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前回お伝えしましたように、インド亜大陸地域では、近年驚くべき古さ、数の遺跡が発見されています。

まず注目されるのは、アフガニスタン国境に近い古いメーガルMehgaruh遺跡と衛星写真分析に連携したサラスヴァタ川(現在は干上がっている)流域の多数の遺跡群です。

印遺跡群jpeg10.20

メーガル遺跡は、フランスチームが、9,000年前から3,000年前ころまでのものと報告しています。当時は今と違って、森林と水が豊かな地域だったようです。

現在と変わらぬような泥土の家での定住、初期農耕・家畜、新石器のほかに人骨、装身具、小立像などが発掘されています。

歯が西方ではなく東方(アジアの楽園Sundaland系)の人たちと類似であることが注目されます。

有名なインダス遺跡モヘンジョ・ダロMohenjo-daro(4,500-3,800年前、約4万人)からアフガニスタン南部のカンダハルに至る経路沿い地域でもあります。

そして何よりも、パキスタンにあって今もドラヴィダ族語が話されている地域の近傍です。

ドラヴィダ・タミル言語遺跡peg

サラスヴァタ川沿いは、かねてハラッパ遺跡として知られていましたが、リグ・ヴェーダの記述を裏付ける広域にわたる驚きの数の遺跡群です。

更に、海岸地域でも海中を含め遺跡が発見されてきています。

そして、万年前は大陸と陸続きだったスリランカの中央山地に残るドラヴィダ語族の状況から、万年前のインド亜大陸地域は、ドラヴィダ系語族に占められていたことが窺われます。

近年の研究により、上図の北西のカイバル峠方向からのアーリア族が侵入した(3,500年前頃から)ことによる大きな変化というこれまでの見方は修正され、もっと緩やかな自然な変化であったようです。

丁度、我が国における縄文人と新たに入って来た弥生人の緩やかな移り変わりという近年の新たな歴史認識への変化のようです。

違いは、言わば縄文タミルが今もインド亜大陸南部と一部、スリランカ、ネパールなどにしっかり残っていることです。

理由の一つは、語り伝え守ってきたタミルの古く高い精神性、長く活躍してきた優れた海洋交易、造船の民という特性によるものでしょう。

インド中央・北部のサンスクリット語と南部のタミル語を比較した場合、遙かに多くのタミル語がサンスクリット語に採り入れられていることからもその事情がよく窺われます。

ドラヴィダ・タミルは、地域西部のメーガル遺跡の方から東部へ移って行き、また、北部から南部へと縮小して行ったとみられています。

但し、上図ようにインド西部沿岸で数千年前の海底遺跡が発見され、更にドゥワルカ遺跡はもっと沖にも海底遺跡があるのではないかとみられていますので、タミル人は東漸してデカン高原南部に来たと言えるだろうかという状況です。

今やインダス文明と言って片づけている状況ではないでしょう。

メーガルや海底遺跡の古さや近年新たに発掘が進んだサラスヴァタ川沿いの遺跡の豊富さとそれらの遺跡の拡がりの広域さから、ヒマラヤ南西流域文明とでも呼ぶべき状況と考えます。

更に、古い海底遺跡と海洋での国際交易活動が注目されます。

種々の言語との基本的な語彙の共通性などから言葉の面でもタミル語こそ母なる言語と言われるようになってきています。

ところで、インドネシアは、正に多様な人々の島々から成る国であり、それだけに多様な中の「統一」という標語を掲げ建国以来、大変な努力をしてきています。

問題の多い現在の国際連合UNが、範として研究すべき国と私は思っています。

国は一つの言葉インドネシア語ですが、例えば西ジャワ州では地方の言葉を大事に守っており、州庁教育局に地方の言語文化振興の部課があります。

 

JB教育局peg

アルファベットの下に見えるのが、この地域のスンダ語のスンダ文字です。そして、近隣のタイなどのどこよりもタミル文字に似ています。

このようなタミルは、古い時代に彼らの父祖の進んだ王国Kumari Kandamが(破滅的に)海に没したという語り継いできた神話を有しています。

また、古い時代から場所を換えても守ってきた文芸アカデミーSangamに咲いた文学も評価されています。

更に次回も、タミルを追って探究を続けます。

 

http://www.sunda-wind.net 現生人類の出アフリカ後、アジアの楽園のSundalandに至る前にインド亜大陸地域の海浜を経て来ています。 そこの万年の歴史を探って行きますと、実証という観点ではドラヴィダ・タミルの人たちに行き当たります。

南インドIndia selatanを中心に、長きにわたり自分たちの文化を持ち続けてきた人たちですが、何しろ日本語に一番近い言葉として真っ先に挙げられる言葉が話されています。

展開言語図日10.13縮

シンガポールへ行きましたときに、公用語としてしっかりタミル語が示されており、インド人街となってますが、実態はタミル街があります。

土産 (1)縮

タミル塔縮

イギリスがゴム園などでの労働者として、植民地から多くのタミルの人たちを連れてきたと言われており、現在も道路工事、建設現場などで多く見られます。

マレーシア・クワラルンプルの空港でもレストランや空港の清掃などで働いていますし、バンドゥンでは数は少ないですが、親子2代でお店を持って反物を売ったりしています。

タミル嬢syuku 

タミル人男縮

3高のイケメン君は、自分は多数派のタミルオリジナルではない港町マドラス系だと言っていました。親とはタミル語、店ではスンダ語、インドネシア語、英語で頑張っており、ここでやっていくということです。

インドネシアでは植民地としていたオランダ人に連れて来られ、北スマトラの大都市メダンMedan、リアウRiau、首都ジャカルタを主に数万人とみられる人たちが、多い所では自分たちの学校や病院などを持ってしっかり根づいています。

さて、インドと言えば聖典Rig Vedaリグ・ヴェーダです。 古代以来長らく口承され、のちに文字の発達と共に編纂・文書化された数多くあるヴェーダ聖典群のうちのひとつで、最も古いと言われています。

祭祀、呪法、生活、神、性愛、宇宙などの内容の全10巻で、1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)です。

 

リグ・原本

(ウィキペディア)

神話扱いされてきた古いリグ・ヴェーダですが、その中で独りきわだち勝る大河と記述されている聖なる、ヒマラヤからアラビア海に至るサラスヴァタ川沿いを主に地域で約2,600の遺跡が発掘されています。

これまでは神話として片づけられてきましたが、記述と遺跡発掘の附合から見方を変えていかねばならないでしょう。

下図左の上のメーガル遺跡は、フランスチームTim Prancisによって約9,000年前という驚きの古さが報告されています。

また、学校で教わったインダス川モヘンジョ・ダロ、印パにまたがるハラッパ遺跡などに加え、衛星写真分析から干上がった聖なるサラスヴァタ川沿いの状況が明らかになり、発掘によって無数の遺跡が発見されてきています。

印遺跡群jpeg10.20

いわゆるインダス文明、そして聖典リグ・ベーダの内容の年代・記述の歴史性、更にはインド先史とそれを担ったドラヴィダ・タミル史が全く見直される状況になってきているのです。

Kini prasejarah India, Dravida Tamil sedang terevisi secara drastis.

日本語の源流議論もそういう状況を踏まえてなされるべきだと思います。

さて、世界史的Sejarah duniaに実に大きな意義sangat pentingを有するタミルDravida Tmilについて、更に探って行きます。

 

未だ問題の多い現代の人間社会のあるべき方向、その将来を考える上で温故知新、人類の大規模な文明社会の始まり、原点の様子を探ることは重要でしょう。

近年、DNAの分析などにより祖先である現生人類の足取りがかなり分かって来たのは大きな成果です。

アフリカを出て海浜沿いに東進、アジアの楽園のスンダランドで北上し、南から、西から日本に到達して日本を覆った後、北からも進入してきています。

人類の展開9.16syuku

しかし遺骨などから分析しうる肉体は、人間を人間たらしめる行動を司る最も重要な精神や心理を内部におさめて運搬する、いわば容器に過ぎません。

この点で、現生人類は出アフリカ後、5万年前頃には容器内のコンテンツとして言葉の画期的な進化を果たし、4万年前頃には洞窟絵を描く精神性を示しています。

そこで、他の動物群とはっきり異なる、人間らしい大規模な集団社会の生活状況となりますと、集団の言葉が精神性や生活文化と直結しますだけにその分析が重要です。

日本では、4万年―2万年前頃に南・西、北から入って来た頃から既に生活に重要な道具として黒曜石の使用が各地で認められています。

それを探して船出し、その使用痕跡の分布から、遙かな遠隔地と人々が交易する知能、コミュニケーション力と海上移動技能を有し、日本全域で生活していたことが分かります。

黒曜石図jpeg

縄文人が1万数千年前には、確認しうる世界最古の土器を作り、狩猟採集その後の初期稲作、交易などに必要なかなりの言語力を有して生活していたことは確かでしょう。

弥生人が3千年前頃に南・西から進入するまでに1万年以上の期間があります。

その間の縄文人による言語の使用、生活文化、信仰などは、地域で差があったとしても日本全土を覆い、その後の基層をなし現代に続く重要なものと考えていいでしょう。

この点で7,000年前頃、南九州鬼界島の火山の大噴火で当時の先進地域の九州はほぼ壊滅したと言われています。

西日本も大きな被害を受け関東、東北にまで灰が及んだ大災害による後退は、誠に残念なことです。

日本語の言わば親語はどれだろうということで、100年以上も言語学的な分析が行われてきていますが、どうも誰もが納得する決め手はまだないユニークな孤立的な言語と言われています。

その中で名前が挙がっているのが、①南方(ポリネシア系)語、②インド亜大陸のタミル語と③シベリアの南のアルタイ語です。

近隣の大陸国と同系でないことは不思議です。

候補が遠隔の途上国の地であり、欧米を含めた言語、文化、歴史などの総合的な研究が容易でないことも解明に至らない理由の一つのように感じます。

因みに、ポリネシアは、せいぜい3千数百年前にアジアの楽園のSundaland 地域からラピタ人が漕ぎ出し入植したとみられていますので、南方地域語と言うべきでしょう。

そして、南方地域語と言えば、7千年前頃には平野部が海没してしまいましたが、基層語としてアジアの楽園Sundaland 地域のことがよく認識されていないのではと感じています。

人類が東アジアに達する前に既に東南アジアで話されていた言葉に思いを馳せる必要があります。

更に、次の候補のタミル語が人によっては、日本からあまりに遠隔地のため結びつかないようです。

しかし一方で、世界的には下図のアルタイ語も(ウラル語も)タミル語に類似と言われていますので、日本での議論はなんだかなあです。バイカル湖地域○Bの人々もCからよりもAルートから進出し北方適応したのでしょう。

展開言語図日10.13縮

その後、強い影響力を持った大陸語に追われた古いものは、離隔した島、陸の孤島と言うべき人里離れた所、山奥などに残ったのでしょう。

現存の言葉をみていきますと、その始源的な古さと広域にわたる影響力でドラヴィダ・タミル語に比肩しうる親語と言うべき言語は、おそらく世界には無いようです。

(南方地域語として、万年の昔のアジアの楽園Sundaland語は、既にそれぞれ類似なものが複数存在していたと思われますが、タミル語との関係を含め不明です。)

現在のイラクであのメソポタミア文明を興したシュメール人の粘土板文字から解明された言葉に接したタミルの学者は、「これは、タミル語だ!」と共通性を実感しています。

また例えば、時代は万年の議論に比べればずっと新しいものの、あのイエス・キリストが最後に発した7語があります。

十字架の上の苦しみの中で、 回りにいた人は誰も理解できなかったとも言われているその7語は、ドラヴィダ・タミル語では、「神よ、死をお与え下さい。」だったと解されている始源性があります。

そして、青年時代の状況が全く不明なイエス・キリストは、当時、各地にあったインド伝道所に接触していたのではという見方すらあります。

人類史におけるドラヴィダ・タミルの地理的な位置、古い文化、近年の発掘成果を踏まえたその先史をもっと認識する必要が有るように思われます。

タミルの影響が日本に及んでいることも、共通の単語や日本の地名に残っており間違いないでしょう。

では次に、そのドラヴィダ・タミルに光を当ててみたいと思います。

 

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ときどき街の食堂で、アジアの楽園のSundaland関連記事を探して古新聞を読みますが、この写真にはびっくりしました。

私のホームページ読者の皆さんなら、何度も目にされている人類の進出展開の北上ルートを想起させますので。

渡り鳥図syuku 

(10.1付 Pikiran Rakyat 紙から)

人類進出図和syuku10.5

これはハチクマ鳥の渡りであり、冬モンスーンの9月から3月は、アジア北から大陸ルートを暖かい豪へ、夏モンスーンの1月から8月は、大洋ルートを北上し日本へという、1,300万年前からとみられる渡り行動です。

ハチクマ鳥縮 渡り鳥図

(10.1付 Pikiran Rakyat 紙から)

日本では、ミツバチの巣の蜂蜜や幼虫を食し産卵もしますが、ミツバチは巣を壊されるとまた別の新たな巣を作りますので、鳥によって飼育されているようだと言われています。

雨が近づくこの時期は、渡りが当地では田植えを始める時節であることも告げるそうです。

私の住んでるバンドゥン東北のDago 地区は、渡り鳥が列をなす回廊コースだそうで、記事は環境観光の振興を提案しています。

私は、人間の到着の遙か昔から行われてきたこの万kmという長距離の鳥の渡りは、人間の新たな進出展開に大きな影響を与えたものと思います。

鳥が行って帰ってくるということは、未知の地への展開が保証さているようなものです。空中という天・神に近い所で行動し、人を導く天使のようなものと思われます。

此処では鳥籠の鳥がバスターミナルなどあちこちで売られ、大事にされていますし、国章のガルーダ(イスラム国ながらヒンドゥーの神鳥)はもとより、パレードにも堂々登場します。

パレード鳥syuku

既にお伝えした、例えば、スクー寺院の彫像に羽がついてるものがありますが、鳥人です。

人のようですが、羽を有し顔は鳥であり、足の指爪も鳥です。

鳥の万歳

Samanthoによれば、このような鳥人ものは、下の写真の左がスクー寺院、右上がマヤ、右下がユダヤ民族が過越祭の晩餐で読む有名な冊子にみられる鳥の頭を持つ人だそうです。

スクーの万歳

そして、鳥人はメソポタミアのシュメール(Samantho左)、バビロニア(同右)とも共通性があります。

長江文明も太陽と鳥、インダス文明の鳥土偶、そして日本のアイヌの鳥信仰は縄文人にもあっただろうと推測され、神武東征神話は、八咫烏です。

先史時代、鳥は遠く離れた地域でも人々にとって特別な動物であったようですので、人々の移動・交流は興味深いことです。

やはり人間も同じように、氷河期終期の寒冷期にはアジアの楽園に南下し、暖かくなれば北上して行くということが繰り返されたことでしょう。

そして人々のこの離合集散が、異質の触れ合いによる文化、文明を育んだものと考えています。

鳥は、渡りを行うことや船乗りなどの情報収集に重宝された天・神に近い、人を導く天使のようなものであったのだろうと思います。

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アジアの楽園のSundalandは、恵まれた環境にありますが、災害だけは辛いものがあり、天は二物を与えずです。

従って、当国では地震・津波、そして洪水などに関心が強く、日本の洪水も関心を呼びました。

9月16日付で、「災害は日常を奪い、歴史をも変える―明日を知る「鍵」は過去に」でお伝えしました。
(2015.09.16)
http://www.sunda-wind.net/report/1903

茨城県 鬼怒川の堤防が決壊し、大きな浸水被害を受けてから2週間、仮の堤防を造る作業­が行われ、(9月)24日に完成しました。

「仮堤防完成」の報告をしたのは、国土交通省・現地対策本部長の堤 盛良さんで、grapeページでの浅葱カレンシアさんのコメントで知りました。

なんともピッタリのお名前ですね。

Nama orang Tsutsumi Moriyoshi, jabatan adalah kepala strategi markas besar lokasi yang dikirimkan oleh Menteri ke sana . Nama keluarga Tsutsumi, artinya tanggul. Nama sebutan Moriyosi artinya hal yang membangun baik dengan pekerjaan yang menumpukan tanah.

ここでは、万年を過ごしてきた人々が曜日を重んじ、祝い事や旅立ちや何かを正にお日柄縁起を大切にしてますので、私は分家と考えてます日本の事に感じ入りました。

怒った鬼もマイッタと言っていることでしょう。早い復興をお祈りいたします。

さて当地災害は、あの世界遺産ボロブドゥールを埋めた火山の噴火もそうです。今、噴煙であちこち難儀しています。

北部のボルネオ・カリマンタンでは、オランウータンが難儀していて当地紙が報じています。

Orang(人)hutan(森)、なんだ森の人ということなんだと分かったのは、インドネシア語の勉強初期の嬉しかった思い出です。

人と思って宜しくお願いしたいものです。

(じゃかるた新聞10.3日付抜粋 から)

森林・泥炭地火災による煙害が8月末からインドネシア各地で深刻化し、生態系の破壊が急速に進んでいる。

中でもカリマンタン島には約5万頭のオランウータンが生息しており、すみかを追われる事態が発生している。

カリマンタン島でオランウータンを保護している非政府組織(NGO)「ボルネオ・オランウータン・サバイバル・ファウンデーション(BOSF)」は、森林や泥炭地のうち、ホットスポット(高温地帯)や火災が発生した約30万9000ヘクタールで調査を実施。

これまでに火災ですみかを追われたり、煙害で弱ったりしている野生のオランウータン3千頭を保護・診察した。

ニャル・メンテン保護区では子どものオランウータンを室内で保護している

アジアの楽園のSundalandは、人類史の百貨店のようだとお伝えしていますが、保存修復中のスクー寺院で新たなミステリーが発見されました。

(当地のスンダランドSundaland会、Dhani Irwanto から)

中部ジャワのスクー寺院が不思議な寺院であることは、以前に「中部ジャワ旅、驚きのピラミッド遺跡-スクー寺院」でお伝えしました。
(2015.08.02)
http://www.sunda-wind.net/report/1461
(2015.07.21)
http://www.sunda-wind.net/report/1392

スクー寺院は、遠く離れたアメリカ新大陸のマヤ遺跡との類似性などのミステリーを秘めています。

今回の発見は、当国名門の地元ガジャ・マダ大学考古学チームによれば、寺院内部の地中に別の建造物があり、その上部の遺物が発見されたもので、Journal Timesが報じています。

西ジャワの巨石遺跡グヌン・パダンも内部に時代を異にする構造層があることが確認されています。

万年の歴史を有するこの国では、他にもまだまだあるでしょう。

今後の遺跡調査の細部の結果を待ちたいと思います。 

Dhani Irwantoさんの写真

Dhani Irwantoさんの写真

More mysteries found in Sukuh Temple!

SUKUH TEMPLE: A TEMPLE INSIDE A TEMPLE, EXPERTS CONFUSED

jurnaltimes.com, 26 September 2015

The uniqueness of Sukuh temple on the slopes of Mount Lawu precisely in the Berjo Village, Ngargoyoso Subdistrict, Karanganyar Regency [Indonesia] is not only the type of stone, the shape of the temple and even the bas relief on the walls. The strangeness of the conditions inside the temple when the stones dismantled is shocking, evidently it is exceptionally different from the temples in general which contain soil. But in Sukuh temple there are two layers of stones. Under the outermost stones, the team found another layer of brownish stones.

Until recently, a team of researchers who conducted the restoration of the temple have not confirmed if the type of fill that resembles stones is a natural hill or a fill. Another uniqueness, it turns out that the stones inside the Sukuh temple do not have fastening or locking mechanism like the other temples which serves to fasten a stone to the others to strengthen the temple.

Niken Wirasanti, one of the archaeological team from the University of Gadjah Mada (UGM) was very surprised to get a lot of peculiarities in Sukuh, which is currently undergoing restoration. Many new findings should be studied further by the other teams.

“It is an interesting fact that we will discuss, in contrast to other temples I ever learned before,” said Niken recently while doing research in Sukuh. In addition to the fill inside the stone structure, according to Niken, inside the temple there are also found antefixes under the stairs of the temple which are buried under the soil. Whereas the antefix should be positioned outside the temple.

“Antefix is a triangular-shaped stone as a temple decoration. They are found buried in the soil under a stair leading to the top of the temple. Antefixes are usually placed outside the temple,” she explained.

The findings in the field, Niken explained, still need to be studied further. In order to find answers related to the mystery of Sukuh uniqueness, which also raises several allegations related to the temple.

Initial assumption raises a number of allegations that there was augment of the structure on Sukuh, with the discovery of another stone structure when the temple was dismantled. There are also findings of antefixes commonly found and mounted on the front of a temple. Antefixes are found in the inner layer of the Sukuh temple.

“It will be studied further with the team, whether Sukuh always been like this from the beginning or whether there was the possibility of the augment of the structure, also changes of the shape of the structure,” she concluded.

http://www.jurnaltimes.com/2015/09/anehada-candi-dalam-candi-sukuh-bikin.html

アジアの楽園のSundalandは、サーファーのメッカと言われる海の素晴らしさはよく知られています。

しかし今回、当国東方のパプアの西隣、中部マルク州のバナナ島の海で漁師が獲った魚は、人類の百貨店と言われる当地でも珍しい深海魚(Peristedion barbiger種)のようです。

地域の大学のMasudin教授によると、1000m級の深海の魚が地震か何かのため、海水面に近い所に浮上したため獲られたのではないかということのようです。

(9.29日付 KOMPAS紙から)

1000m級の深海魚は、まだまだ知られていない種類がいるとみられており、新種の魚が見つかるかも知れませんということです。

お魚君、お楽しみに。

当地バンドゥンは、オランダが植民地時代にジャワ(島)のパリにしようとしましたので、アジアの楽園のSundalandの中でもユニークな街でしょう。

日本の皆さんに人気のインドネシアのバリに対するジャワのパリという訳です。

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そこには、銀座か青山かなと思う店が並んでますが、増えてきている近代的なところと昔を残しているところが混在している発展途上の国の街でもあります。

じゃわ青山縮 jawa青山縮

近代昔縮

赤道を越えた、乾季と雨季のある南の群島国の街ですので、近づいている雨季には、午後2時間くらい激しい雨、時に大きな雷が落ちます。

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乾季を含めても基本的には、水に恵まれていますので美しい花、果物、作物は豊富なアジアの楽園です。(バナナ、椰子の実、いろいろな香辛料・作物などは多すぎて省略です。)

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高い花縮

果物syuku

作物縮

通りの普通の店には、多種多様な食物が並んでいます。

 

少なくなってきていると老人は嘆きますが、まだまだ緑も豊かで、寄り添うように暮らす穏やかなアジアの街です。

密集家縮

女性陣縮

 

日本大好きな学生さんが日曜日の歩行者天国に集まって、日の丸の小旗を振って勝手に歩くこともある自由ないい国です。

少子高齢・限界集落に悩むお国は、彼らの力を発揮してもらったらと思います。

何しろ穏やかハーモニーの人たちが、2億5千万人になろうかという若い力の国ですので。

日本好き学生縮

日本から意欲ある若者が来て、バンドゥン・ジャパン・ハウスBJHに起居し、今、それを実現すべく努力していることも大変素晴らしいことだと思います。

今日は、断食明けのお祝いに並ぶイスラム教徒の犠牲祭で祝日であり、メッカへの巡礼も佳境でしょう。

生贄として捧げられるヤギが街に沢山見られますが、テレビでは動物愛護の人たちが反対のデモをしているのも放映していました。

一寸意外な多様性、自由さを感じました。

ヤギさん

進出している企業の人が、「穏やか」で「素直」と評する万年の穏やかハーモニーの人たちが、ヤギさんを屠殺し神に捧げますが、すみませんヤギさん、「黙殺」します。

他家のことに関しては節度が必要ですし、当国は余計な口出しを要する状況にはないと思います。

捧げた肉は必ず貧しい人たちの口に入るようにという教えだとも聞いていますので。

私も国に帰れば、節度をもって獲られていると思うクジラを食します。

さて、長かった植民地時代を血を流して脱し、独立後も50年前の今月の事件など、緊張の激動期を乗り越えながらの道のりでした。

多様な国柄のまとまりの維持に努めつつ、自由を守り続けてきた若い力で、引き続き地域の諸国とともに発展して行ってほしいと思います。

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Manusia Modern Awal lahir di Afrika, keluar ke Eurasia, mayoritas mereka tiba di Sundaland, Surga di dalam Asia, tersebar sampai ke Amerika.

Mayoritas nenek moyang yang orang-orang modern di Asia mengalami kehidupan di Sundaland sebelum tersebar ke utara dan timur. Beberapa suku, ke barat juga.

Sundaland, Surga di dalam Asia, menumbuhkan peradaban pertama dunia dalam bagus keadaan yang masa Zaman Es pun.

Bukti itu adalah Situs Megalis Gunung Padang, sangat penting.

Sundaland mulai tenggelam oleh kenaikan permukaan laut sejak 18,000 tahun lalu dan tanah luas itu menghilang dalam laut sampai 7,000 tahun lalu.

Orang-orang di sana migrasi ke daerah lain.

展開GPイネ語縮

Situasi berubah sama sekali pada sekitar 11,500 tahun lalu.

“Global warming” mencair es dan salju di Kutub Syamali, Kutub Junubi, Siberia, Amerika Utara, Himalaya dan lain.

Bencana alam, beberapa jenis, menyebabkan banya di dunia.

Tanah luas Sundaland menghilang oleh bencana, banjir. Mitos masih ada banya tentang itu di dunia.

Sundaland ada di Timur Jauh, adalah tempat di arah yang matahari terbit.

Peristiwa itu trajedi pertama dalam prasejarah dunia.

Sebenarnya itu perubahan zaman waktu hampir akhir Zaman Es.

Daerah luas Sundaland tenggelam sama sekali sampai 7,000 tahun lalu.

Mereka yang bermigrasi ke luar Sundaland membawa teknis ulung kehidupan dan agama primitif, yaitu animisme juga.

Kemudian, peradaban terkenal sekarang dalam teks sekolah bermunculan.

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今日は秋晴れの中(当地は今、いつも晴れですが)、楽園Sundalandでは、バンドゥン日本人学校の夏祭りが行われました。

夏休みが終わり、地元のイベントを終えてから予定より1週間遅れのものだそうです。

ゆかた姿が目立ち、子供たちも楽しそうです。

こどもsyuku

そして、多くの現地の人々が何せクールジャパンのイベントですので集まって楽しんでいます。

現地の人々縮

学校は、先生方のご努力はもとより、現地の企業の方々の並々ならぬご尽力に支えられて運営されています。校庭もしっかりあります。

元締めsyuku

校庭syuku

さて、会場はお神輿があってお店が出ている和風のもので、久しぶりにお国を感じました。

神輿店縮

焼き鳥はここではSateですので人気です。そして、やきそばもMi Gorengがありますので人だかりです。

(更に、おいしいうどん店なども出てましたが、本人が嬉しくて食べるのに夢中で写真を撮り忘れました、すみません。)

焼き鳥syuku

採算syuku

採算とは随分しっかりしてるなあと思われるでしょうが、そういう名のレストランがありますので、そこの出店でしょう。

会場には、やはり万年の穏やか東進・北上ルートの気心の通ずるものがあるのでしょう。

人類の展開9.16syuku

笑えるのは、当地の学校には鉄棒が無いので、いい歳のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、珍しいのか夢中で遊んでました。

逆上がりはできないようでしたが。

鉄棒1syuku

鉄棒syuku

的に当てて楽しむゲームも日本らしい遊びで、現地の人には珍しい楽しさのようです。

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皆さん、やはり日本のイベントは穏やかで楽しくおいしい、いい時間を過ごしているようでした。

それにしても、お国の国会とその周辺の行動や言葉使いは、海外に居る日本人に肩身の狭い思いをさせるものです。

折角のクールジャパンのイメージも台無しですし、子供たちに見せられないようなものなのも辛いものがあります。

喪服も登場したようですが、亡くなった方はおられなかったようでよかったです。

何より、ダイビング攻撃なるものがあるようでは、日本が攻めてくるのではという全く無用な誤解を招きかねないのではと気になります。

海外で黙々と頑張っている企業の人たちや先生方の足を引っ張ることのないよう、お国を見ている子供たちをがっかりさせないよう、そして、仲秋のお月様を泣かせることのないよう、お願いしたいものです。

 

 

 

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珍しく当地の新聞が1面トップで日本を採り挙げました。アジアの楽園Sundalandは、気候風土に恵まれていますが、泣き所は災害です。

何せここへきて早い時期に覚える単語が、macet渋滞とbanjir洪水ですので。

機内からジャカルタ北西沿岸が水に浸かっているのを見ましたし、雨季にはここでも街の坂道は溢れ流れ下る泥水で様相を一変させます。

友達が日本でも洪水があるのかと聞きましたので、あの優れた車・バイク・電気製品、すし、ゲーム・アニメ、AKB・・のクール日本でbanjir大被害があるのか、という感じなんでしょう。(同病相哀れむ。)

洪水新聞syuku

火山の噴火、地震・津波、洪水と歴史的にも前回報告したとおりで、日常を、明日を奪われる悲しい出来事です。(合掌)

小さな災害は回数も多く、大災害は数は少ないですが被害は甚大です。

そして、万年を視野に入れて歴史を見たとき、気候変動とともに大災害の与えた人類の進路への影響の大きさに思い至ります。

現在、前回報告しました大悲劇などに関連しまして、歴史におけるカタストロフィックな突然の大災害に当地の研究者の関心が集まっています。

最も分かり易いのは、6,500万年前突然、当時の地球の王者の恐竜たちが絶滅しました。

メキシコ湾への隕石の衝突による暗黒から、その気候変動の影響によるものという説が有力です。

当地でも1883年のスンダ海峡クラカトアKrakatoa火山の噴火、2004年のアチェAcehの津波被害は、世界的によく知られています。

実はこのスマトラ北端のアチェは、14-15世紀には大変栄えておりました。

マルコ・ポーロ、明の鄭和や史上最も偉大な旅行家の一人と考えられているモロッコのあのイブン・バットゥータが、アチェを訪れています。

その際、肥沃な土地、大きく美しい町は壁で囲まれ、地域の交易が金を通貨として行われているアチェAceh地域の先進性にびっくりしています。

アチェ1縮

(Dr.Danny Hilman 著書(「Plato never lied」から)

なお、スマトラ島は、ジャワ島の北西で4倍、マラッカ海峡に接し、昔から金の産出で有名です。

そのアチェ王朝が、15世紀半ばに不思議な状況で消え、世紀末には突如新たな王朝が出現しています。

当国の地質学専門家の調査によれば、世紀半ばの1450年に2004年のものよりも大きな津波が襲ったことが分かりました。

更に、津波は周期性をもって襲ってきていることも分かりました。

これらのことから、地質学専門家で歴史にも詳しいDanny Hilman博士は、通説に対し著書(「Plato never lied」)で疑義を呈しています。

人類は緩やかな人口増で万年を過ごし、ファラディの電磁気理論以降、急増発展したということではないだろうと。

人類はもっと早い時期に栄えたが、Tobaの火山大噴火や氷河期後の温暖化による大洪水などでその都度、人口は急減し言わば発展は振り出しに戻ったということではないのかというものです。

博士の資料を基に私なりに整理したのが下表(文責奈良)です。5万年前頃の画期的と言われる人類の進化(言語等)も考慮しました。

縦横軸尺度の記述内容にご注意下さい。

つまり、アチェのように豊かだった#1アジアの楽園スンダランド文明が育まれていたが、大災害で発展は振り出しに戻った大悲劇という赤い点線の認識です。

人類発展 syuku

そしてその後、#1についてある程度は語り伝わり、#2文明である教科書のメソポタミアなどが登場してくるということでしょう。

悲劇の当該地域である楽園については、Danny博士が世界遺産ボロブドゥール地域の話の例を挙げています。

ボロブドゥール地域(中部ジャワ州の南部)がムラピ火山噴火の灰の下に埋まった時、生き残ったのはたまたま北部の町スメランの親戚の所に会いに行っていた、Cobek(香辛料をすり潰すすり鉢)作りの職人だけだったそうです。

ボロブドゥール建立の一流の建築設計家、石工など全ての人が犠牲になり、地域は戻ってきたcobek職人レベルの知見から再び始まりました。

そして、優れた仏塔群はその後、あのラッフルズ(シンガポールの一流ホテル名にも)により灰土の下から発見(1814年)されるまで千年を越える眠りにつきました。

修復hp

修復中の時代のボロブドゥール

http://www.sunda-wind.net/report/1127
(世界遺産ボロブドゥール・・・のヒミツ)

さて、博士は、地質学のイロハとして「過去を知りたければ現在が鍵であり、将来を知りたければ過去が鍵である。」という至言も紹介されています。

前述の日本の洪水を報道した新聞には書かれていませんが、鬼が怒る川が氾濫したんですよと言えば、万年を生きてきた此処の人は「そうか、分かった。」と言うでしょう。

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When we think about the Paradise in Asia Sundaland, it’s important that initial Homo sapiens sapiens  had got out from Northeast Africa and proceeded, deployed along seashore and rivers.

I think to bigin with a tribe, around thousand people got out from Africa, were quite different from chimpanzees or other humanoids.

They ate marine products and their characteristics didn’t dislike sea, or in water.

人類の進出展開peg英語10.25

Several features of human body seem to show them as a new humanoid that had got accustomed to live with aqua environment in long period. Its preparation so to speak enabled them to get out of Africa.

By the way, as one of events of Indonesian Independence Memorial, on 22 Aug, the Equator Carnival was held and attended by President & Madam Joko for activating economy by sea and river side development.

Parade in West Kalimantan province, Borneo island proceeded 5km and President Joko, advocating policy of Marine Nation, replied to gathered people from the top of ship shaped veicle.

Chairman of National Assembly, Governor, representatives from Malaysia, Burnei, Indonesian 24 provinces of about 4,000  paticipated and 50 groups showed dance.

赤道祭りKOMPAS8.23縮

And participating 150 boats rallied around the Carnival.

赤道祭り多い舟syuku

(Two photos by 23 Aug. KOMPAS)

Indonesia, it’s a Marine Nation, going out or coming down to this country by boats, trading and excahange courtecy by boats, getting marine food and excuting funeral, having been living a life with sea.

舟海洋博物縮    スラウェシ舟家

Painted boat in a cave(Indonesian Museum) Houses in Sulawesi province

Ancient know-how on boat was mastered oraly, by seeing tecnique. Boats built by wood and bamboo weren’t remained. Their abroad bases were now disappered in local environment.

But, old megaliths in many places and similarity of myths in the world indicate that their ability of relaying activities in vast sea area was beyond our image of them.

Next, I’ll touch upon the first big tragedy in human history.

About 15 times of Ice Age since 3 million years ago is known. The last one is since 70 thousanad yeras ago and glacier covered North Europe, Siberia and North America in north side earth. Cold and dry climate extended neaby and even to some parts of south.

Sea water became decrease because of it and sea level downed  below about 130m.  Vast Sundaland appeared as a big land mass peninsula.

This area, Sundaland, always enjoyed  in good climate as lacated around the equator  during the Last Glacier Maximam around 20 thousand years ago and returned coldness of Younger Dryas period in 14 to 11.5 thousand years ago.

As my former report, the fauna and flora were really many kinds and provided abundant food. Minerals such as precious obsidian were also rich in a volcanic zone. Gold and tin here were well known to the world, as like petroleum and coal now.

花1syuku      花2 syuku

Cause of tragic huge flood is said because of global-warming by commet, meteorite’s crash to the earth or huge overflow of ice melted water kept in northern America.

It seems eruption of volvanos also happened and earthquake, Tsunami might have done too. It was really a turbulent era.

Snow, ice in Himalaya melted and flew down to the Tarim Basin of Silkroad, influenced many big rivers in Asia by increasing water or changing route of flow.

Anyway, large portion of Sundaland had sunk under the sea and big mamals of mammoth, reideer had become extinct. Those rapid change were fact exactly.

The age around 11,500 years ago when period YD finished and global-warming started is geological boundary period of Pleistocene and Holocene and very important perid in human history when changed from the old Paleolithic stone age to the new Neolithic one.

I think human society in that age was more advanced one than we imaged before. Situation of Gobekli Tepe in Turkey and Stone Henge in Britain are changed my image of human society in that age.

Myths on sunk landmass  by huge flood are vastly prevailing in Indian Subcontinent, Middle East, nothern Europe, Pascific islands and so on.

Little different version of myths such as Paradise,  land of ancestors sank under the sea by huge flood in long long ago are well known by many years’ research of  Prof. Arysio Santos and Prof. Stephen Oppenheimer.

And survived people of it got out from the region and headed to new places as like the Noah’s Ark legend.

Loading household goods, with their cultivated belief and know-how of life, dreadful experience and memory of good old days in the Land.

Of cource, outside people visited there after the tragedy and must have surprised to see the completely changed situation and talked about it to their people.

Anyway, small ancestor tribe of us got out of Africa several tens of thousand years ago and reached the Paradise Sundaland during changing environment of climate.

There was a land of enjoying fine weather even in cold dry Glacier age. It seems that people from all directions came to, mixed, got out and surely continued bringing up human culture.

Tens or hunreds of thousand  people lived a life in initial civilized human society.

I think sudden sinking under the sea caused first big tragedic event so to speak in the world history with its influence to the other.

Fact of the Paradise will be certified by investigation of inner old structure of Megalith Gunung Padang, West Java.

See the chart below, please.

Red portion is vertically blowen up lava and flew to a front, solidified. Historic remains were built on it in different ages, 3 layers at least, seem to be more than ten thousand years ago.

(Reference)Lapisan・・layer THN Lalu・・years ago        Muka tanah・・surface

GP構造syuku

Related to the tragedic event, the famous Greek philosopher Plato wrote about it in the Dialogue as explanation of Egyptian priests in so called The Hall of Knowledge.

All reserchers agree that the place of it must be in tropical region of equator by its precise expressions of fauna and flora such as elephant.

As for era of it, it was far ancient 9,000 years ago, of cource priests and Plato didn’t know about directly.

In spite of it, the explanation about situation of the sunken land and time, myths of different places are exactly match the survey results of modern geology.

It’s amazing and couldn’t be written about situation of area and sunken land by mere imagination. It’s notable of their vast activities of trade, interchange and oral handing a story down.

By the way, there’are many myths on sunken land in diffent places, but only Sundaland in the world is cetified by modern geology and other science.

Over, I draw a situation chart of that era adding importance of sun rise and sun set to ancient people. Sundaland was sun rising paradise in far east.

悲劇英語9.12syuku

Though school textbook starts history from era of many people moved down to south here by route of Taiwn and Malaysia in thousands years later.

On the other hand, the big change by global-warming provided water, fauna and flora to cold or dry zone before.

And not long afterward, civilization in school textbook such as Mesopotamia in Middle East was coming up the scene.

In bottom left, I added Indonesian sentences to send them yell that Conference Asia Africa 60 isn’t celebration for 60 years, but for 60 thousand years.

Moreover I want to say that the Equator Carnival should also be recollection, prayer of OUR ancient ancestors who faced, encountered big tragedy in the Paradise Sundaland.

 

 

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アジアの楽園Sundalandを考える上で、初期の現生人類が海浜・河川へ展開して行ったことは重要です。

私は、そもそも出アフリカを果たした千人内外の部族は、チンパンジーや他人類と異なり、水産物を食し海・水に抵抗ない特質を有する人たちであっただろうと考えています。

進出展開の縮

私たちの体に残る痕跡から、相当長い期間にわたって”水に馴染んだ新人類種”で、その準備があって出アフリカが果たされたものだと思います。

さて、当国の独立記念行事の一環として、ジョコ大統領ご夫妻も出席されて8月22日、海川の観光開発など経済活性化のための赤道祭りが賑やかに行われました。

ボルネオ島カリマンタンKalimantan西州でのパレードでは、5kmを移動しつつ進んでいく船を型どった甲板檀上から海の民の政策を唱えられる大統領が歓呼の声に応えられました。

国会議長、州知事、マレーシア、ブルネイのほか当国24州約4,000人の代表が参加し、50団体が踊りを披露しました。

赤道祭りKOMPAS8.23縮

また、約150隻の舟が参加し、海の民の祭りを盛り上げました。

赤道祭り多い舟syuku

(上記2枚 8.23付KOMPAS紙から)

万年の昔から、その恵まれた風土と産物を基礎に、多くの人が舟purahuで漕ぎ出し、船でこの地に渡り来たり、船で交易を行い、海から食を得、葬送するなど海とともに生きてきた人たちbangsa lautです。

舟国立博縮 スラウェシ舟家

洞窟壁画の舟(インドネシア博物館)          スラウェシ州の家

そのknow-howは口伝えで、技を見ることで相伝され、木・竹を使った舟は残らず、寄港地の根拠も今は周囲に溶け込んで分かりません。

しかし、各地に残る古い巨石遺跡や語り継がれている内容の類似性などから、大昔の人たちの多くの舟が行き交うことによる海洋での広範囲の行動力、交流は私たちの想像を越えるものであったと考えています。

さて、問題の人類史最初の大悲劇に入ります。

300万年前頃から15回くらいあった氷河期Zaman Gletserの最終氷期は7万年前頃からで、北極・南極から発達した氷河は北半球では北欧、シベリア、北米北部を覆い寒冷と乾燥はその南部にも及びました。

海の水はこの氷になり、海水面は今よりも約130m低下し、広大なアジアの楽園Sundalandが半島大陸地として現れていました。

この地は赤道付近であったため、2万年前頃の最寒LGM期にも1.4~1.15万年前頃の寒戻りヤンガー・ドリアスYD期にも恵まれた気候状況でした。

前回報告しましたように、動植物も正に多種多様で食料が豊富、火山帯のため黒曜石などの貴重な鉱物も豊富にありました。金、錫、などは世界的に有名でした。今、一番は石油です。

花1syuku 花2 syuku

悲劇となった大洪水の原因は、彗星や隕石meteoriteの衝突による急激な温暖化か、貯っていた北米の氷水の溢れ出しかなどと言われています。

火山の噴火もあったようで、地震・津波も考えられる正に激動の時期であったようです。

ヒマラヤHimalayaの雪氷も融け、あのシルクロードのタリム盆地Tarim Basinを水で潤し、いくつものアジアの大河は水量を増しあるいは流れを変え、大きな影響があったものと考えられます。

ともかく、楽園Sundalandのかなりの部分が海没し、大型の哺乳動物のマンモスmammothやトナカイが絶滅している激変は事実です。

このYD期間が終わり温暖化が始まった11,500年前頃というのは、地質学的には、更新世(後期)と完新世の変わり目であり、史的には、旧石器時代から新石器時代へと移り変わっていった人類史上の節目の大変重要な時代です。

注:現在の一般的な認識では下記ですが、(トルコ)ギョベクリ・テペGobekli Tepe遺跡、(英)ストーン・ヘンジStone Henge遺跡などの状況から、石器人はもっと進んでいたのではと考えられてきています。

・旧石器時代Paleolithic・・・ 打製石器や骨角器を使って狩りや採集、漁労を行い、移動しながら生活していた時代

・新石器時代Neolithic・・・ 打製石器に加えて磨製石器を使用するようになり、また、定住生活をし、農耕や牧畜によって食料の生産をするようになった時代

長年にわたる故Prof.Arysio SantosやProf.Stephen Oppenheimerの研究により、楽園が、父母祖の地が、大昔に海没した、大洪水banjirにより海没したという同工異曲の語り伝えは、広く根強く印亜大陸、中東地域の諸族のほか、北欧や太平洋諸島などにもあることが分かっています。

そして、沈みゆく地から生きのび離れた多くの人たちが、ノアNuhの方舟伝説のように新たな地へと向かったことでしょう。

舟perahuに家財道具を積み、それまでに培った信仰や生活のknow-how、何よりも恐ろしかった経験談、また、太陽が昇る地、楽園での良かった時代の話なども携えて。

無論、大悲劇が鎮まってから楽園を訪れた人たちは、その変わり果てた状況に驚き、様子を伝えたことでしょう。

ともかく、今に繋がる現生人類の少部族は、数万年前にアフリカを出てout of  Africa、気候の変動の中、楽園に至りました。

そこでは寒冷乾燥の氷河期にも風土が恵まれていたことから、東西南北の多くの人々が集まり、出入りし、生活の文化cultureを育み続けられたものと考えられます。

この地で何(十)万人もの人が生活し、この文明Civilizationの始まりと言える人間としての豊かな社会が在りました。

突然とも言える海没化は、その影響も踏まえ、世界人類史World historyにおける最初の大悲劇Big tragedy eventと考える所以です。

楽園の事実は、西ジャワの巨石遺跡グヌン・パダンGunung Padangの古さについての内部調査などにより更に明らかになると考えています。

下図の赤い部分は、地中から垂直に吹きあがった溶岩が前方に流れ固まったものです。遺跡はその上部に年代を異にして3層以上造られたもので、1万年前以上の昔から造られたものとみられています。

(参考)Lapisan層 THN Lalu年前 Lava溶岩 Tufa凝灰岩 Muka tanah地表面

GP構造syuku

またこの点で、知の殿堂と言われたエジプトMesirの神官の話として、あのギリシャの哲人プラトンPlatoが、楽園に関係すると考えられる内容を対話編Dialogueで記述しています。

話の該当の場所については、象などその具体的な動植物等の記述内容から、赤道付近の熱帯tropicalに違いないと研究者たちの見方が一致しています。

話の時期は、神官やプラトンが全く直接的に知る由もない、彼らにとって9,000年前という遙か大昔のことです。

にも拘わらず、その時期の陸地の海没話の状況と各地の語り伝えがぴったり現代地質学等の認識に一致しています。

このことも驚きであり、土地の様子や海没話を単なる想像ではとても書きえないことで、交易・交流の広域さと先人の語り伝えの凄さが注目されます。

因みに、各地の海没した大陸地話で現代地質学Geologyによって裏付けられているのは、全世界でonlyアジアの楽園Sundalandだけです。

以上、当時の人々にとって日が昇る、沈むことの重要さを加え、大悲劇の頃をまとめてみました。日出ずる楽園であることが分かります。遠東、Far East です。

人類史上最初の大悲劇(日本語)

(PDFファイルのダウンロード)

現代の教科書は、この大悲劇のずっと後(数千年)、多くの人々がユーラシア大陸から台湾Taiwanルート、内陸マレーMaleysiaルートで当地に大挙南下移住したことから書き始めていますが。

他方、この温暖化による大変化は、それまで寒冷あるいは乾燥砂漠であった所に水と木々や動植物をもたらしました。

そしてやがて、中東のメソポタミアMesopotamiaなど教科書にある文明を登場させることになって行きます。

なお、左下のインドネシア語は、アジア・アフリカ会議KAA60周年記念ではなく、ゼロを3つ加えた60,000年記念ですよと当地の人にエールを送ったものです。

更に、赤道祭りKhaturistiwa Karnavalは、遙か大昔の悲劇の楽園のご先祖様nenek moyangを偲ぶものでもあるのですよと言いたいです。

さて、歴史にやや埋もれてあまり注目されていませんが、私には何とも興味深いDravida Tamilについて回を改めて報告いたします。

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楽園Sundalandの今、家の近くのバイクタクシーのオジェたまり場で、斜面をレンガで整えています。

巨石遺跡の追っかけとしては、その素朴な積み上げ作業に目が向きます。Piling up bricks, stones since ten thousand years ago.

レンガ積syuku

が、見て頂きたいのは格好です。標高750mくらいとはいえ、半袖で動き回っている私からはフード被りの作業は考えられません。

オートバイに乗るので、皮ジャン着て上から見ているオジさんも分からんではないですが、何せ赤道の国の爽やかな朝ですから。

もっと標高の低い洞窟も無い所でジャワ原人は暮らしていましたが、確かに夜も暖かかったです。ここへ連れて来たらジャンパーを着せろというのでしょう。Comfortable morning, but early Hominid Java will ask me to put him a warmer on if I take him here.

家が密集して暮らせることに私はアジアを感じます。ここには、敬語も謙譲語もあります。They can live friendly in densed relation.

写真下のとんがり屋根は、タイでも見た楽園内の様式です。

 

密集家syuku

花は正に色とりどりで、もう無数にあります。

花suku 赤花syuku

バス停近くの交差点に張り出し空中店が開店しました。やるもんです。

新店syuku

上の赤矢印看板red sign boardは、米名門スタンフォードStanford大の小・中校への標識です。良い国際協力ですが、2億5千万人当国の将来の指導層future leaderへのアプローチapproachともいえるでしょう。

そういえば2年間くらいの英語教師として、郡部には米政府系資金で若い女性がこのイスラムの国の義務教育学校に一人づつ沢山来ています。Many young Americans voluntarily work in rural schools here as a language teacher.

彼女らの逞しさと米国のこれらの対外政策の厚みを感じます。

次は食です。

ここでは、一人で引いて開店する食事店から露店、洋風のシャレた店など多種あります。

屋台syuku 緑店syuku

スンダ伝統の構えたレストランには、屋根に千木があり伊勢神宮や出雲大社を思わせられます。Chigis at rooftop are the same style as those of Ise, Izumo shrine.

スンダ店syuku

食べ物は、果物が豊富です。

果物syuku パパイヤも (1)syuku

なんかないの?おカーさん。nangkaがあります。皮は恐ろしそうですが、種も大きくビワに近いいい味です。

なんかsyuku

お菓子、特に煎餅の類が豊富です。

菓子syuku えびなし煎餅syuku

通りでは、揚げ物もよく見ます。とうふは、tahuです。

揚げ物縮

中尾先生が世界の農耕の始まりと言われるバナナは、種類も豊富です。勿論、椰子の実も豊富にあります。Banana was the very first food of agriculture.

ばななsyuku

バナナの皮に持ったごはん、肉、野菜に辛味香辛料サンバル付きのナシクニンは、ここらしいものです。

バナナ葉飯縮

お山盛りのご飯は、収穫感謝の祝いピラミッドPyramidで、肉は北京ダックduckと同じbebekです。

ホントの祝いの場所では、ご飯riceを1mくらい盛り上げてます。

ぴらご飯syuku

街の飾りが竹による芸術Bamboo art なのもここらしいです。

竹飾り縮

サーファーの聖地や大自然とそこに生息する動植物の多様な素晴らしさなどは他に譲り、今の町の普通のいろいろな状況をお伝えしました。

その万年のアジアの楽園は、大昔の世界の温暖化の影響によって海に沈んで行きました。

11,500年前頃起きた、この世界人類史の最初の悲劇のビッグイベントについて、次回ご報告いたします。Next, about first big tragedy of civilized human being in the Paradise.

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