始まりの「東亜地中海」から日本列島の北上と、世界に誤解の「閉じこもり」3方向渡来図

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin),遺跡,研究関連

ー「最初の」アメリカ人は沿岸進入説の時代、日本人はどこから? 南方から北上のルートにはっきり海民性の痕跡がみられ、重要な稲作伝搬もこのルートでしょう。巷間の3方向渡来図は、3つの時代は新しく時期はバラバラの誤解の元であり、日本史始まりの基本は南方から北上継続の一方向性なのです。

1.南方インドネシア南スラウェシ島のブギス(シンガポールに進出)・マカッサルの海民は、世界で有名な活躍のオラン・ラウト(海のヒト)で、14世紀以前から確認され、ルウ王国やボネ王国など複数の王国を建国し、航海術や造船術に優れていました。親族や同郷者、漁撈集団など多様なネットワークを形成して状況に応じて行動してきたことが知られています。 
2.A・B地域の今も海の上の家船で暮らす人々は、海民伝統そのものです。ベトナムのメコン川やその支流、ハロン湾などでの水上生活者がいますが、彼らは「家船」や「水上生活者」と呼ばれ、船を住居とし漁業や商業活動を行っている人々です。 「蛋民」は広東省、福建省、広西チワン族自治区、海南省、香港などで見られる水上生活者の総称で、漁業や水運、商業を営み、陸地に固定された家屋を持たず、船や簡易な水上家屋(棚屋)で暮らしています。漁獲物を陸上集落に供給し、漁獲が減少すると移動する「漂泊」的な生活を送ることがありました。

3.C地域の台湾海峡では、古い人骨・動物化石が発見され、東部沿岸の海事信仰、山と海を結ぶ生業は海民性の暮らし。舟山群島や杭州湾では、旧石器~新石器時代の遺物が発見されています。山東半島に至る地域は、東夷と呼ばれて内陸と異なる海洋・舟航の文化を有し交易の交差点として重要でした。現代でも沿岸地域では漁業や農業が根底にあり、家族や地域共同体の結びつきが強い傾向があり、海産物や農作物が食文化に反映され、季節行事や祭礼も盛んです。じんるい拡散の北上当時は、多様な小島が多く「多島海OS」を育み日本列島文化に持ち込まれました。

4.D地域では海洋資源利用のほか、言語・生活に北側・内陸民と違いがみられ、歴史的にも交易・文化交流が活発な多島海(Dadohae)の地域でした。海産物が豊富で、海苔(김)、魚介、貝類を使った料理が名物です 。済州島・高山里遺跡では土器・細石器が出土しますが、土器は九州(隆起線文)、中国江南初期とルート上の物との親和性を示し、海女アマ潜水漁法文化も特色です。

以上の状況を踏まえれば、「東亜地中海」北上の長い間の沿岸移住で育まれた「多島海OS」をもって北部九州に現生人類は到達し、祖人Sojinはスローナビッグ・バンで列島中に拡がり北上を継続した、「原始人ではなかった」ことが理解されます。
日本列島西南部の北部九州の3海民、隼人、糸満等の海民性、3.8万年前からの伊豆の生業航海、仙台における海獣のいる北の暮らしの予行練習、青森・陸奥平野の列島東西の合一の先進性ある暮らしなどは、「最初のアメリカ人の沿岸進入時代」に要注目なのです。

#理論祖史学 #祖人 ♯環太平洋移住MPOR

*国際的エビデンス(DOI取得済み)

当会は、学術リポジトリZenodoにおいて国際的な識別番号(DOI)を取得し、引用・参照が可能な公的知見として登録済みであり、先行知見としての先取権を確立しています。

公式リンク(DOI): https://doi.org/10.5281/zenodo.19181986

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