(人類・日本史)日本人、どこから?東亜地中海の西岸北上説に光

カテゴリー: 最新情報,祖代(Sodai)・祖人(Sojin),遺跡

図右:遺跡豊富な東亜地中海の東側に比し全く発見の少ない西側、このため「東亜地中海」の認識も名称も学界にはありません。スンダランド域の先住民は、縄文人DNAと類縁という重要なことなのですが。


図左上:出アフリカ現生人類の東進から、「急行」と称された豪州への速い沿岸・90km渡海の移住もあって、かつては東亜地中海の西側北上の拡散ルート(黒線)が言われ(樺太から進入はずっと新しい時代で誤解)、礼文・船泊縄文人(4-3千年前)の時代になってもDNAにその痕跡は残されています。その後、内陸での発見に目が向き、西沿岸への関心は薄れました。今、「最初のアメリカ人」は北太平洋沿岸Kelp海藻Highwayルート説の高まりと東亜地中海の東・南側沿岸の発見遺跡の充実もあり、北部九州Kelpへ至る小島の多かった西岸北上説に光が当たってきました。そして、豪等と南米の先住民同士のDNAが驚きの類縁から、スンダランド域~日本列島~ベリンジア南岸を経て南米南端までの「環太平洋移住MPOR」説に注目なのです。

図左下:日本史の始まりルートは、朝鮮山地は誤解であり図の曙海西・北岸の時計回り(黄矢印)で対馬への多数の海民家族の筏渡海から、トカラ越えの沖縄へ、本州北上の北海道以北へという拡がりです。列島1万件超えの祖代遺跡が示す2.4万年間(61%で日本史の基層)で、原始人ではなかった祖人の文化を育み、一日にして成らずの次の縄文(文明)時代へと呼ばれていきました。

教室に東亜地中海を、祖人を―祖代研究会(RSoJS) 
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