この度、石垣島で発見されていた27,000年前頃の人骨のデータから復元され、3次元プリンターを使って出力された、発見された「国内最古の顔」として、縄文前の「日本祖人」の一例が公開されました。

祖人は、4万年前頃に九州に渡海して来て、3万年前頃には北海道にまで拡がっていましたので、此の公開された顔のようなSundaland・南方から来た人々が、曙海の畔、日本列島中に既に拡がっていたものと考えます。

前回報告のように、伊豆ではそのはるか昔に黒耀石を採取に伊豆海峡を行き来していました。

当サイトでは、最初の日本祖人は北部九州へ渡って来たものと考えています。

さて、此の石垣人は、台湾山地から数十kmの黒潮を渡海して八重山地域に来たのか、それとも九州から南下して奄美、沖縄本島経由で石垣島にたどり着いたものか、2通り考えられます。

27,000年前なので、その頃には台湾山地から直路来ていたかも知れません、全く何とも言えませんが。

春から縁起の良い事です!

(了)

ナショナルジオグラフィック誌が、アフリカでの30万年前の現生人類・新人に係る発見を含む最新状況を4月号で特集しています。

日本列島史もしっかり世界史に位置付けられています。

問題は、①日本の始まりは南の九州から北海道への拡がりですが、時期をまぜこぜにして北からも同時期に来たような記述が国内資料にもみられる誤解です。

②千島列島が真っ白なため、普通の渡米有力ルートの認識が無いです。

特に、食料が期待できる手つかずの次の島が見えていましたし、せいぜい80km以下ですので、これまでの人類史から渡っていかなかったと考えるのは不自然です。(あのプーチンはいませんでしたし)

③Sundalandは過半が沈んだため、アジア・オセアニア史の重要地域でありながら、そこからの北上という普通の重要ルートの認識が不十分です。

④「昆布ハイウェイ」を通ってもっと早く渡米していたと考えないと、あんなに早く南米南端まで行かないでしょう。

当時は、Beringiaによって北極海の冷たい海水がベーリング海に流れ込まない温海で、ハワイに繋がる海の北の「昆布ハイウェイ」を行った事でしょう。

更に、実は今でも北海道とベーリングの例えばナバロン岬などは4℃程度の差しかなく、シベリア内陸の-60℃と全く違うこともよく認識されていません。

いずれにしても、私は世界に対する日本学界の説明アピール不足だと考えています。

(了)

 

前々回、世界史上の驚異として3.7万年前に20kmの黒潮分岐流を越えて、伊豆諸島で黒耀石を採取するため行き来していたことを記しました。

しかし、始まりを考えますと4万年前に40km以上を越えて北部九州に来ていますので、日本人にとっては不思議でも何でもありません。

始まりは、五島列島であったも知れず、また、南西諸島・与那国島であったかも知れませんが、移動・移住の容易性から対馬の可能性が高いと考えています。

そして、3万年前にはほぼ列島中に拡がっていましたから男女で来ており、また、距離と水深が10m以上ありましたので舟(筏含む)で渡って来ています。

いずれにしろこの古さでこのように始まった日本祖人は、やはり世界史上の特色ある、特筆すべき人たちです。

海を越えて来たこの人たちが、北海道で留まっていて北上しなかったと考えるのは不自然です。

無人の島・沿岸をアメリカまで行ったことでしょう。

他方、史実の裏付けのないアイヌ「先住民」国会決議(平成20年)は、訂正です。アイヌ「人権尊重」決議へと。

対馬いや九州の人たちですら「先住民」などと、誰も主張していませんので。

なお近年になって、始まりの対馬の地、地域の文化の防衛対策が求められているように感じています。

(了)

 

(石田雅彦2018.4.4記事から作成)

スイス・チューリヒ大学と東京大学などの研究グループが、世界から集めた内耳(蝸牛含む)サンプル221から、3D立体データとして今回その分布特性を発表しました(発表図から筆者が作成したデータに人類足跡を加図したものが下図)。

チームは、人類がアフリカ起源であり、そこからの離隔がよく内耳の違いに合致して示されていると本研究の意義を評価しています。

また、インドネシア人は、先史時代は黄色の豪州やパプアニューギニアに近似しているが、現在の人たちはマレー諸島からの移民としています。

ここで注目すべきは、黄色の豪州と北米大陸北部地域の近似性です。

此の近似性の説明は、当サイトの先史時代におけるスンダランドから日本列島経由のベリンジア、南米まで、という日本祖人・子孫がしっかり含まれる環太平洋移動・移住MPOR説を裏付けるものであると考えます。

これまで報告してきました、Harvard医科大のSundaland地域と古いアマゾン部族のDNAの近似性やミトコンドリアからの人類史などとも併せてよく理解しうるものです。

(了)

日本祖人、日本祖代?聖徳太子も龍馬も松陰も信玄も・・・で、もうムリという人、何がゆとり教育だ、亡命しなさい!

世界史から見た日本史の1番の特色は、 37,000年前に黒潮分岐流を越えて伊豆大島へ渡り神津島の黒耀石を取りに舟で行き来し、かなりの日本語を話し、広域の物々交換をしていた痕跡が見つかる驚異的なことです。

そして、ミトコンドリアでなく、最初の日本列島「人男」(偵察)がいたことです。

しかし、祖先(現生人類・新人)である日本祖人は、4万年前頃に北部九州へ曙海を渡海して来て歴史が始まっていますので、この大業も理解できます。

次の特色は、そういう早い段階で、関東に最も人が多く、かつ関東・甲信越が連接していた事、即ち太平洋側と日本海側が併行し、南西諸島へも発展していました。

時間は1万年かかりましたが、北海道にまで生活圏を拡げて「この国のかたち」が出来上がり、更に北上して行ったことです(おそらく、昆布ハイウェイを通ってアメリカ大陸一番乗り)。

そして、その歴史の痕跡である旧石器の進化と分布を考えると、北海道、東北、中日本、西日本、南西諸島といった違いのある今の特徴が、万年の昔に原型が概ね出来上がっていたのです。

その理由は、万年前の人々の列島への進入の時期、暮らしぶりの違いによるもので、最初の南方海の民系の所に大陸の狩猟族の人たちが、その後水稲を作る人たちが入って来た混じり合いの織りなした模様なのです。

列島中に拡がった最初の1万年間から、縄文時代の前の日本祖代という2万数千年の間に東北大震災など比較にならない西日本の大災害を乗り越え、東は太平洋という行き止まりの地で今や「日本文明」と世界で呼ばれる熟成がなされました。

日本祖代の基礎の上に、土器が生まれお米が仏教が律令制が鉄砲が入り、黒船が来て、海外進出し、進駐軍が、旅行者等が来て、今があります。

何故、大陸・半島の人たちとちょっと違うと世界で評されるのでしょうか、忘れられがちな始まりの日本祖代の物心の暮らし振りにもっと注目すべきと考えます。

日本史は○○時代から知れば十分という人、傲慢ですよ、来年の入試には落ちますよ。

(了)

祖先の日本祖人(Nihon Sojin)は、4万年前頃に九州に渡海し3万年前頃には北海道にまで拡がっていました。

当サイトでは、ベーリング海が、地峡Bringiaによって北極海からの冷水が流れ込まない温海であった事を一つの理由に、日本祖人が、食料豊かなKelp昆布ハイウェイを経て初めて渡米したと考えています。

千島列島は次々に島が見えていましたし、Kelp昆布ハイウェイは、食料が豊かでした。帯広沿岸とベリンジア沿岸の真冬の気温は、思いのほか差が少なくてシベリア内陸の—60度Cとは比較にならないです。

今回、カナダ西海岸のCalvert島で、ハカイ研究所・ヴィクトリア大学McLaren教授によって、13,000年前の日本祖人と思われる足跡が29個発見されました。

縄文人を、その生活が全国に定着したことをもって13,000年前頃からとすれば、この足跡は日本祖人となり、土器発見の16,500年前からとするなら、祖人の子孫の縄文人の可能性がとなります。

今回の足跡は、Kelp昆布ハイウェイからですので、海の民系の日本祖人の方が、シベリア内陸狩猟族系よりも可能性が高いと考えます。

万年の昔に、シベリア内陸狩猟族のマンモスハンターが、舟を操る沿岸の海辺の暮らしをするのは、思いのほか難しいものなのだと考えていますので。

(了)

最初のアメリカ人は?

カテゴリー: 最新情報

人類史の方では、最近、北アフリカで30万年前とみられる現生人類の痕跡が発見されたというニュースが入っています。

そして、その展開に関して最初のアメリカへのルートに当ページ提唱のSundaland-北海道ルートを記載したものが初めて登場しました。

まだ、南米までは考えていないようですので、かねて提唱の環太平洋移動・移住MPOR説で加筆して報告とします。

そして、表題の最初のアメリカ人は、こちらのルートだとも。

細部は、これまでの累次の掲載分を参照してください。

(了)

ネットでは繰り返しミステリーとして登場する本問題、その都度新たな人たちに当サイトのMPOR説を提唱し続けています。
ハーヴァード医科大が見つけた、東南アジア地域と遠く離れたアマゾン地域の2つの地域の古DNAが、他に見られない不思議な近似のミステリー。

大昔に太平洋はまだ直路では渡れません。

そこで、

過半が沈んでしまった人類史の補助線「スンダランド」、

近頃は認知されてきた食豊かな「昆布ハイウェイ」、

そして学界では名前すらまだ無い日本列島始まり4万年前からの現生人類・「日本祖人」(縄文人は2代目)、

などから環太平洋移動・移住MPOR説が導かれ、世界史の重要なミステリーの解だと提唱しています。

(了)

ネットで見つけたミトコンドリアDNAから見た現生人類の展開史に考古遺物からのものを加えました。

そのポイントは、やはり、8千年前頃に過半が沈んだ半島大陸地Sundaland は、沈んだがために現代の調査に反映されにくい人類史を読み解く補助線です。

そして、旧石器遺物で明らかな4-3万年前の日本列島の意義が、なかなか世界的には認識されていません。

(了)

環太平洋パートナーシップTPP協定が結ばれるそうです。

世界の私たちに直接繋がる祖先の現生人類が、アフリカ地域からSundalandに拡がり、日本列島からベリンジアを経てアメリカ新大陸に渡り、南米南端まで拡がったとする当サイトの万年前のMPOR(Migration along Pacific Ocean Rim) 説とよく符合しているお仲間たちの肩組みです。

日本史は、○○時代から知れば十分という人、無知傲慢です。

なお、このスタートが、あちこちの30万年前の人骨か?という発見で、現在、揺れています。

(了)

4万年前からの日本祖人は、その後の百mにも及ぶ海水面の上昇により、当時は主だった沿岸の生活痕跡は消えています。

従って、曙海のほとりから北部九州に渡って来た海の民であったことは想像されますが、その痕跡の発見は困難です。

いわゆる旧石器時代の特に4~3万年前の遺物、遺跡によって、その足跡は窺えますが。

今回、ティモールの北側、インドネシアのアロール島で12,000年前とされる埋葬された成人女性のアゴの傍に、世界でも珍しい事ですが、副葬されたツメタガイ系の釣り針が発見されました。

調査に当たった豪国立大の研究者は、男性が主体の釣りの時代に彼女自身が高名な釣り人であったのでは、しかもその釣り針の形状から深海魚の釣り手だったと考えています。

この地域では、ティモールで2万数千年前の舟で釣った外洋魚の骨も見つかっていますし、更には数十㎞の海を家族で越えて6.5万年前頃には、豪州に渡っていると考えられています。

こういう人たちが北上して赤道地域とは違う気候への適応に長期間を要しながら、日本列島の北部九州へ数十kmの海を越えて家族で渡って来た訳です。

外洋の荒海数十kmを家族で行くための舟造りや操舟という海の民のknow-howは大変なものです。

内陸狩猟族の人たちが海辺に来て、とても一朝一夕で出来るものではないと思うのです。

そして、この海の民の人たちの様々な暮らしぶりは、絶えることなく日本列島史に様相が刻まれています。

その海辺・川辺の生活は、弥生時代の米作りの渡来を大きな契機に、徐々にコメやられてしまいましたが。

しかし、アメリカへ初めて渡って行った人達であろうことは特筆されて良いと、環太平洋移動・移住MPOR説者として、強調したいのです。

(了)

アイヌ国会決議は、訂正を!

カテゴリー: 最新情報

4万年前に及ぶ長い歴史を有するこの国で、史実に何ら裏付けのない重要な国会決議は、何故なされたのか?

日本列島史は、4万年前頃から始まり、3万年前頃には北海道、沖縄にまで拡がっていました。

今この日本で、自分の家系は4万年前に遡れるなどというバカなことを言える人はいません。

アメリカや豪州などと違って、先住民などと言う語が登場しうる余地のない長い歴史なのです。

実は、文字を持たなかったアイヌの伝承は、侮れない正確さを有しており、その中で小柄な(先住民)コロボックルを千島の方へ追いやったという内容さえあるのです。

色々な事のあった4万年の歴史です。史実に裏付けのないイデオロギーに影響された見方が生ずるとすれば問題です。

戦前は、牢獄に入れられようとも、権威ある教授に逆らっても、学問のために異論を唱えた学者は居ました。

しかし、このいかがわしい国会決議に異論を唱えた学者は一人もいなかった、そこに戦後の深い闇があり、学問に及ぶ歪みがあります。

先住民族などという、正しくない決議は、訂正されねばなりません。

(了)

学校教育で新たに「歴史総合」として、充実が図られるようです。

ところで、重要な我が日本列島史については、人骨などの確証が得にくい、当時の重要な遺跡は100mに及ぶ海面上昇により今は海中にあって発見が困難、また、旧石器ねつ造事件が尾を引いているのか、論じられていないのが現状です。

そもそも、旧人と現生人類を区分もせずに旧石器時代としていることは問題で、いわば始まりの創業者を2代目縄文人の単に先代としか意識せずに社史を書いている違和感です。

この背景には、荒唐無稽のギリシャ神話はよくて、日本神話は認めないという教育上の歪みも影響していることでしょう。

語り伝える民族の神話は何であれ重要であり、また、その中に重要な史実を背景にした内容がある事も認識されてきています。

その時代の様相を考えた基礎用語を定め、創業者に想いを致しての「歴史総合」だと考えます。

大筋で異論はないと考えていますが、如何でしょうか。厳密を口にされる先生方も、これまで相当大きな修正をしてきていますし。

何より、諸学協同による研究の重点指向を期待しております。

何しろ、初期の世界現生人類史で、4~3万年前とある程度はっきりしている移動・移住が、遺跡・遺物で確認し得ているのは貴重な基準区間となるものです。

そして、実は南北アメリカ大陸の古い遺跡等の状況が明らかになって来るにつれ、最初にアメリカ大陸に沿岸から拡がって行ったものと考えられるからでもあるのです。

(了)

 

日本祖人については、始まりの曙海の畔の事が重要ですが、実はその後のアメリカ大陸先住民にも痕跡が残っていると考えています。

それは、米Harvard医科大が、アマゾンの古い部族のDNAを調べたところ、人類の出アフリカ後の時代を残しているSundaland地域の人たちが、最も親縁性が強いという驚きの結果です。

万年の古い時代に、直路多くの家族が舟で太平洋を渡ったことは考えられませんので、環太平洋ルートであったとする当サイトの見方になりますが、Harvard医科大の先生はこの結果に冗談言って頭抱え、また、欧米の先生方はこの結果に何のコメントもしていません。

次に、1983年のTurnerの下図の歯の分析結果ですが、Harvard医科大の結果など最近の成果を加え、また、ユカタンが離れてますので素直に4分類として色分けました。

上図の赤い北西海岸が注目点です。

これに、北米Oregon州や南米チリの古い遺物、何よりも12,500年前頃に氷床が融けて開通した無氷回廊を南下して拡大したアメリカ史上特筆される薄青の大きな動きを加えます。

入って来た経路、順番、その消滅と勢いのある拡がり(薄青)のアメリカ先住史の様子がよく理解できます。

勿論、①は、②、③、④に拡がったのだろうと思いますが、痕跡はよくわからないという状況です。

そしてその歴史と生活ぶりから普通に考えれば、この北米北西の島々に残る①は海の民系であり、日本祖人系と考えられます。

何よりも海水面が100mくらい上昇していますので、沿岸の痕跡はなかなか発見されませんが。

日本祖人の4万年前の曙海越えの九州進入、北上、3万年前に北海道東部に進出という考古遺跡・遺物の示すことにそれ以前とそれ以後が、矛盾なく環太平洋移動・移住説で連接して理解できる結果となっています。

欧米の先生方がコメントしないのは、この4万年から3万年前という環太平洋史の区間基準となり得る日本列島史が、よく理解されていないからだろうと残念に思っています。

千島列島を伝っては行けなかったろう、極寒のベーリング地峡を越えて行けなかったろう、と言われそうな意見への反論は、当サイト(オホーツク沿岸ルート含め)で既に十分にしています。

北極海の冷水が入り込んでいなかった、ハワイに繋がる比較的温かったベーリング海を考えることが重要です。

新たな発見報告である23,120年前?というブラジルのSanta Malina遺跡は、古過ぎて欧米の先生方は全く理解しようがありませんが、3万年前の北海道の日本祖人が、そのまま北上を続けていたとすれば理解可能なんですよ。

(了)

昨年末、縄紋人の祖先たち(即ち日本祖人)という当ブログと同様の問題意識のリードタイトルの本が出ました。

しかし先ず第1に、下図(以下、赤字はNara)の北ルートは、約2万年の大きな差があり、同列に扱うべきではないです。

既にお伝えしています様に、日本列島史の始まりは下図です。

此のことの重要性は、アイヌ先住民問題に関わります。

アイヌの人たちが迫害差別を受けその人権が尊重されねばならないとしても、著者も明瞭に九州から北海道にまで一方向で拡がったとしており、「先住民」を冠した国会決議が史的学問からは立証できない誤りであり、訂正されるべき事を示しています。

即ち、アイヌの人たちが北部九州に存在していたことを立証できるのかと言う事ですが、むしろ大方は、時代を下ってから樺太を南下してきたと考えていることでしょう。

実は問題は、学問的におかしいと思っている人はいたと思いますが、最高機関である国会の史的裏付けのない決議に明確に反対を唱えた歴史学者の居なかった事です。

戦前の皇国史観の時代でも異論を唱える学者は居ましたが、今回のこの史観に学問上、異を唱える学者が居なったことは、いずれ歴史学界の汚点として記録されるでしょう。

因みに以前報告のコロボックルは、アイヌの先住でアイヌに追われたとアイヌ自身が伝承していたのです。

著者も私も北部九州が始まりと考えていますので、勿論、沖縄も列島の「先住民」ではありません。

米国、豪などと異なり、4万年の歴史の我が国には「先住民」と言い得る人はいないことが一つの特徴なのです。

次に、著者は特に論拠を示すことなく、始まりを降雪寒冷の内陸狩猟族Bルートとしていますが、反対です。

約80㎞の海峡を家族が舟で越える必要があったことは容易な事ではないです。

舟造り、天文、気象・海象、操舟、様々なノウハウを必要としますので、一朝一夕には無理です。

出アフリカ後の豪への渡海時期の早さや日本祖人が降雪寒冷の北上に1万年も要した事、人体・DNA・言葉などの他との比較から、海の民系Aルートでしょう。

何よりも学界や類書が、最も可能性が高いと考えられるA-1ルートを認識していないこと、また、やっと「縄紋人の祖先」まで来ましたが、旧石器の語しか無く、「日本祖人・祖代」、「曙海」や「北東ア平野」、台湾山地、朝鮮山地などのキーワードの名すら依然として無い現状は驚くべきことです。

真正面から列島史の始まり~縄紋時代に取り組んだ専門家の祖代研究の登場を待つのみです。

創業者は2代目の先代としてだけで、2代目から書かれた社史では困ります。

(了)

 

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