人類の環太平洋進出ーケネウィックマンの子孫発見?!

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前回、日本祖人の渡米に関連しまして、環太平洋ルート(A)とシベリアからベリンギアを陸路渡るルート(B)について説明しました。

今回は、Aルートに係る既に説明しました9千年前のケネウィックマンについて、興味深い内容を見つけましたのでFacebook投稿しました、補足説明いたします。

「歴しニア」の報告 あの9千年前人骨“ケネウィック・マン”の子孫を見つけた?!ーa descendant of ”Kennewick man”
https://youtu.be/BGrhO1ntyYo 海の民の復権を!

1996年、米北西部ワシントン州コロンビア川岸Kennewickで人骨が発見され、古人骨と分かった初期に鑑識医・人類学者等がアイヌかポリネシア系かコーカソイド(欧米系)かなどと言ったことと、当時数年前に制定された法律の通りに地域の先住民に返せということなどから、法廷訴え・論争騒ぎと調査になりました。

長引いたこの案件も最近のDNA分析により、一致する例はないが、北方のエスキモーの人たちと違う、まあ、地域ケネウィックのこのDNA調査に応じた現在の一部族の人に近いとなった結果を裁判所が認めて決着し、先住民に渡され古式に則って埋葬されることとなりました。

アメリカでは、コーカソイド(欧米系)かもと言った学者発言が長引いた論争になったことに大きな影響を与えたと思います。

私にとって大変興味深いのは、縄文・アイヌという語が出たこともさることながら、この人骨が、人類史の流れと9千年前に至る万年の混血状況を想像すれば十分に「日本祖人」・子孫も混じった可能性のあることでした。

更に、DNA分析結果は前述のとおりですが、調査においてA:海浜系、とB:シベリア内陸狩猟系を区分する視点とその視点での試料整備と照合がしっかり行われていれば、間接的にでも「日本祖人」・子孫の初渡米を裏付ける事が出来たのでは思われることです、誠に誠に残念ですが。

さて、今回紹介します興味深い事とは、1847年に行われたPaul Kane’s Great Nor-Westという本(Diane Eaton and Sheila Urbanek)に書かれた内容についてです。

Paul Kaneは、その時期にずっと東の五大湖より向こうのモントリオールから西へ米加国境を旅し下図の黒点のとおり北西部に足跡を残すとともに、興味深い多くのスケッチを残しました。当時、Kennewickは、Walla-Wallaと呼ばれる地域でした。

太平洋沿岸にTacomaはありますが、その近くのイチローのいる大都市シアトルはこの時代にはまだ地図に無かったのが興味深いです。北から話題のコロンビア川が屈曲しながら南下し、Walla-Walla・Kennewickで西進し太平洋のAstoriaへと流れています。

さて、興味深い内容とは、Paul Kaneが、7月上旬のこの地域(コロンビア川Columbia river)の旅の中で下図左の族長To-Ma-Quinを描いています(Diane Eaton and Sheila Urbanekから)。

明らかにシベリアの雪の生活を経て目が細いB系の人たちとはっきり違う目、顔をしており、前述の9千年前のケネウィックマンのDNA分析の通りなのです。

この顔つきは正に、ケネウィックマンのイメージの通りで、遺人骨を分析し復元を試みた米学者さん達が、縄文人、アイヌ、ポリネシア、コーカサスでは、俳優の○○に似てる、など騒ぎになった事情がよく分かります。

私が裁判に出ていれば、裁判長、ケネウィックマンの顔特に目は日本列島・日本祖人系(A)海の民の目元なんです!と言っていることでしょう。私の中では、下図の環太平洋の人類移動を裏付けるものです。
ところで、日本語の特徴としてゲラゲラ笑う、しくしく泣く、ずきずき痛む、など繰り返しの畳語が多く、インドネシア語も全く同様に非常に多いです。

そして、なんとケネウィック辺りは昔は地名がWalla-Wallaとダブってますので、この点で実に関係を納得するものでもあります。

当時のWalla-Wallaには、小さな砦がありましたが、下図をよく見てもらうと分かりますが、ほんとかなと思うくらい旗ポールが高いです。

そして、Paul Kaneは、Walla-Wallaでは歳が40を越える者は殆どおらず、また、よく食べる乾燥鮭に砂が混じっているのでそんな年寄は歯茎のとこまで歯がすり減っていると描写しています。

ところが、この歯がすり減っている話は、9千年前のケネウィックマンを調べた医者・人類学者が言ってる事と全く同じなんです!

違いは、先史人と言えば狩猟採集民族で、農作物でない肉筋などの堅い物を食べ続けたケネウィック人は歯が磨耗したと理解しているのに対し、Kaneは、砂交じりの乾燥鮭のせいだと書いています。

即ち、当サイトが強調する、彼は生活もA系のCoastal Tribe漁撈採集民であった可能性が強いのです!

先史人と言えば狩猟・石器史観を替えるべきだ、海の民の復権をと言う理由をお分かりいただけると思います。沖縄石垣島で2.5万年前の人骨が出てるのに石器が出てこないと先生方は騒いでいます。

私にはそれほど不思議では有りません。竹、木、動物の骨、植物繊維などがあれば、海の民の生活は十分できたでしょうから。

(了)

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