英国では、下図左下の1万年前人骨のチェダーマンや5千年前の物憂い顔の女性の復元で、先住祖先への関心が大いに高まっています。

EU離脱の問題で大揺れですので、大陸と繋がっていた頃の事に関心が向いているのかと言われています。

但し、上図右の日本列島史と異なり、英国の4万年前は直接の祖先でない旧人ネアンデルタール人です。

我が国は、南方発の上図の石垣人に似た人達が、4万年前頃に家族で現生人類の処女地である日本列島に、曙海を越えて来た点で英国と異なります。

九州に来て3万年前頃には北海道にまで拡った、言わばほぼ日本人全員(国籍取得の人を除き)が先住民の子孫です。

アイヌ文化のアイヌ人という事を言えば鎌倉時代頃からですから、日本には世界で言う「先住民」なんて居ません。

最高機関・国会の政治的なアイヌ先住民決議は、学問的におかしく訂正が必要です。

そして南方発の祖先の北上史は、途中の伊豆で世界が驚く舟による島への黒耀石採取の行き来が、3.7万年前頃から確認されています。

にも拘らず、子供たちに国の始まりのこの歴史を教えない、話題の「日本国記」にも2代目の縄文人からしか書けない、学界の先史スルーは、もはや不思議と言うより許されざる異常というべき事です。

今や前回報告のように、北太平洋の「昆布ハイウェイ」が注目されて、「日本祖人」は、「最初のアメリカ人」First Americans かも知れないのにです。

(了)

アジア東海岸地域と北米大陸西海岸は、下図の通り緩やかな弧が鏡面対称構造になっており、例えば調査した海浜性甲虫群集は日本のものとよく似ている(北大 大原昌宏博士)。今、世界の歴史考古学界では、最初のアメリカ人は、「昆布ハイウェイ」(鏡面対称性あり)を舟で来たのだろうというのが有力説です。分かり易くは富士登山で、山頂両側の生態系に鏡面対称性が有り、登って下山するような、しかも昆布ハイウェイの絨毯を敷かれた所を行くようなものだったということです。

それは昆布だけでなく、海獣・海鳥と卵など動植物も豊かで似たような物だった恵みがラッキーでした。そもそも、Sundalandから南米まで、人類の最初の沿岸の移動移住があった(MPOR自説)と考えられます。ハーバード医科大が発見した、南米アマゾン3古部族のDNAが、北米先住民やシベリア民などではなく、Sundaland地域の物に似ているという驚きの発見(直路渡洋はムリ、痕跡なし)も理解できます。

道東の人たちの旅行は、関東・関西でなく北米沿岸が多いとか、日本祖人が招いているんでしょう。問題は、縄文時代・縄文人しか単語が無く、その前の時代の世界の議論オリンピックに、重要な日本が入って行けてないことです。

(了)

「歴しニア」の雑談です。

一月も早終わろうとしてますが、お雑煮はいかがでしたか?

下写真右のようなグルーピングだそうですが、左を見て下さい。

この日本列島は1500万年前に、大陸にくっついていた地域が剥がれて、AとBになって観音開きの扉が閉じるように閉まった所に、南の太平洋から伊豆諸島が前進して来て、扉の所にぶつかって出来上がったものだそうです。問題は、ホラー小説で言えば何で1500万年前の呪いが、今も生きているのかとなります。

実は、4万年前に日本祖人が北上して北海道にまで拡がったんですが、その後の北、西からの人の出入りなどによって一様ではなくなります。

ところが、旧石器の分布から、倭と蝦夷の違いなどの種々の特色が「観音開き閉じとぶつかり」の日本列島の色分けに不思議に合っているのです。

原点1500万年前の呪い、いや「祝い」が生きているのです。

やはりおそらく、気候、動植物や災害含めての種々の影響が、暮らしぶりに残るのでしょう。

1500万年であって、4万年前なんて昨日のことです。

日本史は、「応仁の乱」から知ればいいなんて言ってる先生、傲慢です。餅がのどに詰まりますよ!

(了)

米テキサスで発掘された石器は、2万~1.6万年前で、「最初のアメリカ人」論議の通説である1.5~1.3万年前頃シベリアからと言うよりも古いとArchaeologyが報じています。

2万年前頃と言えば最終氷期最寒冷期(LGM)ですが、今でもシベリアの冬は―60度Cで、死者が出て報じられます。

4万年前頃に九州に渡海し、北上して3万年前頃、北海道に進出して降雪寒冷の暮らしに慣れた「日本祖人」は、プーチンが居ないのですから①食が豊かな「昆布ハイウェイ」を更に北上を続けて行ったでしょう。

②千島列島は、次々に島が見えた。

③ベーリング地峡は、北極冷水を遮断して、南沿岸の気温は北海道と数度違い程度である。

④ベーリング海は、北極冷水が流れ込まない正にハワイに繋がる海だった。

⑤海獣など、海鳥・卵、昆布などの食、そして何よりも北の海で暮らす造舟・操舟が、キーワードです。

などから、「「日本祖人」の初渡米を主張しています。

因みに、渡米のスタート地点である北海道を抱える日本学会は、世界の人類史上のこの大問題に、「縄文人」しか言葉を持たないため参加できていません。

先ずは、呼び返せ父祖の築いた北方領土!

(了)

現生人類がアフリカで誕生(30~20万年前頃)し、出アフリカ後、欧州正面に比して豪・ニューギニアへの進出が、舟(筏)を必要としたにも拘わらず早かった事は世界の学者の共通認識です。

下図の注目点は、出アフリカ後のAとSundaland地域のB(インマレイド種)の皮膚の色は、当然にして人類進出の飛び石ジャンプは有り得ませんから、その始まりは南インド・豪・ニュージーランドと同様に濃い・中位の茶色(これが元来)であった事です。

そしてA,Bは北上して行きましたが、いかにその後のコーカソイドとモンゴロイドの南下の影響が強かったことかが、図の薄い茶色に表れています。それだけ暖かく食料などの魅力のあった地域でもあるのです。

さて、日本へは、A―>B->Cと渡って来て、渡来が4万年前頃、ほぼ列島中へ拡がったのが3万年前頃と旧石器遺跡の分析から分かっていて、異論は無いでしょう。

この程度の事を少なくとも有力な説として学校で教えないのが不思議です。

例えばアイヌの議論も、先祖がこの頃から居たのならば私たちと同じですし、その後の時代に北から渡って来たならはっきり「先住民」では有りません。

要は普通に流れを考えればよく、島国であることから世界でも恵まれてかなりはっきりしている民族の始まりの歴史であるにも拘わらず、無用に「分らない」と言って何も教えず、一部の者が政治的な歴史観を主張して誰も異論を表明しないのが現下の大問題です。

縄文人は何処から?などと言う人さえおりますが、ゆっくり時間が流れていた「日本祖代(2万数千年)」の次の代ですから、何処でもない日本列島からに決まっています。

また、史界をリードする欧米学界が、アジア、太平洋地域の人々を簡単に新旧「モンゴロイド」で片づけるのも、いい加減な粗雑な分類区分と言うより、もはや南方軽視の偏見と言うべきものでしょう。

(了)

長~い我が国の歴史、九州人でも「先住民族」だなどと言う人は居ないでしょう!

政府は、アイヌを「先住民族」だとするそうですが、全くの驚きです。

列島中の1万件を超える旧石器遺跡の状況から、日本列島現生人類の始まりは、海を越えて九州にやってきた4万年前頃という事で学界に異論は無く、3万年前頃には北海道にまで拡がっていた(「日本祖代」前期)北上史です。

その後、特に2万年前頃の最終氷期最寒冷期(LGM)前後を含め列島には北から西から入りが有り(出戻り含む)ました。

一方、アイヌに特徴的な暮らしぶりは「北」から「鎌倉時代頃」から入ったと言われています。

因みにアイヌ自身の中に、北海道に背の低い先住者が居たが、千島列島の方に逃げ去ったという伝承もあります。

「先住民族」とは、「大航海時代以降、主としてヨーロッパ人が南北アメリカ大陸やオセアニアの地域で初めて接触した諸民族を指すもの」が世界通念ですが、アイヌの状況は違います。

迫害されたアイヌは白人の要素があると共感を寄せる欧米人もいますが実証されておらず、上写真のようにアイヌの犬はDNAが南方系だと吠えています。

長~い歴史を有する我が国において、学問的に実証されていない、世界に誤解を与える「先に住んでいた民族」の語の使用に、誰も公式に異論を唱えない学問空間は大問題です。

先生方、①アイヌの先祖は私たちと同じ日本祖人・縄文人ですか?それとも②北から鎌倉時代頃にやって来たんですか?と言う訳で、いずれにしろ世界通念の「先住民族」では有りませんね。

学問的に成り立ちませんから、むしろ国会は、先ず「先住民族」の語を外した「アイヌの人権、伝統文化の尊重を求める決議」に件名の過ち(平成20年6月6日)を正すべきです。

(了)

明けましておめでとうございます

いよいよAI時代の幕開けですので、AIやサルとヒトの違いを考えています。

最古の現生人類は、独研究チームがモロッコで発見した人骨(多少の議論有り)で、場所は海岸から40km位東方に離れた洞窟(標高約600m)です。

その海岸サフィが随一の貿易港というジブラルタル海峡の南の地域であり、南ア海岸洞窟と共に私は注目してしまいます。

実は日本のご先祖様を考えますと、海辺の知的進化・出アフリカ―豊かなSundaland―早い時期の豪州渡海―北上して九州渡海―伊豆・神津恩馳島への渡海の行き来―北海道への渡海進入と海絡みが注目されるのです。

海に入る、海産物を食す、海辺で暮らす、舟(筏)で海を渡る、などは森のサルと決定的に違う歩み出しと思うのです。

つまり、家族で九州に海を渡って来た段階で、既に進取の気性ある相当の知的レベルにあったのです。

このことが、日本文化・文明の始まりの基層であり、日本祖代から次の2代目の縄文時代以降にも確実に継がっていると考えています。

引き続きマイペースで研究に前進して参ります。

AI時代の温故知新のご参考まで。

(了)

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