アイヌ国会決議は、訂正を!

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4万年前に及ぶ長い歴史を有するこの国で、史実に何ら裏付けのない重要な国会決議は、何故なされたのか?

日本列島史は、4万年前頃から始まり、3万年前頃には北海道、沖縄にまで拡がっていました。

今この日本で、自分の家系は4万年前に遡れるなどというバカなことを言える人はいません。

アメリカや豪州などと違って、先住民などと言う語が登場しうる余地のない長い歴史なのです。

実は、文字を持たなかったアイヌの伝承は、侮れない正確さを有しており、その中で小柄な(先住民)コロボックルを千島の方へ追いやったという内容さえあるのです。

色々な事のあった4万年の歴史です。史実に裏付けのないイデオロギーに影響された見方が生ずるとすれば問題です。

戦前は、牢獄に入れられようとも、権威ある教授に逆らっても、学問のために異論を唱えた学者は居ました。

しかし、このいかがわしい国会決議に異論を唱えた学者は一人もいなかった、そこに戦後の深い闇があり、学問に及ぶ歪みがあります。

先住民族などという、正しくない決議は、訂正されねばなりません。

(了)

学校教育で新たに「歴史総合」として、充実が図られるようです。

ところで、重要な我が日本列島史については、人骨などの確証が得にくい、当時の重要な遺跡は100mに及ぶ海面上昇により今は海中にあって発見が困難、また、旧石器ねつ造事件が尾を引いているのか、論じられていないのが現状です。

そもそも、旧人と現生人類を区分もせずに旧石器時代としていることは問題で、いわば始まりの創業者を2代目縄文人の単に先代としか意識せずに社史を書いている違和感です。

この背景には、荒唐無稽のギリシャ神話はよくて、日本神話は認めないという教育上の歪みも影響していることでしょう。

語り伝える民族の神話は何であれ重要であり、また、その中に重要な史実を背景にした内容がある事も認識されてきています。

その時代の様相を考えた基礎用語を定め、創業者に想いを致しての「歴史総合」だと考えます。

大筋で異論はないと考えていますが、如何でしょうか。厳密を口にされる先生方も、これまで相当大きな修正をしてきていますし。

何より、諸学協同による研究の重点指向を期待しております。

何しろ、初期の世界現生人類史で、4~3万年前とある程度はっきりしている移動・移住が、遺跡・遺物で確認し得ているのは貴重な基準区間となるものです。

そして、実は南北アメリカ大陸の古い遺跡等の状況が明らかになって来るにつれ、最初にアメリカ大陸に沿岸から拡がって行ったものと考えられるからでもあるのです。

(了)

 

日本祖人については、始まりの曙海の畔の事が重要ですが、実はその後のアメリカ大陸先住民にも痕跡が残っていると考えています。

それは、米Harvard医科大が、アマゾンの古い部族のDNAを調べたところ、人類の出アフリカ後の時代を残しているSundaland地域の人たちが、最も親縁性が強いという驚きの結果です。

万年の古い時代に、直路多くの家族が舟で太平洋を渡ったことは考えられませんので、環太平洋ルートであったとする当サイトの見方になりますが、Harvard医科大の先生はこの結果に冗談言って頭抱え、また、欧米の先生方はこの結果に何のコメントもしていません。

次に、1983年のTurnerの下図の歯の分析結果ですが、Harvard医科大の結果など最近の成果を加え、また、ユカタンが離れてますので素直に4分類として色分けました。

上図の赤い北西海岸が注目点です。

これに、北米Oregon州や南米チリの古い遺物、何よりも12,500年前頃に氷床が融けて開通した無氷回廊を南下して拡大したアメリカ史上特筆される薄青の大きな動きを加えます。

入って来た経路、順番、その消滅と勢いのある拡がり(薄青)のアメリカ先住史の様子がよく理解できます。

勿論、①は、②、③、④に拡がったのだろうと思いますが、痕跡はよくわからないという状況です。

そしてその歴史と生活ぶりから普通に考えれば、この北米北西の島々に残る①は海の民系であり、日本祖人系と考えられます。

何よりも海水面が100mくらい上昇していますので、沿岸の痕跡はなかなか発見されませんが。

日本祖人の4万年前の曙海越えの九州進入、北上、3万年前に北海道東部に進出という考古遺跡・遺物の示すことにそれ以前とそれ以後が、矛盾なく環太平洋移動・移住説で連接して理解できる結果となっています。

欧米の先生方がコメントしないのは、この4万年から3万年前という環太平洋史の区間基準となり得る日本列島史が、よく理解されていないからだろうと残念に思っています。

千島列島を伝っては行けなかったろう、極寒のベーリング地峡を越えて行けなかったろう、と言われそうな意見への反論は、当サイト(オホーツク沿岸ルート含め)で既に十分にしています。

北極海の冷水が入り込んでいなかった、ハワイに繋がる比較的温かったベーリング海を考えることが重要です。

新たな発見報告である23,120年前?というブラジルのSanta Malina遺跡は、古過ぎて欧米の先生方は全く理解しようがありませんが、3万年前の北海道の日本祖人が、そのまま北上を続けていたとすれば理解可能なんですよ。

(了)

昨年末、縄紋人の祖先たち(即ち日本祖人)という当ブログと同様の問題意識のリードタイトルの本が出ました。

しかし先ず第1に、下図(以下、赤字はNara)の北ルートは、約2万年の大きな差があり、同列に扱うべきではないです。

既にお伝えしています様に、日本列島史の始まりは下図です。

此のことの重要性は、アイヌ先住民問題に関わります。

アイヌの人たちが迫害差別を受けその人権が尊重されねばならないとしても、著者も明瞭に九州から北海道にまで一方向で拡がったとしており、「先住民」を冠した国会決議が史的学問からは立証できない誤りであり、訂正されるべき事を示しています。

即ち、アイヌの人たちが北部九州に存在していたことを立証できるのかと言う事ですが、むしろ大方は、時代を下ってから樺太を南下してきたと考えていることでしょう。

実は問題は、学問的におかしいと思っている人はいたと思いますが、最高機関である国会の史的裏付けのない決議に明確に反対を唱えた歴史学者の居なかった事です。

戦前の皇国史観の時代でも異論を唱える学者は居ましたが、今回のこの史観に学問上、異を唱える学者が居なったことは、いずれ歴史学界の汚点として記録されるでしょう。

因みに以前報告のコロボックルは、アイヌの先住でアイヌに追われたとアイヌ自身が伝承していたのです。

著者も私も北部九州が始まりと考えていますので、勿論、沖縄も列島の「先住民」ではありません。

米国、豪などと異なり、4万年の歴史の我が国には「先住民」と言い得る人はいないことが一つの特徴なのです。

次に、著者は特に論拠を示すことなく、始まりを降雪寒冷の内陸狩猟族Bルートとしていますが、反対です。

約80㎞の海峡を家族が舟で越える必要があったことは容易な事ではないです。

舟造り、天文、気象・海象、操舟、様々なノウハウを必要としますので、一朝一夕には無理です。

出アフリカ後の豪への渡海時期の早さや日本祖人が降雪寒冷の北上に1万年も要した事、人体・DNA・言葉などの他との比較から、海の民系Aルートでしょう。

何よりも学界や類書が、最も可能性が高いと考えられるA-1ルートを認識していないこと、また、やっと「縄紋人の祖先」まで来ましたが、旧石器の語しか無く、「日本祖人・祖代」、「曙海」や「北東ア平野」、台湾山地、朝鮮山地などのキーワードの名すら依然として無い現状は驚くべきことです。

真正面から列島史の始まり~縄紋時代に取り組んだ専門家の祖代研究の登場を待つのみです。

創業者は2代目の先代としてだけで、2代目から書かれた社史では困ります。

(了)

 

(前回報告関連)

万年前に過半が沈んだ東南アジアの半島大陸地Sundalandの地域は、ジャワ原人やフロレス島の原人ホビット、日本祖人と関係が深いジャワ島のワジャック人など、遺跡・遺物を含めて人類史の百貨店です。

(ジャワ原人博物館 4~5万年前とするワジャック人についての展示)

結論的に、やはりアイヌに追われた日本の先住民・小人コロボックル話に光をです(実は不十分な論拠で否定的扱いですが)。

また、魏志倭人伝などに見られる侏儒国などについてもです。

さて、スマトラ島では、以前にも林に逃げていく「ころぼっくる」を追う騒ぎだけ(実物映らず)のビデオがアップされていましたので話はありました。

このジャンビ州の人たちは、よく見るとタバコまで与えられ吸ってますが、同種の発見や話は謎として隣の州などでもあります。

数百年来、毛深くて恥ずかしがり屋で人の行動を真似てる・似てると言い伝えられる生き物が、時にワナで捕獲され、住民と結婚し、とスマトラ島では伝えられています。しかし、ヴァリエーションの有るこの人たちに関しては、十分に学術的な研究報告も未だ無い謎だとされています。

各州の考古学研究所や動植物研究など、貴重な百貨店の各階はもとより、地下、倉庫、海、などでの研究予算は極めて厳しい中で、若い人たちが儲けにもならないことに真面目に取り組んでいます。

日本人がここまで来て慰安婦の研究をし、豪華な出版をするもいいですが、日本政府は世界のために、インドネシア中央・各州のこの種の研究助成にもっと力を入れて欲しいと、納税者として強く思います。

(了)

ミリタリーの世界では、夜間にあるモノを見たいとき、そのモノを見ずに周りを見よ、さすれば見えて来るという「周辺視」の教えがあります。

4万年の始まりである日本祖代の追っかけって、その浮世離れは何なんだと言う家族の声があります。

ということから倭人伝を周辺視であるSundaland, 環太平洋人類史観の視点で、あの歴史学上の大問題、やまとの女王国に迫って見ました。

対馬まで千余里、唐津―福岡五百里、女王国から海を渡って千余里また倭種、倭の地は絶在1周五千里、侏儒国四千里、身の丈三、四尺、船行1年、など距離感と方向は一応納得できるものです。

(倭人伝は、全く信用できないという意見もありますが)

 

特に、あまり注目されない侏儒国、裸国・黒歯国を周辺視しますと、日本列島人類史の特色である北と南端の類似性やコロボックル話などがよく附合しています。

裸国は、ネグリト族のフィリッピンにしろこの地域では有ったでしょう。

そして黒歯国についても、マレーやインドネシアの檳榔樹から取れるビンローが噛みタバコのような物としてよく見られ、歯が赤黒くなり珍しいものとして魏の人などには認識されていたでしょう。

マレーのペナン島の名の由来にもなっていますし、台湾では今でも見られ、我が国でも女性が歯を黒く染めていたことはよく知られている環太平洋この地域の風習です。

文選によれば、漁師が、南の東の極みの黒歯の所へ行ってますので正にぴったりでしょう。

「至るべし」とありますので、単なる物語や噂話ではなく行き来があったものと思います。

因みに紀元前にフェニキア人が、金などの貴重品を得るため船行3年と言う遠洋航海行動(1年以上現地滞在?)が歴史的にありましたので、紀元後の1年は驚きに当たりませんし、何よりも祖先の地、Sundaland地域から北上して来た人たちですから。

船行1年ということで、この裸国や黒歯国を南米に比定する意見もありますが、文選にある極みはマレー・インドネシア、黒潮の果てでしょうし、流石に当時の漁師が南米まで行き来するのはムリでしたでしょう。

この「極み」は意味深長でして、倭人がニューギニアから比東側の正に黒潮沿いを行き来していたのではと思わせます。

結局、女王国はどこなのか?

倭人伝等からの周辺視では、ぼんやりと九州か四国あたりに見えます。

どうして、やまとの女王国、皆と違う表現にしてる?

はい、当時の列島に住む人たちが自分たちを蔑称で呼んでいたとするのは史的間違いだからです。

語をもってまだ自分たちを呼んでいなかったにしろ、呼んでいたが今は分からないにしろ、学者さん達がこうしようというのを待っているためです。

いつまで他国が付けた蔑称を間違いなのに使っているのでしょう?

(了)

 

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