「最初のアメリカ人」問題は、米学者に北海道発ルート説を唱える者が出て来ていましたが、Aニューメキシコの2.3万年前の足跡から沿岸進入で整合し、B言語的にも30語族も類縁の五月雨多波です。

B1境界を考慮すれば、B2環日本海諸語族(当然、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoを含む)の北上がはっきりしました。重要なのは、定説が崩れた北米から南米への移住が、C急行などではなく8,500年間の通常ペースであったと考えられる事で、やはり移住は行き先が分かっていたわけではない、行きつ戻りつ少しづつだったのです。すると、C1その分の同一距離をアジアに戻した出発(シベリア東部~千島)は3.2万年前となり、最寒期LGM前の寒さが緩和していた時代で、北海道からの出発もぴったりであり納得しうるものです。そしてDNA論者が唱えていた、「人類はベリンジアで数千年足止め滞留してDNA変化し、寒期の終わりから南下を始めた」説も、特に滞留は必要なく崩れる事でしょう。そして、アメリカ先住民のDNAは新しいB3ユーラシア内陸言語圏系が強いとDNA論者が言いますが、ともかくB1境界を越えた以降、環太平洋言語圏特徴に溶けていったことは重要です。顔や体やDNAが私たちに似ていても、日本語がしゃべれず、生魚よりハンバーガーが好きなら、その日系4世はアメリカ人なのです。DNAが万能ではないのです。

更に、最新の実験考古学研究(オハイオの州立大)によれば、マンモス生体の厚い皮膚や石器のアーミーナイフ的な状況等から狩りは一般的でなく、マンモスは孤立・病気・死後などの状況での解体であり、よく言われた「父が子に誇張して自慢するくらいにまれな事」であったようです。北海道の始まりは北からマンモス・ハンターが入ってきて始まったという巷間多数の書籍は訂正しましょう。問題は、このようなことなどを日本の学界は、はっきりしていないからと言い訳して教えませんが、米大陸「急行」移住説の否定、マンモス・ハンターの来なかったどころか「居なかった」ことなど、教えていたことがどんどん否定される程度の事なのですから、周回遅れを止めて子供・学生にこういう話があると教えましょう、世界に発信しましょう。国際共同研究を主導しましょう。

現生人類の東方拡がりは、出アフリカからベリンジアへ登山するように北上し、下山するように南米南端に拡がりましたので、「環太平洋」という認識は前回の金関博士の習俗文化論や 今回の松本博士の言語論 は自然なものですが、学界は未だ教育にこれを打ち出していないのが現状です。感覚的に 「極東」認識の欧州学者がリードしてきたために、導入が遅れた影響も一因でしょう。(以下、日本祖代研究会が理解し、各国の最新の研究成果を踏まえ付加した内容の紹介です)

元日本言語学会長の松本克己博士(昭和4年・1929~)は、6~7千年前まで遡るのが限界と言われる言語研究において、数万年前を視野に言語の起源をグローバルな観点で考究され、旧来の方法を超越して奥深い類縁要素を見出し、その物差しで世界の語族の時代影響(辺境に押しやられ、隔離地域に孤立)も考慮されて、言語類型地理論のアプローチにより、従来の北方・南方論でない画期的な論を導かれました。
結論的に言えば、 1.環太平洋沿岸(ユーラシア東岸地域とアメリカ大陸)の言語に類縁性を見出し、2.ユーラシア内陸の言語との明確な違いで区分され、3.西太平洋沿岸の北部群と南部群や米国の東部と西部、米新大陸太平洋側の帯状地の特質、チベット・ビルマ諸語の意義、消えた南方スンダランド地域やベーリング地域古語への考察などを明らかにされ、4.孤立語と言われ古さのSVO型などの特性を有する日本語の位置は北上した北部群で、かつこの環日本海諸語はアメリカ大陸へ北上継続したとされました。普通には北海道は含まれる(含まない事情無し)と考えるべきでしょう。また、5.ウラル・アルタイ、タミル、拡大シナ・チベット説など巷間幾多の日本語系統論、言語論の誤りを正されました。そして、日本語の遠い同型語を探し、起源を明らかにするためには、特に1.東南アジアと2.アメリカ先住民を研究するべきと述べられています。

さて、A米国ニューメキシコで、それまでの認識を数千年遡る2.3万年前の足跡発見により、当時は内陸の無氷回廊は氷床に覆われて不通であったことから沿岸・昆布ハイウェイ沿いの進入が新定説化しています。このB環太平洋・沿岸ということで、松本克己博士の同名の語族論ですが、あまり知られていません。言葉のルーツ研究は、時の経過で変形が原型を留めなくなる6~7千年前程度が限界と言われています。近代欧州語と違うということで粗雑にくくられたことに端を発する、戦前からのウラル・アルタイ説など 巷間幾多の日本語起源論は、実は殆ど学問的に役に立たない 古典的な比較方法などによる もので、批判と吟味に耐えない代物なの です。博士は数万年前の後期旧石器時代(祖代)を視野に、言語の内的に 根強く 存続する「類型的特徴」10数項目の要素の奥深い骨格のつながりである「類縁性」に着目し、個別言語でなく語族を対象に探究(例えばRとLを聞き語りで区別できるかどうか、一人2匹のように対象で異なるかどうかなど)され、その物差しに照らし「類型地理論」アプローチにより、前述の諸成果をあげられたわけです。太平洋の島々などのオーストロネシア語も環太平洋に含まれ、何よりもアメリカ南北新大陸が類似であることを見出している独創性であり、それまでの長く論議されてきた甲論乙駁の北方・南方起源諸説を超越しています。その内陸との概ねの違いとなる図の破線(言語比較要素によって線形に多少の差異)に着目すると、日本祖代研究会では最新の歴史研究成果も踏まえ、基本的に⓪アンダマン海から➃環日本海諸語、⑤「米臨海古語」は新語で上書きという「花づな」のような海の連なり「花綵海」沿岸に、+内陸高地の特にチベット・ビルマ東部が加わっていると理解しています。

これは、男系Y遺伝子の最古 D 型が、アンダマン諸島・チベット・日本で共通に高い頻度で現れて不思議とされてきた事を普通に理解できるものとなっています。Dが残ったのは、人里離れた高山か離島というわけです。更に、この 「花綵海」 沿岸史観は、チベット・ビルマについて、学界に見られる北ヒマラヤの内陸ルートではなく、インド洋沿岸から河川沿いを遡行北上した沿岸系なのではと言語の類縁性の面からも考えさせ、アジア史において重要な意味を有しています。いずれにしても、「最初のアメリカ人」は、3万年前頃、この「花綵海」ルートからの第1波は五月雨の多波であった(言語数の膨大・語族多数から)と考えられ、その万年後、無氷回廊が開いてから影響力の強い種族が、第2波で 陸続と 進入し拡がったとする重要な歴史説です。問題は、内陸言語圏の者がシベリア~ベリンジア~米大陸に入って行って、DNAはともかく、先住の太平洋沿岸圏の特徴に変わっていったと考えられることです。この環太平洋に着目した論について、学界は第1級の研究者である金関博士の習俗文化論、松本博士の言語圏論を子供・学生に教え世界に発信、国際共同研究を主導して深化させるべきです。

右図、50年前の金関博士の「環太平洋文化圏」素論は驚きの慧眼であり、米国南部ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見で、「最初のアメリカ人」に関する定説が揺れ崩れた世界史界が注目すべき温故知新です。

他方、それは当然にして博士が本来追究していた日本の起源に迫るものです。左図、DNA分析の出アフリカ史観を当時知る由も無かったですが、専門の古人骨の研究に加えて諸学による習俗文化研究の成果を俯瞰し、甲論乙駁の議論があった起源問題に対し、南方原郷認識に基づき、①大規模な渡来、民族の入れ替えのようなものはなかった、五月雨渡来による混血影響はあったという最も優れた説に達しました。これは現代の1a~dまでの認識、即ち騎馬民族来なかった、マンモスハンター族の痕跡は無い(大陸の細石器文化の影響とみられるものは、中小動物の狩猟用)、始まりの日本祖人Proto-Japaneseの列島広がりは北部九州からの南下と東進北上であり、今、北海道からアメリカ新大陸ヘの北上継続に世界史界の注目していることなどと整合しています。

そして特筆すべきは、②女性文化の伝統継続論です。2a入れ墨や土器の製作という女性に関わりが深いものが、縄文から弥生へと途切れなく継続していた事に着目し、2b大陸・半島からの渡来は、前衛たる男であったので、混血しても女性文化伝統が失われることがなかった事を思料されていますが納得です。このことは重要で、天照御大神、日巫子、神功皇后、「ノーベル文学賞」の紫式部・清少納言、話題の北条政子・・・から現代の肝っ玉母さんに至るまで、日本の大きな特性になっています。日本史を知らない洋風かぶれのフェミニスト達の告げ口で、国連は日本の女性の扱いが120何位とか言っていますが、全くトンデモないことであり、フェミニストらが日本女性を貶めています。ともかく、50年も前に博士の到達した日本の起源についての論も素晴らしい内容です。むしろ、博士が俯瞰した基本に反し、曲解している現代のDNA分析の例が散見されますが、温故知新で正されるべきであり、残念ながら博士を超える説が見当たらないのが現状です。子供・学生に教育し、世界に発信し、国際共同研究を主導して真の深化を図るべきです。

参考 金関丈夫・日本民族の起源及び解説・池田次郎 


既に登場していた右図北海道ルートに加え、 昨年の米国ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見で、 これ迄の諸定説が崩れ揺らぎ、前回のスミソニアン博物館の解説を皮切りに、新定説の再確立の時代の模索の幕開けです。

さて温故知新、①半世紀前の金関博士の「環太平洋文化圏」提唱は、当時把握できた史実について、東部ユーラシアとアメリカ新大陸を俯瞰されて、習俗文化に着目し、かつ、発表されたことも今の時代の腰が引けた陽だまり学究時代に、学問的に高く評価されるべきものです。習俗文化については、例えばアメリカ日系4世がDNAは私たちに近くとも日本語を話せず、生魚よりはハンバーガーが好きなら、はっきりアメリカ人であり、DNA分析を万能の如く振り回すのは誤りです。仮に万年前のDNAの影響が消滅していても、習俗文化が残されていれば学問的に尊重すべきです。金関博士は縄文期の事ながら、特異な②石器や③抜歯風習に着目し、「環太平洋」における類似性という視点の認識に至り、しかも日本で発見された最古級のモノだからといって日本発とは言えない、例えば豪の旧石器文化と共伴する物は注意すべしなどとされているのも誠実な学者として素晴らしいです。更に、➃圏内の他の類似にも言及されています。現生人類のアフリカ発もDNA分析による系統図も分からない時代に、現在よりは各地に痕跡が感じられたとはいえ、起源追求の視野と慧眼には敬服いたします。今では例えばA入れ墨の習俗は、裸体で見せることに意味のある南方発の精神性を伴う習俗文化ですが、中・南米にまで受け入れられて共通性が見られ、他方、北から鎌倉時代に北海道に入って来たアイヌが、美しいと感じて北海道先住のコロボックル(当初否定論と言われた鳥居龍蔵は、明治38年頃には諸事象―①低い身長、②口辺・手に入れ墨、③竪穴住居、➃石器時代の人民で土器・骨器使用、からむしろ符合として 肯定的であった)から学んだと伝承に残していることは、 内陸性と沿岸性の違いを示す重要な指標です。   

同じくB日本語について、松本克己博士が軌を一にする「環太平洋語族」論を発表され、また、アンダマン、チベット古語との祖代語以来の共通性(上垣外憲一―ハイブリッド日本)は南方を基層とし、その上に大陸アルタイ系の影響が重なったという認識は今では一般的です。そもそも金関博士が、そういう認識に至ったのは、北部九州から始まったものは大陸の北方要素とする当時の論調に疑念を持たれ、賑やかな南方、北方要素論議を超越するかのように考究されて「環太平洋文化圏」認識を打ち出されたのも素晴らしいことで、南方沿岸性と大陸内陸性の違いという、私たちが有するこの2重性をも既に認識されていたのではと推察します。因みに、日本祖代研究会では、図右上Cの東南アジア最古人種のインマレイド(出アフリカ黒人が東進により、沿岸・熱帯雨林等の暮らしで多少の変化。ともかく旧モンゴロイドと欧州学者が命名したのが誤解の元で、寒冷・降雪・強風に適応し身体変化した新モンゴロイドを、モンゴロイドと呼称すべきです)に着目し、出アフリカ現生人類の東進による始まり時代の有力移住ルートとして、環太平洋沿岸ルートのIMPOR(Inmalaid Migration along Pacific Ocean Rim)仮説を提唱していますが、その基本は半世紀も前に金関博士が認識され、発表もされていました。無論、半世紀前の事ですから、全てが正しい訳ではありませんが、「最初のアメリカ人」を巡り新たな定説の模索に入っている今、等閑に付されている「環太平洋」視点を子供・学生に教え世界に発信し、TPPやインド太平洋戦略の時代に、国際共同研究を主導して学問の進展に寄与し、教育を向上させるべきです。

AT THE SMITHSONIAN(December 28, 2021)で、昨年ニューメキシコで発見された2.3万年前の足跡について、①図4項目の解説が出ました。

1.最終氷期最寒期LGM前に来たのだろう、即ち、足跡が発見されたLGM時代は寒くて東部シベリアやベリンジアを移住していくのはムリと言う判断で、同じ見解の納得です。2.それまでの1.3万が実証で2万年前ということになったとするスミソニアン認定は重要で、事実として踏まえて今後諸説を考察することになります。そして、米大陸進入が数千年遡ったため、3.欧米学界を反映し、議論盛んな大型動物の絶滅問題について、人との共存の期間が長く、絶滅は進入狩猟族のせいではなかったと判断したことです(これは、気候環境派に凱歌が挙がったとされる重要なスミソニアン認定です)。述べられていませんが、「入って来たのは沿岸族で大型動物は狩猟しなかった」とする判断もできるのです。そして、4.大人と少年・子供の「分業」の可能性問題は、先史学者にとって重要な社会問題です。
他方、 慎重なためか、南米へは急行ではなかった、即ち移住は、ず~と牛歩の歩みだったという重要な事があります。これによりアジアからも厳しい環境を牛歩で来た状況であっただろうと思われますから、①寒さと②牛歩から、相対的に既に出ている北海道ルート(伊豆の海を行き来していた祖人の子孫による)の方が良そうですが、スミソニアンは触れていません。


これまで沈黙の日本学界 は、②図に関する国際共同研究を主導して深化させ、寄与することが求められているのです。(なお、これまで既述の発見足跡の時代2.3-2.1万年前、LGM2.6-2万年前に、修正します。判断内容の記述には変更有りません)

渡米が数千年遡り、最寒期LGMの発見は極寒の東部シベリア~ベリンジア行動に疑念が。1.4万年頃からの無氷回廊は未だ開いていないので沿岸進入に、そして北米から南米へ急行1,000年南下の定説が崩れ、8,000年を要したのならば、それ以前からの普通のペースだった。

するとアジア出発は3万年前と言う数字に(寒さもやや緩和期)。米2学者が発表していた北海道出発ルート仮説は「マンモスを追った」定説ではないが注目され、「昆布ハイウェイ」やベリンジア南岸は小島が連なる「ベルトコンベア」の様な「一時的な列島」状態だったと沿岸進入説を補強する研究も登場。さて、シベリアの狩猟族はまあ分かっていますが、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoはどうだったのか? 縄文前の初代、約4万年前からの始まりの(日本)祖代は、夜に灯りをともしたとすると結構今と似ていました(近畿・東海は少)。何よりも「曙海」沿岸から多くの家族が渡海して来た民であり、造舟・海洋漕舟能力等を有する祖先は、原始人と言うべきではないでしょう。従って、3.8万年前には伊豆の海を当時の宝物の黒耀石を求めて島へ行き来し(世界考古学史上の金メダル)広域で交易していたのも驚きではなく、オットセイが仙台で見られたように(北海道には慣れ易かった)、渡来から渡米(「昆布ハイウェイ」)までまあ食に恵まれていたルートと言えます。いずれにしても、これまでの定説は大きく揺らぎ、日本の祖代の様子は知られておらず(要発信・研究)、足跡衝撃にコメント出来ずに新たな定説の構築へ向かう「行く年来る年」です。ともかく現状の沈黙しているのはダメで、世界に発信、子供・学生に教えて将来に期待、国際共同研究の主導を、です。

ニューメキシコにおける驚きの2.3万年前の足跡発見後、とりあえずの解説コメントを期待して注目して来ましたが、9月の発見から今に至るまで、出ていないのが異常です。


結論的にA、1つは北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoの登場であり、2つ目は足跡時代の最寒期(LGM)に東部シベリアでの行動は難しく、その前とすると3万年前という数字が出ますが、シベリアのしっかり遺跡はバイカル湖地域の2万数千年前ですから、軽々に解説コメントをできないのでしょう。 そして更に厄介なのは、実はDNA問題です。Aを考えると東部シベリア族、北海道祖人共に、B現在のアメリカ先住民のDNAとは合いません。普通に考えれば現代の米先住民祖先は、沿岸からではなく遅れた2波目②、3波目の内陸無氷回廊から進入した影響力の強い狩猟族と考えられ、2波目は厳密にはFirstアメリカンかの嫌味が、それでなくとも根強い「先住民アメリカ発生」神話主張があるので、学者に遠慮があるのかもしれません。しかし事は北海道祖史・日本史に関わるものでもあり、日本は科学研究を主導すべきです。

世界の賑やかな議論が聞こえて来ています。

「沿岸ルートの昆布ハイウェイは、ホントに食に恵まれていたわね」、「ニューメキシコの23000年前の足跡は本物だな、驚きの7千年の遡りだぜ、沿岸から内陸へ入って行ったんだな」、「そんな厳寒の時代にシベリアなんか行動できたのか、最寒期だぜ。その前となると3万越えかあ。アフリカから東部シベリアまで来れてたのかね、無論、アラスカも含めその辺の遺跡1.5万前越えは何もないしな。まあ、バイカル湖2.4万ってとこだし(RHS3.2万は一時的―東大 海部教授)なあ。最近、急に古くなってるヘンな話も出て来てるがどうもね」、「そんな大昔の事となると、今手に入ってるDNAじゃ、もう、探るのはムリかもな。パラダイムの転換だね」、「氷の見える景色の所を入って行ったのね」、「伊豆の海を3.8万年前に行き来してたんで、北海道北上のルートを提唱するよ。シベリアから行けたんだったら、北海道から北上して行ったのを否定する要因は無いしな。旧石器遺跡はダントツ(701件)だし、何しろ、厳寒期でもハワイに繋がる海沿いだからね」、「実は温暖化でも昆布ハイウェイは凄く痛められているのよ、何とかしてほしいわ」。「お~い、その頃の日本の方はどうなってた?」。日本の子供・学生は、ポカンとしてるだけでなく、重要な日本の始まりも北海道祖史も実は何故かよく教わっておらず、答えられないのです。2022、いい初夢を見たいものです。

Shocking discovery 2021 of 23,000 BP-LGM Footprints in New Mexico changed paradigm on the migration theory. And the ancient migration from North to South America wasn’t “Express”, but normal. So, it may indicate that the duration was comparatively long period from Asia to America.

厳寒期のニューメキシコにおける アメリカ史が数千年遡る 足跡発見で、①欧米学者がなんとなくイメージを持っているシベリア狩猟族が、そんな時代に東部シベリアを移住できたのか? それより以前の寒冷緩和期ならば、現生人類がアフリカからそこへ来れて(無論、遺跡は発見されていない)居たのか ? 

②無氷回廊は、この時代は全く開いてないので沿岸進入の近年定説を補強したが、仮に無氷回廊が開いていたずっと前があったとしていつ頃か? 実は大きな問題は、③定説では1000年くらいで北米から南米に急行で拡がったとされているが、白紙的にニューメキシコ~モンテ・ヴェルデは今回の発見で8,500年ということで、急行ではなく人類はゆっくり常識的に時間をかけて拡がったとなります。この事は、この年月を北に戻すと2.3+0.85、即ちまあ、3.2万年以前にアメリカに向けて出発したことになり、特に問題のない 遺跡 充実(旧石器遺跡701件で近隣に対し、圧倒的)の北海道が俄然注目され、今年は「日本祖代研究会-SGPJ」がかねて提唱していた北海道を北上する (ベリンジア) ルートを、はっきりアメリカの2学者がyoutubeで発表(アリューシャンも含め)しています。いずれにしても現生人類はアメリカ新大陸に、「3万年以前に向かい、2.3万年以前に沿岸から小舟でアメリカ新大陸に進入してきた。誰で・いつ?」という事でいろいろ模索となり、現代のDNA分析は万能ではないです。

それは大きくとらえれば、第1波は沿岸(2.3万年以前から)ルート、そして第2波が無氷回廊から(1.4万年頃以降)で、現代は第2波の影響が強いと思われますので。はっきり言って、この問題を教えない、発信しない、研究助成していない、日本学界は周回遅れです。日本史・北海道史を解明する重要問題です、国際共同研究の主導で挽回を。

米ニューメキシコの①23,000年前の子供などの足跡の発見は衝撃で、世界のディアが報じ、45を越えるyou-tube動画が出ましたが、不思議なことに何れも発見事実の内容を伝えただけで、その歴史的な意味に関する学者のコメントが付されていません。

それはそうです、そんな時代は最終氷期の最寒期(LGM)で、シベリア東部などは、現代でも2名が凍死することがある厳しい所で、人がマンモスを追って移住して来れたのか、ですから。実は、大きな衝撃は、それまでの定説である人類は北米から南米へ「1000年程度で駆け抜け、南端のフェゴ島に達した」が、あっさり崩れました。即ち、②”急行”ではなく8,500年かけて普通のペースで拡がった、スーパーマンではなかったという事です。その事は、ニューメキシコにやって来た方に逆に ユーラシア東部 にペースを戻せば、まあ、 32,000年前に移住し始めて来た事になります。という事は、そんな前だと、③未だ、内陸の寒冷・降雪・強風に適応して顔が平面化し、体形がずんぐりむっくりし目元に変化が、などと言われるような種々の身体変化を生じたモンゴロイド化(せいぜい1万数千年前との理解)を、していなかっただろうとなります。

コレが重要なんですが、欧米学者は出アフリカから東進し、インド洋の沿岸・熱帯雨林・草原の暮らしで変化した図下AインマレイドInmalaidを古モンゴロイドと呼んでいるので、事態が分からないのです。つまり、モンゴロイド化の起きていない時代という事は、出アフリカのネグロイドが寒さの北に向かったb人、一方、好スピードで東進のA人、これらが共に北上して行きましたが、両者とも多少の身体変化は生じたものの、「モンゴロイド」ではなかったという事なのです。そうすると、北に向かったインマレイドA人は、沿岸系A‘人と内陸系A“人、それに直路北ルートのb人が、ベリンジアに向かったことになり、今年初めて下図➃米国2学者が、北海道出発の仮説を発表し登場しました。

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日本列島史では、約4万年前に北東ア平野沿岸を南方から北上し、曙海を家族がフネで北部九州に渡海し、38,000年前には東京諸島へ黒耀石を求めて「伊豆海峡」を越えて採集して広域の交易を行い、3.5-3万年前には北海道に適応して701件の旧石器遺跡を残して、大陸と比較すると桁違いの暮らしの基盤が有りましたので、これまで説が出なかったことが異常でした。

そして、

下図⑤A’・A”・bが入って行ったのは、生じていただろうと発表された新説である米臨海の「一時的列島Temporary Archipelago」状況から、Kelp(昆布)Highway沿いであり(沿岸進入越)、人類史の普通のペースで南米に向かったという訳です。

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さて以前から、⑥アマゾンの古部族の万年前からのDNAが、何と何処でもない東南アジア地域のインマレイドに近いという、ハーバード医科大・院の発見で悩まされてきた史界(同様は他にもブラジルのラゴア・サンタで 1万年越えがあり)ですが、A’・A”・bの南下という事であればモンゴロイドは含まれておらず、有り得ることで少しほっとしていることでしょう。以上、こんな解説を誰もしない事由はあるのですが、全く異常な事です。はっきりしないことは言わないと散々言って仮説発表をためらう無謬主義の学界ですが、あっさり「急行南下」が否定された衝撃と北海道発の仮説まで外国から言われた年でした。そして、その後の万年の時を経て、⑦1.4万年前頃から開通した無氷回廊を、シベリア発の「モンゴロイド」が南下して来て、アメリカ史の大きな第2幕が開き、強い影響力でアメリカ大陸に拡がり、今に至っているという訳です。この第2幕以降をDNAだの何だのと得々と語っている人は、周回遅れなのです。

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なお、図下インマレイド環太平洋移住Inmalaid Migration along Pacific Ocean Rim仮説と、より鮮明にするためにインマレイドI(赤字)を先頭に追加します。そして正にこの事に符合する元日本言語学会長であった松本克己博士の「環太平洋語族論」に光りを、なのです。2021年、「最初のアメリカ人は、モンゴロイドではなかった」の意味が、世界史界に衝撃・悩み軽減の年という訳でした。子供・学生に教え、世界に列島史と北海道史を発信し、国際共同研究を推進し遺跡の保護等に努めましょう。

図右①米2学者発表の北海道発のアメリカ大平洋沿岸へから、②千島列島と北千島ルートン(第1アイヌから改称)と説明して来ましたが、図左、北千島ルートンが、カムチャッカ南端部に居た事は重要で、かつては更に北方の奥まで居たものの、強いイテリメン・カムチャダールに押されて南下して来たとも考えられるからです。

カムチャッカ半島では河川流域と沿岸部で竪穴住居に住み、肥えた頬が形質としてルートンに似ていると記述され、重要な信仰は、シベリア内陸系の全能の「神」ではなく、木に石に海に岬そのものに信仰の供物と「八百の神」であることは、日本列島民との共通性を感じさせます。また、神話のヤタガラスは、アメリカ北西部沿岸の先住民が大切にしており共通です。良く知られた中部のウシュキ遺跡も水辺の湖岸で、石器がアラスカの物と類似であり、一方、墓の副葬品が北海道の函館知内町の旧石器遺跡(2万年前)の物と類似と言われています。これらは、正に北海道とアラスカの中間に相応しい繋ぐ痕跡です。北海道発から千島列島、カムチャッカ、海岸チュクチ(入れ墨など)そしてアメリカ新大陸へと沿岸民のムリない移住ルートが想定されます。

世界史界の課題「最初のアメリカ人」First Americansに関し、従来の北米内陸の通路「無氷回廊」Ice Free Corridor からではなく、近年では北太平洋の昆布ハイウェイKelp Highwayの沿岸から進入したCoastal Migrationとする新たな説を踏まえ、米2学者が北海道発の千島列島ルート仮説(右図②)を発表(①から可能)しています。

この事は、青森から北上し3.5-3万年前に北海道の暮らしに適応して拡がった(北海道地域の旧石器遺跡状況が示す)北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが注目され、鳥居が北千島で調査した”遊動“海民である第1アイヌ(北千島から得撫までに”遊動“居住する人々を鳥居が命名)が、系統の子孫である(前回の海民性の入れ墨など)と考えられます。①彼らは、住む地名の基礎ルートンを種族名の自称に使用していたこと、②かつて北千島のみならず、カムチャッカ半島南端ロパートカ岬にもいましたし、さらには以北にも同系種族が居た事は歴史上重要であり、それらの人々を彼らの自称を尊重し、総括的に「ルートン」(英語表記は、このカタカナ発音からRouton)と呼称して千島ルートrouteの意も込め、また今日の史界の状況を踏まえて日本のみならず世界にある誤解も正すべく、日本祖代研究会は提案し使用しています。現下の状況で北海道史とベリンジア周辺地域の状況の解明は、近年のDNA分析や水中調査などを含めて重要であり、その状況を子供に教え世界に発信し国際共同研究や遺跡の保護に、積極主導的に取り組むことが必要です。

米臨海周辺の種族①の海民性の入れ墨は要注目です。

②最も近く先住の海岸チュクチ・オンキロンは入れてますが、内陸の蒙古系の同名チュクチは入れていません。渡って行った先のアメリカ北西海岸部のトリンギットやハイダ族などが入れているだけでなく、胸の入れ墨は北九州の海民である宗像ムナカタ族と同様です。③そこに向かう日本側の北千島ルートンは、祖先の頃からの入れ墨だと鳥居の調査に答えていますが、アイヌと戦い追われて北海道から逃げて行ったという伝承のコロボックルからアイヌは学んだと、違いがはっきりです。東北の縄文土偶にも見られ、その後の埴輪には写真のように広範囲に、文様は若干異なりますが風習があり、かつては列島中にあったのです。南島のハジチも痕跡を窺わせてますので。また、④ベーリング海峡の島のイヌイット・エスキモー、米臨海の南のアレウト族もはっきりです。

このように日本列島から米国北西海岸に至るまで、海民性の入れ墨の風習が、その進入を裏付けていると思われます。因みに、人類が着色を施した痕跡は、⑤海産物を食して頭がよくなったと言われる海岸地域の石器に残っています。流石に万年の昔の入れ墨は普通には残りませんが、アルプスの氷のお陰で残ったアイスマンの入れ墨は、他に見せるモノでなく体のツボに施した治療用とみられ南方の海民とは違いを見せています。最初のアメリカ人は「誰が何処から」で、沿岸から進入したと言われる新定説の海民の痕跡は、今は数十mの海面下ですが、入れ墨風習は、内陸民との違いを見せる痕跡と考えられます。

②最初のアメリカ人に関し北海道発という仮説が出ている時代に、現日本学界は、明治人の鳥居龍蔵の研究(南シナからシベリア、アリューシャンを視野)を越えていないだけでなく、子供に教えず世界に有益な発信していません。

明治32年に北千島を現地研究した鳥居は研究を続け、図左下よほど古い石器時代的な「第1アイヌ」(アイヌと称するべきではないですが)、北(樺太)から入って来てコロボックルに入れ墨を学んだ新しい「第2アイヌ」と区分して命名し、南方発の入れ墨の違いとカムチャッカにも出て行っていることにも注目しています。その先の北、図上チュクチでは、これも古い先住の海岸チュクチの石器時代的な暮らしの痕跡と入れ墨に着目し、名称は同じでも蒙古族的な内陸民との違いをしっかり説明しています。また、図下遠く離れたアレウト族についてもその石器時代的な暮らしと入れ墨の他、ロシア教会員によるエスキモー・イヌイットの支派観、カムチャッカ・千島・日本人との類似性の話は、坪井博士存命ならコロボックルに比定されるものと紹介(同意・否を示さず)しています。

アレウト族は遺跡からはアラスカの方から西進したものと思われます。図の333kmは、祖人の時代に家族ではとっても越えられなかったでしょう。なお、前回報告の春日部陸軍通訳官は、混血でない原民アレウトを日本人に酷似と報告を記述しています。鳥居龍蔵にとって、アフリカから全ての現生人類が発し、日本へは約4万年前頃に北部九州に渡海して来て北海道に北上し、その後に縄文時代になった内容などを聞けば腰を抜かす時代に、今に役立つ有益な研究成果を残していますが、戦後の日本学界の方は、人類史の課題である「最初のアメリカ人」に関する論説が、全く見られない周回遅れの状況です。鳥居研究の存在を子供に教え世界に発信し、第2アイヌ子孫に使われている膨大な予算を、国際共同研究に振り向けましょう。

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