(東京・札幌五輪) 列島史、始まりの土器から窺える北から南の繋がりある生活文化!

カテゴリー: 最新情報

始まりの日本列島の生活文化は、学者先生がことさらに違いを強調しますが、南北に長い緯度差の大きい列島であるにも拘わらず、地域色は有るものの一体性あることが特徴で、世界を見れば驚くほど解明されています。

一体性の大きな理由は、そもそも北部九州に渡って来た人々の南下、北上による繋がりのためですが、① 中央部の広い関東平野、日本海側に大雪が降っていなかった事、そして当時の宝物である黒耀石が豊富であったなどのラッキーにより、現代と同様に中央部の関東・甲信越が連接された賑わいを見せていたことでしょう。この事によって、北海道の帯広・遠軽白滝の方から沖縄の宮古・石垣島の方まで神経が行き届いていたような比較的一体性ある暮らしぶりです。長く北海道に土器が見つからず本州との歴史の歩みの違いが言われていましたが、②帯広1.4万年前の縄文期土器、しかも道南型が見つかったこと (秋道智彌) により、青森の世界最古級土器文化が津軽海峡を越えてはっきり「北上」して伝わっており、また、肉・魚食と特に植物食を煮炊きしていたことが注目されます。

他方、南方では、③種子島で は、煮て肉蛋白とドングリのアク抜きで渋味苦味を軽減すべく調理していたとみられ(工藤雄一郎)、④遂に宮古島で1万年前の土器が発見され(琉球大学)、列島文化の一体性が窺がわれます。しかも、台湾・フィリピンの土器はせいぜい6500~5000年前程度の全く新しいものですから、九州から沖縄本島に南下して更に200kmを超える慶良間ギャップをフネで越えて文化が伝わっています。この事は、2.8万年前からの石垣島人もおそらく約4万年前の北部九州から沖縄本島を南下し慶良間ギャップをフネで越えて先島に渡って行き、アルカリ土壌で幸いにも残ったものという可能性が高まりました。更に、活発だった縄文人が、これまでの仮説と真逆に台湾などに土器を伝えた可能性すら考えられる(琉球大学)のです。それは、これほど早くから土器が広まったことが、動植物(海産物を含む)を共に食した生活文化の祖人・縄文人の特徴と考えられるからです。

さて最後に、⑤このように繋がりがあった列島の祖人・北海道Proto-Japanese Hokkaidoの帯広~遠軽白滝の基盤と食が豊かな昆布ハイウェイ、千島列島の島々が次々に見えていたことから、ベーリング地峡・米臨海沿岸を登山して、向こうに下山したように入って行った「最初のアメリカ人」Natives関りの可能性が出てきます。当時は、北極海の冷水が地峡で止められ、米臨海はハワイに繋がる海でした。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 9817ffb285888f4118286f788b847f28.jpg

なぜか学校はこれらのことを全く教えませんが、子供に、オリンピックを観る世界の人に知らせましょう。無論、鎌倉時代からのアイヌが先住民族などの誤解も正しましょう。

↑トップへ