米国のトランプさんが直接的な祖先を考えても図左400年前ですが、私たちの始まり時代は島国のお蔭で、図の1.ゼロが二けた違う民で、かつ、1万件以上の遺跡遺物に裏付けられた世界史上の「金メダル」と言っていい事が多くあります。

「日本祖代」には、図の2.外洋を舟で行き来し、3.その舟を造るためなどに石器をただ割りかいただけでなく磨いてよく切れるようにし、6.釣り針も使っていた優れた海の民系であることが分かります。そして4.陥し穴猟が出来る知力を有し、豊富な遺跡で5.降雪厳寒の北海道に適応したことも分っており、やがて氷河期が終わる温暖化の時期に生活を大きく変えた7.調理・保管等のための土器を生み出しています。まあ、図右—左下の芸術・精神性部門の「洞窟手型・壁画」のようなモノは見つかっていませんが、その暮らしぶりは驚くべき事なのです。そもそもあんな時代に、舟で家族が40kmという距離を「曙海」を越えて北部九州にやって来た知力・気力が、「金メダル」素材の人たちだったという事でしょう。そして、何よりも 16,000年以前の 「最初のアメリカ人」の可能性があり、今、世界学界の注目です。北海道から昆布ハイウェイKelp Highwayを行って、アメリカ先住民Nativeインディアンの祖先になった事が考えられています(鎌倉時代アイヌは、全く論外で誤解の元、悪印象操作 )。もはや子供たちに日本史の始まり時代を教えないのは、罪なことです。

日本の始まりについて、図左の緑葉ふんどしの南方人が北上して海を越えて九州に来て、「日本祖人」となったものです(納得ですよね)。図右の 南・西・北の 黄色3方向をよく見ますが、もはや歪曲印象操作と言ってよいレベルの誤りです。時代の全く違うものを併せているのは、北上史を誤解させ、アメリカへ向かって北上して行った可能性を表現してないので、世界人類史に寄与せず 、鎌倉時代以降のアイヌをも 誤解を与えています。先生は大陸・半島からとよく言いますが、出アフリカ後、内陸をどう移住してそこに至ったかを言うことは無く経路の痕跡も有りませんので、 歪曲印象操作だと言われても仕方ありませんね 。しかも南方から太平洋沿岸を北上して行った最もありうべき北東ア平野の沿岸「赤ルート」を認識していません。

沖縄も地域の遺跡遺物を観れば九州から南下して行った可能性が高く、樺太も北海道の白滝黒耀石の存在から北上を見なければダメです。日本列島史は先ず、南方から北上してほぼ列島中に行き渡って基盤が出来て、その後時代を経た後、西から北から新たな狩猟族が入って来たと認識すべきです。この事は我が国の生活の基本となる習俗や信仰の理解にとって、重要なことです。宗教、文字、制度、外からいろいろ入って来ましたが、 長い歴史の厚みから 、みんな「日本教」で和風に変形して取り込んでいます。「日本祖代」と次の縄文時代という、日本史の93%を占める長い 時間の積み重ねは決して無視できません。

おそらくトランプさんはご存知ないでしょうが、学界では、16,000年以前に「昆布ハイウェイ」Kelp Highwayから舟で、ベーリング地峡沿岸からアメリカ新大陸に入って来て最初の米人になったと考えられています。そして、3万年前には北海道に達していた海の民系の「日本祖人」が、米先住民インディアンの祖先の有力候補と考えられています(縄文人は登場が遅く、鎌倉時代からのアイヌは論外)。先日、礼文島の縄文女性のDNA分析がなされ、耳垢が湿っているということで、南方の曙海からの海の民系であるとみられます。

この事について、遥か大昔に【縄文人】が【大陸】から分かれて来ただのと言うトンデモ無い事を言う学者さんがいます。縄文人は2代目で、列島生まれの列島育ちであって驚きの妄説ですし、大陸と言うよりも南方沿岸伝いから海を舟・筏で越えて九州に渡って来た人達の子孫ですので、大陸人とは違う種族であり、大陸の奥に出アフリカ後に辿って来て日本列島に達 し「日本祖人」に成る 現生人類・新人の痕跡も有りません。極めつけは、世界に誇り得る豊かな歴史の「日本祖代・祖人」という上図の概念認識が無いために、縄文人が大陸に登場し、38,000年前頃に大陸人と分れて来たというトンデモ話になっています。まあ、大陸人が祖先であると言いたげなイデオオロギー史観と呼びたい説を展開しています。こんな状況では、トランプさんが知らないのもやむをえませんが、子供たちに対する罪です。

日本列島史の始まりは、約4万年前、「曙海」沿岸ルートで、3万年前には北海道にまで拡がり、アメリカへ渡って行ったか?、というものです。

専門の研究者でも日本の始まり理解に誤り(まさか、イデオロギー歪みじゃないですよね)があります。先ず、現生人類の出アフリカ後の日本列島に至るルートは、下図のA:(南方)から曙海畔、北東ア沿岸か、それともB: 内(大)陸かということです。ここでよく、日本へは「大陸から」と言う者がいますが、印象操作か誤りです。沿岸か内陸からかを言わねば意味がありません。言語的にも始まり時代の沿岸と内陸は種族が違います。日本は大陸ではなく「沿岸の民」(松本克己博士)です。その後、闘いに強い狩猟族である内陸の影響が強かったのは事実ですが。

上図で第2に、北海道から千島列島添いに、樺太方向からも「昆布ハイウェイ」沿いに、縄文時代以前の「日本祖代」に、アメリカ新大陸に渡って行った可能性があると世界が注目しているのに、「日本祖人」からの北海道3万年史を、専門家がしっかり語りません。 アイヌに都合悪い忖度ですか? 第3に、始まりを38,000年前と言う者がいます。恩馳島行き来が最古の痕跡ですのでそれを使っていて、一見厳密そうですがむしろ間違いであり、約4万年前と世界には言うべきです。対馬・北九州に渡来したその年に伊豆諸島まで「日本祖人」が拡がったとはとても思えません。 北海道は3万年前で大数把握の時代なのです。 第4に、世界注目の縄の紋の土器と革命的な道具の弓矢が定着した縄文時代(1万5千、1万3千年前説)を、日本の始まりにまで勝手にデタラメに38,000年前からなどと延ばさないこと。いかに面子で在野研究者が言いだした「日本祖代・祖人」を使いたくないからと言って、世界が知る縄文Jomonを延ばして言うのは、全く無茶クチャです。第5に、誰をどれをサンプルにしたかで違うDNA分析では、特に人が移住した足跡ルートは分りません。勝手に移動したかのように線を引かないこと。大河・川から遡行した痕跡が上流に残っているものです。上流~上流移動はむしろ変です。第6に、日本史は始まりからして、海峡越え渡洋、造舟、操舟、物々交換、浜辺の暮らしなど『塩っけ』がありましたが、今は海の下で見つからない物事は、無かった訳でないことを認識することです。見つからないものを相手にしないのは、一見実証的で科学的なようですが、伝統文化・習俗を考察する場合は、むしろはっきり誤りです。

ともかく、此の基本図くらいは子供たちに教えましょうよ。

北海道礼文島の縄文時代後期女性の像が復元され、その生活も分ってきました。注目は、「日本祖人」が3万年前には沖縄~北海道の列島中に拡がってましたが、『遺伝的多様性が低い』という分析結果です。この女性の時代まで、即ち、何と日本史の90%の期間、その後のような大きな遺伝子の変化が無かった、そして、それは暮らしぶりに、信じて大切にすることなどが長い歴史の積み重ねで受け継がれたことを示しています。他の国のように、大きく種族の人々が入れ替わったこと無く続いたことを示しています。この文化の厚みが、日本文明、日本教などと言われる所以で、仏教も、漢字も仮名に、・・・入って来たものが和風化する理由でもあります。

肉食がオットセイやアザラシ、海鳥・卵なら漁撈に区分すべきでしょう。また、「日本祖代・祖人」を知らず、「縄文」人を38,000年前頃にゴールポストを動かす学者が出てますが、縄文土器と弓矢などの暮らしの 特色ある 縄文時代(説により1.5、1.3万年前~)ですから、縄の文と無縁な「日本祖代」と違います、勝手に伸ばさないで下さい。

なお、この礼文島にも暮らした人々は、 南下オホーツク人 アイヌとは 全く 無縁です。アイヌ「先住」というゴールポスト動かしの政治用語は、教科書の歴史課目では止めて下さい。 「日本祖人」以来の父祖の地、北海道であることを 子供たちが誤解しますから。これらのような歪んだイデオロギーのゴールポスト動かしは、学問の敵です。

大陸から適度に離れた島国であるために、4万年前頃に遡って国の歴史 の始まりがかなり分かっている例は、世界に殆ど無い実に恵まれた民族です。「日本文明」の語が歴史学で出ている所以です。にも拘らず、その「日本祖代・祖人」は、名前も付けられず世界に発信もされないために存在しなかったかのようです。世界人類史の課題である1.6万年以前の「最初のアメリカ人」の 期待される 議論に参加せず、語の意味を歪めたアイヌ(鎌倉時代)の「先住」という全く異常なことが、国連UNで国会で語られています。舟で家族が40kmという海を渡り、外洋に黒耀石を取りに行き来して広域の交換が行われ、組織的な陥し穴猟などの知的レベルはなかなかです。

何よりも沖縄から雪と寒さの北海道にまで 「日本祖人」が拡がって基層が出来始めていたことが注目され、人の渡来を受け入れた熟成の地でやがて生活を大きく変えた世界最古の土器が登場します。2代目の縄文Jomonからしか語られないのは、子供たちに対する、そして世界に対する罪です。

世界は、アメリカ先住民ネイティブ・インディアンとアイヌ、アイヌとコーカソイド(白人系)人種などの誤解に満ちており、今や、縄文やアイヌは聞いてるが「日本祖人」を知らない「最初のアメリカ人」論議が混迷しています!

これははっきり言って、放置している日本学界の大問題です。

1996年(平成8年)アトランタ五輪に湧く米国、西海岸ワシントン州で古人骨が発見され、最初に扱った専門家がコーカソイド(白人系人種)のようだと言ったので、先住ネイティブ・インディアンより白人系が前だと騒ぎになりました。この騒ぎで縄文、アイヌの名も登場した。その後人骨返還を求めるネイティブともめたが、最終的にはDNA分析で現在のネイティブの先祖だと落ち着いたのです。最新の研究で、16,000年前以前に北海道から昆布ハイウェイを最初に米西海岸に「日本祖人」が行った可能性があるが、時代から縄文人ではなくまして新しいアイヌでは有り得ません。アイヌをコーカソイドと言う誤解は、国連や欧州人に影響し、コーカソイド(白人系)先住民を守れと誤解して熱心に運動に加わって居る者も出ているし、時には縄文人の子孫と言って古さをアピールして、いずれも世界に誤解を与えています。

ニューヨークタイムズも、ネイティブ先住民より前にコーカソイド人が来ているなどと、白人主義者が ケネウィック・マンを利用していると指摘し批判しています。

問題は、酸性土壌で人骨発見が困難な日本において、幸いにも「日本祖代」の人骨が沖縄本島港川(八重瀬町)や石垣島で出ているのに、学界が世界に対して北海道「日本祖人」を発信しないために、依然として世界人類史の課題「最初のアメリカ人」の論議が 用語も無く 混迷しているのです。アイヌについての嘘誤解も振り撒かれたままなのです。そんな世界の影響を逆に受け取る日本の子供たちに対し、罪深いものです。

下左図は、縄文文化の愛知・渥美・伊川津貝塚人のゲノムが、8,000年前の東南アジア人に類似であるという発表(米国科学ジャーナル2018.6)を日本メディアが英文記事にしたものですが、移住ルートは、赤太線を描くべきものです。そうすれば、右図の日本列島史の「日本祖人」の渡来拡がり図に合致し、理解し得るものです。ところが、驚きはその発表に全く無縁のよく見る①北から、②半島から、③沖縄からやって来た図が、青線で描かれています。「日本祖代」、縄文時代の基本となる右図がこの国の学界では無視されています。実は、これがアイヌ「先住」、沖縄や北海道独立などと言う歴史を歪める政治的主張・妄言となっているのです。そして陰湿な英語の歪曲記事が世界に撒き散らされて、国連UNなどに誤解を生んでいるのです。

世界の学界が、430年前の(西)ホセ・デ・アコスタに注目です。彼が中米メキシコ、南米ペルーの各地で長い間勤務した当時は、まだ十分に南北アメリカ大陸先住民の暮らしが生きていました。

「短い」航海でアジア人がアメリカに来た、という現代最新の学説をアコスタは既にその名著 (Historia natural y moral de las Indias )で1589年に唱えました。ベーリング海峡発見の140年も前にです。それでは、1.6万年前以前と分かっている最初のアメリカ人は「いつ」「どのように」来たのかとなりますが、遺跡に裏付けられた現代学説の圧倒的に最古の候補が「日本祖代」(縄文の前)の十勝平野人なのです。シベリア東部は、1.5万年前です。そして、東北・北陸出身の可能性を博物館は教えてくれています。今、フィリピンの「どうなってるて」大統領は、国名をフェリペ2世由来から替えようとされています。鎌倉時代からのアイヌが「先住」民って、日本の最高機関国会は、何言ってるのと世界から、フィリピン大統領から言われますよ。こういう事を学校で教えない、「どうなってるて」? 

(了)

標題には下第1図のDを抜いた図が世界に広まりよく使われますが、重要な「始まり」に対する誤解の元です。フェイク・印象操作と言ってよく、問題は最も可能性が高いAが挙げられていません。「いつ」が約4万年前頃(3.8万も同じ)は、学会に異論ありません。すると西のCと北のEは、現生人類の出アフリカ後、どのルートでいつその矢印の出発点に至ったのか痕跡が実証されず、人類移住の始まり図に描くことが不適切で、対象とすべきは、AとBだけなのです。

つまりずっと時代が下ってからやって来たC,D,Eを描くことは、「先住」の誤解の元であるのみならず、国連による勝手な定義の「先住民」問題にも繋がります。そしてBは、4万年前の慶良間海峡越えなどを考えれば厳しいことから、普通に考えて北上史である日本中に拡がった第2図(顔は2.7万年前の石垣人準用)になるのです。①時期の違う複数ルートを描く、②大昔はよく分からないとして記述しない、のは歴史研究と教育上の歪みです。日本史の約92.5%の期間を占める長い「日本祖代」・縄文時代の生活文化というDNAよりも大事なものを継承しているのです。やがて豊かな各地の神話 となって伝承・活字に残り、 天皇陛下をいただく日本国となって現在に至ってますが、島国であるが故に歴史がかなりはっきりしている、世界でも稀な恵まれた国と言えます。(了)

 

現生人類がアフリカで誕生(30~20万年前頃)し、出アフリカ後、欧州正面に比して豪・ニューギニアへの進出が、舟(筏)を必要としたにも拘わらず早かった事は世界の学者の共通認識です。

下図の注目点は、出アフリカ後のAとSundaland地域のB(インマレイド種)の皮膚の色は、当然にして人類進出の飛び石ジャンプは有り得ませんから、その始まりは南インド・豪・ニュージーランドと同様に濃い・中位の茶色(これが元来)であった事です。

そしてA,Bは北上して行きましたが、いかにその後のコーカソイドとモンゴロイドの南下の影響が強かったことかが、図の薄い茶色に表れています。それだけ暖かく食料などの魅力のあった地域でもあるのです。

さて、日本へは、A―>B->Cと渡って来て、渡来が4万年前頃、ほぼ列島中へ拡がったのが3万年前頃と旧石器遺跡の分析から分かっていて、異論は無いでしょう。

この程度の事を少なくとも有力な説として学校で教えないのが不思議です。

例えばアイヌの議論も、先祖がこの頃から居たのならば私たちと同じですし、その後の時代に北から渡って来たならはっきり「先住民」では有りません。

要は普通に流れを考えればよく、島国であることから世界でも恵まれてかなりはっきりしている民族の始まりの歴史であるにも拘わらず、無用に「分らない」と言って何も教えず、一部の者が政治的な歴史観を主張して誰も異論を表明しないのが現下の大問題です。

縄文人は何処から?などと言う人さえおりますが、ゆっくり時間が流れていた「日本祖代(2万数千年)」の次の代ですから、何処でもない日本列島からに決まっています。

また、史界をリードする欧米学界が、アジア、太平洋地域の人々を簡単に新旧「モンゴロイド」で片づけるのも、いい加減な粗雑な分類区分と言うより、もはや南方軽視の偏見と言うべきものでしょう。

(了)

長~い我が国の歴史、九州人でも「先住民族」だなどと言う人は居ないでしょう!

政府は、アイヌを「先住民族」だとするそうですが、全くの驚きです。

列島中の1万件を超える旧石器遺跡の状況から、日本列島現生人類の始まりは、海を越えて九州にやってきた4万年前頃という事で学界に異論は無く、3万年前頃には北海道にまで拡がっていた(「日本祖代」前期)北上史です。

その後、特に2万年前頃の最終氷期最寒冷期(LGM)前後を含め列島には北から西から入りが有り(出戻り含む)ました。

一方、アイヌに特徴的な暮らしぶりは「北」から「鎌倉時代頃」から入ったと言われています。

因みにアイヌ自身の中に、北海道に背の低い先住者が居たが、千島列島の方に逃げ去ったという伝承もあります。

「先住民族」とは、「大航海時代以降、主としてヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオセアニアの地域で初めて接触した諸民族を指すもの」が世界通念ですが、アイヌの状況は違います。

迫害されたアイヌは白人の要素があると共感を寄せる欧米人もいますが実証されておらず、上写真のようにアイヌの犬はDNAが南方系だと吠えています。

長~い歴史を有する我が国において、学問的に実証されていない、世界に誤解を与える「先に住んでいた民族」の語の使用に、誰も公式に異論を唱えない学問空間は大問題です。

先生方、①アイヌの先祖は私たちと同じ日本祖人・縄文人ですか?それとも②北から鎌倉時代頃にやって来たんですか?と言う訳で、いずれにしろ世界通念の「先住民族」では有りませんね。

学問的に成り立ちませんから、むしろ国会は、先ず「先住民族」の語を外した「アイヌの人権、伝統文化の尊重を求める決議」に件名の過ち(平成20年6月6日)を正すべきです。

(了)

明けましておめでとうございます

いよいよAI時代の幕開けですので、AIやサルとヒトの違いを考えています。

最古の現生人類は、独研究チームがモロッコで発見した人骨(多少の議論有り)で、場所は海岸から40km位東方に離れた洞窟(標高約600m)です。

その海岸サフィが随一の貿易港というジブラルタル海峡の南の地域であり、南ア海岸洞窟と共に私は注目してしまいます。

実は日本のご先祖様を考えますと、海辺の知的進化・出アフリカ―豊かなSundaland―早い時期の豪州渡海―北上して九州渡海―伊豆・神津恩馳島への渡海の行き来―北海道への渡海進入と海絡みが注目されるのです。

海に入る、海産物を食す、海辺で暮らす、舟(筏)で海を渡る、などは森のサルと決定的に違う歩み出しと思うのです。

つまり、家族で九州に海を渡って来た段階で、既に進取の気性ある相当の知的レベルにあったのです。

このことが、日本文化・文明の始まりの基層であり、日本祖代から次の2代目の縄文時代以降にも確実に継がっていると考えています。

引き続きマイペースで研究に前進して参ります。

AI時代の温故知新のご参考まで。

(了)

日本人の英語能力は、世界の49位、5段階評価の下から2番目の「2」だそうです(通信簿で見た事ない)。

日本人が悪く言われた始まりの文書は、「魏志」倭人伝でしょう、下図の左右上のとおりです。

つまり、ユーラシア内陸発の人たちから見ると、はっきりヘンな奴でした。

しかし注目したいのは、第2図の赤丸のとおり、ヘンなのは和だけじゃなかったんです。

4万年前頃の日本祖代・祖人の曙海のほとりの暮らしの頃ではない、「魏志」の時代でさえ、ユーラシア東端に残る人々、台湾や海南島の人々も同類でした。

第2図のとおり大雑把に言って、内陸と沿岸・島々という、2種類の人たちが居ました。

実は、日本語は仲間の見つかり難い変わった言語ですが、島国のために古い痕跡が残ったと言うべきなんです。(仲間は、「環太平洋言語圏」)

そして第3図のように、150年前頃に撮影された人のような入れ墨は、私も子供の頃にこの目で見たことがあり、食べ物に至っては今も大好きなモノなんです。(誰だ、トロの味を教えちまったのは!)

アジアの海辺の仲間も万年のうちにすっかり内陸の人たちの影響が及び英語もうまいのかも知れません。

ま、オリンピックも近いし、勉強しましょう。

(英語?海草?それがどうした、古い民族の痕跡なんだよ!)

(了)

豪Griffith大チームが、過半が沈んだ東南アジアのSundalandのボルネオ島東部で、4万年前頃の洞窟・野牛絵と5.2万年前となりうる洞窟・人の手型絵を確認(下図左上)しました。

前々回、スラウェシ島の手型絵を報告したばかりでしたが、マカッサル海峡を挟んだ近傍反対側であり、世界最古の具象の動物絵です。

Sundaland地域は、豪州への現生人類の渡海移住、今回と同じボルネオ島の西部にあるニア洞窟の現生人類遺跡などと共に日本に関わるアジア現生人類史の古郷です。

私たちの祖先がこの地域から北上したと考える「南方起源説」を今回更に補強したという訳です。

さて、サルなどと決定的に異なる現生人類の知能進化は、いつ、どんな、が話題になります。

アフリカ南部海岸の赤色オーカー塗料の使用や貝ビーズの装身具などが発見され、一歩一歩10万年前位からということのようですが、特に4万年前頃からの欧州の洞窟絵が目立って採り上げられて来ました。

新しくなりますがスペイン・仏のものは、もう現代人顔負けの素晴らしいもの(下図左下)で、長く欧州人のプライドでした。

今回発表の事は、東南アジアが正に双極をなすものであったことを示しています。

欧州の方は、中東から洞窟にやって来た時に既に画くことが出来た人(クロマニヨン人)たちであった、即ち描くルーツは移住ルートの途中、あるいは中東などとみられています。

ホントに本当にひょっとしたらアジア・Sundalandからかも知れませんね。

ところで、4万年前頃と言えば、初めて日本列島(九州)に現生人類がやって来た頃(縄文時代前の「日本祖代」の前期)のことです。

歴史学をリードする欧米は、そんな例が無いためか余り注目しませんが、舟と櫂を造り、多くの家族が40kmもの外洋を渡航した人たち(下図右)のと洞窟の中で動物の絵を描いた人たちと、どっちの知能進化が凄い、サルから遠い事でしょうか。

少なくとも甲乙つけ難しではないでしょうか、日本の教科書がこの渡航という「日本祖人」の偉業を特筆しないのが不思議です。

3.7万年前頃にははっきり、伊豆・神津恩馳島に20km以上の黒潮分岐流を越えて黒耀石の採取に行き来し、しかも既に交換の文化もあった事が、黒耀石原産地分析でその傍証としてはっきりしているのにです。

ピューリタンが、1620年にメイフラワー号でアメリカ新大陸に渡ったのなどと比較にならない始まりの偉業ですよね。(日本学会は、欧米か?!—漫才タカアンドトシ)

(了)

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