巷間本・博物館は図左3方向渡来図を示しますが誤解の元です。

前回の遺跡・石器に続き、日本のネズミのDNA分析(図:東教大・米川、東大・森脇)を考察すると、まず①南方からK種が北部九州に渡来して拡がり、その後②大陸から別種Mが 主に九州に 入って来て拡がり、③関東甲信越以西のMと北部日本にKが残ったということです。ネズミが人に寄り付いて動くと考えれば、この図は実に納得の成り行きで、日本文化の基層の形成を示すモノとも言えます。北の縄文遺跡の世界遺産登録の事も、よく理解できます。この北に残ったKネズミの寄りついた人たちは当然、原日本語を話していましたので山も川もみんな名前がありました。これは、鎌倉時代アイヌが登場するずっと前、万年千年前からの事です。子供に教え、世界に発信しましょう。

時代を異にする図左3方向渡来図や祖代を「原始時代」としているのは誤解の元で、日本列島史の始まり時代は、世界考古学史上の多くのメダルに輝いている(図中赤字)のです。

こんな時代の近隣や欧州に見られない磨製石斧をはじめ、造舟・外洋の操舟、釣り針、黒耀石を求めた20km以上の海の行き来、環状の集合居住の社会性、動物の生態を把握した陥し穴猟は九州から北海道まで、1m級以上の大きさと深さの多数の穴を知的に計画し多くの人に指示して共同作業で鉄製スコップのない時代に掘って作っているのです。そして、「世界の『最初のアメリカ人』研究」においてマンモスハンターが動物を追って入って来たという定説に替わった、北太平洋・ベーリング海沿岸の昆布ハイウェイKelp highwayをフネで入って来たという新説で、今や海の民系の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されているのです。

というように、日本祖代は世界史的に注目される事象が豊かな期間であり、日本史的にも明らかにその後の生活文化の基層を為す重要な始まり時代なのです。まず北上史を基本とし、子供に教え世界に発信しましょう。

現下の巷間本・博物館の展示は、図左上の3方向渡来図になっていますが、時代の異なるモノ(もしかすると新・旧人も区別せず)を合成した誤解の元です。

既に、我々の祖先である世界の現生人類の拡散研究において、第1図の東南アジアから北上した日本列島の通過、第2図の広域にわたる赤線の列島通過及び昆布ハイウェイを行ったアメリカ新大陸(南米まで)に至る環太平洋における拡散という説を、日本側の発信の乏しい中で米国の複数の学者が研究し提唱しているのです。そして、前回報告のように1万件を超える列島の旧石器遺跡は、第3図の日本祖代における列島北上史を示し、かつ土器が登場した変化で「縄文」と呼ばれる時代に切れ目なく繋がっているのです。この間主に、北方及び西方から人・文化の流入は有りましたが、民族交代は無い受け入れ吸収と地域差変化のレベルであり、2万数千年間の祖代、1万年の縄文時代の日本史における影響は基層として大きく、大陸・半島国との生活文化・信仰・言語などの違いの大きな要因となっています。

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3方向渡来図の1番の問題は、今、世界人類拡散史の大きな問題である「17,000年以前にベーリング海沿岸をフネで入って来た最初のアメリカ人は、いつ誰が何処から」に、伊豆の海を38,000年前から行き来していた海の民「日本祖人」Proto-Japanese が参加していないことです。出発地である北海道の祖代史の解明が、今や世界人類史にとって重要なのです。それにも拘らず、祖代の世界的に貴重な磨製石器が、3千円足らずでネットで売り買いされている大恥の文化保護状況なのです。

アイヌ・ウポポイ施設に200億円もの大予算が投じられ、今後とも60億円という大きな予算が予定されているのにです。 始まり祖代の列島北上史・北海道祖代史の研究 及び 遺跡遺物の破壊損失の回復に 大きな予算を投じて体制を充実させ、子供に教え、世界のお客様に紹介しましょう。

 謹 賀 新 年

近年の研究により、① 沖縄の 痕跡は3.6万年以前からで、古人骨は現生人類の出アフリカ後のインドネシア、ベトナムという南方古人骨と形質類似性があり、②本州はやがて縄文人骨へと変化して行ったが、沖縄では島で古さを継続し、③世界的には島で持続的暮らすのは容易で無いが、沖縄では島の環境に適応した固有の南方系の生活様式 (例えば最古釣り針や旧石器が殆ど見つからないなど) を持続した。

さて、その始まりの渡来を考えると、与那国ギャップと食料などを考慮すれば台湾山地からの多くの家族の直接移住は容易でなく、更に200kmの慶良間ギャップを家族で越える困難さ、既に3.8万年前には日本祖人が伊豆の海で行動している事を考慮すれば、「曙海」西方の北東ア平野沿岸を北上し北部九州に渡来して南下、沖縄に至ったものと考えられます。そして、列島の1万件を超える旧石器遺跡の分析から、祖代及び縄文時代に異民族の大渡来・移動の大きな変化はみられないので、 発見されている 沖縄最古人骨と同様の祖人Proto-Japanese が、伊豆の海を越え、北海道の雪と寒気の暮らしに適応し、北上を継続してベーリング地峡に向かった可能性が考えられるのです。

沖縄研究の重要性は、この「曙海」沿岸の人々と同様の日本祖人がやがて北海道にまで (日本祖代:約2万数千年間) 、可能性としては図点線矢印を延長したベーリング地峡、そして17,000年以前に沿岸からフネで昆布ハイウェイKelp Highwayを入って行った「最初のアメリカ人」Nativesに関っていることなのです。

子供に、オリンピックのお客さんに説明しましょう。

  

2つの図(第1図2009年Dr. Spencer Wells、第2図2020年Dr. Jon Erlandson)を注目していただきたいのは、いずれも人類の拡散史の”聖火”が日本列島を通過していることです。このことが重要なのは、3万年前には既に北海道の暮らしに適応していた、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが、 昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って行った、最初のアメリカ人First Americans/アメリカ先住民Native Indiansの祖先 である、関りがある可能性があることです。
皆さんが図書館、書店、博物館に行ってまず見ることのない世界人類拡散の北上図というモノなのです。

日本の 図書館、書店、博物館 などで見る図は、下左図の樺太から北海道へ、朝鮮半島の方から九州へ、台湾の方から沖縄へ矢印が引かれた、何故か1種類のいわゆる3方向渡来図なのです。しかし、そういう人・文化の渡来は有りましたが、 実は ずっと新しい時代を含めたものであり、また既にいた先住の日本祖人Proto-Japanese及びその子孫と大幅に入れ替わるようなこともありませんでしたので、誤解の元です。第1第2図のように南方から沿岸地域を北上したモノで、日本列島の1万件という豊富な旧石器遺跡が示しています。ちなみにアイヌは、鎌倉時代頃からの在日の人々ですから、史的な”先住民族”では全くありません。

さて、上記の3方向渡来図が誤解を招く元である事は、下第1図のように、日本祖代では暮らしぶりにあまり差のない人口に濃淡のある違いという特色であり、縄文時代に至っても地域の差はあるものの一体性が見られることが、日本史の特色なのです。

即ち、約4万年前頃から、北部九州から拡がった一方向性である2万数千年に及ぶ文化の基層と言うべき特色が重要な点なのと、北上しベーリング地峡、アメリカ新大陸に至った可能性です。 何故か巷間本等では北上せじ、欧米学者のようなアメリカとの関わりがまるで出てこないのです。

更に、日本学界側の発信が十分でないのは、38,000年前という古さで伊豆の海を黒耀石を求めて、日本祖人Proto-Japaneseがフネで20km以上を越えて行き来していた世界人類史で特筆される行動が、よく伝わっていないために第2図には書かれてなく、30,000となっているのです。

図では、シベリアの方が35,000-25,000(黄色枠)と書かれていますので 、列島が書かれている30,000ではなく38,000である意味は極めて重要であり、北海道が30,000年前には既に暮らしがあったのですから比較の点で注目されます。オリンピックの年ですから、まず日本列島に約4万年前に”聖火”が入り、3万年前には出て行ったと考えられることを、少なくともそういう考えが世界の学界にあることを子供に、世界の一般の人々に発信すべきです。行く年来る年、よいお正月を。

図左、現代物理学の最前線では、お星様などでない、理論でしか分からなかった宇宙のダークマターとやらの解明に向かっています。

一方、歴史考古学の分野では、実証的な先生は見つけたコトだけを語り、“理論”歴史考古学は無いのです。図右、近代まで米国フロリダでも豪州でも先住民による素朴な海辺・川辺の暮らしがありましたが、縄文の前の「日本祖代」の祖人の暮らしは、万年を経ていますから痕跡が残り難い上に海水面が数十mも上昇していますので、今では海底に沈みそこでの暮らしは語られませんが、無かった訳でありません。何しろ38.000年前に、フネで伊豆の海を行き来して黒耀石を求めていたことは分かっています。アメリカ北西部沿岸では、氷床が融けた時代に重しが取れて地面が逆に隆起した所があり、そういう痕跡を探る発掘が行われていますが、注目の17,000年以前のモノを見つけるのはなかなかのようです。しかし、そろそろそんな大昔のあれこれのコトに名前を付け、アイデアでいろいろ議論する“理論”歴史考古学を打ち立て、AIの時代ですから 新分野のアインシュタインの出現を促すべきです、星に願いを。Merry Christmas & Happy New Year

米国次期内務長官にハーランド氏の名が挙がっていますが、先住民Native Americanで初という紹介です。今、学界では最初のアメリカ先住民は「誰が、何処から」が、現生人類拡散史の最後の謎であり、長い間の定説であった「マンモスを追ってベーリング地峡を越え、氷河が一部融けた無氷回廊を通って本土米国へ」が覆り、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイ沿いに舟で17,000年以前に入って来たというのが新説です。

それでもなんとなく依然としてシベリアからのイメージが強いですが、図左、米研究者の中に北海道の名を挙げる人が出ているのです。その北海道のわが祖先は、日本列島史の始まり時代の38,000年前には伊豆の海を黒耀石を求めて行き来していた「日本祖人」Proto-Japanese の子孫であり、北上して狭くなっていたとはいえ、津軽海峡を越えて3万年前には雪と寒気の北海道暮らしに適応していましたし、千島列島は食が豊かで次々に島が見えていたハワイに繋がる海でしたので、ベーリング地峡に北上できた(マンモス狩猟族が、―60度にもなるシベリアの荒地を東進で来たのなら)でしょう。いずれにしても、図右のAかBか混合か、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは候補であり注目です。ちなみにこの時代だと、2代目の縄文Jomonは未だですし、鎌倉時代からのアイヌAinuは全く問題外ですので、世界の一部にある誤解を正さねばなりません。アイヌ”先住”民族の国会決議も、誤解を生まぬために名称修正が必要です。そして、何よりもこれらのことを子供に教え、世界に発信しましょう。

前回の左図北上を続けた場合の最初のアメリカ人問題です。右図北西アメリカ合衆国のコロンビア川を遡ったクーパーズフェリー遺跡(16,560~15,280年前)は、「最初のアメリカ人」論議の定説を覆し、太平洋岸から入って来たという新説に導きました。

そして、発掘に当たった研究者は、図下部の英文のように、石器の類似性から
候補として 日本・北海道、あるいはその文化の影響範囲の所からの者かも知れないという見方を示しました。同僚には異論もありますので、今後の更なる蓄積を待つ必要があるにしても、サイエンス誌への発表で世界の学界の認識が生まれているのに、肝心の日本・北海道での認識は不十分であり、まして子供に教えられていません。特に、この時代となれば2代目の縄文人はムリですし、まして鎌倉時代からのアイヌは全く問題外の”先住“誤解です。米国研究者も北海道で人骨が発見されていないことを指摘していますが、かなり発見されている道内の旧石器遺跡・遺物は熊や北キツネのモノではあり得ませんから、北上を続けてベーリング地峡に至る否定されるべき要素のない、海の民系の日本祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoとその時代の状況を世界の議論の俎上に発信し、子供にもしっかり教えねばなりません。そして、この始まり時代の遺跡・遺物こそ文化予算を投じて明らかにし、保護もしていく必要があります。貴重な局部磨製石器が、オークションで3千円で売られているなどは大恥です。

大陸(の北・西)からマンモスやナウマン象を追って入って来た、北・西・南の3方向から列島に入って来たなどの説明は、いつのこと、誰のことですか、新人と旧人(ネアンデルタールやデニソワ人など)が、混ぜなんですか。我々の直接祖先である出アフリカの現生人類・新人の重要な始まり時代の説明としては間違いであり、紛らわしい誤解の元で、「渡海」、「北上・一部南下」こそキーワードとして強調されねばなりません。

出アフリカ後、南方から台湾山地~平野沿岸を北部九州に渡海し、その地域を起点に「日本祖人」Proto-Japaneseが列島中に拡がったと万件の旧石器遺跡が示しています。そして、2万数千年の長い年月を経て「土器」出現を契機に縄文人と呼ばれることになります。人々の断絶や大入れ替えは無く、渡来の文化や人々は有っても暮らしが緩やかに変化し、地域の特色が出てきながらも繋がっていることを遺跡が示しています。その頃、「日本」なんてなかったと理屈を言う先生がいますが、「祖人」や次の縄文人は何処の国の者かと訊けば、世界の子供が「日本人」と、英語は上に示した通り答えます。先生が言う「旧石器時代人」「先土器時代人」「無土器時代人」などと英語で説明しても、世界の子供は首をかしげるだけで、いつの人?どこの人?となるのに、オリンピックを目前にしながら、日本学術会議は放置しているのです。(2代目)縄文人が始まり、(鎌倉時代からの)アイヌが豪州アボリジニのような先住民族という世界の大誤解も、しっかり正しましょう。

更に、世界の人類史に目を向ければ、最後の謎ともいうべき「最初のアメリカ人」問題があります。

今話題の、北太平洋沿岸・昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って来た「最初のアメリカ人」First Americans問題に関わる候補として、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されていることも子供に、世界のお客さんに説明しましょう。

本物アイヌの声に対するワルパヨの誹謗中傷やいじめを、皆で止めさせよう。歪んだ誤解の国会決議”アイヌ先住民族”を正そう。そして、ウソにムダな税金を投ずることなく、北海道の貴重な遺跡・遺物の保護と研究を応援しよう。

アイヌの研究とウソ歴史との闘いに励まれる的場先生の正論を学びましょう。考古学上の金メダルをこんなフザケタ値段で売り買いしている愚行を止めさせましょう。

23濱 信吉、他22人コメント6件いいね!コメントするシェア

右図「最初のアメリカ人問題」は、コロンビア分岐点から左折したアイダホ州の遺跡などに加え、南米での発見が大きく貢献し、それまでのシベリア~ベーリング地峡~無氷回廊通過進入の定説を、太平洋沿岸の昆布ハイウェイルートに転換しました。

これにより、北部九州に多くの家族がフネで渡来して、トカラ列島越えで沖縄に南下し伊豆の海を黒耀石を求めてフネで行き来し、狭かったとはいえ津軽海峡を越えて拡がった3万年前からの祖人・北海道Proto-Japanese Hokkadoは、注目です。更に、南米ではLuzia人骨やアマゾン3古部族のDNA(ハーヴァード医科大の研究)が遠く太平洋を隔てたスンダランド(東南アジア)・サフルランド(豪州・ニュージーランド等)人と類似という難問があります。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: Harvard-DNA.jpg

家族がそんな大昔に太平洋を横断してフネで来れる訳もなく(DNA分析と痕跡から大西洋越えもムリ)、学者先生は頭を抱えますが、日本列島を経由した環太平洋移住MPOR説で理解でき、ここでも北海道が注目されます。
問題は下左図、巷間本・博物館の日本列島史・北海道史では3方向渡来図になっていることです。

北から北海道へ、西から北部九州へ、南から沖縄へとなっていますが、 時代を異にする動きを一緒にした、日本史の始まりとしては 誤解を与えるものです。 日本列島中の万件の旧石器遺跡は、赤線の列島北上史であることをはっきり示しています。また、北海道から次々に島が見えていたハワイに繋がる海の千島列島~カムチャッカ半島沿岸~ベーリング地峡沿岸も、行けなかったという状況ではありませんし、―60度にもなる、 瞬間冷凍のままの鳥が 最近発見された極寒のシベリア東進に比し困難であったとも思われません。まず、日本列島・北海道史を正しく北上史にすることが重要で、これによって最先端のA、B、Cの世界人類史研究にも貢献することになります。子供に、世界にこれらのことを発信しましょう。

これまで、沿岸ルート図中央のコロンビア分岐点の人類史における意義を紹介しました。今、南米アマゾンで岩絵 (12,000年前) の大発見ニュースが飛び込んできましたが、 南米は注目です 。

チリ・モンテヴェルデ遺跡で太平洋沿岸ルートに目を向けさせ、それまでの「北米無氷回廊からの シベリア人による南下通過による拡散」定説を覆しました。他方、豪アボリジニと類似のLuzia人骨やアマゾン3古部族のDNA調査や南端の先住民フェゴ人調査などで、南米先史の多様性(最初アボリジニ系次いでモンゴロイド系が進入)を示しました。問題は東南アジア・豪州から、万年の昔に太平洋横断で多くの家族が南米にやって来たとはとても考えられませんので、学者たちが頭を抱えています。大西洋横断もDNA分析で先住アジア系であり、実行上もとても成り立ちません(ずっと時代を経て、アフリカから5人の船乗りの3人が生きてブラジルに達していますが)。

しかし、世界人類史の「北上史観」に立ち、北海道に注目した補助線を引けば、特に昆布ハイウェイというルートの上図環太平洋移住(MPOR説)として理論歴史考古学上は、理解できるのです。海水面の100m近い上昇で沿岸痕跡の発見が困難なため、実証上は言えてないということなのですが、北海道をきちんと発信していない(次回説明)ことも理由なのです。ともかく子供に世界に、北海道・北上史観・太平洋沿岸ルートを発信しましょう。

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日本列島を北上した3万年前からの「日本祖人・北海道」(縄文人の先代)が、可能性として第2図ベーリング地峡に”登山“しオリンピア公園の方に下山して、第1図コロンビア分岐点で昆布ハイウェイを左折し発展して行ってことが挙げられます。

上流のクーパーズフェリーには、16,000年前の痕跡を200の石器などで残しており、アイダホ州を含むその広い地域を遊動し、鮭漁労や動物の狩猟、採集で暮らしてきた先住民Niimíipuu(人々)族がいます。その住まいも中に見られる細石器も南北アメリカ太平洋東岸地域との共通性が指摘されています。注目は、彼らの始まりの伝承が、洪水を生き残った若夫婦からというもので、沖縄・台湾~インドネシアなどの西太平洋諸地域に広く伝わる創生神話(伝わって行ったと言われるノアの箱舟話など)との類似性です。即ち、舟人・現生人類の日本列島北上と十分関りが考えられるのです。

北海道との石器の類似性の指摘だけではないのです。無論、鎌倉時代からのアイヌは全く関わりません、世界に誤解がありますが念のため。ともかく子供に、世界の人に教えましょう。

前回第2図、可能性として、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkadoが、ベーリング地峡に登山してオリンピア公園に下山する人類史の拡散「最初のアメリカ人」話をしました。

万年の昔でかつ数十m海水面が上昇してますので沿岸遺跡の発見は困難ですが、第1図正に歴史的な最初のコロンビア(川)分岐点から内陸へ入った遺跡が発見されています。それが図のAとBで、北の大氷床に未だ回廊が無い閉ざされていた時代にフネで太平洋沿岸から川を遡上して暮らした痕跡です。特にAは、ヘレン山が噴火した15,800年前の火山灰の下層から整形されたメノウの石器が発見されて年代が確定し、沿岸ルートもはっきりさせた意義が大きい遺跡で、絶滅した古種バイソンの骨なども見つかっています。Bも年代は最古級の16,000年前で、コロンビア川支流にあって200以上の各種石器と大型哺乳動物の骨片が発見され、何と北海道石器との類似性を指摘する声もあるのです。日本から関連の寄与する研究発信がないだけでなく、子供が全くこういう事を教わっていないことが大きな問題です。The projectile points from the site closely resemble those found in Japan, supporting the hypothesis of a Pacific coastal route.

第1図、米ワシントン(東部の首都はDC)州のオリンピック公園は、1788年イギリスの海軍軍人ジョン・ミアズ(John Meares)がChinaからの帰還の際に北米太平洋沿岸を探検して、この山脈の沖を通ったときを冠した山並みの神々しさに心を打たれ、ギリシャの「オリンポス山」にちなんでと名づけた山の公園で、太平洋を挟んで言わば北海道の太平洋“対岸”にあり、その森の景色は北海道だと言ってもそうかと思う似たものです。

それは何千万年も前からベーリング地峡を通じて生物の行き来があり、鳥は通い、関係があるからなのです。第2図、海峡からハワイの方に縦線を引くと、鏡に映ったように両側で昆虫などの類似性があることを北大の大原教授が指摘しています。さて、現生人類拡散史の「最初のアメリカ人」問題ですが、3~1.7万年前頃、可能性として北海道からベーリング地峡に登山し、オリンピア公園の方に下山したと思えば理解し易いです。当時からは100m近い海水面の上昇で痕跡発見は難しいですが、アリューシャン列島の舟の使い手の海の民の暮らしは有名です。

内陸ではそれを窺わせる遺物がどんどん発見されてきていて、公園南方のオレゴン州境の東進するコロンビア川を1.6万年前頃に遡った痕跡があります。

北海道とオリンピア公園の関係を子供に、世界のお客様に教えましょう。実は欧米先生は、子供の頃に学んだロンドン中心世界地図では、此処は両端に離れた一番遠い所のイメージで苦手なのです(その教え子の日本の多くの先生も)。

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