図左上:誤解を招いている「日本人何処から?」の3方向渡来図は、時代が新しくバラバラで祖代研が指摘を続けている不適切なものです。


肝心の南方から北上し曙海西沿岸から時計回りで北部九州に渡海した肝心の「沿岸ルート」のない、世界人類史の一方向性の拡散部分(沖縄へは南下)になっていない、吹き溜まりの閉じ籠り図なのです。このため今、世界で話題の「最初のアメリカ人」沿岸ルート説の高まり問題において、北海道祖人の北上継続による千島ルートを参加させなくしている状況なのです。
下図の北千島民・コロボックル(中世以降の通称仮称、「留頓」るとんRoutonー祖代研)とは、140年前の明治先達の熱い議論を保障した➀東京帝大・「日本人類学の祖」である坪井正五郎教授の列島最古民につけられた学術用語であり、②第1級のフィールド・ワーカー鳥居龍蔵が現地調査を踏まえ、北千島民はアイヌ説話のコロボックルそのものの実態であるとした判定(学会発表・専門誌記述、大正前期)、③北海道大学による関連実証である占守島の6千年前の縄文遺跡、④近年のDNA分析の向上により、東亜南方・豪と第1波南米の先住民DNAの類縁及び縄文人と東亜南方先住民との類縁から千島ルートに光の主体、などの特性を有する重要な内容なのです。博物館図ではそれらの事が無視され、今、世界注目の北海道祖人の「最初のアメリカ人」参加標準突破を論じられない抑圧された誤解を招いているのです。
図右:何と私たち日本人の祖先に係る学術的な内容が、「北海道の妖怪」として全く歪曲・誤解されてネットに登場し世界に流布されているのに、政府・道庁も日本学術会議・学界も放置している大問題なのです。

教室にコロボックルを―祖代研究会(RSoJS)

#祖人

図左上:近年、欧州学者がDNA分析などで新人と旧人の交雑関係や病気の誘因などを熱心にプレイアップし、我が国の博物館展示などでも話題の旧人は、「海を渡れなかった」原始人であり、私たち「新人・ホモサピエンス」と全く異なります。(仮に将来、日本における旧人の石器や人骨の発見、これ迄の発見の新判定などでも大騒ぎしませぬように、あくまで祖代の祖人が始まり祖先で、縄文人が2代目です)
図左下:長距離の家族渡海の沖縄、黒耀石採取の伊豆、海「狭」越えの青森祖人などが示す海民性は、今、沿岸ルート説が高まっている「最初のアメリカ人」候補として注目されてきています。

図右:南方沿岸・小島からの時計回り4.2万年前の渡海移住で北部九州からのビッグ・バン、沖縄から北海道以北に拡がった祖人の事を教室に。「我は海の子」をもっと皆で歌いましょう。

議員は「我は海の子」歌える人を―祖代研究会(RSoJS) 

#祖人

図左:「最初のアメリカ人」沿岸ルート説で注目の千島の痕跡は、コロボックル(列島の先住石器人であり、北千島民・留頓るとん)に係るものです。推定期間は始まり時代(祖)縄文から20世紀初頭であり、縄文遺跡、カムチャッカでの存在痕跡、外国人船の出現及び明治期の開拓の苦労、色丹島引き上げ後の苦難と消滅などが知られています。

名は、坪井教授(東京帝大)の北海道調査におけるアイヌ説話から問題の生起しない研究・論議の観点から命名され、作成の(全国)遺跡図から実は縄文人であったことが今では分かります。

図右:鳥居龍蔵が北千島調査(明治32年・1899年)から、竪穴住居に住む古い第1アイヌ・石器人で実態はアイヌ説話のコロボックルそのものであると学術的に認めた(学会講演・専門誌記述、大正6年)千島史のキーマンなので、祖代研は千島のアイヌ」ではなく北千島の「留頓るとん、Routon」と仮称しているのは、彼ら自身が「西Routonの人」と自称(実は、東の人・カムチャッカ在住の人が主体)していた事からです。不幸にして鳥居の調査直後には、北千島民が「コロボックルなんて聞いたことも無い。遺跡は全て誰のものでもなく我らが祖先の物」と答えた事で、「北千島にコロボックルはいなかった」と世間に伝わり、後の妖精や悪戯者などと全く無縁の話になって行きます。しかし、考えてみれば鳥居の北千島出身の助手老人が「コロボックル(小人など)だなんてバカにするな」と言ったように、侮辱する伝承を当人達が知らないのはむしろ当然で、「居なかった」としたことに大きな問題がありました。大正時代になって、鳥居が学術的に認めたのは幅広いフィールドワークの成果もありますが、噂問題に気付いたこともあったでしょう。今も学界が「北千島民がアイヌ伝承の、坪井教授制定の(北千島民が祖先と言う先住者)、コロボックルである」と教科書に載せずに放置していることが大問題なのです。

国際共同研究で、埃を被っている埋もれた資料に光を当て、世界注目の海越え史の更なる解明を!

コロボックルを教室に―祖代研究会(RSoJS) 
#祖人

図左下➀:人類拡散史「最初のアメリカ人」は、北米足跡の発見、内陸の「無氷回廊(IFC)」は通過難、東亜南方先住民と南米第1波民のDNAが大遠隔類縁などから新大陸の西沿岸拡散説の高まりで、Who?はマンモス・ハンターか、北海道祖人か。

図左上➁:列島の東西から北上した祖人が合一し賑わいの青森・陸奥平野から海「狭」越えた北海道祖人は、千島越えの渡米参加標準の突破が注目され、道東“発射台”から北上継続に問題なしです。

図右③歴史先達(明治時代)の坪井教授による石器人「コロボックル」(列島最古、全国)は、北海道調査のアイヌ説話から命名した実は(祖)縄文人の事であり、鳥居龍蔵が北千島調査(明治32年1899年)から竪穴住居に住む古い第1アイヌ・石器人であると認めた(学会講演・専門誌記述、大正6年)千島史のキーマンなのです。更なる解明が待たれる今世界注目の”熱い”海越え史です。

参院選挙は、歴史に理解あり専門見識ある国際人を。

―祖代研究会(RSoJS) sunda-wind.net
#祖人

図左下➀:現生人類の拡散史「最初のアメリカ人」問題は、約2.2万年前の北米(ニュー・メキシコ)の足跡発見、内陸の「無氷回廊(IFC)」は通過難、東亜南方先住民と南米第1波民のDNAが驚きの大遠隔類縁などから新大陸の西沿岸ルート拡散説の高まりで、Who?はマンモス・ハンターか、北海道祖人か。

図左上➁:(日本史始まりの北部九州への渡海ビッグバン、世界最古の伊豆の生業航海等を経た「我は海の子」)東西から北上した祖人が合一し賑わいの青森・陸奥平野から海「狭」越えた北海道祖人は、千島越えの渡米参加標準の突破が注目され、道東“発射台”から北上継続に問題アリマセン。

図右③坪井教授が北海道調査を踏まえ学術研究・論議のために命名した石器人「コロボックル」は今から見れば(祖)縄文人であり、鳥居龍蔵は大正年間に巷間の誤解を正す北千島民(北で最も古い第1)と認め(学会講演、専門誌に記述)、その後米学者が縄文遺跡を実証し、北千島民・留頓はかつてカムチャッカ半島南部が主体であったことも判明(北海道大)、更なる解明が切に待たれる今や世界注目の海越え史なのです。

参議員の選挙は、歴史に理解があり専門見識のある国際人を選びましょう。

周回遅れの教室に新風を―祖代研究会(RSoJS) 
#祖人

図右下➀:現生人類の拡散史「最初のアメリカ人」は、約2.2万年前の北米足跡の発見、内陸の「無氷回廊」は通過難、東部アジア南方先住民と南米第1波民のDNAが遠隔類縁などで、沿岸拡散説が更に高まってきています。

そこで➁:日本史始まりの渡海ビッグバン、世界最古の伊豆の生業航海、青森・陸奥平野から海「狭」越えの北海道祖人は渡米参加標準を突破などが注目され、道東“発射台”や海の唱歌に光が当たります。
選挙の参議院には、歴史に理解あり専門の見識ある人を選びましょう。

周回遅れの教室に新風を―祖代研究会(RSoJS) 
#祖人

日本史が「大陸・朝鮮山地(当時は半島無し)から人が来て始まった」は誤解、4.2万年前の曙海沿岸・小島からの海民の時計回りの北部九州への筏(太材なし、対馬海峡波静か)による渡海移住です。緑と動物及び深海湧昇流の豊かな魚介の処女地で、対馬・壱岐から先ずは陸続きの五島・関門南下・出雲方向への現生人類の拡散です。


右図: 4.2万年前、前述の如く始まりの5W1Hが推定できる事が世界の驚き。祖人Sojin(縄文人の前)はトカラ越えで沖縄へ南下(諸島への居住は世界の驚き)、他方、太平洋側と日本海側(当時は大雪降らず)から青森・陸奥平野で合一の賑いで津軽海「狭」を北海道以北へ北上継続の拡がりです。世界最古の陥し穴猟は、知力・集団の社会性・鉄器無しの掘開作業力・祖語などを示しており、原始人・原始時代ではアリマセン、祖人の祖代Sodaiです。
左図:東部アジア南方から北上、そして北上の移住主体が渡米した世界人類拡散史は、驚きの遠隔である南米第1波(アマゾン先住民など)とのDNA類縁なのです。北海道祖人は、生活時期・実態と環境並びに近年の南米第1波のDNA研究などから渡米参加標準突破の有力候補であり、3.8万年前の世界最古の伊豆における生業航海が実証の支えです。

国柄の理解、先ずは「我は海の子」から―祖代研究会(RSoJS)  #祖人

Youtubeの新動画に「最初のアメリカ人」テーマが続々は、北米ニュー・メキシコで発見された約2.2万年前の足跡を多くが認識したからでしょう。そして、それより早いメキシコやアマゾンでの発見の話もあり、マンモスを追って入って来たと言う北米内陸の「無氷回廊」(IFC)はその頃は閉鎖中、仮にわずかに開いていたとしても1,000km以上の長距離を移住して行く生活困難でムリとの認識から「沿岸進入」説の高まりという訳です。

左図上A: 動画の「最初のアメリカ人」のイメージは、マンモス追いとは様変わりの氷と舟の登場です。
左図下B: 南方と南米、南方と縄文人のDNAが類縁の認識の定着により、現生人類史の始りは南方発の北上で、寒冷に適応し身体変化したモンゴロイドが登場する前の、北海道祖人を含む移住主体の人々の渡米による西「沿岸」南下移住の新大陸拡散説の高まりになります。

右図:そのような「最初のアメリカ沿岸民」注目の時代となれば、東ユーラシア地域では3.8万年前の伊豆の最古生業航海は注目され、何よりよく調べれば祖代研が長らく発信してきた通り、謎ではなく、欧米先生に笑わせもしません。

➀霞む55kmが誤解の元②実質最長は20kmで③神津島から宝島の恩馳へは当時は歩けました。④波静かで⑤良質黒耀石と海獣(?)をゲットでき⑥筏舟に伊豆材は豊富です。⑦造・操舟と陥し穴猟⑧賑わいの広域交易など、祖人は祖語を話し(2代目の縄文時代からではアリマセン)、原始人ではなく⑨霊峰の神に祈りという訳です。
―祖代研究会(RSoJS) 

#祖人

科学各誌が、劉建輝Jian-Hui Liuほか研究チームの中国南西の雲南省における30万年前の旧人の手が加わった木器の発見を報じています。

図左上:発見の木器は人が加工を施し、戦いや狩猟の槍ではなく生活作業用で、欧州で一般的な中型狩猟用の物に比し小さく基本的に植物を掘ったり刈り取ったりの広範な手作業処理用のハンディ工具であり、東アジア地域の洗練された有機物の器材群として際立っていて、原始的な石器しか知られていない中で注目されます。
また、これはデニソワ旧人の物とみられることも注目であり、東部アジアの沿岸部は基本的に新人の物が特色で、内陸は新人と旧人の遺物が混在し発見されています。

図左下:そもそも考古学は酸性土壌のために木・竹は残り難く石器偏重ですが、木・竹器により、探し・掘り・動物を突き・植物を切り、・・・多様な生活作業は南部沿岸文化圏では現代先住民にも普通にみられるものです。今回の発見で、既にアジア南方では30万年前に内陸で、また、パプア・ニューギニア民になどにみられるデニソワ旧人DNAとも関わることが興味深く、あらためて木・竹器の優れた点が認識された事も、右図のとおり、南方・南部を文化原層とする祖人Sojin・縄文人いや現代日本人の文化理解にとっても注目すべき内容です。

―祖代研究会(RSoJS) #祖人

今や人類史最後の大陸拡散である最初のアメリカ人 Who? 問題は、➀ “シベリア狩猟民”(古北東アジア人ANE)と➁日本列島の祖人Sojin(縄文人の前)が挙げられ、AIが以下の結論付け。ー祖代研究会(RSoJS) 

歴史考古学の問題点

·実証偏重の保守性:

·考古学界は、DNAや遺跡などの実証的証拠を重視し、論理的推論(例:祖人説)を軽視する傾向。2.2万年前の北米ホワイトサンズの足跡(2021年発表)も、硬水効果の批判(例:Waters et al., 2022)で半分疑われ、追試(2023, 2025)でようやく受け入れられつつある。

·この保守性は、最初のアメリカ人Who?において、古北東アジア人(ANE)優先の枠組みを引きずり、祖人Sojinや南米第1波であるPopulation-Yの検討を遅らせている。

·北米中心のバイアス:

·北アメリカの遺跡(クロービス、シベリア発子供人骨Anzick-1)とDNAデータが豊富なため、ANEモデルが優先され、南アメリカ(モンテベルデ、Population Y)や日本列島(祖人)のデータは少なく、総合的議論が不足。

·ご指摘の「日本の研究者の発信不足」は、言語障壁や国際的ネットワークの弱さが原因。日本列島の4.2万〜3.5万年前の始り年代や海洋適応(広島、伊豆、北海道)は、ケルプ(昆布)・ハイウェイ渡米ルートの文脈で積極的に発信されるべき。

・ 科学の本質:

科学は、論理的仮説(モデル)と実証的検証(データ)の相互作用。アインシュタインの相対論は、論理的推論が先行し、後の実証で確立された例。歴史考古学も、遺跡やDNAが断片的であるため、論理的モデル(例:沿岸ルート説、祖人説)が重要。

祖人説は、論理的には南米第1波Population-Yと南方アジア・豪等の類縁、対馬・伊豆の海洋適応、4.2、3.8万年前の時間的先行性で有力だが、渡米の実証的証拠が不足(実はANEも2.2万年前の東部シベリア証拠はない)。この段階で学界が、祖人説を「非科学的」と否定・軽視するのは、科学の進展を阻害する。


左図の番号を参照、図右は各番号項目の説明です。

➀人類史「最初のアメリカ人」、流石にマンモス・ハントは修正ですが、 Who?を問わない欧米では依然として「シベリア狩猟族」、アジア・モンゴロイドのイメージのままで南方人が出て来ない誤解であり、青森・陸奥平野の祖人も知られていません。

➁Deep-DNAは行き着いた南米第1波民とアジア南部先住民を繋ぐ重要な解明の新概念です。

③広島廿日市での石器発見で、「約4万年前」は「4.2万年前」に具体化です。

④モンゴロイドが未登場の時代を論ずるのに、主体の祖先を「古モンゴロイド」という欧州先生が制定の用語の弊害は大でした。「インマレオイド」(祖代研)の時代でだったのです。
⑤欧州発の「大槍持った狩猟族の原始人」・マンモスのイメージの弊害は大で、刺身や海藻(雑草扱い)を食べない文化が主流の人たちの歴史観でした。東部ユーラシア沿岸地域における木・骨・竹器、舟、海産・植物食などの諸文化は重要で、最初のアメリカ新大陸人の考察においても注目されます。北部九州に家族で渡海し、造・操舟筏の生業航海・陥し穴猟・祖語を話した祖人は、始めから既に原始人ではアリマセンでした。

―祖代研究会(RSoJS)
#祖人

➀2.2万年前の足跡人が発見され、タイムラインの1万年の遡りから無氷回廊の通過の困難が認識され、「最初のアメリカ人」の定説は崩れています。マンモス・ハントのイメージも誤解です。

②南米DNAの分析からアジア東部先住民との驚きの大遠隔類縁が確認され、遺跡からは海藻が発見され、更に足跡人発見が加わっても「Who?」については、欧米から全く検討の新説が出て来ないのは、今もって根強く「シベリア狩猟民」イメージを引きずっている(北米先住民とは整合)からでしょう。
③ジンギスカンに心底から肝を冷やした欧州先生が、南方先住民(OngeやManiqなどのインマレイド)を「古モンゴロイド」と大雑把な命名した事が誤解の元なのです。寒冷に適応し身体変化したモンゴロイドが未だ登場していない時代の「最初のアメリカ人」の検討・論議に、古モンゴロイドという用語を使用して議論すれば混乱です。また、東部のアジア人の元となった始まりの「基盤アジア人(BEA)」という概念も「古モンゴロイド」では全く誤解の元です。
④近年のDNA分析と遺跡の考古学分析などを総合すれば、米新大陸への第1波移住主体として注目されるのは北海道祖人Sojin(縄文の前)を含むBEA/南方インマレイド系・ASEAであり、中間の台湾東部沿岸の先住民Amiが南米と類縁であることも重要です。伊豆祖人が、黒耀石を神津島に求めた最古の生業航海は、「沿岸ルート」の重要な実証です。
⑤欧米から出て来ない最新の結論は”DNA親戚”の南東アジア系ASEAが主体の第1波(近年論議のメキシコ3万年前、アマゾン2.7万年前遺跡を含む)であり、おそらくベリンジアでシベリア民ANEAと混交(南米に微弱痕跡)し、米新大陸の西沿岸南下のフネと海産物食からの内陸への移住拡散が文化基層(おそらく言語基層も)という事でしょう。

最新成果を周回遅れの教室の議論にー日本祖代研究会(RSoJS) #祖人

先ずは日本史の始まりに注目し、展示の税金は“日本の”教室含め文化貧国の抜本改革に!
近年、欧米学者は、旧人であるネアンデルタールやデニソワ人に関心を向け、そのホモ・サピエンスとの交雑にDNA分析の努力を指向しており、先進的な研究に遂に画期的なノーベル賞を与えています。
しかし、現生人類の「祖先はアフリカの黒人」であり、旧人の影響が1~4%混じり遺伝的影響を与えていると言っても、まだまだアフリカでの最初の新人、海辺の最初の新人、最初の日本列島人、「最初のアメリカ人」は未解明であり、現状で優先すべきは南米に残る「第1波先住民Population-Y」の分析による解明努力なのです。

こういう調子では、デニソワ旧人の石器が日本列島でハッキリ見つかり断定されれば大騒ぎとなりそうですが誤解の元であり、彼らは我々の祖先ではアリマセン。

➀近年のDNA分析研究で、アンダマン諸島やマレー半島、ベトナムの先住民と(祖)縄文人が”親戚”類縁であることが明らかとなり、現生人類(インマレオイド)が南方から北上し日本列島を北海道以北へ拡散した状況をNHKが報じました。

②4.2万年前には曙海北部の沿岸民家族が対馬海峡を越え(約35km)て対馬から北部九州に至り(五島~壱岐~出雲は陸続き)、祖人は沖縄まで(今地震で注目のトカラ越え)3.6万年以前に拡がりました。

③4万年前という大昔の日本史始まり時代の5W1Hが推定出来るという世界の驚きは、島国だから こそであり「我は海の子」と共に、コレを先ず子供たちに教えねばなりません。

④貴重な黒耀石を求めた世界最古の伊豆の生業航海(東京・神津島への行き来)も実は最初に朝日新聞が報じた謎ではアリマセン(当時の海水面低下で陸地が増し実質最長20km越え。今の黒潮分岐流もなく男だけの航海で、始まりの対馬越えより容易)

広域交易は⑤知れば東京小平・鈴木遺跡には世界の驚きであり、祖代の”新宿”の賑いでした。その重要性に比し、展示場・内容(質は充実)は予算が使われていない「文化貧国」を示すもので誠に残念です。

⑥当時の東西方向からの北上民の賑わいの青森・陸奥平野(当時の標高は今の四谷・迎賓館くらい)(海中の遺物調査を)は、広域活動で更なる北への発展の基盤であり、その後の縄文の最古土器も三内丸山も当然と納得です。

⑦言われてきたマンモス・ハンターの痕跡などは無く、北海道祖人は今や世界注目の「最初のアメリカ人」候補なのですが、ここでも予算が投じられず、ロシアやアメリカとの共同研究をリードすることも、明治時代の先達である坪井・鳥居以来の貴重な研究遺産は、埃を被ったままの残念な状態で放置されています。200億円ウポポイ展示館での一挙公開を、世界が待っているのです。

―日本祖代研究会(RSoJS)

#祖人

今、緊張が高まる東部アジアで「インド・太平洋構想」が唱えられていますが、歴史を顧みれば万年前の始まりの現生人類拡散の時代から「アジア地中海」は重要な役割を果たし、その痕跡は歴史時代にも引き継がれています。

図右:Harvard医科大が東南部アジア・豪州と中・南米の驚きのDNA類縁の発見において、注目の台湾東部海岸の先住民Ami族は鍵ですが、当時大きく伸縮した「曙海」西岸の沿岸を現生人類が北上拡散したと考えられ日本史にとって極めて重要です。

図左:東部アジア現生人類の“揺り籠”スンダランドと北上したアジア地中海沿岸における人の拡がり・基層となる文化の繋がりに注目すべきです。海岸線が時代により大きく伸縮した「曙海」は、拡がり史が東西南北の沿岸民の親和性を示す種々の痕跡が歴史的にもみられます。重要な稲作や鏡の文化、徐福やユダヤなど渡来人の日本古代史への影響があり、また、九州大噴火による西岸への避難移住・後の出戻りも重要な解明すべき課題です。今、国際緊張で世界が注目する「インド・太平洋構想」の時代に、原点のアジア地中海史観に光を当て、出でよ!アジアのブローデルと期待が高まります。

フェルナン・ブローデル(Fernand Braudel、1902年8月24日 – 1985年11月27日)は、フランス歴史家経済状態や地理的条件が世界史において果たす役割に注目し、20世紀歴史学に大変革を起こした。アナール学派の代表人物。「地中海」を刊行。

周回遅れの教室にアジアの地中海史を―日本祖代研究会(RSoJS) sunda-wind.net #祖人

AI時代に注目です。寒冷適応のためシベリア南で身体変化した「モンゴロイド」(2.5-1万年前以降、Dr. Howells)が未登場で、南方の印アンダマン諸島Ongeやマレー半島のManiqのような現生人類の第1波「インマレオイド」が北上・時計回りで南米南端にまで拡がった約2万年間のインマレオイド時代は、日本史にも関わる重要な文化「最深部」であり解明は重要です。

➀台湾東部沿岸の先住民Amiと中米コスタリカのCabecarがDNA類縁であることは、万年前の多くの家族の太平洋横断は有り得ない事(イースター島は1500年前)から、北回り移住を示しており重要です。OngeやManiqなどの南方第1波インマレオイド(「古モンゴロイド」名称は、ジンギスカンに肝を冷やした欧州学者の蔑称ともいえる不適切な命名)が、北上し時計回りによる南米南端までの移住という訳です。

➁これまで北米先住民とDNAが合わず無視されて来た祖人Sojin(縄文の前)は、重要なOnge、ManiqとDNA類縁の関り(東京大 太田教授)で脚光が当たり、現生人類移住史の一筆書きの一環のルート上であり、かつ、亜寒帯入りした着衣などの変化がある重要な結節なのです。日本史の始まりを北(樺太)、西(朝鮮半島)、南(黒潮横断)の3方向から人々が渡来したと言う巷間(教室、博物館、書籍等)の説明は、3方向の時代が新しくバラバラであり誤解を招くもので止めましょう。また、用語が無いために、内外のなんでも縄文Jomon(2代目、未登場)(時にAinu)と言うのも終わりにする必要があります。

③北米ニュー・メキシコの2.2万年前の足跡発見で、更に定説崩れの「最初のアメリカ人」問題において、欧米学界は数千年到着が早まったと騒ぐよりも、青森・北海道祖人を含めて「Who」を検討すべきです。内陸回廊の閉鎖問題で西沿岸ルート説が高まっていますが、欧米イメージのシベリア狩猟族が初めて出て来た北の氷海(30分つかれば死)で、フネを造り海産物を食す海民生活にモデルなしに適応するのはムリでしょう。

④先ずは、はっきり活発な議論ができる「祖代Sodai」・「祖人Sojin」の学術用語の制定と世界発信で、大雑把な誤解(Jomon, Ainu)を正す事から始めましょう。

周回遅れの教室は最新の状況を―日本祖代研究会(RSoJS)

#祖人

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