英国では、下図左下の1万年前人骨のチェダーマンや5千年前の物憂い顔の女性の復元で、先住祖先への関心が大いに高まっています。

EU離脱の問題で大揺れですので、大陸と繋がっていた頃の事に関心が向いているのかと言われています。

但し、上図右の日本列島史と異なり、英国の4万年前は直接の祖先でない旧人ネアンデルタール人です。

我が国は、南方発の上図の石垣人に似た人達が、4万年前頃に家族で現生人類の処女地である日本列島に、曙海を越えて来た点で英国と異なります。

九州に来て3万年前頃には北海道にまで拡った、言わばほぼ日本人全員(国籍取得の人を除き)が先住民の子孫です。

アイヌ文化のアイヌ人という事を言えば鎌倉時代頃からですから、日本には世界で言う「先住民」なんて居ません。

最高機関・国会の政治的なアイヌ先住民決議は、学問的におかしく訂正が必要です。

そして南方発の祖先の北上史は、途中の伊豆で世界が驚く舟による島への黒耀石採取の行き来が、3.7万年前頃から確認されています。

にも拘らず、子供たちに国の始まりのこの歴史を教えない、話題の「日本国記」にも2代目の縄文人からしか書けない、学界の先史スルーは、もはや不思議と言うより許されざる異常というべき事です。

今や前回報告のように、北太平洋の「昆布ハイウェイ」が注目されて、「日本祖人」は、「最初のアメリカ人」First Americans かも知れないのにです。

(了)

アジア東海岸地域と北米大陸西海岸は、下図の通り緩やかな弧が鏡面対称構造になっており、例えば調査した海浜性甲虫群集は日本のものとよく似ている(北大 大原昌宏博士)。今、世界の歴史考古学界では、最初のアメリカ人は、「昆布ハイウェイ」(鏡面対称性あり)を舟で来たのだろうというのが有力説です。分かり易くは富士登山で、山頂両側の生態系に鏡面対称性が有り、登って下山するような、しかも昆布ハイウェイの絨毯を敷かれた所を行くようなものだったということです。

それは昆布だけでなく、海獣・海鳥と卵など動植物も豊かで似たような物だった恵みがラッキーでした。そもそも、Sundalandから南米まで、人類の最初の沿岸の移動移住があった(MPOR自説)と考えられます。ハーバード医科大が発見した、南米アマゾン3古部族のDNAが、北米先住民やシベリア民などではなく、Sundaland地域の物に似ているという驚きの発見(直路渡洋はムリ、痕跡なし)も理解できます。

道東の人たちの旅行は、関東・関西でなく北米沿岸が多いとか、日本祖人が招いているんでしょう。問題は、縄文時代・縄文人しか単語が無く、その前の時代の世界の議論オリンピックに、重要な日本が入って行けてないことです。

(了)

「歴しニア」の雑談です。

一月も早終わろうとしてますが、お雑煮はいかがでしたか?

下写真右のようなグルーピングだそうですが、左を見て下さい。

この日本列島は1500万年前に、大陸にくっついていた地域が剥がれて、AとBになって観音開きの扉が閉じるように閉まった所に、南の太平洋から伊豆諸島が前進して来て、扉の所にぶつかって出来上がったものだそうです。問題は、ホラー小説で言えば何で1500万年前の呪いが、今も生きているのかとなります。

実は、4万年前に日本祖人が北上して北海道にまで拡がったんですが、その後の北、西からの人の出入りなどによって一様ではなくなります。

ところが、旧石器の分布から、倭と蝦夷の違いなどの種々の特色が「観音開き閉じとぶつかり」の日本列島の色分けに不思議に合っているのです。

原点1500万年前の呪い、いや「祝い」が生きているのです。

やはりおそらく、気候、動植物や災害含めての種々の影響が、暮らしぶりに残るのでしょう。

1500万年であって、4万年前なんて昨日のことです。

日本史は、「応仁の乱」から知ればいいなんて言ってる先生、傲慢です。餅がのどに詰まりますよ!

(了)

米テキサスで発掘された石器は、2万~1.6万年前で、「最初のアメリカ人」論議の通説である1.5~1.3万年前頃シベリアからと言うよりも古いとArchaeologyが報じています。

2万年前頃と言えば最終氷期最寒冷期(LGM)ですが、今でもシベリアの冬は―60度Cで、死者が出て報じられます。

4万年前頃に九州に渡海し、北上して3万年前頃、北海道に進出して降雪寒冷の暮らしに慣れた「日本祖人」は、プーチンが居ないのですから①食が豊かな「昆布ハイウェイ」を更に北上を続けて行ったでしょう。

②千島列島は、次々に島が見えた。

③ベーリング地峡は、北極冷水を遮断して、南沿岸の気温は北海道と数度違い程度である。

④ベーリング海は、北極冷水が流れ込まない正にハワイに繋がる海だった。

⑤海獣など、海鳥・卵、昆布などの食、そして何よりも北の海で暮らす造舟・操舟が、キーワードです。

などから、「「日本祖人」の初渡米を主張しています。

因みに、渡米のスタート地点である北海道を抱える日本学会は、世界の人類史上のこの大問題に、「縄文人」しか言葉を持たないため参加できていません。

先ずは、呼び返せ父祖の築いた北方領土!

(了)

現生人類がアフリカで誕生(30~20万年前頃)し、出アフリカ後、欧州正面に比して豪・ニューギニアへの進出が、舟(筏)を必要としたにも拘わらず早かった事は世界の学者の共通認識です。

下図の注目点は、出アフリカ後のAとSundaland地域のB(インマレイド種)の皮膚の色は、当然にして人類進出の飛び石ジャンプは有り得ませんから、その始まりは南インド・豪・ニュージーランドと同様に濃い・中位の茶色(これが元来)であった事です。

そしてA,Bは北上して行きましたが、いかにその後のコーカソイドとモンゴロイドの南下の影響が強かったことかが、図の薄い茶色に表れています。それだけ暖かく食料などの魅力のあった地域でもあるのです。

さて、日本へは、A―>B->Cと渡って来て、渡来が4万年前頃、ほぼ列島中へ拡がったのが3万年前頃と旧石器遺跡の分析から分かっていて、異論は無いでしょう。

この程度の事を少なくとも有力な説として学校で教えないのが不思議です。

例えばアイヌの議論も、先祖がこの頃から居たのならば私たちと同じですし、その後の時代に北から渡って来たならはっきり「先住民」では有りません。

要は普通に流れを考えればよく、島国であることから世界でも恵まれてかなりはっきりしている民族の始まりの歴史であるにも拘わらず、無用に「分らない」と言って何も教えず、一部の者が政治的な歴史観を主張して誰も異論を表明しないのが現下の大問題です。

縄文人は何処から?などと言う人さえおりますが、ゆっくり時間が流れていた「日本祖代(2万数千年)」の次の代ですから、何処でもない日本列島からに決まっています。

また、史界をリードする欧米学界が、アジア、太平洋地域の人々を簡単に新旧「モンゴロイド」で片づけるのも、いい加減な粗雑な分類区分と言うより、もはや南方軽視の偏見と言うべきものでしょう。

(了)

長~い我が国の歴史、九州人でも「先住民族」だなどと言う人は居ないでしょう!

政府は、アイヌを「先住民族」だとするそうですが、全くの驚きです。

列島中の1万件を超える旧石器遺跡の状況から、日本列島現生人類の始まりは、海を越えて九州にやってきた4万年前頃という事で学界に異論は無く、3万年前頃には北海道にまで拡がっていた(「日本祖代」前期)北上史です。

その後、特に2万年前頃の最終氷期最寒冷期(LGM)前後を含め列島には北から西から入りが有り(出戻り含む)ました。

一方、アイヌに特徴的な暮らしぶりは「北」から「鎌倉時代頃」から入ったと言われています。

因みにアイヌ自身の中に、北海道に背の低い先住者が居たが、千島列島の方に逃げ去ったという伝承もあります。

「先住民族」とは、「大航海時代以降、主としてヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオセアニアの地域で初めて接触した諸民族を指すもの」が世界通念ですが、アイヌの状況は違います。

迫害されたアイヌは白人の要素があると共感を寄せる欧米人もいますが実証されておらず、上写真のようにアイヌの犬はDNAが南方系だと吠えています。

長~い歴史を有する我が国において、学問的に実証されていない、世界に誤解を与える「先に住んでいた民族」の語の使用に、誰も公式に異論を唱えない学問空間は大問題です。

先生方、①アイヌの先祖は私たちと同じ日本祖人・縄文人ですか?それとも②北から鎌倉時代頃にやって来たんですか?と言う訳で、いずれにしろ世界通念の「先住民族」では有りませんね。

学問的に成り立ちませんから、むしろ国会は、先ず「先住民族」の語を外した「アイヌの人権、伝統文化の尊重を求める決議」に件名の過ち(平成20年6月6日)を正すべきです。

(了)

明けましておめでとうございます

いよいよAI時代の幕開けですので、AIやサルとヒトの違いを考えています。

最古の現生人類は、独研究チームがモロッコで発見した人骨(多少の議論有り)で、場所は海岸から40km位東方に離れた洞窟(標高約600m)です。

その海岸サフィが随一の貿易港というジブラルタル海峡の南の地域であり、南ア海岸洞窟と共に私は注目してしまいます。

実は日本のご先祖様を考えますと、海辺の知的進化・出アフリカ―豊かなSundaland―早い時期の豪州渡海―北上して九州渡海―伊豆・神津恩馳島への渡海の行き来―北海道への渡海進入と海絡みが注目されるのです。

海に入る、海産物を食す、海辺で暮らす、舟(筏)で海を渡る、などは森のサルと決定的に違う歩み出しと思うのです。

つまり、家族で九州に海を渡って来た段階で、既に進取の気性ある相当の知的レベルにあったのです。

このことが、日本文化・文明の始まりの基層であり、日本祖代から次の2代目の縄文時代以降にも確実に継がっていると考えています。

引き続きマイペースで研究に前進して参ります。

AI時代の温故知新のご参考まで。

(了)

インドネシアの「歴しニア」である盟友Dhani Irwantoが、Sundalandについて研究し、このほど書籍になりました。

19世紀末に、欧州人科学者によって東南アジアの海図作りが進められました。

1921年、蘭人地質学者の Gustaaf Molengraffは、広範囲の海底に何本もの河筋が有るのを発見してかっては大陸地であった事を明らかにし、1949年、 Reinout Willem van Bemmelen が「スンダランド」と命名しました。

7万年前~7千年前頃までのこの過半が沈んだ大半島陸地は、正に出アフリカ後の最初のアジア人の故地と考えられる地域であり、「インマレイド人種」の存在と暮らしを想定するものです。

人類は南から北に移動移住し、降雪寒冷の地の暮らしに適応して、目・顔・体形などが変化して「モンゴロイド」が生まれましたが、最初の人たちを古モンゴロイドと呼ぶのは適切では有りません。

既にアジアでは、人の歯型が、南のこの「スンダドント」型と北の「シナドント」型に分かれるのは知られています。

そして、アジア人始まり時代の南方の海・川辺の暮らし振りと降雪寒冷の内陸狩猟族の暮らしぶりは異なる事にも着目すべきです。

スンダランドの人たちは、先ずは、豪州に舟で外洋を渡った世界史上の初めての特色を有する人たちなのですから。

そして、我が国始まりの「日本祖人」は、ともかく4万年前頃に家族で舟に乗り九州に渡って来て、北海道にまで拡がった人たちで、3.75万年前頃には伊豆・神津恩馳島に舟で黒耀石を採りに行っていたことが確認されている人たちなのです。

そして、こちらでも上図の沈んだ「北東ア平野」が、「曙海」が我が国の始まりを認識する重要な当時の状況なのです。

即ち、スンダランドや北東ア平野は、父祖の現生人類史の始まりを正しく理解する「補助線」なのです。

(了)

 

いよいよクリスマス、そして年末ですね。

さて、クリスマスと言えばイエス・キリスト様ですが、下図のように英人医療アーティストがその復元を図り、世界に衝撃が走りました。

しかし、前回お伝えしましたように、白人(実際は薄い褐色、髪は黄色)のコーカサス人種が、聖書の「ノアの方舟」話に依拠しなくすれば、衝撃でもなんでも無く納得しうるものです。

世界の学界をリードする欧米が、このキリスト像をベースに、ノアの方舟話を外して考究すればと思います。

こんな事は、アジア史も全く同様です。

新・旧モンゴロイドしか用語が有りませんが、少し考えれば分るようにモンゴロイドが北に降って湧く訳は有りません。

出アフリカ後に、歩いて行ったルートが有るのです。

それは出アフリカ・ネグロイドから直接的にか、上図の「インマレイド」から北上し、降雪寒冷適応を果たしたものです。

日本人の祖先は、4万年前頃に列島に舟で渡って来て拡がった「日本祖人」ですが、その人と暮らしぶりを考究するには、この「インマレイド」を認識することが大変重要で、世界人類史の考察においても意義深いと考えます。

この「インマレイド」は、下図の東南アジアの大昔の大半島陸地であるスンダランド(パンカル半島)の過半が沈んでしまっている事が有ります。

また、その後の歴史においてモンゴロイドの南下の影響が大きい事などから十分にその意義が認識されていないようです。

まさか、その地域は、学界をリードする欧米諸国の植民地だったからという事は有りませんよね。

ともかくアジアはモンゴロイドというのは余りに荒っぽ過ぎで、歯だって南北2つの大区分ですよ、と、先生方に噛みつきます!

Merry Christmas & Happy New Year!

(了)

氷河期の寒冷乾燥でアフリカの森が縮小してサバンナに出たサルは、危険な地で直立2足歩行と肉食化したのが大変化で、脳が進化したヒトに成りました。

10万年前頃から①南アの海岸の全く異質な海辺で暮らし始めたネグロイドは、貝ビーズや色彩装飾などの知的進化が見られ、遂に数万年前に②浅い「海」を越えて出アフリカを果たしました。

この時期は、先着の旧人との遭遇が脳に影響を与えたと考えています。

氷河期でしたし北上や西進に比し気候変化が少なかった東進は早く、③東方の楽園暮らしと言っても良かったでしょう。

但し大型獣だけでなく火山の噴火と地震津波との遭遇という地域の特性が、知力・精神性にも大きな影響をもたらしたでしょう。

豪州へ舟(筏)で渡り、そして北上し、戻りの西進も有りました。河川を遡行し沿岸を北上したグループは4万年前頃、海を越えて日本列島に進入しました。

そして、西の方からか東の方からか更に進んで行きついたのが、④雪と寒さという大変化でしたので、目・顔・体つきが降雪寒冷適応の変化と知の進化ももたらしました。

他方、出アフリカから大西洋に行きついたラテン系の人々と黒海東方から来た人たちは、深く暗い寒い「森」に遭遇して白人化しサングラスをかける、今の世界の基本が出来ました。

その後、新大陸に渡って南米まで拡がるとともに、広大な太平洋に漕ぎ出し、やがて他の領域に侵入する状況となって今も争いは続いています。

サル時代から考えると海を渡る、洞窟に絵を残す(インマレイド発?)などは画期的でした。

しかし、弓矢とは決定的に違うAIを使うヒトに襲われないためにも、基本が形作られた万年前までの始まり時代に遭遇した大変化が、脳に暮らしにどう影響を与えたのかを見つめて考えることは重要です。

その後、人そのものはそんなに進化していませんので。

(了)11D29i日

大学の教室では、今も古・新モンゴロイドという語が使われていますが、それは欧米学者によるコーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドといった人種分類によります。

その元は、200年前のドイツの動物・人類学者ブルーメンバッハの5分類、コーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種)、マライカ(茶色人種)です。

その後、欧米学者が、東南アジアのマレーでなくモンゴルをアジアの代表にしたのは、人口数のためか、はたまた彼らの心胆を寒からしめた印象深いチンギスハンのためなのかは分かりません。

現代から見てもエチオピカは鋭い分析ですが、下図のとおり、出アフリカ黒人が、そんな短距離のコーカサス地方でコーカシア白人になる訳はなく、聖書のノアの箱舟が見つかった(これ自体、ウソ)という理由です。

更に、この白人が基本であって他は退化したものという酷い認識でした。

ハッキリしているのは、インド、マレー地域の「インマレイド」で、出アフリカの痕跡が今もネグリトやアボリジニに残っています。

問題はモンゴロイドで、出アフリカ後にホントに徐々に変化して黄色人種になったのか疑問であり、その移動経路上に痕跡は全くありません。

インマレイドが、モンゴロイドになった(A”)とも考えられるのです。

我が国は、あくまでもインマレイド系(A’)の基盤の上に、時代が下ってB-1、B-2が加わったものですが、あたかも3者同時・同等混合のように誤解を招く図も見られます。

話題の長江稲作文化、日本語との共通性が言われるタミル語、あるいは人が近しいというチベット、雲南なども皆、インマレイド系であり、驚くに値しません。

その後のB-1渡来の影響は大きく、北部に限られたB-2の影響もありますが、現代に至る人々の文化はインマレイド系が根強いです。

それはやはり、4万年という長い日本史の90%を超える期間に受け継がれたものはそんなに変わらないからでしょう。

独特の言葉、入って来た文字も仏教も欧米文化も変容させ、キリシタンを限定した根強い「日本教」基盤の厚みがありました。

国の組織などは兎も角、人々と心理は先ず「インマレイド」を基礎に考えましょう。

近年、ハーバード医科大が、アマゾン流域の古い部族に「インマレイド」を発見して、世界を驚かせていますが、日本列島を経て渡って行った可能性が十分あるのです。

アジア人として、もう、何でも古・新モンゴロイドと言うのはやめようと世界の学界に言いましょう。

(了)

 

世界の学界が、〇万年前という大昔の祖先の暮らしを探って時に騒ぐ一つの訳は、猿たちと何が、いつ、どれだけ違っていたのかという事があります。

人骨・石器と言わず、洞窟で絵が見つかれば、釣り針が、いや糞が見つかっても驚きの騒ぎです。

今、トルコで見つかった「ギョベクリ・テペ」遺跡が、石器時代人に対する世界の認識を一変させるほどのものとなっています。

さて、大きな無人島に初めて外洋を越えて多くの家族が舟でやって来た我らの祖先については、世界が注目する事象ですが、それがどうしたの?という方もいるでしょう。

しかし今、AI(人工知能)が登場してきて将棋などの名人を負かし、ニュースを読み、姿かたちを替えて工場でオフィスで様々な所で活躍し始めています。

そして、近いうちに家庭に入り込んできます。

こんな時代ですから、実は猿と人の違いを見つめる事は、重要な意味を持ってきています。

何故なら、歴史的に見てAIとは何者か、AI開発はどうあるべきか、そもそも全ての人・子孫が幸せに生きていくにはAIとの関係において、私たちはどうあるべきかを明らかにすることが課題ですから。

大変だあ~と巷では言ってますが、祖先も大変な変化の時代を何度も乗り越えてました。

(了)

最初のアメリカ人は何処から、誰だったのかが議論されており、そのルートについての従来の定説は覆って、ベーリング地峡をマンモスを追ってではなく、南岸の「昆布ハイウェイ」から舟で来たようだとなって来ています。

我が方は、4万年前頃という時代の議論の精度として下図で大筋良く、何よりも十分意味が有ります。

分かり易く印象的に最新の石垣人復元図(2.7万年前頃)で表現しています。

野尻湖遺跡が古く現生人類だと分かった、来着は八重山の方がいや五島が早かったといった種々の議論は有り得ますが、はっきりすれば修正になります。

問題はそういう事ではなく、次のような事です。

網野善彦対談集3海と日本人(260ページ)岩波書店(2015年3月20)から。

網野 「日本」という国号は七世紀末に決まるんです。それ以前は「日本」ではありません。倭人はいても「日本人」は存在しなかった。聖徳太子自身、自分は倭王と言っているわけですから。これを日本人などと言うのは・・・・・・。

姫田(忠義 ドキュメンタリー映画監督)失礼な話ですよね。本人はそう思っていないのだから(笑)

世界の歴史学者さんに縄文人は何人かと訊いたら、日本人と答えるでしょう。では、その父、祖父、・・・は、と訊くのは愚問です。

因みにインドネシアの古老は、「お前は曾祖父で終わりか、オレたちは8つ前まで名があるぞ。お腹の子だって、毎月の名が有るぞ」と言われました。

さて、標題で答えたら、入試に落ちるんですか?

それよりも聖徳太子に叱られると思います。近頃は、日出る国の民と言ってないじゃないかと。

(了)

私たちの祖先が、氷河期に裸一貫でアフリカの地を出た現生人類(新人)であることは世界の共通認識(時期は10~6万年前で諸説)です。

その後、日本列島に至るルートは、下図のA、B、Cが挙げられていますが、Aの可能性が高いでしょう。B、C地域の遺跡はAからの河川の遡行の可能性も考えるべきです。

そして4万年前頃の「曙海」のほとりですが、今は沈んでいる「北東ア平野」を考慮すれば、西岸の沿岸地域から、海を越えて緑豊かな九州に達し(八重山へ渡洋し北上するのは、長距離の慶良間海峡越えが難しい)ました。

海水面最低下の2万年前頃でさえ西岸と陸で繋がったことは有りません(!)でしたので、多くの家族が舟(筏)により渡洋して来ましたが、当然に「先住民」(現生人類)は居ませんでした。

祖先は日本列島中に拡がり(「日本祖人」)、その後は特に2万年前頃、北は陸伝いに、南は海を越えて大陸内部の渡来者が来て含め、やがて縄文人と呼ばれることになりました。

世界の認識では縄文人は日本人であり、その父・祖父・曾祖父・・・の「日本祖人」もまた当然にして日本人です。

全ての日本人は、単に渡洋の時期が違う先祖の子孫または最新の本人です。

なお、発見されている最古の祖先の痕跡(通説)は、列島中央部の黒耀石の石器(3.75万年前頃)ですが、降臨したのではなく九州から北上した人たちの物です。

さて、下図の祖先の①を日本人と言えば、世界から笑われます。②を日本人と言えば、隣国から怒られます。外洋の海を越えて来た③の八重山・対馬~北海道の「日本祖人」を日本人と言わなければ、ご先祖様から叱られます。

私たちの「祖先」は、時の始まりと地域の線引きが分っている世界史上とてもユニークな、4万年前頃からの長~い日本史の創業者なのです。

どんな会社の社史でも、先ず創業者を見つめます!

(了)

欧州で続く大問題は、ネアンデルタール人(45~3万年前)と現代の人々との関係は何であったのか?です。

そして、最新の研究結果では、ネアンデルタール人と現代に繋がる現生人類には、はっきり交雑があった(6~3万年前の間の共存)というものです。

即ち、欧(米)人の血には何%かのネアンデルタール人のモノが入っているということです。

ネアンデルタール人は、体つきや脳の大きさはむしろしっかりしていて、言葉も舌・喉構造からある程度発声できたし、埋葬も見られました。

が、流石に洞窟絵などは無く(舟を漕ぐことも無く?)知力の点で劣ってましたから、寒さ環境への適応力が不十分な自滅だったという事のようで、3万年前頃に絶滅しました。

つまり、現生人類との闘いに敗れ去ったというそれまでの史観が覆って来たようです。

ところで、アジアでは、ネアンデルタール人に相当するデニソワ人が、豪州先住民に4%くらい混じっていて、こちらでもこの問題は注目されています。

他方、3万年前頃と言えば、下図のように日本では鹿児島・姶良の大噴火が特に西日本に大きな影響を与え、火山灰の痕跡は東北でも発見されています。寒さも厳しかったでしょう。

逆にシベリアのマンモスなどは温暖化によって20時間は食べ続けないといけない寒冷乾燥地の草が減り、冬は湿り雪の吹雪で折角の毛が濡れて凍るなどにより絶滅に至ったようです、無論、人間の狩りも影響したでしょうし。

絶滅と言えば、6500万年前に海岸付近(運が悪かった)への彗星の衝突により舞い上がった塵が太陽光を遮り、恐竜を絶滅させたという話も理解しやすいものです。

さて、再びネアンデルタール人話です。

7万年前頃のインドネシア・スマトラ・トバの大噴火は、世界史No1級の大変なもので火山灰はインドでもしっかり発見されています。

当然にして年単位の寒さがもたらされたでしょう。7万年前頃はそれでなくても、東南アジアSundalandが海水面低下で地上に現れた寒さでした。

トバ大噴火せいだったのか、それとも更に加わったのかはよく分かりませんが。

この7万年前頃(現生人類は、欧州に未到着でした!)を生き延びたネアンデルタール人が、最寒冷期LGM2万年前頃でもない3万年前の寒さを生き延びれなかったという説明はちょっとなあ、なんです。

我が「日本祖人」は、狭くなっていたとはいえ、降雪寒冷の北海道に入って行った頃だったですから。

やっぱり自滅じゃなく、現生人類との食料獲得の闘いに敗れ去ったんじゃないですか?

欧州先生、インドネシア・スマトラ7万年前頃や北海道3万年前頃にもちゃんと目配りされてますか?

(了)

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