(人類・日本史最前線) 「最初のアメリカ人」問題、米先生のサハリン南下ルートは時代的にムリで、Honshu・青森北上ルートの検討を!

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①北米2.3万年前 足跡の衝撃

全米のメディアが報じたニューメキシコにおける子供や動物の「足跡」によって、それまでに発見されていた2万年前から1.4万年前の複数の遺跡報告によって揺らいでいた「1.3万年前からのクローヴィス石器文化人が最初」という定説は、決定的と言っていい打撃を受けています。

本土米国への進入が注目される人類のベリンジア陸峡への到達3~2.5万年前の時代には、内陸の無氷回廊(IFC)は大氷床が融けて開かれた状況には未だなっていません(3~1.4万年間)ので太平洋沿岸ルートという事になり、定説だったマンモスを追ってベリンジア陸峡に入って来たとされるシベリア狩猟族C、北東亜族Bは、大槍を捨ててフネに乗り換えベリンジア海民(Maritime Beringian)化したという衝撃のイメージ転換になります。北米太平洋岸の海洋・流氷、地形、気候、生物等の古環境の最新の研究分析と極北の民イヌイットの月光・オーロラの地での氷上での暮らし振りなど(Ice and ocean constraints on early human migrations into North America along the Pacific coast February 6, 2023)から、人類の大氷床時代のアラスカ~カリフォルニア沿岸の南下は可能とみられ、条件的には2.5~1.6万年前の間が最適とする学術報告がなされており、これまでの発見遺跡やDNA分析と齟齬がありませんので、「When」と「Where/How北米沿岸/フネ・徒歩」が見え、「Who」に関しては古シベリア狩猟族C、古北東亜族B、カムチャッカ東岸北上グループAの3区分となりますが、アメリカ先住民(古人骨含む)の米国でのDNA調査からCと考えられており、東シベリアを東進するルートと樺太回りSHKが考えられています。

①―2 北米沿岸ルートで注目されるカムチャッカ沿岸Aの「Kポイント」(カムチャッカ半島南端ロパトカ岬、占守島)までのルートと研究現況の表

千島aルートとオホーツク海北沿岸からカムチャッカ西岸を南下するa’がありますが、a’はA、B、Cのいずれも一応通り得るルートで痕跡が全く無い事と学界で説が全く出ていませんので「Who」の比較絞り込みの点で略します。千島ルートは北海道東端の「道東ゲートウェイ」へ米最新説のサハリンからのSHKと祖代研が列挙を提唱している青森からのAHCの2通りとなります。これをDNAの面からと考古学上の観点から両者を比較しましたのが図下表となります。

アメリカ先住民のDNAについては、アジアにズバリこれというタイプのない複雑なものといわれ、ベリンジアであるいはそれ以前に混血・変異が生じたと見られています。米国の最新説ではC古シベリア人APSを挙げ、この点でB、Aを斥け、ルート北米太平洋岸説の高まりからこれまでの東シベリア東進のみならず、サハリン南下SHKを挙げているわけです。しかしDNAについては、かつてNational GeographicとIBMが大プロジェクトで広範なサンプル調査による拡散図を発表しており、図に見られる通り日本列島ルートがあり、考古学的な観点からは第1波、後続、無氷回廊を通過する時代差のある第2波が考えられます。従って、青森ルートを排除せず更に研究していく必要があると考えます。

②列島北上の青森~道東ルートは充実の本州に支えられ少なくとも関わりの可能性

既に、動画など一部に登場しています。3.8万年前の東京・静岡の遺跡と何と言っても伊豆祖人の世界最古の生業航海が沿岸ルート時代に注目で、長野の高地に至るまで確実な時代の古さに支えられています。更に青森は、当時は広大な陸奥平野の時代でしかも太平洋側と大雪は無かった日本海側の両方から北上して東西が合一した賑わいの時代であり、狭かった津軽海峡を大間(竜飛)―襟裳―3万年以前の帯広へというわけです。下北、津軽に祖代遺跡があり、大平山元では最古の土器が発見されている次代の縄文は三内丸山などの世界遺産という充実で、サハリンとは比較になりません。既に知られた沖縄サキタリ洞窟の人骨や釣り針に加え、黒耀石を求めた伊豆の海の生業航海が知られてHonshuが登場するに至っていますが、まだまだです。DNAに関しては、N.G.拡散図に加えて少数だったために後続に押されて目立たなくなっているのではとも考えられます。

③サハリン・樺太ルートは痕跡の古さの点で時代的にベリンジア到達が難しく、人骨・遺物の両面で実証性が空白

オホーツク南ルートであるサハリンS・北海道H・クリル(千島)Kのルートは、DNAが古シベリア人APS系でオホーツク・沿岸ルートという名称から米学界では登場の書籍も出ていますが、北海道の始まりは本州石器(堤 隆)の祖人であり、樺太からの北海道への最古流入である祖代の細石刃文化はせいぜい2.5万年前以降(佐藤宏之)で新しく(シュービン氏の挙げた年代も)、「最初のアメリカ人」の参加資格であるベリンジア2.5万年以前(DNA分析、足跡への移住)の到着に間に合いません。支える沿海州の例えば有名なオシポフカ文化も1.6万年前程度の事で論外です。他方、シュービン氏は講演で北樺太や占守島における原始的な礫石器、占守島の祖代遺跡などに言及し、また遠軽白滝産の黒耀石が沿海州にまで及んでおり、学界は北海道祖人が道外に北上を継続した可能性という現在全く見られない事を採り挙げるべきです。

そして日本史研究にとって重要なこの人類史課題に関し、周回遅れの教室の抜本改善と世界への発進の施策を強く求めます。―日本祖代研究会(RGaPJ)

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