(春の読み物―ポスト縄文) 絢爛のエジプト王朝と東南アジア産品、海の商売人、やがて新波が縄文人の日本へ

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欧米先生は、はっきりした中東と東南アジアの往来の実証がないとして採り挙げていません。

ですが図右、①祖代研会員は、当時活躍(主に地中海)していた秘密主義のフェニキアが豪州東部に来ていたとの噂話の記述を見ていますし、何よりもエジプトのヒエログリフに描かれた交易品・宝物は赤道直下の東南アジアからの物とのインドネシア古代史専門家(Dhani Ilwanto)の研究があり、中東・インド洋で行動の海民タミルの関りも考えられます。②図左、有名な女性ファラオであるハトシェプスト女王(言われていたほどの悪女でなく、イメージの修正を)の世界遺産・葬祭殿のデザインは、隣の崩れた土台しかなくよく分からないメンチュヘテプ2世からのもと言われています。だが、エジプトロジスト(エジプト古代史専門家)は、ともかくあのようなデザインはエジプト自発とは思われず、何処から?と、問いを発し論じているのです。エジプトと東南アジア、欧米先生はまともに迫ってほしいものです。そして日本の教室も、いずれこのような世界史の波が海からも新しい刺激として縄文に及んでくるので知っておくべきことなのです。―日本祖代研究会(RGaPJ)

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