(東京・札幌五輪)   日・豪原郷の痕跡、世界最古のスラウェシ洞窟絵!

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図左日・豪の原郷スンダランド外スラウェシ(赤丸地域))は、現世人類がおそらくフネで渡る必要があった東西動植物環境変化のwallace線を越えた所です。そのマロスMaros洞窟では手型や動物など旧石器時代の絵が有名ですが、最新のウラン年代測定で最古のモノはセレベス豚を描いたもので45,000年前と鑑定確認され、完全に欧州洞窟絵先進観を覆しました(Science Advances  13 Jan 2021)。

中図上段のように、数ケ所の洞窟で絵が発見され鑑定されており、私も図右下赤枠の舟(マロス及び右中部スラウェシ)が描かれているのを現場で見て驚かされ感じ入りました。旧石器時代の洞窟人と言えば、ひげもじゃで毛皮のパンツに槍持ってですが、舟を描くとはイメージ一新です。図左の現生人類の足取りは出アフリカから7万年前頃に原郷地域入り、海水面の低下で地形が今とすっかり違っていた地域(スンダランド、北東ア平野、パンカル海、曙海)で拡がりました。少なくとも環太平洋言語族(元日本言語学会長松本克己博士)は、北上して家族がフネで北部九州、南下して沖縄、伊豆の海では黒耀石を求めてフネで行き来、

狭かった津軽海峡を越えて3万年前には北海道の暮らしに適応(アイヌは鎌倉時代からですから問題外)、次々に島が見えた千島列島を北上して「最初のアメリカ人」に関っても何の不思議もない、日本祖人Proto-Japaneseは海の民の子孫ですから。

さて、 スラウェシ人は、 絵を描く認知力に操舟・造舟力がありました。実は、はるか時を経ても、大航海時代から現代にいたるも第1級の船乗りで有名なのです。どうもこの島に来たのは、6.9~5.9万年前とみられ、その後、東進してフネにも乗り北部豪へ、北上し家族で渡海して北部九州へ、図左、日・豪がこの地域から南北に分進したのではと考えられる、正にぴったり出来過ぎの状況なのです。原郷地域研究は科研費で日本の学者が関わり、子供に教え、世界に発信すべきこと (スラウェシは帝国海軍、戦域の司令部がありましたが) です。

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