日本の皆さんも連休で行楽地に行かれていることでしょう。

先般、半年の学期に1度の日帰り研修バス旅行に行き、レポートも提出終わりましたので、ご報告です。前回の旅行は、学生がルーズで7時出発予定が9時近くになり、5時起きで示された集合時間前に来ていた日本人組をあきれさせましたが、今回は名簿確認、Tシャツ及び朝食受領などの後、7時過ぎに出発できました。向かったのは、バンドゥン南東約2時間のGarut地区で、お菓子工場見学と観光施設でした。学生は遠足気分ですが、企業の工場管理、販促、問題点、助言など5枚以上書いて提出というのが気になります。

それはさておき、観光施設はNaga村でした。入口に此処スンダの人が大切にする小刀Kujangが飾られ、土産物店が並ぶ中を通り、川のある低地(比高差約15m)まで階段を降ります。途中で視界が開けると、教室で教わったように、川のそばに家々が並び田畑がある伝統の風景が目に入ります。130人くらいの人たちが今も電気の無い(!)昔の生活をしています。そして、やはりここでも家には日本の神宮・大社と同じく千木があります。

朝食 Kujangnaga村 千木

ウガンダからのイブラヒム君は、国のと同じようなものだと懐かしそうに杵を手にします。人だかりで見えませんでしたが、ナイジェリアからのファルーク君は、村の人が20cm位の竹楽器を口元で演奏している(写真は、budaya-Indonesia.orgから)と合わせてスンダの歌を歌って驚かせてくれます。西アフリカとアジアの楽園のスンダは近いです。

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お日様とともに暮らし、隣も分かる長屋で農耕と民芸品作りが生計を支え、子供たちは階段を上り下りして通学していますが、町の騒音とは無縁、リストラもいじめも殺伐とした事件もない穏やかな生活です。途中休憩のガソリンスタンド前の空き地には、グヌン・パダン遺跡と同じ柱状節理の石柱を輪切りにした造形の敷石が作業を待っており、雨で霞む遠方にはピラミッド山が見えました。

生活 6角柱

見学を終えてスンダレストランで夕食し帰りました。たまたま着席し撮った写真を見ますと、手前2人がアフリカ、次の右は高地人が万年の暮らしをしているパプア、左は黒潮先の薩摩おごじょ、奥の隣の席の向うむき最右がエジプト、こちらを見ている右はアジアの楽園、マレーシア国境に近いタイ、左はアイヌの展示の充実を発表した北海道の道産子と、人類の旅さながらのものとなっています。現在、日本と韓国がダントツで学生多数派の双璧です。なお、今回のnaga村は、川そば低地でしたが、この国には山中で今も頑なに昔ながらの生活を守っているバドゥイ族の人々もいます(写真下右)。そこは、天国への橋を渡って行く聖地ピラミッド地区に入った外部の者は生きては帰れないと言われる所です。正に多様で昔が残っている国です。

夕食 バドゥイ

Gunung Padang(1)

カテゴリー: 研究関連,English

NARA  AKIRA pointed out in my flame work of theory that there are similarities among pyramids and historic megalithic  relics in the world.

Those are even in different countries and far apart.

World heritage Borobudur is said that it followed structure of Gunung Pdang.

Machu Picchu has also similarity to Gunung Padang in its structure, pointed by an Indonesian architect Mr. Pon Purajatnika.

Japanese Dr.Takasi SAKAI wrote about it on Gunung Padang and  Preah Vihear Temple in Cambodia in his research report.

Indonesian Dr. Danny Hilman explained in symposium that 6 megalithic sites are already found around Suka Bumi city in west Java within 60km include Gunung Padang.

 

4月に開催された「アジア・アフリカAA会議」60周年記念行事は、
盛会のうちに閉幕しました。

過去の投稿をまとめたので、ご覧ください。

2015.04.11 【予定】2015年4月18~24日 アジア・アフリカ AA会議60周年記念行事

2015.04.22 アジア・アフリカ会議60周年記念行事

2015.04.23 アジア・アフリカ会議(2)

2015.04.23 アジア・アフリカ会議(3)

2015.04.25 アジア・アフリカ会議(4-1)

2015.04.25 アジア・アフリカ会議(4-2)

2015.04.26 AA会議関連イベント

理論的な枠組み

カテゴリー: 研究関連

理論的な枠組み

2015.3.24 ギョベクリ・テペ及びグヌン・パダン合同シンポジウム

バンドゥンのインドネシア科学院LIPIにギョベクリ・テペ研究ジャーナリストのAndrew Collins(英国)を招いて行われ、グヌン・パダンについては、LIPIのDanny Hilman博士が実施しました。万年を越える両遺跡等について、興味深い説明がありました。

1.時期・場所
・3月24日 09:30-16:00
・インドネシア科学院LIPI 10号館1F,3F
会場1階には、関連パネルが展示されていました。

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2.興味深い内容
(1) Andrew Collins .
ア 北から来た人たち
遺跡建造に関わった人たちは、黒海北側のSwiderian地域に居たが、ヤンガー・ドリアス寒冷期(13,000-11,500年前頃)に黒海東側をコーカサスに南下し、トルコ東南のギョベクリ・テペに至った狩猟採集民族である。当時の住民数は分からない。数千~1万か。
GordonChilde等によれば、元々は、4万―1万7千年前頃、東欧で勢力を有していたGravettiansで、ドン川沿いの上中流でも遺跡が発見されている。(紹介された想像図では丸太小屋に住み、フード付の長いコートやマントを着ている石器時代人である。)

イ テペ遺跡
テペ遺跡は、11,500年前ころのものだが、近くの南東(約37km)にKarahanテペ遺跡があり、10,500年前ころで、同じくT型の巨石建造を行っており、巨石の切り口もシャープである。
まだ地下にも遺跡はある。地域は、200m×300mくらい。一時伝えられたほど多い数ではない。

ウ 寒冷気候変動
原因は、彗星群の衝突によるものと考えられ、オオカミの石彫りは尾が彗星、手足がその抑制のシンボルと考えている。シャーマンが戦っているものもある。

エ 遺跡軸線の方向と星座
遺跡中央の2大石柱の真ん中から入口の方向の軸線は、真北から18度北北西で白鳥座のデネブ星に向いているが、グヌン・パダンとこの点は同じである。中国や日本の織姫・彦星神話が相当する。

オ 黒曜石
テペ人は、洗練された手法の狩猟族で、シャーマンがおり、交易者で、鉱物特に黒曜石の使用に優れていた。15,000年前ころバンドゥンの山斜面にも黒曜石の製作場があった。グヌン・パダンとの黒曜石文化があった。

ギョベクリ・テペでは、金属でなく石工具で石柱及び動物描画作業等が行われている。

(2) Danny Hilman博士
ア カタストロフィによる人類史における気候変動及び人類数の増減について考えるべきで、1000年前、産業革命まで何万年も人類数は一定で少ない定説に疑義あり。フローレス人の存在とその消滅は、ヤンガー・ドリアスYD期のカタストロフィ気候変動によるのではないか。

イ YD期を終わらせ急激温度上昇をもたらしたのは、太陽プラズマの爆発かも知れない。プラズマの起きた場合の形態と古代人の絵に類似性がある。マンモス消滅、北米クロービス文化消滅、火山活動の活発化、ギョベクリ・テペ建設、スンダランド陸地の変化など画期的な事象が表れている。スンダ海峡では、音響探査で海中に港のような形が出ている。

ウ タイランド湾内の灌漑遺構
湾中央部で、海中に大河から枝分かれした網の目のような人工運河があるが、1万年以上前の灌漑遺構か。(まずは洪水の治水、乾季の食糧生産であることから灌漑遺構であろう。)

エ スラウェシ島等の巨石文化
おなかの前で手を組んだ石像は、ギョベクリ・テペと類似で、彫られた動物にも類似性がある。また、石器で作るのは容易でない滑らかな曲 線形状の巨石遺物がある。メキシコとスマトラ巨石像の類似性もある。

オ グヌン・パダンの概要及び石柱、構造及び年代、発掘遺物
スカブミ西(チケンバン)を中心とする50km圏内にグヌン・パダンの他に6ケ所の巨石ピラミッド等が確認されている。(やはりスカブミ地区は注目される。)
第5テラスは、石積斜面に土を盛った部分が大きい。
最下層は、蛇の鎌首溶岩の頭部上面の安山岩層である。(灰白色の柱状列石は、周囲が緑の中、目だった景観を呈していたことと思われる。)

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