昨年9月末のニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見の「誰?」という問題は衝撃で、そろそろ1年になろうかというのに、説が一つも動画に出て来ない異例。もともと日本学界がこの問題を論議していないのは、北海道から出て行った説が全く無い不思議な周回遅れ。

さて、①発見は、足跡が残る土の層と足跡周辺の植物の年代測定などの分析で確かのようです。普通なら出て来る「おかしい」の声が聞こえません。すると、これまでの「最初のアメリカ人」認識を数千年(!)遡ります。②足跡は最寒期LGM真っ只中の時代で、ベリンジア通過はず~と前の3万~2万数千年前の頃か。いずれにしても氷河期です。③内陸の無氷回廊は、km級の厚さの氷床が仮に融けたとしても、寒風厳しく生物が殆どいない所を行けるようになるには、更に数千年を要すると考えられています(現時点、1.4万年前頃とみられています)。➃沿岸ルートは、やや寒冷緩和期に海岸付近の小島はもとより岸辺も移住できたかもしれません。そうなると、Bシベリア狩猟族が、もっと早くにベリンジアに出て来て北の海でフネに乗り換えたのか?冬の海では、落ちたらオワリ。Aか、Cか、はたまたベリンジアでA、B、C、入り混じりか、ともかく欧米先生の説が出て来ないようなので、皆さんの一案を宿題の作業として出しちゃいましょう。

東京都神津・恩馳島の3.8万年前の黒耀石採取の海の行き来は、最初は国際学会での発表を欧州学者に笑われた(最古はエーゲ海1万年前と思われていた―小田静夫氏)。

その後も①新聞が、伊豆半島の遥か彼方で55kmもあり、丸木舟を造る石器も発見されておらず、北上する黒潮に押されればどうやってたどり着けるのか?古さといい難しさといい、ロマンある「謎」として紹介しました。ともかく、この渡っただけではない「行き来」は金メダルなのですが。それは、②日本祖史が、約4万年前の始まり「祖代」に、南方から北上した「祖人」Proto-Japaneseが家族で30~40kmの対馬海峡西水道を、フネ(または筏)で渡ったことが世間によく認識されていないことも一因(金メダルは、6-5万年前のインドネシアから豪行き約90km)です。そして③海水面の低下で神子元島は小山であり、伊豆の海には高瀬島と鵜渡根(うどね)出し島が現れて渡海の距離は20数km、A海浜は徒歩でフネを曳行できましたし、実は黒潮は四国沖で太平洋に去っていて、むしろ押してくれる親潮分岐流があったかもしれない上に、対馬・西水道越えと違って海の男による東水道越え程度の事だったのです。出発地は、甲が容易ですが、乙は何といっても縄文時代の黒耀石の工房の見高段間遺跡がありましたし先代の行き来を受け継いだ可能性あり、丙眼前に迫る大島は最初に誰かが渡った所。また、おそらく祖人が最初に渡った丙・大島行き(帰路は厳しい)も考えられます。ガラスのようで「紙切り石」と言われる良質な宝物の黒耀石は、今と違い陸上に露出していて陽に耀いて手招きしており、問題の海の行き来も、往きは太陽で、帰りは伊豆の山々(と北極星)により目標もはっきりで、重い宝物を積んでの帰路は、うどね出し島~神子元山のルートが良かったでしょう。

新聞が驚いた3.8万年前も、沼津の井出丸山遺跡の出土品が池谷信之氏など内外の科学計測のお墨付きです。最近では、長野の高山の遺跡が3.7万年前で相互に年代を支え合っています。フネは、恩馳島のアシカなどの動物皮舟・カヤックか、丸竹の束ね筏か諸説ですが、丸木舟も、伊豆の山は後の船材の名産地で、ベーリング海のアレウト族は半年かけて皮舟造りしますので、祖人も磨製石斧・台形様石器で神に祈りつつ納期もなく時間をかけて木工すればできたのではと、一応仲間に入れたいと思います。いずれにしろ以上の事から「謎」ではなく、3.8万年前の事ですから、この位分かっていれば仮説学問として十分でしょう。全国の教室で説明すべきで、更なる深堀りを将来の学者である学生・生徒に委ねるべきです。さて、何しろ東京都の神津・恩馳島の「金メダル話」ですから、折角の東京オリンピックの機会に、日本祖代研究会は、国や都を初め各方面にSNSで訴えましたものの、発信されることは有りませんでしたが、絶好の機会を失し大変残念です。それでもビッグサイト前で資料を配布し、一部の海外メディア関係者は手にしてくれました。

そして、この先人の偉業が何故重要かと言えば、今、アメリカ・ニューメキシコにおける2.3万年前の足跡発見で、太平洋北西海岸をフネで入って来たと言う沿岸進入説が益々補強されており、東ユーラシアの海民として、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoに係る伊豆の海の行き来は改めて重要性を増しているからなのです。ともかく子供に教え世界に発信し、更なる国際共同研究を推進すべきものです。

古いことでよく分からないからと、何故か教えない重要なこの国の始まり。祖代に祖人が列島に拡がって行ったその始まり時代が分からねば、その後の歴史をまともにプロットできません。静岡・三ケ日祖人骨は、はっきり切れ目なく縄文人への繋がりを示しています。世界現生人類史の議論に周回遅れであり、今注目される日本列島ルートの状況提供にピッタリ貢献していない現状なのです。

そのくせに一方では、原始時代・人だの、この国は東部ユーラシア外れの行き止まりの吹き溜まりだのと誤解を招いているのを放置している酷さです。先ず重要な事は、当時の環境認識であり、考古学界が認識する始まりである約4万年前は氷河期、①気温が数度低かったために海水面が約80m低下していました。②図がボケていますが相応しく、気温と海水面も今と違って揺れ動いていましたので幅があったのです。それでも、北東亜平野、山地、曙海の多島の沿岸、日本海側に大雪は降らず、沖縄には慶良間ギャップがあり、黒潮は今と違って四国沖で太平洋に抜けていました。注目は北京近郊の「田園洞人」で、この時代の古人骨で、西ユーラシア人とは全く違う東方人、更に狩猟族ではない淡水魚食の海民子孫だったのです。曙海沿岸から内陸へ河川を遡行して行ったのでしょう(人類史で内陸移動図があるが、河川遡行で上流の内陸に遺跡を残した可能性を考慮すべき。それらを連ねた内陸移住ルートは誤り)。朝鮮半島から来た、大陸西方の内陸から来たというのは誤りで、海民であったことが大変重要です。実は現生人類は、南方で90kmの海を越えて豪州に移住していると理解されているのです。③日本史の始まりは、1万件超えの旧石器遺跡が示す北上史(沖縄へは南下)であり、巷間本の3方向渡来図は、異なる時代を重ねた全くの誤りと言っていい内外に誤解を与えるものです。明治先達・坪井正五郎のアイヌ以前の列島先住コロボックル石器人観の方が、よほどましなのです。

この巷間本の誤解が長い間続いていましたが、➃アメリカ先住民のDNA分析と、考古学的なフネによる北米北西岸進入説ではっきり人類史の日本列島ルートが注目されています。そして、重要な事は⑤家族が西水道の約40km、最終氷河期の最も短い場合でも16kmをフネ(筏)で渡海したことが極めて重要です。鉄器の無い時代にフネを造るのは知力を要し、何より今より大切にされた知識経験豊富でお産に重要な祖父祖母を伴ったと思われますから、外洋の気象海象をよく理解し1日がかりで渡海する知力は原始人ではないそれなりでした。望見された対馬はもとより、その先の壱岐から五島・出雲に拡がる長大な陸地は魅力でしたでしょう。無論、祖人の発言も記録もフネも残っていませんが、九州の祖代遺跡、実はこの後の沖縄や伊豆諸島・神津島への海越えの痕跡で、十分に海民祖人の仮説足り得るものなのです。そして、それらが北海道発の千島列島、樺太への北上継続を後押しするのです。ともかくこの状況を子供や世界に発信し、貢献を。更なる研究を促すべきです。

標題は、図右、昨年の 米国ニューメキシコにおける 2.3万年前の足跡発見で、今や、世界人類史「最初のアメリカ人・先住民」問題における「フネ移住仮説」が注目される中、あらためて「どこから、誰が」に係る重要なコトです。しかし、大学ですら講義に全く出て来ない「周回遅れ」の異常で、特に前回説明の北海道は重要です。

本格的には明治時代から長い間、日本人は、縄文人は、どこから?を問うてきていますが、世界史界では登場している「どこへ?」が全く無い不思議なのです。先ず、巷間本の「縄文人はどこから?」は、問いが間違っている異常です。実は縄文人は2代目ですから、何処からも何も「此処」日本列島に決まっていますこの点で、静岡・三ケ日祖人骨は重要で、縄文人と差が無い連続性が示されています。何故「どこへ?」が無いのかと言えば、一つには、殆どの考古学者が同意している約4万年前からの先代の初代人に、適切な名前が無いため議論されにくいことが問題なのです。世界の議論において必須で参加する前提とも言うべきものなのにです。かつては縄文時代の前ということで、①先土器・無土器時代と言われましたが、始まりが青天井で不適な上に、土器を基準にするのもヘンですし、「人」を言っていません。今の、②原始時代・人は、始まり終わりが曖昧で暮らしぶりも、始まりからして家族が海上渡来の認知力や発掘諸成果から原始的は疑問で、毛皮パンツに槍を持った原始人イメージは誤解の元です。③「旧石器時代」は世界に出れば約250万年前からで通用せず、「後期」旧石器時代としても、世界的には約3万年前からの地域もあり、1.1万年前の新石器時代への移行が日本の歴史とは違って紛らわしい上に、祖先の「人」を軽視しています。かつての➃「日本原人」も、旧人より新しいのに、世界では旧人の前に使われる語である原人ですからダメで、⑤一部の先生が言う「ヤポネシア」は、縄文人の親祖先ですから、連続している縄文人の親らしく日本語とすべきです。

結局、世界に出るので、既に世界的によく知られているJomonのように、英語のProto-Japaneseをどう訳すかと逆に考えて(日本)祖代Sodai・祖人Sojinと命名すべきです。注目の北海道を論ずるなら「北海道祖人」ですし、人骨の発見最古は「石垣島祖人」です。世界の学者が論文でも記述しているAinuは、鎌倉時代・13世紀からですので、万年前の本件議論から、積極的かつ早急に誤解を正さねばなりません。 さて、授業にも巷間本にも全く出て来ない「どこへ?」ですが、この問題は、次回、説明します。

世界人類史、図左欧米動画で出アフリカ後のDNAの拡散・移住は、日本列島を通過し、別れて大陸へも拡がっています。

1図、昨年、ニューメキシコにおける衝撃の2.3万年前足跡の発見・発表は、これまでのDNA/考古学の総合的な検討による北米北西岸の青・昆布ハイウェイ・沿岸ルート定説化に対し、途切れている「どこから?誰?」に益々世界的な関心を集めています。しかしそこには、シベリアに比し日本・北海道が記述されていない考古学記述の白紙の問題があります。日本の世界に対する本件の発信が弱い事もありますが、出発地候補である北海道の最古遺跡の年代、特に道東・白滝などの旧石器遺跡に関する科学的な「年代」がしっかり世界に公表されていないのです。そのためには、もちろん科学調査分析の予算を要しますが、アイヌ・ウポポイ館200億円に比べれば全くわずかな金額でよいのです。その学問上の重要性・意義は全く比較にもなりません。2図南方から曙海沿岸を北上して約4万年前に北部九州に家族がフネで渡来し、賑わいの関東・東海・甲信越から北上して津軽海峡を越え、北海道祖人Proto-Japanese Hokkaidoが全道に残した遺跡(701)は、世界的にも優れて充分なものです。千島列島越えも当時の数十mの海水面低下を考えれば、北部九州に来た、伊豆の海を黒耀石を求めて行き来したレベルのものですから、食の豊かさを考えればベーリング海峡に達した可能性は高く、渡海もまた可能(45km以下)です。

この万年を議論するテーマに対し、欧米学者の論文に鎌倉時代13世紀からのAinuが登場する誤解の放置は酷いものです。世界は、いや日本の子供は待っています、北海道の最古遺跡・遺物の科学的な年代測定を、Ainuでなく北海道祖人の暮らしぶりの解明を。

内陸の回廊ルートが川沿いに開かれた時期があっても、厳寒強風で生物乏しい荒野が1000km越えて続くので、完全温暖化の1.4万年前頃迄は人類の移住はムリ だったと考えられる 。

他方、食豊かな昆布ハイウェイ・沿岸ルートは、ハワイからの北上暖流で条件は比較して良い。シベリア・ハンターが厳寒の地を東進しベーリング海峡に出て来て、北の海で造舟・操舟の海民に成れたか?東端のチュコト半島では、逆に、海岸の海民が陸に上がってトナカイ民になっている。やはり「北海道祖人Proto-Japanese Hokkaido」(縄文人の前・初代)が注目です。問題はこの用語が無いために、ハワイ人より新しいAinu(13世紀~、北海道大学DNA分析)が、本件で欧米学者の論文に登場し、それを放置して日本学界が訂正しない異常です。子供に教え、世界に発信を。

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