北海道白滝石器群の国宝指定で注目の日本史始まり時代は左図、多様な用語がありますが、結論的に始まりは約4万年前からの祖代Sodai・祖人Sojinの用語が適切で、2代目の縄文Jomonに繋がります。

明治時代の文明開化で、お雇い外国人学者の(米)エドワード・モース(日本考古学の祖)が紹介したダーウィンの進化論は、「猿から人へ」の受け止めで学界に衝撃を与えました。大森貝塚の発見や北海道の竪穴住居はプレ(前)・アイヌと主張し、科学的な人類・歴史考古の学の扉を開き、この刺激で図下、東京帝大の坪井教授(日本人類学の祖)は、プレ・アイヌについてアイヌ伝承のコロボックル(蕗・ふきの下の人の意)を学術用語とし、当時の学界は日本史は4千年くらいと考えていましたが、真実探求の活発な議論と学会を興したのです。弟子の鳥居龍蔵による北千島の現地調査(明治32年)報告から、彼の地の人々はコロボックルではないと世に広まり、その後コロボックルは可愛い蕗の下の小人としておとぎ話になって大正時代に巷間の人気になりました。鳥居自身は、その後の研究も踏まえ大正6年に北千島の人々(6千年前の縄文痕跡も確認され、留頓・ルートン・Routonと仮称)はコロボックルであるとはっきり師の坪井説を認め訂正しましたが、最初に広まった巷間の誤解は今も続いていて学術的に採り挙げられていません。図右上、祖代の期間は日本史の60%(教室で語られぬ宇宙のダークマターのよう)で、人と文化の基層として、「縄文文明」と言われるようになった今、重要です。最古の痕跡は、伊豆・神津島(当時は海水面低下で恩馳も含む)から生業航海で採取した黒耀石が3.8万年前、長野高地石器3.7万年前、沖縄人骨3.6万年前、熊本石器3.5万年前などから、沿岸民の家族が対馬海峡を渡海した日本史の始まりは約4万年前からの列島拡がりというのが学界認識で、北海道は3.5万年前後です。

他方、日本には無いとされていた旧石器が戦後、相沢忠洋によって群馬・岩宿で発見されて国際意識の幕が開き各地で続々と発見され、時代と人の名称・用語に使用されるようになりました。しかし実は、英語にすれば世界と期間は違って誤解を与え、後期旧石器としてもそもそも日本固有の歴史なので新石器時代が縄文に含まれて合わず使われず、当然にして縄文、鎌倉、江戸などの他の時代用語と合わない違和感であり、また、用語が長すぎて教室での説明・議論にも不適で低調な一因となっています。相沢忠洋ゆかりの「岩宿」も学術名称にすれば、沖縄人骨や白滝石器を岩宿人で語る混乱となることから、沖縄祖人、白滝祖人が適切です。伊豆の海で世界最古の生業航海をし、大規模な陥し穴猟や環状キャンプで世界より万年早い磨製石器を製作していた祖人は、海民性・製作技術力・社会性を示し、毛皮のパンツに槍を持ったひげもじゃイメージの「原始人」ではアリマセン。今、祖人は北海道から北上を継続して、人類史注目の「最初のアメリカ新大陸移住」に関わった可能性が挙げられるに至っていることなど、世界を視野に誤解無い固有の確立と説明が国際的であるとして定めるべきです。これらのことを教室に、世界に。

図左、先般、国宝に指定された白滝石器もさること乍ら、「動物を狩る道具を越えている」と言われる神子柴石器(正に石器の神の子、マラドーナ、メッシ)はその仕上がりと共に始まり祖代と次の縄文の端境期に出現していて繋げる地位にあることが重要です。

何と言っても、祖先を知る上で静岡の浜北祖人、浜松・蜆(しじみ)塚縄文人も同地域で繋がっており、発掘が豊富な沖縄では多くの祖人と縄文人の発見が歴史を繋げ、顔の復元で南方系のイメージが得られていることも重要です。そして図右、約4万年前からの始まり時代を語るために、時代と人の名称が英語にしても誤解無く、正しく分かり易く議論しやすい言い易さが重要です。制約の中で近代科学の歩みを始めた明治の開花時代にコロボックルの語を案出し、真実追求に熱い議論を戦わせた先人の尽力に思いを馳せましょう。国際語の旧石器Paleolithicは誤解を招き、時代・人を表す日本語ではなく、縄文Jomon(特別に文明・時代・人)、江戸Edoなどと合わないです。フネを造って家族で対馬海峡を、黒耀石を求めて伊豆の海を生業渡海し、大規模な陥し穴猟をしていた祖先は、原始人ではアリマセン。話題のアイヌは、13世紀からで縄文直系ではないですから、内外に誤解のない説明が必要です。教室で教え、世界に発信です。

縄文Jomonの前、祖代Sodaiからの遺跡の遺物である北海道遠軽の白滝石器群が国宝に指定答申される遥か前から、北米最古級のクーパーズ・フェリー先住遺跡の石器が極めて似ているとの学術研究が既に発表されていました。

実は、伊豆からフネで世界最古の生業航海により求めた最古の黒耀石(3.8万年前~)で知られる東京・神津(恩馳)島の物と長野(最古級の香坂山高地遺跡3.7万年前を最近発掘)の和田峠の物が、遠く離れたさいたまに届いており、その中の尖頭器と白滝モノは似ています。白滝の方では、現生人類・祖人が北上を継続した基盤である「道東ゲートウエイ」遺跡の中心ともいうべき帯広で、今も黒耀石(昨年、1.5万年前の物)がザクザク発掘されて話題となっており、他方、長野には何と言っても祖代の至宝、驚きの神子柴石器などがあります。さいたま(伊豆・東京・長野)―白滝・道東―クーパーズ・フェリーは友達の輪?!という不思議発見(もう、ダサイなんて言わせない)です。今や文明と呼ばれる縄文Jomonは一日にして成らず、なのです。教室に、世界に。

前回報告の「(夢の)日本の始まり大企画展」に図左、ミトコンドリアmtDNA(母系)の注目すべき状況の出品です。

それは現生人類の拡散において、北米ニューメキシコで2.3万年前の足跡が発見されて最後の謎ともいうべきアメリカ新大陸移住問題の定説が崩れ、種々の事が新たな光で検討されています。そういう中で、アメリカ大陸太平洋沿岸部(西岸)に残されたmtDNAハプロ-最古Dが、北米始まり時代の大氷床の直ぐ南であるコロンビア川流域に、また、南米南端部パタゴニア地域に図のように残されていますが、なんと関東縄文人はDが最も多く、これらと類縁なのです。従って北太平洋・昆布ハイウェイ(Kelp Highway)を、ず~とフネで北上して移住して行った可能性があるという事です。無論、大陸の種族が関東縄文人に、アメリカ西岸先住民に影響した可能性もありますが、何しろ祖人Sojin(縄文の前)は北部九州への家族渡海が始まりで、沖縄へのトカラ越えや伊豆の海での生業航海の海民ですから、マンモス・大型哺乳動物狩猟族とは明らかに違い、沿岸ルートに光が当たる時代は注目されます。そういうこともあってか、図右、アメリカ新大陸移住問題において日本の教室とは全く違って、日本がさらに具体的になって北海道の関わり可能性があるとして登場している動画が近年、続々なのです。①は最新で人気が高く、コロンビア川域遡上の米先住民Nativesの古い言い伝えをインタビュー紹介してクーパーズ・フェリー遺跡が重要と着目し、北海道と石器が極めて似ているとするオレゴン州大Dr. Loren Davis の研究を紹介しています。②は近年のDNA分析成果と考古学発掘成果を総合的に検討し、アジアからのmtDNA-ハプロDは最古第1波(ハプロA,B,C,Xは後)で重要であり、また、アボリジニや日本人が5万、3(4)万年前にフネで渡っている事を挙げ、カリフォルニア沖チャネル諸島の 人骨・遺物が内陸のクローヴィス文化とは違う、南米最古のモンテ・ヴェルデ遺跡で20種の海藻が見つかっているなどの海民性からも、Dr. Edwin Barnhart 個人的には沿岸進入ルートだろうとししています。

③では、北米氷河期の無氷回廊の開く13,000年以前の北米にメドウクロフト遺跡19,000、南米のモンテ・ヴェルデ遺跡14,800年前など複数あり、人類は4万年以前に豪にボート(カヌー)で渡っており、 カムチャッカから 沿岸ルートで海産物と陸性動植物を得ながら、新大陸へは2.5~2万年前に入って沿岸を南下して行っているとしていますから、日本は北海道は出発地(「道東ゲートウェイ」)候補です。いずれにしても、日本の教室は、この問題を全く扱っておらず、扱うための祖代の祖人Sojin(縄文人の前)などの用語もないのが問題です。また、関東縄文人やアメリカ先住民にミトコンドリアmtハプロ-Yは見られませんが、アムール河口地域人はそれが60%を超え、アイヌは20%ですから異質であって縄文直系ではない学術内容も教えず誤解を放置しています。生徒・学生に教えて周回遅れを取り戻し、世界に日本の大企画展の状況を発信です。

始まりは約4万年前、曙海の畔から北部九州への家族渡海ですが、数十mの海水面の上昇で沿岸遺跡は今や海面下で、 ① 始原の遺物は数ケ所の熊本遺跡群からです。

②九州西岸~鹿児島からトカラを渡海し3.6万年前に沖縄の山下町洞窟に達しており、石垣島・港川そしてうるまの縄文人へと時代的な繋がりが見られます。北南からのいずれにしろ、大昔の南方系である曙海畔の人々(北インマレイド)と考えられ同様で、海民の世界発見最古の釣り針(2.3万年前)も出品です。③北部九州から東進した東海地方では、最古3.8万年前の伊豆から神津島への生業の航海や愛鷹山麓の遺物、祖人のレベルの高さを示す陥し穴猟の跡、浜松祖人・縄文人骨の時代的な繋がり遺跡群が人の面の実証で支え、隣の愛知・伊川津縄文人が南方系という納得の示唆をDNA分析で与えています。初めて日本列島祖代の人類痕跡を世に知らしめた群馬・岩宿、アメリカ先住民インディアンのような栃木・佐野の環状キャンプなど多様豊富な関東出品があります。➃当時は数度気温が低かったので仙台に海獣がいて北海道の暮らしの予行が出来た東北、太平洋側と大雪の降らなかった日本海側から北上した祖人が、陸奥平野の賑わいの青森に物見台と丸山などの祖代遺跡を残し、大間、竜飛の両方から狭かった海峡を越えて北海道へ行ったのでしょう。最古土器や芸術品の土偶など、北海道の千歳・道南への拡がりと世界遺産の充実の縄文へと繋がり続いていきました。⑤ 祖代からの 道内最古遺跡の帯広は、最近も縄文草創の黒耀石がザクザク発見され、「ゲートウェイ道東」から北の1.国宝指定の遠軽白滝と留まる理由もなく昆布ハイウェイの2.千島列島へと北上を継続したのでしょう。

北千島は6千年前の痕跡を有し、明治時代の先達である東京帝大の坪井教授、鳥居助教授(大正6年に見解修正)がコロボックルであるとした遊動海民の留頓(ルートン)は、カムチャッカ南南部が居住の主体だった事が研究(北大 高瀬克範)で明らかとなっており、かつての陸峡ベリンジアはまあ指呼の間で、最初のアメリカ新大陸移住問題が賑やかな現在、昆布ハイウェイ上にあって注目されます。何と言っても馬場・鳥居コレクションや大学の所蔵品、幕末の外国品を含めてあまり知られていない重要な多くの遺物が、世界に本格初公開となります。なお、13世紀からのアイヌは内外に誤解がありますが、本件祖史の論外です。そして、⑥特別出展は、今、関わり可能性が注目される南北新大陸の重要遺物で、沿岸から河川を遡上した北米最古級のクーパーズ・フェリー遺跡及び南米最古モンテ・ヴェルデ遺跡から20種の海藻含む遺物が、南米最古ブラジルのルチア人骨も顔面復元像と共に登場です。

学生・生徒は入場無料の授業としての見学としましょう。

何故、①日本史は、実証的には列島の中央から始まるのか?静岡東部の石器等の遺物、伊豆の海の世界最古の生業航海や長野高地からなのか?

人類史を俯瞰すれば、南方の考古遺跡とDNA分析から出アフリカ後の南方インマレイドの北上と分かり、②沿岸系の方が対馬へ渡るルートとして可能性が高く、海民家族の北部九州への渡海です(「大陸、半島からやって来た」は誤解で、曙海の畔からです)。にも拘わらず、1万件を超える祖代遺跡が発掘されているのに、4万年前頃の遺跡が何故九州で見つからないのか、最古熊本遺跡も発見年代は南下して行った遥か先の沖縄と同じという遅れです。それはその後の数十mもの海水面の上昇の為で、今は海面下の沿岸の海民の暮らしぶりだったからと理解できます。この事は、アメリカ先住民が示していた沿岸の暮らしが、海水面を上昇させ万年の時を経過させればどうなるかを考えれば分かります。つまり見つからないから教室で扱わないというのは誤りで、海民の沿岸の暮らしぶりだっただろうと教えるべきなのです。見つからないことが、別な重要な事を示していると教えるべきです。他方、見つけた事では、南米最古遺跡で20種の海藻が発見されている暮らしぶりなので総合すればよく理解できるのです。では③北はどうでしょう。九州と同じように痕跡が発見されていませんが、こちらは、俯瞰した北ルートのアムール河口・樺太の始まり時代痕跡が無い状況は、来なかったからなのだろうと推定されます。巷間本では北からを匂わせ或るいは南北を曖昧にしているのも見られてきましたから、来なかったのだろうと教えるべきなのです。始まりの白滝への道は、列島中央部から東西合一の青森・陸奥平野の賑わい~道内発見最古の帯広遺跡~道東端~白滝における黒耀石の利用状況分析から道東沿岸地域を北上し湧別川の河口に至り、そこでの十勝石(黒耀石)発見から遡上して行ったのだろう、不定形・簡単加工の石器が重要なのだと教えるべきです。

この日本史の始まり時代の特色のキーワードは渡海です。フネを作り、 海で 25~40kmを操作し活動しうることは原始人ではアリマセン。毛皮のパンツにヒゲもじゃで槍持って野山で動物ハントする教室でのイメージを変えましょう。植物、魚介を食し女性が大きな働きをしていたイメージも加えましょう。この渡海民イメージ・フネ人(伊豆の生業航海は世界最古)を、発信しましょう。「われは海の子」を必修とし努めて独唱のレベルへ。

石のみならず 歴史的に意義深い①人骨、②活動に光を!

図左下、愛知・伊川津縄文人が「日本人どこから」の起源(場所的)の方向性を示しており、1万件超の遺跡が示す北部九州からの北上(沖縄南下)史にあって日本列島中央部の浜松において始まりの祖代、縄文・・と時代的に連続性を示している根堅・蜆塚の古人骨があります。また図右、伊豆の海における世界最古の生業の往復航海及び山麓では最古石器や100を超える陥し穴の設定による猟など知力・技能・社会性の古さを示す活動が見られ、それらの意義は大きい(原始人は誤解)です。この地域で集中的に発見されており、日本先史の認識及び現生人類初期のアメリカ新大陸移住問題への関り可能性からも意義深く、世界遺産登録に相応しいものです。歴史を科学する、日本考古学の祖であるエドワード・モースが、北上した北海道の遺跡について「プレ・アイヌ」と断じ、 また、制約の中で熱意をもって日本先史の探求に尽力された東京帝大の坪井教授などの先達に光をです。 13世紀からのAinuとは異なるので内外の誤解は正すべきです。教室に、世界に。

  

巷間本に左上小図、南米に至るまで移住ルートの矢印が示され、日本列島ルートも候補と言えるもので祖代研究会(RoPJ)と同様の説となっており、支持できる内容です。

ベリンジアへのルートも崩れたこれまでの定説Bの「シベリア方向」とせず空けてあり学術的で、DNA分析から時期はベリンジアに2.4万年前頃、進入規模は5千人という数字が、米ニューメキシコ足跡発見衝撃の時代に大変有意義な尺度を与えます。進入後の南下も「無氷回廊」説と「沿岸南下」説の後者を示唆と指摘し納得できるものです。そこで拡大図で祖代研究会(RoPJ)が細部コメントすれば、第1にルートは大区分でAとBであり、A-1、A-2、B、混合を含めて4説の黒枠コメント内容となり、ここで言語学的にはA-1、A-2と説を唱えられた松本博士の慧眼は、当時B説主流であった世に埋もれていましたが光が当たっています。留意すべきこととして、アフリカを出たのは黒人であり、東進後の時間経過と新環境適応で「インマレイドInmalaid」(仮称)に変化したと考えられます。そして緯度を北上により亜熱帯を越えたことは大きな状況変化と適応と認識すべきで、未だモンゴロイド化(2.5-1万年前、米ハーヴァード大Dr. Howells)はしていなかった時代の変化(DNA分析でも分岐が多く発生)した「北インマレイド」のA-1、A-2であったという事です。なお問題は、図中の赤枠「縄文人は最初の東アジア集団の子孫」説明は大げさな奇異です。2代目ですから先代・初代の祖人Sojinの子供であり、何処から来たのでもない日本列島で生まれたものです。

そこで教科書の後期旧石器時代の「後期旧石器人」とでもすれば、世界語であって国によって時代が異なり、縄文・平安・江戸などと合わない違和感となる不適切です。また、日本史の始まりが「大陸・半島から来た」は誤解で、「曙海の畔・北東亜平野東岸」から「家族が渡海」した事実は近隣食の成り立ちと異なりその後に影響ある大変重要なことです。右図、内外でこれまで説明の無いA-1北海道ルートについては、当時の青森・陸奥平野の賑わいを基盤に、3.5万年前後には北海道に適応しました。道東ゲートウェイから北上、白滝遺跡の黒耀石は国宝指定答申、礼文島縄文人と犬は南方系の痕跡、最大約75kmの海を越えて行った北千島は少なくとも6千年前からの痕跡で十勝石(黒耀石)の利用や有柄・有茎石器が見られ、そこの「余程古い、コロボックルである」(東京帝大 坪井正五郎、鳥居龍蔵)遊動海民の自称であった「留頓・ルートン・Routon」(仮称)は、カムチャッカ半島南南部にまで進出していて、むしろ向こうが主体であったことが明らかになっています。更に北に進出していてベリンジアは指呼の間、新来のシベリア勢力に押されて後退して来たとも考えられる重要な参考痕跡です。

実は日本の教室が、1万件超の遺跡に支えられて太古にしてはよく分かっている祖代の内容を採り挙げず、世界の人類史論議に周回遅れなのは、説明と議論ができる用語が無い事(祖代Sodai、祖人Sojin、曙海、北東亜平野、留頓、最初のアメリカ人など)が大きな原因で、それを「よく分かっていないから」と逃げていると言える惨状です。他方、Ainuが彼らの伝承で美しいと入れ墨を真似た北千島の留頓コロボックルとは違う対象外の13世紀からのことであるのに内外において登場してしまっている誤解は改善すべき問題なのです。教室で説明と議論を、世界に発信を。 

北方でビタミンDが不足すると、知られていなかった近代でも深刻な病気になる悲劇は多数起きていますが、当然にして万年前の始まり祖代において出アフリカから極北に至った人類も直面した大問題。特に最終氷期最寒期(Last Gracial Maximum)のシベリア―アラスカを繋いだ陸地ベリンジア(Beringia)では、寒く暗い日照の乏しい状況であり、「北インマレイド」の膚はメラニン色素が濃かったでしょうから太陽光線の皮下取り込み量が不足しがちだったでしょう。

ところが 図右①、 近年の研究で、胸の乳腺等が進化してビタミンDの多い母乳を赤ちゃんに提供できるお母さんが登場し、新生児が環境に適応して生き残り、その種族が拡がり繁栄したと考えられる科学的な分析による説は納得しうるものです。となれば②、そもそもビタミンDの多い魚を、摂取効率の良い海藻、海獣脂肪や海鳥卵などを食べることは重要な事となり、③太平洋沿岸のKelp昆布Highwayルート(図のえんじ色)が注目されます。南米赤枠の有名なモンテ・ヴェルデ遺跡(14,500年前)では何と20種の海藻(欧米では海の雑草)を食していた痕跡が発見されているのです。勿論図左(前回説明)、曙海畔から北部九州への渡海で始まり、周囲えんじ色で染まる列島中に拡がった祖人Sojinが注目されます。3.8万年前に伊豆の海を行き来した祖人Sojinは、青森・当時の賑わいの陸奥(湾)平野から狭かった津軽海峡を越えて「道東ゲートウェイ」から千島・樺太へと北上したと思われ、アイヌより「余程古い」「コロボックルである」(東京帝大 鳥居龍蔵)遊動海民の留頓(ルートン)という、カムチャッカまで進出していた痕跡のある魚介食の民である日本列島ルートの可能性もこのビタミンD説で補強されます。生徒に教え、世界に発信、国際共同研究の推進を。

6月8日は世界海洋デー。現生現生人類移住史における最後の謎とも言うべき「最初のアメリカ新大陸移住」(FPAC)問題は、2.3万年前の米ニューメキシコにおける足跡発見で定説が崩れ見直される中で、Kelp昆布Highwayの日本列島ルート説が登場。豪州への移住等とともに海を越えた祖人Sojinの種々の事象が示す知力・社会性に注目です。

実は、国宝指定答申がなされた遠軽白滝の黒耀石に匹敵する始まり祖代(縄文Jomonの前、一部関連含む)の世界的にも重要なモノ・コトが数多くあるのです。そもそもの始まりが曙海の畔から30-40kmの対馬海峡を約4万年前に家族で越え、沖縄から北海道にまで列島中に拡がりました。3.8万年前には黒耀石を求めて伊豆半島から神津恩馳島(当時は陸続き)に行き来していた活動が世界最古で、南ではトカラ列島を越えて山下町洞祖人などが、世界では一般的に難しいとされる離島で暮らしていて特筆されます。津軽海峡は若干狭かった上に陸奥湾が平野だったので多くの人の賑わいがあったことでしょう。竜飛岬のみならず大間崎が道東へは近く有り得たことでしょう。そして何と言っても万年の経過で残存が難しい「フネ」は重要で今後の解明課題ですが、アイヌ(13世紀~、入れ墨の先住コロボックル真似というアイヌ自身の幅広い伝承)より余程古いコロボックルだとされ(東京帝大助教授 鳥居龍蔵)、6千年前の縄文遺跡(米Dr. Ben Fitzhugh)人などの子孫かと考えられる北千島・カムチャッカ南南部にまで進出していた(北海道大 高橋克範)遊動海民の留頓(ルートン)の製作した流木舟は、海を越えるために種々の工夫をして作られた点において参考になり注目され、伊豆祖人(フネ:丸木舟説、海獣皮説)の子孫のモノ・コトとして納得できます。なお、南米への最初の移住も始まりは太平洋沿岸を舟で南下と考えられており、解明は世界的にも重要です。ともかく祖代・祖人の用語を定めて周回遅れの教室で語り合い、世界に発信、国際共同研究の推進に努めるべきです。

何事も始まりを知らずにその後の史的発展を真に理解することはできませんし、問題多い現代に温故知新が求められます。祖代・祖人Sojinという「用語が無い」ために、教室で説明・議論されることが殆どなく新聞テレビも報じない日本史の重要な始まり時代。約4万年前からの初代である「祖代Sodai」約2.4万年の基層、次の縄文時代1.3万年を合わせた習俗文化の基盤は、日本史期間の92%の厚みを有しているのです。

さて右図、世界の現生人類移住史の最後の謎とも言うべき「最初のアメリカ新大陸移住」(FPAC)問題において、出アフリカ後の東部アジアへの東進―北上・亜熱帯越え―モンゴロイド化後の今も続く南下という歴史の中、始まり時代の日本列島ルートは、注目されてきています。そして、これに関わる主に祖代の重要な事象として左図15例が挙げられます。いずれも考古・DNA学者は「そんな事知っているよ」と言うものですが、日本史はもとより世界人類上も内外にあまり知られていない一つ一つが重要なコトなのです。更に例えば右図、”歴史上のノーベル文学賞“である紫式部、清少納言が何故1000年も前に登場し得たのかは、92%の基盤を理解することなく説明することはできないでしょう(巷間のフェミニストは、日本文化の認識不足。日本女性の60%は再び生まれる時も女性がいいと言ってます)。民主主義は、選ばれる議員の高いレベルと有権者が知らされていることが重要です。多様な行政、地域興しに当たる地元の先生に幾つ知っているか訊いてみましょう、お爺さんお婆さん有権者にはオリンピックや紫式部がと言って教えてあげましょう。それにしても局部磨製石斧をネットで売り買いとは余りに酷過ぎます。-日本祖代研究会RoPJ(Researchers on Proto-Japanese)

図右、米ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見は、「最初のアメリカ新大陸移住」(FPAC: The First Peopling of American Continent単数)問題について、近年の考古学やDNA分析等を踏まえて考えれば、単に祖史を数千年遡らせるだけでは無い幾つもの見直しと検討を迫っています。

図右、第1に欧米では大西洋ルートとの対比で、シベリアから”陸橋“ベリンジアを経てアジア人が入って来た事が今や自明となり実質的に決着しました。その「シベリアから」は、マンモスを追ってモンゴロイドがやって来たというものでしたが、マンモスを大型動物やトナカイと修正したとしても疑義が生じています。それは、ベリンジア直前のシベリア東端に至る南回りと北回りという問題です。現状は巷間のDNAの拡がり図でも北回り図が主流となっていますが、南米をよく見たDNAや考古学等 の分析から南ルートでしょう。先ず新旧と区分しているモンゴロイド用語問題です。東部アジア祖史は、出アフリカから東進しインド亜大陸を経て南方へ、そして北上に転じシベリア南部で寒冷適応の身体変化をしてモンゴロイド化し(第1段階)、今度は南下して東南アジアにまで拡がった第2段階という「ローラーが往復したかのような構造」にあります。この第1段階である現生人類移住の「往きのローラー」が北上を継続してシベリア東端にまで至ったのが南回りルートであり、日本列島の種々の痕跡はその中で重要な意味を持っていますし、始まり時代の日本祖史もその中で位置づけ認識せねばなりません。そして亜熱帯を越え裸体・野原で1年は暮らせない「北インマレイド」の図のような豊かな参考に満ちた南回りの諸事象に比し、一方の北回りは出アフリカ後に黒人が北上した後、どのように人が変化して2.5万年以前にシベリア東端に行ったのか、実はイメージは示されておらず様相がはっきりしていないのです。

第2に図左A図、マンモス・ハンター説ですが、実験考古学によってマンモスの厚い毛と皮膚に対する北米で発掘された石器による実験から、巷間の大槍持つ数人がマンモスを襲って狩りする図は否定されています。またB図、2.5万年以前にシベリア東端に至った人々は未だモンゴロイド化していない人々でしたので、巷間のモンゴロイドが槍担いでベリンジアを越えて行く図は、有力な沿岸進入説も登場しており、誤解の元です。そして図右で詳説しますが、そもそも東部アジア祖史は、出アフリカから東進し南方・スンダランド地域に拡がり(豪州にまで)、海川岸域・マングローブ・熱帯樹林・草地・山麓等の種々の環境と時の経過で黒人が「インマレイド」化(これを旧モンゴロイドと称したのが誤解と混迷の元)し、北上して裸体に近い状況で暮らせる亜熱帯を越えました。シベリア南部に至り(西方からの種族も交え)、寒冷に適応して身体が種々の変化を生じて2.5-1万年前頃にモンゴロイド化(Dr. Howells, Harvard大学 )した第1段階(往きのローラー)。次に、このモンゴロイドが南下(東西・北にも)して東南アジア地域にまで拡がって行った今も続く第2段階(復のローラー)、即ち「東亜往復構造」を認識すべきであり、日本人2重構造説も単なるその一部なのです。重要な事は、亜熱帯を越えた事と時の経過で変化したと考えられる日本列島人が含まれる「北インマレイド」で、新旧モンゴロイド区分の問題点はこの重要な点の認識が曖昧で不十分な事です。

巷間の先史書の問題は、当時の状況は今と環境を全く異にしていた事をよく認識していない問題です。散在する湖沼と河川網の「北東亜平野」(今の東シナ海一部・渤海・黄海で、朝鮮半島は無く朝鮮山地であったので、巷間の日本列島へは朝鮮半島から来たと言うのは誤り)及び時代により伸縮した「曙海」の畔、日本列島、おそらく樺太・千島、アムール川地域などに北インマレイドが拡がっており、北上を継続してシベリア東端に至ったと考えられるFPACの最有力候補なのです。DNA分析においても、アメリカ新大陸特に南米先住民との類縁性をはっきり示していて、明らかに古いミトコンドリア母系ハプログループDを欠く北上黒人の北回りとは大きな違いです。日本祖史の最古の実証活動の痕跡を残す伊豆祖人、沖縄・静岡愛鷹・長野などと共に静岡浜北祖人が、隣の南方系の伊川津縄文人と仲間の浜北縄文人に同地の遺跡で繋がっている事が重要です。即ち、始まりの祖人と南方系を示す縄文人との繋がりで、先人たる祖人の南方系性をも補強しているのです。最後に図左、大きな問題が祖史を世界にも説明し教室で議論する用語です。人類史、日本祖史上の始まり時代として、重要であるにも拘らずよく知られていません。実は教室でFPAC問題が論じられない周回遅れの状況の原因は、用語にもあります。海外では日本の始まりを縄文Jomonと受け取れる紛らわしい誤解すらありますし、日本の教授やSNS動画でも「縄文人は何処から来たのか?」と愚問を発しているものがあります。2代目ですから、日本列島に決まっています。

さて図左下、日本祖史を表現する用語ですが、「日本原人」は現生人類・新人を扱っていますからダメです。「ヤポネシア」(人)では、生徒は縄文人の親は異質な外国人かと誤解します。「先土器人」では、始まりが青天井で不明です。ではそこを明らかにと「後期旧石器人」としても、世界語であるので国よって時代・期間を異にしていて英語にすれば誤解され、対の語である新石器人は縄文人に溶けて日本史には出てきません。そもそも、縄文―弥生―古墳・・・江戸、明治と言っている話の始まりが、世界語の「後期旧石器人」では木に竹を繋ぐ違和感であり不適当です。また、用語が長過ぎます。人類史や日本祖史を論ずるのに、生徒が舌を噛みそうなのも適切でないです。結局、世界に知られた縄文Jomonの前、約4万年前からの日本史始まりの祖先は「祖代Sodai」の「祖人Sojin」が相応しいでしょう。Jomonのように世界に理解してもらい定着させるには、祖人Sojinを国内で汎用しJomonの初代誤解も解くことです。教室の周回遅れを取り戻し、世界に発信、国際共同研究による更なる探究の推進です。  -日本祖代研究会(SGPJ: Study Group on Proto-Japanese)

結論的に、今や人類史人類史最先端の研究は日本史最先端の研究にも成って来ています。考古学は関東ローム層の下に、無いと思われた人類の痕跡を3.5万年前の“岩宿層”に発見し、その後の新たな発見に幕を開きました。そして近年、3.8万年前の伊豆の海における黒耀石採取のフネによる活動を、3.7万年前の長野の高地における高い認知力を示す多様な石器群を、北海道・白滝に当時の膨大な宝脈・黒耀石と人工の遺物が発見されて国宝指定に答申され、昨年も帯広で1.5万年前の黒耀石器がザクザクと発見されています。

一方、静岡・浜北では岩宿層・祖代と次代の縄文層の人骨発見による繋がりが明らかになり、これらから約4万年前の「曙海」の畔から北部九州へ家族が渡海した始まりから、沖縄へ南下し陸奥・青森を越えて北海道に北上して拡がった列島史が見えてきました。他方右図北米ニューメキシコにおける2.3-2.1万年前の足跡発見により、人類史「初期のアメリカ新大陸移住史」(FPAC : First Peopling of American Continent-単数)が、数千年遡る事となりました。1.3万年前頃のクローヴィス文化による始まり定説のみならず、全ての北米における既発見遺跡の意義が薄れて、行き着いた南米遺跡が注目されることとなりました。そしてDNA分析によってアジアと南米のつながりが明確になって「何処から論争」に一応の終止符が打たれると共に、舟で南米に南下した始まり説、太平洋岸Kelp昆布ハイウェイ説の登場で、日本と南米のDNA類縁性も注目されることになっています。ここで、これまでアジア(人)=シベリア(人)で終わっていた「何処から論争」は、ベリンジアからアラスカに至るシベリアの東端へ「誰が、何処から」が問題となります。米イリノイ大の研究で、カムッチャッカ半島及びアムール河口・北部樺太の人々は新着の種族であるとみられ、その深層が注目されることとなっています。

太平洋岸ルート説は、既に北海道、日本列島にまで延伸されたものが歴史動画に登場して来ていますが、右図千島列島の北端である占守島には6千年前の縄文痕跡が報告されており(米ワシントン大Dr.Fitzhugh)、また、明治32年の鳥居龍蔵の北千島現地調査から「余程古い」石器使用の遊動海民である留頓(ルートン)の状況が明らかになり、その後、人々は北に逃れた伝説の「コロボックルである」(大正6年)(Corobocle)と巷間の誤った認識を正し、師であり日本人類学の祖である東京帝大・坪井正五郎説の正当性を回復しています。気候や火山の爆発などで環境は厳しい千島列島ですが、処女地の昆布ハイウェイで海獣・鮭・海鳥卵・昆布などの食は豊かでした。次々に島が見えていて最長離隔距離は70-80kmですがフネで行けない距離ではアリマセンし、冬季には接岸の流氷で歩いて行けたと考えられます。重要な事は、近年の研究で留頓はカムチャッカ半島南南部に進出していたことが明らかになり、むしろそちらが主体であって北千島は西であり、正に留頓Routon「ルートンモングル(「西に住まえる人」の意)」であったことが明らかになり(北海道大 高瀬克範)ました。従って、イリノイ大の研究と合わせれば、深層では留頓・祖先が更に北方に進出していて新来のイテリメン・カムチャダールに圧迫されて南下して来た事が推測され、大昔のベリンジア関わりも視野に入ってきます。因みに、歴史動画では第1級の北の海民アレウト族に惹かれるのか、カムチャッカからアリューシャン列島ルートになっていますが、コマンダー諸島からアッツ島へは330kmで人類の家族での初期移住はムリだったと考えますし、ア列島の遺跡の発見からも東から西に拡がったと考えられています。

この点で鳥居龍蔵は、シベリア東端の沿岸民の祖先オンキロンのモノだと言われた竪穴・石器の海岸遺跡に注目すべしと言い置いていますが、驚くべき慧眼の指摘でした。さてこれらの事を踏まえ、近年のDNA分析による左図ミトコンドリア(母系)系統図は、時間的に祖人Sojin/縄文人(Jomon)を、場所的には北海道におけるコロボックル・留頓、北海道ヤマトを加えれば日本史版となり、愛知・伊川津縄文などのDNA分析が強化した南方共通性を主体にユーラシア内陸共通性が加味された特性を有する南方系説、ラインが異なるアイヌに「先住」を付した国会決議に対する内外の疑問がよく理解できます。米ニューメキシコ足跡で人類史の定説が崩れ、今や、世界人類史の最後の謎であるFPAC問題の探求は、日本史の始まり時代から現代に至る北方史の状況の解明が重要であり、人類史に日本史が絡み関わって今後の更なる探求が課題になっているのです。周回遅れの教室で論じ、世界に発信を、です。

米イリノイ大の世界mt(母系)グループ図右の南北アメリカ新大陸の状況は、北米ニューメキシコの2.3万年前の足跡発見によって「初期のアメリカ新大陸移住史」(FPAC : First Peopling of American Continent)問題が数千年遡り、これまで発見されている1万数千年前以降の北米遺跡が色あせ、①行き着いた南米が注目されます。

そのことで本ブログ既述の、1.移住がアジアからであることがはっきりし、2.南米へは太平洋沿岸を舟で南下した、更に北のアリューシャン列島からであると言う説が広く認識(3万年以前のロッキー無氷回廊通過説も登場)されてきています。特に青Dグループが、発見最古釣り針の日本と類縁性があり注目され、この点で、②本州の東西が合流した陸奥平野時代の青森から狭かった津軽海峡を北上した3.5万年前後からと言われる北方史は、最近も帯広で1.5万年前の石器がぞくぞくと発見され、また、祖代Sodai遠軽町白滝の黒耀石が国宝指定答申され、これらに繋がる北海道・北東北の世界遺産である縄文遺跡など重要です。更に北を見れば千島列島は次々に島が見え、冬季には流氷を歩いて渡ることも出来たと考えられ、「Kelp Highway 昆布ハイウェイ」と称される処女地の食の豊かさがありました。米ワシントン大Fitzhugh教授の指摘した千島北端の占守島に縄文前期より早い痕跡があることと共に、東京帝大の鳥居龍蔵がアイヌより余程古い、伝承のコロボックルであると恩師である日本人類学の祖・坪井正五郎説を認めた(大正6年)北千島の石器と流木舟使用の遊動海民である「留頓」(ルートン)は、実はカムチャッカ南南部に痕跡があり、むしろそちらが主体であった(北大 高瀬克範)という正に自称の種族名である留頓に相応しい「西」である占守の人であったことが明らかになっています。

しかしながら、米足跡で定説が揺らいでいる今も欧米学者は、シベリア狩猟族が来たとイメージしているものとみられます(太平洋沿岸ルートは舟に切り替え)。他方、mtグループ図を見ると③カムチャッカ半島のイテリメン・カムチャダール族は、周囲にも東端チュクチや何よりアメリカに全く見られないハプロG(ハプロD、Bよりも新しい東アジア発)主体であり、新しく安住の地を求めてシベリアの方からやって来たことを窺わせ、ニヴフのN9-Yも同様で、カムチャッカ半島、樺太北部・アムール河口は、北東部ユーラシアにおいて他と違う独特のモノで興味深いです。このことから、カムチャッカに居た留頓・祖先は、イテリメンなどに圧迫され後退したとも考えられ、北海道祖人Sojinの北上ルート痕跡を蓋って見えなくしているようでもあります。カムチャッカ半島には、1.5万年前のウシュキUshki湖畔遺跡があり、アラスカと石器の類似性が指摘されてシベリア狩猟族のアラスカ拡がりとして欧米で受け止められてきましたが、FPAC問題が2.3万年前に遡った今、その意義の見直しが必要でしょう。そして北に注目した鳥居龍蔵が、シベリア東端の海岸に石器人的オンキロン( チュクチの祖先、 ベリンジア西端) が残した 遺跡に注目すべしと言い置いたことにも光が当たります。

チュクチはトナカイ狩猟族的ですが、実は海岸にも依然としており、内陸チュクチもともかく海獣を平素食することを強く求めていますので海岸から内陸の暮らしに移行したと考えられるので注目されます。これ等の状況がよく欧米に伝われば、北海道祖人の北上ルートは更に注目度を増すことでしょう。教室に広め世界に発信を。

Peopling of America, Kelp Highway route from Hokkaido!

NA Footprints changed paradigm. ①South America‘s blue mt-D by boat, ②Aomori-Hokkaido-Chishima, Jomon artifacts and Routon Tribe in Kamcatka, ③New people pushed ancient Japanese back?

新入生の皆さん、教室だけではない教育探究型(文科省)の時代には、研究最前線を見てみよう。世界人類移住史の最後の謎である最初のアメリカ新大陸移住問題は、米ニューメキシコWhite Sands における2.3-2.1万年前の足跡発見で歴史を数千年遡らせ、実験考古学が巷間みられる数人が大槍を手にマンモスに襲い掛かる図を否定して、「誰が・いつ・何処から・どのように」の定説が揺らいでいます。

既にYouToubeの歴史動画においてはカムチャッカ半島から「米臨海」を経てアラスカ入りし、太平洋沿岸を南米南端まで南下した図は出ており、多くの研究者が最初の進入は太平洋沿岸と考えるようになっています。そうした中で、当ブログ提唱の環太平洋移住(MPOR: Migration along Pacific Ocean Rim)説と同様の南方系北上の日本列島通過ルート図が、図右Dr. Barnhart による歴史シリーズの「最初の米新大陸移住」において遂に登場しました。博士は、確たることは未だ言える段階でないが個人的には沿岸移住仮説を支持としています。また、南北アメリカにおけるミトコンドリア母系DNAの、欧州には見られないハプログループD1の状況を橙着色で示して明確にアジアからだと主張しました。ところが実は、このD1の上位はD4であり、日本人において最も多く、特に色が濃い南米アマゾン、行き着いたパタゴニアと同類性があることが重要で注目されるのです。左図①当時の地形の状況は曙海と北東亜平野の時代で、南方から北上して来て曙海沿岸から対馬海峡をフネで家族が越えて来たことになります。興味深い事は、現在は大陸側と認識される北京近郊で発見された田園洞人が淡水食であったことで、狩猟族ではなく曙海から遡上した海民とも考えられる事です。また、巷間の日本人祖先は朝鮮半島から来たと言うのも、そもそも当時朝鮮半島は無く、曙海北沿岸から来た海民でしょうと言うのが正しいです。

②列島の祖史では、3.8万年前に伊豆の海を越え(25km)て神津島(恩馳含む)の良質な黒耀石を求めて行き来していたことが特筆されます。朝日新聞が謎と報じたためか教室で語られませんが、既に対馬海峡を家族で渡った子孫であり、当時の海水面低下による陸地拡大のより短い距離を、屈強な男だけで黒潮分岐流の無かった時代に渡ることは謎でも何でもありません。そして、造舟・操舟の能力、長野の高地に進出して多様な石器を残していた知力を窺わせる遺跡があり原始人ではなかった状況が注目されます、また、静岡・浜北で祖人骨、縄文人骨が同一遺跡の下上層で発見されていることは、現代にまで至る人の断絶無い「繋がり」を窺わせる重要なことです。③北部では、大雪は降らず陸奥平野があり、仙台には海獣がいて食豊か、北海道史は3.5万年前後で巷間言われた北からのマンモスハンターの痕跡は無く、青森から竜飛・大間を越えて道東ゲートウェイから北上を継続、北部の遠軽町白滝に国宝答申の出土石器を残し、昆布ハイウェイを北の「米臨海」に向かったことでしょう。ここで認識すべきは、➃当時は未だモンゴロイドは登場(2.5-1万年前、Dr.Howell 米Harvard大)しておらず、南方のインマレイドInmalaidが北上し亜熱帯線を越えて変化した「北インマレイド」、即ち石垣島祖人のような人々が列島と地域に拡がっていて、氷河期の北の暮らしにも適応したものと考えられます。最後に、⑤教室では、(後期)旧跡時代~縄文時代~弥生時代・・・ですが、旧石器時代の用語使用は問題です。世界では、旧石器時代は250万年前くらいからであり、後期旧石器時代も始まり5や3万年前、終わりの新石器時代の始まりは1.2や1万年前と日本とは全く合いませんから(実は世界の新石器時代の磨製石器は、日本では3万年以前から)、英語にすれば誤解の元です。

教室の議論では、後期旧石器時代人と言うたびに舌を噛みそうですし、縄文、弥生、・・・江戸、令和と全く合わない違和感です。祖代研究会SGPJでは、既に有名で世界に定着しているJomonに倣って祖代Sodai、祖人Sojinを提唱しています。縄文時代の始まり時期論議を一応決着させ、分かり易く世界に誤解されないJomonのような日本の固有用語とすべきなのです。今や世界人類史にとっても日本理解は必要で、そもそも日本史の重要な始まり原点である祖代が教室で活発に語られないのは問題であり、用語に一因があります。

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