(東京・札幌五輪)  #官民科研費で私達の原郷の研究調査参加を!

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図のように現生人類の出アフリカ後の遺跡の研究が進んでいます。明治維新後の先達は、当時の限られた科学知識ながら自分たちの原郷は南方だと感じていましたのに、現下の日本の原郷地域の研究参加は不十分ですので、#は何だと思われるかもしれませんが、強い期待を込めています (明治維新後の研究先達が泣いてます) 。

現代ではDNA調査と考古学研究から、アフリカが現生人類誕生の地であり、出アフリカから5大陸に拡がったと理解されています。そして、出アフリカから東進し、スンダランド地域で、①台湾の方に北上して、北東ア平野沿岸から家族がフネで北部九州に約4万年前に達した我が祖先と、②東進を続けた後、最新研究ではフネ(筏)による最古の渡海でパプアに達し南下して6.5~5万年前にオーストラリアに至った人々(アボリジニ)があり、過半が沈んだスンダランド地域と共に、北上したラオス、比、ベトナム、中国南部、台湾などスンダランド・パンカル海地域で痕跡が発見されています。出アフリカの現生人類裸族が、緯度や環境が近いスンダランドから、豪に速い進度で達したと受け止められています。さて、日本列島全域に進出した遺跡・遺物の状況から、当時の渡海力で沖縄本島への慶良間ギャップを越え南九州に至ったのではなく、海水面低下で出現していた北東ア平野沿岸を北上し、曙海沿岸を時計回りに移住したとみられます。

また、北方アムール川方面からの移住は1万数千年後の違った話で、3万年前には日本祖人Proto-Japanese が進出していた北海道から、むしろ祖人が樺太方面へ進出したり出戻りした事もあったでしょう。環境に合わせた人間は一朝一夕で変わるものではなく、長い期間の南方からのこの北上史の基本を踏まえずに、日本史の真の理解は有り得ず、また、地域との経済活動や国際情勢の理解も不十分なものとなります。まして、今、沿岸からフネで入って来たと認識されている「最初のアメリカ人Natives」について、祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの関りが注目されているのです。

なお、鎌倉時代からのアイヌは全く無縁ですので、世界の誤解を避けるため、「先住民族」の呼称を外すべきです。子供に教え、世界に発信しましょう。

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