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アジアの楽園Sundalandからの人類展開の北上ルート上で、これまでの認識より2-3万年は古い現生人類の歯が発見され、その細部の状況が確認されたという驚きのニュースです。

47 Gigi yang hampir awal manusia modern masa Pleistosen, lebih kuno daripada 80,000 tahun lalu, ditemukan di Daoxian Hunan, Cina selatan.

Majalah Nature memuat berita itu dan Prasejarah manusia modern direvisi. Letusan Toba kuno muncul sebagai tema sangat penting.

A.どんな人類考古学上の発見?

中国南部の湖南省の洞窟内で、8万年以上前とみられる現生人類の歯が多数発見されたと科学誌Nature(14 October 2015)が報じました。

B.発見の意味合いは?

これまで、人類の出アフリカ後の展開時期の見方は6万年前頃というものだったので、8万年以上前であれば種々の面で発見の意義は大きいです。

a 出アフリカ定説の時期、態様の見直し検討が必要となる。

b アジア内の展開状況の見直し、新たな意味づけがなされる。

c     アジアと欧州正面の比較、現生人類とネアンデルタール人の関係などの新たな意味合いが考えられる。

などいろいろな面で興味深い検討がなされていくこととなります。

1.発見について

中国主に英米(ロンドン大、ミネソタ大)スペイン等の研究者10数名が、湖南Hunan省Fuyan洞窟内で発見されていた初期の現生人類の歯を47個、ハイエナなどの哺乳動物の物とともに確認し、年代推定しました。

2.意味合いについて

これまでの私の認識に、発見場所の湖南省Fuyanをプロットすると下図のようになります。

人類の展開湖南15.10peg

発見された地層、歯などの状況から、現生人類であり8万年以上前となりますと、

まず、①出アフリカはもっと早かったのか? あるいは、②ユーラシアに渡ってからの遠浅海浜沿いの東進・北上ルートでの展開が極めて速かったのか?

何より、7万3千年前頃とみられる人類史に残るトバToba(インドネシア・スマトラ島中西部)の大噴火の前にアジアの楽園を通過して、中国南部に達していることになります。

従って、その時代に特にアジアの楽園及びインド亜大陸で暮らしていた多くの人は大変な被害を受けたことになります。

これまでの定説では、噴火後の6万年前頃に展開、到着したので、影響はそれほどのものではなかったろうという見方ですので、大きく覆します。

アジアの楽園は、7万年前頃の大噴火と1万年前頃の大水の2度にわたり人類史に残る大災害に見舞われたことになります。

恵まれた楽園で生活していた中で大噴火を経験して生き延びた(進んでいたであろう少数の)人たちと、全く知らずにおさまってから遠い所から楽園に来た人たちとでは、生活文化や精神意識に大きな差が生じていたものと思います。

また、海を越えて渡るサフルランドへの到着が、これまでの見方よりも4万年くらいは遅れることになります。

5万年前くらいに人類は言語面など画期的な進化があったとみられていますので、それまではやはり長距離の海を越えるのは難しかったのかなということになります。

そして、現生人類の展開の時期が、アジア方面と欧州方面ではこれまでの認識よりも更に大きな差が出ます。

欧米で関心がもたれるこの点に関しては、次回考えたいと思います。

 

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出アフリカを果たしました現生人類の東方への展開におけるアジアの楽園のSundalandに至る前、前回お伝えしましたようにインド亜大陸地域の文明が明らかになってきました。

図1

人類の進出展開10.23peg

それは、ドラヴィダ族の万年に遡る広域かつ石器から青銅金属器にまで至る長期にわたる文明であり、かつて教わったインダス(川)文明と言う狭い呼称におさまらないものです。

高いヒマラヤ山脈を発しアラビア海にまで至ることをもって、文明を担った人々が聖なる川と認識し、何度も最古の聖典リグ・ヴェーダに登場するサラスヴァタ川流域(現在は干上がった土漠)の新たな遺跡を含む文明です。

ヒマラヤ山脈南西の諸河川流域及び海岸部と現在の海中をも含めた広域にわたる注目すべきドラヴィダ族の古い先史文明です。

図2

ヒマラヤ南西文明peg10.23

 

サラスヴァタ川沿いの約2,600遺跡の2/3が、近年になって発見されています。流域の文明は、4,200年前頃、300年にわたる長期干ばつにより衰退したものとみられています。

(川である水の女神サラスヴァタは、仏教に伴い日本に入ってくると弁天 様となっています。)

河口のドゥヴァラカ海底遺跡では、海面下23mの海中に砦壁、波止場などの興味深いものが発見されています。

この文明の中核を担ったタミルの人々は、クマリ・カンダムKumari(女王名)Kandam(大地)の話を長くしっかりと語り継いでいます。

大昔に印亜大陸の南にあった、父祖の進んだ王国の大地が(破滅的に)海に奪われたというものです。

15世紀になって、その陸地の広さ、内部の地域区分が記述されているようですが確としたものではありません。

図2で分かりますように、万年前頃の昔は大陸とスリランカ地域が陸地として繋がっていましたので、そこではないかという説があります。

あるいはもしかしたら、南の解釈によっては、同じく図2の海底遺跡地域のことかもしれません。

他方、近代になってから、アフリカ東方マダガスカル島と東南アジアの生物の不思議な類似性が注目されました。

島にキツネザル(レムール)が生息しており、この仲間は世界中でここからしか知られていない。しかし化石種インドから発見されており、また近縁の原猿類はこの島を挟んでアフリカ中部と東南アジアマレー半島インドネシアにのみ生息する。このようにインド洋を隔てた両地域には近縁な生物が見られる(隔離分布)。(ウィキペディア)

このことから、キツネ猿・レムールが住んでいたレムリ アLemuria大陸がかってあったのではという説が登場し、タミルのクマリ・カンダム話と結びつきました。

Kumari Kandam map.png

(wikipediaから)

ところが、この大陸の仮説は現代の地質学によって完全に否定されています。

でも見てください、仮説レムリア大陸の東方横には海によって大地を奪われたアジアの楽園Sundalandがあります!!

マダガスカル島には、現在も遠く離れたマレー・インドネシア系の子孫が生活しており、同じ言葉を話している不思議さがあります。

キツネザルが教えてくれるマダガスカルMadagascar島―アフリカ中部Mid Africa-インドIndia-アジアの楽園Sundalandの関連性はもっと注目されてよいと思います。

そして、タミルの語り継ぐクマリ・カンダムKumari Kandam話は海に沈んだアジアの楽園Sundalandのことかもしれない、と私は考えます。

そうしますと、図1のように出アフリカ後の人類の東進・北上ルートはその後も往来が続く訳ですので、海の民でもあるタミルと日本の古い時代の関わり、言葉の類似性は驚くほどのことではないでしょう。

そして、大家の柳田国男先生が晩年の昭和36年、日本人の起源について、もっと海上の道に目を向ける必要があるのではないかと言われたことにも思い至ります。

名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月・・・

(柳田先生の話をもとに島崎藤村)

イネ島やしpeg

(インドネシア・ブリトゥン島の椰子の実)

丁度、先生の生誕140年を記念する展示会が、横浜の港が見える丘公園の神奈川近代文学館で11月23日(月・祝)まで開催されています。

小学校の遠足でこの港に行き、沢山の外国の貨物船を見ました。そして大人になってから、遠足で感じた気持ちを「海外雄飛」と表現することを知りました。

貿易立国、日本の若い人たちがこの気持ちを忘れないで欲しいと思う歳になりました、余談です。

 

 

 

 

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前回お伝えしましたように、インド亜大陸地域では、近年驚くべき古さ、数の遺跡が発見されています。

まず注目されるのは、アフガニスタン国境に近い古いメーガルMehgaruh遺跡と衛星写真分析に連携したサラスヴァタ川(現在は干上がっている)流域の多数の遺跡群です。

印遺跡群jpeg10.20

メーガル遺跡は、フランスチームが、9,000年前から3,000年前ころまでのものと報告しています。当時は今と違って、森林と水が豊かな地域だったようです。

現在と変わらぬような泥土の家での定住、初期農耕・家畜、新石器のほかに人骨、装身具、小立像などが発掘されています。

歯が西方ではなく東方(アジアの楽園Sundaland系)の人たちと類似であることが注目されます。

有名なインダス遺跡モヘンジョ・ダロMohenjo-daro(4,500-3,800年前、約4万人)からアフガニスタン南部のカンダハルに至る経路沿い地域でもあります。

そして何よりも、パキスタンにあって今もドラヴィダ族語が話されている地域の近傍です。

ドラヴィダ・タミル言語遺跡peg

サラスヴァタ川沿いは、かねてハラッパ遺跡として知られていましたが、リグ・ヴェーダの記述を裏付ける広域にわたる驚きの数の遺跡群です。

更に、海岸地域でも海中を含め遺跡が発見されてきています。

そして、万年前は大陸と陸続きだったスリランカの中央山地に残るドラヴィダ語族の状況から、万年前のインド亜大陸地域は、ドラヴィダ系語族に占められていたことが窺われます。

近年の研究により、上図の北西のカイバル峠方向からのアーリア族が侵入した(3,500年前頃から)ことによる大きな変化というこれまでの見方は修正され、もっと緩やかな自然な変化であったようです。

丁度、我が国における縄文人と新たに入って来た弥生人の緩やかな移り変わりという近年の新たな歴史認識への変化のようです。

違いは、言わば縄文タミルが今もインド亜大陸南部と一部、スリランカ、ネパールなどにしっかり残っていることです。

理由の一つは、語り伝え守ってきたタミルの古く高い精神性、長く活躍してきた優れた海洋交易、造船の民という特性によるものでしょう。

インド中央・北部のサンスクリット語と南部のタミル語を比較した場合、遙かに多くのタミル語がサンスクリット語に採り入れられていることからもその事情がよく窺われます。

ドラヴィダ・タミルは、地域西部のメーガル遺跡の方から東部へ移って行き、また、北部から南部へと縮小して行ったとみられています。

但し、上図ようにインド西部沿岸で数千年前の海底遺跡が発見され、更にドゥワルカ遺跡はもっと沖にも海底遺跡があるのではないかとみられていますので、タミル人は東漸してデカン高原南部に来たと言えるだろうかという状況です。

今やインダス文明と言って片づけている状況ではないでしょう。

メーガルや海底遺跡の古さや近年新たに発掘が進んだサラスヴァタ川沿いの遺跡の豊富さとそれらの遺跡の拡がりの広域さから、ヒマラヤ南西流域文明とでも呼ぶべき状況と考えます。

更に、古い海底遺跡と海洋での国際交易活動が注目されます。

種々の言語との基本的な語彙の共通性などから言葉の面でもタミル語こそ母なる言語と言われるようになってきています。

ところで、インドネシアは、正に多様な人々の島々から成る国であり、それだけに多様な中の「統一」という標語を掲げ建国以来、大変な努力をしてきています。

問題の多い現在の国際連合UNが、範として研究すべき国と私は思っています。

国は一つの言葉インドネシア語ですが、例えば西ジャワ州では地方の言葉を大事に守っており、州庁教育局に地方の言語文化振興の部課があります。

 

JB教育局peg

アルファベットの下に見えるのが、この地域のスンダ語のスンダ文字です。そして、近隣のタイなどのどこよりもタミル文字に似ています。

このようなタミルは、古い時代に彼らの父祖の進んだ王国Kumari Kandamが(破滅的に)海に没したという語り継いできた神話を有しています。

また、古い時代から場所を換えても守ってきた文芸アカデミーSangamに咲いた文学も評価されています。

更に次回も、タミルを追って探究を続けます。

 

http://www.sunda-wind.net 現生人類の出アフリカ後、アジアの楽園のSundalandに至る前にインド亜大陸地域の海浜を経て来ています。 そこの万年の歴史を探って行きますと、実証という観点ではドラヴィダ・タミルの人たちに行き当たります。

南インドIndia selatanを中心に、長きにわたり自分たちの文化を持ち続けてきた人たちですが、何しろ日本語に一番近い言葉として真っ先に挙げられる言葉が話されています。

展開言語図日10.13縮

シンガポールへ行きましたときに、公用語としてしっかりタミル語が示されており、インド人街となってますが、実態はタミル街があります。

土産 (1)縮

タミル塔縮

イギリスがゴム園などでの労働者として、植民地から多くのタミルの人たちを連れてきたと言われており、現在も道路工事、建設現場などで多く見られます。

マレーシア・クワラルンプルの空港でもレストランや空港の清掃などで働いていますし、バンドゥンでは数は少ないですが、親子2代でお店を持って反物を売ったりしています。

タミル嬢syuku 

タミル人男縮

3高のイケメン君は、自分は多数派のタミルオリジナルではない港町マドラス系だと言っていました。親とはタミル語、店ではスンダ語、インドネシア語、英語で頑張っており、ここでやっていくということです。

インドネシアでは植民地としていたオランダ人に連れて来られ、北スマトラの大都市メダンMedan、リアウRiau、首都ジャカルタを主に数万人とみられる人たちが、多い所では自分たちの学校や病院などを持ってしっかり根づいています。

さて、インドと言えば聖典Rig Vedaリグ・ヴェーダです。 古代以来長らく口承され、のちに文字の発達と共に編纂・文書化された数多くあるヴェーダ聖典群のうちのひとつで、最も古いと言われています。

祭祀、呪法、生活、神、性愛、宇宙などの内容の全10巻で、1028篇の讃歌(うち11篇は補遺)です。

 

リグ・原本

(ウィキペディア)

神話扱いされてきた古いリグ・ヴェーダですが、その中で独りきわだち勝る大河と記述されている聖なる、ヒマラヤからアラビア海に至るサラスヴァタ川沿いを主に地域で約2,600の遺跡が発掘されています。

これまでは神話として片づけられてきましたが、記述と遺跡発掘の附合から見方を変えていかねばならないでしょう。

下図左の上のメーガル遺跡は、フランスチームTim Prancisによって約9,000年前という驚きの古さが報告されています。

また、学校で教わったインダス川モヘンジョ・ダロ、印パにまたがるハラッパ遺跡などに加え、衛星写真分析から干上がった聖なるサラスヴァタ川沿いの状況が明らかになり、発掘によって無数の遺跡が発見されてきています。

印遺跡群jpeg10.20

いわゆるインダス文明、そして聖典リグ・ベーダの内容の年代・記述の歴史性、更にはインド先史とそれを担ったドラヴィダ・タミル史が全く見直される状況になってきているのです。

Kini prasejarah India, Dravida Tamil sedang terevisi secara drastis.

日本語の源流議論もそういう状況を踏まえてなされるべきだと思います。

さて、世界史的Sejarah duniaに実に大きな意義sangat pentingを有するタミルDravida Tmilについて、更に探って行きます。

 

未だ問題の多い現代の人間社会のあるべき方向、その将来を考える上で温故知新、人類の大規模な文明社会の始まり、原点の様子を探ることは重要でしょう。

近年、DNAの分析などにより祖先である現生人類の足取りがかなり分かって来たのは大きな成果です。

アフリカを出て海浜沿いに東進、アジアの楽園のスンダランドで北上し、南から、西から日本に到達して日本を覆った後、北からも進入してきています。

人類の展開9.16syuku

しかし遺骨などから分析しうる肉体は、人間を人間たらしめる行動を司る最も重要な精神や心理を内部におさめて運搬する、いわば容器に過ぎません。

この点で、現生人類は出アフリカ後、5万年前頃には容器内のコンテンツとして言葉の画期的な進化を果たし、4万年前頃には洞窟絵を描く精神性を示しています。

そこで、他の動物群とはっきり異なる、人間らしい大規模な集団社会の生活状況となりますと、集団の言葉が精神性や生活文化と直結しますだけにその分析が重要です。

日本では、4万年―2万年前頃に南・西、北から入って来た頃から既に生活に重要な道具として黒曜石の使用が各地で認められています。

それを探して船出し、その使用痕跡の分布から、遙かな遠隔地と人々が交易する知能、コミュニケーション力と海上移動技能を有し、日本全域で生活していたことが分かります。

黒曜石図jpeg

縄文人が1万数千年前には、確認しうる世界最古の土器を作り、狩猟採集その後の初期稲作、交易などに必要なかなりの言語力を有して生活していたことは確かでしょう。

弥生人が3千年前頃に南・西から進入するまでに1万年以上の期間があります。

その間の縄文人による言語の使用、生活文化、信仰などは、地域で差があったとしても日本全土を覆い、その後の基層をなし現代に続く重要なものと考えていいでしょう。

この点で7,000年前頃、南九州鬼界島の火山の大噴火で当時の先進地域の九州はほぼ壊滅したと言われています。

西日本も大きな被害を受け関東、東北にまで灰が及んだ大災害による後退は、誠に残念なことです。

日本語の言わば親語はどれだろうということで、100年以上も言語学的な分析が行われてきていますが、どうも誰もが納得する決め手はまだないユニークな孤立的な言語と言われています。

その中で名前が挙がっているのが、①南方(ポリネシア系)語、②インド亜大陸のタミル語と③シベリアの南のアルタイ語です。

近隣の大陸国と同系でないことは不思議です。

候補が遠隔の途上国の地であり、欧米を含めた言語、文化、歴史などの総合的な研究が容易でないことも解明に至らない理由の一つのように感じます。

因みに、ポリネシアは、せいぜい3千数百年前にアジアの楽園のSundaland 地域からラピタ人が漕ぎ出し入植したとみられていますので、南方地域語と言うべきでしょう。

そして、南方地域語と言えば、7千年前頃には平野部が海没してしまいましたが、基層語としてアジアの楽園Sundaland 地域のことがよく認識されていないのではと感じています。

人類が東アジアに達する前に既に東南アジアで話されていた言葉に思いを馳せる必要があります。

更に、次の候補のタミル語が人によっては、日本からあまりに遠隔地のため結びつかないようです。

しかし一方で、世界的には下図のアルタイ語も(ウラル語も)タミル語に類似と言われていますので、日本での議論はなんだかなあです。バイカル湖地域○Bの人々もCからよりもAルートから進出し北方適応したのでしょう。

展開言語図日10.13縮

その後、強い影響力を持った大陸語に追われた古いものは、離隔した島、陸の孤島と言うべき人里離れた所、山奥などに残ったのでしょう。

現存の言葉をみていきますと、その始源的な古さと広域にわたる影響力でドラヴィダ・タミル語に比肩しうる親語と言うべき言語は、おそらく世界には無いようです。

(南方地域語として、万年の昔のアジアの楽園Sundaland語は、既にそれぞれ類似なものが複数存在していたと思われますが、タミル語との関係を含め不明です。)

現在のイラクであのメソポタミア文明を興したシュメール人の粘土板文字から解明された言葉に接したタミルの学者は、「これは、タミル語だ!」と共通性を実感しています。

また例えば、時代は万年の議論に比べればずっと新しいものの、あのイエス・キリストが最後に発した7語があります。

十字架の上の苦しみの中で、 回りにいた人は誰も理解できなかったとも言われているその7語は、ドラヴィダ・タミル語では、「神よ、死をお与え下さい。」だったと解されている始源性があります。

そして、青年時代の状況が全く不明なイエス・キリストは、当時、各地にあったインド伝道所に接触していたのではという見方すらあります。

人類史におけるドラヴィダ・タミルの地理的な位置、古い文化、近年の発掘成果を踏まえたその先史をもっと認識する必要が有るように思われます。

タミルの影響が日本に及んでいることも、共通の単語や日本の地名に残っており間違いないでしょう。

では次に、そのドラヴィダ・タミルに光を当ててみたいと思います。

 

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ときどき街の食堂で、アジアの楽園のSundaland関連記事を探して古新聞を読みますが、この写真にはびっくりしました。

私のホームページ読者の皆さんなら、何度も目にされている人類の進出展開の北上ルートを想起させますので。

渡り鳥図syuku 

(10.1付 Pikiran Rakyat 紙から)

人類進出図和syuku10.5

これはハチクマ鳥の渡りであり、冬モンスーンの9月から3月は、アジア北から大陸ルートを暖かい豪へ、夏モンスーンの1月から8月は、大洋ルートを北上し日本へという、1,300万年前からとみられる渡り行動です。

ハチクマ鳥縮 渡り鳥図

(10.1付 Pikiran Rakyat 紙から)

日本では、ミツバチの巣の蜂蜜や幼虫を食し産卵もしますが、ミツバチは巣を壊されるとまた別の新たな巣を作りますので、鳥によって飼育されているようだと言われています。

雨が近づくこの時期は、渡りが当地では田植えを始める時節であることも告げるそうです。

私の住んでるバンドゥン東北のDago 地区は、渡り鳥が列をなす回廊コースだそうで、記事は環境観光の振興を提案しています。

私は、人間の到着の遙か昔から行われてきたこの万kmという長距離の鳥の渡りは、人間の新たな進出展開に大きな影響を与えたものと思います。

鳥が行って帰ってくるということは、未知の地への展開が保証さているようなものです。空中という天・神に近い所で行動し、人を導く天使のようなものと思われます。

此処では鳥籠の鳥がバスターミナルなどあちこちで売られ、大事にされていますし、国章のガルーダ(イスラム国ながらヒンドゥーの神鳥)はもとより、パレードにも堂々登場します。

パレード鳥syuku

既にお伝えした、例えば、スクー寺院の彫像に羽がついてるものがありますが、鳥人です。

人のようですが、羽を有し顔は鳥であり、足の指爪も鳥です。

鳥の万歳

Samanthoによれば、このような鳥人ものは、下の写真の左がスクー寺院、右上がマヤ、右下がユダヤ民族が過越祭の晩餐で読む有名な冊子にみられる鳥の頭を持つ人だそうです。

スクーの万歳

そして、鳥人はメソポタミアのシュメール(Samantho左)、バビロニア(同右)とも共通性があります。

長江文明も太陽と鳥、インダス文明の鳥土偶、そして日本のアイヌの鳥信仰は縄文人にもあっただろうと推測され、神武東征神話は、八咫烏です。

先史時代、鳥は遠く離れた地域でも人々にとって特別な動物であったようですので、人々の移動・交流は興味深いことです。

やはり人間も同じように、氷河期終期の寒冷期にはアジアの楽園に南下し、暖かくなれば北上して行くということが繰り返されたことでしょう。

そして人々のこの離合集散が、異質の触れ合いによる文化、文明を育んだものと考えています。

鳥は、渡りを行うことや船乗りなどの情報収集に重宝された天・神に近い、人を導く天使のようなものであったのだろうと思います。

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アジアの楽園のSundalandは、恵まれた環境にありますが、災害だけは辛いものがあり、天は二物を与えずです。

従って、当国では地震・津波、そして洪水などに関心が強く、日本の洪水も関心を呼びました。

9月16日付で、「災害は日常を奪い、歴史をも変える―明日を知る「鍵」は過去に」でお伝えしました。
(2015.09.16)
http://www.sunda-wind.net/report/1903

茨城県 鬼怒川の堤防が決壊し、大きな浸水被害を受けてから2週間、仮の堤防を造る作業­が行われ、(9月)24日に完成しました。

「仮堤防完成」の報告をしたのは、国土交通省・現地対策本部長の堤 盛良さんで、grapeページでの浅葱カレンシアさんのコメントで知りました。

なんともピッタリのお名前ですね。

Nama orang Tsutsumi Moriyoshi, jabatan adalah kepala strategi markas besar lokasi yang dikirimkan oleh Menteri ke sana . Nama keluarga Tsutsumi, artinya tanggul. Nama sebutan Moriyosi artinya hal yang membangun baik dengan pekerjaan yang menumpukan tanah.

ここでは、万年を過ごしてきた人々が曜日を重んじ、祝い事や旅立ちや何かを正にお日柄縁起を大切にしてますので、私は分家と考えてます日本の事に感じ入りました。

怒った鬼もマイッタと言っていることでしょう。早い復興をお祈りいたします。

さて当地災害は、あの世界遺産ボロブドゥールを埋めた火山の噴火もそうです。今、噴煙であちこち難儀しています。

北部のボルネオ・カリマンタンでは、オランウータンが難儀していて当地紙が報じています。

Orang(人)hutan(森)、なんだ森の人ということなんだと分かったのは、インドネシア語の勉強初期の嬉しかった思い出です。

人と思って宜しくお願いしたいものです。

(じゃかるた新聞10.3日付抜粋 から)

森林・泥炭地火災による煙害が8月末からインドネシア各地で深刻化し、生態系の破壊が急速に進んでいる。

中でもカリマンタン島には約5万頭のオランウータンが生息しており、すみかを追われる事態が発生している。

カリマンタン島でオランウータンを保護している非政府組織(NGO)「ボルネオ・オランウータン・サバイバル・ファウンデーション(BOSF)」は、森林や泥炭地のうち、ホットスポット(高温地帯)や火災が発生した約30万9000ヘクタールで調査を実施。

これまでに火災ですみかを追われたり、煙害で弱ったりしている野生のオランウータン3千頭を保護・診察した。

ニャル・メンテン保護区では子どものオランウータンを室内で保護している

アジアの楽園のSundalandは、人類史の百貨店のようだとお伝えしていますが、保存修復中のスクー寺院で新たなミステリーが発見されました。

(当地のスンダランドSundaland会、Dhani Irwanto から)

中部ジャワのスクー寺院が不思議な寺院であることは、以前に「中部ジャワ旅、驚きのピラミッド遺跡-スクー寺院」でお伝えしました。
(2015.08.02)
http://www.sunda-wind.net/report/1461
(2015.07.21)
http://www.sunda-wind.net/report/1392

スクー寺院は、遠く離れたアメリカ新大陸のマヤ遺跡との類似性などのミステリーを秘めています。

今回の発見は、当国名門の地元ガジャ・マダ大学考古学チームによれば、寺院内部の地中に別の建造物があり、その上部の遺物が発見されたもので、Journal Timesが報じています。

西ジャワの巨石遺跡グヌン・パダンも内部に時代を異にする構造層があることが確認されています。

万年の歴史を有するこの国では、他にもまだまだあるでしょう。

今後の遺跡調査の細部の結果を待ちたいと思います。 

Dhani Irwantoさんの写真

Dhani Irwantoさんの写真

More mysteries found in Sukuh Temple!

SUKUH TEMPLE: A TEMPLE INSIDE A TEMPLE, EXPERTS CONFUSED

jurnaltimes.com, 26 September 2015

The uniqueness of Sukuh temple on the slopes of Mount Lawu precisely in the Berjo Village, Ngargoyoso Subdistrict, Karanganyar Regency [Indonesia] is not only the type of stone, the shape of the temple and even the bas relief on the walls. The strangeness of the conditions inside the temple when the stones dismantled is shocking, evidently it is exceptionally different from the temples in general which contain soil. But in Sukuh temple there are two layers of stones. Under the outermost stones, the team found another layer of brownish stones.

Until recently, a team of researchers who conducted the restoration of the temple have not confirmed if the type of fill that resembles stones is a natural hill or a fill. Another uniqueness, it turns out that the stones inside the Sukuh temple do not have fastening or locking mechanism like the other temples which serves to fasten a stone to the others to strengthen the temple.

Niken Wirasanti, one of the archaeological team from the University of Gadjah Mada (UGM) was very surprised to get a lot of peculiarities in Sukuh, which is currently undergoing restoration. Many new findings should be studied further by the other teams.

“It is an interesting fact that we will discuss, in contrast to other temples I ever learned before,” said Niken recently while doing research in Sukuh. In addition to the fill inside the stone structure, according to Niken, inside the temple there are also found antefixes under the stairs of the temple which are buried under the soil. Whereas the antefix should be positioned outside the temple.

“Antefix is a triangular-shaped stone as a temple decoration. They are found buried in the soil under a stair leading to the top of the temple. Antefixes are usually placed outside the temple,” she explained.

The findings in the field, Niken explained, still need to be studied further. In order to find answers related to the mystery of Sukuh uniqueness, which also raises several allegations related to the temple.

Initial assumption raises a number of allegations that there was augment of the structure on Sukuh, with the discovery of another stone structure when the temple was dismantled. There are also findings of antefixes commonly found and mounted on the front of a temple. Antefixes are found in the inner layer of the Sukuh temple.

“It will be studied further with the team, whether Sukuh always been like this from the beginning or whether there was the possibility of the augment of the structure, also changes of the shape of the structure,” she concluded.

http://www.jurnaltimes.com/2015/09/anehada-candi-dalam-candi-sukuh-bikin.html

アジアの楽園のSundalandは、サーファーのメッカと言われる海の素晴らしさはよく知られています。

しかし今回、当国東方のパプアの西隣、中部マルク州のバナナ島の海で漁師が獲った魚は、人類の百貨店と言われる当地でも珍しい深海魚(Peristedion barbiger種)のようです。

地域の大学のMasudin教授によると、1000m級の深海の魚が地震か何かのため、海水面に近い所に浮上したため獲られたのではないかということのようです。

(9.29日付 KOMPAS紙から)

1000m級の深海魚は、まだまだ知られていない種類がいるとみられており、新種の魚が見つかるかも知れませんということです。

お魚君、お楽しみに。

当地バンドゥンは、オランダが植民地時代にジャワ(島)のパリにしようとしましたので、アジアの楽園のSundalandの中でもユニークな街でしょう。

日本の皆さんに人気のインドネシアのバリに対するジャワのパリという訳です。

jawaぱり縮

そこには、銀座か青山かなと思う店が並んでますが、増えてきている近代的なところと昔を残しているところが混在している発展途上の国の街でもあります。

じゃわ青山縮 jawa青山縮

近代昔縮

赤道を越えた、乾季と雨季のある南の群島国の街ですので、近づいている雨季には、午後2時間くらい激しい雨、時に大きな雷が落ちます。

雨3 (2)syuku

乾季を含めても基本的には、水に恵まれていますので美しい花、果物、作物は豊富なアジアの楽園です。(バナナ、椰子の実、いろいろな香辛料・作物などは多すぎて省略です。)

hana縮

高い花縮

果物syuku

作物縮

通りの普通の店には、多種多様な食物が並んでいます。

 

少なくなってきていると老人は嘆きますが、まだまだ緑も豊かで、寄り添うように暮らす穏やかなアジアの街です。

密集家縮

女性陣縮

 

日本大好きな学生さんが日曜日の歩行者天国に集まって、日の丸の小旗を振って勝手に歩くこともある自由ないい国です。

少子高齢・限界集落に悩むお国は、彼らの力を発揮してもらったらと思います。

何しろ穏やかハーモニーの人たちが、2億5千万人になろうかという若い力の国ですので。

日本好き学生縮

日本から意欲ある若者が来て、バンドゥン・ジャパン・ハウスBJHに起居し、今、それを実現すべく努力していることも大変素晴らしいことだと思います。

今日は、断食明けのお祝いに並ぶイスラム教徒の犠牲祭で祝日であり、メッカへの巡礼も佳境でしょう。

生贄として捧げられるヤギが街に沢山見られますが、テレビでは動物愛護の人たちが反対のデモをしているのも放映していました。

一寸意外な多様性、自由さを感じました。

ヤギさん

進出している企業の人が、「穏やか」で「素直」と評する万年の穏やかハーモニーの人たちが、ヤギさんを屠殺し神に捧げますが、すみませんヤギさん、「黙殺」します。

他家のことに関しては節度が必要ですし、当国は余計な口出しを要する状況にはないと思います。

捧げた肉は必ず貧しい人たちの口に入るようにという教えだとも聞いていますので。

私も国に帰れば、節度をもって獲られていると思うクジラを食します。

さて、長かった植民地時代を血を流して脱し、独立後も50年前の今月の事件など、緊張の激動期を乗り越えながらの道のりでした。

多様な国柄のまとまりの維持に努めつつ、自由を守り続けてきた若い力で、引き続き地域の諸国とともに発展して行ってほしいと思います。

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Manusia Modern Awal lahir di Afrika, keluar ke Eurasia, mayoritas mereka tiba di Sundaland, Surga di dalam Asia, tersebar sampai ke Amerika.

Mayoritas nenek moyang yang orang-orang modern di Asia mengalami kehidupan di Sundaland sebelum tersebar ke utara dan timur. Beberapa suku, ke barat juga.

Sundaland, Surga di dalam Asia, menumbuhkan peradaban pertama dunia dalam bagus keadaan yang masa Zaman Es pun.

Bukti itu adalah Situs Megalis Gunung Padang, sangat penting.

Sundaland mulai tenggelam oleh kenaikan permukaan laut sejak 18,000 tahun lalu dan tanah luas itu menghilang dalam laut sampai 7,000 tahun lalu.

Orang-orang di sana migrasi ke daerah lain.

展開GPイネ語縮

Situasi berubah sama sekali pada sekitar 11,500 tahun lalu.

“Global warming” mencair es dan salju di Kutub Syamali, Kutub Junubi, Siberia, Amerika Utara, Himalaya dan lain.

Bencana alam, beberapa jenis, menyebabkan banya di dunia.

Tanah luas Sundaland menghilang oleh bencana, banjir. Mitos masih ada banya tentang itu di dunia.

Sundaland ada di Timur Jauh, adalah tempat di arah yang matahari terbit.

Peristiwa itu trajedi pertama dalam prasejarah dunia.

Sebenarnya itu perubahan zaman waktu hampir akhir Zaman Es.

Daerah luas Sundaland tenggelam sama sekali sampai 7,000 tahun lalu.

Mereka yang bermigrasi ke luar Sundaland membawa teknis ulung kehidupan dan agama primitif, yaitu animisme juga.

Kemudian, peradaban terkenal sekarang dalam teks sekolah bermunculan.

11500悲劇9.25jpg

 

 

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今日は秋晴れの中(当地は今、いつも晴れですが)、楽園Sundalandでは、バンドゥン日本人学校の夏祭りが行われました。

夏休みが終わり、地元のイベントを終えてから予定より1週間遅れのものだそうです。

ゆかた姿が目立ち、子供たちも楽しそうです。

こどもsyuku

そして、多くの現地の人々が何せクールジャパンのイベントですので集まって楽しんでいます。

現地の人々縮

学校は、先生方のご努力はもとより、現地の企業の方々の並々ならぬご尽力に支えられて運営されています。校庭もしっかりあります。

元締めsyuku

校庭syuku

さて、会場はお神輿があってお店が出ている和風のもので、久しぶりにお国を感じました。

神輿店縮

焼き鳥はここではSateですので人気です。そして、やきそばもMi Gorengがありますので人だかりです。

(更に、おいしいうどん店なども出てましたが、本人が嬉しくて食べるのに夢中で写真を撮り忘れました、すみません。)

焼き鳥syuku

採算syuku

採算とは随分しっかりしてるなあと思われるでしょうが、そういう名のレストランがありますので、そこの出店でしょう。

会場には、やはり万年の穏やか東進・北上ルートの気心の通ずるものがあるのでしょう。

人類の展開9.16syuku

笑えるのは、当地の学校には鉄棒が無いので、いい歳のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちが、珍しいのか夢中で遊んでました。

逆上がりはできないようでしたが。

鉄棒1syuku

鉄棒syuku

的に当てて楽しむゲームも日本らしい遊びで、現地の人には珍しい楽しさのようです。

的syuku

皆さん、やはり日本のイベントは穏やかで楽しくおいしい、いい時間を過ごしているようでした。

それにしても、お国の国会とその周辺の行動や言葉使いは、海外に居る日本人に肩身の狭い思いをさせるものです。

折角のクールジャパンのイメージも台無しですし、子供たちに見せられないようなものなのも辛いものがあります。

喪服も登場したようですが、亡くなった方はおられなかったようでよかったです。

何より、ダイビング攻撃なるものがあるようでは、日本が攻めてくるのではという全く無用な誤解を招きかねないのではと気になります。

海外で黙々と頑張っている企業の人たちや先生方の足を引っ張ることのないよう、お国を見ている子供たちをがっかりさせないよう、そして、仲秋のお月様を泣かせることのないよう、お願いしたいものです。

 

 

 

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珍しく当地の新聞が1面トップで日本を採り挙げました。アジアの楽園Sundalandは、気候風土に恵まれていますが、泣き所は災害です。

何せここへきて早い時期に覚える単語が、macet渋滞とbanjir洪水ですので。

機内からジャカルタ北西沿岸が水に浸かっているのを見ましたし、雨季にはここでも街の坂道は溢れ流れ下る泥水で様相を一変させます。

友達が日本でも洪水があるのかと聞きましたので、あの優れた車・バイク・電気製品、すし、ゲーム・アニメ、AKB・・のクール日本でbanjir大被害があるのか、という感じなんでしょう。(同病相哀れむ。)

洪水新聞syuku

火山の噴火、地震・津波、洪水と歴史的にも前回報告したとおりで、日常を、明日を奪われる悲しい出来事です。(合掌)

小さな災害は回数も多く、大災害は数は少ないですが被害は甚大です。

そして、万年を視野に入れて歴史を見たとき、気候変動とともに大災害の与えた人類の進路への影響の大きさに思い至ります。

現在、前回報告しました大悲劇などに関連しまして、歴史におけるカタストロフィックな突然の大災害に当地の研究者の関心が集まっています。

最も分かり易いのは、6,500万年前突然、当時の地球の王者の恐竜たちが絶滅しました。

メキシコ湾への隕石の衝突による暗黒から、その気候変動の影響によるものという説が有力です。

当地でも1883年のスンダ海峡クラカトアKrakatoa火山の噴火、2004年のアチェAcehの津波被害は、世界的によく知られています。

実はこのスマトラ北端のアチェは、14-15世紀には大変栄えておりました。

マルコ・ポーロ、明の鄭和や史上最も偉大な旅行家の一人と考えられているモロッコのあのイブン・バットゥータが、アチェを訪れています。

その際、肥沃な土地、大きく美しい町は壁で囲まれ、地域の交易が金を通貨として行われているアチェAceh地域の先進性にびっくりしています。

アチェ1縮

(Dr.Danny Hilman 著書(「Plato never lied」から)

なお、スマトラ島は、ジャワ島の北西で4倍、マラッカ海峡に接し、昔から金の産出で有名です。

そのアチェ王朝が、15世紀半ばに不思議な状況で消え、世紀末には突如新たな王朝が出現しています。

当国の地質学専門家の調査によれば、世紀半ばの1450年に2004年のものよりも大きな津波が襲ったことが分かりました。

更に、津波は周期性をもって襲ってきていることも分かりました。

これらのことから、地質学専門家で歴史にも詳しいDanny Hilman博士は、通説に対し著書(「Plato never lied」)で疑義を呈しています。

人類は緩やかな人口増で万年を過ごし、ファラディの電磁気理論以降、急増発展したということではないだろうと。

人類はもっと早い時期に栄えたが、Tobaの火山大噴火や氷河期後の温暖化による大洪水などでその都度、人口は急減し言わば発展は振り出しに戻ったということではないのかというものです。

博士の資料を基に私なりに整理したのが下表(文責奈良)です。5万年前頃の画期的と言われる人類の進化(言語等)も考慮しました。

縦横軸尺度の記述内容にご注意下さい。

つまり、アチェのように豊かだった#1アジアの楽園スンダランド文明が育まれていたが、大災害で発展は振り出しに戻った大悲劇という赤い点線の認識です。

人類発展 syuku

そしてその後、#1についてある程度は語り伝わり、#2文明である教科書のメソポタミアなどが登場してくるということでしょう。

悲劇の当該地域である楽園については、Danny博士が世界遺産ボロブドゥール地域の話の例を挙げています。

ボロブドゥール地域(中部ジャワ州の南部)がムラピ火山噴火の灰の下に埋まった時、生き残ったのはたまたま北部の町スメランの親戚の所に会いに行っていた、Cobek(香辛料をすり潰すすり鉢)作りの職人だけだったそうです。

ボロブドゥール建立の一流の建築設計家、石工など全ての人が犠牲になり、地域は戻ってきたcobek職人レベルの知見から再び始まりました。

そして、優れた仏塔群はその後、あのラッフルズ(シンガポールの一流ホテル名にも)により灰土の下から発見(1814年)されるまで千年を越える眠りにつきました。

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修復中の時代のボロブドゥール

http://www.sunda-wind.net/report/1127
(世界遺産ボロブドゥール・・・のヒミツ)

さて、博士は、地質学のイロハとして「過去を知りたければ現在が鍵であり、将来を知りたければ過去が鍵である。」という至言も紹介されています。

前述の日本の洪水を報道した新聞には書かれていませんが、鬼が怒る川が氾濫したんですよと言えば、万年を生きてきた此処の人は「そうか、分かった。」と言うでしょう。

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When we think about the Paradise in Asia Sundaland, it’s important that initial Homo sapiens sapiens  had got out from Northeast Africa and proceeded, deployed along seashore and rivers.

I think to bigin with a tribe, around thousand people got out from Africa, were quite different from chimpanzees or other humanoids.

They ate marine products and their characteristics didn’t dislike sea, or in water.

人類の進出展開peg英語10.25

Several features of human body seem to show them as a new humanoid that had got accustomed to live with aqua environment in long period. Its preparation so to speak enabled them to get out of Africa.

By the way, as one of events of Indonesian Independence Memorial, on 22 Aug, the Equator Carnival was held and attended by President & Madam Joko for activating economy by sea and river side development.

Parade in West Kalimantan province, Borneo island proceeded 5km and President Joko, advocating policy of Marine Nation, replied to gathered people from the top of ship shaped veicle.

Chairman of National Assembly, Governor, representatives from Malaysia, Burnei, Indonesian 24 provinces of about 4,000  paticipated and 50 groups showed dance.

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And participating 150 boats rallied around the Carnival.

赤道祭り多い舟syuku

(Two photos by 23 Aug. KOMPAS)

Indonesia, it’s a Marine Nation, going out or coming down to this country by boats, trading and excahange courtecy by boats, getting marine food and excuting funeral, having been living a life with sea.

舟海洋博物縮    スラウェシ舟家

Painted boat in a cave(Indonesian Museum) Houses in Sulawesi province

Ancient know-how on boat was mastered oraly, by seeing tecnique. Boats built by wood and bamboo weren’t remained. Their abroad bases were now disappered in local environment.

But, old megaliths in many places and similarity of myths in the world indicate that their ability of relaying activities in vast sea area was beyond our image of them.

Next, I’ll touch upon the first big tragedy in human history.

About 15 times of Ice Age since 3 million years ago is known. The last one is since 70 thousanad yeras ago and glacier covered North Europe, Siberia and North America in north side earth. Cold and dry climate extended neaby and even to some parts of south.

Sea water became decrease because of it and sea level downed  below about 130m.  Vast Sundaland appeared as a big land mass peninsula.

This area, Sundaland, always enjoyed  in good climate as lacated around the equator  during the Last Glacier Maximam around 20 thousand years ago and returned coldness of Younger Dryas period in 14 to 11.5 thousand years ago.

As my former report, the fauna and flora were really many kinds and provided abundant food. Minerals such as precious obsidian were also rich in a volcanic zone. Gold and tin here were well known to the world, as like petroleum and coal now.

花1syuku      花2 syuku

Cause of tragic huge flood is said because of global-warming by commet, meteorite’s crash to the earth or huge overflow of ice melted water kept in northern America.

It seems eruption of volvanos also happened and earthquake, Tsunami might have done too. It was really a turbulent era.

Snow, ice in Himalaya melted and flew down to the Tarim Basin of Silkroad, influenced many big rivers in Asia by increasing water or changing route of flow.

Anyway, large portion of Sundaland had sunk under the sea and big mamals of mammoth, reideer had become extinct. Those rapid change were fact exactly.

The age around 11,500 years ago when period YD finished and global-warming started is geological boundary period of Pleistocene and Holocene and very important perid in human history when changed from the old Paleolithic stone age to the new Neolithic one.

I think human society in that age was more advanced one than we imaged before. Situation of Gobekli Tepe in Turkey and Stone Henge in Britain are changed my image of human society in that age.

Myths on sunk landmass  by huge flood are vastly prevailing in Indian Subcontinent, Middle East, nothern Europe, Pascific islands and so on.

Little different version of myths such as Paradise,  land of ancestors sank under the sea by huge flood in long long ago are well known by many years’ research of  Prof. Arysio Santos and Prof. Stephen Oppenheimer.

And survived people of it got out from the region and headed to new places as like the Noah’s Ark legend.

Loading household goods, with their cultivated belief and know-how of life, dreadful experience and memory of good old days in the Land.

Of cource, outside people visited there after the tragedy and must have surprised to see the completely changed situation and talked about it to their people.

Anyway, small ancestor tribe of us got out of Africa several tens of thousand years ago and reached the Paradise Sundaland during changing environment of climate.

There was a land of enjoying fine weather even in cold dry Glacier age. It seems that people from all directions came to, mixed, got out and surely continued bringing up human culture.

Tens or hunreds of thousand  people lived a life in initial civilized human society.

I think sudden sinking under the sea caused first big tragedic event so to speak in the world history with its influence to the other.

Fact of the Paradise will be certified by investigation of inner old structure of Megalith Gunung Padang, West Java.

See the chart below, please.

Red portion is vertically blowen up lava and flew to a front, solidified. Historic remains were built on it in different ages, 3 layers at least, seem to be more than ten thousand years ago.

(Reference)Lapisan・・layer THN Lalu・・years ago        Muka tanah・・surface

GP構造syuku

Related to the tragedic event, the famous Greek philosopher Plato wrote about it in the Dialogue as explanation of Egyptian priests in so called The Hall of Knowledge.

All reserchers agree that the place of it must be in tropical region of equator by its precise expressions of fauna and flora such as elephant.

As for era of it, it was far ancient 9,000 years ago, of cource priests and Plato didn’t know about directly.

In spite of it, the explanation about situation of the sunken land and time, myths of different places are exactly match the survey results of modern geology.

It’s amazing and couldn’t be written about situation of area and sunken land by mere imagination. It’s notable of their vast activities of trade, interchange and oral handing a story down.

By the way, there’are many myths on sunken land in diffent places, but only Sundaland in the world is cetified by modern geology and other science.

Over, I draw a situation chart of that era adding importance of sun rise and sun set to ancient people. Sundaland was sun rising paradise in far east.

悲劇英語9.12syuku

Though school textbook starts history from era of many people moved down to south here by route of Taiwn and Malaysia in thousands years later.

On the other hand, the big change by global-warming provided water, fauna and flora to cold or dry zone before.

And not long afterward, civilization in school textbook such as Mesopotamia in Middle East was coming up the scene.

In bottom left, I added Indonesian sentences to send them yell that Conference Asia Africa 60 isn’t celebration for 60 years, but for 60 thousand years.

Moreover I want to say that the Equator Carnival should also be recollection, prayer of OUR ancient ancestors who faced, encountered big tragedy in the Paradise Sundaland.

 

 

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