① 図右 注目の道東Gルート

米側の最初のアメリカ人進入は、内陸の無氷回廊が厚さkmの氷床で閉鎖中のため、西海岸・昆布Highwayルート説の高まりにより、北海道で留まる理由もない日本・道東G(ゲートウェイ)発の千島・飛び石越えKポイント~カムチャッカ半島沿岸~ベリンジア南岸ルートが注目されます。

② 図左 西太平洋沿岸民の南方系DNAの近縁性

最新のDNA分析で、船泊縄文人のDNAが比、台湾、韓国、日本(東京)、ウリチ(アムール河口)等との近縁性を有する南方系であり、東亜の人類拡散における最も古い基層です。

最新の状況を教室で紹介し、世界に発信を。ー日本祖代研究会(RGaPJ)

①②沿岸ルートは、Kポイントが重要

北海道東Gゲートウェイ発の北上ルートは、ベリンジアへの一里塚とも言えるKポイントが痕跡もあり重要です。米国における関連のDNA分析からベリンジア到着は2.5万年以前とみられており、従ってKポイント通過は、細石刃の渡道来(樺太経由で伝播とした場合、2万年前頃)の遥か以前の話となる重要な時期・細部ルートに関わる問題です。

次々に島が見えた千島は、フネであるいは冬季には流氷を歩いていくことができたので道東から北上しなかった理由なく、北部九州や伊豆での実証渡海力を有する子孫としての道東祖人の「Stepping Stone飛び石」ルート説として教室で紹介し、周回遅れの現状を改善すべきです。

③Kポイントに注目事象あり

北千島の遊動海民である留頓(ルートン・Routon)の主体が、カムチャッカ南南部に進出していた痕跡は関連実証として注目されます。Kポイントでは、縄文・旧石器の遺跡・遺物が発掘・確認されています。現在、大学・博物館で埋もれている千島に係る内外資料・コレクションを総合的に研究・展示すべきであり、世界が待っているのです。

➃学術用語コロボックル、鳥居訂正発表内容、コロボックル遺跡分布図など先達の成果を教科書に

誤解によっておとぎ話扱いされている「学術用語コロボックルCorobocle」、また、明治32年の鳥居龍蔵の北千島調査後に「北千島にコロボックルはいなかった」という巷間に広まっていた誤解を正した鳥居の学会発表(坪井教授の北海道竪穴遺跡はコロボックル説及び北千島民に適用、を追認)、明治28年のコロボックル遺跡分布図などを教科書に載せるべきで、今もコロボックルを全く架空のおとぎ話とし、あるいは迷惑ないたずら加害者とする誤解は根強く、はっきり正すべきです。 

―日本祖代研究会(RGaPJ)  

① 沿岸ルート説の高まり

説の高まりで、その始まりは米国ではなく45年前のカナダ学者の論文からだそうです。

岩盤のクローヴィス文化説のために、無視され抑圧されてきた米国学界でのその沿岸ルート研究史に光が当てられています。今や日本列島ルート説も注目され、最新動画には祖代研(RGaPJ)が発信し続けて来た祖史紹介が登場しています!

問題は、「多数派の米国先住民Natives Indianの祖先の到着に関わる事象は、万年ではなく千年というレベルの昔の話で実は新しかった」という最新のDNA分析(Dr. Jeanson)がもたらす「先住」を巡る政治的な側面(コロンブスの前であることには違いなし)があり、研究に蔭を落としています。

従って、③ 米国NativesとDNAハプログループが違うという事でこれまで無視されてきた日本の祖人Sojin(世界の誤解:Jomonは間に合わず、中世Ainuは論外)ですが、最初のアメリカ人(2.3万年前のニュー・メキシコの足跡)・中南米の始まり先住民(1.45万年前チリのモンテ・ヴェルデ遺跡人)などと無縁という事にはならず(AはBでない。CはBでない。しかし、CはAでないという訳ではない)、ともかくその北上に今注目が向けられています。

②花粉分析からの実証研究に光

アリューシャン列島のSanak島の湖底の花粉分析から、それまでの見方とは異なり1.7万年前には島は氷床に覆われて無く移動・生活できたという沿岸ルート支持の研究結果であり、南下した昆布Kelp Highway の全てを実証したわけではないですが、認識を換える1歩前進です。

― 日本祖代研究会(RGaPJ)

考古学、DNA、古環境などの分析が示す約4万年前、北部九州からの南方北上(沖縄へは南下)が、日本史の起源です。

① 始まりは南方から北上した沿海民の対馬海峡越えの北部九州への筏渡海

現生人類が出アフリカ・発中東で東進移住し、東南アジア地域の始まりインマレイInmalay種族が北上して亜寒帯入りした北インマレイである曙海の沿海民が、約4万年前に対馬海峡(西水道40-30km)を家族が筏で越え、北部九州に達して沖縄へ、北海道へ拡がったことが日本史の起源です。

②最古3.8万年前の伊豆の生業航海、広域交易などの列島中央部の賑い

生活に重要な黒耀石の原産地が八ヶ岳~和田峠、神津島等に存在した事、広大な関東平野、相対的に温暖な太平洋岸、大雪降らず湖のようだった日本海の環境などにより列島中央部が連接し賑いを見せたことは社会の発展という点で国柄の注目すべきことです。伊豆の生業航海、大規模な陥し穴猟、環状キャンプ、磨製石器などが発生したことは世界祖史的に特筆すべき(“金メダル”)ことなのですが、教室は充分に説明していません。

③ 陸奥平野、道東Gからの北上継続が今、世界の注目

現在は海面下の陸奥平野は、太平洋側と日本湖的で大雪の降らなかった日本海側の東西から北上した人々が合一し、後に土器を生むことになる地域として注目されます。最古、豊富な遺跡が発掘されている帯広・道東Gから拡がった遠軽白滝のみならず千島、樺太に北上を継続したと発掘遺跡から考えられます。

今、「最初のアメリカ人」が新大陸西海岸・昆布ハイウェイを南下進入した説の高まりで、千島~カムチャッカ方向への北上継続が注目されており、大学・博物館の片隅で埃をかぶっている関係遺物に新たな光を当てるべきで、この分野は世界の周回遅れです。

➃ Jomonは2代目、金メダル5個の祖人が“親”。熱い年表論議の紹介を

 世界に誤解がみられますが、Jomonは2代目でありAinuは13世紀からで始まりとは無縁です。世界祖史考古学上で特筆すべき“金メダル”5個を有する祖人Sojinが始まりであり、縄文Jomon“親”であることがよく認識されていません。
今や縄文文明と言われますが一日にして成らずです。これは「旧石器時代」という不適切な世界用語を使用していることが問題で、期間に誤解を生ずるものであり、そもそも平安や江戸などと符合する和語の「祖代Sodai」とすべきなのです。
そして更に年表に関しては、祖史古代の新たな発見を踏まえて諸説提言の熱い議論を生んでいる現状をこそ教室で紹介し考え認識させるべきです。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

左図下、米国における始まり祖代の暮らしぶりと祖史考古学研究の中心である石器についての野外実験による見直しは、最新の米実験考古学の報告です。

マンモス・バイソンなどの大型動物に対する大槍持ちが数人で襲い掛かるハント史観は修正が必要(以前の報告)で、石器はむしろ屍体解体(長野:野尻湖遺跡に注目)が用途とのことです。米国やアジアの古人骨の分析では、海・水産物食が主流という報告が出ています。
上図、日本も包まれていた食豊かな「昆布の森・Kelp Forest」と「最初のアメリカ人」の新大陸・太平洋沿岸からの進入ルート説の高まり(内陸の「無氷回廊」はその時代は不通)。大型動物狩猟の生活観の見直しという米実験報告も踏まえ、あらためて日本の始まり時代におけるガラス黒耀石は何故、宝物だったのかが重要です。
右図、海・川辺~高地の賑いと考古金メダルの暮らしにおける多用途の黒耀石を採取すべく、祖人が努力し交易したことに納得です。今では海水面の数十m上昇で祖代の沿岸の暮らしの痕跡は海中ですが、2代目縄文の親にも理解を求めたいです。
生活行動に知的レベルと黒耀石工作のデリカシーがあり。言葉でコミュニケーションしたと考えられる広域の交易、陥し穴や環状キャンプの集団社会性も示しており、現代の凶暴な独裁者・狂信者たちに比べ原始人ではアリマセン。案外、黒耀石でウザ~イ髪とヒゲは刈っていた(スカルプチャーカット)かもです。
縄文Jomon前の日本祖史を世界に、教室に。―日本祖代研究会(RGaPJ)

図左、実証3.8万年前(遺物の原産地特定、年代測定)から、切れ味の宝物・黒耀石の存在も賑わい理由の一つでした。


沿岸から高地、北陸新幹線より3万年早い列島中央部の連接、関東平野~東海広域の活動と交易(鈴木遺跡は“新宿”のようだった!)、伊豆の生業航海や長野の高地進出に多様な石器扱い、原始人ではない知的レベルの陥し穴猟・磨製石器・環状キャンプ等の世界先史考古学の「金メダル」ラッシュに、欧米先生もビックリ。
世界・巷間のJomonからしか語らない日本史話は終わりにしましょう。Sodai/Sojinを世界に、教室に広めましょう。そもそも祖人は、寒冷・寒風・降雪で身体変化したMongoloidではなく、出アフリカ後の東進した南方系Inmalayインマレイが亜寒帯入りして若干変化した北インマレイ(Inmalay-North)です。マンモス・ハンターも騎馬民族も来なかった、大量渡来もなかった列島のコップの中の勢力の消長で育まれたのであり、「日本は神話(国の成り立ち)から歴史(実証的)が滑らか」(仏 レヴィ・ストロース)を含めた、全く新たな日本史の総合的な教育の検討すべきなのです。ギリシャ神話はよくて、日本神話はダメなんですか?ー日本祖代研究会(RGaPJ)

1万件を超える日本列島の始まり祖代の遺跡研究、太古からの人のDNA分析、当時の環境の推定などから、孤立的な島国であるが故に始まり状況を当時に見合う精度レベルで一応議論できることは、今後の新事象の発見で修正があるとしても左図の内容は世界的に特筆すべきことなのです。

1.約4万年前(列島中央部の3.8万年前の実証遺物を基に現生人類の初期移住状況から推定)、南方から北上し曙海沿岸から対馬海峡を筏(いかだ)で、日が昇る方向の北部九州に到達したと考えられ(①②)、巷間言われている中国や朝鮮半島から来た、また、北・西・南の3方向から来たと言う説明は誤解を招くものです。筏を造り気象・海象を理解して30km以上の海を多くの家族が漕ぎ渡る事が出来た事は、沿岸の暮らしに慣れ諸作業と渡海行動について言葉による意思疎通能力を有した知的レベル(祖代は祖語の基層)の人々(仮に大井川の例のように、輸送専業の者がいたなら、注目すべき社会性)であったことを示しています。原始人ではアリマセン。

2.海民の祖人は、その後3.5万年前頃には沖縄から北海道の概ね列島中に拡がり③北上を継続したとみられます。この点で、今は海面下ですが陸奥平野や貝塚遺跡の今後の水中考古学が期待されます。肝心の祖人について、欧州学者の命名による「古モンゴロイド」呼称は誤解(モンゴロイド:寒冷・寒風・降雪に適応し南シベリア・モンゴル地域で2.5-1万年前頃から身体変化説-米Dr. Howells)を招く不適切なものです。東南アジア地域の「インマレイ」(仮称)が熱帯・亜熱帯地方から北上し亜寒帯入りして若干の身体変化を生じたと考えられるスンダランド南方系の「北インマレイ」(仮称)と称すべきです。

3.遺物で原産地実証されている「伊豆での生業航海」②右は、当初は欧州学者に相手にされず、新聞では謎と報道されましたが、祖代研は当時の環境から最短で約20kmの不思議でない渡海(屈強な男達、海水面低下で拡大した諸島の海岸はフネを曳いて歩く)と発表しており、そもそも始まりの対馬渡海の方が長距離であって、相互に渡海推定を補完し合っている重要な事象です。

教室が時代の古さと実証精度のバランス認識を欠いて「よく分からないから教えない」とし、祖代の世界先史の“考古学金メダル”5個も教えず、始まりに関する紹介すらせずに明治時代の先達の活発な熱い論議を失っている事は適切でなく、改善を要望します。「最初のアメリカ人」問題でも日本が登場しているのに、教室が全く反応していない事も適切ではアリマセン。ー日本祖代研究会(RGaPJ)

祖先は、縄文、弥生の旧説でなく、DNA分析から更に東北系が加わったものと理研が科学誌に発表との報道。しかしこれは、1.祖代・祖人の年表を尊ばず、2.南方からの北上史も無理解で、3.今や日本史は世界が注目してきており、誤解は避けねばなりません。

始まり祖先は①言うならば、「北インマレイド」(欧米の古モンゴロイド名称は誤解招く不適切)の1系統であり、後の縄文でも弥生でもなく東北系呼称も沖縄などを見れば全く不適切です。
②実証3.8万年前の黒耀石を求めた“伊豆海峡” の生業航海が、繋がり浜北祖・縄文人を認識することは、極めて重要です。
③「最初のアメリカ人」問題で、西海岸(昆布ハイウェイ)ルート説の高まりで、今、約4万年前の北部九州・対馬への筏渡海の始まりから3.5万年前頃には沖縄から北海道迄列島中に拡がっていた祖人の状況を認識することが重要で、世界のに注目なのです。

教室が始まり祖代Sodai・祖人を教えないために、「縄文人は何処から?」という愚問も発せられています。2代目なので、日本列島からに決まっているのにデス。
―日本祖代研究会(RGaJP)

①新垣義夫(83)宮司の沖縄国際大学に対する洞穴聖域の調査依頼から、普天間宮遺跡280m内部の聖域の調査に着手し、始まり祖人Sojinの生活痕跡の炉跡2ケ所の大発見に繋がりました。更に、深い層の今後予定(8月)されている調査に期待が高まっています。なお、1.縄文時代の前は磨製新石器と旧石器が共に存在し、また、縄文草創期にも旧石器は使用されていましたし、2.平安Heianや江戸Edoなど他の時代と用語が合わない「旧石器時代、後期旧石器時代、原始時代」のなど語は、内外に誤解を与える不適切なもので世界通用の祖代Sodaiとすべきです。

②そもそも日本人の始まりは対馬渡海(40-30km)からでしたが、日本祖史では伊豆の生業航海(神津島、渡海離隔約20km)など言わば“世界(祖史)考古金メダル”で5個も有し、繋がり次代の縄文は、今や文明との呼び声も出ています。

③対馬・伊豆などにおいて祖人が示したその渡海能力は、「最初のアメリカ人」問題(2.5万年前頃から)で北米の西海岸ルートからの進入説の高まりにより、日本の海民性が注目され出しています。今回発見のトカラ越えの遠隔地である沖縄における離島生活痕跡は、史界の動きに大花を添えるものといえます。

―日本祖代研究会(RGAPJ)

現在、東京都認定ですが、①IDA(本部アリゾナ)の星空保護区(ある意味で世界遺産のようなもの)に申請へ。認定ならば、沖縄に次ぐ2例目となります。②神津島は3.8年前、日本最古実証の黒耀石採取で祖代の伊豆海峡をフネで行き来した、日本の“世界祖史考古学金メダル” 5個の中でも最も意義深いものです。近年の③「最初のアメリカ人」の東太平洋沿岸(昆布ハイウェイ)進入説の高まりで、日本史の始まりが注目される中心ともいえる実証痕跡の島に新たな輝きとなります。
―日本祖代研究会(RGaPJ)

①「最初のアメリカ人」定説、シベリアのマンモス・ハンターが無氷回廊から進入定説の崩れ

a.無氷回廊は氷が融けても生物の食糧無ければ未通(1~2千年間)であり、あの米国始まりクローヴィス文化人も実は開通前の沿岸からという衝撃です(これで全ての米国論議遺跡が沿岸から)。 b.北米先住民に多いシベリアDNA‐ハプロQは実は1,700年前進入とゼロ一つ違う全く新しいものなのです。 c.そもそもマンモスの毛・肉の厚さから北米発見の石器では、数人の槍持ち襲い掛かりハントは無理という実験考古学の報告です。これらの事から最初のアメリカ人についてはイメージの見直しが必要であり、何よりも日本列島ルートは排除されず、注目されるはある意味で当然です。アメリカでは沿岸ルート説の強まりで、DNA的に否定されるもかねてからくすぶっていたコロンブス以前に北大西洋のグリーンランド回りで欧州から来たという「ソルトリアン説」が、石器がクローヴィスに似ているしと元気になっていますが、依然無理(米学界主流)なのです。

② そこで一部は遂に、日本史の始まり時代の海民性に関心

正に図右の祖代研の曙海・北東亜平野の図と同様の思考です。但し、沖縄の祖人骨発掘に惹かれたのであろう黒潮ルートに言及しているのは誤解で北部九州が始まりです。南から沖縄本島への慶良間ギャップ300kmは、家族ですから越えられなかったでしょうし、考古遺物は鹿児島からの南下を示しています。米国の今回の例でも始まりの祖人について、3.8万年前から神津島に黒耀石を求めて舟で生業航海を行っていた伊豆祖人の海民性を採り挙げ、ベーリング陸峡への太平洋沿岸北上の継続について研究者名Ikeya(池谷信之)を付して注目という祖代研に沿った探究路線です。

③日本の縄文前、特に青森・北海道以北の祖代の理解認識とルート確定などはこれから

祖代における“世界考古学先史の金メダル5個”の文化性は、未だ世界には認識されていません。北海道東祖人に今関心の脚光が及んでますが、基盤の青森・陸奥平野や帯広・白滝等の道内の祖代遺跡の意義、何より肝心の千島特に北千島の遊動海民コロボックル・留頓(Routon)に関する明治・大正時代以来の先達(ロシア研究者等を含む)の発掘、研究状況はよく知られておらず全くこれからです。

いずれにしても今後の研究進展によりますが、「最初のアメリカ人」研究の本家が一昨年の書籍出版に次ぎ昨年動画を最新でサンジェゴ考古学センターが日本の始まりに関心を示して来たことは注目され、教室の日本史はこういう動きを紹介すべきであり、周回遅れなのです。時代呼称を適切に定め、世界に見られる一部の誤解は正されねばなりません。
―日本祖代研究会(RGaPJ) 

新入生へ 
固定観念に捉われず信念を貫く―相澤記念館

1.行商の市井の考古学研究家の大発見

左図、群馬県みどり市の岩宿博物館の1件3万9,370点の指定。特に、それまで学界では無いと考えられていた縄文時代前を確定する1949年・昭和24年の黒耀尖頭石器等の発見が、始まり「祖代Sodai」への扉を開き、それまで学界では無いと考えられていた関東ローム層のみならず日本各地での発見に繋がって行ったことです。問題は、この時代名称が先土器や旧石器時代という不適切なまま放置されている事なのです。

2.真の意義は、先史「金メダル5個」及び「最初のアメリカ人」問題研究への端緒

右図、現在は1万件を超える初代の遺跡発掘の蓄積から、世界先史考古学の特筆事項「金メダル」を5個も獲得しており、今や文明と言われる縄文Jomonの基層であった日本の始まり「祖代Sodai]」の確定に道を開いた事と世界の学界が注目する「最初のアメリカ人」問題研究に関わることの端緒となった事が重要です。相沢忠洋が扉を開いた始まり祖代については残念な旧石器発見の捏造事件があり、また、原始時代の扱いで依然として巷間に誤解が多く、教室で軽視されていることが大きな問題です。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

「最初のアメリカ人」を巡っては定説が崩れ、新たな認識が求められていることから各国史にも種々の影響が生じています。「日本人はどこから?」ではなく、今や「日本人は南から来て、何処まで行ったのか?」と問う時代(プーチンはいないのに、北海道で留まる理由はアリマセン)なのです。

1.左図 最新の研究でこれまでの認識は全くの表層を語っていたようです。DNA分析、言語研究、考古遺跡発掘などから世界現生人類史の下の層は違う景色であり、まだまだ解明の途中です。特に、DNA分析における中央アジアの影響は大きく、新しい3,700年前頃の同地域の種族が東進、西進し時間差をもって北米で再開したという新認識は重要で、シッティングブル大酋長とカスター将軍が同祖系とは驚きですが、納得できます。欧州人コロンブスが来る前に、アジア・シベリアから何波もの渡来と混合があり解明を難しくしている事情が理解されます。①最初はアラスカ沿岸から西海岸を南下しつつ内陸へ拡がったとみられ、その後、②氷河期後に内陸の「無氷回廊」が開かれて狩猟族が大量に渡来したのが原型でしょう。そして欧州からの大きな渡来が南北アメリカに続き現在に影響を及ぼしています。しかし、東部のユーラシア・アジアからの先住者の培った文化や影響を及ぼした生物環境などは、その後に十分意味を持っています。また言語研究からも最初のアメリカ人候補としてA、Xが考えられ、沿岸移住説の高まりの中、日本・道東祖人(青森発)は候補であることを認識すべきなのです。

2.右図 このような人類史の状況を踏まえれば、南方から北上して北部九州に至り、列島に形成された約2.5万年間に及ぶ祖代Sodaiの基層は意義深く、世界考古学的に特筆される「金メダル」は5つに及んでおり、2代目の縄文文明は一日では成らずなのです。白滝石器群が国宝に指定され喜ばしい事ですが、特に、最初のアメリカ人が新大陸西海岸を南米南端にまで及んだことを考えれば、若葉の森遺跡や近年豊富な黒耀石器が発掘されて話題になった帯広など北海道ゲートウェイの道東祖人及び東西から北上し合一した祖人によって重要な基盤となった青森・陸奥平野における暮らしの解明は、日本史のみならず世界人類史の観点でも注目されます。それらに繋がるとみられる仙台及び北陸の暮らしの解明も期待されます。巷間には未だ3方向(北、西、南)からの渡来図を示し、日本から出て行かないという誤解を招く説明が散見されており、是正すべきです。

教室はこの始まり時代を解明の途中とした上で紹介すべきであり、でなければ旧態のまま周回遅れです。―日本祖代研究会(RGaPJ) 

1.米フロリダで発見の①水中遺物は、無氷回廊IFCが開通する以前の進入であり、大西洋ルートはDNA分析で否定されていることから、東太平洋沿岸南下のルート説を支持しています。フロリダ北西部の水中遺跡へは、メキシコ湾沿い東進とみられます。
2.南下した②アマゾン河口での米大陸最古の土器は、焼成温度が縄文土器を想起させます。北部で発見のエクワドル土器は、九州土器との類縁性が言われていました。
3.③遠隔DNAの3者類縁性となるアンダマン諸島人―縄文人―アマゾン古部族の関係は注目です。これまで縄文人は、北米先住民との関係発見が薄いので無視されてきましたが祖人・縄文人は注目であり、今後の痕跡探求は薄くても北米で努力しつつ、これまでは研究不十分だった南米発見に期待です。
4.アメリカ新大陸側でベリンジア南岸海民(化)と沿岸ルート南下説の強まりで、➃伊豆海民祖人の世界最古の生業航海を行っていた操・造舟力、青森・陸奥平野における東西合一の賑いの基盤も道東祖人の堂々の参加を後押しです。

日本史は、先ずは始まりを理解してから。世界に状況の発信を。

ー祖代研Research Group about Proto-Japanese (RGaPJ)  

New findings in ①Florida (to Coastal Migration Theory) and in ②Amazon estuary (the oldest pottery in new American continents reminds of Jomon) indicate not only Siberian hunters, but Proto-Japanese Sojin, predecessor of Jomon, not Ainu should be paid more attention to.

DNA affinity ③among Jomon Japan ― Onge Andaman Is ― Amazon old tribes in South America indicates interesting triangle relation. ④Coastal Migration theory supports seafarer Proto-Japanese Izu Sojin (38,000 BP~) and its descendant Doto Sojin (before 30,000 BP in eastern Hokkaido) who seems to have continued migration up north to Beringia and down west coast all along Kelp Highway.

―Research Group about Proto-Japanese (RGaPJ)

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