日本人と似ているナバホ族の暗号通信手の大戦時の活躍(第3図)、最初のアメリカ人Nativesの最新説の昆布ハイウェイ移住(第2図)について説明しましたが、考古学的には第1図槍先形の有舌(茎)尖頭器が、不思議なほどよく似ていることを日米の学者が現物を手にして確認しています。

始まりの日本祖代から日本列島にはナイフ形石器があり、それが 有舌(茎)尖頭器 に進化発展したもの、あるいは大陸から伝わったものと考えられ、氷河期後の温暖化しだした時代(1万数千年前~)の狩猟に大きな進歩をもたらしました。図の形態は、祖代の次の縄文草創期のものとみられますが、一方向の広がりではないようです。この舌・茎の部分の形状を含め図各地のように、微妙に各種の異なりが見られ、日本列島内でも4種に区分されたりしています。ともかくこれだけ離れて類似ですので、北海道と西海岸だけでなく発掘された石器を広く研究分析する必要があります(縄文人はフネで直接渡洋したか、ムリでしょう)。まずは、日本学者が北海道だけでなく、経路途中や西海岸や大陸の石器も共同研究できるように科研費を投じましょう。世界人類史的にも期待されているのです。子供に教え世界に発信しましょう。まさか有舌(茎)尖頭器が、ネットで安値で売り買いされていないでしょうが、遺跡遺物の保護にも努めましょう。

前回図右ナバホ族の活躍を紹介しましたが、米国では図左最初のアメリカ人は沿岸から説が考古学者の7割で、シベリアのマンモスハンターが内陸の無氷回廊から大型哺乳動物を追って説はもはや主流でなくなっています。

それを実態的に支える理由の一つが、図の沿岸赤色の食の豊かな海藻エリア(海獣・海鳥卵など含む)であり、「Kelp Highway昆布ハイウェイ」からフネで、無氷回廊が未だ開いていない古い時代(1.7万年以前)に入って来たと南北米の旧石器遺跡・遺物から判断されるという訳です。新説第1人者のErlandson博士の図では、千島列島が書かれ重要な事実(次回)が説明され、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの北上が注目されますが、こんな新しい重要な事が、巷間本・博物館・教科書に全く載っていないことは残念というより驚きです。東京・北海道札幌のオリンピックです、子供に教え世界に発信しましょう。

最初のアメリカ人は「ベーリング南岸をフネで1.7万年以前に入って来た」新説と図左前回のY染色体M130の拡がりなどから、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaido(縄文人先代)と米西岸Native先住民の繋がりが注目されますが、実は驚くべき秘話があります。

先の大戦で、図右米先住民ナバホ族の言葉は、他の先住民ですら分からないので暗号に使えるだろうという上層部の決定で召集され(当初29名の約410名)、サンディエゴで7週間の教育を受けてから第1海兵師団の前線の通信手として太平洋戦線に投入され活躍しました。ハワイ日系2世の活躍と異なり、ことが暗号通信なので秘密にされ、1968年ごろからやっと明らかにされ、部族で誇りをもって顕彰されて、やがて議会の金・銀メダルを授与され、2017年には生き残っている3名がホワイトハウスで表彰される名誉に浴しました。日本軍には決して分からないから暗号に使えると言う事からでしたが、現在では3万年前からの祖人・北海道の事やM130のことなどに加え、日本言語学会長をされた松本克己博士が環太平洋言語の同系性を論文とされているので、当時の軍上層部が聞けば冷や汗をかくかもしれません。尤も、それでも暗号は全く破れないですが。いずれにしても、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoと米西岸Native先住民の関係、ナバホ族などの沿岸先住民のこの面からの研究、両者の歴史を遡った関係についてもこれからの事です。科研費に値すると思います。子供に教え、世界に発信しましょう。

RYM130って何? 下図右Spencer Wellsによる最古級のY染色体M130の拡散Rルートの事で、前回の洞窟絵マロス・マカッサル地域における枝分かれに大注目なのです 。

前回まで図左ネズミが示す南方からの北上や伊豆の海の行き来、新説のベーリング沿岸を入って行った「最初のアメリカ人」候補として、巷間本等の3方向渡来図の誤解を正しました。図右3万年前からの祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoは、ずばり、男性継承のY染色体が図の通りに米国北西岸先住民に繋がっている可能性がはっきりです。そして同図下の青字ハーヴァード医科大による驚きの発見である、アマゾン古部族とアンダマン人・豪アボリジニが他に無いDNAの類似性を有することも、点線のように延伸すれば「太平洋を横断したんじゃないの~」と先生が記者に冗談を言われなくても理解できるのです。オリンピックが来ます、日本の先生によるWellsやハーヴァード医科大などのこれらの研究の総合分析が期待されています。まずは子供に教え、世界に発信しましょう。

前回、下図(左)の南方ネズミの列島定着で巷間本等の誤解を正しましたが、図(中)その南方で最新のウラン・鉛年代測定法により、インドネシア・スラウェシ島・マロス洞窟群の多くの洞窟絵の最古のモノは45,500年以前と判明しました (Science Advances  13 Jan 2021) 。

洞窟絵では、フランスやスペインのものが有名ですが、マロスのモノは高い認知力を有し断然の古さで金メダルです。注目は、この海に近いマロスの洞窟絵には舟を画いたモノがあり、中部スラウェシでは帆柱付きのモノもあります。実はこの地域は「海の民」(マカッサル・ブギス人)として有名を馳せ、活動はマラッカ海峡から豪州に及び、シンガポールにはブギス駅もあります。この古さと認知力は、南方から北部九州に約4万年前に家族で渡海し、祖人Proto-Japanese が沖縄から北海道にまで列島に拡がり、図(右)伊豆の海では38,000年前から黒耀石を求めて20km以上を行き来して海上行動分野の金メダルを獲得したことを納得させます。今、現生人類史最後の謎、「最初のアメリカ人」についての新説は、1.7万年以前にベーリング地峡沿岸・昆布ハイウェイKelp Highwayをフネで入って来たというモノであり、狭いとはいえ津軽海峡を越えて雪と寒気に3万年前には適応していた祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが候補として関りがあった可能性があるとして注目されるのです。

そして下図、南米アマゾンの古部族とマロス洞窟群を含むスンダランド地域の古人のDNAが不思議に類似である事も踏まえた、現生人類の環太平洋移住MPOR(Migration along Pacific Ocean Rim)説(スンダランド地域から日本列島、ベリンジア南岸、北米・南米西岸―日本祖代研究会が提唱)が注目されるのです。

日本の子供がこんなことを全く聞いてもいませんし、世界でも認識はまだまだですので、オリンピックを機に教育し発信しましょう。

巷間本・博物館は図左3方向渡来図を示しますが誤解の元です。

前回の遺跡・石器に続き、日本のネズミのDNA分析(図:東教大・米川、東大・森脇)を考察すると、まず①南方からK種が北部九州に渡来して拡がり、その後②大陸から別種Mが 主に九州に 入って来て拡がり、③関東甲信越以西のMと北部日本にKが残ったということです。ネズミが人に寄り付いて動くと考えれば、この図は実に納得の成り行きで、日本文化の基層の形成を示すモノとも言えます。北の縄文遺跡の世界遺産登録の事も、よく理解できます。この北に残ったKネズミの寄りついた人たちは当然、原日本語を話していましたので山も川もみんな名前がありました。これは、鎌倉時代アイヌが登場するずっと前、万年千年前からの事です。子供に教え、世界に発信しましょう。

時代を異にする図左3方向渡来図や祖代を「原始時代」としているのは誤解の元で、日本列島史の始まり時代は、世界考古学史上の多くのメダルに輝いている(図中赤字)のです。

こんな時代の近隣や欧州に見られない磨製石斧をはじめ、造舟・外洋の操舟、釣り針、黒耀石を求めた20km以上の海の行き来、環状の集合居住の社会性、動物の生態を把握した陥し穴猟は九州から北海道まで、1m級以上の大きさと深さの多数の穴を知的に計画し多くの人に指示して共同作業で鉄製スコップのない時代に掘って作っているのです。そして、「世界の『最初のアメリカ人』研究」においてマンモスハンターが動物を追って入って来たという定説に替わった、北太平洋・ベーリング海沿岸の昆布ハイウェイKelp highwayをフネで入って来たという新説で、今や海の民系の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoが注目されているのです。

というように、日本祖代は世界史的に注目される事象が豊かな期間であり、日本史的にも明らかにその後の生活文化の基層を為す重要な始まり時代なのです。まず北上史を基本とし、子供に教え世界に発信しましょう。

現下の巷間本・博物館の展示は、図左上の3方向渡来図になっていますが、時代の異なるモノ(もしかすると新・旧人も区別せず)を合成した誤解の元です。

既に、我々の祖先である世界の現生人類の拡散研究において、第1図の東南アジアから北上した日本列島の通過、第2図の広域にわたる赤線の列島通過及び昆布ハイウェイを行ったアメリカ新大陸(南米まで)に至る環太平洋における拡散という説を、日本側の発信の乏しい中で米国の複数の学者が研究し提唱しているのです。そして、前回報告のように1万件を超える列島の旧石器遺跡は、第3図の日本祖代における列島北上史を示し、かつ土器が登場した変化で「縄文」と呼ばれる時代に切れ目なく繋がっているのです。この間主に、北方及び西方から人・文化の流入は有りましたが、民族交代は無い受け入れ吸収と地域差変化のレベルであり、2万数千年間の祖代、1万年の縄文時代の日本史における影響は基層として大きく、大陸・半島国との生活文化・信仰・言語などの違いの大きな要因となっています。

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3方向渡来図の1番の問題は、今、世界人類拡散史の大きな問題である「17,000年以前にベーリング海沿岸をフネで入って来た最初のアメリカ人は、いつ誰が何処から」に、伊豆の海を38,000年前から行き来していた海の民「日本祖人」Proto-Japanese が参加していないことです。出発地である北海道の祖代史の解明が、今や世界人類史にとって重要なのです。それにも拘らず、祖代の世界的に貴重な磨製石器が、3千円足らずでネットで売り買いされている大恥の文化保護状況なのです。

アイヌ・ウポポイ施設に200億円もの大予算が投じられ、今後とも60億円という大きな予算が予定されているのにです。 始まり祖代の列島北上史・北海道祖代史の研究 及び 遺跡遺物の破壊損失の回復に 大きな予算を投じて体制を充実させ、子供に教え、世界のお客様に紹介しましょう。

 謹 賀 新 年

近年の研究により、① 沖縄の 痕跡は3.6万年以前からで、古人骨は現生人類の出アフリカ後のインドネシア、ベトナムという南方古人骨と形質類似性があり、②本州はやがて縄文人骨へと変化して行ったが、沖縄では島で古さを継続し、③世界的には島で持続的暮らすのは容易で無いが、沖縄では島の環境に適応した固有の南方系の生活様式 (例えば最古釣り針や旧石器が殆ど見つからないなど) を持続した。

さて、その始まりの渡来を考えると、与那国ギャップと食料などを考慮すれば台湾山地からの多くの家族の直接移住は容易でなく、更に200kmの慶良間ギャップを家族で越える困難さ、既に3.8万年前には日本祖人が伊豆の海で行動している事を考慮すれば、「曙海」西方の北東ア平野沿岸を北上し北部九州に渡来して南下、沖縄に至ったものと考えられます。そして、列島の1万件を超える旧石器遺跡の分析から、祖代及び縄文時代に異民族の大渡来・移動の大きな変化はみられないので、 発見されている 沖縄最古人骨と同様の祖人Proto-Japanese が、伊豆の海を越え、北海道の雪と寒気の暮らしに適応し、北上を継続してベーリング地峡に向かった可能性が考えられるのです。

沖縄研究の重要性は、この「曙海」沿岸の人々と同様の日本祖人がやがて北海道にまで (日本祖代:約2万数千年間) 、可能性としては図点線矢印を延長したベーリング地峡、そして17,000年以前に沿岸からフネで昆布ハイウェイKelp Highwayを入って行った「最初のアメリカ人」Nativesに関っていることなのです。

子供に、オリンピックのお客さんに説明しましょう。

  

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