日本祖人を、アメリカ先住民の歯に探る。

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日本祖人については、始まりの曙海の畔の事が重要ですが、実はその後のアメリカ大陸先住民にも痕跡が残っていると考えています。

それは、米Harvard医科大が、アマゾンの古い部族のDNAを調べたところ、人類の出アフリカ後の時代を残しているSundaland地域の人たちが、最も親縁性が強いという驚きの結果です。

万年の古い時代に、直路多くの家族が舟で太平洋を渡ったことは考えられませんので、環太平洋ルートであったとする当サイトの見方になりますが、Harvard医科大の先生はこの結果に冗談言って頭抱え、また、欧米の先生方はこの結果に何のコメントもしていません。

次に、1983年のTurnerの下図の歯の分析結果ですが、Harvard医科大の結果など最近の成果を加え、また、ユカタンが離れてますので素直に4分類として色分けました。

上図の赤い北西海岸が注目点です。

これに、北米Oregon州や南米チリの古い遺物、何よりも12,500年前頃に氷床が融けて開通した無氷回廊を南下して拡大したアメリカ史上特筆される薄青の大きな動きを加えます。

入って来た経路、順番、その消滅と勢いのある拡がり(薄青)のアメリカ先住史の様子がよく理解できます。

勿論、①は、②、③、④に拡がったのだろうと思いますが、痕跡はよくわからないという状況です。

そしてその歴史と生活ぶりから普通に考えれば、この北米北西の島々に残る①は海の民系であり、日本祖人系と考えられます。

何よりも海水面が100mくらい上昇していますので、沿岸の痕跡はなかなか発見されませんが。

日本祖人の4万年前の曙海越えの九州進入、北上、3万年前に北海道東部に進出という考古遺跡・遺物の示すことにそれ以前とそれ以後が、矛盾なく環太平洋移動・移住説で連接して理解できる結果となっています。

欧米の先生方がコメントしないのは、この4万年から3万年前という環太平洋史の区間基準となり得る日本列島史が、よく理解されていないからだろうと残念に思っています。

千島列島を伝っては行けなかったろう、極寒のベーリング地峡を越えて行けなかったろう、と言われそうな意見への反論は、当サイト(オホーツク沿岸ルート含め)で既に十分にしています。

北極海の冷水が入り込んでいなかった、ハワイに繋がる比較的温かったベーリング海を考えることが重要です。

新たな発見報告である23,120年前?というブラジルのSanta Malina遺跡は、古過ぎて欧米の先生方は全く理解しようがありませんが、3万年前の北海道の日本祖人が、そのまま北上を続けていたとすれば理解可能なんですよ。

(了)

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