
1.前 言
世界では、日本人とは「日本人は、どこから?」と問う人たちと言われています。これまでは「どこから?」だけでした。博物館などの「北・西・南の3方向から日本列島への吹き溜まりの渡来図」が示すように、祖代研が提唱するまで「どこへ?」が真剣に語られた事はありませんでした。その大きな理由は、DNAや歯形が北米の先住民とは合わないというモノだったのです。しかし、近年の南米の海藻遺跡や北米足跡の発見に加え、DNA分析でのアボリジニ等と南米アマゾン先住民の衝撃の類縁発見などで状況は変わりました。アメリカ新大陸へはマンモスを追って入って来たと言う定説は崩れ、西沿岸ルート説が高まり、日本列島ルートを語る米学者も登場してきました。祖代研は当時の古環境、遺跡、DNA分析等から、出中東以後の現生人類拡散のアンダマン海、スンダランド、東亜地中海沿岸の重要性を「どこから?」で認識します。北米先住民DNA及び歯形と合わないだけで拡散史の否定要因も無く無視されて来た祖人の北海道からの北上継続を「どこへ?」として提起し、10年前には全くの仮説であった環太平洋移住説の研究実証化に努めてきました。北海道祖人は渡米参加標準を突破しており、2025年の日米チームの米国旧石器と北海道物の類似・伝播実証説で、説は大きく前進しています。
2.原郷・スンダランド地域
日本人は何処から? この問題は、現生人類の全世界への拡散の一コマです。図右上30万年前頃のアフリカに誕生した現生人類が10-8万年前頃に中東に進出し、東進したグループの南ルートと北上して内陸に向かいやがて北東進した北ルートと欧州に向かい北西進した西ルートがあります。図左下15万年前から南アフリカ海岸で海産物を食し赤色材を使用し暮し始めた痕跡は興味深いです。1万件超えの日本史の始まり祖代Sodaiの遺跡やDNAの分析、氷河期の古環境の認識に加えて近年ではアメリカ「沿岸ルート」説(学界をリードする欧米学者は軽視しがち)が高まっており、日本史の始まりである対馬海峡を越えた北部九州への渡海に光を当てます。「フネと海産物食」の沿岸民に注目であり、南ルートで東部チベット~スンダランドと北西の地域の「原郷」からの拡散となったものです。この人類史の拡散の流れの中で、東京大の太田教授はアンダマン海周辺の先住民と縄文人のDNAの類縁性を発見し、南方を起源とする北上のNHK番組が制作されました。4万年前の沿岸民の北部九州への渡海進出後の祖人Sojinの沖縄への南下、北海道以北への北上継続という人類拡散史なのです。なお、巷間の樺太、朝鮮半島(当時は山地)、台湾から与那国島・沖縄本島という3方向からの渡来図は時代がバラバラで新しく外に出ない全く誤解を招くものであり、北海道からの渡米という日本列島ルート説を抑制してきている阻害問題があります。そして近年の大注目は、原郷からさらに東進し90km以上の最古の渡海を経て豪州・パプアに進出した人類のDNAと南米アマゾン等の先住民のモノが驚きの類縁というHarvard医科大の発見、ブラジル研究機関の追認があり、万年前の多数家族の太平洋横断は有り得ず、台湾東部(北上)と中米コスタリカ(南下)に通過の痕跡(Harvard医科大)がみられるのです。祖代研は、インドネシア考古学及び地域の史的研究とこれらの祖代の状況から初期の構想を高めて沿岸ルートとしての「環太平洋移住(MPOR)説」として更なる実証化の研究状況に関するブログ発信を続けています。
3.日本への東亜地中海の北上
日本の学界では、約4万年前の北部九州への渡海が始まりと認識されています。フネと海産物の沿岸民に目を向ければ、東部アジア地域最古のスマトラ島のLida・Ajer遺跡、ラオス古人骨・ベトナム古文化、
スラウェシ(セレベス)5.2万年前の洞窟絵、カリマンタン(ボルネオ)及びフィリピン西部の3万年以前の数ケ所の遺跡などから現在とは異なる4万年前頃の東・南シナ海沿岸地域が注目され、祖代研は曙海、パンカル(地域語で始まり根元の意)海と命名して重要性を認識してきましたが、同海域西岸地域に遺跡発見が無い(基本的に海面下と後代による消滅・未発見)ことから今も学界はこの重要な海の回廊を無視し、内陸北上史観です。しかし、MPOR説とアメリカにおける沿岸ルート説の高まり及び北海道石器と米国者の類似・伝播説の発表で時は至ったと認識し、フェルナン・ブローデルの名著「地中海」史観との比較類似性から曙海・パンカル海を人類拡散史の重要な舞台として「東亜地中海」と命名認識し、東岸に充実した痕跡があるので同等以上の内容の存在を西岸に推定し、スンダランドから北上した西岸ルートから北部九州、沖縄へ南下という史観を提唱しています(現状では海面下と陸上消滅・埋没など実証化が難しいですが)。
4.北部九州渡海からビッグバン
重要な、正に日本史の始まりは、島国であるがゆえに4万年前の始まりの5W1Hが推定できる驚くべきことことなのです。図左上の復元地形と海面低下考慮から、黄矢印のような南方から北上して来た沿岸民の曙海の句がんの時計回りの移住(朝鮮半島・山地から渡来したは誤解)となり、図下:始原の熊本石器は祖人に迫っているのです。図右:沖縄(3.6万年前人骨、世界最古の釣り針)へ向かった種子(島、陸続き)には世界最古の陥し穴猟跡が発見されていますが、その知力、鉄器の無い時代の1m穴を多数作成する作業の社会性は言語を必須とし、「原始人ではなかった」事を示しており、祖人のスローな「ビッグバン」が始まりで北海道以北に拡散していました。
5.本州への拡散と北上
静岡・浜北遺跡は、始まり祖人と次代の縄文人の重要な歴史の繋がりを示しており、広島廿日市に最古の遺跡(4.2万年前)の発見報告がなされています。図左下:黒耀石を求めた恩馳島(当時は神津島に接続)への世界最古3.8万年前の伊豆の生業航海・物々交換は、「沿岸ルート」時代の世界の花形痕跡です。最初に欧州で発表した時には、祖代研が示した最長で20km程度の渡海、黒潮分岐流は無く波静かという説明でなかったために欧州学者に嗤われ相手にされなかったそうです。広大な関東平野は、多くの人々の遊動狩猟暮らしの現代的なインディアン・キャンプ痕跡(3.5万前~)や、「祖代の新宿」と言われる最古級の東京小平・鈴木遺跡に賑わいを示しており、長野高地の最古級遺跡も発見されて祖人の拡がりが推定されます。仙台と大雪は無かった日本海側は、古環境分析から海獣(オットセイなど)がいた(実は神津島にも)北海道暮らしの予行であったと考えられ、東西が合一した青森・陸奥平野での暮らしこそ北の縄文世界遺産の基礎であったと考えられるのです。予行を終えていた祖人は、狭かった津軽海峡を難なく越えて千歳や何でもあった襟裳岬を回った帯広に道内最古級遺跡を残しています。
6.北海道と千島北上
北海道で特筆すべき第1は、遠軽白滝奥で露出していた膨大な宝物の国宝・黒耀石が発見された事であり、沿海州や本州にまで交換で拡がっています。第2は既に九州から続いていた豊かな海産物のKelp海藻Highwayが沿岸に存在していたことです。何故、南方系人である祖人が極寒の北の地に向かったのか?それは食豊かなこの処女地の魅力(太陽に近づくことも?)と考えられます。北海道史では、かつてはマンモスを追い樺太から南下説が主流でありましたが全く痕跡発見が無く下火になり、次に石器文化の南下が強調されていますが、むしろ始まりの白滝黒耀石の北上であり、北の樺太・サハリンSからは早くても2.5万年、2万年前頃以降の細石刃文化の伝搬は、DNA分析から人の南下は大量ではなく、何よりも時期的に「最初の」アメリカ人参加に間に合わない、資格が無い事象なのです。また、昨年発表の石器研究でもアメリカの始まり時代には細石刃は全く発見されていない新しい(1.5万年前以降)文化なのです。暮らしに必要が無かったからと解釈する意見もありますが、祖代研は人の系統が違うのではと考えており引き続き事情は研究が必要です。3方向渡来図での南下・進入やこの細石刃文化の過度の強調は、少なくとも「最初の」アメリカ人である青森発の道東祖人の意義(PAHK)を世界に誤解させるものであり、学界ははっきり是正すべきです。
7.北海道東ゲートウェイ説
AIが渡米のLaunchpad発射台と命名表現した海藻ハイウェイ上の「道東ゲートウェイ」地域は北方領土を含む広大な地形でしたし、千島は一つ渡ると次々に島が見えた事は大きい要因でしょう。人類は見えていて行かないことはアリエナイです。北海道祖人は、対馬・南西トカラ越え、何より伊豆の生業の航海民の子孫であり、冬には流氷を歩いて行けたのです。渡米の参加標準を突破していたのに、世界の注目が遅れたのは3方向渡来図の樺太からの南下図が外に出る北上を阻害してきたこともあるでしょう。6千年前の縄文人は北千島まで行っていたのであり、北海道現地調査をした東京帝大の坪井正五郎、明治32年に鳥居龍蔵が坪井教授の指示で北千島を現地調査し、最初は誤解で否定されていた全国のコロボックル石器人(坪井)・縄文人の存在は北千島に及んでいるという見方は大正時代初期には鳥居がはっきり学術報告(学会講演、学術誌記述)していました。しかし、無視され放置されて来ているのであり、今や公に妖精・悪戯っ子として扱われ、妖怪にさえされてパレードしているのは世界学界に対する罪です。日本の大学・博物館はもとより欧州等で世界的に埃を被って眠っている貴重な千島・カムチャッカ関連史料を一挙に公開し、ルートの実証研究に向けた国際共同研究が行われねばなりません。北海道大の高瀬教授による研究では、15世紀と全く時代は新しいですが、北千島民(留頓るとん-祖代研仮称)が実はカムチャッカ南々部が主であった痕跡を発見していて、カムチャダールに追われて南に戻り北千島民になっているのです。推定すれば、更にずっと北に進出していたが追われたと考えられ、注目の米臨海(仮称、北極海の冷水流入は無かった)のベリンジア南岸(BSC)も視野なのです。
8.最初のアメリカ人は3波の重層・複数
2025年は、Science Advancesに日米の大学研究者チームが米国広域の最古級の旧石器が北海道・白滝物に類似しているという広範な分析に基づく「北海道発」説が発表され、大きな前進となっています。祖代研は、アメリカ始まり史の最前線で、北米はもとよりシベリアや南米を含む遺跡の考古学の実証史料や近年のDNA分析等を総合的に考察し、沿岸ルートでの始まりからその後の北米内陸の無氷回廊IFC開通後に及ぶ時代・ルートの進入・拡散における3波説を発信し明らか(沿岸から拡散の➀➁、強い、主に内陸系による③後続波)にしています。DNA議論におけるベリンジアでの数千年の滞留Standstill問題は、➀➁には関係なく③にはあり得るでしょう。DNA研究者が想定するベリンジア又はそれ以前のアジアにおける最初のアメリカ人に関するDNAの混合変化も、青森・道東地域は候補でしょう。欧米学界の北米先住民Nativesを意識する依然としたシベリアからという内陸人イメージ主流説に対し、祖代研は、人類拡散史の「最初の」(南米に痕跡)アメリカ人解明を追求しており、欧米学界主流に対し、A:南方域系DNAを含む南米先住Population-Yとシベリア民のDNAは全く異なる、B:シベリア内陸民はお手本なしに北の氷海でフネを操り海産物食とする海藻ハイウェイ2500km移住などできたのか、と根本的な疑問を発信しています。引き続きの研究課題なのであって、Who?は未だ決着しておらず、むしろ北海道祖人が有力なのだと発信を続けているのが最前線の実情です。
9.結 言
歴史の研究は温故知新であり、何事も始まりを見つめ認識しなければ現代から未来への考察は砂上の楼閣でしょう。特に我が国が直面する21世紀のインド太平洋時代における人類拡散・東亜地中海史は、その基礎となるものであり、対立の厳しい現状から国連(UN)が主導して国際共同研究がなされるべきであると提唱します。
ー祖代研究会(RSoJS) #祖人