大槍を持って動物に襲いかかるヒゲもじゃで革パンツをはいた原始人と暮らしのイメージは、東亜では始まり時代の様子として誤解を招きます。

➀最新研究で、南方先住の「インマレイ」種族(欧州学者の命名の古モンゴロイド名称は不適切)と日本の祖人・縄文人とのDNAの近縁性が明らかになっています。

②生物相境界のウオーレス線で分岐した現生人類の豪への早い拡散は、100km筏渡海・暮らし振り(沿岸食)・世界最古の磨製石斧(日本はダントツの第2位)など、日本史に参考となる注目すべき諸点を示しています。

③生物相境界線沿いは豊富な実証痕跡がみられる遺跡の「銀座通り」であり、数度の渡海移住と洞窟絵の知的レベル(洞窟で舟絵も)など、注目です。

④時代を異にする3方向渡来図(黄矢印、巷間に見られる)は、世界に誤解を与える元です。日本史の始まりは、南方から北上して来た一方向性で、現生人類の約4万年前の北部九州への家族渡海と沖縄への南下、太平洋・日本海(大雪無し)両側からの北上による3.8万年前の伊豆の生業航海、青森・陸奥平野での東西合一と北海道への北上継続(その後の北海道犬も南方系)です。道内最古遺跡で実証されている道東祖人と「最初のアメリカ人」(ベリンジア進入は2.5万年以前)の「昆布ハイウェイ」Kelp Highway 移住による関わりの可能性は、祖代研のみならず既に一部米側の提唱もあり、今、世界的に注目です。

⑤アジア、アメリカの南方先住民の間の驚きの近縁性が実証され、万年前の太平洋の直路家族渡海は考えられませんから重要です。この点で、これまで無視されて来た「環太平洋言語圏」(松本克己元日本言語学会長)説に注目の光が当たっています。

教室に紹介して議論し研究を深め、世界に状況を発信です―日本祖代研究会(RGaPJ)

➀DNA affinity, among south natives and proto-Japanese (Sojin, Jomon)

②Rather swift migration to the east beyond Wallace line, Raft & life of coastal food different from the image of spear hunter of primitive human being in Eurasia

③Rich remains of prehistorical sites in coastal ancient “Broadway” along Wallace-Huxley Line

④Kozushima obsidian evidence of Proto-Japanese Sojin( before Jomon) ‘s seafarer activity and Doto gateway of Kelp Highway coastal route to West coast of America

⑤ “Rich Evidence” of DNA affinity among South natives

ーRGaPJ https://www.sunda-wind.net/?p=12238

今や日本史の始まり時代史は、世界人類史における北太平洋岸ルートの「最初のアメリカ人」課題との関わりも視野にすべき問題なのです。

図右➀生業航海は日本史始まり実証の原点

伊豆の世界最古の生業航海と地域の遺跡(静岡・愛鷹、東京・鈴木)の3.8万年前が、日本史実証の原点です。従って、始まりの北部九州は先史移住の相場観から約4万年前(学界認識)となります(一部が主張する3.8万年前はむしろ誤り)。そして、①図の内容は世界遺産登録を申請すべきものです。

図中②基本は南方から北上の一方向性

巷間の3方向渡来図は最重要の沿岸ルート(赤)が無く、時代混交で進入量の扱いも不適切であり、「最初のアメリカ人」課題との関わりを全く意識できない誤解の元です。北海道犬も南方系で沖縄犬と同様でありこの意味は大きく、また、それまで拡散してきた人類が北海道で留まる理由もなく、樺太の白滝黒耀石や千島の縄文遺跡状況からも北上継続と考えるべきで3方向渡来図が日本から出て行かないことは問題です。大雪が降らなかった日本海側からも北上した青森・陸奥平野(当時)で東西が合一した状況及び世界が注目のKelp(昆布)Highwayの「道東祖人」が注目されている事を認識すべきです。なお沖縄へは、学界は鹿児島からのトカラ越え南下説(言語、人類、社会文化の諸学)です。

図左③旧石器時代名は不適切

旧石器時代名は世界一般語であり、期間は日本の個別状況に合わず英語に訳せば誤解され、今や文明の声も出ている縄文時代Jomonは新石器時代ではなく、かつ他の和語の時代名称と全く異質で合わない不適切です。生業航海、社会性ある陥し穴猟などの痕跡が示す当時の暮らしぶりは原始時代(旧人時代含む様相と誤解)と称すべきではなく、Jomon前のこの国の重要な始まり史は、祖代Sodai・祖人Sojinと呼称し教室に紹介と議論を、世界に発信をしてJomon、Ainuとしている誤解の箇所を正しましょう。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

 

➀36時間漂流は正に崖っぷちの危なかった位置、よく助かりましたね、よかったです。

②3.8万年前の神津・恩馳島への黒耀石採取は、朝日新聞が謎と報じ、発表を聞いた欧州学者の笑い出しも当然でしたでしょう。

③祖代研が、島が見えた、浜辺はフネを曳いて歩いた、当時の「鵜渡根出し」浮上でそもそもの対馬海峡越えの半分程度(20km)、黒潮流は四国で逃げていて関係なし状況、仮に北から親潮分岐流が有っても弱い、伊豆はその後も林木と技術の造船力で有名、カヌーが狩野などの説もある、などの諸状況から謎ではないと解明しブログ等で発表していきました。
この実証(愛鷹遺跡群)及び東京・鈴木遺跡3.8万年前などから、日本史始まりの対馬海峡越え移住は祖史時代の移住速度の相場観から、海峡越え偵察後の家族の筏渡海で「約4万年前」という表現が妥当という認識を支持します。

―日本祖代研究会(RGaPJ) 

➀始まり祖人・2代目縄文人は南方系

近年のDNA研究で、出アフリカ・中東東進の初期南方の先住諸族と日本の縄文人(その先代の祖人)のDNA近縁性が分かり、時代的にもモンゴロイド(拡散は9千年前頃から)ではないインマレイ系で、正に、石垣島祖人の様であったと考えられ来ています。

②欧米学者が驚いた豪州への早い「渡海」拡散と暮らし振りは重要参考

豪州への驚きの早い拡散ですが、同緯度であり納得です。むしろ、生物相境界線(東西で生物相が異なる)からの豪州への北と南のルートのいずれにしろ90-100km越えの筏渡海と沿岸暮らし(狩猟でなく、石器中心でもない)こそが重要な参考なのです。
移住のBルートは生物相境界線沿いで、人類は東ジャワ東岸を、次いでフィリピンのルソンへと渡海して線を越えて拡散しています。ルート沿いでは、東ジャワ・ワジャック人と港川祖人の人骨類似、5万年と古く知的な洞窟絵(後に舟絵あり)、フィリピンにも古遺跡群(6.7~4万年、カラオ、イリ、タボン等の洞窟遺跡)が実証豊富であり、A、Cに比し渡海の点でも断トツに注目されます。何より洞窟絵の知的レベルが注目され、その後の北上した環境に応じ暮らし振りを適応させる知力があったことです。

③日本列島の祖代遺跡の充実

現代とは異なる古環境・DNA・考古学分析等により、北部九州への筏渡海(約4万年前、湖的な波静か)から沖縄・北海道への拡がり(3.5万年前頃)、伊豆の生業航海や陥し穴猟跡など、島国であったことも幸いして日本列島には世界的に始まり時代の痕跡が圧倒的に充実しているのです。

今後の学界は、海水面の上昇で消えた祖代の沿岸暮らし(豪州例が参考、伊豆の生業航海にも)にもっと注目すべきです。

④人類史注目の「最初のアメリカ人」は西海岸の海民

衝撃の北米の「足跡」など近年の研究で沿岸ルートが注目され、シベリア狩猟民もベリンジア後は大槍を捨て海民化したと言われるだけでなく、最近のDNA研究(Dr. Jeanson)で実は意外に新しい進入?とみられてきています。これまでの北米のDNA研究で、折角の海民性を示す日本の祖人(青森・陸奥平野―道東)は長く無視されてきましたが、そもそも北海道で留まって北上しなかった理由などなく(舟や流氷歩き、北千島の先住痕跡など)当然に最初のアメリカ人の参加候補であり、祖代研のみならず一部のアメリカ学者も既に日本列島・道東北上ルートを指摘しているのです。

ともかく教室は周回遅れであり改善を、研究に投資を世界に発信をー日本祖代研究会(RGaPJ) 

現生人類の始まり史における南方インマレイ(古モンゴロイドは誤り)の拡散及び槍持ち襲撃の狩猟というよりも魚貝や植物食の沿岸暮らしという環太平洋新視点が、関連でルート上の北海道東が近年注目されています。

➀南米と南方という万kmの遠隔(多家族の直路横断はムリ)の古人が近縁であること、また、北米無氷回廊IFCの閉鎖中の南米遺跡(沿岸南下と理解)発見という驚きが、Acostaが北から来たと言った驚きも予言で始まったこれまでのマンモス・ハンター定説の見直しを迫っています。

②ベリンジア到着は2.5万年以前(DNA分析と足跡から)、沿岸ルートは食豊かで実行性有り、シベリア民進入は実は古くない(Y Haplo-Q AD300~600)など近年になって新たな発見が出て来ています。

③新たな状況を踏まえて、これまで埃をかぶっていた先達のモンゴロイド化容貌変化(寒冷積雪・寒風乾燥の環境)と言語の環太平洋圏の共通性の研究などに光が当たり見直されていくことになります。

④以上のことなどから、インマレイ(仮称)の環太平洋拡散移住説に、古環境、DNA、考古学、言語学等の諸研究の示すものが収斂しつつあるような状況です。

今やこの環太平洋視点について、更に実証研究を進めるべき状況です。周回遅れの教室にこの状況を、世界に日本の状況の発信を―日本祖代研究会(RGaPJ)

左図下、米国における始まり祖代の暮らしぶりと祖史考古学研究の中心である石器についての野外実験による見直しは、最新の米実験考古学の報告です。

マンモス・バイソンなどの大型動物に対する大槍持ちが数人で襲い掛かるハント史観は修正が必要(以前の報告)で、石器はむしろ屍体解体(長野:野尻湖遺跡に注目)が用途とのことです。米国やアジアの古人骨の分析では、海・水産物食が主流という報告が出ています。
上図、日本も包まれていた食豊かな「昆布の森・Kelp Forest」と「最初のアメリカ人」の新大陸・太平洋沿岸からの進入ルート説の高まり(内陸の「無氷回廊」はその時代は不通)。大型動物狩猟の生活観の見直しという米実験報告も踏まえ、あらためて日本の始まり時代におけるガラス黒耀石は何故、宝物だったのかが重要です。
右図、海・川辺~高地の賑いと考古金メダルの暮らしにおける多用途の黒耀石を採取すべく、祖人が努力し交易したことに納得です。今では海水面の数十m上昇で祖代の沿岸の暮らしの痕跡は海中ですが、2代目縄文の親にも理解を求めたいです。
生活行動に知的レベルと黒耀石工作のデリカシーがあり。言葉でコミュニケーションしたと考えられる広域の交易、陥し穴や環状キャンプの集団社会性も示しており、現代の凶暴な独裁者・狂信者たちに比べ原始人ではアリマセン。案外、黒耀石でウザ~イ髪とヒゲは刈っていた(スカルプチャーカット)かもです。
縄文Jomon前の日本祖史を世界に、教室に。―日本祖代研究会(RGaPJ)

図左、実証3.8万年前(遺物の原産地特定、年代測定)から、切れ味の宝物・黒耀石の存在も賑わい理由の一つでした。


沿岸から高地、北陸新幹線より3万年早い列島中央部の連接、関東平野~東海広域の活動と交易(鈴木遺跡は“新宿”のようだった!)、伊豆の生業航海や長野の高地進出に多様な石器扱い、原始人ではない知的レベルの陥し穴猟・磨製石器・環状キャンプ等の世界先史考古学の「金メダル」ラッシュに、欧米先生もビックリ。
世界・巷間のJomonからしか語らない日本史話は終わりにしましょう。Sodai/Sojinを世界に、教室に広めましょう。そもそも祖人は、寒冷・寒風・降雪で身体変化したMongoloidではなく、出アフリカ後の東進した南方系Inmalayインマレイが亜寒帯入りして若干変化した北インマレイ(Inmalay-North)です。マンモス・ハンターも騎馬民族も来なかった、大量渡来もなかった列島のコップの中の勢力の消長で育まれたのであり、「日本は神話(国の成り立ち)から歴史(実証的)が滑らか」(仏 レヴィ・ストロース)を含めた、全く新たな日本史の総合的な教育の検討すべきなのです。ギリシャ神話はよくて、日本神話はダメなんですか?ー日本祖代研究会(RGaPJ)

1万件を超える日本列島の始まり祖代の遺跡研究、太古からの人のDNA分析、当時の環境の推定などから、孤立的な島国であるが故に始まり状況を当時に見合う精度レベルで一応議論できることは、今後の新事象の発見で修正があるとしても左図の内容は世界的に特筆すべきことなのです。

1.約4万年前(列島中央部の3.8万年前の実証遺物を基に現生人類の初期移住状況から推定)、南方から北上し曙海沿岸から対馬海峡を筏(いかだ)で、日が昇る方向の北部九州に到達したと考えられ(①②)、巷間言われている中国や朝鮮半島から来た、また、北・西・南の3方向から来たと言う説明は誤解を招くものです。筏を造り気象・海象を理解して30km以上の海を多くの家族が漕ぎ渡る事が出来た事は、沿岸の暮らしに慣れ諸作業と渡海行動について言葉による意思疎通能力を有した知的レベル(祖代は祖語の基層)の人々(仮に大井川の例のように、輸送専業の者がいたなら、注目すべき社会性)であったことを示しています。原始人ではアリマセン。

2.海民の祖人は、その後3.5万年前頃には沖縄から北海道の概ね列島中に拡がり③北上を継続したとみられます。この点で、今は海面下ですが陸奥平野や貝塚遺跡の今後の水中考古学が期待されます。肝心の祖人について、欧州学者の命名による「古モンゴロイド」呼称は誤解(モンゴロイド:寒冷・寒風・降雪に適応し南シベリア・モンゴル地域で2.5-1万年前頃から身体変化説-米Dr. Howells)を招く不適切なものです。東南アジア地域の「インマレイ」(仮称)が熱帯・亜熱帯地方から北上し亜寒帯入りして若干の身体変化を生じたと考えられるスンダランド南方系の「北インマレイ」(仮称)と称すべきです。

3.遺物で原産地実証されている「伊豆での生業航海」②右は、当初は欧州学者に相手にされず、新聞では謎と報道されましたが、祖代研は当時の環境から最短で約20kmの不思議でない渡海(屈強な男達、海水面低下で拡大した諸島の海岸はフネを曳いて歩く)と発表しており、そもそも始まりの対馬渡海の方が長距離であって、相互に渡海推定を補完し合っている重要な事象です。

教室が時代の古さと実証精度のバランス認識を欠いて「よく分からないから教えない」とし、祖代の世界先史の“考古学金メダル”5個も教えず、始まりに関する紹介すらせずに明治時代の先達の活発な熱い論議を失っている事は適切でなく、改善を要望します。「最初のアメリカ人」問題でも日本が登場しているのに、教室が全く反応していない事も適切ではアリマセン。ー日本祖代研究会(RGaPJ)

祖先は、縄文、弥生の旧説でなく、DNA分析から更に東北系が加わったものと理研が科学誌に発表との報道。しかしこれは、1.祖代・祖人の年表を尊ばず、2.南方からの北上史も無理解で、3.今や日本史は世界が注目してきており、誤解は避けねばなりません。

始まり祖先は①言うならば、「北インマレイド」(欧米の古モンゴロイド名称は誤解招く不適切)の1系統であり、後の縄文でも弥生でもなく東北系呼称も沖縄などを見れば全く不適切です。
②実証3.8万年前の黒耀石を求めた“伊豆海峡” の生業航海が、繋がり浜北祖・縄文人を認識することは、極めて重要です。
③「最初のアメリカ人」問題で、西海岸(昆布ハイウェイ)ルート説の高まりで、今、約4万年前の北部九州・対馬への筏渡海の始まりから3.5万年前頃には沖縄から北海道迄列島中に拡がっていた祖人の状況を認識することが重要で、世界のに注目なのです。

教室が始まり祖代Sodai・祖人を教えないために、「縄文人は何処から?」という愚問も発せられています。2代目なので、日本列島からに決まっているのにデス。
―日本祖代研究会(RGaJP)

①新垣義夫(83)宮司の沖縄国際大学に対する洞穴聖域の調査依頼から、普天間宮遺跡280m内部の聖域の調査に着手し、始まり祖人Sojinの生活痕跡の炉跡2ケ所の大発見に繋がりました。更に、深い層の今後予定(8月)されている調査に期待が高まっています。なお、1.縄文時代の前は磨製新石器と旧石器が共に存在し、また、縄文草創期にも旧石器は使用されていましたし、2.平安Heianや江戸Edoなど他の時代と用語が合わない「旧石器時代、後期旧石器時代、原始時代」のなど語は、内外に誤解を与える不適切なもので世界通用の祖代Sodaiとすべきです。

②そもそも日本人の始まりは対馬渡海(40-30km)からでしたが、日本祖史では伊豆の生業航海(神津島、渡海離隔約20km)など言わば“世界(祖史)考古金メダル”で5個も有し、繋がり次代の縄文は、今や文明との呼び声も出ています。

③対馬・伊豆などにおいて祖人が示したその渡海能力は、「最初のアメリカ人」問題(2.5万年前頃から)で北米の西海岸ルートからの進入説の高まりにより、日本の海民性が注目され出しています。今回発見のトカラ越えの遠隔地である沖縄における離島生活痕跡は、史界の動きに大花を添えるものといえます。

―日本祖代研究会(RGAPJ)

現在、東京都認定ですが、①IDA(本部アリゾナ)の星空保護区(ある意味で世界遺産のようなもの)に申請へ。認定ならば、沖縄に次ぐ2例目となります。②神津島は3.8年前、日本最古実証の黒耀石採取で祖代の伊豆海峡をフネで行き来した、日本の“世界祖史考古学金メダル” 5個の中でも最も意義深いものです。近年の③「最初のアメリカ人」の東太平洋沿岸(昆布ハイウェイ)進入説の高まりで、日本史の始まりが注目される中心ともいえる実証痕跡の島に新たな輝きとなります。
―日本祖代研究会(RGaPJ)

①「最初のアメリカ人」定説、シベリアのマンモス・ハンターが無氷回廊から進入定説の崩れ

a.無氷回廊は氷が融けても生物の食糧無ければ未通(1~2千年間)であり、あの米国始まりクローヴィス文化人も実は開通前の沿岸からという衝撃です(これで全ての米国論議遺跡が沿岸から)。 b.北米先住民に多いシベリアDNA‐ハプロQは実は1,700年前進入とゼロ一つ違う全く新しいものなのです。 c.そもそもマンモスの毛・肉の厚さから北米発見の石器では、数人の槍持ち襲い掛かりハントは無理という実験考古学の報告です。これらの事から最初のアメリカ人についてはイメージの見直しが必要であり、何よりも日本列島ルートは排除されず、注目されるはある意味で当然です。アメリカでは沿岸ルート説の強まりで、DNA的に否定されるもかねてからくすぶっていたコロンブス以前に北大西洋のグリーンランド回りで欧州から来たという「ソルトリアン説」が、石器がクローヴィスに似ているしと元気になっていますが、依然無理(米学界主流)なのです。

② そこで一部は遂に、日本史の始まり時代の海民性に関心

正に図右の祖代研の曙海・北東亜平野の図と同様の思考です。但し、沖縄の祖人骨発掘に惹かれたのであろう黒潮ルートに言及しているのは誤解で北部九州が始まりです。南から沖縄本島への慶良間ギャップ300kmは、家族ですから越えられなかったでしょうし、考古遺物は鹿児島からの南下を示しています。米国の今回の例でも始まりの祖人について、3.8万年前から神津島に黒耀石を求めて舟で生業航海を行っていた伊豆祖人の海民性を採り挙げ、ベーリング陸峡への太平洋沿岸北上の継続について研究者名Ikeya(池谷信之)を付して注目という祖代研に沿った探究路線です。

③日本の縄文前、特に青森・北海道以北の祖代の理解認識とルート確定などはこれから

祖代における“世界考古学先史の金メダル5個”の文化性は、未だ世界には認識されていません。北海道東祖人に今関心の脚光が及んでますが、基盤の青森・陸奥平野や帯広・白滝等の道内の祖代遺跡の意義、何より肝心の千島特に北千島の遊動海民コロボックル・留頓(Routon)に関する明治・大正時代以来の先達(ロシア研究者等を含む)の発掘、研究状況はよく知られておらず全くこれからです。

いずれにしても今後の研究進展によりますが、「最初のアメリカ人」研究の本家が一昨年の書籍出版に次ぎ昨年動画を最新でサンジェゴ考古学センターが日本の始まりに関心を示して来たことは注目され、教室の日本史はこういう動きを紹介すべきであり、周回遅れなのです。時代呼称を適切に定め、世界に見られる一部の誤解は正されねばなりません。
―日本祖代研究会(RGaPJ) 

新入生へ 
固定観念に捉われず信念を貫く―相澤記念館

1.行商の市井の考古学研究家の大発見

左図、群馬県みどり市の岩宿博物館の1件3万9,370点の指定。特に、それまで学界では無いと考えられていた縄文時代前を確定する1949年・昭和24年の黒耀尖頭石器等の発見が、始まり「祖代Sodai」への扉を開き、それまで学界では無いと考えられていた関東ローム層のみならず日本各地での発見に繋がって行ったことです。問題は、この時代名称が先土器や旧石器時代という不適切なまま放置されている事なのです。

2.真の意義は、先史「金メダル5個」及び「最初のアメリカ人」問題研究への端緒

右図、現在は1万件を超える初代の遺跡発掘の蓄積から、世界先史考古学の特筆事項「金メダル」を5個も獲得しており、今や文明と言われる縄文Jomonの基層であった日本の始まり「祖代Sodai]」の確定に道を開いた事と世界の学界が注目する「最初のアメリカ人」問題研究に関わることの端緒となった事が重要です。相沢忠洋が扉を開いた始まり祖代については残念な旧石器発見の捏造事件があり、また、原始時代の扱いで依然として巷間に誤解が多く、教室で軽視されていることが大きな問題です。

―日本祖代研究会(RGaPJ)

「最初のアメリカ人」を巡っては定説が崩れ、新たな認識が求められていることから各国史にも種々の影響が生じています。「日本人はどこから?」ではなく、今や「日本人は南から来て、何処まで行ったのか?」と問う時代(プーチンはいないのに、北海道で留まる理由はアリマセン)なのです。

1.左図 最新の研究でこれまでの認識は全くの表層を語っていたようです。DNA分析、言語研究、考古遺跡発掘などから世界現生人類史の下の層は違う景色であり、まだまだ解明の途中です。特に、DNA分析における中央アジアの影響は大きく、新しい3,700年前頃の同地域の種族が東進、西進し時間差をもって北米で再開したという新認識は重要で、シッティングブル大酋長とカスター将軍が同祖系とは驚きですが、納得できます。欧州人コロンブスが来る前に、アジア・シベリアから何波もの渡来と混合があり解明を難しくしている事情が理解されます。①最初はアラスカ沿岸から西海岸を南下しつつ内陸へ拡がったとみられ、その後、②氷河期後に内陸の「無氷回廊」が開かれて狩猟族が大量に渡来したのが原型でしょう。そして欧州からの大きな渡来が南北アメリカに続き現在に影響を及ぼしています。しかし、東部のユーラシア・アジアからの先住者の培った文化や影響を及ぼした生物環境などは、その後に十分意味を持っています。また言語研究からも最初のアメリカ人候補としてA、Xが考えられ、沿岸移住説の高まりの中、日本・道東祖人(青森発)は候補であることを認識すべきなのです。

2.右図 このような人類史の状況を踏まえれば、南方から北上して北部九州に至り、列島に形成された約2.5万年間に及ぶ祖代Sodaiの基層は意義深く、世界考古学的に特筆される「金メダル」は5つに及んでおり、2代目の縄文文明は一日では成らずなのです。白滝石器群が国宝に指定され喜ばしい事ですが、特に、最初のアメリカ人が新大陸西海岸を南米南端にまで及んだことを考えれば、若葉の森遺跡や近年豊富な黒耀石器が発掘されて話題になった帯広など北海道ゲートウェイの道東祖人及び東西から北上し合一した祖人によって重要な基盤となった青森・陸奥平野における暮らしの解明は、日本史のみならず世界人類史の観点でも注目されます。それらに繋がるとみられる仙台及び北陸の暮らしの解明も期待されます。巷間には未だ3方向(北、西、南)からの渡来図を示し、日本から出て行かないという誤解を招く説明が散見されており、是正すべきです。

教室はこの始まり時代を解明の途中とした上で紹介すべきであり、でなければ旧態のまま周回遅れです。―日本祖代研究会(RGaPJ) 

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