Nara Akira     http://www.sunda-wind.net

今回は、ニュースが伝えない、その意味する衝撃的な内容についてお伝えします。

1.ハーバード医科大が、極めて古い豪アボリジニと南米アマゾン部族一部のDNAが最も近く、他にはないという分析結果を得たと報道された。

DNA Aborigin dan tiga Suku Amazon sama oleh penelitian Harvard Medical School.

2.私はこのことは、古人類の部族がアジアの楽園地域―>北上し日本列島―>南下し南米へと海浜・舟により万年の大昔に移動展開し住みついたことを意味すると考える。

Aborigin kuno tidak bisa menyebelang Samudra Pasifik, jadi orang Jepang kuno yang punyai DNA sama menurun ke Amerika Selatan  dengan purahu dan/atau lewat pantai rute.

即ち、太古に環太平洋を、豪から馬蹄型に南米へと繋ぐ人の移動連携があった。

そのことから、往時の通過地域である日本列島の重要性が人類史的に注目される。

細部説明といたします。

暮れも押し詰まり、我がアジアの楽園関連の十大ニュースは何だろうと考えていましたら、当地の仲間があるニュースをアップしているのを見つけました。

度々お目にかけているわがサイトの人類展開図(豪は5万から、欧州は4万年前からの説あり)のその後のアメリカに関するものです。

それは、米ハーバード医科大の遺伝子専門家David Reich教授チームの研究を伝えたものです。

1.南米アマゾンに住む先住3部族のDNAは、他の何処よりも豪のアボリジニのものに最も近い。

2.ベーリング海(地)峡を越えて南下したとみられている北米先住民との類似性が全くみられず、かつそれらよりも時期的に早い可能性があると考えられる。

3.このことは人類の展開において、豪アボリジニが初めて南米を”colonized植民地化”したとみられ(may have A->B)、誰が最初にどこからアメリカに来たかというこれまでの定説を覆す。

このニュースは、実は世界の人類史にとって衝撃的な内容を含んでいると考えます。

1.まず、1万数千年前以前に豪アボリジニ家族が舟で太平洋を展開して行き、遂には種族が横断して直路南米に達したとは考え難い(これまでの裏付けは全くなし)。

人類の太平洋諸島への漕ぎ出しは、アジアの楽園Sundaland地域からラピタ人が3,000年前頃、初めてとみられている。

2.かねて、日本人とアンダマン諸島人のミトコンドリアDNAに近い例がある近親性は、日本における研究で明らかになっている。

従ってこれらのことから、太平洋横断でなければ、豪アボリジニ同様のDNAを持った者が北回りで日本列島を経由し南米に行った可能性が高い。

これを環太平洋海浜・舟行ルート(RLPP)と仮称する。

裏付けとなり得る関連する事象は、時期が下るが縄文人骨、土器、土偶、更には世界でも限られた体内ウィルスの共通性など、主に米大陸太平洋岸でこれまでいくつも発見されている。

注:インディオの語の使用は賛否ありますが、差別意識ない日本の読者に理解しやすいことから用いています。

2.この発表で、人類の展開において、アジアの楽園地域(アボリジニ含む)から北方の日本列島人に至るまで、北上ルート沿いはDNAが同一性ある近い人々が存在したことを窺わせる。

インド洋アンダマン諸島・楽園・豪から北回り(海浜・黒潮ルート)で南米アマゾンにまで、人類展開の繋がりがあったことは、先史におけるアジアの楽園Sundalandの重要性と当時の人類の海洋行動力を含む文化の伝播を示すものである。

3.これまで新大陸と呼ばれてきたアメリカの南米の北部が、実は環境に恵まれ考えられてきた2万年前頃以前に日本を経由して渡ったとみられる人々による相当規模の人類社会が営まれていたと考えられる。

今や太平洋を越えてアジアから人が米大陸に来たのか、が論点ではない。

a. 舟で長距離を日本から渡洋南下したのか b. 主に海浜を長期間かけて伝って移動南下したのかが問われている。(海水面が当時より100m以上上昇しているので、ルート中の遺物の発見は困難)

4.南米と類似の縄文土器などが出土している南九州、神奈川のみならず古い人骨の発見された沖縄含めて、特に海の道沿いの国内の遺跡相互の関連も注目される。

(柳田國男 海上の道 から)

また、特に環太平洋岸の遺跡については、人類史的な視点からアジアの楽園Sundaland北上ルート上の地域や新たに南北米大陸との関連について注目される。

5.前述の海水面の上昇により、今は地域は海底になっているため発見は難しいが、内陸の遺跡・遺物からの推定も交え考察を進める必要があろう。

米国内のユタ州の遺跡など、内陸にも参考となる遺跡がある。

以上、

この豪アボリジニ・アマゾン部族のDNA研究は、長い間の少数説(*スミソニアン博物館のBetty Jane Meggers等)に脚光を当てることとなり、人類史の認識を大きく変える意義深い研究成果です。

*米大陸独自の発展説ではなく、縄文人が太平洋を舟で越え、南米(エクアドル)に土器製法をもたらしたという伝播説。

そして、豪アボリジニ、アンダマン諸島人とアマゾン部族のDNAの共通性及びそれらと日本列島人との共通性の存在から、馬蹄型の環太平洋ルートが認識されました。

現生人類が、アジアの楽園Sundalandへの到着後の早い時期に飽和し、海も越え東方の豪アボリジニへ、北方の日本列島人へと展開しました。

このことは、楽園の当時における人口密度の高さと文明の曙を、また、人類の海洋渡洋力などを示すものと考えます。

Itu menunjukkan banyaknya penduduk  dan peradaban di Sundaland, dinamika kelautan manusia kuno juga.

さて、奇しくも来年、南米リオRioで世界のスポーツ祭典オリンピックOlimpiadeが行われ、その後アジアの日本Tokyoで開催されます。

人類史の流れとは逆ですが、南米からアジアの楽園Sundalandまで、これを機に環太平洋海浜・舟行ルートRLPPの先史の解明と再び環太平洋の人々の連携が進むことを期待します。

そして、本年合意を見た環太平洋パートナーシップTPP協定による新たな時代の域内の発展も。

Semoga diperjelaskan prasejarah rute RLPP,  mengembangkan koneksi orang-orang  dan kemajuan ekonomi regional.

 

前回、当地の竹製品に惹かれる事情を述べましたが、それらが万年の昔を想像させるからです。

今も実によくいろいろな製品が作られ活用がなされています。

此処ではスンダ古老から、日常使っている竹製のかさ帽子が、300年前からだとさらっと言われて驚かされます。

では以下いろいろです。

上下とも竹楽器であり、他に有名なアンクルンangklungなどもあります。

 

バドゥイ族のかさ帽子                    砥石のための竹利用―石器時代のようです

街の竹アート

(Pon S.Purajatnika から)

万年前にアジアの楽園に上のようないろいろな竹製品があったとしましても、それが残り発見されるということは南国ではなかなか期待できません。

(Yanto Gumilar から)iroirona

しかし、青森の三内丸山縄文Jomon遺跡(5500~4000年前tahun lalu頃)で竹製品の「縄文ポシェット」が見つかり、現代と変わらぬその技には皆が驚かされています。

(公式ホームページ画像から)

縄文時代のかごの研究UTokyo Repository:http://hdl.handle.net/2261/15739では、

縄文時代には土器や石器をはじめ様々な道具が用いられたが、その一つに植物を編んで成型した製品がある。それらは先史時代から現在まで生活の中で重要な役割を占め続けてきた稀な道具である。

とされています。

普通に考えて、竹製品がこれだけであったとは思われませんし、木工製品も当然考えられます。

大昔の人々は想像を越える制作技術を有していたと考えるべきでしょう。

無論、アジアの楽園Sundalandで使われていた竹製品が三内丸山まで伝わったとは言えません。日本独自か、あるいは他の例えば長江・雲南発であったり、そこを経たものかも知れません。

いずれにしても私にはそれらの地域が、竹や木の製品をかなりの技量で作り、今も愛用しているように思われます。

工作技術という点では、時代はずっと下り中世ですが、ケチュアの人々の石積みがあります。

下の写真ですが、日本のお城も顔負けの技teknologiです。驚きの昔の技で、誇示しているかのようです。ずっと昔から伝えられてきた技の極致のように思えます。

ケチュアQuechua、またはQuichua)は、かつてInkaインカ帝国(タワンティンスーユ)を興したことで知られる民族である。ペルーエクアドルボリビアチリコロンビアアルゼンチンに居住する。(Wikipediaから)

今日27日の日曜日は、今年最後の歩行者天国です。

完全に車を締め出していませんでしたので、年末なので早めに緩和したのかも知れません。

やはりまずは、歌です。

お笑いも人気なのは日本と同じです。(周りでも一杯見て笑っています)

街は子供と赤子が多いのが、日本との違いです。

人の集まりといえば、食べ物売店です。

アジアの楽園は、昔から果物豊富で切れば売り物です。

そして売り物第一は、衣類です。まあ、他で多種多様なものが売られています。

特売です。ゼロを2つ取って下さい。

おしめ取れた子から少年まで、意外に人気と分かったのが日本の忍者です。

こういう嬉しい人も結構いるのが、当地です。

お箸sumpitで食べる麺(純正和食?)ですよ~!! (なんちゃっては、フォークで。)

学生通りに新たに出来た若者茶店。店の名は「きもち」、・・・どんな?

そして私が、どうしても足を止めて買ってしまうのがここの竹細工。

これについては、次回、考えます。

皆様は、賑わいのクリスマスイブも過ぎ本年の越し方に思いをいたされるとともに、新たな年に向かわれていることと思います。

22日、西ジャワ州のスンダ文化保存振興会の催しとして、スンダ王raja族血統の方々、バンドゥン工科大ITB教授、科学院LIPI研究者、スンダの文化budaya Sunda芸能関係者などが集いました。(撮影時には早退、遅着の方々もいます。)

Bestdaya Bengkel StudiBudayaさんのサイトでも紹介されています。

そして一足早く、スンダ暦の新年tahun baruを祝うとともに新カレンダーKalenderのお披露目配布が行われました。

新たな年は、1952年で巨石遺跡を今回のデザインとして表紙に採用したとのことです。

集いでは、カレンダーと関わりの深い天文について、スンダの人々の農耕中心の暮らしと星々bintangの関係などが学術的に紹介されました。

また、カレンダー表紙の巨石遺跡との関連で、地域において近年になり調査が進んでいるグヌン・パダンGunung Padang遺跡(前回、当ホームページで紹介)についても説明がありました。

日本でも来年は皇紀2676年ですが、スンダ暦も同様のものです。

当地では、学校Sekolahにおいてインドネシア語・文化とともに郷土のスンダ語・文化がしっかり教えられ継承が図られておりhubulwatan立派です。

日本では今、町興しperkembangan kotaが盛んに唱えられていますが、まずは郷土の歴史と文化をしっかり見つめることからでしょう。

さて、実は今回お伝えしたいのはスンダの人たちが伝えている別の暦のことです。

世界には大変古い暦が、エジプトやバビロニア、中国などにもあり、マヤの暦は特に有名です。(電子拙著 「アジアの楽園探訪記」をご覧下さい。)

当地で伝えられているこの古い太陽暦では、その始まりの時期がなんと驚きの17,000年以上前です。

私たちが今使っているグレゴリー暦と照合でき、15,239年が、グレゴリー暦元年です。

世界には、万年、数千年の大昔を視野におさめて伝え、今も暦として活字にしている人たちがいるということに思い致すことが重要です。

エジプトMesirの神話に、神官のいわば師匠に対して弟子が文字hurufを覚えましたと得意げに報告したところ、バカ者、そんなのはかえって天、神の真理が分からなくなるtidak baikと戒められている一節がありました。

人類社会の文明の始まりとすべきは、文字ではないです。

我が国でも古事記に対する稗田阿礼の例のように、その記憶力と人々の語り伝えは驚嘆すべきものです。

野球のイチローIchiroやサッカーのメッシMessiの神技の真髄は、文字では伝えられないでしょう。観て感じ取るほかないでしょう。

同様に太古の船乗りmatros、魚獲り、石工tukan batu、大工などの神業は、相伝で語り伝えられたものの残っていないことに思いを致す必要があるでしょう。

民族の語り伝える神話mitosは、語り伝えてきた意義からもっと研究、教育pendidikanされるべきと考えます。

また、大昔の人々Nenek moyangはこれまで考えられていた以上に優れていたkebrilyananこともしっかり認識すべきと思います。

最近、日本でも飛騨の金山巨石群Situs Kanayamaに関して、太古の縄文人Jomonが夏至、冬至などの太陽Mata hariの運行を理解し、暦として巨石kalender megalitを組み建造していたと発表されています。

なお、アジアの楽園Sundalandに関する本ホームページSite iniについて、お気軽にトップページの欄からご意見messageを頂けましたら幸いです。

 

 

アジアの楽園Sundalandにおける万年前の文明の曙を現場において考察し、証左の一つとなる西ジャワJabarのグヌン・パダン巨石遺跡に立ち、その状況を当地の専門家にいろいろ聞いてきました。(「アジアの楽園探訪記」を参照下さい。)

此のたび、「神々の指紋」を書いたGraham Hancockが、「Magicians of the Gods」を出版し、他の世界第1級の注目遺跡とともに、インドネシアのピラミッドとしてグヌン・パダンについても書いています。

この古いミステリアスな遺跡について、調査の第1人者の一人であるDanny Hilman Natawidjaja 博士から内部に関する最新の状況をお聞きしまとめましたのが下の概図です(図責 奈良)。 

私が特に注目する点は、

1.万年の昔に人々が手を加えた最深最下層paling bawah dasar Piramidaが、現在の表面第1層と形状が同様のものmiripであること。

2.内部に複数個の空間があり、人が造ったか手を加えたものである空室ruanganとみられるものであること。細部の空間内状況は不明のミステリーです。

3.石具 alat batu(当地の研究者は、スンダ人が大切にする小刀kujangに似ているという)の遺物が出土していること。

赤道を越えた島から、世界注目の遺跡に関する最新現地ルポlaporanのクリスマスプレゼントHadiah Natalとさせていただきます。

クリスマスの時期となりました。さて、

法医人類学という新しい研究分野の助けを借りて、英国Inggrisの研究者がイスラエルIsraelの考古学者とチームを組み、歴史上最も適切と考えられるイエス・キリストの顔を発表した、そうです。

英国の研究者、法医人類学の手法を用いてイエスの顔の「最も適切な再現」試みる

(Christian Todayから)

やっとという感じのリアルさのある実に素晴らしい、歴史愛好家にも納得のいくお顔ですね。

当地は、イスラム教徒の多い国ですので、それほど家の近くでは目立ちませんが、若者の集まる地域ではしっかりツリーcemaraなどが飾られています。

本来、イスラム教においてもキリスト様は預言者nabiとして認識されていますが、まあ仏教徒の多い日本と同じように商業的に大変大きなツリーが飾られ、特にイブmalam hari Natalには賑やかにクリスマスが祝われるというところでしょう。

但し、私などは半袖lengan pendekでということになりますので、今一つですが。

それでもイメージはやはりサンタさんの雪saljuが合うようで、雪だるまも登場しています。(人は半袖半ズボンですが。)

*/*-

実は、バンドゥン地域は標高が700mを超えてますし、各地から人が集まってますので結構寒がりの人も多く、またバイクに乗って風を切るため皮ジャンkulit mantel、ダウンジャケット、セーターなどの人も多いのです。

いずれにしましても、イスラム教における礼拝への呼び掛けのマイク放送のアザーンAzanが日々聞こえ、多くの女性がジルバブを被っているこの国で穏やかにクリスマスが祝われることは、万年のアジアの楽園Sundalandが重ねた時の厚みでしょう。

そして、正にこの国が標榜する「多様性の中の統一」 BHINNEKA TUNGGAL IKA の努力を私は感じます。

テロterorに悩む国連UNの標語にしてはと思っています。

前回は長い長い時を経て アジアの楽園Sundalandから、爽やかな新たな風が吹き始めたASEAN共同体の発足宣言をお伝えしました。

かってここでは、温暖化による海水面の上昇により万年往時の半島大陸地の過半が海に沈む人類史上の大悲劇に見舞われました。

Sundaland - Last Glacial Maximum_75%

(Dhani Irwantoの図から)

パリでのテロとCOP21は、奇しくも現代が抱える問題を象徴的に私たちに突き付けています。

インドネシアの国鳥ガルーダに乗られるヴィシュヌ神(毘紐天)ですが、人類史の百貨店であるここでは、あのバリ島の海岸プムテラン ビーチに眠られる悲しい神々のお姿も見られます。

 神鳥ガルダの上に乗るヴィシュヌ – Wikipedia

以下、Global Indian Brog, Just Duweさんからです。

Local call this new Scuba diving spot at Pemuteran Beach as “Underwater Temple Garden – Bali”

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COP21が掛け声だけに終わりませぬように、人類に天罰が下りませぬように。

わがホームページでは、現生人類の出アフリカ以降の万年前のアジアの楽園Sundaland(下図緑部)を採り上げてきました。

アジアの楽園Sundalandでは、最終氷河期最寒期(2万年前頃)の時代もいつの時期も環境に恵まれた広大な半島大陸地(インド亜大陸の2倍)において、豊かな動植物と人口密度の高い人々の暮らしがありました。

水産物をも食す穏やかな暮らしに社会的な営みとしての巨石ピラミッド文化があったことが分かってきており、万年前の人類の文明の曙と考えられています。

その後、下図のように過半の陸地が海没して現在の地形になり、ユーラシア東部内陸の民族の南下が及び、アジアのルーツに実に大きな変化がもたらされました。

そして何よりも近世においては、地域は西洋列強の植民地となったため、自立的な発展が阻害され主体性が抑えられた状況が続きました。

先の大戦を契機に地域の国々はそれぞれ独立を果たしていくこととなり、戦後70年の先般、ASEAN共同体Communityとして発足することが宣言されました。

(11月23日付 じゃかるた新聞から)

今、万年の楽園から新しい爽やかな風が吹き始めました。

東アジアの我が国にとりましては、言わば父祖の地Tanah Nenek Moyangともいえる地域です。

少子高齢・限界集落問題などを抱える我が国と異なり、若い力に満ち満ちた発展途上の活力ある6億人の人々が暮らす地域です。

そして、今も変わらず資源は豊かで、我が国輸出入の大動脈ルート上の要衝でもあります。

 

前回、日本のハイテク クール・ジャパン国際協力kerjasama international Jepangの一つの分野としての遺跡調査への期待を述べ、例として当ホームページが注目します西ジャワ州の巨石遺跡グヌン・パダンを採り上げました。

先般、最高学府インドネシア大学UI人文学部の75周年記念行事として、一般テーマの部「考古学と社会」と特定テーマの部「インドネシアの考古学」という国レベルの考古学セミナーが行われました。

一般テーマでは、インドネシア考古学の未来への挑戦や青銅器遺物の謎などが、特定テーマでは、難破船の海洋水中考古学事始めの研究やUNESCO世界遺産と国レベルの対応組織の在り方の計画などが採り上げられました。

そして、特定テーマの部ではインドネシア ドローン無人機協会APDIの作品であるグヌン・パダン遺跡Situs Gunung Padangのビデオが放映されており(下図 右側最下部)、インドネシア側のこの遺跡に対する高い注目度が窺われます。

アジアの楽園Sundalandの先史を実証するものとして注目しております遺跡が、この栄えある機会に大きく採り上げられ、かつ、無人機ドローンの最新ハイテク映像で紹介されております点にも意を強くしています。

既に中央政府が指定しました約29haに及ぶ広大な遺跡地域の全容調査とグヌン・パダン遺跡本体の内部の細部調査が、厳しい予算状況の中ながら進展しますよう期待しています。

そして、いつの日にかUNESCO世界遺産に登録されますように。

 

 

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これまで日本にも大いに関係すると考えられるインド亜大陸ドラヴィダ・タミルTamilの歴史や先史の「補助線」、アジアの楽園Sundalandについて考えてきました。

ドラヴィダ・タミルに関してはモヘンジョ・ダロ西方の万年に迫る古い遺跡や、今は土漠になっていますが宗教文献リグ・ヴェーダに書かれた内容に合致する、ヒマラヤからアラビア海に至る河川沿いに遺跡がどんどん発掘され、歴史の見直しが進めてられています。 

近年の科学技術の進歩により、1万1千年前頃のトルコ東南のギョベクリ・テペGobekli Tepe遺跡は、その地下に更に沢山の同様の遺跡があることが分かりました。

新石器時代初期以前の狩猟採集民族とみられる人たちによる驚きの巨石遺跡で、時代の様子と石器人に対する認識を大きく替えるものです。

英国のストーン・ヘンジStone henge地域も下写真の広域調査により、地域の地下に数多くの遺跡があることが分かりましたし、世界の各地で地中や海中の遺跡が明らかになってきています。

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ストーンヘンジ周辺の地下調査の模様。 Credit:Stonehenge Hidden Landscapes Project
 

今回はエジプトにおいて、あのツタンカーメン墓Tutankhamun’s tombに描かれた絵の裏測に隠れた空き室がある(90%の確かさ)との驚きの発表がありました。

FILE -- In this Thursday, Nov. 5, 2015 file photo, tourists look at the tomb of King Tut as it is displayed in a glass case at the Valley of the Kings in Luxor, Egypt. On Saturday, Nov. 28, 2015, Egyptian Antiquities Minister Mamdouh el-Damaty said there is a 90 percent chance that hidden chambers will be found within King Tutankhamun's tomb, based on the preliminary results of a new exploration of the 3,300-year-old mausoleum.

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