日本祖人が初めてアメリカ新大陸に渡った(2)—ブラジルのLuziaが示す

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「歴しニア」の報告 https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
何故、ブラジルの11,500年前の古い女性Luzia人骨に関し、諸説ぼんやりではっきり説明されないのか?

それは、東南アジア―日本列島―千島列島―カムチャッカ半島東岸ーベリンギア地峡南岸ーアメリカというルートを考古学的な遺跡・遺物をもってはっきり実証できないからでしょう。

そうであっても、始まりと終わりや断片証拠から理論的に説明すればよいのにと「歴しニア」は考えます。証拠が見つかって必要があれば修正すればよいと。

そのことに加えて次のような点があるからなのではと考えています。

①4-3万年前の日本列島全域にわたる豊かな旧石器遺跡群に対する認識が乏しい事、②北海道太平洋岸からBeringia地峡の南岸回りは実は想像に反し、最も寒い冬の気温があまり変わらないとの認識が乏しい事。

そして、日本祖人が北海道太平洋岸の冬の衣食住生活に慣熟してからアメリカへと、食料に恵まれた地域を拡がって行った。

また、北海道に至る前に既に伊豆の神津島に舟で行き来して黒曜石を採っているなど熟練の「海の民」だった、などという事も。

当時の気候、寒暖の変化は今では想像が出来ないくらい揺れ動いていましたので、動植物の状況などに関して確かにはっきりしない所はありますし、何しろ期待される遺跡は海水面が数十m以上上昇したことで海・川中であるので実証が困難なことです。

特に、Beringia地峡によって北極海の冷たい海水がベーリング海に流れ込んでいませんでしたのでその影響がどうであったのかということが有ります。

しかし、既にこのサイトでは説明してきましたが、状況を推測すれば一応渡って行った可能性があったと言えると思います。

やはり、欧米の人たちに日本の旧石器時代の状況の認識が不十分なのではと感じます。

また、明らかに広範な諸学の共同研究を必要としますので、組織化や予算の面で説として打ち出すまでのものが難しいのでしょう。

それでも、子供たちに縄文の遥かに前の4万年前、文字通り我が国の始まり、開闢はこんなだったと思われると教えることは重要だと考えます。

というのは島国のため、生活習慣や精神風土が、4-3万年前にしっかり原風景が形作られてその後も外から次々に入って来るものを途切れることなく受け継ぎ、熟成してきたものと考えるからです。

(さて、欧米の人はまさか、ロンドン子午線の地図を見て育ってるんで、最右と最左の両端繋がりなんて思い至らないよとは言いませんよね。冗談ですが。)

Luzia was similar to Negroid, not to Native Americans, neither to Siberians, Eskimos. It seems that the migration route was Pacific Ocean rim (RLPP theory).
Ancient historical situation of Japanese Archipelago and around Beringia supports the theory.

(了)

 

 

 

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