祖代の列島中央部では(赤枠)、対馬のように太平洋側沿岸の暮らしの痕跡は海面上昇で今は海中に消え、日本海側も大雪が降りませんでしたので、沿岸の暮らしがあったとみられますが同様です。

しかし、沖縄から北海道にまで祖人の暮らしが拡がった3万年前頃、列島陸上中央部の賑わいは、東京諸島の神津・恩馳島(38,000年前から)や豊富な八ヶ岳地区の黒耀石の採取・交易、野尻湖におけるナウマン象や大角鹿と種々の旧石・骨・木器等の痕跡は「野尻湖文化」と言われ、最近発見された長野・香坂山遺跡(3.7万年前~)の認知力が高い多様な石器群、陥し穴猟は鉄のスコップの無い時代に1m以上の穴を60基(三島市)も掘って動物を獲る知恵と社会性(時代は別にして九州や北海道でも)を示し、広域の遊動暮らしの中ではアメリカ先住民Nativeインディアンかと思わせる佐野などの環状キャンプがみられ、何よりも既に上越北陸(新)幹線が通っているような、太平洋側~日本海側が連接された列島中央部の人々の暮らしの賑わいは、現代の状況を思わせるものです。それらの事は、狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道の暮らしに適応し、留まる理由もなく北上を継続してやがては「最初のアメリカ人」関りか? 

そして注目は、縄文的な静岡・浜北人骨(祖代末期)であり、祖代から縄文時代へと切れ目なく繋がりバトンタッチしていることを示す重要な痕跡で、祖人が今や「縄文文明」と言われるに至った豊かな種々の文化の基礎を作ったこと示しています。巷間本にみられる「日本人の祖先は縄文Jomon人」ではなく祖人Proto-Japanese, Sojin,であり、「縄文人はどこから?」は全くの愚問であって、祖人の子である2代目縄文人は日本列島に決まっています。あまりに子のJomonが有名で世界に誤解を与えており、また、事象がバラバラに教えられて分かりにくいですが、3万年前頃がこれだけ分かって描ける国はそうそうなく、約4万年前の「曙海峡」越えの始まりから、今や「最初のアメリカ人」関り?が注目なのです。総括的に祖先の素晴らしい状況を教えない学校はあまりに頑なというより怠慢です。世界にも発信を。


学期・年度が桜で始まる 春は曙。島国であることから、世界が驚く約4万年前(殆どの考古学者が同意)の「祖代」から概略明らかな日本の歴史。その頃の人骨が見つかっていない事から教科書がしっかり採り挙げていませんが、1万件超えの旧石器遺跡は十分に概要を明らかにしています。今後、サルと我々の中間の「旧人」(デニソワ人、ネアンデルタール人)の石器などの痕跡が仮に見つかっても対象外なのです。

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現生人類・新人の家族が「曙海峡」をフネ・筏で北部九州に渡って来た沿岸暮らしの痕跡発見は3.8万年前から急激に増え始め、3万年前には祖人Proto-Japanese は沖縄から北海道にまで拡がりました。なお、祖代や縄文時代の人口推計が出ていますが、少ない数字は海面上昇で痕跡が消えた沿岸暮らしの人々をカウントしているのだろうかと疑問です。当時、朝鮮半島は無く「北東亜平野」沿岸から「曙海峡」越えの始まりの渡海(巷間本の多くが朝鮮半島からと記述しているのは、誤り) です。 海峡は最低期でも幅10-15km、4万年前頃は30-40kmでしたでしょう(見えた対馬は島ではなかったのです)。 海峡越えのための造舟・操舟・工具の操作や気象・海象の状況、食料・水を積んでの渡海等の理解が、①各家族毎か、②大井川の渡しのような専門集団の社会性か、いずれにしろ大昔のこのような祖人の認知力から、 その後の伊豆の海越えは約17km先の大島が見えていて「謎」ではなく(海面低下で諸島の陸地が増して連なり、 出来る所ではフネを綱で引いて海岸を歩けば漕がずに楽に移動)、 恵まれた 黒耀石と広大な平地がある関東・甲信越の連接と拡がりに繋がっています。また、祖代の考古学上の数々の注目すべき最古の事象が生み出された始まりの時代は、教科書がさらっと記述している槍を持った「原始人」ではなかった事が重要なのです。因みに新人は、ニューギニア・オーストラリアへ、5-6万年前頃には、約90kmを渡海していたと世界の考古学界では認識されていますが、当時の東南アジアの半島大陸地で過半が沈んでいるスンダランドから東進した種族です。日本祖人は、このスンダランド種族の子孫系統でしょう。

始まり時代の九州の暮らしをよく見ると、石器の組成は多様であり、適した素材を求めて遠距離を移動していたことも半島の遺跡とは異なり、その後の関東・甲信越の賑やかさに繋がります。振り返れば、対馬(島でない!)や大島がはっきり大きく見えたこと、九州腰岳、列島中央の八ヶ岳地域や北海道白滝など各地で当時の宝物の黒耀石が採取できたこと、日本海側に大雪が降らなかった、北に昆布ハイウェイがあり、ハワイに繋がる太平洋に面していたことなども幸い(火山、地震、津波がありますが) でした。 そして、渡海と遊動の民の子孫である北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、人類の移住特性からも北海道で停止した理由はなく(プーチンもおらず)北上し続けたものと考えられますが、巷間本に全くこの事の記述がみられないことは異常です。既にアメリカの複数学者が、「最初のアメリカ人・Nativeインディアン」問題で、Kelp Highway/昆布ハイウェイからの北海道ルート新説を唱えているのにです。祖代・祖人について、これだけ明らかなのですから、よく分かっていないからなどと言い訳で逃げずに、子供に教え世界に発信せねばなりません。

内外で今、注目の北海道史ですが、約4万年前の北部九州から青森を北上した祖人の拡がりの3.5-3万年前が始まりです。

①最初のアメリカ人問題において、昨年9月ニュー・メキシコでの2.3万年前の足跡の発見は、北海道ルート新説を強め、その時代には縄文人は登場しておらず北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの北上Aが対象であり基本ですので、学界は速やかに対応を。日本一の白滝・黒耀石が樺太や沿海州で発見されているのも祖人の樺太以北への進出を示しているとも考えられます。また、北上Aの痕跡は、坪井正五郎・鳥居龍蔵研究のαの子孫で石器人の暮らしぶりの第1アイヌ・ルートン・コロボックル②③と➃同様のオンキロン海岸族です。誤解の多い巷間の大陸ルートは、痕跡の無い事と人類移住史からマンモスハンターは来ておらず、せいぜい2万年前頃からの中小中小動物を主に狩猟する細石器文化の伝来 B ですが、礼文島縄文女性が沿岸A系とみられ、大陸狩猟族の流入は大量ではなかったでしょう。それは温暖化に向かう時代でもり、巷間言われている氷河期の寒さを逃れて大量に南下という説明も疑問です。

これらの事とは全く別の話の鎌倉時代に大陸要素を含む第2アイヌabが進入して来た当時に、先住民A系のコロボックル遺跡が札幌~北方領土・北千島にまで広く有りました(坪井・鳥居)ので、北海道に南下した第2アイヌは豪アボリジニや米国のNativeインディアンとは全く状況が違います。先住民族だとか縄文人直系だとかいうのは世界に誤解を与える誤りです。今、「最初のアメリカ人」問題が世界の注目であり、ロシアが言いがかりをする時代ですから、正しい北海道史を子供に教え世界に発信せねばなりません。

東京大の海部教授は、①4万年前からの遺跡の急増から渡海仮説を提唱、学界大勢に異論なし。仮に、5万年前が見つかれば修正も、10万年であれば、大ニュースになるとしても実は現生人類とは無縁の旧人です。

②歴史研究家の小名木氏は、神話の分析から北東亜平野、蛭湖(曙海)に着目です。実は最寒冷の2万年前と祖人始まりの4万年前では、北東ア平野の海岸線はかなり異なりますが。③古荘氏は、海部説に加えて38,000年前の静岡(恩馳島原産)の黒耀石採取に注目しており、これら3者は祖代研究会と軌を一にしています。重要なことは➃曙海を家族で北部九州に渡海して来た祖人Proto-Japaneseは、北東ア平野の沿岸を北上と考えられますが、仮に内陸を北上して来たとしても「モンゴロイド化」していなかったので、祖人例(石垣島祖人:2.7万年前)とあまり違わないと考えられるのです。また、黒耀石採取の38,000年前からの伊豆の海越えは、「謎」と報じた新聞もありますが、分析すれば20km渡海であり、始まりの30-40km越えの北部九州への家族渡海より容易でした。世界に例のない列島1万件を超える旧石器遺跡の分析により、沖縄~北海道までの拡がり、特に関東・東海、甲信越の充実などが分かります。

⑤コロボックルの語を使用して祖史の石器人を追求して分布図を描いた東京帝大の坪井教授、北千島のルートン (第1アイヌ・実はアイヌではない)がよほど古いことに着目し、シベリア最東部海岸族オンキロンに着目した鳥居助教授の仕事は、驚きの素晴らしい先行研究でした。今、米国では「最初のアメリカ人」研究において北海道ルート仮説が複数学舎から提唱されており、昨年9月末の23,000年前のニュー・メキシコにおける子供などの足跡の最新の発見は、ベリンジア陸路越えマンモスハンター進入の定説をはっきり覆し、沿岸・昆布ハイウェイ説を定説化していますので、遂に、曙海の北部九州への渡海から北海道祖人(PJH,Proto-Japanese Hokkaido)の渡米まで仮説が繋がりました。周回遅れの学校は、子供・学生に仮説の状況を教え、世界に発信せねばなりません。

明治の新時代に大森貝塚で有名なモースが、列島先住者に関する口火を切り、東京帝大の坪井正五郎・鳥居龍蔵などが、人類アフリカ発の皆親戚やDNAなど何も分らなかった時代に、「石器人」(祖人、2代目縄文人)に着目して遺跡を分析し、はっきりアイヌと違い、よほど古く、図のように列島に拡がり、存在していたことを明らかに認識した努力は 、今から見れば 素晴らしいものです。

「コロボックル」の名を使い苦労の論議を重ねて真実を探求した当時の事情も認識せずに「おとぎ話」として採り上げず、また、世界人類史の重要な命題である「最初のアメリカ人」問題も学校で教えず、既に北海道ルート説が登場し、 また、2.3万年前のニューメキシコでの足跡発見で、 北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが注目されてきているのに、関連の紹介本ですら1冊も出版されていない現状は周回遅れというよりも異状です。祖代の最古級人骨・石垣人から復元像も作られ、考古学史上の金メダルである3.8万年前からの伊豆の海の行き来なども明らかになってきています。ロシアなどの言いがかりが強まる前に、祖代・縄文の日本始まり時代についての諸説や論議の現況を、しっかり子供教えねばなりません。

図左鳥居龍蔵が「よほど古い」と認識し第1アイヌと命名した北千島ルートン(北海道祖人・海民系)が、北上してカムチャッカ半島沿岸からにベリンジアに入って行ったのか?数十m以上の海水面の上昇と万年の年月経過で海岸痕跡は見つかりません。

図右、現生人類の認知性については、一説には海産物を食するようになったので脳力が向上し、南アフリカの海岸洞窟で7.5万年前の穴開きビーズ装身具や線刻( 赤色オーカー彩色を施した物もあり) などが発見されていて、現生人類は、アフリカを出る段階で既にそのレベルの認知力を有して東に西に北に移住して行ったと考えられます。図中のように、装身具は各地で形態に違いがありますが、この地域のどこが最初かは、出アフリカ認知力でその後作り出した物であり、何とも言えません。北海道函館知内町の有名な湯の里4の遺跡と北海道~ベリンジアルート上のカムチャッカ半島の遺跡が、①埋葬にあたり同じように副葬品・装身具を墓に入れていること、②その装身具が極めて形態がよく似ており、東部ユーラシアを見ても他にこれ程の類縁は見られず、また、③湯の里4遺跡の台形石器(赤丸)は、祖代前半(3.5万年前頃)から列島各地でみられたものですが、➃道北、樺太、沿海州など大陸の東部には見られないことなどから、特にその装身具の形態類似から、祖人が伝えた知内~ウシュキの伝搬とみられます。即ち、青森地区は最古土器や芸術的土偶でもよく知られていますが、日本海側、太平洋側、北側の3者が交差する豊かな特質がありました。青森から、知内町~道東~カムチャッカへの北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの北上のつながりが考えられるルートの痕跡と言えるでしょう。図左下、カムチャッカの中部にまで至れば、後はもう、ベリンジア行きに問題ない「指呼の間」と言ってもよいでしょう。

現生人類の東方拡がりは、出アフリカからベリンジアへ登山するように北上し、下山するように南米南端に拡がりましたので、「環太平洋」という認識は前回の金関博士の習俗文化論や 今回の松本博士の言語論 は自然なものですが、学界は未だ教育にこれを打ち出していないのが現状です。感覚的に 「極東」認識の欧州学者がリードしてきたために、導入が遅れた影響も一因でしょう。(以下、日本祖代研究会が理解し、各国の最新の研究成果を踏まえ付加した内容の紹介です)

元日本言語学会長の松本克己博士(昭和4年・1929~)は、6~7千年前まで遡るのが限界と言われる言語研究において、数万年前を視野に言語の起源をグローバルな観点で考究され、旧来の方法を超越して奥深い類縁要素を見出し、その物差しで世界の語族の時代影響(辺境に押しやられ、隔離地域に孤立)も考慮されて、言語類型地理論のアプローチにより、従来の北方・南方論でない画期的な論を導かれました。
結論的に言えば、 1.環太平洋沿岸(ユーラシア東岸地域とアメリカ大陸)の言語に類縁性を見出し、2.ユーラシア内陸の言語との明確な違いで区分され、3.西太平洋沿岸の北部群と南部群や米国の東部と西部、米新大陸太平洋側の帯状地の特質、チベット・ビルマ諸語の意義、消えた南方スンダランド地域やベーリング地域古語への考察などを明らかにされ、4.孤立語と言われ古さのSVO型などの特性を有する日本語の位置は北上した北部群で、かつこの環日本海諸語はアメリカ大陸へ北上継続したとされました。普通には北海道は含まれる(含まない事情無し)と考えるべきでしょう。また、5.ウラル・アルタイ、タミル、拡大シナ・チベット説など巷間幾多の日本語系統論、言語論の誤りを正されました。そして、日本語の遠い同型語を探し、起源を明らかにするためには、特に1.東南アジアと2.アメリカ先住民を研究するべきと述べられています。

さて、A米国ニューメキシコで、それまでの認識を数千年遡る2.3万年前の足跡発見により、当時は内陸の無氷回廊は氷床に覆われて不通であったことから沿岸・昆布ハイウェイ沿いの進入が新定説化しています。このB環太平洋・沿岸ということで、松本克己博士の同名の語族論ですが、あまり知られていません。言葉のルーツ研究は、時の経過で変形が原型を留めなくなる6~7千年前程度が限界と言われています。近代欧州語と違うということで粗雑にくくられたことに端を発する、戦前からのウラル・アルタイ説など 巷間幾多の日本語起源論は、実は殆ど学問的に役に立たない 古典的な比較方法などによる もので、批判と吟味に耐えない代物なの です。博士は数万年前の後期旧石器時代(祖代)を視野に、言語の内的に 根強く 存続する「類型的特徴」10数項目の要素の奥深い骨格のつながりである「類縁性」に着目し、個別言語でなく語族を対象に探究(例えばRとLを聞き語りで区別できるかどうか、一人2匹のように対象で異なるかどうかなど)され、その物差しに照らし「類型地理論」アプローチにより、前述の諸成果をあげられたわけです。太平洋の島々などのオーストロネシア語も環太平洋に含まれ、何よりもアメリカ南北新大陸が類似であることを見出している独創性であり、それまでの長く論議されてきた甲論乙駁の北方・南方起源諸説を超越しています。その内陸との概ねの違いとなる図の破線(言語比較要素によって線形に多少の差異)に着目すると、日本祖代研究会では最新の歴史研究成果も踏まえ、基本的に⓪アンダマン海から➃環日本海諸語、⑤「米臨海古語」は新語で上書きという「花づな」のような海の連なり「花綵海」沿岸に、+内陸高地の特にチベット・ビルマ東部が加わっていると理解しています。

これは、男系Y遺伝子の最古 D 型が、アンダマン諸島・チベット・日本で共通に高い頻度で現れて不思議とされてきた事を普通に理解できるものとなっています。Dが残ったのは、人里離れた高山か離島というわけです。更に、この 「花綵海」 沿岸史観は、チベット・ビルマについて、学界に見られる北ヒマラヤの内陸ルートではなく、インド洋沿岸から河川沿いを遡行北上した沿岸系なのではと言語の類縁性の面からも考えさせ、アジア史において重要な意味を有しています。いずれにしても、「最初のアメリカ人」は、3万年前頃、この「花綵海」ルートからの第1波は五月雨の多波であった(言語数の膨大・語族多数から)と考えられ、その万年後、無氷回廊が開いてから影響力の強い種族が、第2波で 陸続と 進入し拡がったとする重要な歴史説です。問題は、内陸言語圏の者がシベリア~ベリンジア~米大陸に入って行って、DNAはともかく、先住の太平洋沿岸圏の特徴に変わっていったと考えられることです。この環太平洋に着目した論について、学界は第1級の研究者である金関博士の習俗文化論、松本博士の言語圏論を子供・学生に教え世界に発信、国際共同研究を主導して深化させるべきです。


既に登場していた右図北海道ルートに加え、 昨年の米国ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見で、 これ迄の諸定説が崩れ揺らぎ、前回のスミソニアン博物館の解説を皮切りに、新定説の再確立の時代の模索の幕開けです。

さて温故知新、①半世紀前の金関博士の「環太平洋文化圏」提唱は、当時把握できた史実について、東部ユーラシアとアメリカ新大陸を俯瞰されて、習俗文化に着目し、かつ、発表されたことも今の時代の腰が引けた陽だまり学究時代に、学問的に高く評価されるべきものです。習俗文化については、例えばアメリカ日系4世がDNAは私たちに近くとも日本語を話せず、生魚よりはハンバーガーが好きなら、はっきりアメリカ人であり、DNA分析を万能の如く振り回すのは誤りです。仮に万年前のDNAの影響が消滅していても、習俗文化が残されていれば学問的に尊重すべきです。金関博士は縄文期の事ながら、特異な②石器や③抜歯風習に着目し、「環太平洋」における類似性という視点の認識に至り、しかも日本で発見された最古級のモノだからといって日本発とは言えない、例えば豪の旧石器文化と共伴する物は注意すべしなどとされているのも誠実な学者として素晴らしいです。更に、➃圏内の他の類似にも言及されています。現生人類のアフリカ発もDNA分析による系統図も分からない時代に、現在よりは各地に痕跡が感じられたとはいえ、起源追求の視野と慧眼には敬服いたします。今では例えばA入れ墨の習俗は、裸体で見せることに意味のある南方発の精神性を伴う習俗文化ですが、中・南米にまで受け入れられて共通性が見られ、他方、北から鎌倉時代に北海道に入って来たアイヌが、美しいと感じて北海道先住のコロボックル(当初否定論と言われた鳥居龍蔵は、明治38年頃には諸事象―①低い身長、②口辺・手に入れ墨、③竪穴住居、➃石器時代の人民で土器・骨器使用、からむしろ符合として 肯定的であった)から学んだと伝承に残していることは、 内陸性と沿岸性の違いを示す重要な指標です。   

同じくB日本語について、松本克己博士が軌を一にする「環太平洋語族」論を発表され、また、アンダマン、チベット古語との祖代語以来の共通性(上垣外憲一―ハイブリッド日本)は南方を基層とし、その上に大陸アルタイ系の影響が重なったという認識は今では一般的です。そもそも金関博士が、そういう認識に至ったのは、北部九州から始まったものは大陸の北方要素とする当時の論調に疑念を持たれ、賑やかな南方、北方要素論議を超越するかのように考究されて「環太平洋文化圏」認識を打ち出されたのも素晴らしいことで、南方沿岸性と大陸内陸性の違いという、私たちが有するこの2重性をも既に認識されていたのではと推察します。因みに、日本祖代研究会では、図右上Cの東南アジア最古人種のインマレイド(出アフリカ黒人が東進により、沿岸・熱帯雨林等の暮らしで多少の変化。ともかく旧モンゴロイドと欧州学者が命名したのが誤解の元で、寒冷・降雪・強風に適応し身体変化した新モンゴロイドを、モンゴロイドと呼称すべきです)に着目し、出アフリカ現生人類の東進による始まり時代の有力移住ルートとして、環太平洋沿岸ルートのIMPOR(Inmalaid Migration along Pacific Ocean Rim)仮説を提唱していますが、その基本は半世紀も前に金関博士が認識され、発表もされていました。無論、半世紀前の事ですから、全てが正しい訳ではありませんが、「最初のアメリカ人」を巡り新たな定説の模索に入っている今、等閑に付されている「環太平洋」視点を子供・学生に教え世界に発信し、TPPやインド太平洋戦略の時代に、国際共同研究を主導して学問の進展に寄与し、教育を向上させるべきです。

渡米が数千年遡り、最寒期LGMの発見は極寒の東部シベリア~ベリンジア行動に疑念が。1.4万年頃からの無氷回廊は未だ開いていないので沿岸進入に、そして北米から南米へ急行1,000年南下の定説が崩れ、8,000年を要したのならば、それ以前からの普通のペースだった。

するとアジア出発は3万年前と言う数字に(寒さもやや緩和期)。米2学者が発表していた北海道出発ルート仮説は「マンモスを追った」定説ではないが注目され、「昆布ハイウェイ」やベリンジア南岸は小島が連なる「ベルトコンベア」の様な「一時的な列島」状態だったと沿岸進入説を補強する研究も登場。さて、シベリアの狩猟族はまあ分かっていますが、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoはどうだったのか? 縄文前の初代、約4万年前からの始まりの(日本)祖代は、夜に灯りをともしたとすると結構今と似ていました(近畿・東海は少)。何よりも「曙海」沿岸から多くの家族が渡海して来た民であり、造舟・海洋漕舟能力等を有する祖先は、原始人と言うべきではないでしょう。従って、3.8万年前には伊豆の海を当時の宝物の黒耀石を求めて島へ行き来し(世界考古学史上の金メダル)広域で交易していたのも驚きではなく、オットセイが仙台で見られたように(北海道には慣れ易かった)、渡来から渡米(「昆布ハイウェイ」)までまあ食に恵まれていたルートと言えます。いずれにしても、これまでの定説は大きく揺らぎ、日本の祖代の様子は知られておらず(要発信・研究)、足跡衝撃にコメント出来ずに新たな定説の構築へ向かう「行く年来る年」です。ともかく現状の沈黙しているのはダメで、世界に発信、子供・学生に教えて将来に期待、国際共同研究の主導を、です。

厳寒期のニューメキシコにおける アメリカ史が数千年遡る 足跡発見で、①欧米学者がなんとなくイメージを持っているシベリア狩猟族が、そんな時代に東部シベリアを移住できたのか? それより以前の寒冷緩和期ならば、現生人類がアフリカからそこへ来れて(無論、遺跡は発見されていない)居たのか ? 

②無氷回廊は、この時代は全く開いてないので沿岸進入の近年定説を補強したが、仮に無氷回廊が開いていたずっと前があったとしていつ頃か? 実は大きな問題は、③定説では1000年くらいで北米から南米に急行で拡がったとされているが、白紙的にニューメキシコ~モンテ・ヴェルデは今回の発見で8,500年ということで、急行ではなく人類はゆっくり常識的に時間をかけて拡がったとなります。この事は、この年月を北に戻すと2.3+0.85、即ちまあ、3.2万年以前にアメリカに向けて出発したことになり、特に問題のない 遺跡 充実(旧石器遺跡701件で近隣に対し、圧倒的)の北海道が俄然注目され、今年は「日本祖代研究会-SGPJ」がかねて提唱していた北海道を北上する (ベリンジア) ルートを、はっきりアメリカの2学者がyoutubeで発表(アリューシャンも含め)しています。いずれにしても現生人類はアメリカ新大陸に、「3万年以前に向かい、2.3万年以前に沿岸から小舟でアメリカ新大陸に進入してきた。誰で・いつ?」という事でいろいろ模索となり、現代のDNA分析は万能ではないです。

それは大きくとらえれば、第1波は沿岸(2.3万年以前から)ルート、そして第2波が無氷回廊から(1.4万年頃以降)で、現代は第2波の影響が強いと思われますので。はっきり言って、この問題を教えない、発信しない、研究助成していない、日本学界は周回遅れです。日本史・北海道史を解明する重要問題です、国際共同研究の主導で挽回を。

米ラウス先生は、 歴史における日本の特色として、 その始まりから現代まで歴史的な繋がりのあることが、 英米と異なる と指摘されています。島国故に大きな民族の移動や侵入に伴う乱れが少なく(騎馬民族は来なかった)、また、破壊を免れ保存された、1万件を超える列島の旧石器遺跡の発掘分析に裏付けられているのです。

人気の縄文もある時(案①土器出現16,500年前、案②定住弓矢など生活に変化15,000年前)から、祖人Proto-Japaneseが縄文人Jomon peopleと呼ばれる、言わば江戸人が明治人に名が変わるようなものであることを子供に世界にも理解してもらうことが必要です。ザン切り頭の人も鹿鳴館で踊るハイカラな人も、一皮めくれば中味は江戸人と余り変わらず。しかし、日本語はもうローマ字にしようと言いだす人も出た激動期ではありました。で、学界は縄文人・明治人に光を当てていますが、祖代は大昔にしては十分に分かって来ているのに、「よく分からない原始」扱いで軽視され、中味が薄い周回遅れです。日本史は、外から入って来るモノの取捨選択の側面がありますが、その決定に当たっては、日本史60%の期間の祖代に形成された人の特性の基盤は影響大でしょう。更に、ラウス先生の図左上の学問分類の教えと図右の祖代状況を併せ考えると図左下祖代の「古活動」が注目すべき重要な特色(米英・隣国に比し)であり、先史学の内容にも反映されるべきモノです。

今、2.3万年前の米ニューメキシコの子供足跡の祖先問題で、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは注目です。

着実で尊重すべきものですが、古物専念・研究無謬性の殻を破り、世界史界も期待する仮説―論議―検証のダイナミックさを特に古活動分野に加味し、学ぶ楽しみを子供に、そして成果を世界に発信、国際共同研究の主導を。

先史巷間本の隆盛は素晴らしい。さあ、学界は始まり「祖代」をよく分からないと軽視しないで、もっと学校で教えましょう。こんな大昔の充実年表ができるなんて他所の国では考えられないし、「どこから」(出アフリカ後、東進した南方から 「北東ア平野」沿岸を北上し、曙海を越えて北部九州に )、「いつ」(約4万年前)も大体のところは分かっています。

そしてこの始まりの渡海は重要であり、ハーバード大ハンチントン教授が、「日本文明」と認識した祖代の基盤が、縄文まで含めた基層が、重要なのです。舟を造り操り伊豆の海を行き来して運んだ黒耀石を交易し、鉄器のない時代に1m超えの深さ・大きさの穴を多数作る陥し穴猟を企画・指示・制作(やがて北海道から九州まで)したり、磨製石器、環状キャンプ、釣り針など原始時代ではないです。ある時から縄文時代と呼ばれることになる直接繋がる、縄文時代を準備した助走(日本史の60%の期間)として教えましょう。何しろ、今、特に米ニューメキシコ2.3万年前の子供たちの足跡発見で、3.5~3万年前からの北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoは、北上を継続して「最初のアメリカ先住民」に関わった祖先候補としての可能性が注目されていますので。当時は狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道の暮らしに適応し、北上継続のゲートウエイである道東・十勝の若葉の森にはしっかりと生活の痕跡が残されています。

1万件を超える遺跡発掘について、日本の旧石器等研究者の成果は素晴らしいのです。子供に世界に。

Nature先生、それはトンデモ無茶、約4万年前に北部九州に多くの家族が渡海し、3万年前には沖縄から北海道の列島中に拡がっていた日本祖史から縄文史の基層をよく知らない誤解です! 当然に祖語を話し 事物に命名し、言葉を交わす作業・交易・交歓の諸活動が有りました。 言葉の事なら、先ず、元日本言語学会長松本克己博士の環太平洋言語圏を理解してからの事です。


図左、巷間本・博物館の3方向渡来図は誤解を招く誤りで、北部九州からの沖縄南下、北海道への北上史が基本です。その後の流入による入れ替わる(先住者が全滅する)大変化は確認されていません。

元日本言語学会長 松本克己博士の環太平洋言語圏がお仲間で移住痕跡。

図左、出アフリカから東進し、変化した東南アジア・インマレイドが北上して寒気等に適応し顔・身体変化したモンゴロイドとなり、逆に拡散南下しアメリカへも。右図、北上南下しムリなく最初のアメリカ人に関わり得る状況でした。

世界でこれほど万年の古さで年表を描ける国は無いです。考古学史上の金メダルもたくさんありますので。何より縄文からしか語れない人は、周回遅れです。よく分からないと凄さを説明しない学者・先生はおかしいです。

アメリカ学者には、最初のアメリカ人は、北海道からという仮説を言い出している人がいますが、それをサポートする東南アジア~日本列島の海民性の史実があるのに、日本学者は発信しない教えないという問題です。

世界によく知られていませんが、日本には旧石器遺跡が1万件超え、北海道に701件で、図のシベリアやアラスカとはけた違いの充実した基盤に裏付けられているのです。

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前回の日本列島ルートから1歩進めた米専門学者の北海道発進図です。原図では空欄になっている祖代前期(4~3万年前頃)の遺跡を下図で付しました。

関連の地域遺跡とは、桁違いの充実な事がよく世界に認識されていないのではと懸念します。また本件論議のあちこちで、鎌倉時代登場のアイヌの名がしばしば出てくる誤解も正す必要があります。「よく分かっていない、はっきりしない」と言う態度でなく、積極的に日本が見解やデータを発信して参加することが求められています。新たな発見があれば修正が学問です。熊や北キツネが石器を扱うことは有り得ませんから、来なかった北のマンモス・ハンターではなく、狭くなっていた津軽海峡を越えて北海道に適応した青森人の生活痕跡なのです(北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido)。できれば本件の国際共同研究の主導を、北海道いや日本の祖代史を知ることですから。まずは子供にこの事を。

米国の歴史サイト動画が、初めてはっきり人類移住史における日本列島通過の環太平洋沿岸ルート(赤細線)を描き、図中の沿岸と内陸の2ルートに関しても説明して多くの視聴を集めています(日本祖代研究会のMPOR説に同じ)。

さて、当時の北米が厚い氷床に覆われて無氷回廊は未だ開通していないので沿岸が注目され、英ケンブリッジ大等が当時のベリンジア南岸の地形は、小島が連なる一時的な列島Temporary archipelagoと命名しているルートが新定説です。すると「誰が」については、A沿岸ルートは北海道が注目され、北上の2ルートが。問題は内陸で、南方北上のA-2(おそらく先)と西から東進のBが1.を、これに2.a-2も絡むことが考えられます。そしてベリンジアでこのXは、地峡を東進してカナダの方へと、沿岸へ南下して海民化が一応考えられる複雑な様相となります。実はその古さから無視されてきたブルーフィッシュ遺跡(2.4万年前)もニューメキシコの子供足跡2.3万年前で光が射すと、A日本列島経由の海民系がユーコン川を遡上した可能性(赤点線)が出てきます。

このように興味深い複雑性を帯びますが、分析はベリンジア周辺を注目するだけでなく、シベリア・バイカル湖や日本本州、南米モンテ・ヴェルデ遺跡などのように、遠隔地の解明が大きな影響を与える可能性もありますので、水中考古学分析などと共に広い視野から追究されねばなりません。実証されてないからと全く扱わない教えないは学問ではなく、こういう状況だと紹介し論議すべきです。いずれにしても、日本の祖代史、特にゲートウェイである北海道祖史を子供に教育し、世界に発信、鎌倉時代に樺太から登場(北海道大学のDNA分析)のアイヌは関わらないので誤解も正しましょう。日本が主導して国際共同研究の推進を。

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