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音楽と踊りは、新人類がアフリカから出る時も受け継いできた根源的なものであり、縄文の音楽を再生していただけば、「アジアの楽園」Sundalandからの北展開ルートとして分かり易いなあと夢想しています。

「原初の唱和」ライブ【花綵(はなづな)列島の仲間たちの出会い】
2015年冬、日本の博物館収蔵のタロコ族文物の調査のため日本を訪れていた東冬・侯温(トントン・ホウウェン)を、新横浜オルタ・スペースでの「花綵列島の民が集って」コンサート(1月12日)に招いたのが日本での初演。

彼の歌に触れた聴衆からは「神が降りてきた声だ」「衝撃的」などの賛辞が相次ぎました。

このとき共演したアイヌのパフォーマンスグループ、ヤイレンカの歌に感銘を受けた東冬が、タロコにも同様の集団で歌う歌があり、次回はタロコの集落で歌い交わされてきた歌と踊りを、日本の先住民族であるアイヌの歌舞とともに披露したいと希望したことから、この夏の一連のコンサートが実現することとなりました。

東アジアの東端、花綵列島に位置する日本〜沖縄〜台湾の人々の絆を深めたく思います。(注:主催者の原文のまま)

という催しが大田区の池上實相寺で行われています。

いつか当地の竹楽器アンクルンや竹笛、途中のフィリピン、カンボジア、ベトナムや中国沿岸・南部などからも古い民族音楽が加われば、素晴らしいことと思います。

fbcdn-sphotos-e-a.akamaihd.net

 

「アジアの楽園」Sundalandでは、ここバンドゥン近くのGarut郡など黒曜石は豊富であり、先史時代に使われていました。

黒曜石縮

旧、中、新石器(Sejarah untuk SMA Kelas Ⅹから)

25日付の朝日新聞で、伊豆半島沖の神津島(Kouzushima)で発見されている万年のハイテク石器素材の黒曜石と舟の行き来が、驚きの古い年代(3万8千年前)と報道されています。

朝日黒曜石

楽園では4万年前頃には、今に繋がる新人類のワジャック(Wajak)人が確認されており、海辺の洞窟には手形などの造形が発見され欧州史学界を驚かせています。

ワジャック説明

ワジャック人縮

ワジャック人の歴史(サンギランのジャワ原人博物館から)

人手縮

洞窟に残る手形など(Sejarah untuk SMA Kelas Ⅹから)(最近の豪研究陣による測定結果は、4万年前頃)

長江・黄河文明を築いた人たちや年代が定説より数千年遡るとみられるアメリカ新大陸へ渡った人たちも楽園地域の末裔ですし、万年前の中東と東アジアの関連や黒潮に乗った人々なども、「アジアの楽園」海陸両用の民という補助線を引けば、記者さんにもそれ程の驚きでも謎でもなくなるでしょう。

壁画の舟

洞窟壁画の舟(インドネシア国立博物館)

できれば、グヌン・パダン(Gunung Padang)など当地の遺跡が、お国の超ハイテク機器で更に調べてもらえることを当地の人も期待しています。

Nara Akiraさんの写真

そして、我らが本家の楽園Sundalandの静かな海が、最近騒がしくなっていることにも皆さんの目配りがいただければと思います。

Nara Akiraさんの写真

(Nias,dari masa lalu ke masa depanから)

友達の米人の情報では、米国の科学誌ScienceやNatureに米新大陸への人類の展開について驚きのDNA分析の新研究結果が発表されているようです。

以下、考察です。

1.新大陸へは考えられていたよりもずっと早く、ベーリング陸峡経由
  で23,000年前以降、大きな1回の移住があった。
  後は、彼らの子孫の米国内での拡大の歴史である。

  (この渡峡時期は、同じく北から現生人類が北海道に来たのと同じ
  ころとなる。?)

2.南米、現在のブラジル・アマゾン地域に最初に来た人たちは、スン
  ダランド現在の東西地域(ニューギニア、アンダマン諸島の人た
  ち)とDNA上、最も近い。
  北米、中米、南米西側から移住した人たちではない。

  すなわち、スンダランド地域から北上、長躯ベーリング陸峡を越
  え、直路南下して、現在のブラジル・アマゾン地域に住み着いた。

北海道もさることながら、沖縄・石垣島の新空港工事で発見された大量人骨が、2-2.4万年前頃ということで、同時期であることから大いに注目されます。

日本については、3万年前頃、南から来た人たちが北上して北海道まで至ったものと考えられています。

今回の発見で、万年の先史において、スンダランド地域とアマゾン地域の人たちが直接的に結びついたことが注目されます。

この長距離の北上、東進渡峡、赤道越え南下という驚きのスピードの展開性から、西方への展開も推測されますので。

ラマダン断食月明けのお祝いが週末ということで、休暇状況に入っています。此処では帰省することを川上に帰ると言いますので、万年の国らしいです。が、今では高速道が混むのは、日本と同じです。

活気を呈す一つは、宝石売りです。街にも売ったり、磨いてたり目立ちます。原石の掘り出し物があるかもです。

宝石縮

石磨き

教室では、接頭辞perにmata(目)を付けて宝石permataです。このmata目が、日hariとで太陽matahari、水airを付けて湧く泉mata air(逆は涙)、足とでくるぶしmata kaki、講義とで授業科目mata kuliahなどです。

目mataは、他に生業、釣り針、矢じり、刃、羅針盤方位、最近では核弾頭もある重要単語であるだけでなく、メソポタミア、エジプト、長江などの文明に「目」の強調が共通して観られます。アメリカのドル札にも見られます。

この先史からの伝統を窺わせる言語感覚の「宝石」ですが、此処の人の宝石好きは、指輪(チンチンcin-cinと言います)、ネックレスもわがカミさんが素敵、欲しいと言うのとニュアンスが違います。(ちなみに、恋・愛はcintaで、此処の歌では一番連呼される重要語です。)

「写真、いい?」

「勿論さ。一寸待て、まだあるんで付けるから。」(小バッグから取り出しポーズ)

人と宝石

「そうだ、小指の分もあるから一寸待て、撮り直しだ。」

「いやいや、行かなきゃいけないんで。それで十分、ありがと。」

文化人類学の先生によると、飾りは元々は交易・付き合いによる人脈の豊かさを示すものだそうです。良い品、高価な品、沢山の物は、人脈の良さ、高さ、そして広さを示すという訳です。

ボスザルのように群れの中で優越しているというところから、やがて天、神と語り・願い事できるという知的で精神性のあること、物的な財力を支配している、特に海洋の交易力があるといったことが、人脈の豊かさ、本人の偉大さになったのでしょう。

アメリカ・インディアンなど遠隔の地でも、特に酋長はいろいろ飾りをしてますが、理解できます。

万年のアジアの楽園Sundalandが注目されるのは、その気候風土、食べ物としての動植物のほかに、この貴重な鉱物(ダイヤも!)があります。

宝石は小さく、軽量、その後の胡椒などの香辛料と同じく海洋交易のパワー源です。そして、楽園は、西方(中東など)、北方(シナ、日本など)、東方(太平洋地域)へのルートの中間、中心の要でした。万年前の先史時代は近距離を繋いで行ったのかも知れませんが。

この鉱物もいたる所に火山があるからでもあります。そして、時には石よりも固い貴重・希少な物を見つけた人もいるでしょう。

「残念ながら、万年の時は鉄をも融かす。」(Danny Hilman博士)ので、使われたという証拠evidenceは見つかってませんが。

南方の歴史は、当時の木、竹、作物、相伝の工法・技、語り伝え、 そして遺骨・遺品も残り難く、evidenceは?と言われ泣かされています。

さて現在、この万年の宝石掘りは過熱気味で、政府は環境破壊を心配する状況になってきているようです。何しろここでも爆買いに来る人たちがいますので。

宝石の掘りHaloJepang

(Halo Jepang紙4月号から)

Stephen Oppenheimer

Weidenfeld & Nicolson, 1998

A book that completetly changes the established and conventional view of prehistory by relocating the Lost Eden – the world’s 1st civilisation – to SouthEast Asia. At the end of the Ice Age, SouthEast Asia formed a continent twice the size of India, which included Indochina, Malaysia, Indonesia and Borneo. The South China Sea, the Gulf of Thailand and the Java sea, which were all dry, formed the connecting parts of the continent. Geologically, this half sunken continent is the Shunda shelf or Sundaland. In the Eden in the East Stephen Oppenheimer puts forward the astonishing argument that here in southeast Asia – rather than in Mesopotamia where it is usually placed – was the lost civilisation that fertilised the Great cultures of the Middle East 6 thousand years ago. He produces evidence from ethnography, archaeology, oceanography, from creation stories, myths and sag as and from linguistics and DNA analysis, to argue that this founder civilisation was destroyed by a catastrophic flood, caused by a rapid rise in the sea level at the end of the last ice age.

「Nielsen BookData」

11月7日、英国ロンドンのクィーン・メリー大学において万年前の先史巨石文明等について、一般公開のOrigins会議が行われます。

当地グヌン・パダン遺跡については、調査リーダーのDanny Hilman 博士がskype参加する予定です。

話題としては以下のようなものです。

Gunung Padang, Gobekli Tepe, Stonehenge, the Great Sphinx, and even the newly discovered stone circle located beneath the waters of Lake Michigan.

 

origin会議

大石に乗った人に目が行ったと思われる下の写真ですが、私が注目しましたのは、大石運びです。

ニアスの葬送

(SEJARAH UNTUK SMA kelas Ⅹから)

万年前の(トルコ)ギョベクリ・テペGobekli Tepeも(英国)ストーン・ヘンジStone Henge も、弔い、祖霊信仰の巨石遺跡の造築のため、大石を運んでいます。

上の写真の説明では、亡くなった人のために建立するものですが、祖霊を呼び集め、石が今後亡くなる人の身代わりでもあるため、大きければ大きいほど戦いや疫病で亡くなる人が少なくなると信じられた極めて重要な葬送式です。

写真で分かりますが、目的地での建立だけでなく、大石を運んでいくプロセスそのものも重要です。運び手も集まっている人々も共に精神的に高揚していきます。

我々の身近にも目的は違うように思われますが、願いを込めて引き観客がいる移動のプロセスも重要な行事はいろいろあります。そして、上に人が乗っているのも重要なことです。

京都市観光協会神田明神千代田区観光課

祇園祭り(京都市観光協会から)   神田明神祭り(千代田区観光課から)

岸和田市観光課ニアスの葬送

だんじり祭り(岸和田市観光課から)

こうしたことから、弔い・祖霊信仰のギョベクリ・テペやストーン・ヘンジが長距離を大石を運んで造築したことも理解できます。

できるだけ大きな、立派な石が良いことも、人々が大変な労力と時に事故死亡の危険を甘受して建立したことも理解できます。

時代は下りますがエジプトのピラミッドは、農閑期の失業対策事業だったという説が最近出され、定説化しているようですが、私は違うと思います。

前述の例を見ても分かりますが、基本的には精神的なものでしょう。現人神ファラオの造築に関わり貢献し精神が高揚し、来世が約束されるなどのご利益のある行事活動です。

活動後に酒肴が振る舞われ、何がしかの物がいただけたとしてもそれが主因ではないでしょう。そして、ファラオが神ではないと思われ始めて壮大なピラミッドは造られなくなります。財力の衰えも一因ではありましょうが。

スマホとバイクの行きわたる生活は、万年のアジアの楽園を急速に変えて行っています。貴重な写真や物も消えていきます。

それでもまだ、竹筒に砥石を入れて鎌を研ぎ、バナナの幹を管理し雑草を刈ってあたりをきれいにすることは行われています。

と石と竹

万年前にも有ったでしょう。但し、竹は融け、時の長さは砥石をも変形させ、矢じりでも斧でもないので誰にも注目されることもなく、ということかもしれませんが。

さて、話は変わりますが、現代のファラオたる民主制は、その行事たる選挙に若い人たちがまともに関わらなくなったとすれば、見放されかねない危ういことと大いに気になります。

神輿を担いでくれず、綱を引いてくれねば成り立ちませんので、なだそうそうの事態です。

下記のニュースを見て、四国の伊予とアジアの楽園ジャワにある巨石遺跡、ストーンヘンジを想い出しました。

英ストーンヘンジで夏至の祭り、神秘の現象に2万3000人
2015年06月22日 発信地:ウィルトシャー州/英国(AFP BBNewsより)
(2015年6月21日撮影) (c)AFP/NIKLAS HALLE’N
英国の古代遺跡「ストーンヘンジ」で行われた夏至の祭典で日の出を見る人々(2015年6月21日撮影) (c)AFP/NIKLAS HALLE'N

集まった人たちの賑やかな祭りと、太陽光と巨石の関係の写真を見て、eブックランドの横山熱血社長を想い出しました。地元の新聞にも採りあげられた伊予の巨石遺跡の意義の認識に対する広がり具合に歯ぎしりされてましたので。

eブックランドでは6年前に瀬戸内海の巨石遺跡は古代の人工的な建造物ではないかと書いた「伊予のストーンヘンジ」(篠澤邦彦著)を電子と紙で出版しているが、広がりはもう一つだ。

ところが、皆さん、そこは人類の百貨店、アジアの楽園ジャワの倉庫にもほほえましいストーンヘンジ(Batu Solor 東ジャワ) があります。レバッ・チベドゥ遺跡(ジャワ島西部バンテン州)には、ピラミッド後方にストーン・サークルがあります。

当地や日本にも多くある太陽の運行と関わりがあるとみられる巨石建造物は、観測のほか、お墓という見方も出ています。あのトルコのギョベクリ・テペ遺跡もお仲間でしょう。

◆メソポタミアより古い遺跡がジャワ島にあった!◆
電子書籍の入手については、こちらをご覧ください。

アジアの楽園 探訪記

「先生、ずっと大昔は北京あたりと中ジャワにしか
  人は住んでいなかったんですか?」

「人と言うより、正しくは類人猿、話は原人についてだね。
  そりゃ、ベトナムやタイやあっちこっちにもいただろうね~。
  西ジャワにもね。

  当時は、今の南シナ海、まあ南シナ湖を囲んで正にASEAN諸国
  や台湾などの地域が、みんな陸続きだったからね。」

「じゃ、どうして教科書にそう書いてないの?
  なのに、先生はどうして分かるの?」

「他のとこは証拠が見つかってないんで、書けないのさ。
  証拠が見つかるってのは大変なことなんだよ。
  先生が言ったのは、ま、大人のジョーシキってやつだね。」

注;当時は(今も)、10万年くらいの周期で寒冷乾燥と温暖湿潤を繰り返していました。寒くなれば広域に氷河が形成されて海水面が低下し陸地が現れ、逆に暖かくなれば氷河が融け雨も多く降り、大量の真水が海水面を上昇させ時に大洪水を起こし、これらは地震や火山噴火にも影響したとみられます。

楽園数十万年 南シナ湖 時代

sundaland asean地域

現生人類アジアの楽園・スンダランド時代

一般的には、寒くなれば北から動物も人も大量に南下し、暖かくなれば北上することを繰り返していたことでしょう。いつの時も環境に恵まれていた(災害を除き)アジアの楽園は、混じり合いと動きの賑やかなことであったでしょう。現在は、南シナ湖あたりが騒々しいようです。

「ふ~ん。ところで、向こうの建物の教室の前に白髪のひげの
  おじいさんがアッカンベーしてるポスターが貼ってあったけど、
  あれ何ですか?」

「あれか。もともとあっちの建物は、風呂入ったら湯がこぼれ
  ちゃたとか、リンゴが丁度落ちるとこを見たとか、たわいもない
  ことで大騒ぎしてきてるんだ。

  一寸前は、光が曲がる~なんてわけのわかんないことを言い出す
  やつがいて救急車を呼ぼうかってなったが、その必要はなさそう
  だとなり、むしろ今は見直され落ち着いてるらしい。それだろう。」

「なんか、大昔好き人間でジャワへ行った人が洞窟が無い、洞窟が
  無いって騒いで連絡してきてるらしいですよ。」

「ああ、聞いた。家の人たちは大丈夫です、心配要りませんって
  言ってるらしい。
  いろんなのが居るからね。宇宙は爆発だ!なんて岡本太郎みたい
  のもいて、学部が崩れると職員会議で話が出てた。

  あっちは、ま、玉石コンコウってとこか、中にはほんとに
  オカシなのもいるかもだからね。あまり近づかない方がいい。

  君もぼんやり空なんか見てないで、早く宿題やっておカアさん
  をイラつかせない方がいいよ。」

「はい、分かりました。」

(写真図表は、ジャワ原人博物館から)

先日、バンドゥン北方の行楽地で西ジャワ州教育局が主催するスンダの言葉や芸術の振興を図る催しに招ばれて観る機会がありました。

伝統の踊りや新たな装いの歌が披露され、州内各地の生徒たちのチームによる歌合戦もありました。

会場は満員で、地域の人々は廊下も埋め尽くして観ていました。若い生徒さんたちが多かったので、踊りの男女の絡みの場面では大歓声に包まれました。

踊り 歌

参加チーム 男女踊り

会場入り口では、分厚いスンダ語の辞書や人類の百貨店らしい多さを誇る民話が沢山並んで売られていましたのも印象的でした。(英)オックスフォードのOppenheimer教授が、大洪水話など世界に拡がった当地の神話・民話も一つの要因として、アジアの楽園を始源の意味を込めて「東のエデン」と表現したのもうなづけます。

民話

このように、国の統一をしっかり強調し施策している一方、失われていっている地域の言葉や文化を大切にして何とか伝えようと努力されていることに感心します。お国も町興しが課題のようですが、まずは伝統を見つめることからと思います。

そして、私は動き回れば、あ、ピラミッド山だ、バンチェンでも見た2段屋根だ、となります。タイ東北のバンチェンとバンドゥンの言わば郡部の一部の家の伝統的な造形の類似性に、旅したアジアの楽園内の距離の遠さを思うと不思議な気がしています。

ピラミッド 2段屋根

来年、日本で開かれるサミットの開催場所は、日本の美しい自然と豊かな文化、伝統を感じていただける場所として伊勢志摩に決定されたというニュースを見ました。 既にわがe-ブックを読まれた方はお気づきのとおり、私は伊勢神宮などの千木が、アジアの楽園内では普通に見られる点に注目しています。

「人類最古の文明『アジアの楽園』探訪記」(広報配信中)こちらをご覧ください。

images[5]

皇大神宮(ja.wikipedia.orgから)屋根の前後の千木

e-ブックで紹介しましたほかにも、例えば西ジャワのスカブミの古いオランダ洋館でさえ伝統様式として千木が見え、タイ・バンチェンの例もお伝えしたとおりです。

スカブミ洋館 格物館前タイ土産店

西ジャワ・スカブミの郷土資料から    タイ・バンチェン博物館前の土産物店

因みにスンダ゙のある人は、これに関する我が質問に対し、スンダ語で木が二股になっているのをチゲというそうです。私は関係あると思っています。

この類似性について、研究された資料は無いのではと思っていますが、この点を是非踏まえた上で誇るべきお国の施設に各国の首脳をご案内していただきたいと赤道を越えた島から気にしております。

棚田式の基本構造とは別に、そもそも多くのピラミッドは、選ばれた少数の者が俗世を脱するように階段を上って高みの頂上部に至り、崇める天・神とのコミュニケーションの中で祈りを捧げて宗教的行事や天文活動を行うものです。この点でも強力ファラオのギザの角錐ピラミッドは、内部に意義がある少数派です。この流れで外形が同じものとしては、中国(青い目のミイラも多数あり)西安地区のものや、論議のあるボスニアなどのものがあります。その古さと内部がどうなのかは、これからの課題です。

images[1] 中国のピラミッド

news.ameda.jpから

グヌン・パダン聖地ピラミッドは、そこに人の居住の無かったことが確認されています。しかし、マチュピチュは、他と違って選ばれた神官などだけでなくいわば一族郎党がその高みに上がり居住したという点においてユニークです。

また、階段を上がって俗世を脱し、高みの施設で同種の活動をした本質に着目しますと、古代の出雲大社を最古最大の木造ピラミッドと私が称していますこともご理解いただけると思います。

Izumo-taisha_scale_model_121281969_6127ff6b17_o[1] 古代の出雲大社

Wikipediaから

そして、縄文の三内丸山も、高みにおいて八甲田山に向かい同種活動をしたと考えられ広義の小ピラミッドでしょう。広島の葦獄山は、階段ではなく俗世を脱する長い山道を登ってその頂上で同種活動を行った山ピラミッドでしょう。これらは、人類にとって重要な精神性において超古代から、その造形に通底するものを感じさせます。

そして、人類の百貨店であるアジアの楽園には、これらとは違った造形の注目すべき重要な建造物がジャワ島にあり、調査後報告します。

ピラミッドと聞くとあのエジプトのギザのものが思い浮かべられます。世界的に有名な正に傑作の金字塔ですが、実はピラミッド仲間では少数派です。それは、当地で普通にどこにでも見られるような、崇める天、神の造った火山として安定した造形の数多の山々と類似しています。それだけに人間が造る場合は大変です。

ピラミッド山1 ピラミッド山2

我がシェアハウス丘上から見える     ブリトゥン島のピラミッド山

ピラミッド山

しかし、学界では最古とされるエジプトの最初のものは、4,650年前頃のサッカラのジェゼル王のピラミッドで、階段ピラミッドと呼ばれています。

120px-DjoserPyramid[1] サッカルのピラミッド Wikipediaから

当地のグヌン・パダン、レバッ・チベドゥなどや中南米のものと類似の造形です。当地では、半年以上の雨季には、正に天、神が怒っていると感じるような雷が轟き、1-2時間の強く激しい雨が降ります。それはピラミッド角柱の角を丸くするほどのものです。そして当地は地震があり、これを恐れればかなり平たい構造のものすら当地にはあります。

この雨と地震の揺れのもたらす土石の緩みによる斜面の地滑り崩れは大きな問題です。グヌン・パダンではこの対策として、当地の人なら普通に思いつく棚田式にし、垂直と水平の石積みを工夫しています。

棚田 西ジャワの棚田 3層石 雨などで丸くなった角柱と水平積み

グヌン・パダンは、近年の調査により斜面のすそ野まで棚田式になっていることが明らかになりました。また、南米の世界遺産マチュピチュも農耕生活の必要もあり、棚田式になっています。

GP棚田 グヌン・パダンの棚田式斜面(アリ・アクバル教授「遺跡グヌン・パダン」から)

220px-80_-_Machu_Picchu_-_Juin_2009_-_edit[1] マチュピチュ Wikipediaから

そこで問題は、当時、エジプトのナイル河畔は雨の少ない、地震もたいしたことない地域であるのに何故、棚田風にしたかです。グヌン・パダンの造形を採り入れたのでは?と考えさせられます。案の定その時代後には失敗もありましたが、強大な権力のクフ王は、天・神の造形をめざし、あの角錐金字塔の造形を完成させています。

グヌン・パダンは、表面の第1層は裾野まで棚田式ですが、内部の2層、3層もやはり棚田式であったのかという問題があります。これらの建造時代と造形の重要さからグヌン・パダン内部の形態の解明が注目されます。

1週間の期(学年)末試験が終わりました。やはり試験はそれなりに集中しますし、教室を出て2-3分で、あ!?間違えたと気づくことはしっかり覚えるでしょう。また、研究に向かえるウキウキ感もあります。さて、

インドネシアは、香港、オランダ、タイなどに次ぐ錦鯉の輸入国だそうで、アジアの楽園地区の伸びは大きいそうです。当地でも洋風ホテルのロビーとレストランの間に見つけて、へ~と思いました。水の流れは滝風で、そしてやはり船があるのが此処らしい。それらを佳しと感ずるところが楽園らしく、また、我が国の心情に通ずるものと感じます。

鯉 船鯉

同じく、やはり目貫通りのレストラン喫茶は、ゴルフ用品販売などと併設された当地ではこじゃれた店です。そのインテリアは、壁にはアート写真、そして日本では考えられない万年前からのくり抜きの舟と農作業の笠・竹籠です。外では、子供のおもちゃですが、竹のバネを利用したスタビライザー付きのよくできた物運び(写真では小石)で、大型の実物は、グヌン・パダン遺跡造りにも使われたんだろうなと思わせられます。

農漁舟 竹橇

日本の皆さんも連休で行楽地に行かれていることでしょう。

先般、半年の学期に1度の日帰り研修バス旅行に行き、レポートも提出終わりましたので、ご報告です。前回の旅行は、学生がルーズで7時出発予定が9時近くになり、5時起きで示された集合時間前に来ていた日本人組をあきれさせましたが、今回は名簿確認、Tシャツ及び朝食受領などの後、7時過ぎに出発できました。向かったのは、バンドゥン南東約2時間のGarut地区で、お菓子工場見学と観光施設でした。学生は遠足気分ですが、企業の工場管理、販促、問題点、助言など5枚以上書いて提出というのが気になります。

それはさておき、観光施設はNaga村でした。入口に此処スンダの人が大切にする小刀Kujangが飾られ、土産物店が並ぶ中を通り、川のある低地(比高差約15m)まで階段を降ります。途中で視界が開けると、教室で教わったように、川のそばに家々が並び田畑がある伝統の風景が目に入ります。130人くらいの人たちが今も電気の無い(!)昔の生活をしています。そして、やはりここでも家には日本の神宮・大社と同じく千木があります。

朝食 Kujangnaga村 千木

ウガンダからのイブラヒム君は、国のと同じようなものだと懐かしそうに杵を手にします。人だかりで見えませんでしたが、ナイジェリアからのファルーク君は、村の人が20cm位の竹楽器を口元で演奏している(写真は、budaya-Indonesia.orgから)と合わせてスンダの歌を歌って驚かせてくれます。西アフリカとアジアの楽園のスンダは近いです。

杵 imagesFGBI2U3W

お日様とともに暮らし、隣も分かる長屋で農耕と民芸品作りが生計を支え、子供たちは階段を上り下りして通学していますが、町の騒音とは無縁、リストラもいじめも殺伐とした事件もない穏やかな生活です。途中休憩のガソリンスタンド前の空き地には、グヌン・パダン遺跡と同じ柱状節理の石柱を輪切りにした造形の敷石が作業を待っており、雨で霞む遠方にはピラミッド山が見えました。

生活 6角柱

見学を終えてスンダレストランで夕食し帰りました。たまたま着席し撮った写真を見ますと、手前2人がアフリカ、次の右は高地人が万年の暮らしをしているパプア、左は黒潮先の薩摩おごじょ、奥の隣の席の向うむき最右がエジプト、こちらを見ている右はアジアの楽園、マレーシア国境に近いタイ、左はアイヌの展示の充実を発表した北海道の道産子と、人類の旅さながらのものとなっています。現在、日本と韓国がダントツで学生多数派の双璧です。なお、今回のnaga村は、川そば低地でしたが、この国には山中で今も頑なに昔ながらの生活を守っているバドゥイ族の人々もいます(写真下右)。そこは、天国への橋を渡って行く聖地ピラミッド地区に入った外部の者は生きては帰れないと言われる所です。正に多様で昔が残っている国です。

夕食 バドゥイ

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