アイヌ・ウポポイ記念館 (200億円) のどんな展示品より貴重な世界考古学史上の金メダル「日本祖代の世界最古の磨製石器」(北海道出土)が、オークションで即決2,780円! 仰天のありえなさ。

磨製石器は、現生人類の高いレベルの認知力を示すコトとして、世界では約1万年前の完新世、正に“新”石器時代の象徴です。ところが何故か日本列島の日本祖人は、”旧”石器時代の3.8万年前頃から作り使用していたという驚きのもので、北海道~種子島という広い範囲で祖代に使われていた事が発掘で分かっています。近隣の大陸や半島でも1.5万年前~数千年前であり、日本オリジナルな金メダルなのです。用途は祖先に訊かないと分かりませんが、木・植物を伐・切った、->家・舟・食、動物解体->食などが考えられ、舟は注目です。学校がこのことを子供たちに教えないのは、全く歪んでいます。

日本の始まり時代については、世界の人類史の流れと日本列島の1万件を超える旧石器遺跡等から明らかになって来ています。

1.南方から北上した現生人類は、約4万年前に多くの家族が 曙海を 北九州に渡って来て始まり、沖縄へ南下し北海道へ北上しました。

2.列島中央部の霧ヶ峰地区に宝物黒耀石があったため広大な関東は活発であり、対馬暖流が流れ込んでいなかったことから大雪が降らなかった日本海側も並行的に発展していて、連接している現在の状況のようでした。東京諸島・神津恩馳島にも黒耀石があったため、3.8万年前からフネで渡洋採取していました 。伊豆との間を行き来した 行動が、世界考古学上の「金メダル」なのです。

3.日本祖人の海の民性が、当時は狭かった津軽海峡を 難なく 越えました。

厳しい寒冷ながら海獣・鳥卵と魚貝・海藻などが豊かで、遠軽白滝に黒耀石があったため拡がり、無人の処女地に北上を続け、「1.7万年前以前に、北太平洋沿岸の昆布ハイウェイからフネで入って来た」と考えられている、米新大陸の「最初のアメリカ人・Native先住民」候補という訳です。

祖代から縄文時代となり(2.9万年間)、遥かに時代は下って鎌倉時代頃に、北から祖人・縄文人末裔の和人の地である北海道に入って来た集団からアイヌが生まれましたが、勿論、誤解されている“ 先住民族 ”などではありません。


米新大陸の「最初のアメリカ人・Native先住民」候補 の北海道「祖人」は今、世界人類史上の注目なのです。

北海道は、世界人類史の最後の謎ともいうべき「新大陸 、最初の アメリカ人・先住民」問題で、今、候補に名が挙がって注目されていますが、オリンピックに世界のお客様を迎える肝心の日本でよく知られていません。

①約4万年前に北部九州に家族がフネで渡海し、3万年前頃には青森から狭くなった津軽海峡をフネで越えて道東に至り、当時陸続きの国後島を廻って、日本一の黒耀石原産地である遠軽白滝に進出し北上を続けてアメリカ先住民候補という訳です。その時代には最寒期LGMの環境変化時代が有り、北から出戻り含めて南下して来たひとびとがいました。②その後、北海道祖人はある時期から縄文人と呼ばれることに(1.最初の土器発見の時か、2.定住弓矢も行き渡った頃か、3.環境変化の世界の新石器革命頃か、議論中) なり ます。両親は祖人、子供は縄文人という厳密さはないですが、この点が理解されずに「縄文人は何処から」と愚問を発する教授がいます。縄文人は、勿論、日本列島で祖人からです。

③この北海道祖代・縄文の約2.9万年の文化・習俗の積み重ね(勿論、山や川には名前)がありました。北海道大学説では、この和人の島に鎌倉時代頃に北の集団が入って来てアイヌが生まれますが、問題は、アメリカNative問題で、北海道祖人Proto-Japaneseが注目されているのに、国会が“アイヌ人権尊重”でなく”先住民族“という歴史のウソ政治決議をしたために、世界の歴史議論に誤解を振り撒いているのです。アイヌと日本祖人を繋げるのはムリな史的ウソで、人権尊重・共生だけ語ればよいのです。さあ、オリンピックまでに、北海道正史をみんなが理解し伝えましょう。そして、いつまでも議論せずに、早く祖代と縄文の切り替わり時期を定め、また、貴重な税金を末裔かも知れない「最初のアメリカ人」研究に投じましょう。

日本史の始まりである祖史(日本祖代前期)に注目すれば、左図、曙海の東側を時計回りで沖縄に至ったことが理解できますし、列島を北上して行って青森を越え北海道に拡がったことが旧石器遺跡から実証されます。

祖史の時代に沖縄へと、台湾山地沿岸から黒潮流を越えて行方の見えない150kmを家族で渡るのは大変ですし、まして200km以上の慶良間ギャップ越えはムリでしたでしょう(ヤシの実がたどり着くこのルートはずっと何となく挙げられて来ましたが)。次の縄文時代になっても沖縄の結びつきは、豊富な実証資料から九州の曙海沿岸地域でしたし、台湾の教授も「台湾から敢えて出て行かない」と祖代における先島への渡航に否定的です(家族渡来の食の魅力乏しく渡航危険が、理由でしょう)。北海道の場合は、津軽海峡が狭まっていて伊豆の海を行き来していた日本祖人には問題なかったですが、やはり雪と寒気が一段厳しい所で主に海獣を食・衣・住に活用した家族の暮らしへの適応に期間を要したものと思われます。

しかし、上図、誤りのwikipediaとは異なり、青森から道南~道央南部~道東~北方領土廻りで宝物黒耀石の豊かな遠軽白滝地域に進出して行ったことは遺跡から明らかですし、その後も食の豊かな処女地である千島列島(次々に島が見える)及び樺太への北上を続けたことでしょう。 今や注目の「最初のアメリカ人」アメリカ先住民候補なのです。

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さて、 上右図のように、日本祖人~縄文人(~続)~擦文人~和人の始りから父祖の地に、北方から鎌倉時代頃に渡来(出戻り含む)が有り、後にアイヌと呼ばれる人々が生じますが、勿論、北海道の先住民族などではなく縄文人を祖先にすると直系のように言うのも言い過ぎです。このような状況であるにも拘らず、ためする政治的な歴史のウソ、誤解が世界にも及んでいます。子供たちは無論の事、オリンピックで訪問するお客様に、しっかり真実を説明して誤解を解きましょう。


図下の権威・国立博の展示説明は問題です。約4万年前に住み着いたのは、私達の祖先ですよ。世界現生人類史上も注目ですが、何よりも私たちの言わば歴史的な誕生日(祖史)なのですから呆れます。道具作りのはじまり?カンベンしてください、舟を造り天文・気象海象を理解し、曙海の外洋航海で多くの家族が北部九州に渡海して来た知的レベルですから、道具なんてもんじゃありません。

それも、狩りした動物の解体もさることながら舟造りに適した磨製石斧は、この時代の隣国にも見つからない石器の世界史上の金メダルなのですよ。図上、伊豆の海の行き来や環状ブロック群、陥し穴猟、北海道進出と最初のアメリカ人候補などの重要事項にも触れずに、土器ですか?歴史説明が、驚きの周回遅れです。酷過ぎて、とても世界から訪れるお客様を連れて行けません。その内容の改善が、夏休みの宿題作業には成りますが。そして「日本祖代」が、土器の縄文時代になって行く訳ですが、この1万3千年前を巡っては、土器が出現した16,500年前とするか、拡がった1.5万年前とするか、列島中に竪穴住居や弓矢などと共にすっかり定着した1万3千年前とするのか、早く学会は決めてください。日本祖代を前期・後期とするか、前・中・後期とするのかが関わってきますので。また、旧石器時代などと言っても、世界の・日本の学者は、範囲とイメージが人によってバラバラです。とても約4万年前~縄文初めまでを示す用語にはならず、全く適していません。

ともかく、学界にいろいろな議論があるからと子供に教えないのが、一番の問題で悪いです。まずは教えましょう、賢い子供達と今後の発掘に委ねて、要すれば修正して行けばいいのです。


島国であり、1万件を超える旧石器遺跡の研究から、約4万年前というこんなに古い始まりと列島の暮らしの「日本祖史」Beginning of Japanese History(約1万年間)を語れるのは、世界にそう例のない恵まれたものです。舟の伊豆の外洋を舟で行き来、環状ブロック群、磨製石斧、陥し穴猟、北海道進出など全て世界人類史のメダル級の内容です。

先生方は海水面上昇と時の経過で痕跡が見つからないため無視していますが、アメリカ先住民の海辺の苫屋暮らし(フロリダ博物館)を加えましたが、素朴な物が有ったに違いないです、科学的に。始まりを38,000年前とする先生は、伊豆の痕跡から言ってますが、その数字を北部九州に当てるのはむしろ誤りで、南方から北上した人類史の流れと北海道を見通せば、約4万年前が科学的なのです。実は野尻湖遺跡が興味深い研究中です。因みに、祖史―先史―原史―歴史(活字時代)という用語区分です。祖史の1万年で、何が良い・悪い、旨い、出来る・危ない、など暮らしの基本となる精神性やノウハウが出来ていったことでしょう。

今後、6万年、10万年という古い時代の痕跡が見つかると大騒ぎになるでしょうが、旧人と考えるべきで祖先ではなく騒ぐほどの事では有りません、念のため。欧米先生は、この旧人と祖先新人の交雑を騒ぎますが大した問題ではなく、それよりもアフリカの黒人祖先がどうして自分たちになったのかの足取りをもっと研究すべきです。さて、恵まれて良く分かるこの「日本祖史」、アイヌ先住決議の国会は世界に対する大恥であり、歪んだ先生の屁理屈で子供に教えない文科省は、怠慢というよりも最早犯罪です。(言っちゃった)

そして、祖史の3万年前頃を過ぎて、史上最大の災害である鹿児島・姶良大噴火、石垣島進出の痕跡、遠軽白滝の日本一の黒耀石の活用などの日本祖代後期となって行きます。加えて、「最初のアメリカ人」候補としての北海道からの北上継続です。


最新の研究では第1図、①舟で入って行ったと考えられ、DNA分析から最寒期LGM以前にベーリング地峡に達し、氷床が融けるのを待った数千年の地峡での滞留間にDNAが変化し新大陸に入って来たと考えられています。昆布ハイウェイに沿って茶点線のように海面低下で陸地が出ていましたし、米臨海は北極海の冷水が流れ込まないハワイに繋がる海でした。

問題は、シベリアのヤナRHS遺跡(一時的なもの?年代?)が知られており、その後の1万数千年年代の遺跡も知られていることから、第2図、欧米先生には舟だろうと大型哺乳動物を追ってだろうとシベリアから来たと言う認識が強い事です。「日本祖代」の豊富な北海道の遺跡が、それらと並んで図になっている英文資料を全く見ませんから、日本の研究と発信に大きな問題があります。まして、子供達に重要なこの問題の状況が教えられていないことが大問題です、細部次回。

実は下記第2図、巷間本・博物館の日本始まりの3方向図からは、ベーリング地峡に向かうこの問題への参加は全く有り得ませんので、誤りは罪深いことです。



人類が円環を認知し、造形に至った遺跡は重要です。欧米ではストーンヘンジが有名で、狩猟採集時代から農耕定住時代になってからのことと言われてきました。ところが近年、トルコで世界驚きのギョベクリ・テぺ(12,000年前頃~)が発見され、狩猟採集時代にこれほどの建造物が有ったことが分かっただけでなく、造形が円環なのです。

さて、それらとは、建造の程度で全く比較にはなりませんが、普通に見えて驚きも無い佐野上林(かんばやし)の「日本祖人」の環状ムラは、人類の認知性史、社会史に着目した場合、驚きの古さの痕跡(3万年前)なのです。日本には、秋田大湯の縄文環状列石が精神性を示す物として有名です。日本祖代では、①伊豆の海を舟で行き来した、②環状ムラで暮らした、③動物の習性を知って陥し穴を多数作って猟をした、④釣り針で魚を取った、おそらく⑤北の海で海獣を食したなどは、世界人類史に記述される誇るべきものであり、決して教科書に名前の無い原始人では有りませんでした。


現生人類のアジア移住は、インド8万、豪州6.5~5万、フィリピン6.7万、ラオス6万年前などの周辺情報から、第1図スンダランド・トバの大噴火(7.3万年前頃)前後の通過となり、この西太平洋沿岸族の北上については、近年、「パンカル海」西岸の発掘が、旧人の時代とも考えられるものを含み活発です。そして、第2図台湾山地から「曙海」時計回りで沖縄本島までと北上して北海道にまで拡がり(姶良大噴火:2.9万年前)ます。

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日本人は何処からに関して、アジアにおいては人類が海を渡ったことは特筆すべき特色です。
注目すべきは、第1図豪州、比と北部九州では渡海が始まりの”海の民性”です。多くの家族が造舟(筏)・操舟で、危険を伴って新天地に渡っています。日本ではその後3.8万年前に伊豆の海を行き来し、3万年前には沖縄へ、狭いですが津軽海峡を越えて北海道に拡がりました。今「最初のアメリカ人」は、沿岸を舟でやって来た、というのが新説です。移住とは、女性、子供、老智者を含む家族多数が、造舟(筏)・操舟で、危険を伴って新天地に渡っている訳です。巷間よく3方向渡来図を見ますが誤解の元です。この海の民性は、約2万年間の「日本祖代」の期間の長さもさることながら、日本史中世まではっきりでしたし、現代でも皇族が薨去された場合、私たち下々の入棺ではなく、「お舟入り」と言われる事からも分かります。

そして、海を渡った西太平洋沿岸族の知力向上の進化について、インドネシア・スマトラ島トバの大噴火がもたらした可能性が考えられます。艱難汝を玉にすという訳です。問題は標題のように、私たちの現生人類の祖先について、世界における日本人研究者の寄与が殆ど無く、この図のようにスンダランド、パンカル海から曙海に連接した一貫図を見ることも無いことです。はっきり言って誤解を招く3方向渡来図も含め、歪んでいます。明治~戦前の先人は、スンダランドもこのような遺跡も知りませんでしたが、地域を廻って人々と文化習俗を調査して、原郷は南方という同じ結論に達していました。子供達に見せて考えさせましょう。ところで、インド太平洋構想って、この万年前の北上のことですか?



始まり当時の環境変化の大きな一つは、世界人類史の補助線である 過半が沈んだ Sundalandスンダランドです。ここから西太平洋沿岸族・語族の重要性が理解されます。原図は日本の先生が日本部分を正しく認識しないために、日本部分がダメで、世界に誤解を与えているのです。

標題と異なり、日本旧石器遺跡1万件以上の結果が理解されていません。「日本祖代」は、北部九州から北海道への北上、沖縄への南下を遺跡・遺物が示しているのです。今や世界人類史の中で、北部九州約4万年前、北海道概ね拡がり約3万年前はとても重要です。信頼できる大陸内陸のバイカル湖畔のマリタ遺跡は2.4万年前なのです。北海道は、今世界注目の「最初のアメリカ人」問題に関わるのですから。その他、世界人類史の基本的な事項を赤で修正しましたが、まだまだ世界の予選会にも参加できないレベルです。

何故か学校では教えませんが、今の自宅学習が世界を、世界の中の日本を理解するチャンスです。


武漢コロナで自宅学習が多いピンチは、チャンスです。先生が教えてくれない日本史を学ぼう。日本始まりの私たちの祖先・「日本祖人」は、2.9万年前頃の姶良大噴火と2万年前頃のLast Glacial Maximum 最終氷期最寒期を乗り越えて、バトンを次の縄文人に繋ぎました。南方から渡って来て、島国でこの長い期間に育まれ熟成された私たちの信仰・習俗、文化の基層が、私たちの特徴の元です。月にロケットが飛んでも、人がそんなに大昔と変わらないのは、武漢コロナの騒ぎを見てるとよく分かりますよね。


武漢ウィルスは、いろいろな事情で地域によって発症を異にしています。我が国の始まり「日本祖代」の痕跡を探る一つに、母から子に遺伝する南方型のHB抗原が知られていますが、第1図、2図を比べてみると不思議な類似がみられます。何なんでしょうね。

4万年前に家族が「曙海」を渡って北部九州に来ました。3万年前には、北海道から沖縄まで「日本祖人」が拡がり、約2万数千年で2代目の縄文人と呼ばれるようになりました。そんな古い祖先のDNA、生き方を色濃く残していることが、HB抗原からうかがえるのです。

(豪国立大の若手Shimona Kealy博士は、自国の祖先(先住民アボリジニの先祖)史を探り、海を渡った最初の豪州人は当時の環境を分析すれば第1図、定説と違って北ルート(赤)の可能性が高いと発表しました。そしてその時期については、地域の該当時代の状況から海面が最も低く(7~4.5万年前の間で)陸地が拡がっていた65,000年前(既発表の豪北部遺跡の最古年代やフィリッピン最古遺跡の可能性ある年代)と考えられるとしています(The Guardianに掲載)。

人類が、はっきり数十kmの海を越えた例として世界史上の金メダルです。他方、第2図、3.8万年前に黒耀石を求めて伊豆の海を越え、東京都・神津村恩馳島に渡っていた伊豆「日本祖人」は、はっきり「行き来」していたことで世界史上の金メダルなのです。関東から静岡で発見された黒耀石の原産地分析で恩馳島と分かったときは驚きを与え、新聞はそんな大昔の行き来は「謎」と報じました。しかし、南方発の「日本祖人」であること、Kealy博士と同様の分析によって当時の親潮分岐流も考慮すれば、桜名所の河津(縄文の黒耀石工房・見高段間遺跡)~恩馳島~伊豆大島(縄文・下髙洞遺跡)~河津のルートはムリが無く謎でないことが分かります(日本祖代研究会)。

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そして、北上を続け降雪寒冷に適応しつつ津軽海峡を鼻歌で越えた北海道「日本祖人」が、「舟で食豊かな昆布ハイウェイ沿岸から入って行った最初のアメリカ人」(最新説)の候補であることは、謎でも何でもありません。日本人のルーツを大陸だと言ったり、北海道へは沿海州・樺太の方からマンモスを追って狩猟族が南下して来たなどという始まりでないずっと後の時代の説明では、理解できません。Sundalandからの豪アボリジニ、日本祖人は同系の西太平洋沿岸の民であり、最初のアメリカ人(Nativeインディアンの祖先)の候補なのです。


明治~戦後の歴史関係者は、現代に残る諸痕跡から日本人のルーツは南方だとしていました考えていました。その後のDNA分析からアフリカ単一説、1万件を超える旧石器遺跡の発見状況、環太平洋語族説などはこれを益々実証しています。「昆布ハイウェイ説により、今やアフリカ~Sundaland~日本列島~米新大陸南端まで、①千島列島は次々に見えて行けた、②ベーリング地峡沿岸は、北海道とあまり気温に差が無かったことなど、一応のHuman Great Journey が描けるに至っているのです。

しかし、何故か近年の日本の教室ではこのことがボカされ、むしろ「大陸」を強調する誤った教育も見られます。従って、今世界が注目する「最初のアメリカ人」問題に日本から声が挙がっていません。無論、数万年前からのことであり、よく分からないという学者主張も分からないではありませんが、子供たちが日本祖代・祖人について全く教育を受けず、祖先が“原始人”イメージの繋がりの無い人たちであるかのように扱われているのは不適切・歪曲と言うより異常です。縄文時代・人の研究なども進んでいて、基本的な知力素質は私たちとあまり違わないと判断され、ただ自然と共生する“素朴な”暮らし振りであっただけという認識になって来ています。まずは、北海道「日本祖人」を世界の「最初のアメリカ人オリンピック」に参加させましょう、世界に声を挙げましょう。因みに、次代縄文人は記録突破に至らず、鎌倉時代からのアイヌは論外です。


つい去年の一流新聞の記事ですが、「日本祖人」はもとより、縄文人も含めた日本先史理解が支離滅裂です。日本祖代研究会の「最初のアメリカ人」研究報告のせいなのか、縄文時代を古く遡らせて来ていて「16,000年前から」(最初の土器出現)となっています。この時期は、“縄文”土器は出現しておらず「日本祖代」との違いである列島における定住・土器・弓矢の一般化などの変化も未だ無いのにです。

さて、記事の支離滅裂は、「日本祖代・祖人」の概念がしっかりしていないためでもあり、まず見出しと本文が不整合です。そして焦点である日本人は「どこから・いつ」について、「大陸」は誤解を招く誤りで図のように「沿岸」であり、始りの起源に幅などはなく「約4万年前」なのです。そして、驚きは弥生人が外人扱いです。近年、稲作や鉄と弥生土器の時代について、渡来・難民又は交易する海民縄文人がもたらしたモノで採用されて逐次に拡がっていきますが、縄文人と渡来・難民の時代であって、縄文人が“弥生”土器を使っていた側面もあり、そもそも「弥生人」などという者は居たのかという論も出て来ています。日本人がスタバコーヒーを飲みマクドを食しジーンズをはいてコンクリートアパートに住んでいるという訳です。

いずれにしても記事が、「縄文人の祖先」としか 言えておらず「私たちの祖先」の「祖人」概念の無い事 は大きな問題なので す。オリンピックのお客様はもとより、子供たちに我が国始まりの日本祖代の祖人について、”原始人”などではない造舟操舟、陥し穴猟、釣り、広域の交換(易)などや渡来・難民を吸収し姶良大噴火を乗り越え、切れ目なく次の熟成の縄文時代にバトンを継いだ事、まあ、江戸人が明治人になったような(縄文末期は遥かにずっと国際結婚が多かったですが)ことを教えねばなりません。そして、記事は縄文人を「まで暮らしていた」と終わったように書いてますが、とんでもないことでバトンを継なぎ名が変わっただけの事です。オリンピックの機会に、しっかり 右上枠内の 日本先史を伝えましょう。

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