南米北西部のアンデス高原の広域に栄えたインカ帝国(13~16世紀)の文明は、文字を持たないと言われていますが、縄の結び目が文字の役割を果たしていることは知られていました。

Harvard大教授の呼びかけに応じたメキシコ系米人学生が、今回その解読に成功するという偉業を果たしました。

北米で場所は少し離れていますが、祖先の血が騒いだのかも知れませんね。

南米太平洋側のアンデス高原は、それ以前の有名なマチュピチュやナスカの地上絵などのほかのプレ・インカ文化があったことが知られてきています。

長い歴史が縄の結び目で文字の役割を果たすことを生み出したのでしょう、勿論、南米には縄紋土器も発見されています。

我が国も注連縄、神事の区画表示、測量や土器、船索具をはじめ縄の用途は大変重要なものです。

古い昔に環太平洋の人の移動・移住(MPOR)があったと考えています。

南米との関連に想いを馳せつつ、忘年の「縄のれん」をくぐりましょう。

(了)

歴史の本棚の表示を見ますと、近・現代史、中世史、古代史、その先は古墳・弥生・縄文時代、先史、旧石器時代などの語が見える本が納められています。

4万年前頃、日本列島にはおそらく今の私たちに基本的には繋がらない(数%以下のDNA)旧人が居たと思いますが、海を越えて初めて祖先の現生人類が九州(八重山も?)にやってきました。

そして、列島を北上して3万年前頃には北海道にまで拡がりヒトが住んでいましたが、この始まりの人たち、その時代の名はまだ教科書に有りません。

島国であるために、世界でも珍しいと言っていい極めて古い始まりの時代の事がかなり見えている歴史を有する国であるのにです。

歴しニアの把握したもので、加除修正を要するかもしれません(縄紋時代は、更新・完新世の転換期に修正)が。

時の経過が長過ぎて、自分たちは「先住民」の子孫などと人前ではっきり言える人は、今や九州にすら居ないでしょう。

この点で2008年のアイヌ国会決議は、歴史の裏付けのない、歴史に対する政治的な表現であり、先住民の語を外しアイヌの人権を尊重するといったような表現の訂正が必要です。

4万年前頃からの始まりのその時代を「日本祖代」、祖先を「日本祖人」、と名前を付けましょうという提案で、このサイトではずっと綴ってきました。

古代史の前は先史(弥生・縄文)、その前は始まりの「祖代史」でどうでしょうか。

ともかく名前が無いのは、酷いと思うのです。

現在まで名が無い大きな理由は、始まりの祖代の遺跡・遺物ははっきり見つかっている(豊富に)が、始まりの祖人の人骨は列島が酸性地のため全く見つかっていないことに有るのでしょう。

始まりの祖人の人骨は見つかっていない、でも確実にヒトの手が入っている石器などは見つかっているので名前を付けましょうということです。

即ち、遺物などのはっきりした証拠から推定して歴史を描く新分野(理論考古歴史学?)の提案です。

重力波、空間は曲がっている、・・・確実な事を基礎にとんでもない真理を追究している学問分野は他に有りますので。

ところで、

勿論、その時代の同種の人々は、上図の「曙海」(九州・南西諸島・北東ア平野に囲まれた祖代の海域)の畔や樺太・千島など、今の国境を越えた共通の拡がりがあったでしょう。

近隣の研究成果も踏まえつつ、日本史分野ですから、とりあえず先ずは自由に調べられる今の国境で、子供たちに伝える歴史を一つ一つに名前を付して議論し描いていってみようという提案で、このサイトは歩み出している訳です。

因みに、既に縄紋時代にあの多彩な土器が、不思議にも対馬の目の前の朝鮮半島や台湾で見つかっていないという境目があったようです。

冬休みに子供たちがいい名前を思いつけば、それにしましょう。

そして、此のことを提案する大きな理由は、北海道の後も目の前に食料豊かな処女地が山から見え続けてましたので、北上を続けただろうと考えるからです。(あのプーチンも居ませんでしたし)

 

当時は、ベーリング海峡は地続きでBeringiaと呼ばれ、また、今と違ってその海には北極海の冷水は入らない、ハワイに繋がる海でした。

そして、今でもそこやアラスカ沿岸は、イメージと違って北海道北部とそれ程真冬の気温は変わらないのです、期間は長いですが。

導きは、昆布(kelp)ハイウェイと学界で呼ばれている水産物や海獣・鳥などの食の豊かさでした。

この事は、既に縷々お伝えしているアメリカ新大陸に入って行った世界史上の大問題に関わっている、自説のMPOR説であろうと考えているからなのです。

単に日本祖代・祖人で、話は終わらないのです。

世界人類の始まりの移動・移住の歴史の中における豊富な、かつ、かなりはっきりした遺跡を有する、史上の尺度となり得る区間である、花綵 はなづな日本列島史の重要さなのです!

(了)

Merry Christmas!

I found new good information on Great Human Journey chart in Archaeology Magazine and modified by my idea.

Firstly, half sunk Sundaland is very important for Asian history and should be  paid attention to it as an original area, I call it Pangkal in Bahasa Indonesia.

Toba eruption happened around 72,000 BP, so should be checked more carefully in world history. Evidence of remains are found in India.

And should be checked artifacts in Japanese archipelago, too.

It’not well known about rich Paleolithic sites, from 40,000, 30,000 BP  to Jomon era.

Sorry in Japanese chart below, but original Japanese, Nihon Sojin, could have prevailed all over Japanese archipelago from south, Kyusyu to north, Hokkaido for about 10,000 years time.

No doubt they’ve continued to going up north to Beringia in relative warm temperature condition and with good food resource, as no Putin, Russians were there!

Around 30,000 BP for 8,ooo years period, relatively warm and it was possible for Nihon Sojin going in Alaska from Hokkaido before Last Glacial Maximum along kelp highway, good food area.

Any new findings on ancient very old artifacts in South America aren’t troublesome for scholars by my migration theory MPOR, anymore.

23,000 BP site in Brazil ?  OK, no problem, accepted. Similar old DNA of  Australian Aborigines with those found by Harvard Medical School in Amazon?  OKed !

下図の通り、7万年前から5万年前が4℃の低下で、5万年前から3万年前が12℃の上昇であり、九州渡来や渡米など、日本人が注目すべき数々の大きなドラマがありました。

第1図

そして、ヤンガー・ドリアス(YD)期の寒戻りを過ぎて更新世から完新世への大転換となり、私は、日本祖代から縄紋本格(早期)へと変っていったものと認識しています。

東南アジアSundaland地域から日本への北上が遅れたのは、寒さと共に緯度を北上するのが難しかったからでしょう。

5万年前頃、一番寒かったからか、あるいは温暖化していく変化のときに人の認知能力の大きな発展(ビッグ・バンと呼ぶ学者あり)があったのかもです。

そして、台湾山地から曙海西側を北上し、九州に渡来して日本列島の東西を北上して3~4℃の気温上昇の中、北海道にまで至りました。

第2図

引き続き千島列島(あるいはオホーツク沿岸)、ベーリング地峡沿岸通過、アメリカ・アラスカ通過まで、一貫した気温上昇と比較的な温暖期であったことが、日本祖人を生み、かつ、発展できて渡米し得たラッキーなことでした。

第3図

なお世界史において、7~5万年前の期の4℃低下の寒冷期は、よく認識する必要があります。

現生人類の発展における出アフリカ後の東進、水平拡散の豪州は分かりますが、北上の九州渡来には時間を要しました。

従って、高緯度寒冷地へ北上していく拡散となる出アフリカ後のシベリア・中国内陸への北上進出については、私は眉唾の認識です。

現生人類・新人は、むしろ太平洋岸から河川を遡行する内陸への拡散であったのではと考えています。

内陸では、原人・旧人の遺跡と新人の遺跡をしっかり区分することが重要です。

いずれ我が国でも旧人遺跡(もしかしたら原人も)が、発見されたり認定される時が来るかも知れませんので。

(了)

下の図は、我が国の始まりである4~1万年前頃の海水面の変動です。

海水面の上昇は温暖化を示しています、日本祖人はラッキーでした。

現生人類は、東南アジアから6.5万年前頃には豪州に渡る一方、北上して上図のように温暖化する中、遂に曙海を越えて4万年前頃、九州に渡来しました。

そして、緯度が上がる状況を温暖化と共に日本祖人は列島東西を北上できたラッキーな状況で、何と雪と寒気の北海道に入る頃は3~4℃の急上昇でした。

更に3万年前頃、北の暮らしを身に付けた祖人は、そのまま千島列島から約8千年間続いた比較的温暖な時期にベーリング地峡Beringiaを抜け、アラスカを最寒冷期LGMの到来の前に通過し得たのです。

渡り鳥でも行くてを知り得た処女地の自由と食料を求めた百数十人の家族の群れが居たのです!

Youは何しにアメリカへ? いやいや、そうとは気づかずになんです!(一番乗りでしたので、そんな質問をする人もいませんでしたが)

無論、その後も続く人達がいたことでしょう。

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

徳川幕府誕生の昔頃から活字にも残っている小人話は、北海道でアイヌによって千島に追われ、千島列島から北海道に土器を作る土を取りに来ては脅かされて隠れた背の小さい人たちについてのものです。

遠州灘から北海へ漂流してしまった者のアイヌから聞いた話は、何よりもデタラメを言う理由もないリアルな口上書(奉行所提出)に書かれたものです。

私たちは今や現生人類の出アフリカから、4万年前に日本列島に渡来して北上した歴史の流れを知り、また、プロトマレー人、フィリピンのネグリト、南九州・南西諸島の背の高くない人たちがいる状況などを知ってますので、先人の話は大変興味を惹かれます。

現在この話が注目されていない理由は、江戸時代の話から約240年経った明治半ば過ぎに、高名な研究者が北千島に行って見たがそういう小人は居なかった、皆、千島アイヌだったと報告したことが影響しています。

しかしその240年間には、北海道アイヌの千島進出に加えてカムチャッカ半島からのクリル族などの南下が考えられますので、ひっそりと逃げ回るように暮らしていた人たちが見つからなくなっていたのは十分あり得ることです。

またその時代は、貪欲なロシア人、インドネシアのバタビアから北上航海して樺太や得撫島に行ったオランダ人などがいましたので、それらの記録に何かあれば大ヒットなんですが。

ま、いずれにしましても人類史の流れを考えますと、見つからないから無かった、ではダメでしょうと思うのです。

(了)

来年は明治維新150年ですが、坂本龍馬も吉田松陰も教科書に登場しないらしいという問題が指摘されています。

子供たちに伝える日本史は、そんなの一杯入れて勉強させればいいだけの事と思います。

さて、日本には四方から人々が入って来て(下図、赤桃色線)出来上がったとよく紹介されますが、誤解です。

基本的には4万年前、曙海を越えて家族で九州に現生人類の人々が来てから日本祖代が始まり、北海道にまで日本祖人が拡がって後に(上図、青色線)、時代を異にして多方から様々に入って来たものです。

最初は厳しい上図の慶良間ギャップでない、曙海を時計回りで南下し、また、むしろ列島からの日本祖人の拡がりでしたでしょう。

現在の遺跡、遺物はそう示しています。

此の点で、2008年6月の国会におけるアイヌ先住民決議は、歴史の裏付けのない驚くべきもので、名称をアイヌの人権を尊重する決議とでも替えるべきです。

九州の人たちですら、自分は4万年前の先住民子孫などとはっきり言える人はいないでしょう。

正に、それが他国と異なる長い歴史を有するお国の特徴で、来年のアイヌ決議10周年には修正せねばなりません。

アイヌの人が九州に居たという史実は無く、むしろ樺太の方から、しかももっと時代を経てから来たのだろうと否定する考えの学者さんが多いとみています。

国連UN絡みのウソや誤解の多い歴史戦の様相を呈している時代でもありますし、しっかりと正して子供たちに伝えましょう。

(了)

最初の渡米ルートが、ベーリング海岸沿いに北米大陸北西岸にということが多数説になってきましたが、数十mという海水面の上昇により直接の証拠の発見は大変困難です。

そこで沿岸・内陸に痕跡を探しますが、下図の通り南米アンデス高地に痕跡があるようです。

それは、成人T細胞白血病を発症させるHTLV-1ウィルスのキャリアに関してです。

このウィルスの世界分布から、現生人類がアフリカを出る頃から保有していたとみられますが、遠隔のアンデス高地人の保有が見つかりました。

これは正に、人類の東進と環太平洋移住移動の流れでムリなく理解できます。

現在の日本でも九州、北海道、四国、離島などや人里離れたところで見つかるようで、縄文痕跡(日本祖代とも?)と符合していると言われています。

1500年前のアンデスのミイラのウィルスの塩基配列から日本人との類縁が明らかになってますので、少なくとも近現代の日本人の移住による訳では有りません。

彼らがB・シベリアタイプでなく、A・日本人と類縁であることは注目されます。

南米では、既に米Harvard医科大がアマゾンで古いDNAを発見しています。

また、ブラジルで2万年を越えるという遺跡が見つかったという情報から環太平洋移住移動MPOR説の意を強くしていますが、南米はまだまだ人里離れた所にお宝がありそうな期待が持たれます。

日本祖人の初渡米:https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

かっては、シベリア・アジア人がベーリング地峡を大型哺乳動物を追って越えてカナダ大氷床の隙間通路である無氷回廊を南下したルートからが定説でした。

現在では、既に多くの学者がそのルートがベーリング地峡南岸-北米大陸大平洋岸の昆布kelpハイウェイ沿いからだと考えるに至っています。

そこで焦点は、A:北海道からの日本祖人か、それともb:シベリア狩猟族のいずれかということになる筈のものですが、まだ、明確にそこを打ち出して論じたものはありません。

依然として、現在の先住民の大多数のDNAがシベリア・アジア人系であることから、ルートは変わっても人については何となくそのままというのが実情だと思います。

近年、ブラジルで発見されている古い遺跡(約23,000年前)の問題があり、最寒冷期を過ぎて(1万数千年以降)でないと南下できない、という大方の常識ではこの遺跡を解釈できません。

また、東南アジア・豪州の先住民とDNAが近い(驚くことに北米やシベリアでない)アマゾン古部族について、議論がありあるいは頭抱えているということなのでしょうか。

アマゾン古部族については、直路の太平洋横断が歴史的に全く実証材料がありませんので、ハーバード医科大の折角の貴重なDNA調査研究の分析結果が浮いているようです。

 

かねて当サイトが提唱しております環太平洋移動移住MPOR説で、A:北海道からと考えれば、ルートも時期も悩まず説明できると思うのですが。(ま、その種の最新の発見を踏まえて説の方が作られている訳ですが)

あの100年越しのアインシュタインの「重力波」の方は、やっと証明されて来ているようですね。

(了)

Many think that the route is along Kelp Highway now, but by A-original Japanese, Nihon Sojin, or by b-Siberian hunters?

Interesting new findings in Brazil, one is especially about old site of its era is 23,000 BP.

This indicates that Asians must passed the Beringia before Last Glacial Maximum for peopling to American continent.

The other is about Old DNA tribes who were also found in Amazon by Harvard Medical School.

Surprisingly, those types aren’t similar to those in North America and Siberia, but to Aboriginal people in the area of Southeast Asia, Andaman islands and Australia, center was Sundalandia.

https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

最初のアメリカ人は、下図のA:海の民系か、B:内陸狩猟族系か、となりますがまだまだ世界のイメージはBのようで、かつ、時期はやはり極寒の地が温暖化して氷床も大きく縮小する1.5万年前頃というものです。

ここで、Aである3万年前の北海道の日本祖人の状況、北極海の冷水の流入が無かったベーリング海の状況、沿岸の水産食料源の昆布(kelp)ハイウェイなど当時の状況を考えてみます。

そうすればA:日本祖人は、3万年前から引き続き千島列島(少なくともオホーツク沿岸)を北上して、ルート上の最も寒いベーリング地峡地域を最寒冷期LGM前(2.5万年前以前)に通過できた可能性があります。

この事は最新の南米の2万年を越える古い遺跡の発見情報を考えますと大変重要となります。

さて、仮にBが通説よりも早く内陸から進出し沿岸の舟ルートに切り替え得たとしても、アラスカ湾の海岸氷床は厳しい大変な難所です。

浮氷に衝突して転覆などとなれば命に係わる事態です。

まして家族の移動ですのではっきり軍配は、Aに上がるでしょう。

米本土から南米までを視野に考えますと、北海道日本祖人の子孫の米沿岸の初進入による環太平洋移動・移住MPOR説を提唱する所以です。

(了)

よく言われる日本列島に北から西から南から人々が来て始まり、は時代差を踏まえない誤解です。

実際は、先ず南方から九州に来て北上して一方向性でほぼ列島中に拡がった事が重要な特徴で1万年、次の更に1万年後に、北から西から狩猟族が入って来た日本祖代人の始まりの二重構造性です。

この最初の海の民系の渡来と列島中への拡がり及び定着の2万年は、列島史時間の半分を占めるものです。

水と緑と動植物の豊かな恵まれた地ですが、火山噴火や地震津波もある特色ある孤立的な島々での暮らしの基礎と言うべきものです。

そして、雪と寒冷の北海道から引き続き食料豊かな無人の地に北上して行ったと考えるべきで、最初のアメリカ人論に繋がっていきます。

古い時代の列島中に拡がっていた、既に舟で神津島などに行き来し広域の物々交換をしていた、日本祖人の暮らしの分厚い基礎があった訳です。

ところで、この日本祖代と縄文時代の後、稲作を携えた渡来人やその後の古墳時代渡来人などの流入により積み重ねられた第2の二重、三重構造時代と言うべきことになっていきます。

また、この最初の二重構造性の日本祖代と縄文時代の基層(日本史時間の93%)によって、その後入って来たものを取捨選択、変形して取り込み熟成させながら、日本文明、日本教と呼ばれる独特なものが形づくられたのだと考えます。

今でもユニークな日本の古い祭りもありますね。

(了)

最初のアメリカ人については、シベリアからベーリング地峡を経てという定説から、今では地峡南部の沿岸を昆布(kelp)ハイウェイで米大陸西海岸沿いにということになっています。

それでも、時期は、地峡地域の寒さから最寒冷期LGM(24~19,000年前)を過ぎてから、また、人は、現在の米大陸の先住民のDNAなどからシベリア・アジア人というイメージのようです。

ここで、南米の古い遺跡発見の報もあり、最寒冷期よりも前の状況を確認しますと、人の候補は、①本州から北上して来た北海道の日本祖人、

②バイカル湖域から北上したヤナYana遺跡のシベリア・アジア人、になります。

北海道遺跡が常続して生活しているのに比し、ヤナ遺跡は寒さが厳しくなって南下したのではとも言われています。

そして、地峡や内陸の厳しい寒さに比し、ベーリング海域は、当時は北極海の冷水が流入しなかった比較的温かい状況でしたので、沿岸生活は可能であったろうと考えられます。

千島列島の島伝いも前方の島が見えましたし、日本祖人は伊豆・神津島に行き来する操舟力を有していました。

従って(プーチンもいない時代でしたし)、更に北上を続けたであろう十勝平野3万年の人類に関する遺跡は、もっと世界の学界で注目されて良いと思うのです。
http://www.octv.ne.jp/~hyakunen/hakkutusareta-tokati.html
https://youtu.be/BGrhO1ntyYo

(了)

最初のアメリカ人については、長かったベーリング地峡Beringia越え定説Bの時代が終わり、北太平洋沿岸の昆布kelpハイウェイルートA説が主流になっています。

しかし、欧米学界では、未だシベリアB人が来たというイメージが強いようです。

第1図

その大きな理由は、現在のNativeインディアンの80%がシベリアB系であるということと、も一つは、万年前の昔の今との大きな5つの違いについての認識が不十分なせいだと思います。

それは、シベリア狩猟族とは心根や暮らしぶりの違う、忘れられがちな環太平洋の海の民に想いを馳せる事です。

近年発見されている北米や南米の遺跡、人々のDNA分析などを考慮すれば、極寒のシベリアを越えたのは、最寒冷期後とみられますが、南米の古い遺跡と合いません。

第2図

この点で第1図のAルートは、ベーリング海が現在よりも温かかったとみられる差異があります。

やはり先に沿岸を入って行ったA系と従来の地峡及び無氷回廊及び沿岸も行ったであろう影響力の強いB系という、かねて当サイト提唱の二重構造で考える必要があるでしょう。

kelpハイウェイに目が向いてきたのも心強いですが、こういう視点で下図全域の特に沿岸遺跡や関連DNA資料などを見直すことも必要な事と思います。

当時の気温や海水面・温度、食料となる動植物など諸学協同の分析が期待されます。

そして、証拠が見つからないという事は、事実が無かったという証拠ではないと思いつつ。Absence of evidence is not evidence of absence.

(了)

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