1.日本史のミステリー、①昭和27年、淡路島洲本市の森 重吉さん(47)が小路谷(オロダニ)の旅館主として湯殿を建てようと整地作業をしていたところ、1m下のイスラエル遺跡(中に小石が8つ)を発見した。だがその夜、重吉さんがうめき声をあげながら急死したので、たたりだと穴は埋め戻され(墓の目撃者の一人、森アサ70歳の言)、その後、駐日イスラエル、考古学等の関係者による発掘が行われたというものです。―Report 2014.11.21 平津 豊。

2.何しろ場所が日本で最初の淡路島での事ですから無下には出来ません。イスラエル墓の小石が8つの8という数字は、興味深い。広東・香港人が尊ぶ8や古事記で最も多い数字の8は、それぞれの国の人々が独立的にそうしたのか、どれかが最初で他に伝播したものなのか、仮に伝播とするならばその関係性の歴史的な意義は大きいです。

3.他方、ミステリーその2、②数字8の半分(半旗?)の4については、忌数字のようでこれも興味深い。太安万侶(古事記編纂を4ケ月で成し遂げた)の墓の副葬品は真珠4粒のみ。古事記の天皇御陵の記述にあるように四枝をお供えしましよう。遺跡を発見した重吉さんが湯殿を建てようとした旅館の「四」州園跡にもです。これらは、単に四―死だけの事でしょうか、重吉さんは四州園と名付けています。

4.教室が、日本書紀、古事記をしっかり教えていないのは戦後が終わらない異常です。ギリシャ神話はよくて、(仏国)智者レヴィ・ストロースが評価する日本神話は悪いなんて全くアリエナイ歪みで世界に誤解を披露める愚です。

ー日本祖代研究会(RGaPJ)

欧米先生は、はっきりした中東と東南アジアの往来の実証がないとして採り挙げていません。

ですが図右、①祖代研会員は、当時活躍(主に地中海)していた秘密主義のフェニキアが豪州東部に来ていたとの噂話の記述を見ていますし、何よりもエジプトのヒエログリフに描かれた交易品・宝物は赤道直下の東南アジアからの物とのインドネシア古代史専門家(Dhani Ilwanto)の研究があり、中東・インド洋で行動の海民タミルの関りも考えられます。②図左、有名な女性ファラオであるハトシェプスト女王(言われていたほどの悪女でなく、イメージの修正を)の世界遺産・葬祭殿のデザインは、隣の崩れた土台しかなくよく分からないメンチュヘテプ2世からのもと言われています。だが、エジプトロジスト(エジプト古代史専門家)は、ともかくあのようなデザインはエジプト自発とは思われず、何処から?と、問いを発し論じているのです。エジプトと東南アジア、欧米先生はまともに迫ってほしいものです。そして日本の教室も、いずれこのような世界史の波が海からも新しい刺激として縄文に及んでくるので知っておくべきことなのです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

 縄文時代が終わり、世界も日本も激動へ。

①真珠と貝紫の秘密主義商売人フェニキア(3年海外行動力で、東南アジア・豪州東側に来ていたとの噂も)がアルファベットを使い、インドではアーリア侵入の中で海の貿易民タミルも宝物を提供し活躍していました。エジプト王朝のあの絢爛のクレオパトラは、溶かし真珠を飲んでいたそうです。

②最下層に置かれていた多くの出エジプトのユダヤはモーゼの導きでイスラエルに至り、フェニキアが宝物を運んだソロモンの繁栄もあった栄枯盛衰の激動を経て結局はアッシリア、新バビロニアに滅ぼされ辛い離散・ディアスポラとなり、その後の世界史、日本史に大きな影響を今も与えています。失われた支族はシルクロードを経て日本にも渡来と言われていますが、「海のシルクロード」ルートもあったことでしょう。
③遂に日本書紀・古事記の東征戦闘の神武天皇が伊勢の方から進入して太陽を背に稲作と鉄の当時の先進地である奈良盆地・橿原において建国、大和王権は外来勢力が支援(明治時代のお雇い外国学者等より影響大?)したと考えられます。美しい真珠の日本に稲と鉄が入り社会は激動しましたが、その渡来勢力の影響は1.北部九州からか、2.直接的に(黒潮)伊勢志摩・畿内へか、という事でやっぱり始まりの大和王権時代からあの「やまたい国」論議のようなような問いが発せられます。マッカーサーによって発禁・黒塗りされた日本史は最新の科学の光が当てられ、今抜本的に見直されようとしているのです。

AI時代の教室は先ずは副読本でもいいですから論議を、世界に日本の状況の発信を。―祖代研究会(RGaPJ)

1.現生人類始まり時代のアメリカ移住史

アメリカ進入①については、ベリンジア陸峡へは2.5万年以前と既にみられていましたが、新たな遺跡発掘、DNA調査、当時の環境分析(最適時期の研究)などから注目のカナダ・本土米国への沿岸ルート(Kelp 昆布Highway)説が強まり、この事から沿岸海民の北上のみならずシベリア狩猟族の海民化(仮称“Marinerization”)説が登場しています。因みに、②始まり時代には、北方族も未だモンゴロイド化(寒冷適応の身体的な変化)はしていなかったと考えられ、また、最新DNA研究により、米国で多い父系ハプロQ,Cの進入は、ずっと新しい1,700年前以降とされ、注意が必要です(日本の祖人が「最初のアメリカ人問題で無視されて来た一因)。

2. 日本へは南方から北部九州に渡海、祖人は沖縄、北海道に拡がり

②日本では豊富な遺跡・石器に最新のDNA分析から南方からの北上で、約4万年前に北部九州に渡海し、祖人は沖縄、北上して北海道にまで拡がり北上継続と考えられ、祖代研は西太平洋沿岸北上ルート説でアメリカ移住史に繋がる環太平洋移住(MPOR)説を唱えています。


残念ながらこれらに関し、教室は世界の議論の紹介すら無い周回遅れです。日本始まり史を教室で教え世界に発信、世界の議論の紹介を。 ―日本祖代研究会(RGaPJ)

1.誤解を招く日本史の始まり図

左図は誤解を招く図です。約4万年前からの日本史の始まりは、明治・大正時代以来の民俗研究などから南方系とみられ、遥かに時を経た史書の魏志倭人伝の時代になっても陳寿は海南島の習俗を念頭に記述したのではと言われるほどの南方系を示しています。しかし、特に戦後は言語を含めて北方系だと言う論考が増え、欧米を含めて根強いものがあります。

始まり時代の氷河期の広狭変化の曙海・北東亜平野、対馬暖流・間宮海峡がなく波穏やかな日本湖的で日本海側に大雪無く、瀬戸内海・東京湾は無く青森に陸奥平野があった事などの種々の違いがあり、南方もスンダランド・パンカル海など大きな違いがありましたが、必ずしも巷間物では十分考慮されてはいません。左図も、海水面の100m級の上昇で沿岸痕跡の発見が困難なこともあり、ルートとして欠落していますし新事象を交えた誤解を招くものです。近年のDNA研究で南方との類縁性が指摘され、列島内の1万を超える遺跡分析によって南方からの沿岸地域の北上説が強まっているのです。また、軌を一にして、最初のアメリカ新大陸人の問題も、定説が崩れ海民による沿岸進入説が強まり、東部アジアの沿岸海民が注目されているのです。

2.半島南岸の島の縄文人的なDNA痕跡は重要な意味

中図は最新のDNA分析による特徴図を地理に合わせて反転させたものですが、半島南岸の加徳島の発掘された人骨DNAは縄文人的であって西方大陸系ではなく、曙海の沿岸ルートにおける正に対馬渡海の地域に該当するもので、海民系要素を共有しており納得です。左図はその時代以後の新事象を描いたもので誤解させるものです。この分析は、日本における祖代・縄文人骨の分析及び縄文人骨発掘の考古学的な成果と繋がる重要なもので、静岡・浜松地区においては祖人骨と縄文人骨が共に発掘されて繋がりを示している事と同様に大変意義深い実証です。

3.島国故に始まりは「いつ、何処から、どのように」まで見えて来た世界的に特筆すべき日本例

図右②北上して渡海で始まり列島中に拡がった時期・場所・態様について、DNA分析は意義深いものです。この事に加えて対馬海峡の渡海の状況を考えますと、日本湖的で波穏やか、40-30kmの長距離だが島が見えた、重要な爺婆含めた家族・漕ぎ手の人数を収容する丸木舟の太い材は寒冷期の樹林状況から入手難であり、竹木を結束した筏(いかだ)での横断と祖代研は考えます。その後3.8万年前に伊豆の海で黒耀石を求めて島が見えた25km位を生業航海していますが、双方が相互に実証を補強する謎でも驚きでもない海民の活動を実証として示すものです。その造舟、操舟の知見能力と他との広域にわたる物々交換など、約4万年前のことをこれくらい妥当性をもって推定できれば十分であり、年表に見る日本人形成に重要な基層の祖代、原始人ではなかった祖人の重要性からも教室は紹介すべきと要求します。

4.祖代、祖人、曙海などの諸用語の導入と共にJomon、Ainuが初代との内外の誤解を正すべき

日本史についての内外の誤解の原因は、世界的に知られるJomon、Ainuが始まり論議に用いられ、教室では原始・旧石器時代という適切でない用語の使用にあります。約4万‐3.5万年前の始まり当時の環境は現在と違う事を認識する必要から伸縮していた「曙海」など適切な用語を導入し、世界語の「旧石器時代」、「後期旧石器時代」は英語にすれば世界と期間が違うので誤解を招いて不適切であり、また、人(人骨)の呼称が教室では重要ですが「後期旧石器人」は祖人、縄文人に比し説明・議論に長過ぎます。後期旧石器時代名も次の縄文からテレビの源氏物語の平安、鎌倉、江戸など馴染む和語と繋がらない違和感があります。この用語問題が、重要な日本史の始まり教育を阻害している要因であるので改善を、そして今や歴史問題が戦争に繋がりかねない国際問題であることを認識し、世界発信による誤解解消を強く要求します。―日本祖代研究会(RGaPJ)

(人類・日本史最前線) 日本人は何処から、そして何者?

  • 最新のDNA分析で見えてきた日本人の始まり

対馬対岸の①韓国・加徳島人(63000年前)が、北部九州・縄文人に近く、②その後のモンゴロイド影響が強く及ぶ以前の南方からの北インマレイドの渡海痕跡(図左下)を窺わせるものとなっています。3.5万年前頃までに沖縄から北海道にまで祖人が拡がり、土器出現で(2代目)縄文人と呼ばれることになる考古学上の1万件を超える発掘からの日本史始まり認識と合っています。

  • 日本人は何者?何故、紫式部は現れ得たのか。

実は、紫式部、清少納言の輩出以上に世界的には天照御大神は日本人を考える特色です。近隣国との大きな違いでもあります。図右下、南方北上の祖人拡がりですが、年表が示す列島で育まれた長い祖代・縄文の基盤(期間 約93%)は、その後の文化流入を取捨選択し、変形させ日本人に合うモノを島内で熟成させてきました。そこを考えない教室は問題です。そして、少子高齢化より問題なのは「肝っ玉かあさん」の減少でしょう。

一部に天照大神は、無性の超越神という動画が出ていますが、誤解と考えます。

女性の心身に男心身神の魂を授かった、言わば両性「具有」の超越最高神であり、「無性」神ではないです。女性(優しさなど)であって男性的(業務能力)に優れた人物を尊ぶ民衆の信仰は、北方系にはなく「南方系の人々」にはあり、日本先史からの特徴を示す重要な事なのです。インドネシアには、重要であってある意味恐ろしい「海の女神」が、また、エジプトでは唯一の女性ファラオ・社会的に格好も男になったハトシェフスト女王が存在し得ていますが、これらは天照大神とは意味合いを異にします。なお、言うまでもありませんが、天皇陛下は男系で、男子であるべく皇統維持の方途を講じなければなりません。
-日本祖代研究会(RSaPJ)

人の体・DNAはいろいろですが、言葉・習俗・文化が重要です。アメリカ日系4世は、日本語を話さず、お茶漬け・刺身よりはハンバーガー・ポテトチップスを好むでしょう(最近は人によりますが)。図のように、言語学者の松本博士は、A(桃色)とB(縦黒線)で大きく区分しています。またこの図は、私たちがLとRを区別できない流音タイプの図と酷似しています。

最新の考古学・DNA分析が明らかにした①出アフリカ現生人類はアフリカ東南部で誕生し、②北太平洋昆布ハイウェイからフネでアメリカ新大陸に入って来たという新説に、よく整合しています。この アフリカ 東南部~インド洋沿岸~環太平洋沿岸のルートを、現生人類の初期移住ルートとして、はっきり打ち出したものは見ません。殆どがユーラシア内陸~バイカル湖東側~東部シベリアのルートとなっています。現生人類始まりの移住において、沿岸河川から内陸に遡行して行ったことを考慮する必要があります。現生人類の移住の新説であるインド洋沿岸(Indian Ocean Side)・環太平洋(Pacific Ocean Rim)の移住 ルートを MIPOR(Migration along Indian Ocean Side and Pacific Ocean Rim) 説と仮称します。

再掲下図で、欧州から大西洋を渡って来たというソルトレーン説はムリであり、ユーラシア内陸言語圏のシベリア狩猟族がベーリング地峡を入って来たという現在の主流定説にも言語痕跡からは疑問を投げ掛けます。シベリア東部民と言っても、言語から見れば沿岸地域を北上して行った環太平洋言語・習俗民なのです。この言語図と松本博士が更に指摘した、特にロッキー・アンデス山脈太平洋側の類縁性から、重要な北上の通過結節である北海道が注目されます。

元言語学会長である松本博士の良説が世界によく発信・理解されていない事は大変残念であり、また、現生人類が約4万年前に北部九州に渡来し、北上して行った3万年前からの北海道Hokkaidoがルートの重要結節であるにも拘わらず、鎌倉時代に北から南下した種族が混血していった アイヌを「先住」などと世界に大きな誤解を与えている事は大きな問題です。

東京・札幌オリンピックですから、1万件以上の旧石器遺跡を誇る日本から、松本言語圏説と共に人類移住史の沿岸ルートMIPOR説とアメリカ先住民の祖先候補である3万年前からの北海道祖人史について、教育に反映させることはもとより、世界に しっかり 強く発信されるべきです。

アジア東海岸地域と北米大陸西海岸は、下図の通り緩やかな弧が鏡面対称構造になっており、例えば調査した海浜性甲虫群集は日本のものとよく似ている(北大 大原昌宏博士)。今、世界の歴史考古学界では、最初のアメリカ人は、「昆布ハイウェイ」(鏡面対称性あり)を舟で来たのだろうというのが有力説です。分かり易くは富士登山で、山頂両側の生態系に鏡面対称性が有り、登って下山するような、しかも昆布ハイウェイの絨毯を敷かれた所を行くようなものだったということです。

それは昆布だけでなく、海獣・海鳥と卵など動植物も豊かで似たような物だった恵みがラッキーでした。そもそも、Sundalandから南米まで、人類の最初の沿岸の移動移住があった(MPOR自説)と考えられます。ハーバード医科大が発見した、南米アマゾン3古部族のDNAが、北米先住民やシベリア民などではなく、Sundaland地域の物に似ているという驚きの発見(直路渡洋はムリ、痕跡なし)も理解できます。

道東の人たちの旅行は、関東・関西でなく北米沿岸が多いとか、日本祖人が招いているんでしょう。問題は、縄文時代・縄文人しか単語が無く、その前の時代の世界の議論オリンピックに、重要な日本が入って行けてないことです。

(了)

明けましておめでとうございます

いよいよAI時代の幕開けですので、AIやサルとヒトの違いを考えています。

最古の現生人類は、独研究チームがモロッコで発見した人骨(多少の議論有り)で、場所は海岸から40km位東方に離れた洞窟(標高約600m)です。

その海岸サフィが随一の貿易港というジブラルタル海峡の南の地域であり、南ア海岸洞窟と共に私は注目してしまいます。

実は日本のご先祖様を考えますと、海辺の知的進化・出アフリカ―豊かなSundaland―早い時期の豪州渡海―北上して九州渡海―伊豆・神津恩馳島への渡海の行き来―北海道への渡海進入と海絡みが注目されるのです。

海に入る、海産物を食す、海辺で暮らす、舟(筏)で海を渡る、などは森のサルと決定的に違う歩み出しと思うのです。

つまり、家族で九州に海を渡って来た段階で、既に進取の気性ある相当の知的レベルにあったのです。

このことが、日本文化・文明の始まりの基層であり、日本祖代から次の2代目の縄文時代以降にも確実に継がっていると考えています。

引き続きマイペースで研究に前進して参ります。

AI時代の温故知新のご参考まで。

(了)

当地バンドゥンは、オランダが植民地時代にジャワ(島)のパリにしようとしましたので、アジアの楽園のSundalandの中でもユニークな街でしょう。

日本の皆さんに人気のインドネシアのバリに対するジャワのパリという訳です。

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そこには、銀座か青山かなと思う店が並んでますが、増えてきている近代的なところと昔を残しているところが混在している発展途上の国の街でもあります。

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赤道を越えた、乾季と雨季のある南の群島国の街ですので、近づいている雨季には、午後2時間くらい激しい雨、時に大きな雷が落ちます。

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乾季を含めても基本的には、水に恵まれていますので美しい花、果物、作物は豊富なアジアの楽園です。(バナナ、椰子の実、いろいろな香辛料・作物などは多すぎて省略です。)

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通りの普通の店には、多種多様な食物が並んでいます。

 

少なくなってきていると老人は嘆きますが、まだまだ緑も豊かで、寄り添うように暮らす穏やかなアジアの街です。

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女性陣縮

 

日本大好きな学生さんが日曜日の歩行者天国に集まって、日の丸の小旗を振って勝手に歩くこともある自由ないい国です。

少子高齢・限界集落に悩むお国は、彼らの力を発揮してもらったらと思います。

何しろ穏やかハーモニーの人たちが、2億5千万人になろうかという若い力の国ですので。

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日本から意欲ある若者が来て、バンドゥン・ジャパン・ハウスBJHに起居し、今、それを実現すべく努力していることも大変素晴らしいことだと思います。

本会 会長の初本が、本日eブックランドより電子書籍にて出版されました。

アジアの楽園 探訪記

eブックランドの要約より

【要約】

日本のみならず世界の歴史教科書は、みな改定しなければならないような大事件である。人類最古の文明はメソポタミアのチグリス・ユーフラティス川ではなく、赤道直下のアジアで7000年以上前に興っていたことが確認されたという。
ジャワ島のピラミッド遺跡、グヌン・パダンの最下部は1万年以上前に建造されたことが岩石のボーリング調査で判明した。タイ湾では海底から海没前の大規模な灌漑の跡が発見された。
古代の日本民族も黒潮に乗って辿りついたのではないかと考えられる。縄文人のルーツではないかという仮説である。
この一帯は海没した地域も含めてスンダランドと呼称されてきた。オランダ統治のころオランダ人によって命名されたものだが、著者は世界最古の人類の文明であることが分かったからには、この文明を「アジアの楽園」と呼ぶにふさわしいと書いている。この事実が知られるとともに「アジアの楽園」はアジアの民族すべての心の故郷になるだことだろう。古代考古学はいまやロマンではなく科学の時代を迎えたらしい。衝撃のルポルタージュである。

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