日本祖人、世界を驚かす海の傍の活動2例

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日本祖人(日本列島史の始まり時代で、縄文人以前の人々)が、下図①黒潮分岐流の伊豆海峡を越えて舟で神津恩馳島の黒耀石を採取に行き来していたことは世界を驚かせています。

今回発見された②船久保の3万年前頃の27基の穴遺構にも驚かされることでしょう。

日本祖代(前期)におけるこの海の傍の2例は、日本祖人の相当の知的レベルを窺がわせるものです。

穴遺構は、先生方の言われる動物捕獲のためのものだとすれば、2mに及ぶ深さと一見必要ない最下部の最も大変な作業を丁寧に削り取っている匠の技が不思議です。

舟を造り家族で曙海の数十kmを越えて初めて九州に渡って来て列島中に拡がって行った祖先の人たちですので、これらの海の傍の活動は、まあ驚くほどではないのかも知れません。

また、見つかった所の地名が「船」久保であることも大いに納得するものです。

日本祖人は、毛皮のパンツに槍を持った荒っぽい人というイメージは修正しましょう。も少しスマートで目先がきいて几帳面な人たちだったのでしょう。

(了)

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