1図北海道大学の大のDNA分析による歴史ついての推定は、修正が必要です。

①カムチャッカ半島の集団は、AとBの2種があり、かつ②南下した痕跡は見られず、むしろ近代まで北千島人が半島南端に存在していたように北上を考えるべきです。オホーツク人は東西南北で多様であり、確かに北部と西部に古代史上の類似性がありますが、③北海道史の対象はオホ-ツク西部人系であり樺太種族と言っていいでしょう。モヨロ貝塚人もアイヌもそうで、④アイヌは鎌倉時代頃の進入者です。北海道史は3万年前から始まり、⑤祖人、縄文人、…と歴史を重ね、擦文人となりこれらの間に内地から、北から細石器文化人などが加わり北海道人となっていますが、その大きな器にモヨロもアイヌも入って来て既に居た人と部分的に折り合いをつけ、あるいは追い出し追い出され、融合しながら北海道人となって来たものです。

2図菊池元北大教授が、紀元後のオホーツク古代史を探っていますが、興味深いのは北・中千島人については、点線の不明扱いになっています。実はこの点こそ今日的な重要課題で、北部千島の解明が一つの鍵なのです。さて、世界人類移住史は、3図テキサス大学がミトコンドリアDNAをたどることで、「最初のアメリカ人」に関して発表し、初登場の日本列島通過ルートとシベリア内陸ルートで、氷床線で移住を制限したことも考慮しており、何れが先かも分かる今日的に興味深い内容となっています。それは、シベリアの狩猟族がマンモスを追ってベーリング地峡を越え「無氷回廊」を通って米本土に入って来たという長い間の定説が新遺跡の発見等で崩れ、1.7万年以前に北太平洋の食豊かな昆布ハイウェイ沿いにフネで入って来たという考古学上の新説に合っているのです(前回紹介)。

つまり菊池教授が視野におさめていた 4図、「最初のアメリカ人」候補は、海獣・漁撈系の甲(太平洋系Aとオホーツク海系B)とシベリア・マンモスハンター子孫のトナカイ・ハンター系の乙となり(中間的諸種族も)、移住史の甲は、島々が弓なりに配列していて、花を編んで作った綱=花綵(かさい・はなづな)のような弧状をしている花綵海道ルートに、南の日本列島人から北の海の民アレウトまで連なっています。その花の一つが、菊池元北大教授が点線で残した北部(北・中)千島という訳です。小柄、褐色、石器や土器も使う未開で、明治時代に調査した鳥居龍蔵が、縄文時代のような竪穴住居を作るも定住せずに島々を移動して暮らす遊道海民としての人々の様子を伝えています。旧石器時代・祖代、縄文時代の暮らし を留めたような驚きの ものですが、アイヌ語系の言葉を話しロシア正教を信仰していました。

カムチャッカ半島南端にも居住していたことは、半島中部太平洋側のウシュキ遺跡の墓が道南の知内町遺跡に類似している状況を考えれば、大昔はもっと北に拡がっていたのだろうと思われます。日露の千島樺太交換条約の歴史の大波に襲われ、色丹島や欧州のベラルーシなどに移住させられてよく分からなくなっています。残された関係の人々を見つけ出してDNA調査ができれば、最も古き痕跡である遊道海民千島について、また、アメリカ先住民との比較で貴重な何かが分かるかもしれません。膨大なアイヌ予算をこの貴重な研究調査に振り向けましょう。子供に教え、世界に発信しましょう。

今、世界人類史の重要な問題である「最初のアメリカ人」(1万数万年以前から)について、右図①日本最新の旧石器辞典が全く扱っていない周回遅れです。従って、子供は学校で全く教わっていません。

旧石器時代は約1万年前以前、中国では1.4万年以前になろうかという状況でアフリカ、ユーラシアを扱いながら、世界注目のアメリカ新大陸の重要な旧石器時代を全く扱っていない異常です。問題は長く左図②シベリアのマンモス狩猟族Bが、当時の海水面低下で生じていたベーリング地峡からマンモスを追って入って来て、氷床が融けた「無氷回廊」を通り米本土に、南米にまで拡がったというものでした。ところが近年になって、③その回廊が開いた頃の南米チリ遺跡が歴史界に衝撃を与え、北米では開通以前の遺跡が諸所で発見され、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイ(Kelp Highway)をフネで入って来た”沿岸ルート説”が主流になってきました。DNA分析によってアジアからであるとなり、一部に根強かった大西洋ルートなどは否定されています。そして、④食が豊かな昆布ハイウェイルートと石器の類似性に着目したアメリカ学者の中に、A日本から来たのではと言う者が現れました。

日本からとなれば北海道であり、3万年前からの祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されますが、日本では根拠もなく沿海州・樺太の方からマンモスを追って(現生人類が)南下し入って来たというイメージが今も書籍や博物館の展示で与えられ、南方九州から北上して拡がったという1万件を超える旧石器遺跡が示す事実が示されない異常から、外に出るイメージが生まれず、今やアメリカ学者が言い出した事に対応できていません。さて、左図A④3万数千年前の青森から狭くなっていた津軽海峡を越え、3万年前(石器分析)には北海道に拡がっていた祖人が注目され、図のように一旦はいろいろ別れても合流する種々のルートが考えられます。当時の地峡により、北極海の冷水の流入はSTOPしていた米臨海は正にハワイに繋がる海でした。外国の学者にはアリューシャン列島ルートを指摘する者もいますが、図中央のロシア・コマンドル諸島(かつて侵入した露人が生活難で全滅)から列島側へは400kmを超える漕舟が必要で、1日10時間で約1週間、万年前には困難だったろうと考えます(仮に、祖人が渡っていたなら言葉もない驚き!)。

更に、考古学的には“米臨海”地域は、せいぜい1.5万年前までの遺跡発見の状況ですが、⑤DNA分析ではもっと早くに現生人類はベーリング地峡に達し、そこで滞留してDNAが変化したCと考えないと理解できない状況にあるとの分子生物学分野の意見が出ています。という状況で世界は移住史の最後の謎に取り組んでいます。日本も積極参加し、北海道の当時の状況、考えられるルートに係る状況についての解明努力が必要で、膨大なアイヌ予算から充当して協同研究などにより世界学界に貢献しましょう。子供に教えて研究進展に期待し、世界に旧石器時代・日本祖代の北海道関連を発信しましょう。

青森で最古級の土器(縄文でない)が出た16,500年以前を旧石器時代・日本祖代とするので、アメリカ大陸分は扱っていません、がいい訳なんでしょう。

しかし、そもそもかつては、縄文時代とは概ね日本列島に縄文土器がいきわたり、定住生活や弓矢の使用や明らかに先代と暮らしぶりがはっきり変わった13,000年前頃からで、約1万年間と言われていました。今では15,000年頃説、そして最近増えて来た16,500年説ですが、青森にしかない縄文もない土器が登場した時をもって縄文時代の始まりには違和感がありましたが、仮にアメリカ新大陸との関りを排除するためであれば、世界を観ないその姑息さは許されません。世界移住史最後の謎の「最初のアメリカ人」問題は、無氷回廊定説が覆って17,000年以前に「米臨海」沿岸ルートから進入説が主流となってます(関係米学者7割)。

青森~アンカレジ沿岸ルートも浮上、3万年前からの祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、注目です。学界は、縄文時代の始まり、世界の「最初のアメリカ人」問題を議論しよう、子供に教え世界に発信しよう。

世界人類移住史の最後の謎、「最初のアメリカ人」については、右図の「米臨海」沿岸からフネで1.7万年以前にという事で、青森~アンカレジの「昆布ハイウェイ」沿いが注目されてきており、特に図中央、北部千島の海の民”祖・縄文人”系の痕跡に、その探求課題が浮上して来ています。

ところがなんと、100年以上も前の考古人類学の始まり時代に、日本人類学の祖、東大の坪井正五郎教授が、図左千島列島人に注目すべし、①アイヌとの関連、②石器時代人(祖代、縄文時代は分かってはいなかった)との関係、そしてアジアとともに、③北米の人々の由来を考え究めるうえで必要と指摘し、正に現代を驚きの先取りしている先進性です。では、千島列島の調査研究はその後もなされてはいるのに何故、今日まで教授の先進の認識が生かされていないのかは、A.折角、当時も現地研究がなされたが、当時のレベルの判断で坪井教授の認識を否定してしまい、また、教授が亡くなられて反論の機会もなく立ち消えてしまった。B.特に、世界的にも③アメリカとの関係では、シベリア・マンモス狩猟族がベーリング地峡を越えて入ったとする移住の旧定説が根強く、注目されなかった。C.学界が千島アイヌ、あるいは北千島アイヌと呼んでしまい、鎌倉時代から北海道に入って来たアイヌと同一視する矮小化の問題を生じてしまった。ことなどにより休眠してしまいました。

坪井教授は、当時得られた聞き取りや現地研究、文献諸資料から、「アイヌとは違う」人々という今では重要な問題意識を有して注目しましたが、結局その後の研究においては、(北)千島アイヌとして矮小化され、アメリカとの関連に着目する研究は無い状況になってしまっています。実は明治の千島・樺太交換条約で、日本政府は国境の外国密猟者による襲撃の危険もある”北部千島人”を説得し、明治17年(1884年)に南の色丹に移住させ生活基盤を与えましたが、結果として病人が発生したり大きな生活変化に適応できず、97人の過半が亡くなり、生まれた子供を加えて62人に減少、その後混血もあり道民の中などに融け、昭和16年には今から思えば学術的に重要な北からの移住者がいなくなってしまいました(千島列島を巡る日本とロシア:秋月俊幸)。

色丹で生まれた子も年月が経ち、今では亡くなっていることでしょう(DNA調査を追ってほしい!)。残念ですが、この新たな光が当たる千島列島人、特に海の民「祖・縄文人」系の「北部千島人」は、これまで行われた種々の研究をそういう目で見直し、隣国史と比較検討することが求められています。世界が求める課題の重要研究に、近頃の膨大なアイヌ予算から世界課題の国際協同研究 に充当しましよう。子供に教え世界に発信し、誤解も正しましょう。

米オレゴン州立大が、左図北米に、内陸の氷床に開いた赤い線の「無氷回廊」を
シベリア狩猟族が 入って行く頃、いやその前の時代の遺跡が南北アメリカ新大陸で発見されてきたことなどから、それまでの定説はNO、青い線の沿岸ルート説をYESとしました。

そして、では具体的に誰が、何処からを考察し、右図の青い細線ようにKamishirataki上白滝・日本一の黒耀石原産地~オホーツク海沿岸~カムチャッカ半島沿岸~ベーリング地峡沿岸~太平洋西岸(南北米)のルートを挙げ、
“ コロンビア分岐点 ” から左折して川を遡行した北米最古級のクーパーズ・フェリー遺跡を例示(石器が遠軽白滝出土品と類似性ありと認識)しています。

そして、そうなると最初にやって来た人々は海の民かと問いを発し、暗にシベリア人観に疑問を呈しています。 是非、日本祖人Proto-Japanese は①北部九州へ約4万年前に家族で3~40kmの海を越えた民、②黒耀石を求めて十数Km以上の伊豆の海を行き来した民、③狭くなっていたが津軽海峡を越えた民である事などを分かってほしいです。これらの事は、 日本祖代研究会が、更に東南アジア・スンダランドSundaland~太平洋西岸地域を北上~北部九州から日本列島~千島列島を加えた環太平洋移住MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)説と軌を一にするものです。

問題は、世界にこのような議論があること自体を生徒・学生が教えられていないことで、「日本人はどこから」を右下第3図の北・西・南の3方向渡来の内籠りで説明しているために列島から出て行く発想が全く無い欠陥なのです。

世界のオリンピック年です、子供に教え、世界に発信を、そして始まり「北海道の祖代史」を、正に”先住”の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoを世界の議論に参加させましょう。

北海道の始まり史は、周辺地域での石器等の状況から、青森を基礎として海水面数10m低下で狭くなっていた津軽海峡越えの北上です。昆布ハイウェイが十勝に導き、北方領土を廻って日本一の黒耀石産地の遠軽白滝へと拡がりました。

樺太や沿海州アムール川沿いに2万年以前の氷河期最寒期LGM時代の 現生人類の 痕跡発見は有りませんので、まず青森北上の始まり時代を認識です。北からの北海道への確認されている第1波は、1.8万年前頃からの細石器文化を有した人たち(出戻り含む)です。その頃は氷河期が終わり、温暖化でマンモスの餌の草地が変わり、マンモスは消えて鹿などの中型・小型動物を狩猟する小さな細石器使用の時代となっています。そして時を経て世界最古級の土器を有する青森から帯広にも土器が伝わりました。祖代、縄文時代と本州からの流れ(3~1.3万年前)の一方で、1.8万年前頃、北から細石器文化が伝わった訳です。これまで北海道の始まりは、マンモスハンターがマンモスを追って南下し、アムール河口~樺太と陸続きの道北から入って来たと言う説明でしたが、

①青森からの北上が始まりである、②他国の例にみられる、マンモス骨等に石器傷痕がない、マンモス骨と人が扱う石器が同じ場所から出ていない、③北からの人か文化が来た痕跡は、温暖化でマンモスが消えた1.8万年前頃、しかもマンモス用でない細石器文化である、ことなどから北海道史始まりのこれまでの根本に疑問を呈するマンモスについての標題となります。まずこの始まり時代を認識し、右図表の第2の波オホーツク、第4の波アイヌなどを理解する必要があります。大陸の狩猟族や出戻り人、棲み分け、混血、追いやり、争い、いろいろあったでしょうが、民族の入れ替わりやゲルマン民族大移動のようなことはなかったというのが現在の認識です。因みに時代は下りますが九州の方に騎馬民族は来なかったと言われています。
そして、祖人北海道Proto-Japanese Hokkaidoが、次々に島が見えていた千島列島から北上を続けてベーリング地峡へ登山し下山したかのような沿岸の行動で、「最初のアメリカ人」Nativesに関わったのかが、今世界の注目なのです。

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誤解の多い北海道史、子供に世界に最新認識を発信しましょう。

約4万年前からの日本列島史は、1万件を超える旧石器遺跡の分析などにより、実は世界がうらやむ驚きの解明度合いですが、学校は殆ど教えてくれません。北部九州に家族がフネで渡海して来て、南下し沖縄へ、北上して図左の中央部の賑わいを見せました。

注目は当時の宝物の黒耀石です。なんと世界が驚く伊豆の海の行き来を3.8万年前から行っており、 良質豊富な八ヶ岳地区や箱根山麓の物などがあり、祖人小グループが遊動狩猟する、米国先住民インディアンのように環状でキャンプしたり、1mを超える陥し穴を数十も作って動物猟をする社会性を示すなど、関東甲信越は正に現代を思わせる当時の賑わいでした。野尻湖の動物キルサイトのような遺跡など、まだまだ今後の発掘による解明が期待されます。 そして図右、 狭くなっていた津軽海峡を越えて道央・道東、北方領土、道北へと沿岸を主に拡がりました。

雪と寒気の北海道に住み着いたのも昆布ハイウェイの海獣・魚介の食の豊かさとやはり遠軽白滝の日本一の黒耀石の魅力があった事も影響していた事でしょう。北海道は、少なくとも3万年前以後(道立民族博物館)青森から海峡を越えて適応を果たし、最古の石器も土器も道東の十勝地区で発見されているように、本土同様の歴史が広い地域で始まっていました。道民博は、北から1.8万年前以降、細石器の第1初の文化の波を把握していますので、3~1.8万年前頃のそれまでの1万年強の間は、本州から北上した祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの歴史が刻まれ、その間に、千島列島は食豊かで次々に島が見えたし、「米臨海」沿岸からアメリカ新大陸に入って行った、あるいはそれに関わったかと今、世界の注目です。それは、「最初のアメリカ人」Nativesは、それまでのマンモスを追ってシベリアから内陸の無氷回廊ルートBb1を通って説ではなく、北太平洋西岸ルートACからフネで1.7万年以前に入って来たということが、近年の主流説になっているからです。そして、北海道の細石器以前の素朴な第1世代石器と第2世代細石器、北米も最古の素朴な第1世代石器と洗練された第2世代クロービス石器(1.4万年前~)と言う石器歴史の歩みの類似性があるのです。

北海道史の更なる深化と北米関連の解明が、期待されているのです。子供に教え世界に発信し、世界現生人類史の最後の謎の解明に、日・米・加・露の平和共同研究を提唱しましょう。

第1図、日本列島史の始まり祖代(約4万年前、北部九州~)の世界考古学史上の金メダル、古さで日本特有の磨製石器が、なんと3千円足らずでネットオークションに売りに出されている大恥です、年表を見てください。しかも今、その時代の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、沿岸からフネでやって来たという「最初のアメリカ人」Nativesとの関りが注目なのです。

つまり、3万年前からの北海道人が、下図のように食豊かなKelp昆布 Highwayを千島列島、ベーリング海 へ北上を続けて、 沿岸からの現生人類の初渡米 問題 への関り(ベーリングに向かい ”登山”し、カナダ・アメリカ沿岸を”下山”) の可能性 で、注目されているのです。

それでは貴重な石器が軽々しく売られているのはなぜかと言うと、 下第2図、「北海道の旧石器(祖代)からオホーツク文化まで」と銘打たれた権威ある展示会が、パンフの中心はオホーツク文化遺物であり、「北からの文化の波」と言う紹介が、南方から北部九州に家族がフネで渡海し、その後の長い間の北上列島史と異なっていて誤解を生む羊頭狗肉のものなのです。

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パンフも3万年前からとする道史で、北海道中部以南から関連する北部東北・青森の遺跡紹介はたった1ケ所という異常さですし、3万年前から1.8万年前の第1の北の文化の波とする時代までの1万年間以上の歴史は無いようですから、祖代の金メダルも気にならないのでしょうか、驚きです。第1図年表の一部に過ぎない「北からのオホーツク 文化の波」を過剰に強調するのも誤解を生む印象操作です。下図のように、祖先の日本列島史は、南方から北部九州に渡海し、北上して関東甲信越で賑わいを見せ、狭くなった津軽海峡を越えて3万年前には雪と寒気の北海道暮らしに適応していたのです。そして、プーチンもいませんから食豊かな昆布ハイウェイの北上を続け、最初のアメリカ人に関っただろうと言う事です。

因みに 下図年表のように 、オホ-ツク文化同様にアイヌも鎌倉時代から和人と共存しているのを”先住民族”とドサクサの決議で誤解を与えてますので、父祖の地の歴史は全く問題だらけです。

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正しく子供に教え世界に発信し、アイヌ・ウポポイの膨大な予算を、真実の北海道史の研究及び遺跡と遺物の保護に充てましょう。

(参考)  

Mituaki Matoba

4月発売予定の『現代語で読む〝蝦夷島奇観〟』の最終校正も終わり、表紙も決定しました。今回は〝蝦夷島奇観〟から50項目を選んで紹介しました。江戸の古文献からもアイヌが先住民族ではない証拠がたくさん出てきます。 現在『続・現代語で読む〝蝦夷島奇観〟』を書いています。こちらは残り53項目を現代語で紹介します。解説や考察のために新たに読んだ文献からの発見も多く紹介したいと思います。

テキストの画像のようです

右第2図アメリカ新大陸への現生人類の移住について、人類学の第1人者ミシガン大故Brace教授が、世界各地の千数百の頭蓋骨を見た経験から縄文人は、現代では米先住民のチェロキー族・スー族に似ていると言いました。欧州人が米新大陸に来た頃、第1図Nativeインディアンは、現代のアフリカでも見られるバンドと呼ばれる小集団の群れで、移動しながら狩猟採集の暮らしをしていました。

教授は縄文人と言われましたが、祖人Proto-Japanese( 日本列島初代人、 縄文人の先代、)という用語が広まっていなかったためであり、実は祖人から縄文人へは5千年かけて日本列島の暮らしがゆっくり変化しており、「最初のアメリカ人」の時代的には祖人の子孫と言うべきでしょう。そしてインディアンの暮らしぶりは、なんと3万年前の(日本)祖代の栃木・佐野市の遺跡の「環状キャンプ」と似ているので驚きです。また、米先住民の人物写真を見ていくと、時代を経て欧州人との混血も進み大昔とは違いますが、痕跡は有るように感じられ、エルビス・プレスリーの写真があることに驚かされます。①オーストラリアのアボリジニ、 ②比、台湾の先住民、原住民、③日本祖人(鎌倉時代からの渡道アイヌは無関係)、④アメリカのNativeインディアンなどの先住環太平洋繋がりを、しっかり子供に教え世界に発信しましょう。

2001年、ミシガン大教授チームの研究を、読売・館林記者が報じた頃は、「本当かいな」という扱いでしたが、「最初のアメリカ人Natives」問題について、米学界関係学者の7割が今や沿岸説という現状から見れば、実にポイント4点をついていた先達の驚きの素晴らしい研究分析でした。

当時も今も問題の一つは、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoという、縄文人の先代、日本列島始まり時代の現生人類である祖先に名称がないことです。故Brace教授は、形状を分析し類似性を認識して縄文人、アイヌ、ポリネシア人系のモノと言った訳ですが、万年前の人骨を議論しているのに、桁が違うポリネシア人、鎌倉時代からのアイヌが縄文人と並んで登場で違和感があり、また、世界に誤解の元です。実際は最初のアメリカ人に関るのは、縄文人よりも早い時代の祖人Proto-Japanese(実際は土器が見つかった時16,500年前から縄文人と呼んでいるだけで連続)です。

北海道の酸性土壌で縄文前の祖代の人骨発見は期待できませんから、逆に、祖人・北海道の特徴を故Brace教授が指摘したような特徴の人とすればよいでしょう。始まりの米先住民との関りですから世界が注目です。子供に教え、世界に発信を。

縄文Jomonは世界的にも知られ、最新のDNA分析によって現代の日本男女は、周辺の国の人と比較すると縄文時代由来の要素を8割以上有しており、いわゆる「 渡来 弥生人」 の実態は 縄文人の子孫 と判明 しており、その後の古墳時代から現代までも遺伝特性を換える大きな異質民族の流入のない、人体は環境に応ずる 連続的な 差異です(長浜浩明 日本人ルーツの謎を解く)。マクド、スタバ、ケンタッキーが街に溢れても、ヒトが欧米化したわけで無く、明治時代と大して替わっていません。では、縄文の前の日本祖代はどうだったのか?出アフリカの現生人類が東進して東南アジアから北上し、約4万年前に北部九州に渡海して列島に拡がりました。2.7万年前の祖人・石垣島のような祖先の人たちだったでしょう。

祖人は、38,000年前から黒耀石を求めて伊豆の海をフネで行き来し、縄文時代の工房跡も河津地区で見つかっています。

鹿や猪の生態を把握して計画的にリーダーの指示で鉄器もないのに1m以上の穴を多く掘って陥し穴猟をしていた知的レベルと社会性を示し、北海道の雪と寒気に適応しまいた。そして北上を継続し、今、世界が注目する「最初のアメリカ人」として、渡米の可能性があります。

氷河期が終わり温暖化する時代に、大陸の細石器文化が北から西から列島に及んでいて注目されますが、例えば下図のヒトT細胞白血病ウイルス1型 HTLV-1キャリアが、島などに多く残る状況を分析すると、大昔から特筆すべきヒトの実質変化は生起しておらず、北海道も 基本的には始まり(南方人)の 特性が維持されていたことが分かります。 そして、土器の出現で縄文と名が変わ るだけの 連続推移の孤立的な島国 なのです。

学校も巷間本もこの事を扱ってませんが、考古学界の努力で、これほど大昔の始まり時代を考察しうるのは世界でも傑出してるのに、余りにも厳密実証に捉われているためか、扱っていないのは問題です。子供に教え、「最初のアメリカ人」問題に参考となる背景状況を世界に発信しましょう。

オリンピックが来るのに、第1図万年前の石器が北海道と米西海岸の物が似ている事、第2図最初のアメリカ人は、沿岸・赤色の昆布ハイウェイから1.7万年以前にフネで入って来たという新説(米国学者の7割支持)が、日本では教科書に載ってなく巷間本もなくSNSですら殆ど語られない理由の大きな一つは、説明し論ずる適切な用語が無いからです。

吾輩は猫である、名前はまだ無いなのです。世界に通用するのは、1.Proto-Japanese 日本祖人です、そして日本祖代。各地で発見された人骨は地名を付せばいいのです。 2.原人は、 明治時代に言った人もいましたが、ジャワ原人が発見されてますしダメ。 一般に3.旧石器時代が言われますが、実は世界では200万年前くらいから始まりますので不適で、後期を付しても欧米、アジア、日本でイメージに差があります。 5.先土器・無土器も始まりの前が青天井で不適です。6.岩宿人は、日本の旧石器時代の発見に繋がった由緒ある地名ですが、沖縄から米新大陸までを視野の国際時代にはちょっとムリです。7.ヤポネシア人は国際的ですが、何処の人?という質問に説明が必要ですし、南方のどこかかなという誤解の恐れも。さて、将来的に仮に日本で最古の遺物の石器・人骨として、旧人ネアンデルタール・デニソワ人のモノが見つかったとしても、直接祖先ではないですから騒ぎ過ぎないようにしましょう。まあ、サルとヒトの中間で、はっきり違いますから。

何とか、現在世界で知られるJomonくらいに、Sojin、Sodaiで通ずるようにしたいものです。そして、世界にかなり誤解がある鎌倉時代からのAinuとは全く違うモノであることを、はっきりさせて正しましょう。なお、これで分かるように、「縄文Jomonはどこから」という問いは愚問で成立しません。2代目は、日本列島からに決まっています。

日本人と似ているナバホ族の暗号通信手の大戦時の活躍(第3図)、最初のアメリカ人Nativesの最新説の昆布ハイウェイ移住(第2図)について説明しましたが、考古学的には第1図槍先形の有舌(茎)尖頭器が、不思議なほどよく似ていることを日米の学者が現物を手にして確認しています。

始まりの日本祖代から日本列島にはナイフ形石器があり、それが 有舌(茎)尖頭器 に進化発展したもの、あるいは大陸から伝わったものと考えられ、氷河期後の温暖化しだした時代(1万数千年前~)の狩猟に大きな進歩をもたらしました。図の形態は、祖代の次の縄文草創期のものとみられますが、一方向の広がりではないようです。この舌・茎の部分の形状を含め図各地のように、微妙に各種の異なりが見られ、日本列島内でも4種に区分されたりしています。ともかくこれだけ離れて類似ですので、北海道と西海岸だけでなく発掘された石器を広く研究分析する必要があります(縄文人はフネで直接渡洋したか、ムリでしょう)。まずは、日本学者が北海道だけでなく、経路途中や西海岸や大陸の石器も共同研究できるように科研費を投じましょう。世界人類史的にも期待されているのです。子供に教え世界に発信しましょう。まさか有舌(茎)尖頭器が、ネットで安値で売り買いされていないでしょうが、遺跡遺物の保護にも努めましょう。

前回、下図(左)の南方ネズミの列島定着で巷間本等の誤解を正しましたが、図(中)その南方で最新のウラン・鉛年代測定法により、インドネシア・スラウェシ島・マロス洞窟群の多くの洞窟絵の最古のモノは45,500年以前と判明しました (Science Advances  13 Jan 2021) 。

洞窟絵では、フランスやスペインのものが有名ですが、マロスのモノは高い認知力を有し断然の古さで金メダルです。注目は、この海に近いマロスの洞窟絵には舟を画いたモノがあり、中部スラウェシでは帆柱付きのモノもあります。実はこの地域は「海の民」(マカッサル・ブギス人)として有名を馳せ、活動はマラッカ海峡から豪州に及び、シンガポールにはブギス駅もあります。この古さと認知力は、南方から北部九州に約4万年前に家族で渡海し、祖人Proto-Japanese が沖縄から北海道にまで列島に拡がり、図(右)伊豆の海では38,000年前から黒耀石を求めて20km以上を行き来して海上行動分野の金メダルを獲得したことを納得させます。今、現生人類史最後の謎、「最初のアメリカ人」についての新説は、1.7万年以前にベーリング地峡沿岸・昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って来たというモノであり、狭いとはいえ津軽海峡を越えて雪と寒気に3万年前には適応していた祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが候補として関りがあった可能性があるとして注目されるのです。

そして下図、南米アマゾンの古部族とマロス洞窟群を含むスンダランド地域の古人のDNAが不思議に類似である事も踏まえた、現生人類の環太平洋移住MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)説(スンダランド地域から日本列島、ベリンジア南岸、北米・南米西岸―日本祖代研究会が提唱)が注目されるのです。

日本の子供がこんなことを全く聞いてもいませんし、世界でも認識はまだまだですので、オリンピックを機に教育し発信しましょう。

時代を異にする図左3方向渡来図や祖代を「原始時代」としているのは誤解の元で、日本列島史の始まり時代は、世界考古学史上の多くのメダルに輝いている(図中赤字)のです。

こんな時代の近隣や欧州に見られない磨製石斧をはじめ、造舟・外洋の操舟、釣り針、黒耀石を求めた20km以上の海の行き来、環状の集合居住の社会性、動物の生態を把握した陥し穴猟は九州から北海道まで、1m級以上の大きさと深さの多数の穴を知的に計画し多くの人に指示して共同作業で鉄製スコップのない時代に掘って作っているのです。そして、「世界の『最初のアメリカ人』研究」においてマンモスハンターが動物を追って入って来たという定説に替わった、北太平洋・ベーリング海沿岸の昆布ハイウェイKelp highwayをフネで入って来たという新説で、今や海の民系の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されているのです。

というように、日本祖代は世界史的に注目される事象が豊かな期間であり、日本史的にも明らかにその後の生活文化の基層を為す重要な始まり時代なのです。まず北上史を基本とし、子供に教え世界に発信しましょう。

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