日本史の誤解を招く、大陸西方系人の半島等から渡来の図

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1.誤解を招く日本史の始まり図

左図は誤解を招く図です。約4万年前からの日本史の始まりは、明治・大正時代以来の民俗研究などから南方系とみられ、遥かに時を経た史書の魏志倭人伝の時代になっても陳寿は海南島の習俗を念頭に記述したのではと言われるほどの南方系を示しています。しかし、特に戦後は言語を含めて北方系だと言う論考が増え、欧米を含めて根強いものがあります。

始まり時代の氷河期の広狭変化の曙海・北東亜平野、対馬暖流・間宮海峡がなく波穏やかな日本湖的で日本海側に大雪無く、瀬戸内海・東京湾は無く青森に陸奥平野があった事などの種々の違いがあり、南方もスンダランド・パンカル海など大きな違いがありましたが、必ずしも巷間物では十分考慮されてはいません。左図も、海水面の100m級の上昇で沿岸痕跡の発見が困難なこともあり、ルートとして欠落していますし新事象を交えた誤解を招くものです。近年のDNA研究で南方との類縁性が指摘され、列島内の1万を超える遺跡分析によって南方からの沿岸地域の北上説が強まっているのです。また、軌を一にして、最初のアメリカ新大陸人の問題も、定説が崩れ海民による沿岸進入説が強まり、東部アジアの沿岸海民が注目されているのです。

2.半島南岸の島の縄文人的なDNA痕跡は重要な意味

中図は最新のDNA分析による特徴図を地理に合わせて反転させたものですが、半島南岸の加徳島の発掘された人骨DNAは縄文人的であって西方大陸系ではなく、曙海の沿岸ルートにおける正に対馬渡海の地域に該当するもので、海民系要素を共有しており納得です。左図はその時代以後の新事象を描いたもので誤解させるものです。この分析は、日本における祖代・縄文人骨の分析及び縄文人骨発掘の考古学的な成果と繋がる重要なもので、静岡・浜松地区においては祖人骨と縄文人骨が共に発掘されて繋がりを示している事と同様に大変意義深い実証です。

3.島国故に始まりは「いつ、何処から、どのように」まで見えて来た世界的に特筆すべき日本例

図右②北上して渡海で始まり列島中に拡がった時期・場所・態様について、DNA分析は意義深いものです。この事に加えて対馬海峡の渡海の状況を考えますと、日本湖的で波穏やか、40-30kmの長距離だが島が見えた、重要な爺婆含めた家族・漕ぎ手の人数を収容する丸木舟の太い材は寒冷期の樹林状況から入手難であり、竹木を結束した筏(いかだ)での横断と祖代研は考えます。その後3.8万年前に伊豆の海で黒耀石を求めて島が見えた25km位を生業航海していますが、双方が相互に実証を補強する謎でも驚きでもない海民の活動を実証として示すものです。その造舟、操舟の知見能力と他との広域にわたる物々交換など、約4万年前のことをこれくらい妥当性をもって推定できれば十分であり、年表に見る日本人形成に重要な基層の祖代、原始人ではなかった祖人の重要性からも教室は紹介すべきと要求します。

4.祖代、祖人、曙海などの諸用語の導入と共にJomon、Ainuが初代との内外の誤解を正すべき

日本史についての内外の誤解の原因は、世界的に知られるJomon、Ainuが始まり論議に用いられ、教室では原始・旧石器時代という適切でない用語の使用にあります。約4万‐3.5万年前の始まり当時の環境は現在と違う事を認識する必要から伸縮していた「曙海」など適切な用語を導入し、世界語の「旧石器時代」、「後期旧石器時代」は英語にすれば世界と期間が違うので誤解を招いて不適切であり、また、人(人骨)の呼称が教室では重要ですが「後期旧石器人」は祖人、縄文人に比し説明・議論に長過ぎます。後期旧石器時代名も次の縄文からテレビの源氏物語の平安、鎌倉、江戸など馴染む和語と繋がらない違和感があります。この用語問題が、重要な日本史の始まり教育を阻害している要因であるので改善を、そして今や歴史問題が戦争に繋がりかねない国際問題であることを認識し、世界発信による誤解解消を強く要求します。―日本祖代研究会(RGaPJ)

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