「アジアの楽園」Sundalandでは、ここバンドゥン近くのGarut郡など黒曜石は豊富であり、先史時代に使われていました。

黒曜石縮

旧、中、新石器(Sejarah untuk SMA Kelas Ⅹから)

25日付の朝日新聞で、伊豆半島沖の神津島(Kouzushima)で発見されている万年のハイテク石器素材の黒曜石と舟の行き来が、驚きの古い年代(3万8千年前)と報道されています。

朝日黒曜石

楽園では4万年前頃には、今に繋がる新人類のワジャック(Wajak)人が確認されており、海辺の洞窟には手形などの造形が発見され欧州史学界を驚かせています。

ワジャック説明

ワジャック人縮

ワジャック人の歴史(サンギランのジャワ原人博物館から)

人手縮

洞窟に残る手形など(Sejarah untuk SMA Kelas Ⅹから)(最近の豪研究陣による測定結果は、4万年前頃)

長江・黄河文明を築いた人たちや年代が定説より数千年遡るとみられるアメリカ新大陸へ渡った人たちも楽園地域の末裔ですし、万年前の中東と東アジアの関連や黒潮に乗った人々なども、「アジアの楽園」海陸両用の民という補助線を引けば、記者さんにもそれ程の驚きでも謎でもなくなるでしょう。

壁画の舟

洞窟壁画の舟(インドネシア国立博物館)

できれば、グヌン・パダン(Gunung Padang)など当地の遺跡が、お国の超ハイテク機器で更に調べてもらえることを当地の人も期待しています。

Nara Akiraさんの写真

そして、我らが本家の楽園Sundalandの静かな海が、最近騒がしくなっていることにも皆さんの目配りがいただければと思います。

Nara Akiraさんの写真

(Nias,dari masa lalu ke masa depanから)

友達の米人の情報では、米国の科学誌ScienceやNatureに米新大陸への人類の展開について驚きのDNA分析の新研究結果が発表されているようです。

以下、考察です。

1.新大陸へは考えられていたよりもずっと早く、ベーリング陸峡経由
  で23,000年前以降、大きな1回の移住があった。
  後は、彼らの子孫の米国内での拡大の歴史である。

  (この渡峡時期は、同じく北から現生人類が北海道に来たのと同じ
  ころとなる。?)

2.南米、現在のブラジル・アマゾン地域に最初に来た人たちは、スン
  ダランド現在の東西地域(ニューギニア、アンダマン諸島の人た
  ち)とDNA上、最も近い。
  北米、中米、南米西側から移住した人たちではない。

  すなわち、スンダランド地域から北上、長躯ベーリング陸峡を越
  え、直路南下して、現在のブラジル・アマゾン地域に住み着いた。

北海道もさることながら、沖縄・石垣島の新空港工事で発見された大量人骨が、2-2.4万年前頃ということで、同時期であることから大いに注目されます。

日本については、3万年前頃、南から来た人たちが北上して北海道まで至ったものと考えられています。

今回の発見で、万年の先史において、スンダランド地域とアマゾン地域の人たちが直接的に結びついたことが注目されます。

この長距離の北上、東進渡峡、赤道越え南下という驚きのスピードの展開性から、西方への展開も推測されますので。

少しでもホームページを見てもらいたいと思い、facebookを始めて交流しています。断食明けルバランの休みに授業の復習をしていて感じ入った話を紹介しました。

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2人の旅人と1頭の熊-インドネシア語授業の復習(Dua orang pengembara dan seekor beruang)

あるとき2人の旅人が森の中を歩いてました。そしたら茂みから突然、熊が出てきました。

一人は仲間のことも何も考えず急いで近くの木に登りました。もう一人は、一人では熊に立ち向かうこともできないし、地面に横たわり息をころしてました、熊はしんだものは触らないと聞いてましたので。

木の上の者は何もしないで見てました。

熊は地面の旅人の頭のあたりでくんくん嗅いでましたが、一寸してから行ってしまいました。

木から降りた者が、聞きました。
「熊が君の耳もとでなんか囁いてたようだけど、なんて言ってた?」

横たわってた者が言いました。
「助けようとしないヤツを友達にしたり、危ない時ほっとくようなヤツと一緒に旅したりしない方がいいぞって。」

Nara Akiraさんの写真

(Mahir Berbahasa Indonesia untuk Penutur Asing から仮訳)

中部ジャワへの旅の最後の紹介はスクー寺院ですが、実に不思議な遺跡です。

中部ジャワ南部、世界遺産ボロブドゥールなどのある特別州都ジョグジャカルタからバスで北東上し、2時間ほどでジャワ原人の博物館のあるソロに着き、乗り継いで更に東へ向かいます。

最後はオジェッに乗り継いで、ソロから1.5時間位で地域の高山ラウ山(3,265m)の山腹の遺跡に着きます。

行きましたときはラマダン直前だったので、終わってからのイスラム教徒のお正月向けなのか修復中でしたが、観てお分かりのピラミッドです。しかもあのマヤのピラミッドに酷似と言われるものです。

本殿ピラミッドの正面の階段を上がって、頂部で焼香やお供えを捧げ祈ります。

本体の背景

伽藍中央の軸線は東西方向で、本殿は西を向いており、その正面の石積み、有名な亀石などと本殿の前方に立つ彫像は次のようなものです。

亀石とレリーフ  頸無の鳥

そのまま参道を西方の入口の方へ見ますと3つのテラスになっており、段差は1.5mくらいで石積みは小ぶりです。

3つテラス

第2の段差

テラスの北側には、象などの動物が並ぶレリーフ石群が目につき、南側は彫像ですが、私にはむしろお山ピラミッドが見えるのが印象的です。

北動物のレリーフ  南の方pira

そして、もう一つこの遺跡を有名にしているのが、入口の階段を上がるとアーチ大門の床面には、男女の性器が接した瞬間をアップしたレリーフがあります。

それとピラミッド前面右に控える「捧げ銃」彫像が立派な一物を左手で持っています。

神聖な性におおらかなヒンズー教に見られる特徴でしょう。が、ジルバブ被る当国を動いている私には一寸ショッキングです。

アーチ大門  捧げ銃

そして、私が不思議だと思うことについては、次回、ご説明いたします。

テレビの会見で断食明けが告げられ、外では花火が上がっています。

断食月の間は、日中は閉めていたり、カーテンを下して中で静かにという店が多かったです。断食明けの休暇に入り高速道の混み具合がレポートされるのは、日本と同じです。

多くの地元料理店が閉めるので、スパゲッティ、ステーキといったメニューの洋風店は、書き入れ時です。

明けが近づき、休暇を取り始める頃からネオンを派手にし頑張る店も出てきます。

ラーメン

レストランhp

そして、断食月明けの大祭ともなるとまず1番は、ケーキ屋さんでしょうか。

ケーキ屋

日本の年末と違うのは、日本が先生も走って忙しく仕事をこなそうとせわしないですが、ここでは断食してますのでゆっくり、そして早じまいです。

静かな休みに入っています。

夜景

ラマダン断食月明けのお祝いが週末ということで、休暇状況に入っています。此処では帰省することを川上に帰ると言いますので、万年の国らしいです。が、今では高速道が混むのは、日本と同じです。

活気を呈す一つは、宝石売りです。街にも売ったり、磨いてたり目立ちます。原石の掘り出し物があるかもです。

宝石縮

石磨き

教室では、接頭辞perにmata(目)を付けて宝石permataです。このmata目が、日hariとで太陽matahari、水airを付けて湧く泉mata air(逆は涙)、足とでくるぶしmata kaki、講義とで授業科目mata kuliahなどです。

目mataは、他に生業、釣り針、矢じり、刃、羅針盤方位、最近では核弾頭もある重要単語であるだけでなく、メソポタミア、エジプト、長江などの文明に「目」の強調が共通して観られます。アメリカのドル札にも見られます。

この先史からの伝統を窺わせる言語感覚の「宝石」ですが、此処の人の宝石好きは、指輪(チンチンcin-cinと言います)、ネックレスもわがカミさんが素敵、欲しいと言うのとニュアンスが違います。(ちなみに、恋・愛はcintaで、此処の歌では一番連呼される重要語です。)

「写真、いい?」

「勿論さ。一寸待て、まだあるんで付けるから。」(小バッグから取り出しポーズ)

人と宝石

「そうだ、小指の分もあるから一寸待て、撮り直しだ。」

「いやいや、行かなきゃいけないんで。それで十分、ありがと。」

文化人類学の先生によると、飾りは元々は交易・付き合いによる人脈の豊かさを示すものだそうです。良い品、高価な品、沢山の物は、人脈の良さ、高さ、そして広さを示すという訳です。

ボスザルのように群れの中で優越しているというところから、やがて天、神と語り・願い事できるという知的で精神性のあること、物的な財力を支配している、特に海洋の交易力があるといったことが、人脈の豊かさ、本人の偉大さになったのでしょう。

アメリカ・インディアンなど遠隔の地でも、特に酋長はいろいろ飾りをしてますが、理解できます。

万年のアジアの楽園Sundalandが注目されるのは、その気候風土、食べ物としての動植物のほかに、この貴重な鉱物(ダイヤも!)があります。

宝石は小さく、軽量、その後の胡椒などの香辛料と同じく海洋交易のパワー源です。そして、楽園は、西方(中東など)、北方(シナ、日本など)、東方(太平洋地域)へのルートの中間、中心の要でした。万年前の先史時代は近距離を繋いで行ったのかも知れませんが。

この鉱物もいたる所に火山があるからでもあります。そして、時には石よりも固い貴重・希少な物を見つけた人もいるでしょう。

「残念ながら、万年の時は鉄をも融かす。」(Danny Hilman博士)ので、使われたという証拠evidenceは見つかってませんが。

南方の歴史は、当時の木、竹、作物、相伝の工法・技、語り伝え、 そして遺骨・遺品も残り難く、evidenceは?と言われ泣かされています。

さて現在、この万年の宝石掘りは過熱気味で、政府は環境破壊を心配する状況になってきているようです。何しろここでも爆買いに来る人たちがいますので。

宝石の掘りHaloJepang

(Halo Jepang紙4月号から)

Stephen Oppenheimer

Weidenfeld & Nicolson, 1998

A book that completetly changes the established and conventional view of prehistory by relocating the Lost Eden – the world’s 1st civilisation – to SouthEast Asia. At the end of the Ice Age, SouthEast Asia formed a continent twice the size of India, which included Indochina, Malaysia, Indonesia and Borneo. The South China Sea, the Gulf of Thailand and the Java sea, which were all dry, formed the connecting parts of the continent. Geologically, this half sunken continent is the Shunda shelf or Sundaland. In the Eden in the East Stephen Oppenheimer puts forward the astonishing argument that here in southeast Asia – rather than in Mesopotamia where it is usually placed – was the lost civilisation that fertilised the Great cultures of the Middle East 6 thousand years ago. He produces evidence from ethnography, archaeology, oceanography, from creation stories, myths and sag as and from linguistics and DNA analysis, to argue that this founder civilisation was destroyed by a catastrophic flood, caused by a rapid rise in the sea level at the end of the last ice age.

「Nielsen BookData」

11月7日、英国ロンドンのクィーン・メリー大学において万年前の先史巨石文明等について、一般公開のOrigins会議が行われます。

当地グヌン・パダン遺跡については、調査リーダーのDanny Hilman 博士がskype参加する予定です。

話題としては以下のようなものです。

Gunung Padang, Gobekli Tepe, Stonehenge, the Great Sphinx, and even the newly discovered stone circle located beneath the waters of Lake Michigan.

 

origin会議

大石に乗った人に目が行ったと思われる下の写真ですが、私が注目しましたのは、大石運びです。

ニアスの葬送

(SEJARAH UNTUK SMA kelas Ⅹから)

万年前の(トルコ)ギョベクリ・テペGobekli Tepeも(英国)ストーン・ヘンジStone Henge も、弔い、祖霊信仰の巨石遺跡の造築のため、大石を運んでいます。

上の写真の説明では、亡くなった人のために建立するものですが、祖霊を呼び集め、石が今後亡くなる人の身代わりでもあるため、大きければ大きいほど戦いや疫病で亡くなる人が少なくなると信じられた極めて重要な葬送式です。

写真で分かりますが、目的地での建立だけでなく、大石を運んでいくプロセスそのものも重要です。運び手も集まっている人々も共に精神的に高揚していきます。

我々の身近にも目的は違うように思われますが、願いを込めて引き観客がいる移動のプロセスも重要な行事はいろいろあります。そして、上に人が乗っているのも重要なことです。

京都市観光協会神田明神千代田区観光課

祇園祭り(京都市観光協会から)   神田明神祭り(千代田区観光課から)

岸和田市観光課ニアスの葬送

だんじり祭り(岸和田市観光課から)

こうしたことから、弔い・祖霊信仰のギョベクリ・テペやストーン・ヘンジが長距離を大石を運んで造築したことも理解できます。

できるだけ大きな、立派な石が良いことも、人々が大変な労力と時に事故死亡の危険を甘受して建立したことも理解できます。

時代は下りますがエジプトのピラミッドは、農閑期の失業対策事業だったという説が最近出され、定説化しているようですが、私は違うと思います。

前述の例を見ても分かりますが、基本的には精神的なものでしょう。現人神ファラオの造築に関わり貢献し精神が高揚し、来世が約束されるなどのご利益のある行事活動です。

活動後に酒肴が振る舞われ、何がしかの物がいただけたとしてもそれが主因ではないでしょう。そして、ファラオが神ではないと思われ始めて壮大なピラミッドは造られなくなります。財力の衰えも一因ではありましょうが。

スマホとバイクの行きわたる生活は、万年のアジアの楽園を急速に変えて行っています。貴重な写真や物も消えていきます。

それでもまだ、竹筒に砥石を入れて鎌を研ぎ、バナナの幹を管理し雑草を刈ってあたりをきれいにすることは行われています。

と石と竹

万年前にも有ったでしょう。但し、竹は融け、時の長さは砥石をも変形させ、矢じりでも斧でもないので誰にも注目されることもなく、ということかもしれませんが。

さて、話は変わりますが、現代のファラオたる民主制は、その行事たる選挙に若い人たちがまともに関わらなくなったとすれば、見放されかねない危ういことと大いに気になります。

神輿を担いでくれず、綱を引いてくれねば成り立ちませんので、なだそうそうの事態です。

前々回、一緒に考えましょうと言ったのが下の写真です。これは、1920年に撮られたインドネシア・ジャワ島の北西の北スマトラ州(最近、Medanに飛行機の墜落事故でニュースに)の西に位置するニアスNias島の一コマです。

なお、メダンMedanでは、13,000年前ころの石器が見つかっています。

ニアス島はスマトラ沖地震被害で世界に知られ、また、サーファーの聖地でもあります。愛媛県くらいの大きさで、ニアス族は60万人くらいです。

ニアスの葬送

(SEJARAH UNTUK SMA kelas Ⅹから)

Niasの地図

(Atlas Sejarah Indonesiaから)

住んでる家も写真のようなものから、舟を並べたような密集住宅など特色があります。人は北の大陸から来た人たちですっかり大昔とは変わっています。

いかに北の大陸から多くの人々が楽園に南下し、住みついているかがよくわかります。

石器時代の遺跡などがあり、その歴史習俗もユニークでした。また、濃い密林地域はよく分かっていない所もあるようです

nias海傍の家niasの人

(Nias, Dari Masa Lalu Ke Masa Depanから)

さて、

皆さんの目についたのは、大石に乗っている人でしょうか。陣羽織、裃のようなものを着ています。ニアスでは、このような格好で長い槍を手にした大勢の雑兵戦士たちが、戦いを表現する踊りを踊っている古い写真もあります。

日本をよく知っている当地の人は、日本のサムライものを見るとあれはニアスだねと言います。

・今日は「裃」を脱いで無礼講でまあ一杯

・あいつは「肩」いからせて街を闊歩してる

現代の日本でも裃、肩の入った表現は沢山ありますが、肩張ったニアスとのこの類似性は不思議です。

北東の行き詰まりの日本と南の行き詰まりの小島ニアスに見られるわけですが、その離隔は相当なものです。両者の途中には、この裃、張った肩の痕跡はないようですし。

私は、ニアスが江戸城の真似をしたとは思いませんし、双方独立的にこのデザインを考えたとも思いません。歴史においては遠く離れた両端に同種が残ることはよく見られますので。

どこか大陸に源があって双方に伝わったが、源の方は痕跡が残っていないのではと思います。あるいはひょっとして、楽園からサムライに伝わったのかも知れません。

と言いますのは、ニアスにとってこの格好は古くからの行事に関係し、かつ、非常に重要なものだからです。その点を次回、お伝えします。

朝、いつものように出かけてアンコッ乗合ミニバスの助手席に乗ってましたら後ろでゴトンゴトンと音がしますので、何かと思ったら沢山の椰子の実を積んでます。

ミニバスの椰子

結局、後ろに一人婦人が乗っただけで出発し、3-4百m進んでUターン。あれれと思ってますと、反対車線で停車です。すると初めに積んでたおじさんがバイクで先行していて、降ろしにかかってます。全て終わって50円(5,000ルピア)札を払ってました。

子供のころは、高価でバナナでもなかなか食べれませんでしたので、椰子の実なんて「名も知らぬ遠き島より流れ寄る~」と歌うぐらいの物でした。

ここでは、バナナや椰子は、犬・猫もまたごうかというくらい(ま、当然ですが)の状況です。現在は、日中の断食後にまず口にするものとして使うため出回っています。

椰子

楽園の人たちは、おそらく身近に餓死,凍死を見聞きせず万年を暮らしてきたのだろうと思います。穏やかで取っ組み合いを見ることもなく、暑さもあって歩きも東京よりゆっくりです。

用事を済ませて別のところへ行くため、再びアンコッに乗りました。断食の日中だからか私一人です。ムスリムのジルバブ被ったおばちゃんが3人乗ってきて、一寸したら一人が、

「その時計いくら?」と聞いてきました。

「はあ?(車内初対面ですよ!?)いやいや、安物ですよ。」

「ふ~~ん。(もう一人が小声で日本人じゃないの?と教えてます。)」

「(あんたら、オオサカか!?)・・・」(大阪さん、失礼)

ついでに撮ったことない車内写真を撮りました。話題主は、写ってる婦人ではないです。

おばちゃん

変わった1日だったなあと帰宅して、濡れスリッパで階段下りて(油断)、滑って転び、打ち身です。元は木と竹の民です。イスラム教とアラブ風が入ったせいで風呂場、階段、床がタイル張りで危険です。当地に来られる方は、このことはご留意ください。

いやはや、全くなんという日(日本時間は昨日6日)だったろう。歳なんで明日が痛くなりそうです。明日は、あの2人が会う佳き日、当地は乾季でハレに決まっています。

ニュースを見て、ここのところ気になっている歴史における類似性の問題について考えることとなっています。

ことは、Googleのコンピューター用フォトアプリで、写真を識別する機能が不十分なため、写ってる人をゴリラと識別したことで謝罪する事態になっています。

元々数万年前にアフリカを出た千人内外の人たちから、その後、今の全世界の黒髪の人、金髪の人、褐色の肌の人、青い目の人、いろいろ違うように見える現生人類への拡がりが生じてきています。

わずかな元があって今の多様に至っている訳です。

似ている、似ていないは、主観の問題ですが、運よく物証がいろいろ得られれば悩みは出ないです。

実はこの問題は、最近、当地の賑やかな所のラーメン屋さんで食べながら気になりだしたものです。

「それは、何の服? スンダ(民族)の?」

「いえ、キモノです。」

「どうして、今日は着てるの?」

「販売促進です。」

「ああ、帯だね。」

後ろへ回ってみると面ファスナーでベリベリと簡単に解けるものです。まあキモノでしょうが、仮に、何千年かして下の写真が見つかってこれは何だ?となったときに着物かどうか議論になるなあと思いました。

キモノ

この場合は、看板に字もあってラーメンと書いてますので、物証多数で確定するでしょうが。

但し、仮にその将来の研究室の議論で着物とは言えないという意見が多数を占めた場合、今はいない遙か昔の着ている本人の主観が逆に着物である場合はどう考えたらいいのだろう、などと思いました。

真似ようと思って作ったのか、使っているのか、主観は2面性があり難しいことです。ラーメンの方は、かなり近いです。

ラーメン

彼女の健闘もあり、店は増築され流行っています。

さて、

アジアの楽園の下の写真については、皆さんはどこに目が行き、何を感じられるでしょうか。次回、一緒に考えたいと思います。

ニアス

SEJARAH UNTUK SMA kelas Ⅹ から

シェアハウス(バンドゥン・ジャパン・ハウスBJH)の私たちは、バンドゥン市長の信任篤い釜我BJH長を筆頭に、それぞれができることで努めています。

BJH日本支部(!?)の宮下さんは、当地で(難しい)日本語を勉強している膨大な数の人々の明日に向かう参考資料(日本居住の人、学校、企業人事部門などのインタビュー分析とアドヴァイス)を当国の大学数十校に送ります。

私はできるところで、本日、それを西ジャワ州の教育局に手交しました。 Abur課長さんは、日本留学経験(3年、名古屋)があるので真剣に読まれ、「素晴らしい。」との評価で局の協力を約して下さいました。

課長

課長読み

すかSUKI hp

私はといえば、アフリカを出た現生人類が主に東方沿岸を展開して拡がり、その後南北の人々の坩堝の中で今日の原点が生まれたと考える1-2万年前のアジアの楽園Sundalandの研究です。

そして、それを実証しうるグヌン・パダン先史巨石遺跡等に日本のハイテク技術が投入されることを目指し、先人の石斧ならぬ蟷螂斧を振り回しています。

お伝えした(英)ストーンーヘンジ、(トルコ)ギョベクリ・テペ、(当国)グヌン・パダンの万年越えの三羽烏が、明日へと導く八咫烏になりそうです。

断食月ラマダンの点描

カテゴリー: 最新情報,こぼれ話

朝、日が昇るとイスラム教徒は、日没まで食べ物を口にしません。他国でですが、私はかつて現地服を着て、カミさんの買い物待ちに外で座って煙草を吸っていて、敬虔な老人に怒られたことがあります(仏教徒とは言えずに)。

日の出

早朝の状況は以前お伝えしましたが、日中もお店などなかなか賑わっています。というのは、既に断食明けのお祝いルバランに向けて商戦が、佳境に入っているためです。

そして、女性が抑圧されているとよくその槍玉に挙がる服装のヒジャーブ・ジルバブ・クルドゥン(呼び名多様)ですが、私には日本と同じくやはり元気な山の神と感じられます。

洋装点 クルドゥン3

クルドゥン クルドゥン1

デザイン、色も多種です。薄地で軽く暑くなく、何より全体型柔軟対応、小顔化の優れものです。 抑圧!?どころじゃないでしょう。

やがて、夕暮れ時になると普段は見られない臨時のお店も通りにでき、果物が主のフルーツポンチのような胃に優しそうな甘い食べ物が、売られます。日没後の特に土・日は、レストランも盛況です。持ち帰りも多いですし。

ポンチ ラマダン夕食

一寸、私のこれまでのラマダンのイメージが変わりました。

暗くなって、モスクのスピーカーから流れる音量の大きい、神への祈りとともに宗教心を高めた各家庭は夕餉をいただいていることでしょう(音を伝えられませんが)。

dagoの夜景

四国伊予の巨石遺跡(参照:人類最古の文明「アジアの楽園」探訪記)と当地のほほえましいストーンヘンジについて既にレポートしましたが、Danny Hilman博士がFacebookで本場英国のストーンヘンジに関し、英BBC放送の驚きの情報を紹介しハイテク調査の必要を訴えています。

最近の調査(現在も続行中)で、地中に人工のずっと大きな構造物があることが発見されている。造られ始めたのは、11,000年前(!)で、調査チーム(バーミンガム大学等)は、この地中円環構造物を「スーパーヘンジ」と命名した。

私(奈良)は、これはギョベクリ・テペ、グヌン・パダンなど万年を超える石器時代人による高度な構造物の例に加わる新たな大きな発見だと考えます。

そして、超古代石器人のイメージを変換し、超古代研究の重要性を示すものと考えます。

新たなあるいは現在の遺跡の地中あるいは内部に、更に古い遺跡を発見するなどの新調査法の科学の時代の本格化です。

アジアの楽園、人類の百貨店には多くの遺跡がありますが、グヌン・パダンのみならず、古い聖地にその後、更に建造した可能性のある所はあると思いますので、今後が楽しみになってきました。

Recent and ongoing geophysical subsurface imaging on and around STONEHENGE revealed that this exposed structures is only a small circle on top of much larger manmade structures that has been buried beneath the ground! And the constructions might have been started since 11,000 years ago!! They name the hidden, burried ‘circle’ structures as “SUPERHENGE”.

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