注目の北海道史、北上の人・文化の流れ、オホーツクでなく大陸視野の北部九州と宗谷北の多様性及び元寇衝撃の類似性に注目

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin),遺跡

1.約4万年前の①北部九州への家族渡海から樺太まで祖人・次代の縄文文化の拡がり

教室は北からの南下事象を強調しがちですが誤解の元で、当時は広大な青森・陸奥平野に充実の列島中央部の人・文化が太平洋側と大雪の無かった日本海側から北上して東西合一し、石器と遺跡の分析から3.5万年前後には北海道に進出し環境に適応しています。

国境の無かった樺太、千島には北上継続の痕跡が亜残り、樺太には祖代の白滝黒耀石や縄文土器と次への移行、擦文土器の痕跡が残っています。流入とみられる北の樺太からの「細石刃文化」の強調は誤解の元で樺太コロボックルの存在を認識すべきであり、北部九州と樺太南南部で亜庭湾北側の「宗谷北」地域は、大陸を視野に歴史的に外来の接点で多様性を有する独特の類似性があることに注目すべきで、宗谷北での南北の犬の混交もその事を示しています。

2.問題は用語「オホーツク文化」で誤解の元、視野をオホーツクでなく大陸に拡げ「宗谷北文化の波及」に修正を

縄文土器が移行し擦文土器も派遣されている土器・文化の「オホーツク」名称は不適切で、肝心のオホーツク海の北・東・南からは採り挙げる影響もなく、注目すべきは宗谷北・窓口へのバイカル・満州系の西の文化の波及(アムール河口経由としても)です。東北から宗谷北への拡がりの深さもオホーツク土器とは比べものになりません。北方史の特徴的な事項を②宗谷北の人骨埋葬がよく示しています。大陸系の父と南方縄文系の母という「別の人種の組み合わせ」を露学者たちは人体形質の分析で明らかにしています。よく沖縄と北海道が縄文DNA比率が高いと言われますが、違う事情であることを子の墓は示しています。先生はオホーツク土器を強調しますが注目は刀で、古墳時代から平安時代へと長い時代に特に東北で改善された蕨手刀(わらびてとう)が北海道から樺太にまで渡っていました。その扱いの重要性と広域性は、注目です。「オホーツク文化」は、カタカナ・針小棒大であることが誤解を与え、本州初期の東海~千葉房総の沿岸文化をパシフィック文化と称するようなもので異様です。名寄のように茂寄(モヨロ)、飛似台(トビニタイ)と漢字にすれば正しい理解はなります。

3.北部九州と宗谷北の類似性は南・弥生文化と北・宗谷北文化と元寇の衝撃

時代や影響の大小は異にしますが、③外来文化を受け伝えて生活に影響を与えた点や元寇が及んだ影響も類似性が見られ、樺太では1284年から元に征討され一時はアムールに反攻したアイヌも敗北・屈服し、この間の南下避難が道史に影響します。

4.樺太アイヌの④北海道への南下で全道の擦文文化が急変へ

猿払町史が一端を記述している④アイヌの南下流入は、漸進的に道内に拡がっていた擦文土器の時代の文化を急変させます。にしていますが、蕨手刀も有って一時はアムールに攻め入った戦闘力を有する樺太アイヌの元寇敗北余波の南下は道内での勢力争い(実は様々な8以上の種族の存在を北海道「アイヌ」と総称する誤解の一括り)をもたらして道史を急変させ、種族の配置を変え消長させていきます。コロボックルの北への逃げ伝承も有名なシャクシャインの闘いもこの一環です。

最初のアメリカ新大陸人の問題で注目される北海道史は、不穏な発言をするプーチン、樺太の地名を中国名に替えていると言われる習政権などの状況を踏まえ、正しく見直されて行かねばなりません。―日本祖代研究会(RGaPJ)

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