アジアの楽園Sundalandの雄インドネシアは、今、赤白国旗が至る所に飾られ17日の独立記念を迎えようとしています。

おめでたい赤白は、国旗を見ると日本、マレーシア、タイはもとより、フィリッピン、台湾、そして要素が似てると言えばカンボジア、ラオス、ミャンマー、東ティモール、ネパール、更に韓国、北朝鮮も似た系統と言えるでしょう。

私には、現生人類の展開の北上ルートに沿った興味深い類似性です。中国、ベトナム、バングラデシュが、仮に主義や宗教を除いたとしたらどういうものになるか大変興味深いです。

さて、我が地区では橋にまで彩色していますし、沢を越えた自然公園などではペンキを塗ったり、階段を補修したり準備に余念がないです。

橋no国旗

ペンキ塗り

独立については、小学校から大学まで内容の深みに差はあれ、教わる国の原点の重要事項です。

何と言っても独立の闘士スカルノ(初代大統領)・ハッタ(副大統領)による70年前の独立宣言は、手書きの一部修正の跡も残るリアルなものが、スカルノによって読み上げられたドラマチックなものです。

独立no宣言

(SEJARAH untuk SMA Kelas Ⅹから)

05と見える年号は、皇紀2605年というものです。西暦ではなく、植民地イメージを避けたとも言われています。

そして、宣言後も復活を目論み戻ってきたオランダに対して武器をとって抵抗し、血を流して4年5ケ月後に勝ち取ったものです。

植民地化から約350年の長い抑圧の時代から解放したドラマです。

この戦いに加わった元日本兵の約千名が戦・病死したと言われており、帰化してインドネシア人となった人たちは、今はジャカルタの英雄墓地に眠っています。

しかし、独立の闘士や青年層を前にして行われたそのドラマチックな独立宣言が何故、直前の深夜長時間、ジャカルタにあった大日本帝国海軍武官府の前田少将の所で打ち合わせがなされたのかという面でのそこに至る日本の貢献はあまり知られていません。

そして日本の敗戦を正規に確認し、宣言文書を作成して読み上げるに至るまでに2日を要したドラマもあります。

まして、港区の青松寺に特に2名の元日本軍人ため、肩書きの無いスカルノ名で記念碑が建てられていることは、此処では殆ど知られていないでしょう。

また、碑にはこれも肩書きの無い氏名のみの2人へとして、独立は一民族のものならず全人類のものなり。というちょっと不思議な文言が刻まれています。

正にこれこそ、その後続々と植民地から解放されたアジア・アフリカ諸国が参加したバンドゥン会議をやり遂げた後に碑を建立した、スカルノ大統領ならではのものです。

前田少将ほか数名がインドネシアの叙勲を受けていますが、特に貢献し亡くなられた元日本軍人2人に対する最高の歴史評価と謝辞と言えるでしょう。

あなた方の貢献は、一インドネシアのためだけじゃなかったんですよと。

さて、最初に述べた近くの自然公園には、かなりの内部構造を有する日本軍の洞窟もあります。

この地域は今は、人々のリクリエーションの場となっており、ブランコなどの遊戯施設、自然博物館や売店も多い西ジャワ州森林局の管理です。

清掃された洞窟も普通に(懐中電灯を借りて)見学されています。

入口no付近

洞窟人だかり

そして本日、日本時間正午頃、気さくに応じてくれたここの様子を撮りましたので報告といたします(肖像権不明のため小さいですが)。数百m離れたオランダ軍の洞窟も同様でしたでしょう。

集合no写真 洞窟no前

当時は少年も作業に参加させられ苦労していますが、今の子供たちには、上に見えるJepangは、好感ブランドとしての受け止めなのかもしれません。時は経ちました。

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アジアの楽園Sundalandの中心部のシンガポールは、その南にインドネシア・スマトラ島リアウ州のリアウRiau諸島があり、昔の地図で見ると島々は、海面上昇で沈んだスンダランド陸地の残った丘たちであることがよく分かります。

シンガno南島

そして、丁度建国50周年でしたのでマレー系遺産博物館でもイベントが行われていましたが、今勉強してる言葉が外国で通じるのがいいですね。

西ジャワのスンダ人が大切にしている短剣クジャン(クリス)が飾られていたり、伝統の人形劇ワヤン、元祖系タコ焼き道具もあったりして嬉しくなりました。

マレー系 sinngaクジャン人形ワヤン タコ焼き具

当たり前ですが、楽園で元々一緒だったところに、人口比を大逆転するほどの中国南部の人たちが来てシンガポールになっています。万年の昔から楽園は、人々の北上と南下が繰り返されて文化が育まれています。

人類の展開を考えれば、ここでタミル主のインド人とアメリカインディアンが一緒に居て何の違和感も有りません。

印とインディアン

さて、テーマのブキテマ高地(164m)ですが、先の大戦でマレー半島を日本の自転車銀輪部隊が南下し、守備する英豪軍と激戦となりました。今は自然保護区となり静かな地域になっています。

ブキテマ 高地 ブキテマ入口

ビザ更新の短期滞在観光客として、サル君に会い丘に少し入りましたが、雨にあって一人休憩所で雨宿りし、つわものを偲ぶこととなりました。

ブキテマno猿 つわものと一人

実は日本軍は、弾が尽きそうな勝利(日露戦以来の伝統?)でしたが、白旗を掲げた英軍に対し山下将軍は勝者の席に着きました。

交渉で通訳に訳をはっきりさせなさいという意味の「はい」か「いいえ」かと聞いたのが強圧的と伝えられ、今の慰安婦問題と同様に誤解に基づく悪いイメージが拡がってしまいました。残念です。

このブキテマ高地ですがブキ・ティマ、Bukit(丘)Temah(Tin錫)ということだそうです。錫と聞くと歴史ニアとしては、何!となります、青銅の重要な元ですので。

イギリスは、貿易戦略上から選んだのでしょうが、近くのジャワ海には、水をかけるだけで錫が採れると言われたその名もブリトゥン島も手に入れてます(後にオランダへ)。

 http://www.sunda-wind.net/report/290

アジアの楽園Sundalandは、陽気がよくて食糧が豊富というだけでなく、火山地帯のもたらす豊富な宝石・鉱物(今は石油)等に恵まれた地域です。

このため、まずは溢れた、冒険心ある人々が北上して巣立っていき、氷河寒冷期には楽園に人々が南下して集まってくる所でした。幸せは父祖の地、温暖で豊かな南の島にある、です。

かって幸せを求め南に向かい、この地で安らかに眠る日本人の先人たちを偲ぶ石碑があります。

先人偲ぶ

残念ながら、今は書かれているような広く安全で強固な貿易の南シナ海ではなくなってきていますが。

 

 

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I want to make comments about that, is based on chart of Great Journey of Homo Sapience as below, though I’ve got the news in far away island Java by private e-mail on Book Review of some Japanese News Paper .
人類の進出
1. It’s written about history of homo sapience from 20,000-5,000 BC .
   It’s amazing for me because the theme and the duration are the same as mine and written by a specialist professor on history  has written, not by an amateur as I initially handed over e-book draft of my idea on that theme to e-publisher in June last year.
2. Prof. Mithen wrote on begining of agricuture, but should pay attention to the point that no ice age existed in warm Sundaland and banana is very old selected breed by homo sapience.
3. Yes. In that period, Human Civilization took off far before Mesopotamia though it depends on diffinition of civilization. I’m interested in human characteristic society of large enough, long enough period one which was fully different from that of monkey and ape. When, where and what society was our origin ?
4. Prof. Mithen should study more on Sundaland as he visited almost all over the continents area. He should pay more attention  on it as an important region of Human Great Journey.
5. Yes. Now, we have to think about what human beings are, what human society, civilization should be. People in modern society has to  know about Out of Africa, era of Sundaland “civilization”.
6. Methodology is good. We should study not only from contemporary situation to the past, but from origin of Africa, Great Journey to now.
7. Yes. Results of historical excavation is Evidence. So, I’m interested in Gunung Padang and under water situation in Bay of Thailand.
8. Prof. Mithen has orchestrated many fields of science and picturised initial Human civilization. And it should also be mentioned on analysis of Nenkou, DNA, high-tec electro magnetic survey etc.
9. One Book Review express its greatness as a fine music on Creation of World. But, I think it’s too much. In creation of world, Adam and Eve are black Africans though I don’t know how ordinary Wetern People feel to it. As like they’d got out from the garden of Eden, homo sapience got out of Africa and prevailed to the world.
Now, we should face up to relity of ancient prehistory for one of main issues of ineternational society, humanism.
10. Prof. Mithen touched upon little about Sundaland. It’s a pity, really.
By the way, it’s said by some in study community in Japan that this theme should be discussed not in University but by Rekishinia(retired ordinary seniors who are interested in history) in salon.
But, it’s delightful for me that a  University historian of UK, leading level in the field of history, has finalised contents by scientific method.
I hope more progress will be achieved in this theme near future.
http://www.sunda-wind.net
私のアジアの楽園Sundaland、グヌン・パダン巨石遺跡の研究(「アジアの楽園探訪記」http://www.sunda-wind.net)に関連して、驚きの大著「氷河期以後」After the Iceが、英オックスフォード・リーディング大スティーヴン・マイズン教授により書かれました。
著者は世界各地を訪れてますが、残念ながら東南アジアを研究訪問しておらず、また、世界をリードしている英国歴史学界には、このテーマで注目すべき研究もありますが反映されていないようで遺憾に思っています。
新聞書評等の風の頼りから、以下、人類のグレート・ジャーニーを基にする私の赤道を越えた島からの所見を述べます。
人類の進出
1.紀元前2万年から同5,000年に的を絞っての人類史ということです。
テーマの問題意識、先史の対象時期が私と一緒の歴史専門家が俯瞰した学術研究であり、実に驚くほかないです(私は昨年6月から、原稿「アジアの楽園探訪記」を出版社e-ブックランドと調整開始)。
2.氷河期が終わって地球が温暖化する中で、農耕が始まりという記述のようです。
寒戻りのヤンガー・ドリアス(YD)期(1.3-1.15万年前)後ということかもしれませんが、アジアの楽園Sundalandには、欧州などのような氷河期は無いです。バナナの改良から栽培・農耕は始まっています。
3.今に続く文明の基礎ができた時期とのことで、その通りでありメソポタミアのずっと前です。文明の定義によりますが。私は、サル社会と全く異なる特質を有する規模の大きな、期間も長い、文明と呼べる始源の人間社会は、いつごろ、どこか、どんなものかという今に繋がる原点、源流を追っています。
4.西アジア、ヨーロッパ、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、
東アジア、南アジア、アフリカ大陸を巡って記述しているようですが、ものの見事に、最重要のアジアの楽園Sundalandを外しています。
5.結論的に考えさせられるのは、人間とは何か、文明とは何かということだそうですが、その通りであり更に全ての現代人は、温故知新、出現のアフリカ、「文明」を生み出したアジアの楽園時代に思いをいたすべきでしょう。
6.現代からの類推で過去を復元するのではなくということのようですが、良いですね。私は前掲のとおり、アフリカの始源から復元を図る考察に努めています。
7.発掘成果はその証拠として働くことはその通りで、私もグヌン・パダン巨石遺跡、タイ湾海下の運河・灌漑遺構の状などを追っています。
8.人類学、古気候学、動物学、植物学、堆積学など、過去に向き合う諸学問が統合され、一霊長類に過ぎなかったヒトが「文明」を生み出したことを明らかにした。
という点はその通りです。近年の年縞分析、DNA分析、電磁気調査などの重要さも書くべきでしょう。
9.天地創造の楽曲を奏でるような大良著ということらしいですが、言い過ぎでしょう。一般の欧州人の受け止めはどうかですが、アフリカの黒人が新人類の始まり、言わば天地創造のアダムとイブです。エデンの園から追放されたかのごとく、前掲のとおりやがてアフリカを出て世界に拡がりました。
 そして、イエス・キリストやマリア様を今描くなら、皮膚の色は褐色にすべきでしょう。そうすれば、国際社会の最重要課題の一つである真のヒューマニズムが生まれるものと考えます。
 また、自分たちの遠い祖先に最もよく似た人たちを奴隷にし売買したことが、その後の特に欧米白色人の人たちが背負っていく「人間仲間内の原罪」と言えるでしょう。
10.アジアの楽園Sundalandについての記述は、極めて不十分なようです。
 いずれにしても、「歴史ニア」のお遊びと言われた先史のこの時代、始源の文明研究が、世界をリードする英国の大学の歴史専門家によって科学的になされ公にされたことは、誠に喜ばしく今後の更なる解明に期待が持てます。

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位置としては、アジアの楽園Sundalandの中央になりますシンガポールに行きました。modernでcleanで花々もきれいで豊かな現代の楽園でしょう。

建国50年を祝う賑やかさの中にライオン(シンガ)と大きな船、水に親しむ海の民を見ました。そして、19歳で全員例外なく2年兵役につき、その後もずっと練度維持を図って楽園を守り維持します。(スイスの例を出して恥かいた先生にこの例も教えたいです。唱えるだけでは楽園は守れません。)地下鉄規律でもしっかりです。そして、何より戦略的思考のお手本と言うべき国と思われます。

マーライオン

海の民

海の子

徴兵

規律

さて、万年ハンターの本題です。残念ながら、まだ当地の視野は国立博物館では700年前でしたが。

当地の第4公用語はタミル語です。イギリスがプランテーション労働力としてインド亜大陸南部から連れてきた人たちですが、あのインダス川岸のモヘンジョ・ダロを築いたドラヴィダ人Dravidian系でその寺院の台型造形の基礎は、既に報告のスクー寺院、マヤピラミッドに似ています。

国立博

700年

タミル寺院

遙か大昔に海に沈んだ(Sundaland?)栄光の民の末裔神話を大事にしているだけでなく、新人類の出アフリカ後の東進・北上ルートの始まりの方の人たちで私は注目しています。

更に、大家の大野 晋先生によれば、世界で日本語に最も近いのはタミルTamilの人たちの言葉で多くの単語が取り入れられているとのことです。先生は、真珠交易などの諸点も挙げられて説明されていますが、両者があまりに離れていることもあり学界では未だ、?の謎です。

しかし、あんなに近い大陸の言葉と日本語、心根が違う方がむしろ不思議と思わねばならないでしょう。

アジアの楽園Sundalandと人類の東進・北上の海ルートを理解する私には、西と北の言わばはずれに残った2つの言葉が近いのは不思議でも謎でもありません。交易で栄えていたタミルの人たちは、ルート途中に多くの租界を持っていたのでしょうが、長い間に失われ痕跡も見つけられないということでしょう。

人類の進出

そして、シンガポールにはまだまだ注目すべき点がありますが、次回といたします。

 

 

 

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楽園Sundalandの遺産についてです。スクー寺院は、ラウ山腹にあり世界遺産登録を目指していますが、当国の世界文化遺産4件のうち3件(サンギラン、プランバナン、ボロブドゥール)が中ジャワのジョグジャ周辺に集中しており、他の1件は東のバリ島です。(下図参照)

ジャワの要図

スクー寺院の本殿ピラミッドの様式が、メキシコと中米で栄えたマヤのピラミッドに酷似している不思議さは前回述べました。

当国の研究家Samanthoによれば、スクー寺院(1,360年頃。1,186m)、近くのチュト(1,470年頃。1,400m)、東部のプナタラン(13世紀から1,415年頃まで。450m)のこれらヒンズー系3寺院の本殿及び伽藍内の構築物が、当国の遺跡の中で異質だと言います。

バリ島もヒンズー系ですが、中ジャワのプランバナン寺院のようにコーンアイスクリーム型かあるいは多重塔型で、インドでも見られるものです。

スクー寺院は、伽藍軸線は高山の山頂方向、石積み3段のテラス構造、地域に対する見晴らしの良さなどグヌン・パダン遺跡に通ずる点も見られます。しかし、本殿、彫像などジャワ王宮や地元の石工・木工による様式ではなく、また急造という指摘もあります。

テラスの段

下住民下の住民

そして、他の寺院もそうですが、この3寺院は本殿、あるいは彫像、レリーフにヒンズー・インドでなく、中東やメキシコ・中米のものと類似性があるものが多くみられるのが特徴です。

例えば、スクー寺院の彫像に羽がついてるものがありますが、幸い顔が残っているものがあり、鳥人です。人のようですが、顔は鳥であり、足の指爪も鳥です。また、はっきりしている写真左の彫像の顔も当国の人ではありません。

頸無の鳥鳥の万歳

 

Samanthoによれば、このような鳥人ものは、下の写真の左がスクー寺院、右上がマヤ、右下がユダヤ民族が過越祭の晩餐で読む有名な冊子にみられる鳥の頭を持つ人だそうです。

スクーの万歳

そして、鳥人はメソポタミアのシュメール(Samantho左)、バビロニア(同右)とも共通性があります。

鳥人のメソ 鳥人noバビロニア

他にもいろいろありますが、その一つはアッカンベーで、東ジャワ、バリ島とメキシコ・アズテック文化のものが類似です。

バリnoべろ

アズテックのべろ

日本では、相手をバカにする良くないことですが、チベットでは尊敬を込めた挨拶だということで(2枚舌ではない?)、おそらく上記の写真などは尊敬を込めたものに通ずるものでしょうから広域の話です。

そして、Samanthoは奇妙ともいえる彫像・レリーフの造形の数々、遠隔地でのその類似性から、現生人類が、巨人(鬼)族や類人猿と共存していた時代の記憶を伝えているとしています。

また、それらの寺院等の定説の建設年代とは別に、造形の元になったイメージは当地域発であろうとしています。

スクー寺院など、遠隔の他地域とこのような類似性を有する内容については、現時点では推測も憚られ、やはり「不思議」としか言えません。

更に、私には気になる点があり、次回報告といたします。

 

 

アイヌ―沖縄―台湾高砂族という繋がりの音楽と踊りの催しは、私に現生人類の進出展開の東進・北上ルートを感じさせるものです。

最近の資料から、私が整理しているルートに関する研究チャートは、以下のようなもので以前掲載したものの年代が一部修正されています。

最近、出アフリカについて、エジプト-シナイ半島ルートがでてますことと、アラビア半島南ルートは5万年前と遅くなってますのでその後のスピードは、はっきり西方向と異なっています。

人類の展開9.16syuku

2万年前頃としてますが、最終氷期の最寒冷期(LGM)の寒さとその前後の比較的暖かい時期に北海道への南下や米新大陸への移動が見られます。

また、1万2-3千年頃の寒冷ぶり返し期(YG期)には、特に欧州・シベリア等では、南への大きな人の移動が、直後の暖かくなった時期にはスンダランドの多くの地域が極の氷が融けたことによる海面上昇で海没している点が注目されます。

図では表現されていませんが、進出展開後の複数回の南北の大きな人の移動(欧州では東->西も)の影響は大きく、環境に恵まれて人が集まったスンダランドでの異質な文化の混じり合いが文明開化に繋がっていったものと考えています。

基本的には、戦いの多い、戦いに強い、大型哺乳動物の狩りで暮らした北、西の人たちに比し、東進・北上ルートの人たちは水に馴染み、海浜、河川地域で水産物にも頼り暮らした穏やかハーモニーの人たちというイメージを持っています。

今を考える源流探究のチャートとして、引き続き研究していきます。

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音楽と踊りは、新人類がアフリカから出る時も受け継いできた根源的なものであり、縄文の音楽を再生していただけば、「アジアの楽園」Sundalandからの北展開ルートとして分かり易いなあと夢想しています。

「原初の唱和」ライブ【花綵(はなづな)列島の仲間たちの出会い】
2015年冬、日本の博物館収蔵のタロコ族文物の調査のため日本を訪れていた東冬・侯温(トントン・ホウウェン)を、新横浜オルタ・スペースでの「花綵列島の民が集って」コンサート(1月12日)に招いたのが日本での初演。

彼の歌に触れた聴衆からは「神が降りてきた声だ」「衝撃的」などの賛辞が相次ぎました。

このとき共演したアイヌのパフォーマンスグループ、ヤイレンカの歌に感銘を受けた東冬が、タロコにも同様の集団で歌う歌があり、次回はタロコの集落で歌い交わされてきた歌と踊りを、日本の先住民族であるアイヌの歌舞とともに披露したいと希望したことから、この夏の一連のコンサートが実現することとなりました。

東アジアの東端、花綵列島に位置する日本〜沖縄〜台湾の人々の絆を深めたく思います。(注:主催者の原文のまま)

という催しが大田区の池上實相寺で行われています。

いつか当地の竹楽器アンクルンや竹笛、途中のフィリピン、カンボジア、ベトナムや中国沿岸・南部などからも古い民族音楽が加われば、素晴らしいことと思います。

fbcdn-sphotos-e-a.akamaihd.net

 

「アジアの楽園」Sundalandでは、ここバンドゥン近くのGarut郡など黒曜石は豊富であり、先史時代に使われていました。

黒曜石縮

旧、中、新石器(Sejarah untuk SMA Kelas Ⅹから)

25日付の朝日新聞で、伊豆半島沖の神津島(Kouzushima)で発見されている万年のハイテク石器素材の黒曜石と舟の行き来が、驚きの古い年代(3万8千年前)と報道されています。

朝日黒曜石

楽園では4万年前頃には、今に繋がる新人類のワジャック(Wajak)人が確認されており、海辺の洞窟には手形などの造形が発見され欧州史学界を驚かせています。

ワジャック説明

ワジャック人縮

ワジャック人の歴史(サンギランのジャワ原人博物館から)

人手縮

洞窟に残る手形など(Sejarah untuk SMA Kelas Ⅹから)(最近の豪研究陣による測定結果は、4万年前頃)

長江・黄河文明を築いた人たちや年代が定説より数千年遡るとみられるアメリカ新大陸へ渡った人たちも楽園地域の末裔ですし、万年前の中東と東アジアの関連や黒潮に乗った人々なども、「アジアの楽園」海陸両用の民という補助線を引けば、記者さんにもそれ程の驚きでも謎でもなくなるでしょう。

壁画の舟

洞窟壁画の舟(インドネシア国立博物館)

できれば、グヌン・パダン(Gunung Padang)など当地の遺跡が、お国の超ハイテク機器で更に調べてもらえることを当地の人も期待しています。

Nara Akiraさんの写真

そして、我らが本家の楽園Sundalandの静かな海が、最近騒がしくなっていることにも皆さんの目配りがいただければと思います。

Nara Akiraさんの写真

(Nias,dari masa lalu ke masa depanから)

友達の米人の情報では、米国の科学誌ScienceやNatureに米新大陸への人類の展開について驚きのDNA分析の新研究結果が発表されているようです。

以下、考察です。

1.新大陸へは考えられていたよりもずっと早く、ベーリング陸峡経由
  で23,000年前以降、大きな1回の移住があった。
  後は、彼らの子孫の米国内での拡大の歴史である。

  (この渡峡時期は、同じく北から現生人類が北海道に来たのと同じ
  ころとなる。?)

2.南米、現在のブラジル・アマゾン地域に最初に来た人たちは、スン
  ダランド現在の東西地域(ニューギニア、アンダマン諸島の人た
  ち)とDNA上、最も近い。
  北米、中米、南米西側から移住した人たちではない。

  すなわち、スンダランド地域から北上、長躯ベーリング陸峡を越
  え、直路南下して、現在のブラジル・アマゾン地域に住み着いた。

北海道もさることながら、沖縄・石垣島の新空港工事で発見された大量人骨が、2-2.4万年前頃ということで、同時期であることから大いに注目されます。

日本については、3万年前頃、南から来た人たちが北上して北海道まで至ったものと考えられています。

今回の発見で、万年の先史において、スンダランド地域とアマゾン地域の人たちが直接的に結びついたことが注目されます。

この長距離の北上、東進渡峡、赤道越え南下という驚きのスピードの展開性から、西方への展開も推測されますので。

少しでもホームページを見てもらいたいと思い、facebookを始めて交流しています。断食明けルバランの休みに授業の復習をしていて感じ入った話を紹介しました。

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2人の旅人と1頭の熊-インドネシア語授業の復習(Dua orang pengembara dan seekor beruang)

あるとき2人の旅人が森の中を歩いてました。そしたら茂みから突然、熊が出てきました。

一人は仲間のことも何も考えず急いで近くの木に登りました。もう一人は、一人では熊に立ち向かうこともできないし、地面に横たわり息をころしてました、熊はしんだものは触らないと聞いてましたので。

木の上の者は何もしないで見てました。

熊は地面の旅人の頭のあたりでくんくん嗅いでましたが、一寸してから行ってしまいました。

木から降りた者が、聞きました。
「熊が君の耳もとでなんか囁いてたようだけど、なんて言ってた?」

横たわってた者が言いました。
「助けようとしないヤツを友達にしたり、危ない時ほっとくようなヤツと一緒に旅したりしない方がいいぞって。」

Nara Akiraさんの写真

(Mahir Berbahasa Indonesia untuk Penutur Asing から仮訳)

中部ジャワへの旅の最後の紹介はスクー寺院ですが、実に不思議な遺跡です。

中部ジャワ南部、世界遺産ボロブドゥールなどのある特別州都ジョグジャカルタからバスで北東上し、2時間ほどでジャワ原人の博物館のあるソロに着き、乗り継いで更に東へ向かいます。

最後はオジェッに乗り継いで、ソロから1.5時間位で地域の高山ラウ山(3,265m)の山腹の遺跡に着きます。

行きましたときはラマダン直前だったので、終わってからのイスラム教徒のお正月向けなのか修復中でしたが、観てお分かりのピラミッドです。しかもあのマヤのピラミッドに酷似と言われるものです。

本殿ピラミッドの正面の階段を上がって、頂部で焼香やお供えを捧げ祈ります。

本体の背景

伽藍中央の軸線は東西方向で、本殿は西を向いており、その正面の石積み、有名な亀石などと本殿の前方に立つ彫像は次のようなものです。

亀石とレリーフ  頸無の鳥

そのまま参道を西方の入口の方へ見ますと3つのテラスになっており、段差は1.5mくらいで石積みは小ぶりです。

3つテラス

第2の段差

テラスの北側には、象などの動物が並ぶレリーフ石群が目につき、南側は彫像ですが、私にはむしろお山ピラミッドが見えるのが印象的です。

北動物のレリーフ  南の方pira

そして、もう一つこの遺跡を有名にしているのが、入口の階段を上がるとアーチ大門の床面には、男女の性器が接した瞬間をアップしたレリーフがあります。

それとピラミッド前面右に控える「捧げ銃」彫像が立派な一物を左手で持っています。

神聖な性におおらかなヒンズー教に見られる特徴でしょう。が、ジルバブ被る当国を動いている私には一寸ショッキングです。

アーチ大門  捧げ銃

そして、私が不思議だと思うことについては、次回、ご説明いたします。

テレビの会見で断食明けが告げられ、外では花火が上がっています。

断食月の間は、日中は閉めていたり、カーテンを下して中で静かにという店が多かったです。断食明けの休暇に入り高速道の混み具合がレポートされるのは、日本と同じです。

多くの地元料理店が閉めるので、スパゲッティ、ステーキといったメニューの洋風店は、書き入れ時です。

明けが近づき、休暇を取り始める頃からネオンを派手にし頑張る店も出てきます。

ラーメン

レストランhp

そして、断食月明けの大祭ともなるとまず1番は、ケーキ屋さんでしょうか。

ケーキ屋

日本の年末と違うのは、日本が先生も走って忙しく仕事をこなそうとせわしないですが、ここでは断食してますのでゆっくり、そして早じまいです。

静かな休みに入っています。

夜景

ラマダン断食月明けのお祝いが週末ということで、休暇状況に入っています。此処では帰省することを川上に帰ると言いますので、万年の国らしいです。が、今では高速道が混むのは、日本と同じです。

活気を呈す一つは、宝石売りです。街にも売ったり、磨いてたり目立ちます。原石の掘り出し物があるかもです。

宝石縮

石磨き

教室では、接頭辞perにmata(目)を付けて宝石permataです。このmata目が、日hariとで太陽matahari、水airを付けて湧く泉mata air(逆は涙)、足とでくるぶしmata kaki、講義とで授業科目mata kuliahなどです。

目mataは、他に生業、釣り針、矢じり、刃、羅針盤方位、最近では核弾頭もある重要単語であるだけでなく、メソポタミア、エジプト、長江などの文明に「目」の強調が共通して観られます。アメリカのドル札にも見られます。

この先史からの伝統を窺わせる言語感覚の「宝石」ですが、此処の人の宝石好きは、指輪(チンチンcin-cinと言います)、ネックレスもわがカミさんが素敵、欲しいと言うのとニュアンスが違います。(ちなみに、恋・愛はcintaで、此処の歌では一番連呼される重要語です。)

「写真、いい?」

「勿論さ。一寸待て、まだあるんで付けるから。」(小バッグから取り出しポーズ)

人と宝石

「そうだ、小指の分もあるから一寸待て、撮り直しだ。」

「いやいや、行かなきゃいけないんで。それで十分、ありがと。」

文化人類学の先生によると、飾りは元々は交易・付き合いによる人脈の豊かさを示すものだそうです。良い品、高価な品、沢山の物は、人脈の良さ、高さ、そして広さを示すという訳です。

ボスザルのように群れの中で優越しているというところから、やがて天、神と語り・願い事できるという知的で精神性のあること、物的な財力を支配している、特に海洋の交易力があるといったことが、人脈の豊かさ、本人の偉大さになったのでしょう。

アメリカ・インディアンなど遠隔の地でも、特に酋長はいろいろ飾りをしてますが、理解できます。

万年のアジアの楽園Sundalandが注目されるのは、その気候風土、食べ物としての動植物のほかに、この貴重な鉱物(ダイヤも!)があります。

宝石は小さく、軽量、その後の胡椒などの香辛料と同じく海洋交易のパワー源です。そして、楽園は、西方(中東など)、北方(シナ、日本など)、東方(太平洋地域)へのルートの中間、中心の要でした。万年前の先史時代は近距離を繋いで行ったのかも知れませんが。

この鉱物もいたる所に火山があるからでもあります。そして、時には石よりも固い貴重・希少な物を見つけた人もいるでしょう。

「残念ながら、万年の時は鉄をも融かす。」(Danny Hilman博士)ので、使われたという証拠evidenceは見つかってませんが。

南方の歴史は、当時の木、竹、作物、相伝の工法・技、語り伝え、 そして遺骨・遺品も残り難く、evidenceは?と言われ泣かされています。

さて現在、この万年の宝石掘りは過熱気味で、政府は環境破壊を心配する状況になってきているようです。何しろここでも爆買いに来る人たちがいますので。

宝石の掘りHaloJepang

(Halo Jepang紙4月号から)

Stephen Oppenheimer

Weidenfeld & Nicolson, 1998

A book that completetly changes the established and conventional view of prehistory by relocating the Lost Eden – the world’s 1st civilisation – to SouthEast Asia. At the end of the Ice Age, SouthEast Asia formed a continent twice the size of India, which included Indochina, Malaysia, Indonesia and Borneo. The South China Sea, the Gulf of Thailand and the Java sea, which were all dry, formed the connecting parts of the continent. Geologically, this half sunken continent is the Shunda shelf or Sundaland. In the Eden in the East Stephen Oppenheimer puts forward the astonishing argument that here in southeast Asia – rather than in Mesopotamia where it is usually placed – was the lost civilisation that fertilised the Great cultures of the Middle East 6 thousand years ago. He produces evidence from ethnography, archaeology, oceanography, from creation stories, myths and sag as and from linguistics and DNA analysis, to argue that this founder civilisation was destroyed by a catastrophic flood, caused by a rapid rise in the sea level at the end of the last ice age.

「Nielsen BookData」

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