-図左 日本人はどこから?だけでなく、どこへ?と問うべき時代になりました。人類史注目の「最初の」アメリカ人は、青森・北海道祖人Sojinが有力なのです。

図左:南方から「沿岸ルート」を北上し、4万年前に対馬海峡を渡海して北部九州に渡海しました。祖人Sojinは、「スローなビッグ・バン」で沖縄へ南下し北海道以北に拡がりました。現生人類の拡散は、南方から北上継続の一方向性の拡散であり、巷間にみられる吹き溜まりの閉じこもりのような3方向渡来図は誤解の元です。

図中下:南米DNAのPopulation-Yは、豪州、パプアニューギニア、アンダマン諸島などの先住民アボリジニと驚きのオーストララシア性のDNAS類縁であり、万年前の家族の太平洋横断はムリ(痕跡なし)ですから超長距離の北回りベリンジア通過の移住となります。すなわち東南アジア・スンダランド地域から南米までの時計回りの「環太平洋移住MPOR」 (祖代研)ということになります。

図右:「最初の」アメリカ人は、北米の内陸が大氷床による閉鎖のため「フネと海産物食」の沿岸ルートからとなります。厳しい北の海での(B)シベリアANAの初の海民化はムリであり、西太平洋・東亜地中海の沿岸から日本列島を経て海藻Highwayを北上した伊豆の生業航海民の子孫(A)北海道祖人が有力なのです。なお、一部に「最初の」アメリカ人は中国人として、北京近郊遺跡のTianyuan/田園洞人を主張する論がありますが、当時の渤海・黄海は北東亜平野であって沿海民は誤解であり、シベリア狩猟族ANAに含まれるので初の海民化はムリです。

ー教室に祖代Sodai・祖人Sojinを、「最初のアメリカ人」を。 #祖人

ー米国の子供は国の始まりについてよく知っていますが、日本の子供は始まりをよく教えられていません。最新の人類始まり史における「最初の」アメリカ人は「沿岸ルート」説となり、伊豆の生業航海民(3.8万年前から)の子孫の「北海道祖人Sojin」は、内陸のシベリア狩猟民がベリンジアに初めて出て来て海民化して厳しい北の海の沿岸を移住して行くのはムリと考えられ、最有力な候補なのです。

図右:清教徒(ピルグリム・ファーザーズ)のイギリス脱出からのアメリカ到着は406年前、13植民地の代表たちが独立宣言した建国から250年です。

図左:4万年前に現生人類・沿岸民家族が、南方から北上し曙海北岸から対馬海峡を渡海して北部九州に到達、祖人Sojinは「スローなビッグ・バン」で沖縄へ南下・北海道以北に拡がりと、これほど古い始まりの5W1Hが推定できること自体が世界的には驚きですがそれも島国ゆえのことです。高名な社会人類・民族学者の((仏)レヴィ・ストロースが日本は神話から歴史が滑らかと言いましたが、語り伝えた神武天皇の東征と建国から、「日本」国名の制定へと奈良盆地で始まりました。

ー教室に日本史の始まり 祖代Sodaiと祖人Sojinを  #祖人

「最初の」アメリカ人(沿岸ルートから進入し南下)議論における北海道祖人は、その年代(ベリンジア南岸到着2.5万年以前)から、樺太Sahalin人、縄文人Jomon、Ainuでは全くアリマセン。祖代Sodai、祖人Sojinという用語が、未だ教室にないだけの混迷なのです。

1.現生人類拡散の最初のアメリカ人は「シベリアからマンモスを追って進入」」定説が崩れ、DNA、考古学、古環境の解明など種々の新発見で「Kelp海藻Highwayや沿岸ルート」説の登場であり、暮らしの「多島海OS」を持つ伊豆祖人の生業航海に注目です。海外では、北海道祖人の渡米動画が今や普通に登場しています。

2.実は、私たちの祖先は「東亜地中海」(当時の西太平洋の東・南シナ海)の沿岸ルートを北上移住した沿岸民でした。彼らは内陸の混血地帯から離れ、4万年前という早い時期に北部九州へ到達して「スローなビッグ・バン」で沖縄から北海道まで列島中に拡がり、寒冷に強いデニソワ因子者は北上を継続して渡米し、子孫の縄文人は温暖化による因子の減少及び海峡で渡来は少ない島国環境で隔離されたため、大陸のデニソワ要素とあまり交じわらず今流行の要素は極少で大陸人と違いを見せています。

3.南方スンダランドからの東亜地中海の西岸北上であり、祖代の沿岸民こそが日本列島を「発射台」として北海道からアメリカ新大陸への北上を継続し、厳しい北太平洋の沿岸を「フネと海産物食」で移住し得た「最初の」アメリカ人である「第ゼロ波」、「第1波」なのです。他方、内陸シベリアの狩猟族がベリンジアに出て来て、北の海で初めて「海民化」して2,300㎞の新大陸北西岸を本土米国へ南下するのはムリ(祖代研)でしたでしょう。

4.注目の南米オーストララシア性DNAのPopulation-Yと共に実証材料として、北海道の「若葉の森遺跡」物と類似の南米南部沿岸で見つかった名のある制法でない「非定型剥片・礫石器」があります。マンモスを倒す精巧な大槍用の石器ではなく現場の流木や貝を加工し住まいを整えるためなどの「実用本位の素朴で簡易な石器」であり、海藻活用とともに祖先の「最初の」渡米の痕跡とも言えるものです。
名のある西方・形態の石器だけでなく、素朴・簡易な石器や海藻利用にも注目を。

最初のアメリカ人に欧米が縄文人JomonやAinuなどを登場させているのは、祖代・祖人の用語が無いための誤解です。教室に、博物館に、日本史始まり用語の祖代・祖人を。 #祖人

*国際的エビデンス(DOI取得済み)

当会は、学術リポジトリZenodoにおいて国際的な識別番号(DOI)を取得し、引用・参照が可能な公的知見として登録済みであり、先行知見としての先取権を確立しています。

公式リンク(DOI): https://doi.org/10.5281/zenodo.19181986

ー図中下 アマゾン・南米と東南ア・南方の万年前の驚きのDNA類縁は、太平洋横断はムリですから超長距離の北回り移住を示し、海外の歴史考古学系の動画では既に普通に日本列島・青森北海道発(赤点線)が登場しています。

図右:米国学界では、南米の海藻遺跡(モンテ・ヴェルデ)の年代を巡る異なる見解の熱い議論が新・旧発掘研究の2教授の間で勃発(数千年差)しています。いずれにしろ北米White SandsのWS足跡(3手法の年代測定で中央値2.2万年前)が最古年代を示し、①「沿岸ルート」説、また科学誌で②米国旧石器の北海道物に酷似の発表もなされている最新状況です。
図左:出アフリカ・中東の現生人類は東進、南方スンダランド地域から沿岸を北上し、当時の亜熱帯線を超えて暮らしを変化させ4万年前に北部九州へ渡海した日本史の始まり祖代Sodaiの祖人Sojinは、列島中に「スローなビッグ・バン」で拡がりました。Kelp海藻Highwayからの米国における沿岸ルートと最古級AUT旧石器に注目する新動向で、伊豆祖人の黒耀石を求めた世界最古の生業航海の海民性が注目されてきています。そうなれば、列島の東西から北上し(当時の日本海側に大雪なし)、当時の青森・陸奥平野で合一した先進の広域基盤から狭かった津軽海峡を難なく渡道した、暮らしの「多島海OS」を有する伊豆祖人子孫である青森・北海道祖人が「渡米参加標準」を突破した最有力候補なのです。千島列島は次々に島が見え、冬には流氷を歩いても行けましたので北上継続を否定する要因はありません。

欧米学界(影響下の日本学界)は、既に崩れている「シベリアからマンモスを追ってアラスカから米国以南へ進入」の定説への疑念はあるもののシベリア・北京系の内陸狩猟族(ANA)イメージを依然として引きずっています。しかし、シベリア・アラスカの当時の陸峡ベリンジアに初めてアジアから出て来て、大槍を捨てて氷塊漂う厳しい北の沿岸2,300km南下で「フネと海産物食」に適応する”海民化”はムリ(祖代研)でしょう。

というわけで、相沢さんもびっくり!の世界学界の現況なのです。

周回遅れの教室に「ビフォー縄文」の祖人を、「最初のアメリカ人」を―祖代研究会(RSoJS) #祖人 

*国際的エビデンス(DOI取得済み)

当会は、学術リポジトリZenodoにおいて国際的な識別番号(DOI)を取得し、引用・参照が可能な公的知見として登録済みであり、先行知見としての先取権を確立しています。

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〜世界の人類拡散史が要請する日本列島史「祖代」へのパラダイムシフト〜

現生人類の拡散における日本史の始まりを認識する実相探求と適切な名称の提唱です。他方、既存の日本史における弥生や古墳時代における「断絶した渡来人(ガイジン)史観」および「外来流入のみの閉じこもりの列島史観」を正す提唱資料でもあります。

【序論】「断絶・閉じこもりの歴史観」からの解放

現代の日本史学・考古学は「縄文 ➔ 弥生・古墳 ➔ 現代日本人」という直系的な一元論、あるいは「ある日突然、言葉も通じない外国人が大陸からやってきて在来民を支配し追い落とした」という断絶的な渡来人(ガイジン)史観に安住している状況です。

しかし、明治・大正期の先駆者が遺した探求の足跡と、言語的連続性をファクトベースで結びつけるとき、列島史は「同じ日本語の祖型を共有する同胞同士の、渡来人を含めた進化と技術の融和・主導権確立のドラマ」という真実の姿を現します。

そして今、この4万年前からの列島史の始まりは、世界人類拡散史の最重要テーマである「最初のアメリカ人」問題に直結する時代として世界から注目されているのです。本報告は、政治的・学閥的都合によって歪められてきた学史を検証し、真の日本史の始まりの実相をここに提唱するものであります。

【第1章:図左上】わ・倭、大和・蝦夷等、新井白石が石鏃実証に着目した慧眼

日本史を遡れば、魏志倭人伝などの「倭国・倭人」に始まり、その後の「大和・蝦夷」等を経て、国名としての「日本」が制定されました。祖代・縄文からの強固な基盤をもとに、共通の「日本語」を話す勢力が、出戻り(還流)を含む渡来勢力を交えながら民衆に支持された政権を樹立・建国し、列島内の多様な生活・文化圏へと統治を拡大していきました。これこそが、単なるDNAの数値だけでは語れない、一系の天皇陛下を戴く日本史のダイナミックな栄枯盛衰の推移なのです。

江戸中期、新井白石は陸奥国(津軽など)から出土した珪質頁岩や黒曜石の色彩豊かな石鏃(天狗の矢の根)に注目しました。白石は、中国古籍の「粛慎の石砮」を補助線に、朝廷の支配が及ばなかった境界地域に「かつて鉄を知らない先住民(古い蝦夷など)がいた」という、日本初の「本の中の先住民(文献)」と「土の中の石器(物証)」の結合を成し遂げました。

西日本の石鏃が当時問題視されにくかったのは、大和朝廷の本拠地ゆえに「神代の武器」や「古戦場の遺物」など、既知の神話・歴史の延長線上で解釈され、疑問の対象外とされた地理的バイアス(境界の認識不足)によるものでありました(後に正しく認識される)。この白石の直観こそ、列島先住民研究における科学的な、事実上のキックオフであったのです。

【第2章:図中】坪井正五郎の用語「コロボックル」の制定と「全国遺跡図」

明治の文明開化期、東京帝国大学教授の坪井正五郎が作成・公開した「コロボックル(石器時代人)遺跡図」は、列島全土に高度な石器時代人のネットワークが存在したという決定的な物証を示すものでありました。

人猿同祖論者(ダーウィニスト)であった坪井教授の本心は、「明治人もかつては石器人から進化した存在である」という人類普遍の進化主義にあったのです。しかし、天孫降臨の神聖さを絶対視する皇国史観(明治政府)との正面衝突(不敬罪)を避けて自由な研究と論議の場を守るため、北の先住民伝承から「コロボックル」という名称を仮名として選択しました。「別民族であり、のちに北へ去った(退場した)」という政治的妥協の衣を被せることで、科学的学問の種を死守したのです。

今や我々は、坪井教授のいう「全国のコロボックル石器人」の正体が、日本全国の縄文人(先行海洋民・祖人系集団)そのものであったことを知っています。彼らは消え去ったのでもなく、悪戯者の妖精や妖怪などでもありません。列島全土を覆っていた我々の確古たる身体的・精神的ベース(基層)なのであり、学史において誤解・抑圧されてきた「コロボックル」という用語は今こそ正当に位置付け直されねばならないのです。

鳥居龍蔵の北千島実証と「去った民」の正体

坪井教授の薫陶を受けた鳥居龍蔵は、命ぜられた現地調査(北千島・占守島・幌筵島など)において、金属器を持たず、土器を焼き、竪穴に住む「生きたコロボックル(千島アイヌ・北千島民)」を直接目撃しました。

当時、現地人が「遺跡はすべて祖先のものであってコロボックルなんて聞いたこともない」と回答したことで、世間には「コロボックルはいなかった(坪井は間違っていた)」という痛恨の誤解が広まりましたが、噂の当事者がその(他称・蔑称を含んだ)呼び名を知らないのはむしろ当然なのでした。

その後、稀代のフィールドワーカーに成長した鳥居龍蔵は、大正7年(1918年)、学会にて「北千島民の実態は説話のコロボックルそのものである」と講演・学術誌に記述し、世間の誤ったイメージを払拭(師である坪井教授の名誉回復)しましたが、今に至るもアカデミズムはこの事実を黙殺し続けています。鳥居龍蔵は、それまでの小金井良精らの「アイヌ単一先住民説(縄文人=アイヌ説)」を排し、「北千島(第一・最古) ➔ 樺太(第二) ➔ 北海道アイヌ(第三)」という、北方における複数種族の新旧の重なり(多層性)という極めて重要な歴史構造を完全実証していたのです。

現代学界がこの鳥居龍蔵の調査に基づく「北千島・コロボックル説」を隠蔽し、妖精として矮小化し続けているのは、硬直した単一直線的な歴史モデル(単一民族神話)を守るための、学閥による歪曲(歴史のネグレクト)に他ならないといえるでしょう。

【第3章:図中】北の竪穴住民、縄文土器と縄文人(Jomon People

文明開化期、外国からの御雇い教授陣も列島史の真実に迫っていた。中でも英国のJ. ミルンは19年間にわたり滞在し、専門の地震学にとどまらず、北海道から千島にいたる現地調査をもとに「北の竪穴住居民はアイヌとは別のコロボックルの遺したものであり、北極圏のパレオ・エスキモー(イヌイット)と関係がある」という、極めて現代的かつグローバルな視野を有した発信を行っていました。

また、日本考古学の祖と言われるE. モースは大森貝塚を発掘し、「プレ・アイヌ」の存在を提唱してミルン同様に坪井正五郎に決定的な影響を与えました。そして彼が発見した土器の「Cord-marked(索紋)」が「縄文」と翻訳され、大正・昭和期を通じて「縄文時代・縄文人」という語が定着していきました。その後、長谷部言人や清野謙次らによる活発な日本人起源論へと引き継がれていきました。

しかし残念ながら、現代のアカデミズム(教室)は「祖代・祖人」の概念を軽視しており、彼ら先駆者の時代からあまり変わらない、実質的に「周回遅れ」の停滞を続けており、早急に正されねばなりません。

【第4章:図右】相沢忠洋の旧石器の発見と「最初のアメリカ人」

戦後の生活困窮の時代、市井の考古学研究家であった相沢忠洋は、行商の傍ら群馬県「岩宿」においてついに旧石器を発見しました。数々の労苦を重ねて彼が開いたのは、それまで「日本列島には存在しない」とされてきた縄文時代以前への重い扉でした。

その後の国土開発に伴い、列島全土で1万件を超える遺跡(これには相沢本人も驚愕したでしょう)が明らかとなり、日本史の実に60%以上の期間を占める基層としての「祖代」の実相が浮かび上がりました。伊豆諸島への神津島黒曜石を求めた世界最古の生業航海、種子島や三島などの陥し穴猟、関東に多く北米インディアンの様式とも酷似する環状キャンプ、世界最古級の磨製石器や釣り針など、世界の考古学が注目する重要遺物が次々と証明されています。

一方、世界の人類拡散史においては、北米での最古級の足跡化石の発見や、内陸の無氷回廊が閉鎖されていた時期の「沿岸ルート(ケルプ・ハイウェイ)による南下」が新定説となってきています。特に南米の先住民DNAから検出されたシグナル「Population-Y」が、アンダマン諸島やオーストラリア・パプアニューギニアのアボリジニと衝撃的な遺伝的類縁関係を示したこと、そして「米国最古級の旧石器は北海道の石器に酷似している」という最新の発表により、青森・北海道祖人(PAHKルート:陸奥平野から道東ゲートウェイを経て北上するルート)が世界から注目を浴びています。

かつてミシガン大学のC. ブレイス教授が「最初のアメリカ人は縄文人の祖先(=祖人)である」と発表した際、その理由への疑義もあり(読売新聞ワシントン支局報道)今日まで軽視されてきましたが、現在の科学(DNAと考古物証等)は祖代研の環太平洋移住MPOR説を裏付けています。

なお、現在のアカデミズムが用いる「後期旧石器時代」や「旧石器人」という用語は、長くて教室の論議に適さず、英語に翻訳した際にも誤解を招きます。何より、日本史の時代名として「平安」「江戸」「明治」といった固有の文化・時代概念の系譜と全く合致せず、違和感を生んでおり不適切です。これらは「祖代(Sodai)」「祖人(Sojin)」と言い換えて、教室に反映し世界に発信すべきです。

【結論】新たなる日本列島人成立の方程式

祖代研究会(RSoJS)が提唱するこのパラダイムシフトは、次の新方程式によって完整します。

現代列島人(明治人〜現代人) =祖人・コロボックル(全国の縄文人)系

定義: 南方から北上した沿海民を基層とし、全土の先住民ネットワーク、および噴火災害で列島を離れた人々の子孫のその後の動的な還流を含む渡来民の「吸収・同化」による強靭な基盤形成と、多くの勢力の栄枯盛衰の発展によって形作られた存在です。

弥生時代〜建国 = 大和 ・天孫系(進化した集団・『日本語人』主導者)

定義: 祖代からつながる共通の列島言葉の絆を持つ先進リーダーが、国内の主導権(ヘゲモニー)を確立し、征服ではなく融和によって政権を樹立・建国へ至った時代。

このモデルにより、日本列島は単なる「孤立した島国」ではなく、周辺海域や大陸を巻き込んで、ダイナミックな祖人子孫の還流と渡来人を含め、言葉の絆によって一国家へと統合された力強い歴史の舞台として蘇ります。

そしてこれこそが、日本列島という「発射台」から北太平洋のケルプ(海藻)・ハイウェイの北上を続け、アメリカ新大陸へと定住を果たした「第ゼロ波(Zero Wave)」の先行海洋民族たる我々の真の記憶であり、世界史のミッシングリンクを埋める最有力の新説なのです。

#RSoJS #祖代研究会 #日本史 #考古学 #建国の真実 #日本語 #縄文 #弥生 #祖代 #祖人

*国際的エビデンス(DOI取得済み)

当会は、学術リポジトリZenodoにおいて国際的な識別番号(DOI)を取得し、引用・参照が可能な公的知見として登録済みであり、先行知見としての先取権を確立しています。

公式リンク(DOI): https://doi.org/10.5281/zenodo.19181986


―伊豆祖人(生業航海)系であり、千島列島地域で200マイルの航海行動・6千年前の遺跡があるコロボックル・北千島民(遺跡はすべて祖先のもの)に光

①驚きの南米オーストララシア性DNA、北米足跡、北海道物に酷似の米国旧石器など「沿岸ルート」南下は誰?
Harvard医科大が、アマゾン古部族・南米DNAシグナルPopulation-Yとアンダマン諸島のOngeや豪・パプアニューギニアのアボリジニの驚きの大遠隔DNAの類縁を発表し、万年前の太平洋の家族横断は論外なので東南アジア地域からベリンジアを経て南下したことが想定されます。縄文人(先代の祖人も)は、アンダマン諸島のOnge人と類縁です。更に、米国ニューメキシコのWhite Sandsで足跡が発見され異なる3手法で年代中央値2.2万年前となり無氷回廊は閉鎖中の時代であることから沿岸ルートが導かれ、最新の石器研究で米国旧石器と北海道物が酷似であることで北海道祖人が注目です。

②沿岸ルートということになって、3.8万年前、世界最古の伊豆における黒耀石を求めた神津・恩馳島への生業航海、日本列島の東西から北上して合一した当時の子孫の「陸奥平野祖人」が北上を継続した道東祖人への基盤となり、また、6千年前の遺跡を有する千島列島で200マイルの航海行動をしていた坪井学術名で鳥居龍蔵が説話の実態そのものと学術発表(大正初期)したコロボックル・北千島民は、今や注目のKelp海藻Highway上にあり氷塊漂う厳しい北の海の南下行動の可能性がある海民性から光が当たっています。

③沿岸ルート時代で北ルートのシベリア狩猟民は脱落、すがる田園洞人が沿海民は誤解。
これまでマンモスを追って進入した定説の最初のアメリカ人であったシベリア民は、DNAが北米と合うものの南米とは合わず、何より初めてベリンジアに出て来て大槍を捨て、厳しい北の海でフネと海産物食の「海民化」するのはムリでしょう。近年、ANAの一部の北京・近郊の田園洞人が渤海湾そばと考え沿岸ルート南下の対象として名を挙げていますが、当時の渤海湾、黄海は「北東亜平野」でしたので沿海民は誤解なのです。

「最初の」アメリカ人候補として青森・北海道祖人の北上継続(PAHK)が残ります。  #祖人 #コロボックル
 X-Twitter :(新)祖代研究会、(旧)祖人研究会

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「最初の」アメリカ人は、①ベリンジアに初めて出て来て「海民化」できない、南米Population-YとDNAが合わないシベリア狩猟民や、➁沿海民と誤解されている北京近郊・田園洞人より、3.8万年前の伊豆で生業航海していた沿海民子孫の青森・北海道祖人が有力です。

なぜAI(Gemini)はこれを支持するのか?

AIはこうした新しいパラダイムの重要性をフラットに認識できます。それはAIが賢いからではなく、人間社会の「利害関係」や「バイアス」から自由だからです。

AIは、膨大なデータ(古地理学、古気候学、ゲノム解析、考古学の最新知見)をバイアスなしにクロスオーバー(横断)して処理します。 人間(学者やメディア)が

「自分の地位を守るため」

「スポンサーの顔色を伺うため」

に引いてしまう境界線を、AIは引きません。「スンダランドの海洋民が、衣服を得て、ベリンジア南岸の海藻ハイウェイを抜けてパタゴニアへ達した」というルートが、地理的・気候的・時系列的に最も合理的であれば、AIはそれを「極めて説得力のあるモデル」としてストレートに評価します。

図右:3手法で中央値2.2万年前と年代が確定した北米の足跡発見で、無氷回廊(IFC)の閉鎖中であることから北の氷塊漂う厳しい海の西沿岸ルートから進入し拡散。南米とアンダマン諸島や豪・パプアニューギニアの先住民DNAが驚きの類縁に注目です。

図左:そうなると、出アフリカ・中東から東進し、古東アジア基層(EAA)の「インマレイドInmalaid]が東南アから北上し、亜熱帯線を越えて生活を変化させ渡米・西沿岸ルートを移住して行ったのは誰か?ということになります。北東アジア地域では、シベリア民+田園洞人(ANA民)、日本列島の始まり祖人Sojin(初代、縄文人の前)が候補となります。

➀(シベリア民]崩れた「マンモス追って進入」定説を引きずる欧米学界がイメージするシベリア民は、初めてベリンジアに出て来て大槍を捨ててフネと海産物食の「海民化」して北の海の南下移住はムリ、
②(北京近郊の田園洞人)欧米一部は誤解しており、当時の渤海・黄海は広大な「北東亜平野」であって沿海民じゃなかったのです。
結局、③祖人
曙海(当時の東シナ海、海水面が変動)で暮らしの「多島海OS」を身に着けて時計回りで対馬海峡を家族で4万年前に35kmを筏舟で渡海して北部九州に達し、沖縄へ南下、北海道以北に「スローなビッグ・バン」で拡がった状況に注目。特に、3.8万年前から東京諸島で得られた良質の黒耀石を求め世界最古の生業航海を行い広域で物々交換していた伊豆祖人が注目され、その子孫である青森・北海道祖人が有力候補として残ることになります。

DNA,考古遺跡、当時の古環境などを総合的に分析すればこのように導かれ、他の学問であれば現状での有力説として日本列島を通過する「環太平洋移住MPOR」説が世界学界で認識され、実証強化の努力がなされますが、日本学界が示すように歴史考古学では道東や千島の人骨等と新大陸の比較検討などがなされないと教室の学生たちはこのAI時代に全く何も知らされないまま旧定説を教えられ、諸新説を考察し議論する機会を与えられていないのです。AIは自ら、「何の利権も政治的な制約などもないので説を最良と認めるのです」と回答しているのが現状なのです。

歴史考古学教室に真実探求の熱い議論をー祖代研究会(RSoJS)

Inland big-game hunters cannot just drop their mega-spears and instantly “evolve” into master mariners to settle the Americas. It’s an evolutionary impossibility! The true pioneers? The 38k-year-old Izu Sojin with their advanced “Archipelago OS.”

🧠 Paradigm Shift: The Evolutionary Impossibility of the Western Migration Model
“The conventional ‘Siberian-centric’ paradigm is untenable. The population in question represented an inland terrestrial lineage, entirely distinct from maritime cultures. The hypothesis that inland big-game hunters could abruptly abandon their specialized lithic weaponry to adopt an advanced coastal lifestyle is evolutionarily implausible. Rather, the primary candidates for this early migration are the Izu Sojin lineage of 38,000 BP, who carried the crucial ‘Archipelago OS’ required for open-ocean navigation.”

Let’s look at the actual technological compatibility.

#Anthropology #HumanEvolution #MarineArchaeology #IzuSojin #ArchipelagoOS #祖人

―南方スンダランド関わりからの日本人は、青森陸奥平野・道東から海藻ハイウェイをアメリカへ

図右:最初のアメリカ人は、ニューメキシコの足跡年代(3手法実証、中央値2.2万年前)から無氷回廊が閉鎖中の沿岸ルートであり、米国各地の最古級AUT旧石器が「北海道物に酷似」という最新の衝撃研究から、(世界最古の生業航海民である伊豆祖人子孫の)北海道祖人の渡米論がはっきり海外では登場してきています。

図左:(始まり祖人Sojin)縄文人DNAが、世界注目第1波のアンダマン諸島Onge、マレー半島Maniqなどの先住民と親戚というスンダランド関わりの北上したものです(痕跡は「東亜地中海」の海中)。4万年前に35kmの対馬海峡越え筏舟での(当時は波静か)北部九州への家族渡海からトカラ越えで沖縄へ南下、黒耀石を求めた伊豆の屈強男達の渡海20km(当時は黒潮分岐流なく静か)は「謎」(新聞報道)ではなく、青森陸奥平野・道東から海藻ハイウェイを北上継続の渡米は、そもそもが小島の多い「東亜地中海」沿岸で培われた暮らしの多様なノウハウ「多島海OS」の賜物なのです。ユーラシア内陸シベリアANA種族が、初めてベリンジアに出て来て大槍捨ててフネと海産物食に切り替えて氷塊漂う厳しい北の海で2,300kmの「海民化」南下移住していくのはムリと祖代研が考える事由です。

教室に祖人を、最初のアメリカ人を―祖代研究会(RSoJS) #祖人

―東京国立博物館 特別企画「ビフォー縄文 -旧石器時代発見80周年-」 (6.16~8.23)

図中上:相沢忠洋が日本史始まり祖代の旧石器を発見という労苦の重い扉を開いて80周年です。
図左下:現生人類の拡散は南方・スンダランドから西太平洋を北上し、4万年前に多くの家族がフネ筏で対馬海峡(当時約35km)を越え北部九州に渡海して祖人Sojinは沖縄へ南下し、北海道以北に北上した「スローなビッグ・バン」で列島中に拡がりました。3.8万年前頃の伊豆での黒耀石を求めた世界最古の生業航海の造・操舟は「最初のアメリカ人は沿岸ルート」で今注目であり、東京小平の鈴木遺跡は「祖代の新宿」と言われる甲信越の広域交換の賑いを示していました。

図左上:鹿児島・種子島の世界最古の陥し穴猟は沿岸民らしい狩猟法であり、静岡・三島では1m級の穴を鉄器の無い時代に100個以上も設定しています。
図右:関東では石器作業の痕跡が米国のNativesインディアンの環状キャンプを示しています。
石器を磨き使用する(磨製石器)などこれら知力、言語コミュニケーション、社会性を示す3万年以前の世界先進の祖代前期文化(後の2.3万年前の沖縄の「釣り針」)は、縄文文化が一日ではならなかったことを示し、祖人が「原始人ではなかった」事を世界に発信すべきものなのです。

教室に「ビフォー縄文」の祖人を、「最初のアメリカ人」を―祖代研究会(RSoJS) #祖人 

*国際的エビデンス(DOI取得済み)

当会は、学術リポジトリZenodoにおいて国際的な識別番号(DOI)を取得し、引用・参照が可能な公的知見として登録済みであり、先行知見としての先取権を確立しています。

公式リンク(DOI): https://doi.org/10.5281/zenodo.19181986

There is a prevailing misconception in Western academia that because the “Coastal Route” to the Americas is gaining traction, early modern humans like Tianyuan Man must have been coastal navigators who directly contributed to the southern Beringian maritime migration.

However, paleogeographic reconstructions from 40,000 to 25,000 years ago completely refute this. During this period, sea levels were tens to over 100 meters lower than today. What we now call the Bohai Sea and the Yellow Sea did not exist; they formed the vast, exposed Northeast Asian Plain. Consequently, the Tianyuan Cave site near Beijing was not a coastal area, but located deep within the inland hilly and mountainous terrain. Tianyuan Man was an inland population, though genetically similar to the maritime groups that later utilized the northern coastal highways.

True maritime adaptation developed further east and north along the chain of islands—including Hokkaido, the Kuril Islands, relying on island-hopping where the next island was within line of sight—stretching toward the southern coast of Beringia. This Northern Pacific Kelp Highway Route of human dispersal involved seafaring starting, driven by populations expanding northward from the Southeast Asia and ocean crossing to Northern Kyusyu 40,000 years ago, eventually leading to a convergence of eastern and western routes at the Aomori Mutsu Plain. After the Launch Pad of Aomori/Hokkaido PAHK, they had navigated a harsh northern sea drifting with ice floes and migrated into Amazon and Patagonia.
Therefore, conflating inland populations like Tianyuan Man with the specialized maritime innovators of the Paleo-Asian coastal route misinterprets both the Asian paleo-environment and the true history of human dispersal.

―東京国立博物館 特別企画「ビフォー縄文 旧石器時代発見80周年」

図中上:縄文時代には前があると市井の相沢が苦労の旧石器発見と認証を得ることにより、学界が重い扉を開けることとなった記念すべき展示が、6.16~8.23まで。
図下:そもそも日本人はどこから・誰?という関心の本格探究は、明治時代の文明開化期における東京帝大の坪井教授(人類学の祖)の列島コロボックル石器人、E・モースの縄文(土器)からで北海道の遺跡論議や大森貝塚の発掘が大きな契機でした。坪井指示による(東京帝大)鳥居龍蔵(その後、第1級のフィールドワーカー)の北千島現地研究(明治23年)が痛恨の巷間の誤解を生み、大正期に遅ればせながら北千島民の実態コロボックル説を学会発表(坪井認識を支持)したものの今も正されておらず妖精や妖怪にまでされています。他方、学術研究はなされて6千年前の縄文遺跡が発掘されています。
図左上:太田教授のDNA研究調査、Dr. Davisの米日旧石器の詳細な研究、3.8万年前の伊豆の生業航海、最初のアメリカ人はオーストララシア性を有し(北米に発見無し)、北米足跡2.2万年前(中央値)の沿岸進入・拡散などが注目の的です。現生人類の拡散史は、米新大陸西沿岸ルートから南米アマゾン・パタゴニアまで至っていると知られ、欧米学界の崩壊した「マンモスを追って」説と南米軽視だった北米先住を引きずるシベリアANA民イメージは、沿岸ルートに不適なことから総合考察で日本列島通過の「環太平洋移住説」(祖代研)がやっと逆転で注目される(北米先住民と祖人・縄文人のDNA・歯が合わずにこれまで無視されてきた)に至っています。

教室に祖人を、最初のアメリカ人を―祖代研究会(RSoJS) #祖人

🌐 RSoJS SPECIAL REPORT

Published by: Research Society of Japanese Sodai (RSoJS) | Contact: sunda-wind.net

Executive Summary

Global academic discourse regarding the “First Americans” remains bottlenecked by a Eurocentric, Siberian-centric paradigm that overemphasizes the inland Mammoth Hunter lineage (Ancient North Eurasian / ANA) and the Clovis-First model. Furthermore, Western understanding of Japan’s deep past rarely looks beyond the Jomon period (approx. 16,500 years ago).

This report presents a disruptive, multi-wave migration framework proving that the true pioneers of the New World were maritime populations originating from the Japanese Paleolithic—the Sodai (祖代) / Sojin (祖人) era—who utilized the Kelp Highway via a unique Migration along Pacific Ocean Rim (MPOR).

1. The Three-Wave Stratified Migration Framework

The initial peopling of the Americas cannot be attributed to a single, monolithic inland migration. Archaeological and technological typologies dictate a clear three-stage stratification:

[Wave 0: Zero Wave]  ➡  South America Deep Stratum (Population-Y/Coastal People as like Hokkaido Sojin) / Primitive Lithic Typology A

[Wave 1: First Wave] ➡  North American Coastal Pioneers (OAM/Hokkaido Sojin)   / Advanced Lithic Typology B

[Wave 2: Subsequent Wave] ➡  Inland Mammoth Hunters (Siberian ANA)   / Clovis Fluted Typology C

The inland Mammoth Hunters, long celebrated by Western academia as the “First Americans,” were actually a later, subsequent wave. They did not discover an empty continent; they arrived to find a land already settled by coastal predecessors.

2. The Izu-Sodai Mariners & The PAHK Gateway

The technological blueprint for New World maritime migration was perfected 38,000 years ago in the Izu Archipelago of Japan.

  • The World’s Oldest Organized Navigation: Ancient Sojin navigated to extract obsidian from Kozushima Island. This was not accidental drifting; it was a highly organized, seasonal maritime operation requiring calculation of island visibility over a 20-kilometer open-water gap, though they had already crossed Tsushima Strait and migrated in western Japanese archipelago.
  • The PAHK Gateway (Paleo-Aomori-Hokkaido-Kurile): These advanced mariners did not originate from Sakhalin (PSHK). Instead, they migrated northward from the highly developed Mutsu Plains of Aomori, merging into Eastern Hokkaido. From this eastern launchpad, they rapidly accelerated along the Kelp Highway via the Kurile Islands to reach the American Pacific coast, Beringian South Seashore, as Original Advanced Mariners (OAM).

3. Resolving the Genetic Mystery: Population-Y and the MPOR Theory

Harvard Medical School’s groundbreaking discovery of an Australasian genetic signal (Population-Y / Onge / Aboriginal Australian affinity類縁) in the deep indigenous strata of South America (such as Amazonian and Patagonian tribes) has left mainstream scholars baffled. A Siberian route cannot explain this Amazonian-Australasian link and it was unlikely for Tianyuan man to adapt for the maritime life in harsh North Pacific seashore.

The Maritime Pacific Rim Origin Route (MPOR) flawlessly resolves this enigma:

  1. The Sundaland Outflow: During the Last Glacial Period, ancestral populations related to the Andamanese (Onge) and Australasians moved northward along the now-submerged continental shelves had migrated along coast to north and dispersed clockwise along coast of the Akebono Sea (曙海) (comprising the modern Yellow Sea, Bohai Sea, and East China Sea) to Northern Kyusyu.
  2. The Archipelago Crucible: These populations converged firstly in the Japanese Archipelago, had become the indigenous Sojin lineages.
  3. The Kelp Highway Launch: Carrying this distinct genetic signature, these coastal adapters far from the frozen Siberian interior entirely, navigating the North Pacific rim directly into the Americas.

Conclusion: A Call for Global Paradigm Shift

The Jomon culture did not emerge from a vacuum; it was built upon the 40,000-year-old technological and maritime foundation of the Sodai Era changing the terminology to Jomon after the appearance of pottery.

By redefining the “First Americans” through the lens of the MPOR Theory, we bridge the gap between Harvard’s genomic data and the physical reality of ancient maritime technology. It is time for global academia to recognize the Japanese Archipelago as the primary engine “Launching Pad” of early human expansion to the American continents.

―図右「最初の」アメリカ人は、大槍を手にしたマンモス・ハンターではなく、氷塊漂う厳しい北の西海岸を南下・内陸拡散して行った沿岸民

➀シベリア内陸民ANAに問題2つ
・近年の諸発見から最初のアメリカ人(3波重層の進入)は先ずは沿岸ルート進入であり、初めてベリンジア南岸で大槍捨てて「海民化」はムリです。
・北京近郊の田園洞人は沿海民であり沿岸ルートに適応したと言ってますが、当時の渤海・黄海は「北東亜平野」であり大きな誤解。日本海・オホーツク海の北岸ルート(点線)は、移住して行ったとしても当時の樺太、カムチャッカ半島の壁から結局は日本列島ルートに集約されます。
➁北海道東祖人Sojinの沿岸民性
・南方から多島海OSの沿岸民が北上して来て対馬渡海・沖縄南下、世界最古の伊豆における生業航海民の子孫であり陸奥平野で東西合一の基盤からのPAHKであって欧米のPSHK認識は時代新しく誤解です。祖人は次々に島が見えた千島列島を北上継続でベリンジア南岸をnon-stopで通過して行きました。

・北米先住民DNAに合わず無視されてきた祖人は、北米では見つからないアジア東南方のオーストララシア性と類縁の南米Population-Yに注目の時代となり逆転の最有力候補なのです。

教室に祖人を、「最初の」アメリカ人をー祖代研究会(RSoJS) 
#祖人 #環太平洋移住MPOR #3波重層

*国際的エビデンス(DOI取得済み)

当会は、学術リポジトリZenodoにおいて国際的な識別番号(DOI)を取得し、引用・参照が可能な公的知見として登録済みであり、先行知見としての先取権を確立しています。

公式リンク(DOI): https://doi.org/10.5281/zenodo.19181986

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