象あり

北千島の遊動海民である留頓(ルートン・Routon)の主体が、カムチャッカ南南部に進出していた痕跡は関連実証として注目されます。Kポイントでは、縄文・旧石器の遺跡・遺物が発掘・確認されています。現在、大学・博物館で埋もれている千島に係る内外資料・コレクションを総合的に研究・展示すべきであり、世界が待っているのです。

➃学術用語コロボックル、鳥居訂正発表内容、コロボックル遺跡分布図など先達の成果を教科書に

誤解によっておとぎ話扱いされている「学術用語コロボックルCorobocle」、また、明治32年の鳥居龍蔵の北千島調査後に「北千島にコロボックルはいなかった」という巷間に広まっていた誤解を正した鳥居の学会発表(坪井教授の北海道竪穴遺跡はコロボックル説及び北千島民に適用、を追認)、明治28年のコロボックル遺跡分布図などを教科書に載せるべきで、今もコロボックルを全く架空のおとぎ話とし、あるいは迷惑ないたずら加害者とする誤解は根強く、はっきり正すべきです。 

―日本祖代研究会(RGaPJ)  

① 沿岸ルート説の高まり

説の高まりで、その始まりは米国ではなく45年前のカナダ学者の論文からだそうです。

岩盤のクローヴィス文化説のために、無視され抑圧されてきた米国学界でのその沿岸ルート研究史に光が当てられています。今や日本列島ルート説も注目され、最新動画には祖代研(RGaPJ)が発信し続けて来た祖史紹介が登場しています!

問題は、「多数派の米国先住民Natives Indianの祖先の到着に関わる事象は、万年ではなく千年というレベルの昔の話で実は新しかった」という最新のDNA分析(Dr. Jeanson)がもたらす「先住」を巡る政治的な側面(コロンブスの前であることには違いなし)があり、研究に蔭を落としています。

従って、③ 米国NativesとDNAハプログループが違うという事でこれまで無視されてきた日本の祖人Sojin(世界の誤解:Jomonは間に合わず、中世Ainuは論外)ですが、最初のアメリカ人(2.3万年前のニュー・メキシコの足跡)・中南米の始まり先住民(1.45万年前チリのモンテ・ヴェルデ遺跡人)などと無縁という事にはならず(AはBでない。CはBでない。しかし、CはAでないという訳ではない)、ともかくその北上に今注目が向けられています。

②花粉分析からの実証研究に光

アリューシャン列島のSanak島の湖底の花粉分析から、それまでの見方とは異なり1.7万年前には島は氷床に覆われて無く移動・生活できたという沿岸ルート支持の研究結果であり、南下した昆布Kelp Highway の全てを実証したわけではないですが、認識を換える1歩前進です。

― 日本祖代研究会(RGaPJ)

考古学、DNA、古環境などの分析が示す約4万年前、北部九州からの南方北上(沖縄へは南下)が、日本史の起源です。

① 始まりは南方から北上した沿海民の対馬海峡越えの北部九州への筏渡海

現生人類が出アフリカ・発中東で東進移住し、東南アジア地域の始まりインマレイInmalay種族が北上して亜寒帯入りした北インマレイである曙海の沿海民が、約4万年前に対馬海峡(西水道40-30km)を家族が筏で越え、北部九州に達して沖縄へ、北海道へ拡がったことが日本史の起源です。

②最古3.8万年前の伊豆の生業航海、広域交易などの列島中央部の賑い

生活に重要な黒耀石の原産地が八ヶ岳~和田峠、神津島等に存在した事、広大な関東平野、相対的に温暖な太平洋岸、大雪降らず湖のようだった日本海の環境などにより列島中央部が連接し賑いを見せたことは社会の発展という点で国柄の注目すべきことです。伊豆の生業航海、大規模な陥し穴猟、環状キャンプ、磨製石器などが発生したことは世界祖史的に特筆すべき(“金メダル”)ことなのですが、教室は充分に説明していません。

③ 陸奥平野、道東Gからの北上継続が今、世界の注目

現在は海面下の陸奥平野は、太平洋側と日本湖的で大雪の降らなかった日本海側の東西から北上した人々が合一し、後に土器を生むことになる地域として注目されます。最古、豊富な遺跡が発掘されている帯広・道東Gから拡がった遠軽白滝のみならず千島、樺太に北上を継続したと発掘遺跡から考えられます。

今、「最初のアメリカ人」が新大陸西海岸・昆布ハイウェイを南下進入した説の高まりで、千島~カムチャッカ方向への北上継続が注目されており、大学・博物館の片隅で埃をかぶっている関係遺物に新たな光を当てるべきで、この分野は世界の周回遅れです。

➃ Jomonは2代目、金メダル5個の祖人が“親”。熱い年表論議の紹介を

 世界に誤解がみられますが、Jomonは2代目でありAinuは13世紀からで始まりとは無縁です。世界祖史考古学上で特筆すべき“金メダル”5個を有する祖人Sojinが始まりであり、縄文Jomon“親”であることがよく認識されていません。
今や縄文文明と言われますが一日にして成らずです。これは「旧石器時代」という不適切な世界用語を使用していることが問題で、期間に誤解を生ずるものであり、そもそも平安や江戸などと符合する和語の「祖代Sodai」とすべきなのです。
そして更に年表に関しては、祖史古代の新たな発見を踏まえて諸説提言の熱い議論を生んでいる現状をこそ教室で紹介し考え認識させるべきです。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

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