「歴しニア」報告 日本特有の白血病ウィルスが渡米を示す!? Facebook:Nara Akira
Virus HTLV-1type is an old ancient one of 4 types and indicates human migration to American con tinents through Japan, Pacific Ocean Rim in Paleolithic era !? This virus indicates that human migration to America happened through Japanese archipelago. https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
日本に特有の白血病を起こすヒトT細胞白血病ウイルスHTLV-1型のウィルスキャリアが、不思議に南米アンデスの古い高地族など隔離性の強い所や島に今も残っていますが、日本でも縄文遺跡が多くある所で発見されています。

既に当サイトで報告のとおり、日本祖人ー縄文人の多くの家族が万年の昔にベリンギア南岸ルートでアメリカへ渡って行ったと考えられますが、このウィルスもそれを示しているものと考えられます。

このことはまた、現生人類史において、東南アジアから赤道沿いルートで痕跡の全く無い直路南米に進出したものではなく、正に日本列島を経由したことを示している貴重な痕跡でしょう。

(了)

厚切りジェイソンJason君、 日本には4万年前からの長い長い歴史があるんだよ。

そんな昔、伊豆の神津島(黒曜石の産地)に小舟で行き来してた日本祖人が、最初にアメリカ大陸に渡ってるんだよ、多分。

3万年前には北海道東岸に至り、冬の暮らしにも慣れた。そこで止まって、無人で食料豊かなのに北上しないのは不自然だよね、国境はないから。

ムリにはいいけど知っといてね、元気で頑張って!

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
There are very rich historical Paleolithic sites in Japan 40-30,000 BP, those indicate human development from Sundaland to American continent, north and south, in ancient era.

話題の米人厚切りジェイソン君に紹介しました。何しろ最初に現生人類がアメリカ大陸に渡った問題に直結してますので。日米友好の一端ともなりますし。

そして、改善すべき差別・人権問題はあるかもしれませんが、長い長い歴史を有する我が国に「先住民」と呼ぶべき問題は有りません。「先住民」国会決議は誤りです。

(了)

「歴しニア」の報告(ケネウィック人 第1報)https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
Kennewick man indicates of needs to divide this regional ancient tribes into either Siberian hunter or Coastal sea tribe from Japan. Siberian hunter was main tribes and got into South America,too.

下図 シベリア狩猟系が主であり、南米にまで入って行っています(略)。


米北西部ワシントン州のコロンビア川で発見された9千年前の人骨(右臀部骨に矢じり残り)ケネウィックマンが、先住民の人たちに渡されて古式に則り埋葬されたというニュースが飛び込んできました。

1996年の発見初期に鑑識医・人類学者等がコーカソイド(欧米系)かアイヌかポリネシア系かなどと言ったことと法律の通り地域の先住民に返せということなどから、騒ぎと調査になりました。

最近のDNA分析により、一致する例はないが、エスキモーの人たちと違う、まあ、地域のケネウィックの調査に応じた現在の一部族の人に近いとの結果を裁判所が認め決着しました。

問題はこの人骨が、人類史の流れと9千年前の混血状況を想像すれば十分に「日本祖人」・子孫も混じった可能性のあることです。

調査において、A:海浜系、とB:シベリア内陸狩猟系の区分視点及びその視点での試料整備がしっかりあれば、間接的にでも「日本祖人」・子孫の渡米を裏付ける事が出来たのでは思われることです、誠に誠に残念ですが。

なお、3億円事件の教訓などからケネウィックマンのモンタージュ例は控えます。

(了)

歴しニアの報告 https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
New theory of ancient “Human Journey”along Pacific Ocean Rim

Facebook:Nara Akira
今、世界で最も良い認識が得られると言われる鳴川地図に現生人類進出の状況自説(当サイト)を展開しました。

列島で日本祖人が4万年前に世界のバトンを受けて送り出した時期が概ね把握されていることが素晴らしく、我が国の学術努力が貢献しているものと考えています。ーCool Japan

あの時代の列島に多くの家族が危険を冒して操舟し渡海してきた(内陸の大型哺乳動物狩猟の民族と異なる)点を我が国の成り立ち上、重く考えています。

それが南米南端までバトンが継がれた事由だろうと。

(了)

建国記念の日に。

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Facebook:Nara Akiraにも投稿

今次、安倍首相の訪米において、ドナルド・トランプ大統領は、「日本は豊かな歴史と文化を持つ誇り高い国である。アメリカ人は貴国とその伝統に深い敬意を抱いている」と語ったそうです。
報じないメディアは、何か理由があるのですか?建国記念の日に不思議に思います。あれほど選挙報道で失敗し反省したんですから、意味ある事実は目を向け伝えましょう。
長い長い間の熟成の歴史を有する我が国の記念すべき画期の誇らしい記憶遺産も子・孫に語り伝えていきましょう(歴しニア)。

「歴しニア」のこぼれ話—我が国の始まりは、東亜地中海の畔(ほとり)

当サイトをご覧の方は既にご存知ですが、標題の内容をFacebook Nara Akiraに投稿提起しました。(本記事の字の何故かの濃淡は意味ありません。facebookに加えた分です。)

4万年前頃、海水面は数十m低く東アジア平野があり、我が国により囲まれた東亜地中海の畔で海産物を主に食す「海の民」が育んだ暮らしが原点です。

我が国へは外海を越えて、容易でない操舟による幾つもの家族の渡来が必要でしたので。例えば、沖縄の糸満の人たちやアリューシャン列島のアレウトの人たちの海の民として生きる、今に伝える厳しい鍛錬の痕跡からも窺がえます。

さて、始まりの主ルートは、上図の①台湾正面から八重山Bか、更に北上して②北部東アジア平野から北・北西九州Aか、我が国への一番乗りは大変興味あります(いずれも町興しに宣言出来ます。肯定も否定も学者先生はしないでしょうから)。

トカラCは、当初の学説では動植物状況から島での持続的な生活は厳しかっただろうと言われましたが、その後、植生状況も良くて暮らせただろうということのようです。

厳しい黒潮流越えがありますが、あり得たかもしれませんね。この場合は、南九州は有明ルートでなく南西諸島ルートとなり、かつ、相当の外洋航海力があったことになります。

3万年以前に伊豆神津島の黒曜石取りに渡海し頻繁に行き来できてますので、「海の民」の実態は大変興味深いことです。

主ルートは、渡海の難易や現在発見されている旧石器時代の遺跡状況などから、個人的には後者の図Aからかなと考えますが、実はたいした問題ではないでしょう。

いずれにしろ今と全く違って緩やかに歴史が流れていたあの時代、畔は似たような肌の黒い小柄な人たちによる似たような海辺・川辺の暮らしぶりでしたので、まずは九州に拡がっていった始まりの日本祖人像に大きな違いはなかったことでしょう。

決め手は、東亜地中海のほとりの「海の民」の暮らしぶりでしたので。

その後、日本列島の今よりも拡がっていた沿岸地域を北上して行って、約1万年かかって北海道太平洋岸に至ってますが、後半の寒冷降雪に慣れるのに時間を要したのでしょう。

つまり、3万年前頃、我が国ほぼ全域の沿岸地域で、外洋の渡海を果たした当時としては高度の知識・技能を有する「海の民」・子孫を主とする我が国の原風景が形成されたことが重要です。

真の遺跡は海中ですが、島や沿岸に残された古い遺跡から窺がい知れます。黒曜石産地で豊富な遺跡群でも有名な遠軽町白滝、その古さから日本祖人が大平洋岸の十勝、釧路の方から回って行ったものと考えています。

実はこれらのことは、大陸内部で大型哺乳動物を狩猟する人たちの生活との対比において大変重要な意味を有するものと考えています。DNAの変化問題もありますし。

さて、南から更に人の流入が続いている中、2万年前頃には大型哺乳動物を狩猟する人たちが陸続きの北海道へも稚内から南下して入って来ました。

この狩猟民族は、当然にして西からも入って来てますので大きな変化をもたらしました。

温暖化した状況での1.65万年前頃からは縄文時代と呼ばれていきます。何故、こんなに古い時代に日本で土器が登場したのか? 私は、温暖化によって生ものが腐りやすくなった、採集植物と組み合わせした、煮炊きが契機なのではと思っています。

そして当時の世界的なグルメだったのではないかと。

2.9万年前頃の南九州の姶良大噴火は、始まりの頃の日本祖人の生活に実に大きな痛手を与えた日本祖代の誠に残念な大事件でした。しかし、この大苦難を乗り越えたことは良い影響もあったと言えるかもしれません。

その後も、種々の人々が主に海を越えて入って来て海辺・川辺から全域へと文化が積み重ねられ熟成されていった長い長い独特の歴史です。

恵まれた日本列島に南・西・北から人が入ってきますが、通過して東の太平洋にどんどん流れていくことの無い、基本的には溜まる一方と言ってよい熟成という点が他所と異なる国柄を作った大きな特色と考えます。

まあ、このくらいの事は、子供たちに教えて良いのではないでしょうか。仮に大きく違う遺跡が発見されるようなら修正すればよいですから。通説を覆した驚きの三内丸山遺跡による縄文時代観の大修正も学界は行っていますから。

奇しくも建国記念日に記述しました。

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

「歴しニア」の報告 https://youtu.be/BGrhO1ntyYo
何故、ブラジルの11,500年前の古い女性Luzia人骨に関し、諸説ぼんやりではっきり説明されないのか?

それは、東南アジア―日本列島―千島列島―カムチャッカ半島東岸ーベリンギア地峡南岸ーアメリカというルートを考古学的な遺跡・遺物をもってはっきり実証できないからでしょう。

そうであっても、始まりと終わりや断片証拠から理論的に説明すればよいのにと「歴しニア」は考えます。証拠が見つかって必要があれば修正すればよいと。

そのことに加えて次のような点があるからなのではと考えています。

①4-3万年前の日本列島全域にわたる豊かな旧石器遺跡群に対する認識が乏しい事、②北海道太平洋岸からBeringia地峡の南岸回りは実は想像に反し、最も寒い冬の気温があまり変わらないとの認識が乏しい事。

そして、日本祖人が北海道太平洋岸の冬の衣食住生活に慣熟してからアメリカへと、食料に恵まれた地域を拡がって行った。

また、北海道に至る前に既に伊豆の神津島に舟で行き来して黒曜石を採っているなど熟練の「海の民」だった、などという事も。

当時の気候、寒暖の変化は今では想像が出来ないくらい揺れ動いていましたので、動植物の状況などに関して確かにはっきりしない所はありますし、何しろ期待される遺跡は海水面が数十m以上上昇したことで海・川中であるので実証が困難なことです。

特に、Beringia地峡によって北極海の冷たい海水がベーリング海に流れ込んでいませんでしたのでその影響がどうであったのかということが有ります。

しかし、既にこのサイトでは説明してきましたが、状況を推測すれば一応渡って行った可能性があったと言えると思います。

やはり、欧米の人たちに日本の旧石器時代の状況の認識が不十分なのではと感じます。

また、明らかに広範な諸学の共同研究を必要としますので、組織化や予算の面で説として打ち出すまでのものが難しいのでしょう。

それでも、子供たちに縄文の遥かに前の4万年前、文字通り我が国の始まり、開闢はこんなだったと思われると教えることは重要だと考えます。

というのは島国のため、生活習慣や精神風土が、4-3万年前にしっかり原風景が形作られてその後も外から次々に入って来るものを途切れることなく受け継ぎ、熟成してきたものと考えるからです。

(さて、欧米の人はまさか、ロンドン子午線の地図を見て育ってるんで、最右と最左の両端繋がりなんて思い至らないよとは言いませんよね。冗談ですが。)

Luzia was similar to Negroid, not to Native Americans, neither to Siberians, Eskimos. It seems that the migration route was Pacific Ocean rim (RLPP theory).
Ancient historical situation of Japanese Archipelago and around Beringia supports the theory.

(了)

 

 

 

「歴しニア」の報告 https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

比、ニューギニア、マレー、アンダマン諸島等に居る肌の黒い大昔の古い種族と同様の種族が、初めて欧州人が米加州西海岸に来た頃(16世紀、おそらく19世紀初頭までは)、エスキモーや近隣北部のインディアンと全く異なる古い暮らしぶりでひっそり居ました。(以下、Chris MacNab:The Native American Warriorを参考に)

アラスカからカリフォルニアに至る細い沿岸地域の人たちは、はっきり内陸の人たちと違っていたようです。

18世紀末のスペイン人が、その太平洋岸海岸線に沿って伝道所を次々に設立しましたが、持ち込んだ伝染病によって大量の先住民が亡くなっています。大変痛ましい残念なことでした。

さて、万年前に東南アジアから加州に大平洋を直路、あるいはアフリカから大西洋をアメリカ・西海岸にまで渡ることは歴史的に考えられず、日本列島~千島列島~カムチャッカ半島東岸~ベーリング地峡南岸経由の南下と考えられます。

一般に米Nativeインディアンはシベリアからとされてますが、シベリア内陸~東部における長期の寒冷降雪地適応による変型を考えれば黒い肌は考えられません。多くの欧州人は、8千年くらいで白くなったと言われています。

下写真の米加州祖人は、4万年前頃、南から北海道太平洋岸に拡がって行った(3万年前頃)我が国始まりの「日本祖人」の子孫であり、逆に我らのご先祖は、身長・顔つきなどはともかく(江戸の子より今の子は長身)、肌の黒い人だったことになります。

そして、南米アマゾンにまで拡がりました。海水面数十m以上の上昇でその生活痕跡は殆どが海・川中ですが。Original black people of Africa prevailed to Sundaland, Japanese Archipelago, Beringia and California, then to Amazon.

 そして、昔を伝える肌の黒い人たちを描いたこの一枚の絵から、現生人類の展開に関する諸状況を考察しますと、日本列島経由説は理論的に無理なく(https://youtu.be/BGrhO1ntyYo)理解しうるものと考えます。
(了)

番外 こぼれ話2

カテゴリー: 最新情報,こぼれ話

歴しニア報告
4万年前、現生人類による我が国歴史の始まり時代の日本祖人が、九州から北上しやがて北海道太平洋岸、千島列島、カムチャッカ半島、ベーリング地峡からアメリカ新大陸へ進出・展開という当サイトの説に対し、Atlantis歴史グループ員から良い反応がありました。同好の輪の拡がりです。
Nara Akira: Ancient human Great Journey to Japan in 40,000 BP, then to American continent had started from Sundaland area, where the kingdom of “Atlantis” seemed to be existed later, around 11,600 BP. https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

Suncana Diana Purbasari :Yes Nara Akira important piece of the puzzle! Thank you.

番外 こぼれ話

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AtlantisグループのFacebook記事にインドネシア科学研究所の有名研究者などと共に名前が紹介されました。

Breaking.. Part 1 New Interview with Carmen Boulter and Dark Journalist. Daniel Liszt
Latest developments Ancient Atlantis Culture related to Ancient Egypt. Connecting the dots.
Antonio Santos Chaedar Saleh Ahmad Yanuana Samantho Bruce Cunningham Dhani Irwanto Danny Hilman Natawidjaja Chris Dunn Nara Akira Lina Martha Roz Berekoven Ne Wilson

当サイトのこれまでの日本祖人のアメリカへの進出、拡がりに関連し、Nature Researchが、アフリカを出た人類の拡がりについて遺伝子面からの興味深い研究成果を発表しました。東南アジアの沈んだSundalandや4万年前からの日本祖代・祖人(旧石器時代)の歴史に関しては、アジアの当サイトの研究内容などはよく認識されていないようですが。(同様内容はFacebook:Nara Akiraにも掲載)
Very interesting Nature Research study, but it seems that Sundaland and ancient Japanese history from 40,000 aren’t well known to them. See my this timeline on that matter in youtube, please.

 

Nature

In this Review, published in the Nature Insight: Frontiers in Biology, Nielsen et al. highlight how analysing the genomes of both modern and ancient individuals

もっと見る

Nature Insight: Frontiers in Biology
NATURE.COM

カナダ東部CanadaのモントリオールMontreal大学チームが、アラスカにおける発掘調査によって通説を大きく換える、人類の北米大陸進入をベーリング地峡Beringiaから24,000年前BP頃とする研究成果を発表しました。

我が研究のアップ内容と同様の進入説です。

成果を伝えるFacebook記事では、最初に進入したのはシベリアSiberiaからの寒冷降雪地適応の狩猟民族タイプのようですが、北海道太平洋岸から千島列島経由の南方「海の民」型と区分した言及はありません。

当サイトは、これまでの学界の研究で言及されることの無かったこの区分を重視しています。DNAが、そして生活態様が異なるからです。

尤も、遥かな時を経てその痕跡を留めていないように見られますので、現代においてそれを実証しうるかとなると大変厳しいですが、理論歴史考古学においては意味があります(ま、かっての相対論やダークマターDark matter説登場などのように)。

因みに、北米から南下したと考えられる南米のアマゾンAmazonで見つかった古い3部族のDNA(Harvard Medical Schoolによる)は、既に当サイトでお伝えしております通り、後者タイプです。

サイト:新風アジアの楽園 https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

The timing of the first entry of humans into North America across the Bering Strait has now been set back 10,000 years.
WWW.PASTHORIZONSPR.COM
Bob Newton Question is, how many people have stepped on the continent thinking they were the 1st ones? 😉
Nara Akira
Nara Akira Initially, reconnaissance of a few men, I think. Then groups of family 2-500 people at least, then more and more. Motivation might be domination of new plenty food, I think. Situation of Bering sea was different from now, because cold water of north pole sea didn’t come flow in, stopped by land of Beringia.
Bob Newton
Bob Newton Roaming the planet looking for a safe place to live?

Nara Akira
Nara Akira Primarily, domination of new plenty food, mainly sea animal fish shell bird weed, I think. Coastal life around Bering Mediterranean Sea(BMS) , then prevailed to inner land along river.

当サイトでは、パンカル半島、パンカル湾として地域を記述していますが、インドネシアの友人Dhani IrwantoがSundalandに関して出版の告知をしました。

現生人類の環太平洋における進出、拡がりについての我がRLPP論の始まり(パンカルPangkal)の地域の歴史状況をまとめる興味深いものです。

自動代替テキストはありません。

Hopefully this can be published within this year.

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当サイト:現生人類の環太平洋における進出、拡がりの新仮説、RLPP論

 

It’s about New Theory on human migration to American continent and explanation of answer about mysterious result on the latest DNA analysis of 3 Amazon tribes by Harvard Madical School.

Youtube
https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

PDF File Download
StepInAmericaRLPP

日本から千島列島、カムチャッカ東部、シベリア東部、万年前は陸峡であったベリンギアを経て現生人類である日本祖人が米新大陸に進入したことに関し、実は両地域には鏡面対称構造という聞き慣れない大変興味深い、そして人類にとってはラッキーだった状況があります。

それは下図で、太平洋の中央に南北の線(図の鏡面線)を引いて左右を折り重ねると、西側は台湾からシベリア東部、東側は北米大陸西岸地域からアラスカ西岸のそれぞれ約16,000kmが緩やかな弧を描いて重なり合い(鏡面対称)ます。海岸性の環境に生息する甲虫など生物の「群集」が、属や種を異にしても似た生態系ネットワークを持った構造を作り出しており、気候、気温、海水温などもそれぞれの側が似たように変化しています。(モーリーNo39号 大原雅宏 北大総合博物館教授記事から)

(同上 大原雅宏教授の記事掲載図に付記)

ハーヴァード大のアーサー・グレイ教授によれば、大昔(新生代第3紀)には極圏まで温暖でシベリア、アラスカが温帯性の典型的な落葉性広葉樹林で覆われ、その後の極寒第4紀にはその地域の広大な範囲が氷河で覆われたが、再び温暖化して氷河が消え植物が(極圏に向かい)北上し現在のようになった、同一の起源に由来するからに違いないとしています。(同上、大原 雅 北大地球科学研究院教授)

即ち、現生人類たる日本祖人・子孫の米西海岸への沿海の拡がりは、緩やかに環境に適応し北上して行きながら山に登り降りて来たように感じられます。そして思いのほか、沿岸部では出発地と頂上の温度差が無かったということでした。

ベーリングを越えたら全く違う世界ということではなく、似た環境をどんどん曾祖父が昔聞いたと言う遠い昔話の世界に戻って入っていくような不思議なラッキーな状況でした。

さて、

前回は、日本祖人-縄文人の南方海人型の人達とエスキモー・アレウトの人達との人間・暮らしの近さという明治時代の先達の研究を現代の視点で見直すことから、当サイト新説の北米新大陸への日本祖人の進入をみました。

この進入に関し、先ず先達の論争で注目すべきは、千島列島の最大は70kmに及ぶ①海峡・水道を小舟で家族が渡るという容易でないこと、②最寒のシベリア東岸を生き抜いて米大陸に進入していく厳しい行動をしたこと、に対し当時の論争においてそんなことは無理だと言う否定または批判する言説が全く無いことです。

この北太平洋地域をコロボックル・エスキモー・アレウトとみなす人々が南下しまた北上して拡がり行動したのだろうと思いを巡らせた当時の学者さんたちが、事が3千年前にしろ、万年前と考えていたにしろその実行の可能性に誰も問題を感じずに、ただアイヌだったのかそうでなかったのかについて議論していたことは、特筆されて良いと思います。

といいますのは、江戸や明治の時代になってもそれら種族の衣・食・住、小舟、漁撈・海獣狩りなどの暮らしぶりは大昔の原型をかなり留めていたとみられますので、そういう状況でこの北辺長距離の生活移動が可能で何ら問題なかった行き来と認識していたことになります。

さて次に続きまして、このベーリング海沿岸の米大陸アラスカ進入後の南下については、③氷河が一部の地域では海岸にまで迫っていた(下図の赤丸)らしいという問題があります。

アラスカ湾のこの地域では、海水面が100m下がっていたとしても氷河に覆われなかった島があったという沿岸海中の状況ではなく、どうも取り付くシマも無かったようです。

アラスカ・アンカレッジを過ぎて東進南下して、ここまで来れば寒冷の問題はそれほどではなく食料の問題もないので、夏季に百数十kmを1泊行程、向かう行先の地域に至る状況の偵察が出来ている家族移動ですから、まあ暖かい南の地への沿岸航海を果たし得たでしょう。

その行先の方には、今も海の民の子孫であることを誇りにするハイダ(「沿岸の」の意」)族が太平洋岸の島で健在です。

日本側では、歴史書に倭人は海物を食し沈没して魚鰒(あわび)などを獲るとありますが、荘園制が出来た時に海人・網人などが百姓と分類されて後には「士農工商」となり、海の民が分かり難くなりました。

民俗学者の柳田國男が訪れた沖縄では、海に囲まれた島であっても意外にも海に背を向けた暮らしの人々であると記すほどその後の時代に九州と大陸からも人の流入があってすっかり暮らしぶりは変わりました。

しかし、魚貝を獲りに行くことを「海を歩く」と言い、12歳頃から筆舌に尽くしがたい年季奉公で鍛えられた熟練で名高い糸満海人ウミンチュ、長崎県北の家船民、薩摩隼人海人、伊勢の海人など各地に海の民の痕跡があることを大昔の貝塚などと共に感じることができます。

また、三浦三崎の漁民がシャチを海の主として捕らず、捕れば家が絶えるとしてますが、北のアレウト族などはシャチを神としており、また、獲得物は神からの贈り物あるいは御贄として貪らず平等に分けるといったことなど、南から北まで海の民の共通性も感じられます。

これらのことは、現生人類の海の民による北海道太平洋岸からベリンギア南沿を経て米国北西岸まで、正に沿海の鏡面対称の人の繫がりのように感じられます。

そして、当サイトで長く紹介してきました大昔の東南アジア・パンカル半島Sundaland地域の人々の北上から南米アマゾンの古いDNAを持った部族の人々に至った赤道下の大いに離隔した繫がりがあり、この環太平洋の旅路の始まりと終着の行路(RLPP)は、ある意味で鏡面対称的になっていることが不思議に面白いと思っています。

 

21世紀の世界の理解は、この太平洋鏡面対称的地図が適切だと言いたいです、米トランプさんにも。

(了)

ご愛読有難うございました。行く年来る年に想いを馳せつつ暫く休憩しましてからまた研究を続け、いつの日にか再びご報告ができますよう、「微力でもお国に」を目指して歳に応じマイペースで努めて参ります。

来年は酉年、世界特にアジアではバタバタ激動の予感もありますが、皆さまのご健勝とご多幸を心からお祈り申し上げます。

Merry Christmas & Happy New Year酉

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