「歴しニア」の報告  日本祖人と昆布ハイウェイ

日本祖人の渡米(30,000年前以降)に関して、米北西太平洋岸の州Oregon大学自然文化史博物館、Jon Erlandson博士は、最終氷河期最寒冷期LGM後の17,000年前頃、下図緑部の昆布ハイウェイKelp highway(凡例赤枠)を海の民が、日本から渡って来たという仮説を唱えています。

両サイドに共通の食料としてカワウソなどの海洋哺乳動物、鰒あわび、エビ・カニ類、多くの魚・海鳥、海藻などを挙げています。

北太平洋の東西の鏡面対称性(北大 大原昌宏教授)からも納得できます。
海藻類は、食料としてのみならず、ロープに使用されたり、茎の中空部に灯火のための油などを保管する等、種々の有用な用途もありました。

スンダランドSundalandから、日本列島、ベリンギアBeringiaを経て、モンテ・ヴェルデ遺跡のある南米まで、環太平洋の海の民の移住(MPOR)の重要な一端を示すものでしょう。

(了)

日本祖人の痕跡発見?!

カテゴリー: 最新情報

「歴しニア」の報告ー「日本祖人」の痕跡発見?! https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
日本列島始まりの人類である4万年前からの「日本祖人」の渡米の痕跡は、時代があまりに古く、主体は海浜であったことから発見は困難です。

しかしながら今回、米国考古学誌Archaeologyに、カナダ・モントリオールMontreal大学の発掘結果が掲載されました。

既に長期間の発掘が続く中で2.8万年前のマンモス化石が発見されている考古学宝庫(魚の)ムツ(類)洞窟において、遺物の3,600もの骨を分析した中に、馬のあご骨に石器で傷を付けたものが見つかりました。2.48万年前とみられるというものです。

馬のあごの骨に残るV字型(右端)Archaeology Magazineから

向こうでは学者先生が、年代を議論していますが、3万年前に北海道太平洋岸を出発しています、そして当時のユーコン川は今同様に旧ベーリング海に注いでますので、お伝えしています様に「歴しニア」には、何の不思議もありません。

洞窟の名が魚のムツ類Bluefishであることも実によく海の民に付合しています。そして、痕跡は、島か高地奥地に残るということにも。

人類の海の民の環太平洋展開(POR 、RLPP)論を示す痕跡と考えています。

定説である「人類のアメリカ進入は、シベリアからベーリング地峡を狩猟民族がマンモスを追って」というイメージを見直すべきと考えています。

今年は、カナダ建国150年、来年は明治維新150年、合同研究はどうだろうかと夢想します。

(了)

「歴しニア」の思い Facebook:Nara Akira

100年前ならはっきりです。日本人は、変なヤツと言われていました。下写真の魚介海藻を、嗅げる・触れれる・食べれる・好んで食べるという点で世界はザクっと二分されます。

内陸肉食系と海浜河川の生魚・海藻系にです。特に、海藻を言葉にするとはっきりします。

人類の環太平洋(POR)進出説は、南米アンデス4,000m級高地の人が何故、手間かけて海藻を入手しようとするのかを説明できます。

飛騨の山奥へ行ってもこれらは好まれますし。食育とは、こういう物の味を伝えていくことも重要です。実は、古い暮らしの痕跡は島や高地に残るものなのです。(誰だ、トロ・ウニ・フグ・海藻などの味を他所に教えちまったのは?)

万年の昔よりも海水面が100m以上も上昇していますので、沿岸に痕跡を見つけるのは誠に困難ですが、石器やDNAなどの調査と共に、こんな食の特色にも残っていると考えています。

そして、寒冷降雪地での適応を果たした人とアフリカを出た後、そんなに大きく変化したとも思われない海の民のDNAを比較検討し、アジア人のDNAをこの2区分を切り口として分析することが重要です。

アメリカ先住民研究も、この2区分がはっきり確立されていないため、万年前に来米した人たちについて分かり難くなっていると考えます。

アメリカ大陸の先住民研究及びユーラシア東部の人々との関係を結びつけ、来米の時期及びルートを考察することが今、求められています。

(了)

 

標題につきまして、新たな興味ある内容がFacebookに紹介されていましたので、整理し紹介いたします。

Nara Akira : https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!
既にお伝えしましたケネウィックマンKennewick manよりもずっと古い下図の南米チリのモンテ・ヴェルデ遺跡(14,000年前頃)が多くの遺物と共に発見されています。

そして、南太平洋東部に人類が達したのは紀元後数百年、この両者は万年と千年で全くゼロが一つ違います。他方、雪の寒冷地の北海道に3万年前頃には日本祖人が遺跡に遺物を残し生活しています。

既に人類は、豪Australiaに海を80km位渡って5万年前頃に進出しています。当時の千島列島の島間距離はそれ以下でしかも次の島はいずれも見えていましたので、渡って行ったことでしょう。

当時は、ベリンギア地峡Beringiaによって北極海の冷水が入らない、ハワイに繋がる沿岸は氷河期とはいえ2.5万年前ころは寒冷が緩和され、北海道を経験した日本祖人は沿岸を移動して行けたことでしょう。何しろ、食糧豊富な地でしたので。

その地峡をシベリアSiberia内陸方面から大型哺乳動物を狩猟する民が渡っていったのが15,000年前頃以降ですので、日本祖人「海の民」が、米大陸に初めて渡ったと考えていますし、更に子孫は南米にまで沿岸を拡がったと考えます。

後でシベリアから来た人たちに押されて主役の座を失いましたが。

加えまして、関連の第1は、下図中央の鏡面対称性です。アジアと北米の海岸性環境や例えば昆虫に見られる類似性など生物群集の比較が興味深いと北大の大原教授が言われています(「モーリーNo39号」)。

時代に応じ寒暖・氷床などが緯度を上下しましたし、陸路、鳥、風、海流での生物移動もありました。

日本祖人は、言わばベリンギアへ登山し北米に下山して行った感じで誠にラッキーでした。しかも環境は祖人にとって厳しかったですが、山の高度は丘というべき北海道からの沿岸ハイキングでした。

第2は、Dhani Irwantoさんが、プラトンとSundalandに関して詳細な研究を本にしていますが、同地について、万年の昔に恵まれていた言わば始原の楽園であったことはもっと注目されて良いと考えます。

この楽園地域での多くの部族の文化を携えて海の民が、日本列島へ北上したことを考慮する必要があります。フィリピンからのルートもありましたでしょう。

また、南米チリの古い遺跡はどう解釈すればよいのかと言えば沿岸南下と考えるほか道がないですし、カナダで獲れた最大級のエビは、北太平洋の海獣、鮭など恵まれていた沿岸食料を象徴しています。

そして、既にお伝えしました2タイプ論を踏まえますと、沿岸地域を日本祖人が最初に渡米して行ったことが整理され理解できます。

以上の事から、現生人類の出アフリカから南米まで、この環太平洋進出説によってムリなく理解でき、この日本祖人「海の民」の人類史おける重要性を提言したいと考えます。

(了)

 

前回、日本祖人の渡米に関連しまして、環太平洋ルート(A)とシベリアからベリンギアを陸路渡るルート(B)について説明しました。

今回は、Aルートに係る既に説明しました9千年前のケネウィックマンについて、興味深い内容を見つけましたのでFacebook投稿しました、補足説明いたします。

「歴しニア」の報告 あの9千年前人骨“ケネウィック・マン”の子孫を見つけた?!ーa descendant of ”Kennewick man”
https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!

1996年、米北西部ワシントン州コロンビア川岸Kennewickで人骨が発見され、古人骨と分かった初期に鑑識医・人類学者等がアイヌかポリネシア系かコーカソイド(欧米系)かなどと言ったことと、当時数年前に制定された法律の通りに地域の先住民に返せということなどから、法廷訴え・論争騒ぎと調査になりました。

長引いたこの案件も最近のDNA分析により、一致する例はないが、北方のエスキモーの人たちと違う、まあ、地域ケネウィックのこのDNA調査に応じた現在の一部族の人に近いとなった結果を裁判所が認めて決着し、先住民に渡され古式に則って埋葬されることとなりました。

アメリカでは、コーカソイド(欧米系)かもと言った学者発言が長引いた論争になったことに大きな影響を与えたと思います。

私にとって大変興味深いのは、縄文・アイヌという語が出たこともさることながら、この人骨が、人類史の流れと9千年前に至る万年の混血状況を想像すれば十分に「日本祖人」・子孫も混じった可能性のあることでした。

更に、DNA分析結果は前述のとおりですが、調査においてA:海浜系、とB:シベリア内陸狩猟系を区分する視点とその視点での試料整備と照合がしっかり行われていれば、間接的にでも「日本祖人」・子孫の初渡米を裏付ける事が出来たのでは思われることです、誠に誠に残念ですが。

さて、今回紹介します興味深い事とは、1847年に行われたPaul Kane’s Great Nor-Westという本(Diane Eaton and Sheila Urbanek)に書かれた内容についてです。

Paul Kaneは、その時期にずっと東の五大湖より向こうのモントリオールから西へ米加国境を旅し下図の黒点のとおり北西部に足跡を残すとともに、興味深い多くのスケッチを残しました。当時、Kennewickは、Walla-Wallaと呼ばれる地域でした。

太平洋沿岸にTacomaはありますが、その近くのイチローのいる大都市シアトルはこの時代にはまだ地図に無かったのが興味深いです。北から話題のコロンビア川が屈曲しながら南下し、Walla-Walla・Kennewickで西進し太平洋のAstoriaへと流れています。

さて、興味深い内容とは、Paul Kaneが、7月上旬のこの地域(コロンビア川Columbia river)の旅の中で下図左の族長To-Ma-Quinを描いています(Diane Eaton and Sheila Urbanekから)。

明らかにシベリアの雪の生活を経て目が細いB系の人たちとはっきり違う目、顔をしており、前述の9千年前のケネウィックマンのDNA分析の通りなのです。

この顔つきは正に、ケネウィックマンのイメージの通りで、遺人骨を分析し復元を試みた米学者さん達が、縄文人、アイヌ、ポリネシア、コーカサスでは、俳優の○○に似てる、など騒ぎになった事情がよく分かります。

私が裁判に出ていれば、裁判長、ケネウィックマンの顔特に目は日本列島・日本祖人系(A)海の民の目元なんです!と言っていることでしょう。私の中では、下図の環太平洋の人類移動を裏付けるものです。
ところで、日本語の特徴としてゲラゲラ笑う、しくしく泣く、ずきずき痛む、など繰り返しの畳語が多く、インドネシア語も全く同様に非常に多いです。

そして、なんとケネウィック辺りは昔は地名がWalla-Wallaとダブってますので、この点で実に関係を納得するものでもあります。

当時のWalla-Wallaには、小さな砦がありましたが、下図をよく見てもらうと分かりますが、ほんとかなと思うくらい旗ポールが高いです。

そして、Paul Kaneは、Walla-Wallaでは歳が40を越える者は殆どおらず、また、よく食べる乾燥鮭に砂が混じっているのでそんな年寄は歯茎のとこまで歯がすり減っていると描写しています。

ところが、この歯がすり減っている話は、9千年前のケネウィックマンを調べた医者・人類学者が言ってる事と全く同じなんです!

違いは、先史人と言えば狩猟採集民族で、農作物でない肉筋などの堅い物を食べ続けたケネウィック人は歯が磨耗したと理解しているのに対し、Kaneは、砂交じりの乾燥鮭のせいだと書いています。

即ち、当サイトが強調する、彼は生活もA系のCoastal Tribe漁撈採集民であった可能性が強いのです!

先史人と言えば狩猟・石器史観を替えるべきだ、海の民の復権をと言う理由をお分かりいただけると思います。沖縄石垣島で2.5万年前の人骨が出てるのに石器が出てこないと先生方は騒いでいます。

私にはそれほど不思議では有りません。竹、木、動物の骨、植物繊維などがあれば、海の民の生活は十分できたでしょうから。

(了)

当サイト読者の皆様には、目新しい結論では有りませんが、Facebookへの投稿です。以前のHarvard医科大のDNA分析研究に基づく南米アマゾン3部族との関連、前回の中米オルメック人顔像との関連などに次ぐ痕跡探しの一環です。

(歴しニアの報告)日本祖人Nihon Sojinがアメリカ一番乗り!
―米Nativeインディアンの人骨分析から
https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!
米Michigan大学C.R.ブレイス教授チームが、米大陸・欧州の千数百個の頭蓋骨21ケ所の特徴を詳細に分類し、特に米各地で発見された9千年前以前の古い人骨の形状などから米大陸への移住者には2タイプあり、古いタイプは、顔立ちは立体的で彫りが深い日本列島人系で、米のスーSioux族やチェロキーCherokee族が近いと発表しています。

A系の存在と時期的推移が意義深く、これまで知られていることと合わせたものが下図です。長い時の流れと混血により分かり難くなっていますが、痕跡と考えます。

なお前回、中米オルメカ人顔像との関連を紹介しましたが、A系を裏付けるものです。他方、時を経た現代の南北アメリカの総体としてはB系でしょう。

(注:LGMは、最終氷期最寒冷期2万年前頃で、この時期には寒冷Beringiaを既に通過していた種族の発展確率が高い。)

用語として、新、旧、のモンゴロイドと言う言い方がありますが、混乱の元だと思っています。少なくともアジアの始まりにおいてはこの2元の分類による理解が重要と考えています。

特徴は、内陸狩猟採集系か、海浜・河川漁撈採集系かと言う点と寒冷降雪適応型か否かということになります。例えば欧州及び米国(白人)は、今では一般に内陸狩猟採集系・寒冷降雪適応型が主でしょう。

この地域2系、気候2系がクロスして4系が入り交り各地で特色ある暮らしになっていますが、歴史の認識のみならず、人間社会の生き方として海浜・河川漁撈採集系を見直そうと言うのが当サイトの主張です。

万年の昔からは、100mに及ぶ海水面の上昇により、遺跡・遺物が海中に消えているため、痕跡から想像力をも働らかせてということです。そういう意味では今宇宙物理論で話題のダークマター・エネルギーのようなものでしょうか。

広範囲にあった、ある筈だが、容易には実物証拠を掴めないものとして。

(了)

マレーシアにおける金 正男の暗殺が分かり易い直接の引き金と言えるでしょう。実行犯2人の女性の国籍も実行された場所も意味合いを持っているものです。

4発の脅威度を増した北のミサイル発射、米韓演習、尖閣諸島海域での中国勢力の行動の活発化、シナ海への米空母機動艦隊の進出と東シナ海での海自との共同訓練、そして、何よりも韓国の大統領弾劾決定と混乱及び今後の大統領選挙戦の波乱含み、アジア情勢は、目の離せない燃え始めている状況になってきています。

現在、アジアは普通に見て、中国による周辺小国の占領抑圧、国際法を無視した力の誇示による南シナ海等での荒っぽい露骨な行動と北朝鮮の危険な核・ミサイル開発と実験、体制の不安定さが大きな2大特徴です。

(西村幸祐Facebookから)

この状況に対し、米国は南及び東シナ海への空母艦隊派遣、THAAD韓国配備に踏み切ってます。そして、北朝鮮による白昼のクワラルンプル空港での暗殺を契機に益々、国際無法への対応機運が盛り上がってきています。

仮にヒラリー大統領であったなら、現下のアジア情勢はどうであったろうか、どう推移して行くだろうか、それは我が国にとってどうだろうか、と言う意見が見られない、そして「解放」という視点が無いのが我が論壇、メディアの欠陥です。

冷戦の残滓への対応だと言う人もいます。確かに、朝鮮戦争、ベトナム戦争は冷戦対応であり、代理戦の色彩もある戦争でした。

アジア史の視点で見れば、その要素よりもご主人植民地主義者たちが支配した桎梏を多くの国が脱した先の大東亜戦争に次ぐ、共産独裁勢力による国際法無視の力の使用、威嚇抑圧といった地域を広く覆う不正からの「解放の闘い」と言えるでしょう。

言わば共産独裁の軍事勢力に対する国際法に基づく自由民主体制勢力の闘いという性格と見られます。

この共産独裁の軍事勢力は、地域に根づいているだけにご主人植民地主義者たちよりも或る意味において厄介で手強いです。

日本の被拉致者・メディア支局・多くの企業などが、いわば人質に取られているような状況での政戦経済の総合的な闘いです。

こういう視点から私は、アジアでは戦後に冷戦の代理的な戦争はありましたが、米中の大国を中心とした国際法秩序、自由民主体制という価値を巡る抑圧と軍事脅威からの解放のための大東亜地域における第2次の戦争と捉えています。

今回は闘いの意義も異なり、日本は主役でなくプレーヤーも先の第1次大東亜戦争とは様変わりです。

そして、冷・熱戦は、やはり地域の歴史的な特色である朝鮮半島をまず焦点として複雑な様相で始まりそうな気配ですので、推移によっては一衣帯水の我が国に火の粉が飛んで来るという極めて大きな影響が及びます。

我が国の態勢整備、国際連携と協力、そして何よりもまず国民の意識改革が求められていると考えます。

(了)

「歴しニア」の報告 https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!
Olmeca men, once in Mesoamerica, were descendants of original Japanese Nihon Sojin, Sundalanders and Out of Africa tribe.
中米の先古典期のオルメカ(Olmeca)とは、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明で、その後のマヤなどの中米メソアメリカ文明の母体となりました。(以下、地図及び写真はwikipediaから)

担った人の3mもある巨石顔像は、厚い唇、居座った鼻、くりっとした目などが特徴です。

北米Nativeインディアンには似ておらず、西郷どんやジャワ・マジャパヒト王国の名宰相Gadja Madaに似ています。そして、縄文人や最初の現生人類女性像イブEveにも似ています。

(Map:Dhani Irwanto)

因みにこの地域では、別に内陸の寒冷降雪地に適応を果たした内陸狩猟民族である元横綱の朝青龍タイプがおり、雪によい細い目が特徴でシベリアから渡米し、その闘いでの強さからか系統子孫は今では米大陸先住民の主体をなしています。

また、太平洋ポリネシアの人にも似ています。

しかし、時代を考慮するとポリネシア系の太平洋進出は、ハワイでせいぜい500B.C., 南東のイースター島では近年の研究で1200AD頃とみられています。

従って、それらより早い時期の中米進出は日本列島を経由した日本祖人(漁撈採集系)の子孫系統と考えざるを得ず、人類の環太平洋沿岸移住説を示すこととなります。

南米ブラジル、リオ北部の古い女性人骨ルシアは、アフリカ人に似ているようだということですので、南米までの環太平洋の移住は、そのスタートのパンカル半島・スンダランド地域から日本列島、Beringia南岸、アラスカ南岸を経て太平洋岸を下図のような流れで行われていたものと考えられ、無理なく理解できます。

そして、これまでのことから、このルートにおける進出・移住が、始まり・途中・終着で人々の特徴を大きく変えることなく行われたらしいということが重要です。

即ち、沿岸での海辺ライフスタイルを概ね保って移住が行われたことが推論されます。

沿岸地域における実際の遺跡・遺物は、当時からの数十m以上の海水面の上昇によって調査は極めて困難ですが、古い民族の広範なDNA調査と共に、このような今に残るものから推論を進める理論歴史考古学の研究が重要と考えます。

(了)

 

「歴しニア」の報告 世界最古級の洞窟絵は、インドネシア・Sulawesi

当サイトでは既にお伝えしていますが、Facebook投稿しました。

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!

Oldest cave drawings are in Sulawesi, Indonesia.

海の民として有名な人たちのスラウェシ島Maros洞窟群の手型や動物絵を、最新のウラン放射線分析法により年代測定した昨年の結果、世界的に大変意義深い35,400年前以前のものがあることが確認されました。(Smithsonian.com)

これまでは、世界最古の洞窟絵はスペイン北部のものなど欧州のものと見られてきました。しかし、それらの年代測定がやや疑問の余地を残すカーボン法であるのに比し、今回、最新のウラン放射線法であることもこの結果の意義深さです。

そして、4万年前頃には既に、人類の精神面の画期的な変化が生じていたとみられていますが、実はその時期は、初めて現生人類が海を越え日本列島(九州沖縄方面)に渡って来た時代です。

そして約1万年で北海道にまで拡がり、日本祖人による基層が形成されました。因みに、スラウェシ現場では洞窟に住む人たちが舟を描いたことにも惹かれました。人類の環太平洋進出始まりのbig newsです。

そして、何故私が洞窟の舟の絵に惹かれるか、どうして現生人類の環太平洋の進出説をとるのかにつきましては、次回、ご説明いたします。

(了)

 

 

 

 

 

 

「歴しニア」報告 日本特有の白血病ウィルスが渡米を示す!? Facebook:Nara Akira
Virus HTLV-1type is an old ancient one of 4 types and indicates human migration to American con tinents through Japan, Pacific Ocean Rim in Paleolithic era !? This virus indicates that human migration to America happened through Japanese archipelago. https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
日本に特有の白血病を起こすヒトT細胞白血病ウイルスHTLV-1型のウィルスキャリアが、不思議に南米アンデスの古い高地族など隔離性の強い所や島に今も残っていますが、日本でも縄文遺跡が多くある所で発見されています。

既に当サイトで報告のとおり、日本祖人ー縄文人の多くの家族が万年の昔にベリンギア南岸ルートでアメリカへ渡って行ったと考えられますが、このウィルスもそれを示しているものと考えられます。

このことはまた、現生人類史において、東南アジアから赤道沿いルートで痕跡の全く無い直路南米に進出したものではなく、正に日本列島を経由したことを示している貴重な痕跡でしょう。

(了)

厚切りジェイソンJason君、 日本には4万年前からの長い長い歴史があるんだよ。

そんな昔、伊豆の神津島(黒曜石の産地)に小舟で行き来してた日本祖人が、最初にアメリカ大陸に渡ってるんだよ、多分。

3万年前には北海道東岸に至り、冬の暮らしにも慣れた。そこで止まって、無人で食料豊かなのに北上しないのは不自然だよね、国境はないから。

ムリにはいいけど知っといてね、元気で頑張って!

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
There are very rich historical Paleolithic sites in Japan 40-30,000 BP, those indicate human development from Sundaland to American continent, north and south, in ancient era.

話題の米人厚切りジェイソン君に紹介しました。何しろ最初に現生人類がアメリカ大陸に渡った問題に直結してますので。日米友好の一端ともなりますし。

そして、改善すべき差別・人権問題はあるかもしれませんが、長い長い歴史を有する我が国に「先住民」と呼ぶべき問題は有りません。「先住民」国会決議は誤りです。

(了)

「歴しニア」の報告(ケネウィック人 第1報)https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
Kennewick man indicates of needs to divide this regional ancient tribes into either Siberian hunter or Coastal sea tribe from Japan. Siberian hunter was main tribes and got into South America,too.

下図 シベリア狩猟系が主であり、南米にまで入って行っています(略)。


米北西部ワシントン州のコロンビア川で発見された9千年前の人骨(右臀部骨に矢じり残り)ケネウィックマンが、先住民の人たちに渡されて古式に則り埋葬されたというニュースが飛び込んできました。

1996年の発見初期に鑑識医・人類学者等がコーカソイド(欧米系)かアイヌかポリネシア系かなどと言ったことと法律の通り地域の先住民に返せということなどから、騒ぎと調査になりました。

最近のDNA分析により、一致する例はないが、エスキモーの人たちと違う、まあ、地域のケネウィックの調査に応じた現在の一部族の人に近いとの結果を裁判所が認め決着しました。

問題はこの人骨が、人類史の流れと9千年前の混血状況を想像すれば十分に「日本祖人」・子孫も混じった可能性のあることです。

調査において、A:海浜系、とB:シベリア内陸狩猟系の区分視点及びその視点での試料整備がしっかりあれば、間接的にでも「日本祖人」・子孫の渡米を裏付ける事が出来たのでは思われることです、誠に誠に残念ですが。

なお、3億円事件の教訓などからケネウィックマンのモンタージュ例は控えます。

(了)

歴しニアの報告 https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
New theory of ancient “Human Journey”along Pacific Ocean Rim

Facebook:Nara Akira
今、世界で最も良い認識が得られると言われる鳴川地図に現生人類進出の状況自説(当サイト)を展開しました。

列島で日本祖人が4万年前に世界のバトンを受けて送り出した時期が概ね把握されていることが素晴らしく、我が国の学術努力が貢献しているものと考えています。ーCool Japan

あの時代の列島に多くの家族が危険を冒して操舟し渡海してきた(内陸の大型哺乳動物狩猟の民族と異なる)点を我が国の成り立ち上、重く考えています。

それが南米南端までバトンが継がれた事由だろうと。

(了)

建国記念の日に。

カテゴリー: 最新情報,こぼれ話

Facebook:Nara Akiraにも投稿

今次、安倍首相の訪米において、ドナルド・トランプ大統領は、「日本は豊かな歴史と文化を持つ誇り高い国である。アメリカ人は貴国とその伝統に深い敬意を抱いている」と語ったそうです。
報じないメディアは、何か理由があるのですか?建国記念の日に不思議に思います。あれほど選挙報道で失敗し反省したんですから、意味ある事実は目を向け伝えましょう。
長い長い間の熟成の歴史を有する我が国の記念すべき画期の誇らしい記憶遺産も子・孫に語り伝えていきましょう(歴しニア)。

「歴しニア」のこぼれ話—我が国の始まりは、東亜地中海の畔(ほとり)

当サイトをご覧の方は既にご存知ですが、標題の内容をFacebook Nara Akiraに投稿提起しました。(本記事の字の何故かの濃淡は意味ありません。facebookに加えた分です。)

4万年前頃、海水面は数十m低く東アジア平野があり、我が国により囲まれた東亜地中海の畔で海産物を主に食す「海の民」が育んだ暮らしが原点です。

我が国へは外海を越えて、容易でない操舟による幾つもの家族の渡来が必要でしたので。例えば、沖縄の糸満の人たちやアリューシャン列島のアレウトの人たちの海の民として生きる、今に伝える厳しい鍛錬の痕跡からも窺がえます。

さて、始まりの主ルートは、上図の①台湾正面から八重山Bか、更に北上して②北部東アジア平野から北・北西九州Aか、我が国への一番乗りは大変興味あります(いずれも町興しに宣言出来ます。肯定も否定も学者先生はしないでしょうから)。

トカラCは、当初の学説では動植物状況から島での持続的な生活は厳しかっただろうと言われましたが、その後、植生状況も良くて暮らせただろうということのようです。

厳しい黒潮流越えがありますが、あり得たかもしれませんね。この場合は、南九州は有明ルートでなく南西諸島ルートとなり、かつ、相当の外洋航海力があったことになります。

3万年以前に伊豆神津島の黒曜石取りに渡海し頻繁に行き来できてますので、「海の民」の実態は大変興味深いことです。

主ルートは、渡海の難易や現在発見されている旧石器時代の遺跡状況などから、個人的には後者の図Aからかなと考えますが、実はたいした問題ではないでしょう。

いずれにしろ今と全く違って緩やかに歴史が流れていたあの時代、畔は似たような肌の黒い小柄な人たちによる似たような海辺・川辺の暮らしぶりでしたので、まずは九州に拡がっていった始まりの日本祖人像に大きな違いはなかったことでしょう。

決め手は、東亜地中海のほとりの「海の民」の暮らしぶりでしたので。

その後、日本列島の今よりも拡がっていた沿岸地域を北上して行って、約1万年かかって北海道太平洋岸に至ってますが、後半の寒冷降雪に慣れるのに時間を要したのでしょう。

つまり、3万年前頃、我が国ほぼ全域の沿岸地域で、外洋の渡海を果たした当時としては高度の知識・技能を有する「海の民」・子孫を主とする我が国の原風景が形成されたことが重要です。

真の遺跡は海中ですが、島や沿岸に残された古い遺跡から窺がい知れます。黒曜石産地で豊富な遺跡群でも有名な遠軽町白滝、その古さから日本祖人が大平洋岸の十勝、釧路の方から回って行ったものと考えています。

実はこれらのことは、大陸内部で大型哺乳動物を狩猟する人たちの生活との対比において大変重要な意味を有するものと考えています。DNAの変化問題もありますし。

さて、南から更に人の流入が続いている中、2万年前頃には大型哺乳動物を狩猟する人たちが陸続きの北海道へも稚内から南下して入って来ました。

この狩猟民族は、当然にして西からも入って来てますので大きな変化をもたらしました。

温暖化した状況での1.65万年前頃からは縄文時代と呼ばれていきます。何故、こんなに古い時代に日本で土器が登場したのか? 私は、温暖化によって生ものが腐りやすくなった、採集植物と組み合わせした、煮炊きが契機なのではと思っています。

そして当時の世界的なグルメだったのではないかと。

2.9万年前頃の南九州の姶良大噴火は、始まりの頃の日本祖人の生活に実に大きな痛手を与えた日本祖代の誠に残念な大事件でした。しかし、この大苦難を乗り越えたことは良い影響もあったと言えるかもしれません。

その後も、種々の人々が主に海を越えて入って来て海辺・川辺から全域へと文化が積み重ねられ熟成されていった長い長い独特の歴史です。

恵まれた日本列島に南・西・北から人が入ってきますが、通過して東の太平洋にどんどん流れていくことの無い、基本的には溜まる一方と言ってよい熟成という点が他所と異なる国柄を作った大きな特色と考えます。

まあ、このくらいの事は、子供たちに教えて良いのではないでしょうか。仮に大きく違う遺跡が発見されるようなら修正すればよいですから。通説を覆した驚きの三内丸山遺跡による縄文時代観の大修正も学界は行っていますから。

奇しくも建国記念日に記述しました。

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

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