昨日、右図世界人類史の最後の謎「最初のアメリカ新大陸人」問題で、定説を数千年早めて覆す騒ぎの「ニューメキシコの足跡」の地に米先住民が集結、最大のフェスティバルが行われました。

図中下、諸説ある中で、青森(左図 白丸:最初期の遺跡と青森-祖代後期遺跡・赤四角)・北海道(Kelp Highway 昆布ハイウェイ)ルートも既にいくつかの動画で登場しており、関わりの可能性がある各地の祖人Sojin(縄文前の祖代Sodai人)も注目していることでしょう?!(縄文Jomon人は、1.65-1.5万年前で足跡に間に合わず、Ainuは13世紀からです、内外の誤解を正そう)。参加の旗に、丸に十の字の薩摩隼人・島津家・鹿児島のマークが見えて興味深いです。

左図①近年のDNA分析により、印アンダマン諸島人、8千年前ラオス人骨、狩猟族でない淡水食の北京・田園洞人、(北部九州祖人)、愛知・伊川津縄文人が類縁の南方系で、静岡・浜北、関東へと繋がっていきます。

②文化的にも伊豆の海を3.8万年前に黒耀石を求めて舟を造り行き来し、長野高地に多様な石器群が見られ、陥し穴猟や環状キャンプなどの社会性とそれらが言語コミュニケーション無しには考えられないことから、「日本祖語」を有した祖人は、もはや原始人ではアリマセン。当然にして列島中の山川、動植物などに名前があったでしょうから、別に13世紀からのアイヌが命名した訳ではありません。そして、③祖代当時の列島中央部は、沿岸及び広大な関東平野での遊動暮らしで現在を思わせる太平洋側と日本海側が連接された賑わいを見せていました。そして、そこに精神性ある縄文文化が加わって、今、東北史は見直されてきています。右図当時は日本海側に大雪が降らなかったことも幸いし、オットセイなど海獣・海鳥卵・海藻の豊かな仙台の東西2方向から祖人Sojinは引き続き北上し、早い段階から東北の高地部にも拡がっていた(白丸)ことが分かります(海水面が数十m上昇し、発見困難)。青森は最古級遺跡こそ見つかっていませんが、祖代後期遺跡(赤四角)が日本海側と太平洋側で発見されており、東西が合流した「陸奥平野」、食豊かな津軽海峡Kelp Highway(昆布ハイウェイ)の暮らしから、竜飛、大間のいずれからも容易に北海道に進入できました。帯広、常呂の旧石器は本州との繋がりを窺わせています。北海道進出の祖人は、道南・道央はもとより、襟裳から道東のハイウェイを拡がった暮らしが近年は「最初の南北アメリカ新大陸人」関り可能性で、世界人類移住史的に注目されてきています。

そして、日本一と言われる豊富な宝物の黒耀石が幸いした遠軽白滝旧石器群が国宝へ、大陸からの細石器文化ももたらされ、やがて精神性ある先進の北東北・世界縄文遺産へと受け継がれましたが、当然と言えます。生徒・学生に、世界に発信を、更なる研究の深化を。

女性議員を、女性の活躍をと言われる昨今ですが、世界に天照大御神や紫式部・清少納言に比べられる時代の偉人女性は他に見られません。その大きな理由は、約4万年の日本史期間の92%にもなる日本文化の厚い基盤に有り、近隣国との違いも島国としての独特のこの基盤にあるのでしょう。

①最近のDNA分析で、愛知・伊川津縄文人が、明治以来言われて来た人類の出アフリカ後の南方系の北上を示す類縁性が明らかになり、その事は、②始まりの北部九州祖人(約4万年前)と伊豆の海を行き来した3.8万年前の伊豆や愛鷹祖人、長野高地の香坂山祖人、また、伊川津の隣の浜松・根堅祖人(1.8万年前)、同縄文女性(1.4万年前)の繋がりとも類縁と考えられ、相互に実証性を示します。考古学的には、伊豆祖人の舟の作成・黒耀石採集の海上操舟や長野の高地にまで活動範囲を広げ、かつ多様な石器を生み出した知力が注目され、また深さ1m越えの陥し穴を60基以上設けた作業の社会性は、「あ~う~」ではムリですから「日本祖語」があったものと考えられます。祖代が遊動する狩猟採集時代と言われる中で、石器技術の高度化、環状キャンプや住居状遺構など次の代への着実な発展が窺え、始まり祖代から現代を思わせる列島中央部の賑わいが広大な関東周辺に見られました。引き継がれた縄文期には伊豆・河津の縄文工房、そして地域の暮らしぶりを示す充実の貝塚などに加え、③東日本の生活文化の面では火炎土器、土偶、木造建築物など精神性や造形のレベルの高いモノがありました。

また、それらが祖代からの狩猟・漁撈の暮らしに加わり、独特の文化で戦いに強かった(別の視点では弱点)歴史的な特徴に登呂稲作が加わり北上し変化を与えました。問題は、それらを継承するその後の東日本の歴史が、魏志倭人伝や記紀の影響による九州~畿内史観で歪められ、軽視されて至当に探求されず描かれていない事でしょう。正すことが求められています。(大谷翔平、佐々木朗希君たちもそうだと言っています?!)

浜松地元の方が不思議発見。さて、歴史上重要な北海道・白滝黒耀石器群が、昨年晴れて国宝に指定答申がなされました。ところが、石よりも重要な人が教科書にすらその意義説明をきちんと採り上げられず、世界に発信されていなのです。

実は浜松と同じ県内の「伊豆祖人」は、3.8万年前に伊豆・東京諸島へ舟で行き来し、黒耀石を採取(年代、原産地特定の実証)していた活動が世界初で、言わば「世界考古学史上の金メダル」なのです。しかし、一般的に日本列島は酸性土壌で人骨発見が無いためと新聞が「驚きの謎」と書いたためか、今一つ知られていません。そこで「根堅祖人」です。そもそも天照御大神誕生地の名(古事記)を有する尊い遺跡で、沖縄以外では最古の祖先人骨です。日本列島の中央部、何よりも近傍の「伊豆祖人」を実証的に説明しうるものであり、また1.4万年前の20歳代・143㎝、女性の根堅縄文人骨へと繋がる(いつから縄文かは学者議論中)始まり時代からの歴史を現代に至るまで示す重要な者なのです。それもこれも「祖人Sojin」という用語が無いために、教室で話をし、学者が種々の課題を議論することが一寸し難いからというだけの事なのです。それは「後期旧石器時代人」の語が、長すぎるし英語にすればイメージは世界でバラバラ、日本史固有の始まりである約4万年前からとは思われず、その後に続く新石器時代と縄文時代も当然に合わず、そもそも教室で後期旧石器時代人について説明すれば、その都度舌を噛みそうなのです。今や世界文明の一つともされる縄文Jomonの大切な親・先代、日本史始まり祖代Sodaiの #浜北祖人Sojin と伊豆祖人の活動を教科書に世界にと言いたいのです。

更に、現生人類の「最初のアメリカ新大陸移住」PAC問題は世界の注目であり、北海道からの「昆布ハイウェイ・Kelp Highway」ルートはその一つの有力候補なのです。それを実証面で支えるのが海民・伊豆祖人の舟での行き来活動であり浜北祖人骨なのですから、祖人骨を国宝に、話を教室に世界にという訳です。 


山口先生は①充実のサンプルを詳細に分析し、遠隔類縁の発見事実のみを発表されたが、おそらくその結果に先生のみならず見聞の学界皆が驚きをもって受け止めたのではないでしょうか。

今では、3.5万年前後からの北海道史始まり「祖代」の遠軽町白滝遺跡の黒耀石群が国宝に指定答申され、最右図米ワシントン大のDr. Ben Fitzhughが北千島の6,000年前という縄文遺跡を報告し、稚内に近い礼文島では4,000年前の縄文女性人骨が顔の復元までされています。1.オホーツク人とは異なり、2.樺太、道内のアイヌより北千島の「留頓」に近いという発表結果も、図右北海道周辺含む地域の時代史の概要を人的な歴史の積み重ね層序で描けば理解できます。つまり北千島・留頓は、孤立的であったため古さが維持されていたのです。鳥居龍蔵は北千島・留頓を、「道内アイヌ(第2)より余程古い第1アイヌで、コロボックル(恩師の坪井東京帝大教授の説)である」との最終認識を発表(大正6年)していますので、符合します。更にオホーツク人とは異なるという事で、それぞれが南方系の北上史であることをうかがわせ、実は樺太アイヌも、祖代には稚内~樺太は陸続きでしたのでその下層には貝塚人の存在を推定させます。山口先生の研究は、今日的に極めて重要な一つの示唆を与える意義深いものなのです。また、②重要な北千島・留頓については、5回の調査による馬場脩先生の膨大貴重な「馬場コレクション」に北上史の視点で光を当てねばなりません。

そして、③コロボックル・留頓そのものについては、最後の田中キヌさん、世界各地に散在する関連の留頓系DNAが、今や世界人類史の解明に資する重要なものとなっています。もしかしたら、世界を驚かせる結果が埋もれているかもしれませんから。ともかく生徒・学生に状況を教え、世界に発信し、国際共同研究を推進すべきです。

右図、最初のアメリカ新大陸への進入PAC問題は、2.3万年前のニューメキシコ足跡発見で定説が崩れ、図右上、槍持ちマンモスハンターや寒冷適応で身体変化のモンゴロイドさえも今は否定的なものなのです。

そういう状況で、千島列島最北の占守島・幌筵島の6,000年前・縄文-早前期の痕跡(Dr. Ben Fitzhugh報告)やシベリア東端のチュクチ海岸族、先住オンキロンの遺跡(鳥居龍蔵が言及)に光が当たります。他方左図、現代に繋がり「アイヌより余程古い」(鳥居龍蔵)、石器も発見されている遊動海民のコロボックル(坪井正五郎・東京帝大が唱え、鳥居龍蔵も大正時代になって認めた)・留頓(ルートン、西の人)は、カムチャッカ半島最南端ロパトカ岬地域にも存在していましたが、研究により実はカムチャッカ南端地域の方が主体であったものが縮小して来たものであり、正に占守島などに居た人々は名前のとおり「西の人」という事になっていたことが分かりました。この事は、大昔の千島の北上、更には北に進出というこのルートの物理的な可能性の推測が出来ます。従って、シベリア東端チュクチの石器人的な先住海民・オンキロン、アリューシャン列島の世界第1級の海民・アレウト族などの研究は今日的課題です。現生人類の最初のアラスカ進入のみならず南米先住民との関連という視点ではこれまで海民の祖史状況に広範な研究がなされて来なかったことから、現代科学の探求努力が期待されています。白滝黒耀石群が国宝指定答申された今、北海道・千島の最古に迫る祖史探求を生徒・学生に教え、日本の状況を世界に発信し、国際共同研究を推進することが強く求められています。

米ニューメキシコの①2.3万年前の足跡発見の衝撃は、北米遺跡の意義を薄め、行く途中や行き着いた中・南米に光が当たって来ています。

それでも、現在のアメリカ先住民に直結し、全米先史で基本となるクロービス石器文化を示すモンタナ州のAnzick幼児の人骨分析で、無氷回廊の出口にありながら太平洋岸からの初期移住系であり、西のコロンビア川で発見されたケネウィックマンも海獣食の沿岸系であることが注目され、また、中・南米へは、先ずは舟で沿岸を南下したと考えられています。始まりのアラスカへも、②2.5万年以前となれば、アジア人の寒冷適応のモンゴロイド化は未だで、また、巷間で言われているような数人が槍でマンモスハントすることは、否定されています。最新では、X::3万年以前の早い時期に細かった無氷回廊を南下した新説、Y:アリューシャンから沿岸を南米まで南下した説が出ています。問題は、③自明とされているシベリアから来た!ですが、実は欧米では、ヨーロッパから大西洋を越えて来たと言うソルトレーン説が一部に根強く、それとの比較論議で言われていたのです。初期アメリカ移住(Peopling of American Continent:PAC)者のDNAは単純ではないと分析されており、よく見ればA,B,Cの特色ある3ルートに分かれ、肝心の東部シベリア東端部では2.5万年以前の痕跡は見つかっていませんから検討されねばならないのですが、現在の主流はBとされています。

しかし近年、カムチャッカ南端スタート説も出ており、白滝黒耀石群が国宝に指定されることになる今、正に日本の理論的な研究が期待されているのです。これは人類史に貢献という事だけでなく、日本史、北海道史に関わる重要な問題なのですが、現状は周回遅れです。PAC問題の意義を生徒・学生に教え、挑戦を期待するものです。

世界人類史の最後の謎と言っていい「最初のアメリカ人」問題。

①北京・田園洞人が淡水魚食の沿岸系、進入したアメリカ新大陸で話題のAnzick幼児・クローヴィス石器人のDNAは沿岸系でケネウィックマンも海獣食、遂にマンモスハンターがベリンジアから進入ではなく鮭追い説も登場し。欧州学者はDNA分析により、それまでのシベリアからとは言わずにアリューシャン(列島、海民アレウト族)から来た説を。アリューシャンへはとなれば、当然に有力ルートととしてカムチャッカ、北海道が導かれます。しかし左図、何と人類史で日本ルートが無い不思議。①図の伊豆(3.8万)、石垣島(2.7万)、北海道(3.5万年前後、白滝国宝へ)などの祖人Sojinはびっくり、世界もです。1.65-1.5万年前からの縄文人Jomonは、3.8万年前(伊豆祖人・黒耀石の痕跡時期)にアジアの集団から分かれたと言う無茶苦茶な空白の2万年説明には、「?」です。尤も、日本史において、北海道に日本人が居なかったとしているので、驚き誤解と言うより、呆れでしょう。なにとかしなければならない酷い周回遅れで、子供脳の「いじめ」です。

 Footprints in New Mexico has changed paradigm of First Americans. One route started from the Aleutians to mainland US, then to South America.

There’s no reason physically to exclude Kelp Highway route from Hokkaido to Beringia, as no archaeological evidence are in far east Siberia. They weren’t Jomon, nor Ainu since 13th century, but Sojin since 38,000 BP.

最初のアメリカ人問題において、①米ニューメキシコにおける2.3万年前の衝撃の足跡発見で北米の遺跡から行き着いた南米に注目が。その南米と言えば、Harvard医科大の「何故、アマゾン一部の部族のDNAが豪、東南アジア地域と類縁なのか」という難問があります。

DNA痕跡有りとして、コペンハーゲン大チームが、北のアリューシャン(アレウト海民系)からという説が。ロシア人を驚かせた世界的に第1級の海民で、ち密な海獣革舟カヤックも有名です。そもそも世界では、②豪に人類が進出するのに90km以上の海を越えたと考えられており、筏からカヌーと7―6万年前からという古さの始まりで多彩な舟と発展史が知られ、インドネシアを含めて地域には太古の洞窟絵も舟が登場しています。さて、日本の始まりは「曙海」(九州・沖縄の西方)の畔から、北部九州への渡海であり、③実証的に認められているいわば世界考古学史上の金メダルである伊豆(東京)諸島への黒耀石を求めた25km以上の舟による行き来です。実は、当時の海水面の低下による陸地増加、黒潮分岐流なし、海岸は舟を曳いて歩くとすれば、屈強な男たちによる渡海は、始まりの対馬海峡の家族越えに比べれば容易と言え、新聞が報じた「謎」ではアリマセン。そもそも伊豆地域は、古代の天皇に船を献上する木材と造船力で知られた有名地なのです。「カヌー」の語は、コロンブスがカリブ海原住民から教わり世界に広まったと言われてますが、枯野・軽野からという説(東京商船大 茂在博士)があるのです。但し、それでは3.8万年前に、伊豆祖人が、どんな舟を使ったのかは見つかっていません。

我が国では、時代が下って最古の縄文丸木舟が千葉・市川市で見つかっており、最北の「アイヌより余程古い」(鳥居龍蔵)北千島の遊動海民である石器人的コロボックル・留頓(ルートン)は、流木舟でした。他方、肝心の黒耀石の島である神津・恩馳島(当時は一体)には、オットセイがいたので革舟だったろうと言う説もあり、また、葦の舟も有り得ます。なお、静岡~千葉の地域は、浜北の祖人骨、愛鷹石器群、陥し穴猟、最古舟、最古・最大貝塚、縄文黒耀石「工房」など、実証された最重要遺跡・遺物の宝庫であり、世界遺産候補ゾーンなのです。生徒・学生に教え、世界に発信を。

米Harvard医科大を驚かせた、①一部のアマゾン先住民DNAが、当然あると思われた北米はもとよりシベリア・ユーラシアにも無く、なんと豪、東南アジア地域でしか類縁が見つからなかった不思議。学者先生は、「誰がどのように」という説としての公式発表は未だ無い匙投げ状態で将来に期待。

ともかく、長い間の「シベリア・マンモスハンターが、ベリンジア地峡から獲物を追って入って来た」定説は崩れ(発見石器からも勇壮ハントはムリ―実験考古学)ており、太平洋の海を直接渡ったA、北米太平洋岸をアリューシャン(列島・有名海民アレウト族)から沿岸南下B、日本列島通過B2の意見など、図右下の海民に光が。海ルートとなれば、②そもそも約4万年前に北部九州に渡海して拡がった祖人Sojin(初代、縄文の前)は、伊豆の海で黒耀石を求めて活躍したことが知られ、近傍の愛鷹石器群、近年発見の長野の多様な石器群、三島や三浦半島での知的な社会性を示す陥し穴猟(動物の行動予測に基づく、鉄器の無い時代に1m級の多数の穴設定)などの考古学的な基盤もはっきりです。狭かった津軽海峡を越えて入って適応した北海道祖人は、そこに留まる理由もなく、また、行けなかった障害もなく、「道東ゲートウェイ」から白滝~陸続きの宗谷越え、また、次々に島が見えた食豊かな処女地の千島(痕跡:北千島海民・「留頓ルートン」)を北上し、「最初のアメリカ人First Americans」に関わった事でしょう。これは、世界史だけじゃない、日本史、北海道史の話なのです。研究・教育行政、日本学術会議、教室は周回遅れです。

北米での2.3万年前の足跡発見で「最初のアメリカ人」に関する定説が崩れて揺れる世界学界の現状において、左図、北海道のゲートウェイである道東を経た白滝遺跡品の今次指定は意義深いです。

また、その基盤となる3万年を遡る遺跡がある帯広で、1.5万年前の大量の黒耀石発見も意義深い事でした。伊豆祖人による3.8万年前からの舟で海を25km以上の海を黒耀石を求めて神津島に行き来した最古の生業活動は、 考古学史上の金メダル であり、北海道における事象の基盤ともなるもので、世界的に注目されることです。約4万年前(考古学者の大勢の認識)に、1.南方系の人々が「曙海」のほとりから北部九州に渡海(大陸・半島からから北は誤解)し、3万年前までには沖縄から北海道にまで拡がった祖人は、2.現代を思わせる列島中央部での賑わいを見せ、3。北上して北海道に痕跡を残し、食豊かな処女地への更なる北上が推定される訳です。問題は、文豪の「吾輩は猫である。名前はまだない。」に倣えば、左図北海道の白滝遺跡群の出土品である黒耀石の国宝最古指定に関し、「吾輩は国宝を製作した現生人類・新人であるが、名前はまだない。」という祖先に対する教室の現状です。「祖代Sodai・祖人Sojin」の用語が無いためもあって、授業ではその北上(沖縄への南下)の拡がりや世界的な意義の説明は全くアリマセン。他方、今や世界標準で文明の声も挙がっている縄文Jomonは、よく知られていますが誤解も見られます。祖代・祖人が残した遺跡・遺物から、称すべき名が「原始」ではなく、後期旧石器時代・人も不適切です。①縄文、鎌倉、玲和などの他と同種であるべきなのに、世界用語の異質な違和感ですし、③世界では国によって年代が違いますので、約4万年前から縄文の始まりまでという日本史に固有の始まり時代を表現するには全く不適切で、英語にすれば誤解されます。

そして、縄文の始まりには3つの説(ア.16,500年から。イ。1.5万年前から、ウ。1.3万年前から)があり、厄介です。祖代は日本史の60%を占め、縄文の父母であるのみならず日本文化の基盤となる重要なものである認識も不十分です。人の脳は塗り替えでは無く、建て増し建て増しの変化ですので60%期間の重みがあり、縄文も1日にして成らずという事です。また、祖人と縄文については、静岡・浜北祖人骨が縄文人と差が無く繋がっていると認識されてますし、そもそもある時期をもって祖人を縄文人と呼称するわけで、これも分断は有り得ないのは自明です。江戸人が維新でザンギリ頭にし、ネクタイを締めたところで中身は変わりません。近年のDNA分析の発展と歴史学への適用により遺跡・遺物の年代や状況の解明が進み、右図、縄文人と弥生人に分断は無く、人や地域の多様性を軽視して過度に渡来人を強調し違いとして区別し誤解させる誤りを正す説が一般化しています。日本人とは?について、列島縄文人に弥生特性人が渡来して拡がったとする二重構造説の大量の渡来や過高断面的な誤解は今や否定されています。日本人の形成については祖人を加え、あえて琉球人を区別し挙げる必要もなく、アイヌを正しく認識した説が妥当でしょう。因みに、世界学界のテーマである「最初のアメリカ人」については、現在見直しで揺れていますが、2.3万年前の足跡は「誰か」の参加標準を突破しているのは祖人であり、縄文人は未だ生まれていませんから、JomonやAinuが登場するのは世界の誤解です。周回遅れの教室はこれらの事を生徒・学生に教え、政府は世界に発信すべきです。

図右、足跡衝撃の意味は、1万年前台の北米遺跡が霞み、それとリンクして説明されて来た定説が崩れました。

例えば、米モンタナ遺跡人(12,850年前)とシベリア・バイカル湖伴人のDNAが30%の共通性があるという事で、シベリアのマンモスハンターがアラスカに入り、温暖化後の1.45万年前頃に北米氷床に無氷回廊の通路が出来てから本土米国に入って来たという事で納得でした。また、父系のY遺伝子のQタイプはアメリカ先住民に広く見られ、今も西シベリアに多く見られることなどから、「誰が」については学界に異論は有りませんでしたし、今も学者の大勢認識に変化は無いようです。しかし、足跡発見で、はっきり新しい時代の事であるそれらは、必ずしも第1波を示すものとは言えませんので、途中の1万年台の北米ではなく、行き着いた南米の最古痕跡が注目されます。実は南米最古遺跡は種々あり論議を呼んでいますが、チリのモンテ・ヴェルデ遺跡、ルチアWoman人骨などは、人類移住速度の相場観からニューメキシコ足跡と矛盾なく理解できます。そして、②Harvard医科大が発見した「何故、アマゾンのスルイやシャバンテ古部族のDNAが、アンダマン諸島・オンゲ、パプア、豪州のアボリジニなどの甲:オーストララシア(旧石器時代のインマレイドを古モンゴロイドと称するのは誤解の元)とDNAが最も近しいのか」という事に光が当たります。下図 赤-強い類縁性、 薄い黄色-それ以下 、白―類縁無し。

A:直路、舟で渡って来たとするのは大方の学者が否定しています。他方、フィリピン(比)、台湾海岸民のアミ族までパンカル海側は北上の拡がり、アメリカでは、中米のアブカール族まで南下を示す痕跡が拡がっているともみられることに注目すれば、環太平洋ルートが出て、B:日本列島ルートが唱えられないのが全く不思議(昆布ハイウェイルート説は出ていますが)です。伊豆祖人は、38,000年前から黒耀石を求めて諸島を25kmは舟で行き来していまし、愛鷹山や長野に同時期の石器群痕跡を残していますから、3.5万年前後には北海道に進出していた北海道祖人Sojin(縄文の前、初代)が北上を継続したと考えられるのに反し、③13世紀からのアイヌが9千年前から九州にまで居たとか、北からの細石刃文化の流入(せいぜい2万年前後)などの入って来たイメージ強調で、出を描かないことが歪みの誤解を招く問題です。処女地の千島列島は、豊かな食が期待できる昆布ハイウェイ上で次々に島が見え、夏・冬行くことができたと考えられ、北海道で留まる理由もないのに人類移住ルートが通っていない事が不思議です。13世紀からのアイヌに関する誤解を解き、伊豆祖人や千島列島の状況を世界に発信し、日本列島ルートをHarvard医科大問題の解決案であることを認識させることが日本に期待され、また、日本史の重要事項でもあるのです。

膨大なアイヌ予算支援より、研究支援にこそ注力すべきです。更なる誤解を拡散するアイヌの海外活動や国際イベントへの参加・開催は控えるべきです。先ずは論議に参加し、諸状況を生徒・学生に教育し、諸学協同の国際研究の推進を。

人権は全国民が平等です。一人の議員・学者も声を挙げなかった、煽り運転された誤りの「先住」国会決議を背景に、何よりも知の探究者自身が同道者を集団の統一意志をもって公的に抑圧し謝罪させるという、戦前以下の「1984状態」に至っている学問空間。

世界一流の学術機関が、「諸学共同」の研究結果と胸を張る誤りの発表と第1級の科学誌掲載及び動画の公開は、関わった多くの研究参加者・査読者の誰も異を唱えず、何より中学生でも分かる「裸の王様」に日本学術会議が声を挙げない異常は、21世紀の知の黒歴史に記録されます。憲法の最高機関・国会は、声明を発し世界の誤解という現状事態の改善を!日本祖代研究会SGPJは、声を挙げ続けます。

左図ホモ・サピエンスの拡散は南・北2ルートで、北は石器痕跡から海に至らず、南ルートで曙海沿岸から北部九州に至り列島に拡がりました。

巷間言われている「大陸・半島からやって来た」は誤解です。右図南ルートの特色は、①かつては出アフリカ後に豪に至るまでのスピードが「急行」と言われていましたが、近年出アフリカが速まっておりほぼ同緯度の移住としてまずまずというところでしょうか。注目は①6-5万年前に豪へ長距離の渡海が行われた事であり、外洋魚を食していたことと世界最古の4万年前の洞窟絵の認知力です。次に②やや温暖化した時代の北上でしたが何しろ氷河期ですので、亜寒帯の壁越えは、環境の激変に南方人が衣食住の適応を図ったことです。そしてさらに北へと大陸内で、日本列島で拡がりましたが、日本列島では当時の宝物である良質な黒耀石が伊豆諸島や長野に、また広大な関東平野が存在したこともあり、未だ対馬暖流が入り込まず大雪の降らなかった日本海側と太平洋側が繋がり賑わいを見せていたことが遺跡から考えられ、現代を思わせる様相でした。そして、東北・北陸における暮らしの「予行練習」でムリなく北海道に適応した祖人Sojinは、留まる理由もなく道東から、➃次々に島が見えた千島と地続きの樺太方向に北上を続けたことでしょう。黒耀石豊富で国宝指定の白滝のみならず、昆布ハイウェイをカムチャッカ、ベーリング海峡へ向かったものと思われます。

米ニューメキシコでの2.3万年前の足跡発見で定説が崩れている「最初のアメリカ人」問題に関わった可能性が一部で指摘され注目なのです。奇しくも渡海や魚食の海民性を有する南ルート民は、大陸勢力と向き合う現下のインド・大平洋構想に重なる温故知新なのです。生徒・学生に教え、世界に発信を。

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